隙間読書「炎に絵を」

「炎に絵を」

著者:陳舜臣

出版社:出版芸術社

ISBN:4-88293-054-4

8月27日2時から中野サンプラザで予定している日比谷日本ミステリ読書会の課題本。読書会だと「おもしろい」「よかった」の一言では続かないから、愚問、意地悪な質問を書き連ねたけれど。当日はこうした愚問が不要な会となりますように。

疑問3からはネタバレになるから隠してあります。読了されている方だけ、続きを読むをクリックしてください。

【疑問1】出版芸術社のカバー、男女カップルを背後から描いたイラストは誰と誰なのでしょうか?諏訪子と呉練海、それとも諏訪湖と葉村康風なのでしょうか?諏訪子が緑のスーツを着ている場面があったから、着物も緑、下駄の鼻緒も緑なのでしょうか?着物の青い朝顔はどこからなのかなあと愚にもつかないことをいろいろ考えてしまいます

 

【疑問2】金に関する欲望、打算を描いた小説ですが、金だけがテーマだと現実にはもっと恐ろしい話もあるわけで、私は「桃源遥かなり」や「青玉獅子香炉」の方がロマンがあって好きです。

 

【疑問3】兄の一郎、姪の順子、緑色の鉛筆でギザギザの線、京都・奈良への修学旅行引率写真、仏壇の父の写真(いつも不機嫌そう)と最初の数ページで手がかりが大サービス。

伸子の性格も「ママはひとりよがりよ。いくら整頓したって、自分にしか分からないやり方なら意味ないわ。想像力がないのね。ほかの人にも分からせることができないんだもの」と暗示。

でも「想像力がない」というのは不要だったのでは?想像力がなければ、こうしたことを思いつかない気がするのですが。

 

【疑問4】伸子の描写がアンフェアな気も。ここまで美化しなくてもよいのでは?多少ほのめしてもいいのでは?

 

「ほつれ毛をかきあげて、ほほえんだ。もう四十になるが、色白の瓜実顔が透きとおるようにうつくしい。彼女はそのかぼそい腕で…そんな苦労をしているのに、どうしてやつれたり皺がふえたりしないのか、省吾にはふしぎでならなかった。が、彼女の目をよくみると、これまでの苦労が、すべてその瞳のなかにとじこめられているのだとわかる。愁いを含んだ瞳は、いつも湿りをおびていた。」

 

【疑問5】溺愛している娘をひきいれるか?

 

【疑問6】兄の一郎が死んだとしても順子は高校一年生、犯行におよぶよりは、弟の省吾の情にうったえて順子が成長するまでの二年間、世話を頼むだろうに…と思ってしまいますが。

 

【疑問7】「当世花隈おんな気質」の作者は伸子と順子なのでしょうか?順子は文章を書くのも、絵を描くのも素質があると語られているにしても、溺愛する娘と一緒になって母親がエロ本を考えるのも変、そうかと言って高校一年生が芸者の色談義を考えるのも変。順子の設定が日本文学科の女子大生なら納得できたような気もしますが。

 

 

【疑問8】諏訪子の帯どめですが、「珊瑚の地に象牙を置き、招き猫を掘った小さな金細工を、そこにとりゆけてある」という描写だけではイメージできません。もう少し描写してほしいけど、ミステリの場合、あまり細かく描写すると本筋から離れるのでしょうか

 

【疑問9】一郎の最後の言葉「よかったな」ですが、「な」をつける必要があるのでしょうか?「よかった」で終わらした方が、家族のためにも、省吾のためにも喜んでいるようにも、両方の意味で解釈できるのでは?

 

【疑問10】諏訪子の屋敷ですが、千坪もある敷地に建つ屋敷を執事兼運転手の植原、家政婦の富沢だけで維持するのは不自然なのでは?ここで使用人をふやしたら、破綻する部分があるのでしょうか?

 

【疑問11】諏訪子の屋敷の描写も少し物足りない気がします。

「おそろしくりっぱな洋館だった。屋根つきのいかめしい鉄門から建物までは、かなりはなれていて、そのあいだの緑の芝生は、眼にもあざやかである。

『明治町やね。こんなにりっぱやとは思わなんだわ』

ふるい建物らしいが、それだけにゆったりしている」

 

あっさりしているけれど的を得た描写と感じるべきか、もっと細かく描写してと欲張ってしまうべきか。

 

【疑問12】「橋詰家には、二つのマンション。おびただしい株券、省吾でさえまだ概算できないでいる巨額の資産があった」とありますが、それだけの資産を省吾がいきなり相続しても相続税を払えないだろうに…と気になります。

 

【疑問13】伸子が雨宿りの老婦人に扮したのは修学旅行の引率のとき…なのでしょうか?引率のときにそんなことをする暇はないような気もしますが。

 

【疑問14】すべてを知っている順子、それもマンションやピアノをねだったりする、したたかな順子が生きていることが、省吾の今後に影をおとしていくことをもっと匂わせる終わり方でもよいのかなあと思いますが。

 

【疑問15】最初は雲のうえのひとのように思っていた伸子なのに、すべてを知ったからといって

「『母の象』は、裏がえって、畳のうえにあった。

省吾の足は、それを踏みつけていた。」

という終わり方は、あまりにも露骨すぎるような気もします。伸子への気持ちにもう少し悲しみを感じるようなものがあってもいいのではないでしょうか?

読了日:2017年7月2日

 

 

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