丸山健二『千日の瑠璃 終結5』より一月三十一日「私はウイロウだ」を読む
一月三十一日は「私はウイロウだ」と、「当たりの柔らかい極道者によって運ばれてきた 手土産としてのウイロウ」が語る。
私はういろうが好きである。悪阻で食事が出来ないときも、なぜかういろうだけは食べることが出来た。なんとも助けられた記憶がある食べ物なのである。
でも多分「砂糖を敵」とみなしている丸山先生にすれば、ういろうも体によくない食べ物として感じられているのかもしれない。
この「ウイロウ」というカタカナ表記にも、ういろうを疎ましく思う気持ちをチラッと感じてしまう。ウイロウ、ういろう、外郎ではどこか感じ方が違うように思うのは、私だけだろうか?
以下引用文。やはり極道者の男たちがウイロウを食べる様子である。荒んだ男たちとウイロウがよく重なる文だと思う。
ただういろう好きな私としては、ういろうが可哀想になってきてしまうのである。
にちゃにちゃくちゃくちゃという
著しく品に欠けた音が
甘い食べ物に飢えていた刑務所暮らしを甦らせて
荒ぶる三つの心を壁際に押しつけ、
世間の裏側で生きるしかない立場を
改めて再認識し、
暗澹たる未来よりも
今現在に思いを馳せる。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結5』350ページ)
