1.1.20途中まで
ある状況で中心となって行動している人の感情と、その行動に共感しながら観察している人の感情が完全に一致することがある。その場合、行動する人の感情と観察する人の感情が正しく、適切に、ふさわしい形で、その場の状況にむけられているようにきっと思えるはずである。
反対にそうした状況を間近に感じているのに、自分の感情が相手と一致しないこともある。その場合、そうした感情を生じている原因が間違っていて、不適切で、ふさわしくないもののように思えるはずである。
ほかの人がいだいている感情をもっともだと認めることは、相手にすっかり共感しているということでもある。
私の怪我に憤る人が、同じくらいに自分の怪我に憤る私の様子をみても、怒って当然だと思うことだろう。私の悲しみに共感する人は、悲しむのももっともだと認めるしかないだろう。
同じ詩をいいと思い、同じ絵をいいと思い、私と同じようにいいと感じる人なら、憧れる私の思いを認めてくれることだろう。
同じ冗談に笑い、私と一緒に笑う人なら、私の笑いが妥当なものではないと拒むわけにはいかないだろう。