
最初、本をひらいたときに三角形の一辺のような各行に少し戸惑いはしたけれど、すぐに言葉が心にしみこむように入ってきた。本来、日本語は各行の先頭は不ぞろいに、心のおもむくままに記していたのではないだろうか? 版木で本が刷られるようになると、版木や紙を節約するために現在の形式に近づき、やがて翻訳物が入ってくるようになると、海外の書物に使われているパラグラフの単位が取り入れられただけで、本来の日本語はこういう形で魅力を発揮してきたのだなというのが第一印象。
縦書きの文を横書きにしてしまったが、ここでも本書の不ぞろいな行頭をできるだけ再現して、『真文学の夜明け』より一際心に残る文を選んで記してみた。
「〈まだ見ぬ書き手〉がきっとどこかに存在するはずだ」という言葉も、「ほとんど手つかずの状態にある文学の鉱脈を掘る」書き手を待つ言葉も、打ち寄せては引いていく波のように幾度も繰り返され、私も「真文学の夜明け」が楽しみになってくる。
丸山氏の語る文学的素質が、あまりに強靭なものであることに驚きつつも、「生まれてきて文句あるか」的な生き方にも、そうした言葉が自然に出てくる丸山氏の人柄にも憧れる(少し怖いけれど)。
しかもなお
反骨精神に富んでいて
反権力
反権威の姿勢が必須条件であり、
「生まれてきてごめんね」タイプとは真逆の
「生まれてきて文句あるのか」タイプの
つまり
頑固者にして嫌われ者であることが必須条件であり
それでいながら
悪にも強いが
善にも強いという
その種の極端な矛盾をたくさん抱えた
国家や社会とは同調しない者が
最適の文学的資質の持ち主
ということになる。
(丸山健二『真文学の夜明け』490頁より)
言葉の威力を語る丸山氏の文も、言葉を破壊してしまう経済活動への憎しみも、言葉への純粋な敬意に心うたれる。
ひっきょう
言葉こそが
人間を象徴し
人間を人間たらしめているすべてであり、
言葉なくして
人間は人間ではなく
ほかの動物と大差ない生き物に成り果て、
どこまでも
言葉あっての人間というわけで、
それにもかかわらず
感情や欲望の流れに沿った生き方の優先を煽る経済主義は
言葉の偉大さを蔑ろにし
知性や理性の源である言葉を嘲ることによって
真の意味における人間性を失い、
(丸山健二『真文学の夜明け』195頁より)
言葉のなかでも、日本語の可能性に寄せる丸山氏のひたむきな思いを読むうちに、氏の作品を読んでみたいと思ってしまう。
因みに
他に類を見ないほど豊かな表現を可能たらしめる
漢語と大和言葉の見事な融合としての日本語は
底なしのポテンシャルによって
その魅力はまだ万分の一も発揮されずておらず
(丸山健二「真文学の夜明け」358頁より)
丸山氏は、仙台の高等電波専門学校を卒業した後、勤め人の生活をおくりながら小説を書き、23歳の若さで芥川賞を受賞する。そんな氏の目には、文壇の作家たちも、大手出版社で甘い汁を吸っている社員も、文学を衰退させる存在にしか映らない。
あえて大手出版社から距離をおき、地方でずっと暮らす丸山氏は理想の出版社像をこう記す。
編集者としての高いセンスと
いい本を世に出したいという情熱と、
そのためには
かなりの忍耐力や地味な生き方が必要不可欠であるという
強靱な覚悟とを
すべて併せ持っている
少数の人間が力を合わせてやってゆく、
そうした原点こそが
出版業のそもそもの在り方にほかならず
(丸山健二『真文学の夜明け』148頁より)
現在、丸山健二全集(百刊予定)と丸山作品の英訳を手がけている柏艪舎は、面識のない丸山氏の方からオファーがあったということだ。柏艪舎が、丸山氏のこうした思いに応える仕事をされていたということであろう。
この本を読むと、丸山氏の本も、柏艪舎の本ももっと読みたくなり、丸山健二全集を注文した。丸山氏、柏艪舎の協力による本の世界を読むのが楽しみである。
2019.06.03読了