アダム・スミス 道徳感情論 2章 たがいを思いやるよろこび 1.1.19 不幸なひとが幸せでも、冗談が予想よりうけても私たちは不機嫌になるもの

Smith: The Theory of Moral Sentiments | Library of Economics and Liberty.

どんな事態であれ、影響をまともにうける人にすれば、共感はありがたいものである。いっぽうで、共感してもらえないときには傷ついてしまう。だから私たちも相手に共感できると嬉しく、共感できないときには心が傷ついてしまう。
私たちは成功を祝うためにも駆けつける。そして苦しむ人を慰めるためにも駆けつける。
心のなかにある情熱をすべて分かちあえる相手と会話をしていくときに喜びを見いだす。だが相手の状況によっては、その悲しみの痛々しさに影響をうけることもある。でも喜びのほうが大きく、悲しみを補ってあまりうるものである。
それとは反対に相手に共感できないという思いには、いつも不快になる。共感のせいで感じる苦痛がなくなっても嬉しいことではない。相手の不安を分かちあえないことに気がついて傷ついてしまう。もし不運を嘆き悲しむ人がいて、その境遇を自分のこととして考えてみても、強烈な何かが私たちにおきるわけではない。ただ相手の悲しみに衝撃をうけるのである。
悲しんでいるひとに小心者だとか弱いとか言うのは、悲しみを分かち合うことができないせいなのである。
それとは逆の場合もある。幸運には恵まれていない筈のひとが、とても幸せそうにしていたり、元気そうにしているのを見ても、私たちは不機嫌になる。相手が喜ぶ様子に傷ついたりもする。その様子をみて軽薄とか愚かとか言うのは、相手の喜びについていけないからである。
親友の笑いが本来より大きくて、いつまでも続いたり、実際に自分が笑える以上に笑われると、私たちはユーモアの心を失ってしまう。

(さりはま訳・・・段落分けと見出しのタイトルは、訳者が勝手にしたものです。オリジナルの段落での訳は、道徳感情論の部屋のほうにあります)

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