アダム・スミス 道徳感情論 家庭での愛

愛という感情そのものは、愛を感じる人にとって好ましいものである。愛とは心をしずめ、感情をつくりあげるものであり、生き生きとした動きで好意をしめすようにみえるものであり、また、ひとの体の健康状態を促進するもののようにもみえる。さらに愛をもっと魅力的なものに表現するものとは、感謝と満足する心への自覚だが、それは、愛の対象となるひとの中に呼び起こされる筈のものである。感謝と満足の相互関係とは、片方の感情がもう片方の感情を幸せなものにするというものである。相互の愛と尊敬を支配するすべてから、どんな喜びを家族に見いだそうと、互いへの愛と尊敬を支配する喜びをとおして、両親と子供たちはお互いに仲間なのである。互いへの尊敬すべき愛情もなければ、優しい甘やかしがなくても、仲間なのである。家庭で自由と愛情、相互のからかいと優しさが見せてくれるものとは、利益を競争して兄弟が分かれることでもなく、ひいきをめぐる競争が姉妹を疎遠にしてしまうことでもない。家庭では、あらゆるものが、平和、気持ちよさ、調和、満足についての考えを伝えることになるのだろうか。それとは反対に、同じ家に住む者のうち半分が、他の半分と耳障りな喧嘩をしている家に入るとき、どれほど不安になるであろうか。家庭では、互いに影響をうけているような人あたりのよさと親切な心にかこまれることになり、疑い深い表情も、情熱の急なほとばしりも、心のなかで燃え上がる互いの嫉妬を裏切ることになり、実行にはいたらない。仲間の存在のせいで課せられる拘束力から、刻々と燃やしつくされるのは、疑い深い表情と情熱のうち、どちらなのだろうか。(1.Ⅱ.30)

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