さりはま書房徒然日誌2023年7月15日(土)旧暦5月28日

朝顔を見かけない夏

以前ならこの時期、道を歩けばあちらこちらで目にした朝顔。

今年はまだ一鉢も見かけていない。

育てる人が少なくなったのか、朝顔にはあまりに暑すぎる夏となってしまったのか。

私の知っている夏ではないようで寂しい気がする。

以下、正岡子規の俳句より朝顔の句をいくつか。

かれかれになりて朝顏の花一つ

なかなかに朝顔つよき野分かな

朝顔やきのふなかりし花のいろ 

「かれかれ」とか「なかなかに」という言葉の語感や色合いが面白いなあと思った。

いぬわし書房のオンラインサロン「自我とは?」

いぬわし書房のオンラインサロンを視聴。丸山健二先生が多岐にわたって話してくれる90分間。

今回も夏バテ対策という軽めの話題からスタート

「自分を見失う」「自分を見失わない」とは?という話。

最近の小説を二作品取り上げ文体についてのコメント。

夏らしい表現と盛りだくさん……の90分。

特に心に残った「自我とは?」の話をふりかえって私的に勝手に思い出してメモ。青字は丸山先生の言われたことのメモだけど、勝手に都合よく解釈している部分が多々かも。

(1)「望んだ自分でない自分」と「望んだ自分」……自分はどこに?

風貌にしても自分の選んだものではない、環境だって自分で決めたものではない。私たちは望んだ自分でない自分と一生付き合っていかないといけない。「望んだ自分」というものが本当の自分なのだろうか?自分は別のところにいるとしたら、二重の人物だということになる。

丸山文学によく出てくるドッペルゲンガーは、こうした思いから現れるのだろうか……と思った。

(2)自分を見失わないように対処するには?青字は丸山先生の考え

たった一人になったときにどうやって過ごすかが大事。

グタッとしてストレス解消をしようと考えがちだが、愚痴りたくなって愚痴を止める者がいない。

また丸山先生は個人の自由を最優先したいと考えているが、孤立した個人であってはいけない。殻に閉じこもってはいけない。

殻に閉じこもると自分が絶対になって、他を認めない。言葉を表現する人にとってはナルシズムに陥るから危険。

大事なことは

人前でリラックスすること。個人に立ち帰ったときに気を抜かないこと。

丸山文学は、よく主人公が立ち去るときに綺麗に掃除して去っていく。私ならここで掃除するなんて思いもよらないのに……と思いつつ読むことしばしば。

「個人に立ち帰ったときに気を抜かない」という精神のあらわれかも……と思った。

カテゴリー: さりはま書房徒然日誌 | タグ: , | コメントする

さりはま書房徒然日誌2023年7月14日(金)旧暦5月27日

伊藤野枝「青鞜 編輯室より」を読む……伊藤野枝は故意に悪く語られすぎていないか?

大杉栄、伊藤野枝を世間は「悪魔」と非難し、二人は悪魔の子ならと居直って長女に「魔子」と名づけた。

悪魔とも言われた大杉栄……その手紙はおおらかで、優しく、向学心、感性にあふれている。悪魔では決してあり得ない。

同じく悪魔と言われた伊藤野枝。今でもWikiの説明を読むと平塚雷鳥から「青鞜」を奪い取った悪女のように非常に悪く書かれている。

事実か?と、伊藤野枝が書いた「青鞜 編輯室より」を青空文庫で全部読んでみる。

見えてくるのは出産などで千葉の御宿で過ごす平塚雷鳥。

伊藤野枝は出産、育児中の平塚をフォローするように原稿を待ち、応援者も10人と少なくなってきた青鞜を支える。

新聞ではスキャンダラスに評され、「お前ら殺してやる」という脅迫手紙も舞い込み、刊行予定の青鞜が発禁になって経済的に逼迫している中、なんとか発行を継続しようと奮闘している。

以下の文から、そんな伊藤野枝の一人奮闘する仕事ぶりが伺えるのではないだろうか?野枝は当時19歳で育児中。

広告をとりにゆく、原稿をえらぶ、印刷所にゆく、紙屋にゆく、そうして外出しつけない私はつかれきつて帰つて来る、お腹をすかした子供が待つてゐる、机の上には食ふ為めの無味な仕事がまつてゐる。ひまひまを見ては洗濯もせねばならず食事のことも考へねばならず、校正も来ると云ふ有様、本当にまごついてしまつた。その上に印刷所の引越しがあるし雑誌はすつかり後れそうになつてしまつた。広告は一つも貰へないで嘲笑や侮蔑は沢山貰つた。

『青鞜』第四巻第一〇号、一九一四年一一月号

ときに弱音も吐く。そんな姿に親近感を覚える。野枝は当時18歳。

校正つて本当に嫌やな仕事です。厄介な仕事です。出ない間ボンヤリして機械の廻る音を聞いてゐますと気が遠くなつてしまひます。

[『青鞜』第三巻第七号、一九一三年七月号]

催促しても集まらない原稿、販売金の回収……野枝の苦労がひしひしと伝わってくる。

欧洲戦争の為めに洋紙の価が非常に高くなりまして此の頃では以前の倍高くなりましたので情ない私の経済状態では思ふやうな紙も使ひきれなくなりました

こう書いた後、次の号から「青鞜」は休刊になってしまう。無理もない、むしろよく頑張ったと言いたい気がする。

野枝の文は強さ、パワーにあふれている。

政府が女権運動を取り締まろうという気配を見せても怯まない。野枝二十歳。

もし真に必要にせまられた、根底のある、権威のある運動ならばどうしたつて官権の禁止位は何でもなく抵抗が出来る筈だ。またそんなことを気にもしてはゐないだらう。

『青鞜』第五巻第五号、一九一五年五月号

「殺してやる」という長い脅迫状が届いても平然と楽しむ。強い。野枝18歳

中学あたりに通つてゐる坊ちやんのいたづらか、或は不良少年のいたづら位だらうと思ひました。とにかくおもしろいと手を叩いて笑つたのです。

『青鞜』第三巻第六号、一九一三年六月号

次の文を書いたとき、野枝はわずか二十歳。すごいパワーと可能性を秘めた女性だったのに……と彼女を悪く言い、惨たらしく殺し、今でも非難する声の背景とは何か……知りたくなる。

自分の歩いてゆく道をぢつと見てゐるとおもしろい。この頃私は自分の目前に展開して来る事象について多く考へるやうになつた。それ丈けでもよほど自分の歩いてゐる道が以前から見るとちがつて来たことが自覚される。ましていろいろな細かいことを考へてゐたら随分さういふ実証はあげられるだらうと思ふ。自分にその歩いてゆく道の変化が見える間は大丈夫だとひそかに思つてゐる。それがわからなくなつたときは、墓をさがす時だ。何時までも進んでゆきたい。

『青鞜』第五巻第五号、一九一五年五月号]

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」を読む

屋形船おはぐろとんぼの記憶は、突如、20年前の盗賊団の頭との出会いに飛ぶ……ということを散文を極めた形で表現するとこうなるんだなと思った。

旧態依然とした生物学の範疇にはけっしておさまらない

命を凌駕する命を授かった私を

直ちに二十年前に遡らせたかと思うと

なんと

あの日

あの時

あの出来事を

かたわらの品物を取るようにして

一挙に手元に引き寄せたのだ。

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」中191頁)

窃盗団の頭が屋形船おはぐろとんぼに乗って逃げた……という文も、こう語ればワクワク不思議な人生になると面白く思った。

散文的人生とか散文は馬鹿にされるけど、本当は詩歌にも負けないイメージ喚起力があるのだと思う。

語るに値しない人間存在の基盤などとはまったく無縁な

路地という路地が抜け裏になっているかのごとき神話的空間を

純粋に所有する激情をもって遡り

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」中237頁)

カテゴリー: さりはま書房徒然日誌 | タグ: , , | コメントする

さりはま書房徒然日誌2023年7月13日(木)旧暦5月26日

松下竜一「ルイズ 父に貰いし名は」読了、大杉栄「獄中書簡」を読む

大杉栄の四女ルイズに取材した「ルイズ 父に貰いし名は」を読了。

大杉栄・伊藤野枝の娘だから……と言われつづけた辛い人生に静かに耐え、大杉・伊藤の娘ではなく「ルイズ」として生きようとした強さに心打たれる。

それにしてもなんと辛い人生であったことか……。

学校でも「同じクラスにしたくない」など差別の目に常に晒され……。

好きな青年との結婚を諦め……。

それでもいいと求婚した別の男とは、相手の親に許してもらえないまま結婚……。

満州に渡るときも常に尾行がついて監視され……。

東邦電力に就職するも上司は同僚に「大杉栄の娘だから親しくしないように」と忠告……。

労働運動をしていた夫が解雇されると「大杉の娘と結婚したから」と言われ……。

ルイズが40歳くらいの頃、中卒の勤労青年たちに勉強を教えていたことから、公民館運営委員に推薦される。でも、「親の思想が悪いので」と自治会長、小中学校校長、地域婦人会会長、PTA会長からなる審議委員会は大杉栄・伊藤野枝を理由に拒否……。

大杉たちの同士からはアナキストの娘にふさわしい人生をと望まれ……。

ルイズばかりでなく、他の子供たちも大杉栄・伊藤野枝の娘である辛さを背負った人生である。

大杉栄の残したシンボル的存在であった長女•魔子も、その期待に押しつぶされていったようにも本書からは思える。

魔子が残した言葉

「私たち、大杉の娘として生まれて、損なことばかりだったわね」

でもルイズには親の記憶がないのに、社会を見るその目には、やはり大杉栄・伊藤野枝の血が確実に流れていると思った。

中国では、中国人や朝鮮人を人間扱いしない日本人が嫌になり……。

「日本人の子供までが中国人や朝鮮人の大人をなぶって当然としている」

博打好きの夫を責めることなく心のゆとり、家庭の明るさを大切にするおおらかさ。また夫の借金返済の内職の合間に、ルソー「エミール」を5ページ、お金をかき集め「大杉栄全集」を購入して少しずつ読み……。

私生児だから父の名前がないのはともかく、長女、二女という数字のところにまで黒線を入れられた戸籍簿に「国家の厳たる秩序を目的とする法律の意思」を見て、「大杉たちが否定した法律というものを、もっとよく知りたい」と「憲法の構成原理」という本を書写し……。

普通高校をでて勤めている娘が夜間高校に入りたいと

「夜間高校の方に本当の教育がある気がする」言ってきたときも

娘の言葉を信じ応援し……。

晩年、ルイズは朝鮮人被爆者の救援運動の中心となるが、権力を相手に戦うことの厳しさ、怖さを思い知らされ……。

そんなルイズの困難だらけの人生を思いつつ、ルイズやその子にまで受け継がれる大杉栄・伊藤野枝の確固たる信念を感じた。

ルイズが「不屈の意志」「余裕を喪わない優しさ」を感じたという大杉栄全集、獄中からの幸徳秋水宛書簡を引用する。

政治寄りではなく、文学や詩に心が寄り添っているアナーキスト大杉栄の感性を感じる文である。他の書簡も、向学心に燃え、家族や周囲への気遣いにあふれている。

同時になぜ彼がなぶり殺しにされなければらなかったのか?そういうことをする国家という組織の恐ろしさを思う。

「バクウニン、クロポトキン、ルクリュス、マラテスタ、其他どのアナキストでも、先ず巻頭には天文を述べている。次に動植物を説いている。そして最後に人生社会のことを論じている。やがて読書にあきる。顔を上げて、空をながめる。先づ目に入るものは日月星辰、雲のゆきき、桐の青葉、雀、鳶、烏、更に下って向ふの監舎の屋根」

(幸徳秋水宛の獄中書簡明治40年9月16日)

下記リンクは青空文庫の大杉栄「獄中書簡」

https://www.aozora.gr.jp/cards/000169/files/4962_15425.html

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」を読む

山吹岳から雪崩と共に流されてきた二つの遺体のエピソードを読む。

山里の春の訪れを美しく描いた後だけに、それぞれ別の家庭がある男女の遺体の哀れさも、家族の思いの醜悪さも目立ち、人間であることの醜さを思ってしまう。

水ぬるむ徒然川の両岸に

もの思う花々が眼路の限り咲き乱れ

結局は短命に終わるしかない幻想の幸福感を巡って

春の鳥が頻繁に色鮮やかな姿を見せるようになり

おつに澄ましている

母親に生き写しの顔の娘が

野の草を踏みしだいているうちに旅心をそそられ

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」中巻93頁)

カテゴリー: さりはま書房徒然日誌 | タグ: , | コメントする

さりはま書房徒然日誌2023年7月12日(水)旧暦5月25日

松下竜一「ルイズ 父に貰いし名は」と大杉栄「鎖工場」を読む

(大杉栄)

大正時代、大杉栄や周囲の人が社会、文学に与えた影響の大きさを知り、まず大杉栄とはどういう人だったのか……近い人の視点で語られた本を読むことに。

松下竜一「ルイズ 父に貰いし名は」は、大杉栄・伊藤野枝の娘ルイズに、一年半かけて取材して完成した本。途中まで読む。

関東大震災から二週間後。

時の政府は災害後の不安定を利用し、朝鮮人や労働運動関係者や無政府主義者を取り締まろうとしていた……

ルイズの両親(大杉栄・伊藤野枝)と6歳の従兄弟は憲兵隊にいきなり連行される。

三人が扼殺(何箇所も骨折するまで蹴られ、首を絞め殺され、裸にされてコモでまかれて井戸に放り込んで土で埋められた)されたとき、ルイズはわずか一歳三ヶ月であった……。

ルイズが父の作品の中で一番理解しやすく、印象が鮮明だと語る「鎖工場」を読む。私が初めて読む大杉栄作品だ。

現代に刊行されても強い印象と共感を与えるメッセージ性に驚く。もしお時間があれば、寓意性に富んだ短編なのでぜひ。

大杉栄「鎖工場」(青空文庫)

https://www.aozora.gr.jp/cards/000169/files/1007_20610.html

ルイズは「鎖工場」について語る。

「大杉も野枝もこの鎖を断ち切って立ち上がったために殺されたのだと」

「大杉と野枝を殺したのが単なる個人の行為とは思えなかった。鎖に連なっている群衆が二人を取り囲んで」

人目を忍んで大杉栄・伊藤野枝の墓に手を合わせていた小間物売りの老婆がルイズに語った言葉に、田舎の庶民にまで大杉栄の考え方が浸透していたのかと驚く。

「あなたのおとうさんおかあさんが生きとんしゃったら、わたしらのくらしももうちょっと楽になっとりましたろうばってんね……」

国家にとっては、庶民に慕われる大杉栄・伊藤野枝の存在がさぞ脅威であったことだろう……と想像ができる。

ルイズという名前はフランスの無政府主義者でパリ・コミューンの闘志ルイズ・ミッシェルにちなみ、大杉栄が命名したもの。

だが学校でルイズは大杉栄の子供であるということで

「子供と同じクラスにしたくない」など保護者からも同級生からも差別の嵐に晒され……

教師からも露骨に「親の仇はうちたいか?」など集会で訊かれ……

エスペラントを学べば、暗号を使っていると通報され……

大杉栄の子供・ルイズにとっても至難の人生であった

それでも父母のことは語られることもなく育ちながら、両親の考えの核心部分をルイズが把握していたことに驚いた……。

(伊藤野枝)

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」を読む

亡くなっている校長、その教え子の少し知恵が遅れている大男……と人間について饒舌に語った後……

視点は徒然川に、伊吹岳に、山での遭難者に……と、自然、それから死に戻ってゆく。

丸山先生も信濃大町で日々こんなふうに山と対話されているのだろうか……。

色々心に残るけど、最後、登山者を見かける季節をふたたび迎えた山が人間味を急に帯びてきたように感じられ、表現が面白いなあと思った。

「頂を極めるためには為すべきことを為せ」という

単純明快な内容を

舌端火を吐くように熱く論じる

筋金入りの扇動家顔負けの山吹岳は

そうした紋切り型の教唆の言葉の陰で

暗くじめついた意図をちらつかせ

またしても死へいざなうための微笑を

にんまりと浮かべてみせるのだった。

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」中巻91頁

カテゴリー: さりはま書房徒然日誌 | タグ: , | コメントする

さりはま書房徒然日誌2023年7月11日(水)旧暦5月24日

政治家や国家に与しない芸術家に憧れて

こんな暑い日に涼しくない話題を書かなくても……とも迷ったが。

私がとてもがっかりするもの……。

政治家と親しい関係にあることをしきりにPRする芸術家たちである。交流写真をアップしたり、あまり芸術がわからない政治家に文を書いてもらったり。

たしかに政治家は動員力も資金力も差配する力もあるだろう……弱い立場にある芸術家にとって心強いだろう……ステイタスアップの存在だろう……頼りたくなる気持ちはわかる。だが、とても嫌なのである。

さて昨夜、そうした政治家と仲良くしたい芸術家とは真逆の路線をいく福島泰樹先生の短歌絶叫コンサートへ行ってきた。

「大正十二年九月一日」という題のコンサートである。

関東大震災から三日後。

内務省警保局が海軍船橋送信所から「朝鮮人は各地に放火し、爆弾を所持し、放火する者あり。厳重なる取り締まりを加えられたし」との電文を各地方長官に送信。国家が朝鮮人虐殺に加担しながら謝罪しないまま百年経過。

(リンクは東京新聞の関連記事)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/242997

この事実に、小池知事が謝罪に来ない事実に、福島先生は怒りの絶叫を咆哮する。怒りが生む短歌の、朗読の、言葉の尊さよ……と拝聴。

芸術とは、政治家や国家に与せず、怒り、喜び、悲しみの感情の火花をいかに散らせるか……普通の人よりいかに早く、政治家や国家の悪を見抜くか……にある気がする。

丸山健二先生も、芸術家を炭鉱のカナリアに例えていらした……社会の悪、矛盾に普通の人より早く声をあげる存在なのだと。

福島泰樹先生や丸山健二先生、怒るべきところで怒ることのできる芸術家が私は好き。

芸術家が政治家や国家に与してしまったら、怒るべきところで怒ることができなくなる、それは芸術家の死を意味すると思う。

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」を読む

「おはぐろとんぼ夜話」中巻27頁から47頁まで20頁にわたって、屋形船おはぐろとんぼの船頭、大男で少し知恵の遅れた男についての描写が続く。

一人の人間について、これほど言葉を尽くして語ることができるのか……。

一人の人間にこれほど複雑な世界が広がっているのか……。

と驚く。色々と気に入った文があるが、その中から「かくありたし」と思った文を一つ選んで引用したい。

茫漠とした荒野に等しい世界が長いこと沈黙しても

平気の平左で過ごせ

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」中45頁)

大男とは反対の人生を生きる普通の人たちを語る言葉もとても心に残る

ゆるやかな楕円軌道を描きつづける

色調を失った生を背負って息づくそれとも大きく異なり

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」中45頁)

ゆるやかな楕円軌道の生を歩いている……と思うと、なんだか悪くない生のように思えてきた。言葉は偉大なり。

カテゴリー: さりはま書房徒然日誌 | タグ: , , | コメントする

さりはま書房徒然日誌2023年7月10日旧暦5月23日

伊藤裕作「寺山修司 母の歌、斧の歌、そして父の歌 鑑賞の試み」をPASSAGEに搬入

編著者の伊藤裕作さんをはじめとして、寺山修司をこよなく愛する六人が寺山短歌の魅力を語った本「寺山修司 母の歌、斧の歌、そして父の歌 鑑賞の試み」をPASSAGE書店さりはま書房の棚に搬入してきた。

「寺山修司は一筋縄では行かない。だから六人がかりで」との言葉がこの本のどこかにあった。

たしかにそれぞれの人生にもとづいた解釈の火花が飛び散っていて、あらためて寺山修司という世界の深みを思う。

最後、「跋文にかえて」で伊藤さんは寺山修司のこの言葉を引用する。

「100年たったら帰っておいで、百年たてばその意味わかる」

寺山修司の歌を読むということは、万華鏡を覗くようでもあり、天体望遠鏡ではるか彼方の星を探すようでもあり……なのかもしれない。

そんな寺山ワールドに魅せられた六人の言葉に耳を傾けてみませんか?

それにしても表紙の寺山修司、なんともいい表情をしていますね。

PASSAGEにて購入した小豆洗はじめ「季節の階調 夏」を読む

詩人・小豆洗はじめさんは神保町PASSAGEの棚主さん。自分でつくられた詩集や詩関係の本を扱われている。今日、購入した「季節の階調 夏」も小豆洗さんが一年前にご自分でつくられた詩集だ。

「季節の階調 夏」には自分で……という手作りの良さ、目配りが随所に感じられる。

途中までインクは心地よい青。

蝉がジジジ……と鳴いて

空を横切っていった

という最初の頁の次に広がるのは青い海の絵。蝉の声と海に暑さも消え、夏の広がりと静けさだけが心に沁みて夏の詩へと誘う。

青いインクで印刷された様々な夏を切り取った詩が続いたあと、

最後に近づいたところで、闇に視力を失う「Mr. Indianとの夜」の詩で文字が黒くなる……ああ、闇だ……と思わせる効果がある。

最後の読経の声と蝉の合唱を記した文も、読経のイメージが文字の黒インクと合っていて素敵だなあと思う。

蝉ではじまって蝉で終わる試みも印象的。同じ蝉なのに夏の詩を読んだ後では心に聞こえてくる声が違う気がする……。不思議

幾何学模様の詩も二箇所ほどだろうか……あいだに挿入されている。かたちと詩句が自然に溶け込んでいる……でもご苦労されたのでは……と思う。

「胡瓜」という詩の例え。初めて聞くけど、胡瓜をかじる感覚はたしかにそんな気がする……と頷いてしまった。

胡瓜をかじったら

夏の空があふれた

種の粒つぶが奥歯ではじけて

蝉の声が止んだ

詩や文だけでなく、インクの色、絵、幾何学模様の詩、蝉の声……を工夫して散りばめた素敵な詩集。さらに小豆洗さんのすごいところは、定期的に発行されているところ。

こうした個人の詩集に出会えるPASSAGEにも感謝。

カテゴリー: さりはま書房徒然日誌 | タグ: | コメントする

さりはま書房徒然日誌2023年7月9日(日)旧暦5月22日

クロモジの香りが恋しい季節

(クロモジの黄色い花)

蒸し蒸しとした日が続くと、ミントをさらに甘く、清涼感のある香りにした味わいのクロモジ茶をアイスティーで飲みたくなる。

ただしクロモジ茶の場合、葉ではなく、おがくずのような、クロモジの木の屑を煎じて飲む。香りはわりと抜けやすいようで、欲張って大袋で買ったら香りがしなくなってしまった。ただ味と風味は残っている。

クロモジは爪楊枝として使われることも多い。

調べてみれば、その他の効能としては保温、芳香性健胃、頭髪の脱毛やフケ防止などがあるそうだ。真偽のほどは知らないが、いかにも効果がありそうな香りである。以下、wikiの説明。

https://ja.wikipedia.org/wiki/クロモジ

クロモジの花の季語は春。次にクロモジを詠んだ俳句を紹介。

くろもじを燻べて春の炉なごむかな 古沢太穂

黒文字と和菓子と八十八夜かな 玉木克子

黒文字を矯めて香らす垣手入れ 武田和郎

身近なところにクロモジのある生活がなんとも贅沢に思え、羨ましくなる句である。

丸山健二作品にもクロモジが出てきたことがある。

「銀の兜の夜」だっただろうか……(心許ない)。なんと死体の臭いを隠すためにクロモジを使用していた。

クロモジはそのくらい強く、清々しい香りである。

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」を読む

上巻の終わり近くになってきた。

屋形船おはぐろとんぼが廃校跡の荒地に倒れている校長像を見かけ、生前から船の上で亡くなるまでを回想する。

これまでおはぐろとんぼが眺めてきた一貫した流れのある自然の世界から、突如、幾重にもわたって相反する校長の思いが渦巻く世界。

人間を構成する思いの複雑さに、この校長の箇所は思わず二回繰り返して読む。

丸山文学のテーマである「もうひとりの自分」が、ここでは何人もいるかのような思いにかられた。

もうひとりの自我とのあいだに

ぞっとするような沈黙が介在して

決定的な不和が生まれ

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」上巻531頁)

校長が屋形船おはぐろとんぼの上で息絶えてゆく箇所の描写は、言葉を尽くして描かれとても美しい。

それから校長の死を見つめる船頭の大男も印象的。船頭は校長の教え子で知恵が遅れたところがある。

大男が語る校長の親切と優しさ。

それは丸山先生の記憶から生まれたのではないか。

丸山先生自身、小学校時代、皇室の誰かの死への敬礼を拒否したためか特殊学級に入れられた。

だが特殊学級の担任の先生も、体の弱い仲間たちも心温かく居心地のよい場所だった……そう。そんな特殊学級で過ごした体験がにじむ文章のように思う。

それというのも恩師が

知恵遅れという括られ方では差別をしないから

ほかの子とまったく同じように扱うから

教材のたぐいは全部用意してやるから

学業の遅れなど少しも問題にしないから

でかい図体のことでからかう生徒は厳しく罰するから

その気になったときだけ顔を見せてくれればいいからと

そう言ってしきりに登校を勧めてくれ

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」上579頁)

カテゴリー: さりはま書房徒然日誌 | タグ: , , | コメントする

さりはま書房徒然日誌2023年7月8日(土)旧暦5月21日

谷中生姜の風景も移り変わって

先日、畑から採ったばかりの谷中生姜を頂いた。根が美味しいのはもちろん、葉っぱもレモングラスのような香りがして冷蔵庫の脱臭をしてくれる気がする。

効能も免疫力アップ、体を温めるなど色々あるようだが、最近、地元の庶民的なスーパーでは見かけない気がする。高級スーパーなら扱いはあるのだろうか……。

谷中生姜の季語は夏。谷中生姜をテーマにした俳句を幾つか。

貧しさや葉生姜多き夜の市 (正岡子規)

朝川の薑(はじかみ)洗ふ匂かな(正岡子規)

一束の葉生姜ひたす野川哉(正岡子規)

子規の時代、谷中生姜は貧しい生活を彩る季節の匂いだったのだろうか……。生姜だけでも見える風景はずいぶん変わったものである。

仁木悦子「白い部屋」を読む

小説現代80年5月号収録。現在は短編集「赤い猫」に収録されている。亡くなる6年前、52歳の時の作品である。

文庫本にして50頁ほどの中短編である。

そこに病室のメンバーたち、アパートの住人たち、もと華族の子息たち、お屋敷のお爺さんと令嬢を登場させるものだから、人物の差が描ききれていない感がある。非ミステリ読みとしては、こじつけ感にあふれている気がして面白くない。

なんとか頁数を稼ぐために登場人物をむやみに登場させたのではないか……と思うくらいに冗長である。初期短編にキラっとしていた仁木悦子の輝きは失われているようで残念である。

ただ宝くじ、新幹線、黄色と淡緑のキオスクの紙包み……とか昭和感には満ちていて、なんだかそんな包装紙を見たことがあるなあと懐かしくはなった。

カテゴリー: さりはま書房徒然日誌 | タグ: , , | コメントする

さりはま書房徒然日誌2023年7月7日旧暦5月20日

中央区立図書館本の森ちゅうおうへ

今日は八丁堀早稲田校での短歌講座、夜はNHK青山で人間のバザール浅草と福島泰樹先生の講座をダブルで受けた。合間に中央区立図書館本の森ちゅうおうに滞在。

本の森ちゅうおうは快適な図書館である。中央区在住、在勤でなくても貸し出しカードを作成して利用可能とのこと。平日と土曜日は夜9時までと遅くまで開館。緑を眺めながら閲覧できる席や美味しいカフェ。

快適、便利な図書館が大都市に限られる現状は残念ではあるが……。

歌誌「月光」79号

早稲田八丁堀校での福島泰樹先生の講座「実作短歌入門」は、ふだんは前回に決まったテーマで短歌を三首詠んで、前々日までに福島先生に送信。当日は皆さんの歌を見ながら……というスタイル。他の方の話では、どうやら「短歌を詠む」ことに徹した講座は珍しいらしい。鑑賞と抱き合わせで……という講座が多いようだ。

だが今日は夏期講座の第一回ということで、福島先生の主宰誌「歌誌 月光79号」を題材に色々短歌について講義して頂く。

まず79号まで続いている事実がすごいなあ……と思う。

同じ講座をとっている方々のお名前も表紙に連なっていて、皆さん努力されて素敵な歌を詠まれていることに、すごいなあと思う。

福島先生の歌から印象に残った歌を以下に紹介させて頂く。4月28日東京大空襲前夜、雪が降った……という証言があるらしい。ガソリンをまかれ、そのあとでナバーム弾を落とされ10万人が命を落とした事実に目がゆき、前夜の雪について語る人は少ないようだが……。福島先生は東京大空襲を「史上最大のジェノサイド!」と語ったあとで、こう詠まれている。

ジェノサイド語り伝えてゆくからに前夜の雪は浄めにあらず

カテゴリー: さりはま書房徒然日誌 | タグ: , , | コメントする

さりはま書房徒然日誌7月6日(木)旧暦5月19日

幼子の笑顔は記憶攪拌装置

夏空に誘われたのか、日中、ゼロ歳から二歳くらいの幼子を連れた母親たちを何人も見かけた。年齢別人口を考えると、これだけ幼子たちに遭遇するのは珍しく、ラッキーな日だと思う。

なぜか幼子の無心な笑顔が呼び水となって、心に眠っていた意識が揺さぶられる。そんな風にして思い出したことを取り留めもなく二つほど。

かつて勤務していた夜間定時制高校で、たしか何かの新聞記事のコピーを配布したときのこと。

その記事にあった「教育は未来への投資」「若者は貴重な未来の資源」という言葉に生徒たちは敏感に反応した。

「教育が投資」という感覚も嫌だし、「私たちは資源じゃない」と反発。自分たちを利用するものとしてしか考えていない存在を見抜く感覚を頼もしく思うと同時に、そんな繊細な彼らが不登校生として長く過ごすことになった学校とは?と考えた。

もう一つ。たまに見かける双子用ベビーカーだが、バスの乗り降りのときお母さん一人だけではすごく大変そうだ。

車椅子と同じように、バスのステップに平板をかけてもらったら楽になるだろうに………と思う。

街で見かけた幼子の笑顔が、人を利用せんと貪ることかれ、優しい世界に生きよ……と呼びかけている気がした。

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」を読む

屋形船おはぐろとんぼが荒地となった廃校に見つけた枝垂れの八重桜。

おはぐろとんぼがこの桜を見る眼差しに、丸山先生がこの世を見つめるときの理想と重なるものを感じる。

そしてその桜は

自立して存在することを執拗に阻む

底意地の悪い現今社会において

実り豊かなはずの理念が立ち消えてゆくなかにあっても

表情たっぷりの

爽やかに輝いた面持ちをしっかりと持続させ

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」上巻494頁

八重桜はトンネル工事の犠牲者たちに衷心からの回向をたむけつつも語る言葉は、丸山先生のこの世とは別な世界がある……という世界観が反映されているように思う。読んでいるうちに、せかせかした現世が遠ざかってゆく……のが丸山文学の魅力だと思う

たとえいかなる悲劇が生じたとしても

たかがそれしきのことで嘆くことはないと

悠然たる笑みを浮かべつつ

そう耳もとでささやき

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」上巻496頁

八重桜に国家との関係の在り方も語らせている。この考え方も魅力だし、同じことを人間が語ればうるさくなるところ、桜ならば素直に頷ける。

惰性的な慣習としての国家への帰属は

良心を棄て置いて

真っ当な答えを弾き出そうとするようなものだと

あっさり言ってのけ

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」上巻496頁

福島泰樹「歌集 百四十字、老いらくの歌」より「桜花爛漫の歌」を読む

「桜花爛漫の歌」を読んでいると、とりわけ寺山修司について詠んだ歌が、寺山修司とはそういう辛い生い立ちの人だったのか……寺山修司のイメージはたしかに刹那を生きる人だなあ……と心に残る。以下に二首ほど引用する。

戦争で父を喪い夭(わか)くして母に棄てられつくつく法師

「存在と非罪」のせめぐ黄昏を寺山修司、笑みて消えゆく

次の歌は、私も福島先生のように生きたいもの……と怠惰を反省した。

暁闇に目醒めて朝をなすことは夢を呟き 歌を書くこと

カテゴリー: さりはま書房徒然日誌 | タグ: , , , | コメントする