アメリア・B・エドワーズ「あれは幻影だったのか、それとも……? ある司祭の報告」No.6

「グレイハウンド」は、こぢんまりとした宿屋だった。小さなパーラーには小農場主と思われる二人連れと若い男がひとりいて、その男はソーレイの家畜の餌場を旅していると紹介してきた。そのパーラーでわたしは夕食をとって、手紙を何通か書き、あいまに宿の主とおしゃべりをしながら、行く手に伝わる地元のうわさをあつめた。

どうやらピット・エンドには、そこに住んでいる司祭はいないようだった。現在の司祭は三つの小さな村から聖禄を得て、輪番の副牧師に助けてもらい、気楽に任務をはたしていた。ピット・エンドは、いちばん小さな、辺鄙なところにある村なので、毎週日曜日に礼拝をあげるだけで、ほとんど副牧師に任されていた。地主は不在地主で、司祭よりも不在期間が長かった。彼はおもにパリに住み、ピット・エンドの炭田で得た富を海外でつかっていた。

だが、たまたま地主は丁度そのとき帰郷していた。宿屋の主の話によれば、五年間も留守にしていたらしい。だが来週になれば、ふたたび旅立つことになる。そうなれば、もう五年間経過しないと、ブラックウォーター・チェイスに彼の姿を見ることはない。

ブラックウォーター・チェイス! その名は初耳ではなかった。だが、どこで聞いたのか思い出せなかった。宿屋の主は話し続けた。長いあいだ留守にはするけれど、ウォルステンホルム氏は人好きのする紳士であり、申し分のない地主だ。ブラックウォーター・チェイスは淋しい、地の果てにあるような土地だから、若い方にすれば田舎に埋もれるようなものだ。そのとき、わたしはベイオル学寮にいたフィル・ウォルステンホルムを即座に思い出した。昔、彼がブラックウォーター・チェイスでの狩猟に招いてくれたことがあった。十二年前、ウォダムカレッジで研究にはげんでいた頃のことだ。ウォルステンホルムは或る学生集団の中心人物でーわたしはその集団には属していなかったがー、ボートを漕いだり、賭け事にいそしんだり、詩を書いたり、ベイオル学寮でワインパーティをひらいたりしていた。

The ‘Greyhound’ was a hostelry of modest pretensions, and I shared its little parlour with a couple of small farmers and a young man who informed me that he ‘travelled in’ Thorley’s Food for Cattle. Here I dined, wrote my letters, chatted awhile with the landlord, and picked up such scraps of local news as fell in my way.

There was, it seemed, no resident parson at Pit End; the incumbent being a pluralist with three small livings, the duties of which, by the help of a rotatory curate, he discharged in a somewhat easy fashion. Pit End, as the smallest and furthest off, came in for but one service each Sunday, and was almost wholly relegated to the curate. The squire was a more confirmed absentee than even the vicar. He lived chiefly in Paris, spending abroad the wealth of his Pit End coal-fields.

He happened to be at home just now, the landlord said, after five years’ absence; but he would be off again next week, and another five years might probably elapse before they should again see him at Blackwater Chase.

Blackwater Chase!-the name was not new to me; yet I could not remember where I had heard it. When, however, mine host went on to say that, despite his absenteeism, Mr Wolstenholme was ‘a pleasant gentleman and a good landlord’, and that, after all, Blackwater Chase was ‘a lonesome sort of world-end place for a young man to bury himself in’, then I at once remembered Phil Wolstenholme of Balliol, who, in his grand way, had once upon a time given me a general invitation to the shooting at Blackwater Chase. That was twelve years ago, when I was reading hard at Wadham, and Wolstenholme-the idol of a clique to which I did not belong-was boating, betting, writing poetry, and giving wine parties at Balliol.

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2019.01.21 隙間読書 平井呈一「真夜中の檻」よりエッセイ&東雅夫氏の解説

* 平井呈一の怪談にまつわるエッセイについて

「真夜中の檻」に収録されている平井呈一の怪談にまつわるエッセイを読む。平井は「読むそばから筋も人物も忘れてしまうほうときているから、解説者にはいちばん不向きな人間」とみずからを語るが、平井のエッセイは古今東西それぞれの作家の魅力、位置づけをわかりやすく語ってくれる。そのなかでも印象に残った箇所を以下にメモ。


このゴシック・ロマンスの正統派であるという点にレ・ファニュのいいところも悪いところもあるのであって、じつはゴシック・ロマンスの伝統をどう踏み切るか、そこが恐怖小説として近代を踏み切るか踏み切らぬかの分かれ目になるところだと思う。ポオはそれを宇宙的概念と幾何学的推理によって、みごとに踏み切った。(途中略)残念ながらレ・ファニュはそうした新しさは持っていないかわりに、正統派としては断然他を圧している、無二の存在であることは否むことができない。


ダーレスはまた、ラヴクラフトの叙述の妙をたたえているが、ポオに匹敵するこうせいえの緊密、語彙の豊富もさることながら、その最も著しい特色は叙述が極めてリアリスティックな点であろうと思う。異次元の世界の恐怖を、かれは克明にリアリスティックに描写する。おなじ異次元の恐怖でも、マッケンなどは恐怖の本体をなるべく暗示するだけにとどめて、読者の無意識の恐怖を誘うやり方で行くが、ラヴクラフトはその異次元の恐怖を明細すぎるほど鮮明に描写して、目のあたり読者の意識的恐怖を強いるのである。


これは「幽霊屋敷」というより「化物屋敷」に属するのかもしれないが、江戸時代の国学者、神道家の平田篤胤に、「雷太郎物語」という戯作があります。これは誰もまだ何も言っていませんが、じつにおもしろいものです。(途中略)あの「玉欅」や「古字解」の著者のきちがい爺さんに、こんなラヴクラフト何するものぞと言いたくなるくらいの奇想天外なー草双紙の陰湿な血なまぐさいファンタジーとはまったく違う、神道家らしいカラッとしたファンタジーがあるのがおもしろくて、わたしは珍重しているが、篤胤にはほかに「天狗かくし」の子供の刻銘な聞き書きなどもあって聞き手がそういう怪異を信じきっているので、じつにおもしろい記録となっています。


*「真夜中の檻」東雅夫氏による解説について

東氏は、平井呈一が早大英文科に入学してから経済的理由で退学する二年間を中心に、大正八年から十三年までの幻想文学の動きを分かりやすく年表にまとめてくれている。さらに大正時代の幻想文学の動向について生き生きと語る東氏の文を読んでいくうちに、こうした本を楽しみにして書店通いをした平井呈一の姿がしぜんと浮かんできた。


芥川龍之介・佐藤春夫・谷崎潤一郎という文壇の麒麟児が競い合うかのように怪奇幻想小説の筆を執る一方、後に怪奇幻想小説の牙城となる「新青年」が呱々の声をあげ、泉鏡花・岡本綺堂・国枝史郎・鈴木泉三郎が江戸伝奇文芸復興の狼煙をあげれば、稲垣足穂や小川未明や宮沢賢治が国産ファンタジーの原点にして頂点ともいうべき著作を世に問う。

またこの時期、西条八十、堀口大學、上田敏、片山廣子(松村みね子)、矢野目源一、日夏耿之介といった学識と文藻を兼ね備えた個性的翻訳家たちが排出し、西欧幻想文学の精華を流麗な訳文で移入しているのも見逃せないところだ。

若き日の呈一は、そんな百花、いや百鬼繚乱の幻想庭園に、無我夢中で飛び込んでいったのだろう。あたかも、ウェールズの古さびた山河に惑溺するルシアン・テイラーさながらに……。(「真夜中の檻」東雅夫氏の解説より)


東氏の解説によれば、平井呈一が佐藤春夫に伴われ、永井荷風宅を初めて訪れたのは昭和10年2月2日のこと。年齢を計算したら、平井呈一32歳、佐藤春夫42歳、永井荷風55歳のときである。この場面には関係ないが、当時、泉鏡花は61歳である。


東氏の解説を乱暴にまとめれば、それから2年もしない昭和12年11月に、平井呈一は「文学」誌上に永井荷風論を発表、「そこに並々ならぬ教養と文学的センスを認めた荷風が、自らの良き理解者として好感を抱き」、両者の蜜月関係は始まり、平井は荷風の代筆などを任されるようになる。

昭和14年に贋作事件が発覚。平井呈一が偽筆した荷風の書や原稿を、猪場毅が売りさばいていたことがわかる。

ただ事件後、荷風は黙認にちかい態度を示していたそうだが、昭和16年の暮れに事態は一変。昭和17年3月7日、両者の関係は完全に途絶えたそうだ。東氏は、このすれ違いに至った原因を平井の金銭賃貸問題や急な転居に不信をつのらせた荷風が引導をわたした……と説明されていたが、はたしてそうだろうかとも思う。


荷風が平井呈一の贋作事件を題材にした「来訪者」についても、東氏は解説でふれている。「来訪者」のなかの言葉「白井は鏡花に私淑してゐるのかね」の箇所に、白井(平井呈一がモデル)の鏡花への傾倒ぶりに焦り、怒って、狼狽える荷風の思いを感じる。

荷風と平井呈一の関係がこじれた昭和16年には、2年前に亡くなってはいるが鏡花の全集刊行が始まっていたということも関係しているるのではないだろうか? 鏡花も、荷風も全集はすでに出ていたが、鏡花の方がそれまでの全集刊行の回数は多い。最初は鏡花を評価し、三田文学に紹介した荷風だけれど、没後も全集が刊行される鏡花に嫉妬をおぼえ、鏡花に私淑する平井呈一との関係が悪化した……ということはないだろうか?

昭和9年9月16日の断腸亭日常に、人から聞いた話として「泉鏡花氏は先師紅葉山人の遺品は落語家のものとは同列に陳列しがたしとして、出品を拒絶せしと云ふ。鏡花氏の褊狭寧笑ふべし」と書いているくらいだから、荷風は鏡花にあまりいい感情をもっていなかったのでは……?と思う。

優秀な愛弟子・平井呈一が、自分とはあまり歳がかわらないけど、自分よりも世間に評価されている鏡花に私淑している……という事実に荷風はショックをうけたのでは? 当時、刊行されていた鏡花全集の話題がでたときに平井の鏡花への傾倒に気がつき、荷風としては非常に頭にきたのでは? でもそんな心の狭い時分を世間にみせるのはさすがに恥ずかしいから、もっともな贋作事件で平井呈一を攻撃した……という気がするのだが、事実はどうなのやら?


「断腸亭日常」昭和10年4月17日には、こう記されている。

此日午後電話にて神田の一誠堂に注文し、和訳ハアン全集を購ふ 金八十円 余が少年時代の日本の風景と人情とはハアンとロチ二家の著書中に細写せられたり。老後この二大家の文をよみて余は既往の時代を追懐せむことを欲するなり

荷風が平井呈一と初めて出会った昭和10年2月2日から二カ月もたっていない此の日、当時の大卒初任給に匹敵するほどのハーン全集を買ったのは偶然だったのだろうか? 荷風がハーン全集を買ったのも、平井呈一がハーン全集を訳したのも、ふたりの楽しいひとときがあったからでは……と答えのでない想像をめぐらして頁をとじる。

2019.1.21読了

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アメリア・B・エドワーズ「あれは幻影だったのか、それとも……? ある司祭の報告」No.5

彼はどうなったんだ? それから、あの若者は何者だろう。わたしが通ってきたばかりの道をやってくるじゃないか? 若者は長身で、駆けたかと思えば歩いて、釣り竿を一本肩にかついでいる。 誓ってもいいが、あの若者に出くわしたこともなければ、追いこした覚えもなかった。では、若者はどこから来たのか? それに、 話しかけてから三秒もたっていないのに、あの男はどこにいったのか? しかも片足をひきずりながら歩いているのだから、二ヤードも進めないはずではないか? 茫然とするあまり、わたしは立ちつくしたまま、釣り竿をかついだ若者が庭園の塀の影に消えるまで、その姿を見おくった。

わたしは夢をみているのだろうか?

暗闇が、ほどなくして忍びよってきた。夢をみているにせよ、夢をみていないにせよ、前に進まなくてはいけない。そうしなければ行き倒れてしまう。わたしは急いで前方へと歩きだし、日没間際のかすかな日の光に背をむけると、踏み出すことに深くなっていく霧の中へと飛び込んでいった。しかしながら、旅の終わりは近づいていた。フットパスは回転木戸のところで終わっていた。小道の奥ではー小石や轍によろめきながら、私は小道を歩いたー、鍛治場の炉から、歓迎の閃光が見えてきた。

それなら、ここがピット・エンドだ。乗ってきた馬車が、村の宿屋の入口のところにとめられている。灰色のやせ馬は、夜の間、家畜小屋にいれられるのだろう。宿屋の主人がわたしが到着する様子をながめていた。

What had become of him? And what lad was that going up the path by which I had just come-that tall lad, half-running, half-walking, with a fishing-rod over his shoulder? I could have taken my oath that I had neither met nor passed him. Where then had he come from? And where was the man to whom I had spoken not three seconds ago, and who, at his limping pace, could not have made more than a couple of yards in the time? My stupefaction was such that I stood quite still, looking after the lad with the fishing-rod till he disappeared in the gloom under the park-palings.

Was I dreaming?

Darkness, meanwhile, had closed in apace, and, dreaming or not dreaming, I must push on, or find myself benighted. So I hurried forward, turning my back on the last gleam of daylight, and plunging deeper into the fog at every step. I was, however, close upon my journey’s end. The path ended at a turnstile; the turnstile opened upon a steep lane; and at the bottom of the lane, down which I stumbled among stones and ruts, I came in sight of the welcome glare of a blacksmith’s forge.

Here, then, was Pit End. I found my trap standing at the door of the village inn; the rawboned grey stabled for the night; the landlord watching for my arrival.

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アメリア・B・エドワーズ「あれは幻影だったのか、それとも……? ある司祭の報告」No.4

それまで、わたしは生きている人間に合うことなく、道を訊くこともできなかった。だからこそ、霧のむこうから一人の男があらわれ、小道をやってくるのに気がついたときには、心の底から安堵した。たがいの距離が縮まるにつれて―急ぎ足のわたしとはちがい、彼の歩みは遅々したものだった-、相手の左足が不自由で、足をひきずって歩いていることに気がついた。しかしながら周囲は暗く、霧がたちこめていたので、たがいに十二ヤードの距離に近づくまで、彼が黒い服を着ていることにも、英国国教会のフェルトの帽子のようなものを被っていることにも気づかず、それでいて英国国教に異議を唱える牧師のような何かに見えることにも気づかなかった。声が届く距離まで近づくとすぐに、彼に声をかけた。

「道を訊きたいんですが」わたしはいった。「ピット・エンドはこの方向で大丈夫ですか? あとどのくらい歩かないといけませんか?」

まっすぐ前方をみつめたまま、彼は進んだ。だが、わたしの問いかけには何の反応もしめさなかった。わたしの言葉が耳に届いていないことは疑う余地もない。

「すみません」わたしは声をはりあげた。「この道を行けば、ピット・エンドにつきますか? もし、そうなら-」

彼は通り過ぎたが、足をとめることもなく、一顧だにしなかった。気がついていないといってもいいだろう。

言いかけた言葉をのみこんで、わたしは立ちどまった。それから後ろをふりかえって、彼を追いかけようとした。

だが追いかけるかわりに、わたしは呆気にとられて立ちつくした。

 

Up to this moment I had not met a living soul of whom to ask my way; it was, therefore, with no little sense of relief that I saw a man emerging from the fog and coming along the path. As we neared each other-I advancing rapidly; he slowly-I observed that he dragged the left foot, limping as he walked. It was, however, so dark and so misty, thatt not till we were within half a dozen yards of each other could I see hat he wore a dark suit and an Anglican felt hat, and looked something like a dissenting minister. As soon as we were within speaking distance, I addressed him.

‘Can you tell me’, I said, ‘if I am right for Pit End, and how far I have to go?’

He came on, looking straight before him; taking no notice of my question; apparently not hearing it.

‘I beg your pardon,’ I said, raising my voice; ‘but will this path take me to Pit End, and if so’—He had passed on without pausing; without looking at me; I could almost have believed, without seeing me!

I stopped, with the words on my lips; then turned to look after-perhaps, to follow-him.

But instead of following, I stood bewildered.

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アメリア・B・エドワーズ「あれは幻影だったのか、それとも……? ある司祭の報告」No.3

フットパスは岩がむきだしの、石垣がめぐらされた傾斜地へとのびていた。そこには崩れた小屋が散見され、高さのある鉱柱や、黒ずんだ灰の山が、ひとけのない鉱山の風景のなかに残されていた。かすかな霧が東の方からたちこめてきたのも束の間、すぐに闇が深くなった。さて、こんな場所で、こんな時間に道を見失えば、途方にくれるのは間違いない。フットパスは、踏み跡も消えかけているから、もう十分もすれば、識別できなくなるだろう。不安にかられて先のことを考えつつも、どこかに家らしい影が見えるかもしれないという期待をいだき、次々に石を蹴飛ばして急ぎ歩くうちに、屋敷の庭をかこんでいる柵にぶつかった。柵ぞいにすすむうちに、頭上には葉をおとした枝が広がり、足もとでは枯れ葉が乾いた音をたてた。ほどなくして小道が分かれている地点にきた。片方の道は柵ぞいにつづき、もう片方の道は出入り自由な牧草地のほうへとのびていた。

どの道をすすめばいい?

柵ぞいに歩いていけば、門番の小屋がきっとあるだろうから、そこでピット・エンドへの道を尋ねることができるだろう。でも、この屋敷の庭がどのくらい広いのか見当もつかないから、ずいぶん歩いた挙げ句、ようやく一番近い門番の小屋に着くことになるかもしれない。では、草地の小道はどうかと考え直してみたが、この道もピット・エンドへは行かないで、まったく正反対の方向にむかうことになるかもしれない。だが、躊躇している時間はなかった。そこで牧草地の道を選んだが、その道のむこうは、白くぼんやりとした霧のなかに消えていた。

It led me across a barren slope divided by stone fences, with here and there a group of shattered sheds, a tall chimney, and a blackened cinder-mound, marking the site of a deserted mine. A light fog, meanwhile, was creeping up from the east, and the dusk was gathering fast.

Now, to lose one’s way in such a place and at such an hour would be disagreeable enough, and the footpath-a trodden track already half obliterated-would be indistinguishable in the course of another ten minutes. Looking anxiously ahead, therefore, in the hope of seeing some sign of habitation, I hastened on, scaling one stone stile after another, till I all at once found myself skirting a line of park-palings. Following these, with bare boughs branching out overhead and dead leaves rustling underfoot, I came presently to a point where the path divided; here continuing to skirt the enclosure, and striking off yonder across a space of open meadow.

Which should I take?

By following the fence, I should be sure to arrive at a lodge where I could enquire my way to Pit End; but then the park might be of any extent, and I might have a long distance to go before I came to the nearest lodge. Again, the meadow-path, instead of leading to Pit End, might take me in a totally opposite direction. But there was no time to be lost in hesitation; so I chose the meadow, the further end of which was lost to sight in a fleecy bank of fog.

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アメリア・B・エドワーズ「あれは幻影だったのか、それとも……? ある司祭の報告」No.2

三ヶ月ほどのあいだ、わたしはこの地域で任務につくことになった。やがて冬も間近にせまる頃、ピット・エンドへと初めて視察に赴いた。ピット・エンドは辺境にある小さな村で、私の任地のなかでも最北の地に位置し、最寄りの駅からはちょうど二十二マイルのところにあった。ドラムリーと呼ばれているところで一晩眠り、午前中にドラムリーの学校を視察すると、わたしはピット・エンドを目指した。鉄道で十四マイルほど進み、小さな丘陵のつづく道を二十二マイル行ったところに、わたしの旅の終着点はあった。とうぜんのことながら、出発するまえに、できるかぎり全てのことを照会しておいた。だがドラムリーの校長にしても、ドラムリーの地主「フェザーズ」にしても、ピット・エンドについては名前以上のことは知っていなかった。前任者は見たところ、他の道からピット・エンドにむかうようにしていたようである。その道は遠回りになるけれど、あまり丘陵地帯を通らない道であった。その地には自慢のパブがあることはたしかであったが、それにしても有名というには程遠く、わたしをもてなしてくれたフェザーズ家の人たちにしても知識は皆無であった。居心地が快適なのか、よくないのかは不明ながら、そのパブに泊まるしかなかった。

わずかな知識をたよりに、わたしは出発した。十四マイルほどの鉄道の旅は、ほどなくしてブラムスフォード・ロードという名の駅で終わりになった。そこから乗客たちは乗り合い馬車にゆられて、ブラムズフォード・マーケットという名の、寂れた、小さな街にたどり着いた。そこで待ち受けていたのは、わたしを目的地へと運んでくれる一頭の馬と小さな馬車であった。その馬ときたら骨格がわかるほど痩せこけて駱駝のような有様、馬車も今にもがたがきそうな、一頭でひくだけの二輪のギグ馬車で、おそらく若いときには商用の旅に使われてきたものなのだろう。ブラムズフォード・マーケットからの道が目指すのは丘陵地帯で、そこは不毛の、高所の台地であった。曇天の、肌寒い十一月なかばの午後、一層どんよりと、ひえびえとしてきて、日の光も力なく、東から突き刺すように風が吹いてきた。「ここから、どのくらい離れているのかい?」御者にそう訊ね、わたしが馬車をおりたのは丘陵地帯の上り口で、かつて通り過ぎてきた場所よりも、山がどこまでもつづき、手ごわそうであった。

御者は麦わらを口にふくみ、「四か五マイル」というような意味の言葉をつぶやいた。

それから、その言葉をたしかめるために、御者が「トウルド・トウラス」といっていた地点でおりた。フットパスをたどって原野を横切れば、かなりの近道になるだろう。そこで残りの道も歩くことにした。かなりの速さで歩いたので、あっという間に御者も、馬車も後方に引き離した。丘の頂までくると馬車の姿はもう見えなかった。やがて道ばたに小さな廃墟がみえーー昔の税金の徴収所跡だとすぐにわかったーー、迷うことなくフットパスを見つけた。

I had been in possession of this district for some three months or so, and winter was near at hand, when I paid my first visit of inspection to Pit End, an outlying hamlet in the most northerly corner of my county, just twenty-two miles from the nearest station. Haying slept overnight at a place called Drumley, and inspected Drumley schools in the morning, I started for Pit End, with fourteen miles of railway and twenty-two of hilly cross-roads between myself and my journey’s end. I made, of course, all the enquiries I could think of before leaving; but neither the Drumley schoolmaster nor the landlord of the Drumley ‘Feathers’ knew much more of Pit End than its name. My predecessor, it seemed, had been in the habit of taking Pit End ‘from the other side’, the roads, though longer, being less hilly that way. That the place boasted some kind of inn was certain; but it was an inn unknown to fame, and to mine host of the ‘Feathers’. Be it good or bad, however, I should have to put up at it.

Upon this scant information I started. My fourteen miles of railway journey soon ended at a place called Bramsford Road, whence an omnibus conveyed passengers to a dull little town called Bramsford Market. Here I found a horse and ‘trap’ to carry me on to my destination; the horse being a rawboned grey with a profile like a camel, and the trap a ricketty high gig which had probably done commercial travelling in the days of its youth. From Bramsford Market the way lay over a succession of long hills, rising to a barren, high-level plateau. It was a dull, raw afternoon of mid-November, growing duller and more raw as the day waned and the east wind blew keener . . . ‘How much further now, driver?’ I asked, as we alighted at the foot of a longer and a stiffer hill than any we had yet passed over.

He turned a straw in his mouth, and grunted something about ‘fewer or foive mile by the rooad’.

And then I learned that by turning off at a point which he described as ’t’owld tollus’, and taking a certain footpath across the fields, this distance might be considerably shortened. I decided, therefore, to walk the rest of the way; and, setting off at a good pace, I soon left driver and trap behind. At the top of the hill I lost sight of them, and coming presently to a little road-side ruin which I at once recognized as the old toll-house, I found the footpath without difficulty.

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アメリア・B・エドワーズ「あれは幻影だったのか、それとも……? ある司祭の報告」No.1

アメリア・B・エドワーズ

 これから話す出来事に遭遇したのは今から十八年ほど前のことで、当時、わたしは視学官として女王陛下に仕えていた。今でも地方の視学官はひっきりなしに移動するものだが、わたしはまだ若く、常に移動する生活を楽しんでいた。
ただ、あまり心地よくない地域も実に多く、そうした地にいると、無給の司祭は喜びとなるものを蔑むようになり、骨の折れる日々を送ろうとするのかもしれない。辺鄙な地では余所者はめずらしく、年に一度の視学官の訪問は大切な出来事である。だから長い一日の仕事を終え、田舎のパブで静かな時を過ごしたくても、たいていの場合、司祭や名士から客として迎えられる予定になっている。こうした機会を利用するかは視学官次第だ。もし心地よく感じたなら厚誼をむすび、英国の家庭生活のもっとも魅力的な面にふれることになる。そして時折、ありふれたことばかりが多い昨今でさえ、運に恵まれて意外な出来事に出会うこともある。
最初の任地は英国の西の地方で、友人や知り合いが大勢住んでいた。そのせいで後に困惑する羽目になったのだが、二年にわたる快適な勤務を終えると、政治家が「新開地」とよく言っていた北の地に赴くことになった。不運にも、わたしの新開地は草が生い茂り、住んでいる者もあまりなく、広さは千八百平方マイルに満たない土地であった。それでも前の赴任地の三倍はあり、広さに比例して御し難くなった。不毛の丘ふたつが直角にまじわり、鉄道の主要路線からもかなり遠かったので、その地方には思いつく限りの、あらゆる不便さが結集していた。村と村のあいだは離れ、しばしばムーアのせいで分断されていた。列車のあたたかなコンパートメントや点在するマナーハウスのかわりに、当時、わたしは貸し馬車や人気のないパブで時をなかばやり過ごした。

Was it an Illusion? A Parson’s Story

The facts which I am about to relate happened to myself some sixteen or eighteen years ago, at which time I served Her Majesty as an Inspector of Schools. Now, the Provincial Inspector is perpetually on the move; and I was still young enough to enjoy a life of constant travelling.

There are, indeed, many less agreeable ways in which an unbeneficed parson may contrive to scorn delights and live laborious days. In remote places where strangers are scarce, his annual visit is an important event; and though at the close of a long day’s work he would sometimes prefer the quiet of a country inn, he generally finds himself the destined guest of the rector or the squire. It rests with himself to turn these opportunities to account. If he makes himself pleasant, he forms agreeable friendships and sees English home-life under one of its most attractive aspects; and sometimes, even in these days of universal common-placeness, he may have the luck to meet with an adventure.

My first appointment was to a West of England district largely peopled with my personal friends and connections. It was, therefore, much to my annoyance that I found myself, after a couple of years of very pleasant work, transferred to what a policeman would call ‘a new beat,’ up in the North. Unfortunately for me, my new beat-a rambling, thinly populated area of something under 1,800 square miles-was three times as large as the old one, and more than pro-portionately unmanageable. Intersected at right angles by two ranges of barren hills and cut off to a large extent from the main lines of railway, itunited about every inconvenience that a district could possess. The villages lay wide apart, often separated by long tracts of moorland; and in place of the well-warmed railway compartment and the frequent manor-house, I now spent half my time in hired vehicles and lonely country inns.

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2019.01 隙間読書 西崎憲「東京の鈴木」

「万象」収録


「東京の鈴木」というタイトルから連想するものは何だろうか? 平凡さ、どこにでもいるような人たち……だろうか。

 でも読んですぐにその思いは覆される。冒頭から硬質な、でもそれでいて詩的な文に驚く。

端正な文を心地よく読んでいくと、「トウキヨウ ノ スズキ」という人物から警視庁に届いたカタカナのメールに出会い、そこでまた驚く。簡潔すぎるくらい簡潔なカタカナのメールは、不思議な詩のようだ。

「トウキヨウ ノ スズキ」が届いたあとに起きる不思議な事件は絵画のように心に残って、私たちの心中の願望やら不満やらを優しく、でもユーモアをこめて語ってくれる。「ああ、そう願っていた」と自分の内なる思いに気がついて驚く。

不思議な事件がおさまったかと思いきや、最後の一文で「また何かがはじまりそう」という期待感をいだく。

「東京の鈴木」という平凡なタイトルをいだく此の作品には詩があふれている。硬質な文にも、カタカナのメールにも、私の心の願望を実現してくれたような事件にも、新たな歴史を予感させる最後の一文にも……タイトルからは思いもよらない、あふれでる詩想に心穏やかになる。

そして「東京の鈴木」が収録されている「万象」はとても丁寧なつくりの電子書籍である。さらに各短編の扉に記された手書きのタイトルが、電子書籍にあたたかみを添えていて、細かなところまで行き届いた配慮に感謝しつつ頁をとじる。

2019.0103

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2018.01 隙間読書 平井呈一「エイプリル・フール」

このテーマの小説といえば、何故か、どこか不気味なものというイメージがあった。それが見事うれしいことに「エイプリル・フール」で覆った。

(以下、ネタバレの可能性あり)

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ジョージ・エリオット「ミドルマーチ」第一巻第一章(No.9)

訳)

ブルック氏の身体には清教徒的な行動力が代々受けつがれてきたのだが、その力もあきらかに沈滞していた。だが姪のドロシアの心には、清教徒的な思いが真っ赤に燃え、それは罪にたいしても、徳にたいしても同様で、時々、叔父の話しぶりや「放っておけばいい」という態度にじりじりとしては、早く成年に達して、思いやりのある計画にお金をだせるようになりたいと切望した。彼女は、女子相続人として見なされていた。姉妹がそれぞれ両親の遺産から年に七百ポンドを得ていたせいだけではなかった。もしドロシアが結婚して息子をひとり生んだなら、その息子はブルック氏の財産を相続することになるからである。それは地代から推定で一年に三千ポンドほどのもので、地方の人々にとっては富とも言える金額だった。この地方の人々ときたら、いまだにカソリックの質問に関するピール氏のふるまいについて論議している有様で、これから何処が金鉱地になるのかということについても知らず、煌びやかな金権政治についても、そうした政治が褒めたたえてきた上流社会という必要品について無知であった。

原文)

In Mr Brooke the hereditary strain of Puritan energy was clearly in abeyance; but in his niece Dorothea it glowed alike through faults and virtues, turning sometimes into impatience of her uncle’s talk or his way of “letting things be” on his estate, and making her long all the more for the time when she would be of age and have some command of money for generous schemes. She was regarded as an heiress; for not only had the sisters seven hundred a-year each from their parents, but if Dorothea married and had a son, that son would inherit Mr Brooke’s estate, presumably worth about three thousand a-year – a rental which seemed wealth to provincial families, still discussing Mr Peel’s late conduct on the Catholic question, innocent of future gold-fields, and of that gorgeous plutocracy which has so nobly exalted the necessities of genteel life.

サー・ロバート・ピール

コメント)

サー・ロバート・ピールはイギリスの政治家だが、ミドルマーチが書かれる二十年ほど前に亡くなっている。そのくらい時代遅れの政治家だということだろう。登場人物について収入から緻密に書こうとするジョージ・エリオットの作風にはあまり魅力を感じない。だが当時のイギリスの社会を知るという点では魅力がある。

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