ギリシャだけの問題じゃないけど    クルーグマンのブログより

New York Times 2012年 5月17日

Not a Greek Problem – NYTimes.com.

ティム・デュイがヨーロッパ中央銀行にとりわけ辛辣なことを言っていたけど、ぼくもまったく同じ意見だ。いいなと感動したのは、現在においても、ギリシャの問題ではなく、ましてスペインやイタリアの問題でもなく、ヨーロッパの問題であるという事実を受容しようとしていない云々というあたりだ。

ドイツ人がよく話したがる教訓劇―――危機に陥った国がどうトラブルにまきこまれているかという話は、事実ではない。それはさておき、問題はなにをしているかってことだ。大切なことは、もしヨーロッパが低い成長、低いインフレのせいで傷ついたら、問題をかかえた国には解決がなくなるってことだ。

こんな現実をつきつけられ、ギリシャの有権者に責任を説き、その一方で期限の猶予をほのめかしているうちに、もう、夏のバカンスの時期だ。バカンスまで節約してはいけない。

ここで必要なのは、経験の転換だ。アテネではなく、ベルリンとフランクフルトで考えるってことだ。そうしないと、この試合はもう終わったようなものだ。

(Lady DADA訳・BlackRiverチェック)

 

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罠におちた希望(完訳版)

楽観主義に欠けているせいで、人々は貧困の罠にしばられている

5月12日 The Economist Free exchange: Hope springs a trap | The Economist

希望を与えれば、貧乏で、みじめな人々の生活が大きく変化するという考え方は、善意の活動家や熱弁をふるう政治家の夢物語に聞こえるかもしれない。しかしながら、これは、マサチューセッツ工科大のエコノミストであり、データから貧困を分析しているエスター・デュフロが、5月3日にハーバード大学でおこなった講演の要点なのである。デュフロによれば、反貧困政策のうちいくつかの政策は効果をあげ、その効果は物資提供で生じる直接的な影響よりはるかに大きい。また、こうしたプログラムのおかげで貧しい人々が生き延びることだけを願うのではなく、さらに希望を抱けるようになるという。

  デュフロと彼女の同僚は、インドの西ベンガル州でおこなわれたプログラムを評価した。そこではBRAC―――バングラディッシュ・マイクロファイナンス・インスティテューションが極端な貧窮状態にある人々と共に働いている。貧窮状態にある人々はローンの返済能力がないとみなされていた。そこでローンを組む代わりに、BRACKは少量ではあるが、牛1頭、山羊のつがい、鶏を数羽など、生産性のある資産を人々に提供してみた。また与えられた資産を食べたり売ったりする衝動にかられないように、BRACKは少額の固定給を給付した。そして毎週学習セミナーをひらいて、動物の飼い方や家庭の切り盛りについて教えた。家畜の生産物を売ることで収入が少しでも増加し、自分で資金をきりもりしていくことについて学んでくれたらと期待したのだ。

  その結果には著しいものがあった。財政上の支援や学習会の終了後、BRACKのプログラムを受けた家族からランダムに選んで調査してみたところ、以前よりも15パーセント多く食べ、毎月20パーセント多く稼ぐようになり、他のグループと比べると食事をぬかす回数も減っていた。貯金もたくさんしていた。効果は非常に高く、持続性のあるものだったが、BRACKから提供された援助の直接的な影響だと説明することは出来なかった。それというのも収入増の説明がつくほど、ミルクにしても、卵や肉にしても十分に売ることはできなかったからだ。給付された家畜を売ったからというわけでもなかった(中には売った者もいるが)。

  では、何がこの成果を説明するのだろうか。援助された人々の労働時間は以前より一時間あたり28%増加していたが、それは提供された家畜には直接関連しない活動にあてられていた。デュフロと彼女の同僚は、援助をうけた人々の精神的な健康状態が目立って改善されていることに注目した。そのプログラムのおかげで、沈んでいた気持ちが明らかに解消されている。デュフロによれば、プログラムはこうした極貧のひとたちの心に考えるゆとりを与え、その日暮らしの状態から抜け出せるのだと言う。農業労働などのように現在の仕事に新しい仕事を見つけ、さらには新しい流れの仕事を開拓し始めていた。希望を抱けないという状態が人々を極貧にしばりつけていたのだと、デュフロは考えている。BRACKは極貧の人々の心に、楽観主義をふきこんだのである。

  デュフロは昔ながらの考えに基づいて行動をすすめている。開発経済学者たちの長年にわたる推量では、貧しい人たちが貧困から抜け出せない理由はこうだ。数カロリー多めに食べるとか、些細な仕事で少しばかり一生懸命働くといった可能な投資をしたところで、僅かな投資からは違いは生まれてこない。つまり貧困から抜け出すには飛躍的な跳躍が要求される。それは食料を増やし、機械を現代化し、店には従業員を配置するということになる。その結果、少量でも肥料を使い、学校でもっと教育を受けてみる、少額でも貯金してみるというような、貧しい人々でも出来る投資をしなくなってしまう。

  こうした希望をもてない状態は、いろいろな形で姿をあらわす。病的なまでの保守主義もその産物である。保守主義者は、僅かでも所有物を失うことを怖れ、実現可能で高い利益をだせそうなことに手を出さなくなる。例えば、街までバスで行けるのに、貧しい人々は干ばつに見舞われた村にとどまる。バグラディッシュの農村で行われた実験では、収穫の少なくなる時期の始めに、男達にダッカまでのバス代を与えてみた。その時期は植え付けと収穫の時期のあいだで、座る以外に何もすることがない。大体の男性にとって自分で貯えることができる金額ではあったが、バス代をあげることにより人口移動が22パーセント上昇した。出稼ぎ労働をした男達が送金したお金のおかげで、家族の消費が高くなった。8ドルのバス代がもたらしたのは、一人あたり100ドルの季節消費の増加である。こうした男達の半分は、翌年も、出稼ぎのバス代支援に申し込んできた。今度は誘わなくても申し込みにきたのである。

 事実はそうでないのに、人々はよく貧困の罠にはまったと考えがちである。多くの国で行われた調査によれば、貧乏な両親は、2、3年の教育だと利益は生じないと考えている。つまり教育とは、中学校まで終えて価値があると考えるのである。だから子ども達が学校を終了できるかどうか不確かであれば、貧乏な両親はだいたい子ども達を教室で学ばせない傾向にある。もし一人分だけ学校を修了する金を支払うことができるなら、一人の子どもにだけ教育を受けさせ、賢くないと判断した他の子ども達には教育をまったく受けさせない。しかし経済学者たちの発見によれば、学校教育を受けた年数分だけ人の収益能力はおおよそ増えていく。さらに両親は子どもの能力について判断を誤りがちである。一番賢いと信じ込んだ子どもに全て投資したせいで、他の子ども達の優れた点を見過ごしてしまうのである。残りの子ども達は可能性がまったくないと思われ、両親から期待されることなく生きていく。

 自分を信じることが燃料になる 

  驚くようなこともしばしば起きて、希望に拍車がかかる。インドでは、3分の1にあたる村の村議会で、選挙で選ばれる村議長に女性をあてることが法律で定められた。それから5、6年にわたって追跡調査をしてみたところ、デュフロは女子の教育にはっきりとした効果を見いだした。以前なら両親も、子ども達も、女子の教育や職業上の目標については男子と比べるとつつましい目標しか抱いていなかった。女子には学校教育を期待させず、家にいて舅や姑の命令にしたがうことが期待されていた。しかし女性の村議長が現れてから2、3年すると、息子と娘のゴールが同じひとつのゴールに素晴らしいくらいに収束してきた。女性村議長の存在のおかげで、女の子たちは自分たちの可能性をひろげ、家事にしばられなくなってきたのだ。これはおそらく予想外の結果だろう。でも期待をいだかせてくれる結果である。 (Lady DADA訳)

Lady DADAのつぶやき・・・ウェブ版を見ると記事に否定的なコメントもあったが、たしかに希望をもてないという状態は貧困に結びつく。ただ、どうしたら希望をもたせられるかはケースバイケース、一律にいかないことが難しい。それにしても若いひとが希望を失うと、一様にとがった、にらむような顔になっていく・・・

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再びギリシャとアルゼンチンの輸出について__クルーグマンのブログより

2012年5月15日 8:27The New York Times

More on Greek and Argentine Exports – NYTimes.com.

エコノミストのマーク・ウェイスブロッツから、先日のブログについて、こう指摘を受けた。1ドル1ペソのドルペック制から離脱したアルゼンチンとユーロ離脱のギリシャを比較する際、適切な比較方法としては離脱前のアルゼンチンと比較するべきである。ドルペック制離脱後のアルゼンチンと比較するべきではない。ウェイスブロックの言うとおりだ。以下に、国連とEurocastのデータを挙げておく。(英文記事にデータあり・・・訳者)

輸出品がないギリシャの場合、デバリュエーション(平価切り下げ)から恩恵をうけることはないと主張している連中は、ただ宿題を忘れているだけなのである。

ウェイスブロッツは、アルゼンチンとギリシャについても、ずいぶん丁寧に比較している。(英文記事にデータあり・・・訳者)

その比較を見ているうちに、思いがけない贈り物に気がついた。ギリシャへの傾斜をいましめた古代ローマの政治家カトーのようなウェイスブロッツは、こう説明している。アルゼンチンはデバリュエーション(平価切り下げ)後、ドルを自国の通貨として導入し、さらには税金を削減して、ようやく経済が回復したと。すなわちカトーのような連中は、2007年のアイスランドのときのように、今度も自分の出番を待っているのだ。  (Lady DADA訳)

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ユーロ離脱後、ギリシャの輸出はどうなる__クルーグマンのブログより

5月14日 午後12時21分 The New York Times クルーグマンのブログより

Economics and Politics by Paul Krugman – The Conscience of a Liberal – NYTimes.com.

もしギリシャがユーロを離脱すれば、そのときギリシャの経済はどうなるだろう。誰にもわかりっこない。それなのにみんな知ったかぶりをしている。

なかでもアルゼンチンの例は、ギリシャにあてはまらないだろう。それというのもギリシャには輸出品なんてほとんどないからだ。なぜ輸出品がないかは知らないけれど、でも事実なんだ。ここに世界銀行の表があるけれど、GDPに対する輸出品の割合がパーセントで示されている。

実のところ、ギリシャは品物をたくさん輸出していない。ギリシャが輸出しているのはサービスである。そう、海運業と旅行業だ。こうした産業はどんなふうに新しいドラクマ(ギリシャ通貨)のデバリュエーション(平価切り下げのことで、ギリシャの為替レートの引き下げを意味する)に応じるのだろう。

私が見たところ、海運業はあまり変化しないだろう。でもユーロかドルで価格が表示されるようになると、ギリシャのGDPにもっと対応したものになるだろう。そうなれば景気は上むく。

旅行業もまた然り。政権が混迷しなければ、安いホテルに惹きつけられて、イギリスやドイツから大勢のツアー旅行客が来るだろう。

万事がうまくいと予言しているわけではい。でも、いったん混乱が終結したのに、ギリシャの今後について悲観的なままでいるのは愚かだと警告しておく。(Lady DADA訳)

 

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安直で、意味のない経済学

ポール・クルーグマン

The New York Times 4月12日   Easy Useless Economics – NYTimes.com

数日前、経済分野の先導的雑誌であるアメリカン・エコノミック・レビュー誌でこんな偉そうな論文を読んだ。なんでもアメリカの高い失業率は構造的な原因に深く根ざしている、だから簡単に解決できるものではないと、その論文はくどくど説明していた。執筆者の診断だと、アメリカ経済はちょっと柔軟でなかったので、急激な技術革新についていけなかったのだという。とりわけ非難がむけられている選挙公約は失業保険だ。失業保険のせいで、労働者は実際に損害をこうむるという。なんでも失業保険は労働者から順応しようとする意欲を削いでしまうからだそうだ。

閑話休題、まだ話していないことがあった。問題の雑誌だけど、発行されたのは1939年6月である。第二次世界大戦が勃発してからわずか数ヶ月後のことで、合衆国自体はまだ参戦していなかった。でも軍備増強を大がかりにすすめ、しまいには不況対策と匹敵する規模で財政を刺激することになった。そして雇用をすぐに産むことは不可能だとする記事から2年後、アメリカの非農業従事者数は20パーセント上昇した。これは現代だと2600万人の雇用に等しい数字である。

そして今、私たちは更なる不況の渦中にある。大恐慌ほどではないけれど、それでも十分ひどいものだ。もう一度、冒頭の偉そうな論文の主張に戻ってみると、問題は「構造的」なものだから簡単に治せないってことになる。長期的な観点にたって考えてみよう。こうした論者が言うように、それが責任ある行動だと信じてだ。でも現実は、そうした論者こそ非常に無責任なのである。

失業者問題には構造的なものがあるって、どんなことなんだろう。いつものバージョンで説明すれば、アメリカの労働者は時代遅れの産業とミスマッチな技術にしばりつけられているからだってことになるだろう。よく誉められているシカゴ大学のラグラム・ラヤンの最近の論文では、問題は「膨張した」保護策、財政、政府部門から労働者を動かす必要性なんだそうだ。

実際、数十年にわたって有効求人倍率はほぼ水平状態であるが、心配しなくても大丈夫。要点は、こうした話の内容とは反対だから。経済危機が始まってからの雇用削減は、バブルで著しく大きくなった産業だけではない。むしろ経済はすべての分野から仕事をうばい、あらゆる部門や職業から仕事をうばっている。そう、1930年代の大不況時のように。さらに多くの労働者がミスマッチな技術しかなく、時代遅れの職場にいることが問題なら、労働者にマッチした技術をもたせ、時代にあった職場に連れて行けば、賃金は大幅に上昇するはずだ。だが現実には、どの労働者も勝者にはなれない。

こうしたことから強調されることだが、苦しみの原因となるのは歯が生えてくるときの痛みのように、構造が自然に移り変わっていく過程での初期の苦労ではない。むしろ雇用全般にわたって需要が十分にないことが原因なのだ。これは政府が支出増加の案をだせばすぐに解決できる問題だし、また案をだして解決すべきものなのだ。

では、何に取りつかれてしまって、「構造的」な問題だと宣言しているのだろう。そう、取りつかれている。反対の証拠があがっているというのに、経済学者ときたら数年間にわたって論争しているし、構造学者たちも答えを何も見つけられないでいる。

取りつかれてしまっている理由は、問題は根が深いものだとする考え方にあるのだろう。構造主義者たちはそう主張することで、失業状態という苦境を楽にしようとする行動を何もおこさないし、何もしようとしないことへの言い訳にする。

むろん構造主義者にすれば、言い訳なんかしていないということになる。大切なことはすぐに雇用を回復することではなく、長期にわたって考えることだと言う。けれど長期的な話は、たいていの場合、明確さからほど遠いものだし、長期的な政策なんて労働者と貧乏人に苦痛を与えるものになるだろう。

とにかくジョン・メイナード・ケインズは、80年も前から、こう言い逃れする連中のことを認識していた。「こうした長期的な考えは」と、ケインスは書いた。「直面している問題への間違った取り組み方だ。長い目で見れば、私たちはみんな死ぬのだから。動乱の季節だというのに、そのうち嵐がおさまり海はふたたび凪ぐと言っているようであれば、経済学者とは実に安直で、意味のない仕事をしていることになる。」

一言つけ加えるなら、目の前の失業問題について策を講じないことへの弁明は、情けに欠けた行為であり、かつ無意味な行為であるだけではない。それはまたひどい長期政策だともいえるだろう。高い失業率には腐食効果があって、これからの数年間にわたって経済に陰をなげかけるという証拠が明らかになりつつある。傲慢な政治家や評論家は赤字のせいで将来の世代の重荷が増えるって言っているけれど、そのたびに思い出して欲しい。今日、アメリカの青年が直面している最大の問題は、負債という将来の重荷ではない。たしかに重荷であることは事実だが、それは早まりすぎた歳出削減のせいで悪化したものだ。歳出削減は事態を好転してはいない。それよりむしろ仕事がないせいで、大学を卒業した若者の多くが職業人生のスタートをきれないでいるのだ。

結局、構造的失業問題についてのこうした論議はすべて、真の問題には向き合っていないことになる。すなわち問題を隠してしまい、安直で、無意味な解決方法をとることになるのだ。もう、そんな議論には終止符をうつべき時だろう。

(Lady DADA訳)

 

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頭脳の浪費策

ポール・クルーグマン

4月24日 The New York Times

Wasting Our Minds – NYTimes.com

スペインでは、25歳以下の労働者における失業率は50パーセント以上である。アイルランドでは、ほぼ3分の1の若者が失業している。ここアメリカでは、若者の失業率は「わずか」16.5パーセントである。これでもひどい状況だと思うが、事態はさらに悪化する可能性がある。

もう止めてくれって言いたいくらい、多くの政治家が思いつくこと全てをやっている。けれど実際のところ、事態のさらなる悪化を保障することばかりだ。対女性戦争ともいえる言動もしょっちゅう耳にするけれど、たしかに女性への弾圧は現実である。そして今度は対若者戦争だ。上手に言い繕って姿を変えているけれど、これはまちがいなく若者への弾圧だ。そしてこの弾圧は若者に損害を与えるだけでなく、国家の将来にもひどい損害を与えることになる。

ミット・ロムニーが先週テレビ番組に出演したとき、大学生にした助言から考えてみよう。オバマ大統領の「分裂」について非難した後、ロムニー候補は聴衆に言った。「ねらいを定めて撃ったら獲物を取りに行け、危険を恐れるな。それと同じように、教育を受けろ。もし教育を受ける必要があるなら、両親から金を借りてでもだ。それから起業しろ」

この発言を聞いて最初に気がつくことは、もちろん、ロムニーの特徴とも言えることだけど、同情する能力がはっきりと欠けていることだ。裕福な家に生まれなかった学生のことも、父さんや母さんの懐をあてにできず将来の野心に出資してもらえない学生のことも考えていない。その他の部分も、まあひどいものだ。

「教育をうけろ」だと? それなら、どうやって授業料を支払えと? 州からの補助金が削減されたせいもあって、公立のカレッジと大学の授業料は急に値上がりしている。ロムニーはこの解決策について何も提案していない。またロムニーはライアン予算案を強く支持しているが、その予算案のせいで政府の奨学金はばっさり削減されるこtになり、100万人の学生がペル奨学金を失う羽目になるだろう。

では、どうやって家計が苦しい家の若者は「教育を受ける」のだろうか? 3月の話に戻るが、ロムニーは答えをだした。それは「少しでも安く、良い教育が受けられる」カレッジを探せというものだ。なんて、まあ有り難い答えなんだ。摩擦を生じる発言だってことはわかっているけど、ロムニーの言葉は、生い立ちに何ひとつ取り柄がないアメリカ人には役に立たないってことを指摘させてもらう。

さらにもっと大きな問題がある。みんながよくやるように多額の借金の山にはまりこみながら、学生がなんとか「教育を受けた」としてもだ。卒業した先は、学生を欲しがっているようには思えない経済社会だってことだ。

散々聞かされているだろうけど、この不景気の中、大学の学位を持っている労働者のほうが高校卒の労働者よりずっとましな暮らしをしていると言われている。それは真実だ。けれど、中高年の学位をもっているアメリカ人に焦点をあてるのではなく、最近卒業したばかりの青年に焦点をあててみると、話から希望が消えていく。最近卒業した青年の失業率は急上昇しているし、パートタイムの仕事の割合も急上昇している。たぶん大学を卒業してもフルタイムの仕事が見つけられないという状況を反映しているのだろう。フルタイムで働いている卒業生も収入が下がっている。それは、ほとんどの卒業生が教育なんて役に立たない仕事で働かなくてはいけないって兆候なのだ。

大学を卒業した学生たちは今も、国の経済が衰弱しているから仕方ないとばかりに、すてっぱちな態度で仕事に取り組んでいる。けれど調査によれば、物価高は一時的なのものではない。ひどい経済社会のなかで卒業した学生たちは決して失点を回復することはない。それどころか、大学を卒業した青年達の収入では生活が窮乏していくのだ。

若者が今なによりも必要としているのは、もっとましな仕事の市場だ。ロムニーのような輩は、自分たちには雇用創出のレシピがあると主張する。そのレシピの内容ときたら、企業と資産家への課税の削減、公共サービスと貧乏人への支出の削減だ。しかし、こうした政策が不況下の経済にどのように作用するかについては、たくさんの証拠がある。それに削減政策は雇用を創出するのではなく、あきらかに雇用を破壊するだけだ。

それというのも、ヨーロッパの経済の荒廃を見たとき、ひどく荒廃している国のなかにはアメリカの保守派が主張している全ての政策を実行してきた国があることに気がつくからだ。遠い昔のことではないが、保守派はアイルランドの経済政策を賞賛していた。とりわけ低い法人税を賞賛していた。ヘリテージ財団は、他の西側の国より「経済の自由」に関してアイルランドに高い評価をつけていた。状況が悪化すると、アイルランドは再度賞賛をたっぷり浴びることになった。今度は厳しい支出削減についてである。削減により自信がついて、経済がすばやく回復すると思われたのだ。

そして今、私が言ったように、アイルランドの若者のうち3分の1は仕事を見つけられないでいる状況だ。

アメリカの若者を助けるために何をするべきなのだろうか。基本は、ロムニーとその仲間の望みとは反対である。学生への援助は削減するべきではなく、むしろ拡大するべきなのだ。前例のない政府や州レベルでの削減など、アメリカの経済を沈滞させる事実上の緊縮財政を逆にしなければならない。そうした緊縮財政のせいで、とりわけ教育が厳しくなってきているのだ。

そう、政策を逆にすればお金もかかるようになる。でも、こうしたお金の使い方を拒むのは馬鹿げているし、財政用語上からみても近視眼的だ。覚えておいた方がいい、若者はアメリカの未来であるだけでなく、未来の税基盤でもあるのだから。

若者の頭脳を浪費するなんて許し難い。さらに全世代の頭脳を浪費することになる政策なんて、さらに許し難い。こんな頭脳の浪費策は阻止しないといけない。

(Lady DADA訳・B.Riverチェック)

Lady DADAのつぶやき

 「高い学費を払ってアイビーリーグを出たけれど、就職先は△ーガーキング」去年の夏、大学時代の友人から聞いたアメリカの状況が、現実のものとして感じられるコラムです。

 IT化のおかげで便利になったけど、その分、頭脳労働者が不要になってくるということなのでしょうか。クルーグマン教授の言うような緊縮財政の見直しだけでは、解決が難しい問題なのかもしれません。大学教育で学んだ内容を仕事に反映させるという価値観を捨てないといけない時代なのでしょうか。

 そんな時代の空気を感じるのか「大学には行かないで漁師になる」と話す私の息子の考えにも一理あるのかもしれません。アイビーリーグに投資するなら、同じ金額で漁船を買った方が幸せに生きられる時代なのでしょうか。(Lady DADA筆)

 

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世界の貧困を救うための経済学

The New York Times  2011年5月10日

Using Economics to Help the World’s Poor – NYTimes.com.

バナジー/デュフロ『貧乏人の経済学』 | トピックス : みすず書房.も参考にどうぞ

ディヴィッド・レオンハード

アビジット・バナジーとエスター・デュフロは二人ともM.I.Tの教授であり、経済学の実践方法を変えてきた。彼らは発展途上国で反貧困のプログラムをすすめ、それが人々の生活を実際に改善しているかという問いに真摯に向き合っている。

私は2008年のコラムで初めて彼らの仕事について紹介した。昨年、ニューヨーカー誌もデュフロを紹介した。デュフロは、40歳以下で最も優秀な経済学者に贈られるジョン・ベイツ・クラーク・メダルを受賞した。バナジーは今週ナショナル・パブリック・ラジオに出演し、アジア開発銀行へのスピーチの一部はユー・チューブで聞くこともできる。

私は、二人が出版した新刊「貧乏人の経済学」ーーーその内容は教育、健康、政府にわたるーーーについてインタビューをした。

レオンハードからの質問:あなた方は著書で教育の重要性を強く証明されています。例を少しあげると、インドネシアでは学校の建設熱がつづいた後、収入は増加しました。台湾では学校を義務化した後、死亡率が減少しました。マラウイとケニヤでは、教育をうけた少女のあいだでは10代の妊娠が減少しました。しかしながら、いまだに教育にたいして懐疑論をいだく人がいることも事実です。そうした人たちのなかには、アフリカでは教育がひろまったのに豊かになっていないと指摘するひともいます。教育をうける機会が増えても、それが経済の成長にかならずしも結びつかないのはなぜでしょうか。

バナジー:教育への懐疑論者たちが、その代わりとなる策について検討しているかは明らかではありません。アフリカが教育に投資していなかったら何が起きていたでしょうか? 事態はさらに悪化していたのでしょうか? 私には答えがわかりません。こうした比較をしても説明が難しいのは、まさにそのためです。国ごとで見るよりも、個人で比較したほうが、教育のおかげで収入と生活の質が向上していることがわかります。

しかしながら、この論争を受けて、実際には教育がアフリカの成長を促進しなかったと仮定してみましょう。歴史上の理由がたくさんあるため、特にアフリカでは、充実した教育を普及させることが困難だったと考えています。第一に、植民支配で弱体化した国力は、アフリカの教育に投資するには不十分なものでした。アフリカの国々は、小学校高学年から中学校レベルの内容を教える人材がいないという事実にもかかわらず、大急ぎで教育制度を整えなければいけなくなったのです。一方では、植民地支配から新たに解放された市民に、教育を受けようとする向上心を抱き続けるようにと上手く伝えることができませんでした。アフリカの国々は、教育が本来の機能をはたさないまま、教育を普及させる道を選んだのです。  第二に、たまたまですが、教育に一番投資すると決めた国々のなかでも、アンゴラ、モザンビーク、セネガル、スーダンでは長く続く内乱が起きてしまいました。私が考えるところ、教育のせいでこうした内乱が生じたのではなく、植民地支配が終わり、次に何がくるのかということを人々が知らなかっただけなのです。

最後に、これは決して小さくない要因ですが、この本で述べているように、植民地風の教育にも原因があります。それは植民地に移り住んだ人々のやり方で、少数のエリートを教えるというものであり、植民地統治が終了してからの政府によって大ざっぱに決められました。でも現実には、読み書きが出来る最初の世代を大勢教育することが目標だったはずです。学校にいても子供たちが多くを学ばなかったのは当然です。

レオンハードからの質問:いい加減な広報も含まれていますが、調査によればば、すべての子供たちは学習することが可能です。また2年で学校を終えるのでなく、5年まで学ぶというような僅かな違いであっても、そこには明らかな効果があるということです。しかし明らかに、ムンバイからラゴス、そしてヒューストンいたるまで、実に多くの学校では、貧しい子供たちを教育するにあたって、いい加減な仕事をしています。感動的な結果をあげる学校と(厳しい評価を受ける学校のあいだ)の分岐点は何でしょうか。

デュフロ:それは確かに長く論じられてきた問題です。発展途上国での経験からも(例えばインドの教育NPOプラサムによって運営されている補修教育プログラムは非常に成功しています)、アメリカでの経験からも(ボストンのチャータースクールの件も、ニューヨークの貧困家庭のためのNPOハーレム・チャイルド・ゾーンも、弁明は許されないものです)、教育の質をなんとか改善することが可能だとわかります。おそらくそれほど難しいことではありません。しかしながら、ほとんどの学校では生徒を落第させています。なぜ、そうしたことが起きるのでしょうか。やる気のない公教育を非難することは簡単です。たしかに世界中で多くの貧しい子供達が在籍している私学は、もっと活発に運営されています。しかしアメリカでは、すべてのチャータースクールが質の高い教育をあたえているわけではありません。

私たちの考えでは、成功した学校で行われていることは、学校が忘れていたことなのです。あるいは知らなかったことかもしれません。それは、どの生徒にも基本的な技術を教えることを第一の目標にするべきだということなのです。ケニヤ、インド、ガーナでは、教師は今でも、レベルの異なる生徒たちに不合理なまでに厳しいカリキュラムを教えようとしています。生徒の多くは読み書きが出来るようになって1年目であり、家ではまったく勉強をみてもらえないのです。子供達の大半が第1週の終わりには来なくなってしまうにしても、カリキュラム全体を学ぶことが優先事項なのです。

なぜ親は反乱を起こさないのかと不思議に思うかもしれません。毎日、子供たちが何の意味もないことを教えられて座っているのではなく、適切なレベルの内容を教えてほしいと、親が要求しないのはなぜでしょうか。ひとつには、学校がいかにひどく運営されているかということを親が知らないせいもあります。親は、子供達の勉強内容について評価する立場にはいませんし、誰も親に評価できるのにそうした権限を与えられていないという事実を教えてくれないのです。また、教育制度全体をゆがめるエリートへのあこがれに陥っているからでもあります。子供達が一番高いレベルに到達してこそ教育には価値があると、親は思いがちです。

学校の使命について確かめることは、「使命」とは何か定義することでもあります。学校の使命とは、国による難しいテストにそなえて、クラスの大半の生徒を無視しながら、トップの生徒を育てることではありません。どの子供も核になる知識を学び、その知識をよく身につけていることなのです。

レオンハードからの質問:教育から話題を広げてみましょう。世界で一番新しく、とても貧しい国である西スーダンの新しい指導者と数分一緒に過ごすとしたら、そしてその指導者があなた方に市民の生活を改善する最善策を尋ねてきたとしたら、どんなふうに答えますか?

デュフロ:わずか数分では、細部にまで対応することができません。だから基本に焦点をあてることになります。まず第一に説得したい大切な優先事項は、貧しいひとに対する優れた社会サービスの提供にお金や能力を十分投資することです。そのサービスには、良い学校で無料で学べること、予防的な医療サービスや病院での治療を無料で受けることが含まれています。これはロケットのように華々しく見えないかもしれません。でも、こうしたサービスは人間の一番大切な権利であり、また、そのサービスから生じる結果についてもよく知られています。

2番目に説得したいことは、他の国より聡明な方法で、反貧困の政策を運営することです。とりわけ人々に勧めたいことは、他の専門家達がエレベーターの階があがるように次々と提案してくる改善策に耳をかたむけないこと、そして、こうした改善策を土台にした政策を考えないようにすることです。もちろんどこかでスタートをきることが必要ですし、ある分野の知識は、役立ちそうな政策を選ぶ際に役立ちます。しかし目標を成し遂げるにあたって最高の方法を学ぶには、さらにもっと多くのことが必要でしょう。ですから試みには常にプラスアルファのおまけをつけるように助言したいのです。そうすることでゴールに到達するのに最高のプログラムを見つけるのです。

バナジー:もっと具体的な提案が欲しがられるでしょう。そこで、すべての貧しい国で実行すべき二つの政策をあげます。12歳以上になるすべてのひとに、少額でありながら国中で使える現金をあげるのです。こうすることで保証されるのは、誰もが極貧のせいで恥をかくという事態に直面しないですむということです。私たちがまとめた結果によれば、このおかげで人々はもっと生産的にもなります。現金を国中で使えるようにするということが重要です。そうすれば人々は自分のことを貧乏人だと考えなくなるのです(ただし、貧しい国で効果的にすすめるのは難しいことです)

二番目は無料の国民健康保険制度で、健康面での最悪の事態にも対応できるものです。その制度があれば、人々は私立の病院でも、公立の病院でも診てもらうことが可能になります。健康面が危機に瀕したショックのせいで家族は経済的にも、その他の面でも非常に傷つきます。その危機は保険で保障されます。なぜならわざと自分から重病にはならないからです。一方で、こうした重い病気のみ扱う保険制度は理解することが難しいものです。とりわけ文字が読めず、例外など保険規約を読むのに慣れていない場合はなおさらです。人々は国民保険制度について本来の価値をおこうとせず、そのため市場が人々に保険を提供することも難しくなっています。これは明らかに政府が取り組まなければいけない課題です。

(Lady DADA訳・B.riverチェック)

Lady DADAのつぶやき

 学校にたいして親が物を言いにくいという雰囲気は万国共通のものなのでしょうか。

 日本も進学率や平均点に追われるだけでなく、核になる基礎知識を確実に身につけさせる意識をもってもらいたいものです(Lady DADA筆)

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レバノンでの光景

サイモン・イングラムUNICEF – At a glance: Lebanon – UNICEF supports Syrian refugees seeking safety in Lebanon

レバノンでの安全を求めるシリア難民へのユニセフからの援助

2012年4月24日、レバノンのラムにて。ため息とともに、シャイアム(安全の確保のため仮名)は、今、彼女と夫、そして五人の子供達の我が家となっている小さな部屋を眺めた。

「すべてがとても困難な状況です」シャイアムは語った。「子供達に服はありません。私たちの毎日の暮らしはこの部屋か、あるいは下に降りていって騒がしい中庭で過ごしています。

この家族が過ごしている部屋は、実は教室であり、レバノンとシリアの国境にある辺鄙な町の神学校のものであった。ラムは、不安にゆれている故郷から逃げてきたシリア難民家族を受け入れてきた集落のひとつである。

難しい適応

床には薄いカーペットがあるが、隅のストーヴには火がはいっておらず、冷たい山の空気を遮るものは何もない。1歳から15歳までのシャイアムの子供たちにとって、唯一の気晴らしはモスクに隣接したコンクリートがむきだしになっている運動場だけだ。

シャイアム一家が到着してから、年上の子供達は地元の学校に通った。しかしカリキュラムが違いすぎたため授業についてけず、すぐに行くのをやめてしまった。今では子供達が受けている授業は週ごとの芸術の授業と、ユニセフの援助を受けている近隣の町のNGOによって組織された授業だけだ。

生活は厳しいかもしれないが、少なくとも一家は安全を感じ、米やレンズ豆、国連や地元のNGOから受け取っている基本的な支給品に感謝している。  シャイアムの部屋の隣はザイナブと彼女の夫と赤ん坊が住んでいる。ザイナブが南シリアのデラから逃げたとき、まもなく娘を出産する予定だった。

幼児は薬を必要とするし、ザイナブの夫も薬を必要としていた。彼女の夫には心臓の持病があり働くことが出来ない。

「私は赤ん坊のために生き延びているの」ザイナブは話す。

滞在先の集落の好意

別のシリア人女性、オム・ハシャマンも厳しい環境に耐えるため闘っている。ハシャマン一家のシリアからの脱出は、危険、勇敢さ、恐怖のいりまじったものだった。危険な夜の旅の途中で、9歳のシャディは爆発のせいで重傷を負った。

シャディはマットレスに横たわっているが、彼の顔には砲弾の跡が残っている。手と足は包帯にまかれている。

「シャディは回復するわ」オム・ハシャマンは言う。「ここの家主はすごく親切にしてくれています。家族の一員のように扱ってくれているの。何かがなくて不自由だということもないわ」

生きるのが難しい時代であるにもかかわらず、ここ国境の地では、地元の集落がシリアからの避難民にほんの少額か無料で避難場所や日用生活用品を提供している。

「こうした集落の暖かな気持ちはーーー集落の人たちもとても貧しいのにーーー本当に注目に値する」ユニセフの代表アナマリア・ラウリーニは話す。「そしてユニセフは、国際社会とともに、今や一緒に暮らしているシリア人家族からの影響を和らげて、こうした集落を助けている。」

イスラム・センターにある家の窓から、オム・ハシャマンはシリアとの国境にある山の姿をとらえる。複雑な感情をかきたてる光景である。 「シリアに残してきた生活のことを、両親、家族、その他残してきた全てのもを考えると、涙をこらえるのが苦しくなります」彼女はそう語った。            (Lady DADA訳・B.Riverチェツク)

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老いと幸福

給料(ペイ)か、同僚(ピアーズ)か、それとも誇り(プライド)なのか

 

年配の労働者が幸せを見つけるには?

 2012年3月31日 雑誌版

 同僚より給料が少ないという意識は、幸福感に2つの影響をおよぼしている。よく知られているものはネガティヴな影響である。すなわち、給料袋が昔より薄くなると自尊心が傷つく。あまり知られていないものに、「トンネル効果」と呼ばれている影響がある。同僚が高い給料をもらっていると、自分も同じように裕福になるチャンスが増える気がしてくる。とりわけ経済成長が高く、格差が著しく、変わりやすい状況だとそうなる。

セント・アンドリュース大学のフェリックス・フィッツロイによって共同執筆された論文が、今週、ケンブリッジのロイヤル・エコノミック・ソサイエティで発表された。その論文はドイツの世帯調査のデータを引用して、この2つの影響を分類している。その調査によれば、デンマークの個々の企業においても、共産主義後の東ヨーロッパのように絶えず変化しているような経済においても、他人の収入は少なからずはっきりと、満足感全般に影響をあたえる。しかしフィッツロイのグループの理論では、高齢の労働者であろうと、自身の生涯賃金をおおよそ知っていれば、トンネル効果がずっと小さくても楽しむことになる。

データによって、この理論は実証される。同僚より賃金が少ないという幸せに対するネガティヴな影響は、45歳以下の労働者ではさほどでない。実際西ドイツでは、同僚の収入が増えることに、若い労働者は幸福を感じる。(自分たちの収入が増える場合よりも幸せになる)。45歳以上の、キャリアを確立した人々だけが、他人の成功に不幸を感じるのだ。

20歳上の65歳の人々が退職で受ける苦痛は、さらに興味深い。退職という幸せから得るものは輝かしいものではなく、ただの失業なのである。失業は幸せを損なうものと思われている。なぜなら働かないでいると、社会から期待されないということになるからだ。このアイデンディティの喪失は、失業手当によっても、余暇時間の増加によっても償うことができない。ベルリン自由大学クレメンス・ヘッチコが代表をつとめるグループも、先述したドイツの世帯調査に関するデータを使って、ロイヤル・エコノミック・ソサイエティで論文を発表した。それによれば、長期失業者のような気持ちが強くなるのは、仕事を探さなくなって退職した状態になり、社会的なノルマを達成しなくなるときだという。

仕事をしていた人が退職をした場合、幸せになるとはいえないのだ。おそらくそれまでの生活が社会から期待されることで成り立っているからである。仕事から早く退職するということは、実に、イヤな副作用がある。チューリッヒ大学のアンドレア・カーンによって共同執筆された論文では、オーストリアの労働保険規則が変わり、ある地域のブルーワーカーだけが早く退職するようになったときの事例が報告されている。1年早く退職する男性は、67歳まで生きる確立が13パーセント減少する。この高い死亡率の3分の1は、仕事がなくなることにより退職においこまれた人々に集中し、喫煙とアルコール摂取により引き起こされた。もし読者がなんらかの仕事についているならば、たとえそれが低賃金のものであっても、その仕事にしがみつかなければいけないのだ。

              The Economist  2012年3月31日から4月6日号

 

 ・この記事を読んだ読者からの感想 その1  The Economist HPより

 割り切りすぎた記事だと思います。人生はもっと複雑で、こうしたカテゴリーに簡単に図式化できるものではありません。社会の期待にこだわらないで生きようと選択した人にとってお金とはより良い人生をすごすためのものであり、同僚にひっぱられている人とでは金銭感覚が違います。お金の見返りを考えないで生きるなら、いろいろなことに関心を持って、もっと創造的に、もっと時間をかけて真実と間違いを見極めることができるでしょう。たとえ他のひとが大切にしているものの大半を失うとしても、こうした生き方を夫とともに歩む。それこそが私には価値があることなのです。

この記事を読んだ読者からの感想 その2 The Economist HPより

歳を重ねることの利点はーーーいまいましいことに唯一の利点だがーーー天の恵みとして仕事を見るようになることだ。わたしはある法人のCEOだったので、すべての人の夢はわかる。すなわち50歳でお金をたくさん手にして退職すること。つまらないことだ。

  来る日も、来る日も大工仕事をして退屈な時間を過ごして、心が麻痺してしまった夏のことを思い出す。私は大工仕事で木材をたくさんカットした。ボランティア的なもので、好きな仕事だったのだが、むなしい時が残った。やはり私も生活のリズムが必要な哀れな魂の持ち主なのだ。―――「明日の九時に私は何をしなければいけないのだろう」と。

 ここにきて運命の女神の気まぐれで教える仕事についた。教室で1年を過ごすことになり、2011年度も終わろうとしている。

  私は今70歳にさしかかり、退職について言われることもあるが(妻のせりふときたら「夫との時間を倍にしたい、お金は半分でいいから」なので)、でも、ためらう気持ちがある。毎週日曜日の午後になると、私はいつもかごの中の動物のように家の中を行ったり来たりして、1日に8時間、人々とチャレンジする生活に戻ろうとする。

  同僚のなかでも、私がこの仕事に一番適している。傲慢に聞こえるだろうが、私は経済学を教え、実務経験もゆたかだ。かたわらで教えている若者のように伸びていくことはないが、心配をかけることはない。若者を愛しているし、彼らを楽しませるだけの飴は持ちあわせている。

  本当のところ、私の歳で退職することに不安もある。私の知り合いの男性達たちは皆、だんだん気難しくなったり、強迫観念に取り付かれたように(楽しむでもなく)旅行をしたり、静かな自暴自棄におちいったりしている。彼らの奥さんたちは家庭のそとでつきあいがあり、数十年間にわたって社会生活に適応してきている。一方、偏屈な爺さんである彼らときたら、朝読んだ新聞記事に怒って逆上するくらいしか仕事がない。

  この年齢で働くことは、私にとって幸せを高め、自己評価を高めることである。もし私より働く人がいるにしても(確かにいるが)、それはお金の必要があってのことーーーでも、私は違う。

 今年の秋、私は教職に戻る。いつまでも退屈な日々を続けるということは、いわば大砲の銃身を見下ろしたまま、鉄のかたまりが魂に飛んでくるのを待つようなものだから。

 失業状態にある人々に対しては、私は同情を感じる。この記事の記者は非常に正確だ。失業に関する調査は、偏見のないものであっても(ほとんどは偏見にみちているが)、世界で役割を果たしているという感覚に代わるものではないからだ。

  本誌の若い読者は頭を振って、私の記事にこう言うだろう。「なんて忌々しい爺だ。こっちはチャンスをつかんだばかりなのに!」しかし、60歳になり斜陽の下り坂にさしかかる頃には、私がその歳で見つけたことを理解するだろう。

 すなわち仕事とは、人生にあたえられた天の恵みなのだと。

 

・この記事を読んだ読者からの感想 その3 The Economist HPより 

  若い世代の多い発展途上国では、退職は58歳の若さでしなければなりません。退職時に考えられる唯一の選択は自分で仕事を始めることですが、これは忙しさを保つためでもなければ、幸福を保つためでもなく、心を和ませるためでもありません。ただ経済を支えるためのものです。他の選択肢がなくてよかったのかもと思うこともあります。

 

・この記事を読んだ読者からの感想 その4 The Economist HPより 

 この記事には健康保険についての言及がありません。私の国アメリカでは、雇用者が基盤となっている保険システムと天にまで届きそうなくらい高い医療費のせいで、失業することや安い給料で雇用されることは死の宣告になるのです。

もう生活していけないのに、周囲から金銭的なことを期待されて生活するのは厳しいです。

 引用元: Age and happiness: Pay, peers and pride | The Economist

 (記事・感想ともLady DADA訳・River監修)

 

Lady DADAのつぶやき・・・内閣府の第6回高齢者の生活と意識に関する調査で、各国高齢者の就労理由を見てみると、ドイツ・フランスでは「仕事そのものが面白いから」が上位に、アメリカ、韓国、日本では「収入が欲しいから」が上位にあがっています。ちなみに仕事が面白いからという高齢者の割合ですが、日本はフランス・ドイツの半分にすぎませんでした。

 ラテン語で労働という言葉travailはもともと人間を串刺しにする拷問の道具を意味するものであり、労働とは作業をやりとげるときに感じる苦しみのことでした。これとは対照的に、もう一つのラテン語の言葉labor(労苦)は職人や芸術家の仕事を意味しています。キリスト教では原罪の罰として与えられた労働が、肯定的な価値を持つようになったのはルネッサンス期以降だそうです。

 どうすれば労働が苦しみtravailから、肯定的なlaborに変わるのでしょうか?労働の本質とは、”Less work, more money!”(より少なく働いて、より多くの収入を!)であると思いたいLady DADAにとっては辛い時代です。(Lady DADA筆)

 

 

カテゴリー: 労働問題, 高齢者の労働問題 | コメントする