『文字禍』
作者:中島敦
初出:昭和17年
文豪ノ怪談講座で東氏に紹介されて読んでみた。
『山月記』と同じ年に発表された『文字禍』はやはり遠い古代が舞台。ただし場所はアッシリヤである。
文字の霊などというものが、一体、あるものか、どうか。
こう問いかけて、最初の一行は始まる。なぜ言霊と言わずに、「文字の霊」と表現したのか?と考えてしまう。
言霊は、広辞苑によれば、「言葉に宿っている不思議な霊威。古代、その力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じられた」とある。
中島敦は、文字の一本一本の線や点をまとめ、力をあたえる存在として「文字の霊」をとらえている。
ひとつの文字を見つづけていると、その字が点と線にしか見えなくなる状態について、中島敦はこう記している。
一つの文字を長く見詰めている中に、いつしかその文字が解体して、意味の無い一つ一つの線の交錯としか見えなくなって来る。単なる線の集りが、なぜ、そういう音とそういう意味とを有つことが出来るのか、どうしても解らなくなって来る。
この点と線を結びつけ、意味をあたえるのが「文字の霊」なのである。
単なるバラバラの線に、一定の音と一定の意味とを有たせるものは、何か? ここまで思い到った時、老博士は躊躇なく、文字の霊の存在を認めた。
この文字の精霊の力ほど恐ろしいものは無い。君やわしらが、文字を使って書きものをしとるなどと思ったら大間違い。わしらこそ彼等文字の精霊にこき使われる下僕じゃ。
最後この博士は、地震のときに文字を記した本(粘土板)が崩れてきて圧死してしまう。
アッシリヤのはるか昔の雰囲気も、文字の力のまがましさも魅力的。それでいてどこか滑稽なところがあってクスリと笑ってしまう作品。