丸山健二『千日の瑠璃 終結8』より九月二十一日「私は月見草だ」を読む
月見草を語るにしても、信濃大町でひたすら庭作りに励み、愛情を込めて植物を見ている丸山先生ならでは。
私なんかは、月見草と言われてもぼんやり姿が浮かんでくるくらいだが、この文でそう言えばこんな形だった……と佇まいも、雰囲気も浮かんでくる。
夕日の余光のなかで
よじれた蕾を準備し
夜の帳を鋭敏に感知して
一気に開花へと突き進む
狭い庭に似合う月見草だ。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』85ページ)
そんな月見草を見つめているのは、「一向に回心の見込みがない皇軍兵士の成れの果て」の老人。
それでも月見草に心動かされて、こう語りかける。
今度はしゃがれ声で
「わしもおまえのように儚い存在でありいたいもんだ」と
そんなことを言ってのけ、
(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』84ページ)
しかしオオルリが元兵士の老人の思いを打ち砕く。
この冷徹な声は、丸山先生の戦争に加担した者への言葉なのだろう。
でもオオルリが語ることで厳しい口調にも、人を頷かせるものが出てくるように思う。
するとそのとき
すぐ近くで
まったくだしぬけに
しかも明瞭な発音で
「おまえには悶死が相応しい」と
そう鳴いたのは、
長いこと飼われていたに違いない
ために人擦れした
一羽のオオルリだ。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』85ページ)