さりはま書房徒然日誌2026年4月8日(水)

丸山健二『千日の瑠璃 終結8』より九月二十九日「私は屈託だ」を読む

『千日の瑠璃』の面白いところは、世一の物語を語っているようでいながら、色々な世界がさりげなく語られていること。

「私は屈託だ」には丸山先生の姿が色濃く滲んでいる。

「自者と他者を交互にじろじろ見つめる」という姿は丸山先生そのものだ。

「文学を生業」「気を入れた仕事」というあたりは、今、文を書いている人ととは意識が違うのかもしれない。他の作家さんの話を聞いてもそう感じる。

私にとって文学は、青空に向かって夢中になって飛ばすシャボン玉的存在……なのかもしれない。
文学はお金にならず、職業にもならず、でもシャボン玉のように美しく世界を映して消えるからいい……気がする。

文学を生業として
   それなりに気を入れた仕事をつづける男の
      自己と他者を交互にじろじろ見つめる日々への
         なんとも執拗な屈託だ。

‘(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』114ページ)

以下引用分。
こうした書き手、読み手への容赦ない文も、反発される原因の一つだろうが、丸山先生らしい言葉である。

そのご面相では一生費やしても手に入りそうにない
   夢と憧れの恋愛でも書いて
      現実を理解したがらない
         屈折し過ぎた臆病な読者と共に
            お伽話の世界に浸るがいい。

‘(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』116ページ)

それよりも、もっと丸山先生らしいのは以下の文。

この哀しみと生と死の危ういコントラストが、一番丸山先生らしい気がする。

どんなに生きても得体の知れぬおのれの影を追い求めて、

動的な生命と静的な生命
   悲しい行為と喜ばしい行為
      そして
         生と死の狭間を縫って突き進み


‘(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』117ページ)

さりはま について

更新情報はツィッター sarihama_xx で。
カテゴリー: さりはま書房徒然日誌 タグ: , パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Time limit is exhausted. Please reload the CAPTCHA.