アダム・スミス 道徳感情論2章 たがいを思いやる喜び 1.1.18 友を許せるとき、許せないとき

 愛とは心地よいものであるが、怒りは不快な感情である。

だから怒りの矛先をむけられつつも、友達が自分との友情を選ぶと、私たちは大変心配になる。また自分がうけてもいい筈の好意なのに、友達が何とも思わないこともある。それでも友達のことを許せる。

だが自分が侮辱されたときに友達が無関心であれば、我慢できなくなってしまう。友達が自分の怒りに共感しないときに、かえって感謝をすることがある。その感謝をうけとめてもらえなくても、私たちはさほど怒りはしない。

友達になることを避けてとおることはたやすい。でも自分と一致しない人を敵だと思わないことは難しい。

私たちはたまに、友達に憎しみをいだく相手に怒って、そうした人と危険な論争を好んでする傾向がある。

だが相手が友達と親しくなれば、口論は真剣なものとなる。

愛や喜びという心地よい感情は、付加的な喜びを生じなくても、心を充たし支えるものである。

悲しみや怒りのような感情が苦々しく、苦痛にみちたものになるほど、私たちは共感してもらい、癒されるという慰めをますます強く求める。(さりはま訳)

さりはまより)訳者が勝手に段落わけしたらいけないとは承知していますが、読みやすさを求める方のために。オリジナルの段落のものとあわせて載せておきます。

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