アダムスミス 道徳感情論1.1.37 観察者の目になれ、当事者の目になれ 

 こうした一致をうみだすために、自然の女神が観察者に教えることとは、主としてかかわる当事者がおかれた状況を確かめよ、ということである。同様に自然の女神が当事者に教えることは、観察者がおかれた状況をいくらかでも確かめよ、ということである。観察者は相手の状況に頻繁に自分をおくことで、似たような感情を心にいだく。当事者もまた自分を相手の状況におくことで、かなり冷静になって自分の未来を思いえがく。観察者がみるだろうから、当事者は自分の未来にはかなり敏感である。実際に受難者だとしたら感じるだろうことを、観察者は常に考える。それと同じように、自分が観察者なら思うように、当事者も想像するようになる。観察者も共感するせいで、当事者の目で状況を見るようになる。同じように当事者も共感するせいで、観察者の目で状況を見るようになる。とりわけ観察者の観察のもとで、その存在と行動をとおして状況をみるのである。このようにすると当事者がいだく感情とは、もともとの感情より弱く感じられるものである。暴力についても本来の暴力より弱いものにしてから、当事者は観察者となって、観察者が感じるように思い描き、遠慮のない公平な光にあてて見るようになる。(さりはま訳)

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