さりはま書房徒然日誌2024年11月25日(月)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』より十月二十一日「私は精進料理だ」を読む

十月二十一日は「私は精進料理だ」と精進料理が語る。
丸山先生の作品にはよく禅寺や禅僧が出てくる気がするが、どちらかと言うと批判的な視点で書かれていることの方が多い。ごくたまに神秘的な存在として書かれていることがあっても、揶揄するような視線が感じられる。
以下引用文もそうではないだろうか?

応量器と呼ばれる漆器の鉢に盛られた
   彼らの情よりも薄い粥、

石と石頭で漬けこまれたタクアンと
   胃袋に溜まった怒りを鎮めるためのゴマ塩
      それが朝餉のすべてであり、

昼餉は
   歯応えがあり過ぎる麦飯と
      少しはまともな味がする汁


飛竜頭と名付けられた
   未練がましいがんもどきと
      野菜の煮付けにタクアン、

そして夕餉は
   その残り物。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』342ページ)

禅寺の台所の戸口から覗き込んでいるようなリアルさが、言葉にあるような気がする。
応量器と呼ばれる漆器の鉢に盛られた 彼らの情よりも薄い粥という言葉に、何があったのだろう……禅僧への怒りが「応量器」や「薄い粥」という言葉に皮肉たっぷりに込められている
それにしても禅寺の食器のことを応量器と言うなんて、ここで初めて知った。私には禅寺の精進料理は、身体に良さそうな食事に思えてならないのだが。

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