さりはま書房徒然日誌2023年7月5日旧暦5月18日

アゴラとは逆方向を目指す街

今日は所用で千葉駅西口広場方面へ。千葉駅西口はだだっ広い広場に小さな、寝転べない意地悪ベンチが二つあるのみ。改札に行く通路にもベンチはなし。駅のホームにもベンチは見かけなかった気がする。

なぜ人が足を休め、談笑する場をつくろうとしないのだろうか……?

そういう発想がないのか?それとも意識的に人が休めないようにしているのか?

南フランスの田舎町ペルピニャンの広場をふと思い出す。

ペルピニャンでは広場を囲むようにテラス席のあるカフェが並んでいる。夜になれば家々から皆カフェにやってきてテラス席で好き勝手なことを喋り、最後は広場で手を繋いで輪になってバスク地方のダンスを踊る……。

田舎町でもアゴラがある……そんなペルピニャンの夏が遠い風景に思われた。

デジタル大辞泉によれば、アゴラとは

古代ギリシャの都市国家の公共広場。アクロポリスの麓にあって神殿・役所などの公共建築物に囲まれ、市民の集会や談論・交易・裁判などの場になった。

人が休めない街とはただ不親切なだけではなく、集会や談論からも遠ざける街なのだと思う。こんなアゴラとは逆方向を目指す街が、日本中に増殖している気がする。

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」を読む

丸山先生の大切なテーマのように思える生と死。生なき存在である筈の屋形船おはぐろとんぼが四季を生き生きと語ることで、不思議な妖しい美しさが風景に宿り、生と死というテーマをくっきり際立たせるように思う。

花の笑む頃になると

きまって気持ちが浮つく性分……

白南風がそよと吹き始める頃になると

必ず湧き上がる胸の泉……

屹然として聳える山吹岳の遠くに

蜘蛛手に弾ける花火が見える頃になると

ひたひたと押し寄せる充足感……

夢ならぬ現実として

銀色に輝く尾花の波が押し寄せる頃になると

ふんわりと包みこんでくる哀調……

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」上巻415頁

福島泰樹「百四十字、老いらくの歌」を読む

福島泰樹「百四十字、老いらくの歌」より「道玄坂の歌」を読む。この本は、福島先生が毎日ツィッターに投稿した373首だそうだ。「ツイート文が長歌なら、短歌は反歌だろう」と帯にある。長歌があるおかげで、短歌の思いも分かりやすい。

「道玄坂の歌」には、戦争で、東北地方大震災で、色々思いを残して亡くなっていった死者を詠んだ歌がある。

この季節、道に咲く紅白のオシロイバナの花を見ていると、花々の影に歌に詠まれた死者の姿が見えてくる気がする。

百四十字、老いらくの歌」の「道玄坂の歌」 より、そうした死者を詠んだ福島泰樹先生の歌を次に五首ほど紹介させて頂く。

戦争で死んだ母さん、歴史とは……波に呑まれてゆきし人々

炎に灼かれ叫ぶ人々黒焦になった人々、ぼくは見ていた

死者は死んではいない 髪や指の影より淋しく寄り添っている

燃えながら逃げゆく人を 泣きながら背中に隠れ見ていたのだよ

暗い眼でおれを見据える男あり はるか記憶の闇のまなこか

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さりはま書房徒然日誌2023年7月4日旧暦5月17日

なぜ教育委員会の人は文を書くのが苦手なのか?

定時制高校で働いていた頃、不思議に思ったことの一つ……。

教育委員会の人たちは大量の通知文書を作成するのに、なぜか自分の言葉で文章が書けない……ということ。上手、下手ということではなく、ほんとうに文章を書くことができない……と思った

勤務していた定時制高校では、卒業式に発行する広報誌に教育委員会からの「卒業おめでとうございます」の文を毎年掲載していた。その関係で10月に1月初旬あたりの締切で頼む………

だが1月下旬になっても原稿があがらず、教育委員会の人どの人もナンダカンダと理由をつけて締切をひたすらのばす……が毎年の恒例。

勤労青年も多い定時制高校の卒業式への祝辞、書くネタはたくさんあるだろうに。なぜか言い訳ばかり、ひたすら締切を伸ばす……。

教育委員会の人は文を書けない……と思った理由、その二。各学校のホームページの校長挨拶は、普通の学校は4月中旬には更新される。

だが教育委員会から4月に赴任した校長がいる高校(教育委員会の人が校長になるのは、たいていすごい名門校だ)は、まだ校長挨拶が更新されず空白のままである。

なぜ教育委員会の人たちは、こうも文章を書けないのだろうか……と考えるうちに、文章を書く行為というものが少し見えてくる気がした。

文書を大量作成する教育委員会の人にとって、文をつくるとは文科省から降りてきた決定事項を漏れなく伝える伝達ミッションでしかない。文書作成のときには自分という存在は無色透明にして、ひたすら優秀なメッセンジャーたらんとする……のだろう。

でも本来、文章を書くということは、「卒業おめでとう」のように小さな文にしても、自分の内心を伝えるという行為。自分という核がないと言葉にまとまっていかない。

ふだん透明人間になって文書を大量生産してきた教育委員会の人たちにとって、伝えるべき文科省の伝達文もないシチュエーションで、思いを少しでも伝える……という行為には恐怖に近いものを感じるのかもしれない。

教育委員会の人たちの逆路線をいって、国からの言葉を忠実になぞるメッセンジャーなんて真っ平!と逆らおうとする精神から、もしかしたら文章の雛は生まれてくるのかもしれない。

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」を読む

屋形船おはぐろとんぼが河辺の墓地に感じる妖しい雰囲気に、死がぐっと近いものに思えてくる。

生年も没年も不明のままのの古い墓が

いつもながらの非常に艶かしい燐光を発している

そのかたわらを通過する時には

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」上巻355頁)

その直後に生と死の入り乱れた関係が示唆されて、自分がいるのはどっちなのだろうか……という思いにかられる。乱打される生と死の響き……それが丸山文学の魅力の一つだと思う。

生と死の密接な結び付きが

隠された意図を明らかにできぬまま

その意味を灰と化したように思え

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」上巻356頁)

「うたで描くエポック 大正行進曲 福島泰樹歌集」を読み終わった!

大正時代にこんなに激しい思いを抱いて短く散っていったアナーキスムの作家、画家、俳人がいたとは……。彼らの笑顔、無念が伝わってくる歌集だった。短歌にあまり関心のない方も、大正という時代を知ることのできる素晴らしい歌集だと思う。

最後の章「髑髏の歌」より有島武郎情死を詠んだ福島先生の歌を二首、次に引用させて頂く。

腐乱して垂れ下がってる揺れている牡丹の花と謳われし女(ひと)

ぽたぽたと白い雨降る変わり果て牡丹の花や髑髏となりし

跋文に福島先生が記されていた文が心に残る。

「歴史とは、それを意識する人々の中に、常に現在形として在り続ける。それが。一人称誌型にこだわり、歌を創り続けてきた私の実感である」

まさに目の前に、歌の中の人たちが現れるようなひとときを体験した。これまで知らなかった大正という時代を、短歌の力を、この歌集から教えてもらった。

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さりはま書房日誌2023年7月3日旧暦5月16日

水田を知らない若者たち


昨日は半夏生だった。
旧暦の時代、半夏生は田植え完了の目安だったらしい。
現代では稲の銘柄のせいか、気候が早く進んでいるせいか、家族構成の違いのせいか、連休あたりから田植えを開始、半夏生の一ヶ月前には田植えを完了ではないだろうか?

旧暦の風景に想いをはせたいという思いから、さりはま書房日誌には旧暦も記している。

同時に今の若い人達はどんな風に季節を感じるのか……重なる部分、相違点も気になる。

かつて定時制高校で英語を教えていた頃のこと。

教科書の英文に「水田」が出てきた。どうも生徒たちの反応が鈍いから、もしや……と確認してみたところ、誰一人として白米の元が稲穂であることも、稲が水田に育つという事実も知らなかった。

外国籍の親御さんのもとに育った生徒も多い、小学校低学年から不登校の生徒も多い……という定時制高校ならではの特殊事情もあるのかもしれない。

でもキラキラした感性はあれど、水田というものを知らない今の若者たち……彼らに言葉を使ってどう日々の感動を伝えればよいのだろうか……自問しつつ、まずは私自身に旧暦の感性をたらしてみることから一歩。

「うたで描くエポック 大正行進曲 福島泰樹歌集」より「大八車の歌」を読む

甘粕事件について、この歌集で初めて知る。https://ja.wikipedia.org/wiki/甘粕事件

大杉栄だけでなく、産後間もない妻の伊藤野枝も、わずか六歳の甥っ子・橘宗一も、いきなり連行してすぐに殺害。裸にして井戸に投げ込んだ残虐さ。

指示したと見られる甘粕正彦の写真の穏やかな顔、甘粕の母の「子供好きだった」という言葉に、人間性を変えてしまう国家や権力の恐ろしさに慄然とする。

現代にも通じる国家悪への怒りがほとばしる歌に心うたれ、福島泰樹先生の歌を次に五首引用させて頂く。( )内は、歌の前に書かれていた説明の言葉。

「巨悪のテロルは常裁かれず」の言葉の重さよ……。

(橘宗一いまだ六歳 憲兵隊本部の庭に絶えし蜩)

大逆罪震災虐殺白色の 巨悪のテロルは常裁かれず

(大正十二年十月八日、第一回軍法会議)

逆徒大杉榮屠りし甘粕正彦は天晴れ国家に殉じし者よ

「國法」よりも「國家」が重い其の故に甘粕見事と言い放ちけり

(女らのいとけきかな奔放に生きしは井戸に投げ捨てられき)

裁判を暴け国家を、銃殺を命じし者らは猛く眠るを

(村木源次郎市谷刑務所で臨終)

さようなら縛られてゆく棺桶の 大八車の遠ざかりゆく

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」を少し読む

屋形船おはぐろとんぼが語る徒然川の岸辺に咲くタキユリの群落。

美しい花の暴力的な生命……

生への不信……

生のすぐ近くにある死の気配……

そういうものが入り乱れた瞬間を切り取るのが丸山文学の魅力の一つだなあと思う。

まさに絶妙な均衡によって

気品の白に情念の赤を散りばめたその妖花の

むせ返るほど濃密な香りは

ゆるゆるの意識の深層に深く入りこんだ

獣的な粗暴さを刺激しそうな恐ろしい力を秘めながらも、

死を意識する頃に

生の不信のどん底に墜ちこみ

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」上巻317頁

屋形船おはぐろとんぼに向かって、国家を静かに罵り、宣戦布告をする徒然川。この怒りがこれからどう炸裂していくのだろうか……楽しみである。

国家の原汚い支配層によって欺かれつづけてきた人々の

口先ではない本当の怒りがはじまるのは

これからなのだとのたまい

為政者どもの良心を疑っているうちに

国家を相手に戦いを宣する

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」上巻325頁

仁木悦子「赤い猫」を読む

不幸な生い立ちの娘が孤独なお金持ちの老婦人と力を合わせて母親殺しの犯人を突きとめ、シンデレラに……という展開。心癒されるという人もいるだろうけど、私には安易で、あまりに偶然に頼りすぎている……これでいいのだろうか。ほんわかしたムードはあるが、ありえない感の方が強い。

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2023年7月2日 半夏生 旧暦5月15日

半夏生にツィッター逝く

(半夏生の空)

夏至から十一日め、7月2日は半夏生(はんげしょう)。

この日は毒気が降るといって、いっさいの野菜を食べないという俗習があったそうだ。

ツィッターも半夏生の毒気にやられてしまったのだろうか……

7月1日の夜から、どうも怪しい動きを見せている。

それならば……と放置していたこのサイトを三年半ぶりに開いてみれば、機能が何と変わってしまったことか……。入力すらモタモタする始末。

しばらくは試行錯誤しつつ、徒然なるままに読んだり思ったりしたことを書いていきます。

お時間のあるときに覗いて頂けたら幸いです。

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」について少し考える

青字の引用箇所は、丸山健二文学の魅力がギュッと詰まった文だと思った。

死と隣り合わせの生のしんどさ……

いつも地面を見つめて生きている私でもハッとしてしまう大きな存在……

そんな人間を超えたものを示唆したあとで見せてくれる童女のあどけなさ……

そうした諸々から伝わる生の肯定。

ここに丸山健二の考えが凝縮されている気がする。

十全なる満足など絶対にもたらすことがなく

実際にはなんの慰めにもならない

命の育成にまつわる

あまりに有機的な大循環が

目下の瞬間において死を背負いこんでいることになんら変わりはないのに

春の華やぎのなかでいっぺんに涙が乾いた童女のように

素晴らしい生気を放ち始め

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」)上巻271頁

「うたで描くエポック 大正行進曲 福島泰樹歌集」より「パナマ帽の歌」を読む

(アナキストの漫画家・望月桂が描いた和田久太郎)

和田久太郎という俳人にして無政府主義者、労働運動家のことを初めて知る。https://ja.wikipedia.org/wiki/和田久太郎

歴史小説ならすごい超大作になりそうな人なのに、わずか31文字の短歌を連ねてゆくことで、和田の人柄も、和田への想いもズバッと伝わってくる……あらためて短歌はすごいと思う。

明石出身であるゆえさむく「蛸」と呼ばれ乞食の群れの中に居住す

(もろもろの悩みも消ゆる雪の嵐 久太郎自殺前の辞世の句)

自死寸前までも推敲かさねたる辞世にあらばおろそかならず

(上と下は福島泰樹先生の歌です。真ん中は久太郎辞世の句です

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再訳 サキ『耐えがたきバシントン』№101


彼女が青年に不安をつのらせたのは、よく計算された行動のせいで、たいていの者なら好ましい印象をあたえようするときでも、彼は好感をいだかせる光に照らして自分をみせようとはしなかった。彼が好んだのは、人々が自分の良いところを探しまわることであった。そして自己中心的なところでも出来るだけ空くじをひかせないようにと心をくばった。それが彼という存在にすれば頼みの綱であったからであった。彼はなんとかして注目をひきよせようとした。そして自己本位的でない行動をとることで、うまく注目をひきよせた。支配する者としては、彼に人気があるのももっともであった。だが夫としては、おそらく耐えがたい男だろう。

 The young man added to her perplexities by his deliberate policy of never trying to show himself in a favourable light even when most anxious to impart a favourable impression.  He preferred that people should hunt for his good qualities, and merely took very good care that as far as possible they should never draw blank; even in the matter of selfishness, which was the anchor-sheet of his existence, he contrived to be noted, and justly noted, for doing remarkably unselfish things.  As a ruler he would have been reasonably popular; as a husband he would probably be unendurable.

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再訳 サキ『耐えがたきバシントン』№100

彼は政治面で徹底して生意気な言動をとり、皮肉をとばしたが、その陰にひそむ本心がふとした折にあらわれてしまうことがあった。結局、それは極端なまでの成功から自重させることになり、若い頃はすばらしい失敗のひとつにもなった。こうしたこと以外に、コートニー・ヨールの正確な評価を形づくるのは難しかった。そしてエレーヌは、自分がうけた印象をはっきりと整理分類するのが好きだったため、彼の性格や発言の第一印象を細かく調べるのだった。それは美術評論家が当惑しながらも、疑わしいけれど任された絵のニスや傷のしたに、啓示してくれる署名をもとめる姿のようであった。

Behind his careful political flippancy and cynicism one might also detect a certain careless sincerity, which would probably in the long run save him from moderate success, and turn him into one of the brilliant failures of his day.  Beyond this it was difficult to form an exact appreciation of Courtenay Youghal, and Elaine, who liked to have her impressions distinctly labelled and pigeon-holed, was perpetually scrutinising the outer surface of his characteristics and utterances, like a baffled art critic vainly searching beneath the varnish and scratches of a doubtfully assigned picture for an enlightening signature. 

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再訳 サキ『耐えがたきバシントン』№99

さらに面白く、彼女の目には緊急の必要性もあるように思えたのは、自分に好意をいだき、関心をよせている二人の青年の人柄について、分析したり評価したりすることであった。こういう事情で、ずいぶん考えたり、いくぶん混乱したりする種があった。ヨールを例にするなら、人間観察についてもっと経験をつんだ者ですら、彼には当惑しただろう。エレーヌは賢明であったから、彼の気取っているところや自己宣伝をダンディズムと取り違えることはなかった。彼は鏡にうつる自分の身なりの具合に心底から喜びを感じつつ、素晴らしい姿に感じ入った。それは視覚にうったえる鑑賞で、手入れの行き届いた、似合いの二頭の馬を見るときのようなものであった。

Even more absorbing, and in her eyes, more urgently necessary, was the task of dissecting and appraising the characters of the two young men who were favouring her with their attentions.  And herein lay cause for much thinking and some perturbation. Youghal, for example, might have baffled a more experienced observer of human nature. Elaine was too clever to confound his dandyism with foppishness or self-advertisement.  He admired his own toilet effect in a mirror from a genuine sense of pleasure in a thing good to look upon, just as he would feel a sensuous appreciation of the sight of a well-bred, well-matched, well-turned-out pair of horses.  

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再訳 サキ『耐えがたきバシントン』№98

自分になら買えるものが世界には沢山あると知っているせいで、買うだけの価値のあるものがどれだけあるのか彼女は思いをめぐらすようになった。だんだんと、彼女は自分の心をある種の控訴院として見なすようになり、内々の開廷期間をまえにして、動機や行動について調べたり、判断をくだしたりしていた。とりわけ一般の人々の動機が対象となることが多かった。学校の教室で学んでいた頃、彼女が真面目に判断をくだしていたのは、チャールズやクロムウェル、モンク、ワレンシュタイン、そしてサボナローラを導きもすれば、誤った方向にも導いた動機についてであった。そして今、同じようにして夢中になって調べているのは、外務省で秘書官をしている青年の、政治面での誠意であって、弁舌たくみでありながら、できれば忠実な心をもつ侍女の誠実さがあるかどうか、やさしく甘やかす仲間たちが無私無欲かということだった。

The knowledge that there was so much in the world that she could buy, invited speculation as to how much there was that was worth buying.  Gradually she had come to regard her mind as a sort of appeal court before whose secret sittings were examined and judged the motives and actions, the motives especially, of the world in general.  In her schoolroom days she had sat in conscientious judgment on the motives that guided or misguided Charles and Cromwell and Monck, Wallenstein and Savonarola. In her present stage she was equally occupied in examining the political sincerity of the Secretary for Foreign Affairs, the good-faith of a honey-tongued but possibly loyal-hearted waiting-maid, and the disinterestedness of a whole circle of indulgent and flattering acquaintances.  

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再訳 サキ『耐えがたきバシントン』№97

ふたりの求婚者といっしょにいて、しかも少なくともひとりは際立って若々しく、魅力があるように思え、しかも彼女の機嫌をとろうとしているのだから、エレーヌが、この世界に満足したとしても、とりわけ自分自身に満足したとしても筋がとおることであっただろう。でも、さい先のよい瞬間においても、幸せに支配されていることはなかった。彼女の顔には重々しい静けさがただよい、耐えがたい狼狽をいつものように覆いかくしていた。善意あふれる家庭教師がつづき、彼女の一門について道徳的考察が十分にされてきたため、富とは大きな責任であるという理論上の事実が彼女の心には刻まれていた。自分の責任というものを意識しているせいで、常に彼女が思いをめぐらすのは、自分に「執事」を去らせる適性があるかどうかではなくて、接する人々の動機やら利益についてだった。

With two suitors, one of whom at least she found markedly attractive, courting her at the same moment, Elaine should have had reasonable cause for being on good terms with the world, and with herself in particular.  Happiness was not, however, at this auspicious moment, her dominant mood. The grave calm of her face masked as usual a certain degree of grave perturbation. A succession of well-meaning governesses and a plentiful supply of moralising aunts on both sides of her family, had impressed on her young mind the theoretical fact that wealth is a great responsibility.  The consciousness of her responsibility set her continually wondering, not as to her own fitness to discharge her “stewardship,” but as to the motives and merits of people with whom she came in contact.  

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再訳 サキ『耐えがたきバシントン』№96

しかしフランチェスカが母親の特権をかざして推察したところ、独身仲間は息子を破滅させようと骨を折るのに熱心であった。そのせいで若い政治家は、彼女にすれば露骨なまでに戸惑う原因になった。そして彼女がコーマスを認めないのと同じ程度に、コーマスは親近感をいだいては、その思いを吐露しようとした。 そうした親近感の存在が、しかも途切れることなく続いている親近感が、若いレディをいささか当惑させる事情のひとつで、好意を求められた娘にすれば、関係をはやく終わらせようとする口実になっただろう。

  Francesca, however, exercised a mother’s privilege in assuming her son’s bachelor associates to be industrious in labouring to achieve his undoing.  Therefore the young politician was a source of unconcealed annoyance to her, and in the same degree as she expressed her disapproval of him Comus was careful to maintain and parade the intimacy.  Its existence, or rather its continued existence, was one of the things that faintly puzzled the young lady whose sought-for favour might have been expected to furnish an occasion for its rapid dissolution.

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