北村透谷『蓬莱曲』を読む
ー自費出版の時代は活字が綺麗な時代でもあったー
1889年に自費出版をした『楚囚之詩』に続いて、1992年(明治45年)に自費出版された第二冊目が『蓬莱曲』である。戯曲でもあり、長編詩でもある。北村透谷といい、宮沢賢治『春と修羅』といい、その他にもあまたある自費出版をした明治、大正の詩人、作家のエネルギーを思いながら読む。
量的にも、文章の流れるような調べも、第一作の『楚囚之詩』よりパワーアップして、第一作からの三年間にわたってコツコツと書き続ける北村透谷の姿が思い浮かんでくる。
以下の引用文に、明治45年になると「自由」という価値観がだいぶ日本に浸透したのだなあとも思う。
またこの年夏目漱石「彼岸過迄」の連載が朝日新聞に開始された。北村透谷が書き綴る文と新聞でもてはやされる夏目漱石の文……そのギャップに苦しみもあったのでは……と思いつつ、透谷の調べを味わうようにして読む。
自分の弟のところから自費出版で出したようだが、活字がとても綺麗な気がする。現代の書籍より活字が語りかけてくる感じがある。なぜなのだろう?印刷は同じ京橋の印刷屋に頼んだらしい。この時代、ルビもこんなに綺麗に入れられたのだ……と明治の印刷職人さんに感心してしまう。
またわが術にして世の、見えずして権勢【ちから】つよきものの緊縛【なわめ】をほどく「自由」てふものを憤【いか】り概【なげける】ものの手に渡し、嬉【たの】しみの声を高く挙げしむる。
(北村透谷『蓬莱曲』より)