一部 イノセント・スミスの不可解な事件
一章 いかにして強風がビーコン・ハウスに吹いたのか
一陣の風が西の空の高いところで吹きはじめたが、それは理性を欠いた幸福感が高まっていくときの有様にも似たもので、風はイングランドを東に横切って猪突猛進していき、そのあとに残されたものは、森の冷え冷えとした香りであり、海の冷ややかな興奮であった。風はあまたの煙突に入り込み、そこかしこの街角にふきつけたものだから、葡萄酒の大瓶のように人を活気づけたかと思えば、拳固を一発みまったかのように驚かせたりもした。複雑に入り組んだ屋敷の、こんもりとした緑にかこまれた家の奥にまで、風は入り込み、そうした屋敷の奥にある大広間を風がかきまわす様子は、家庭のなかで爆発が起きたかのようであった。床には教授たちの論文が散らばってしまい、逃亡者を追いかけるときと同じくらいに、かけがえのないものに論文が思えた。かたや蝋燭も吹き消されてしまい、その灯りの下で、「宝島」を読んでいた少年は、騒々しい暗闇につつまれた。かくして至るところで、風は劇的事件をひきおこしながら、ありふれた人生を変えていき、危機を告げるトランペットを国中に響かせた。
PART I. — THE ENIGMAS OF INNOCENT SMITH
- — HOW THE GREAT WIND CAME TO BEACON HOUSE
A wind sprang high in the west, like a wave of unreasonable happiness, and tore eastward across England, trailing with it the frosty scent of forests and the cold intoxication of the sea. In a million holes and corners it refreshed a man like a flagon, and astonished him like a blow. In the inmost chambers of intricate and embowered houses it woke like a domestic explosion, littering the floor with some professor’s papers till they seemed as precious as fugitive, or blowing out the candle by which a boy read “Treasure Island” and wrapping him in roaring dark. But everywhere it bore drama into undramatic lives, and carried the trump of crisis across the world.