丸山健二『千日の瑠璃 終結8』より九月二十五日「私は道標だ」を読む
「うつせみ山の頂の方向を指し示しつづけて ちょうど十年目に入り あと九十年は優に持つであろう がっちりとした」道標が語る。
そんな道標が浮かんでくるのも、以下のように登山者を見つめることができるのも、信濃大町に長く住んでいらっしゃるからだろう。
身近な風景から徐々に人生を見つめる視点へと変化、色々考えるところが多い。
これまで私は
人生の尾根よりも
なぜか荒くれた山脈を踏破したがる者たちの命を
幾つ救ってやったか知れず
(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』99ページ)
遭難しかけた若者が道標にいたずら書きをする。
「右腕」「左腕」と道標が語ると、何だか人間に近づいてきたような感じがする。
そいつは
使いこなせることではなく
高価なことだけが自慢のピッケルを使って
山頂を指すわが右腕に〈地獄〉と
まほろ町を指す左腕に〈極楽〉と刻みつけ
(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』100ページ)
「修行よりもむしろ静養のほうが必要そうな 若き僧侶」は、ナイフでその文字を直す。
同じ場所を見るにしても、その人の心次第でかくも見え方が異なる……ことが人間の悲しさなのかも。
優に二時間は費やして
左右の文字を入れ替え、
そのあとで
いったい何が悲しいのか
号泣しながら下山した。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』101ページ)