再訳 サキ「耐えがたきバシントン」№9

フランチェスカの夫は強く言い張って、その少年に聞いたこともないパガンの名前をつけたけれど、あまり長く生きなかったものだから、少年の名の適切さを……と言うよりも、意義について判断をくださすことはきなかった。十七年と数ヶ月のあいだに、フランチェスカも息子の性格について見解をいだく機会はたっぷりあった。陽気な心が名前から連想されることもあり、たしかにそのせいで少年は放縦なところがあった。だがそれはねじ曲がって我儘なところのある陽気さであったので、フランチェスカにしたところでユーモラスを感じることはめったになかった。

Francesca’s husband had insisted on giving the boy that strange Pagan name, and had not lived long enough to judge as to the appropriateness, or otherwise, of its significance.  In seventeen years and some odd months Francesca had had ample opportunity for forming an opinion concerning her son’s characteristics.  The spirit of mirthfulness which one associates with the name certainly ran riot in the boy, but it was a twisted wayward sort of mirth of which Francesca herself could seldom see the humorous side.

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2019.05 隙間読書 三島由紀夫「大障碍」

昭和31年3月「文学界」発表、三島31歳。

タイトルの下には「杉村春子さんのために」とあるし、杉村春子主演で上演の記録もあるようだから、杉村のために書き下ろした戯曲なのだろうか?


乗馬競技中、岑子(みねこ)夫人の息子は大障碍を飛びそこねて悲惨な死をとげる。 それから 岑子は 大障碍 という言葉を繰り返す、まるで現実を自分に言い聞かせるように。

大障碍、こんなひとつの怖ろしい言葉に馴れてしまへば、もう世の中に口に出せない言葉なんてなくなるもの。大障碍、大障碍、わたしは何度でも言へてよ
(「大障碍」より)


焼香にきてくれた息子の友人、牧村に突然、 岑子夫人 は墓地の場所を訊ね、息子と同じ青山墓地と知ると更にその墓所を確認する。夫人の心がすでにこの世からないように思われて慄然とする場面である。

家のは左側ですね。(夢みるやうに)親友同士で……ねえ、御近所でよかったこと。(「大障碍」より)


牧村のガールフレンド、冴子は 大障碍 に出場する牧村を案じることもなく、紅茶も立ったままゴクゴク飲むような粗野なまでにあっけらかんとした、生命力あふれる娘である。そんな娘をみて夫人は呟く。

でも偉いもんだわねえ。本当に別の世界があるんだわね。予感も前兆も、未来といふものを少しも怖れずに。……ちつとも心配がない。
(「大障碍」より)


非現実を生きていた夫人が、現実そのものである単純で粗野な牧村と冴子と会ってどうなるか? あれほど 大障碍 という言葉に、つまり現実に馴れようとしていた夫人は、最後、現実を閉めだそうとするかのようにこう呟く。

大障碍。……その言葉はこれから家では禁句よ。 (「大障碍」より)

粗野な現実というものがあればこそ、夫人の現実から遠くにある心が浮かび上がる不思議さ。現実に直面したときに閉ざしてしまう心の不思議さを思いつつ頁をとじる。(2019年5月3日読了)

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2019.05 隙間読書 蜂谷涼「曙に咲く」


蜂谷涼「曙に咲く」
2018年11月16日 柏艪舎刊行
装丁 安里英晴

手にとって本を眺めるだけで前向きな気分になる本。「曙に咲く」というタイトルも、北海道の大地を馬でゆく仲睦まじいダン夫妻も、帯の「振り向いてはいけません。前だけ向いて生きなさい」という帯の文句も、主人公「鶴」の辞世の句「玉響の 命なれども 咲き満つる 君と歩みし ひとすじの道」という後ろ側の帯文句も作品の雰囲気をかもしだしている本。

明治6年、明治政府に請われて開拓使として来日したエドウィン・ダンは、北海道における畜産業発展に大きく貢献、のちにアメリカ公使館の書記官に任命される。

そんな北海道の発展にも貢献し、日本史上の大切な場面に絡みのあるエドウィン・ダンが出会い、尊敬の念をささげた津軽の女性「鶴」の、苦労も多く、短命であった生涯なのに、なぜか読後感は林檎の花を思わせる爽やかなものが残る。


冒頭、津軽のねぷた祭りではじまる鶴の子供時代も印象深い。


ヤーヤ、ドー。ヤーヤ、ドー。

確かに、近づいて来る。かけ声も、お囃子も。

それらは、まるで地の底から湧き出て、ひたひたと鶴を包み込もうとしているかのようだった。(蜂谷涼「曙に咲く」より)


聡明であったにもかかわらず家の事情で学業が小学校で終えた鶴。函館の外国人技術者のためのホテルで働くことになった鶴の目にうつる北海道の風景。それは小樽に生まれ、北海道を拠点に執筆活動をおこなう作者ならではの細やかな、美しい描写。


霞と見えたのは、花びらだった。

函館から揺られてきた馬車の中で、津島は「ここから先が官園の果樹園だ。あれは林檎、あっちは梨、向こうにあるのが桃と桜桃。ほかにも、葡萄やら李やら、全部で二千ニ百株近くあるんだと。じきに花盛りだわ」と皺だらけの顔をほころばせた。それらの果樹が、すでに咲ききり、花を散らしているのだ。花吹雪なら薄紅色だが、目の前に舞い散る夥しい花びらは、純白に輝いていた。
(蜂谷涼「曙に咲く」より)


鶴が幼いころ、「南蛮人にせよ、米利堅にせよ、相手のことを知らぬゆえ、怖いと思うだけじゃ。よくよく相手を知れば、その心中とて推し量れる」と語った父も、ダンと結婚したいと告げる鶴に暴力をふるい絶縁する。父が籍から抜こうともしないため、ダンと鶴は九年にわたって正式に結婚できず辛い思いをする。

鶴とダンの子・ヘレンも道を歩けば、「合いの子」と心ない嘲りをうける。鶴は、可愛いヘレンのために辛い決心をする……そんな辛い人生のはずなのに、読後はあくまでも爽やかである。「マミィに会いたくなったら、お空を見上げてね」「ヘレンの強さを信じよう」という健気な鶴の心持ゆえだろうか?

ダンスにも、乗馬にも、海外のマナーにも詳しい鶴が、伊東博文夫人に請われて鹿鳴館幕開けのために、伊東夫人たちにダンスや乗馬を教え、その縁で下田歌子の桃夭女塾」に通い、やがて美子皇后とも交流するようになる……という箇所は、鹿鳴館オープニング前後の様子が生々しく伝わってきて面白い。

ねぷた祭り、北海道の風景、鹿鳴館……と映像でも観たくなるような場面が続いたあと、最後は鶴のしんみりとするような手紙で余韻深く終わる。

「曙に咲く」の映画版ができれば面白いのに……とも、歴史に疎い私のような読者のために年表があればさらに嬉しいかも……とも思いつつ、爽やかな読後感に満足して頁を閉じる。

2019.05.01読了

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2019.04 隙間読書 三島由紀夫 「志賀寺上人の恋」

昭和29年10月「文藝春秋」発表、三島29歳のときの作品。

まず最初に三島が語る浄土の描写が説得力があって素敵。こんなに素敵な場所なら、私も善行を積んで行ってみたいな……と素直に思ってしまう。

もし何か喰べたい気持ちが起ると、自然に目の前に、七宝の机があらはれ、珍味を盛つた七宝の鉢がその上に載つてゐる。ところがそれを手にとつて 喰べる要はないのである。色を見、香りをかぐだけで、身心は清潔になり、お腹は張り、体には滋養がつく。何も喰 べずにすむ食事がをはると、鉢と机は忽然と消えてしまふ。(「志賀寺上人の恋」より)


高い徳をつんで浄土の世界に近づいた志賀寺上人にすれば、世俗の喜びにひたっている人は何とも愚かに思えてしまう。

富貴の人を見れば、夢の中の快楽であることにどうして気がつかないのかと憫笑する。容色の美しい女に会っても、煩悩につながれて流転する迷界の人を気の毒に思う。 (「志賀寺上人の恋」より)


そんな上人が都から花見にきた京極の御息所に一瞬にして恋におちる不思議さを、三島はこう描く。

上人はおぼえずそのほうを見た。そしてその美しさに搏(う)たれた。御息所と上人の目はしばらく合ひ、上人がその目を離さうとしないので、御息所もあへて外すことはしなかった。 (「志賀寺上人の恋」より)

スローモーションのように丁寧に描かれた文を読むと、「そんな徳をつんだ上人が……」という反論の念は消えてしまう。


やがて上人の恋は人々の知るところになり、京極の御息所の耳にも入ってくる。それからの京極の御息所の心の動きは、私には浄土のように遠いけれど、美しい絵巻物を眺めているように思われる。


まず上人が「来世」を犠牲にすることに喜ぶ女心……私にはこの作品を読むまで想像もできない世界だった。

「上人は御息所の容色に迷つて、来世を犠牲に供さうとしてゐるのである。これ以上の大きな贈物はない」 (「志賀寺上人の恋」より)


恋心を抑えきれなくなった上人は、御息所の屋敷の前に立つ。その来世を犠牲にしようとする姿に、御息所が心配するのは「人の来世を犠牲にしたら、自分の来世も保証されない」ということである。そこまで来世が大切とは……思いもよらなかった。

「もし上人が彼女のために来世をあけわたしたとしても、来世は彼女の手に無疵でわたることは決してあるまい」 (「志賀寺上人の恋」より)


たしかに「理解の外にある」心の動きだが、「自分の美しさをすっかり忘れてゐた」という御息所の最後の描写「雪のような手は、曙の光のなかに残された」は美しい。

「私はあの姿とは何の関はりもない、と御息所は心に叫んだ。どうしてこんなことが起つたのか、御息所はほとんど理解の外に在つた。稀なことだが、かう思ふ瞬間、御息所は自分の美しさをすつかり忘れてゐた。あるひは故意に忘れてゐた、と云つたほうが適当である。 (「志賀寺上人の恋」より)

「来世」への思いも三島作品の大切な要素なのだと思いつつ頁を閉じる。

2019.04.30読了

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再訳 サキ「耐えがたきバシントン」№8

彼女は想像をめぐらせ、自ら梁間ひとつほどの橋を小峡谷にかけたのは事実である。その橋とは、学校にかよっている息子のコーマスのことであった―今、彼は南部地方のどこかで教育をうけていた―。さらに、コーマスがもしかしたらエメリーンと結婚するかもしれないという偶発的な可能性から成り立っている橋なのであったが、その場合、彼女は少し金銭面で迷惑をかけて周囲を困らせながらも君臨している自分の姿を目にするだろうし、ブルー・ストリートの家もまだ支配することだろう。ファン・デル・メーレンは、名誉れある場所で、不可欠な午後の光をとらえることだろう。フルミエの像も、ドレスデンの彫刻も、ウースターの年代物の茶器セットも、これまでどおり壁龕に、妨げられることなく留まることだろう。エメリーンは、こじんまりとした日本風の奥の間を自分のものにするだろう。そこはフランチェスカが夕食後のコーヒーを時々飲んだりする場所であり、居間とは離れているので、自分の持ち物を置いたりもしていた。細部にいたるまで橋の構造は注意深く考えぬかれていた。ただ、不幸な状況とは、コーマスがすべてのバランスをとる架け橋であったという点だった。

It is true that in imagination she had built herself a bridge across the chasm, a bridge of a single span.  The bridge in question was her schoolboy son Comus, now being educated somewhere in the southern counties, or rather one should say the bridge consisted of the possibility of his eventual marriage with Emmeline, in which case Francesca saw herself still reigning, a trifle squeezed and incommoded perhaps, but still reigning in the house in Blue Street.  The Van der Meulen would still catch its requisite afternoon light in its place of honour, the Fremiet and the Dresden and Old Worcester would continue undisturbed in their accustomed niches.  Emmeline could have the Japanese snuggery, where Francesca sometimes drank her after-dinner coffee, as a separate drawing-room, where she could put her own things.  The details of the bridge structure had all been carefully thought out.  Only—it was an unfortunate circumstance that Comus should have been the span on which everything balanced.

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2019.04 隙間読書 三島由紀夫「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋」

昭和18年2月「文芸文化」初出(三島19歳)

題のとおり、中世において次から次に殺人をしていった殺人者の不思議な、でも美しい言葉にあふれた日記。殺めた相手は室町幕府廿五代の将軍足利義鳥、北の方瓏子、乞食百廿六人、能若衆花若、遊女紫野、肺撈(はいろう)人。

三島19歳のときの作品ながら、その生涯を貫いた二律背反のテーマがすでに美しく語られているのに驚く。 たとえば殺人者と船頭の次の会話。


「君は未知の国へ行くのだね!」と羨望の思ひをこめて殺人者は問ふのだった。

「未知へ? 君たちはさういふのか? 俺たちの言葉ではそれはかういふ意味なのだ。—失われた王国へ。……」

 海賊は飛ぶのだ。海賊は翼をもつてゐる。俺たちは限界がない。俺たちには過程がないのだ。俺たちが不可能をもたぬといふことは可能をもたぬといふことである。

 君たちは発見したといふ。

 俺たちはただ見るといふ。

(三島由紀夫「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋」より)


「未知の国」とは「失われた王国」であり、「不可能をもたぬ」ということは「可能をもたぬ」など二律背反の切なさ、美しさ。


また殺人者がここで語っているのは「雲雀山姫捨松」なのだろうか? どの段なのかは分からないけれど、雲雀山姫捨松の世界が美しい言葉で再現されているのが嬉しい。19歳の三島が観たのは歌舞伎の方なのだろうか?


海賊よ、君は雲雀山の物語をきいたか。花を售(う)らんがための佯狂(ようきょう)に、春たけなはの雲雀山をさまよう中将姫の乳人の物語はたとしへもなく美しい。花を 售(う) らう、海賊よ。そのために物憂げな狂者の姿を 佯 (いつわ)らう。

(三島由紀夫「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋」より)

19歳のとき、すでに三島由紀夫のテーマ、関心は確立されていたのだと思いつつ頁をとじる。(2019.04.29読了)

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再訳 サキ「耐えがたきバシントン」№7

そしてこういうわけで棘がひとつ、薇の花弁模様のダマスク織を突き破ってあらわれたのだが、それは状況が異なればフランチェスカの心の平和になったものだろう。ひとの幸せとは、たいてい過去よりも未来にあるものである。抒情的なものではありながら、確実に言えるのは、悲しみのなかでも最大の悲しみが、さらに不幸な出来事が起きるのを待ち受けているということである。ブルー・ストリートにある家は、旧友のソフィ・チェトロフから預けられたものだが、それもソフィの姪のエメリーン・チェトロフが結婚するときまでで、そのときには結婚の贈り物として、エメリーンに受け渡されることになっていた。エメリーンは今十七歳、まずまずの器量よしなので、独身女性としての期間が安全につづくのも、せいぜい四、五年というところだった。そのあとに待ち受けているのは混沌で、彼女の魂ともなっている隠れ家からフランチェスカは切り離されるのである。

And herein sprouted one of the thorns that obtruded through the rose-leaf damask of what might otherwise have been Francesca’s peace of mind.  One’s happiness always lies in the future rather than in the past.  With due deference to an esteemed lyrical authority one may safely say that a sorrow’s crown of sorrow is anticipating unhappier things.  The house in Blue Street had been left to her by her old friend Sophie Chetrof, but only until such time as her niece Emmeline Chetrof should marry, when it was to pass to her as a wedding present.  Beyond that period lay chaos, the wrenching asunder of Francesca from the sheltering habitation that had grown to be her soul. 

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2019.04 隙間読書 北原尚彦「首吊少女亭」

「 眷属」 一冊の本が時を動かす……という発想にも、いきなりシャーロック・ホームズが出現して名刺を渡すというタイム・スリップに驚く。またホームズの時代のロンドンの描写も馬糞をブラシで掃除する少年、あたたかいショウガ味クッキーを売る少年など興味深い。

「下水道」 下水道のどぶを浚って古釘とか古ロープを拾い歩く「浚い屋」。テムズ河河岸で泥を浚い金目の物を探し出す「泥ひばり」。ロンドンの労働者の暮らしが浮かぶようで味わいがあるが、この結末は怖い。


「新人審査」 女優を夢見てロンドンに上京するも訛りがあるために娼婦へと転落したヒロインが、ある劇団の新人審査に合格する。 だがラストには悲しみと同時に期待が共存。審査に合格したヒロインが、どんな劇団であれ、そこで活躍する続きが読みたい。それにこの日本版があれば……とも思う。気がついたら道頓堀の芝居小屋の舞台に立っていた……なんて半タイムトリップ短篇があればいいな。

「人造令嬢」 人造人間の物語から吸血鬼の物語へと展開していく。人造令嬢であることを証明するために怪力をつかう場面はユーモラス。白い肌に走る赤い縫い目も美しく感じられ、周囲の男性によって守られて罪を意識することなく過ごす姿は可憐。長編で読んでみたい。

「貯金箱」 こんなに怖い猿短篇があるとは……と吃驚。無駄遣い癖を治すべく貯金箱を与えられたアンドリュー少年。貯金箱に立つ猿の人形の手にお金をのせると、横の美少年が踊る。その仕掛け見たさに、少年が猿に売り渡したもの……が悲劇と共に心に深く残る。

「凶刀」 切り裂きジャックの顔が浮かんでくるような短篇。ラスト4行にはあっと驚いた。

「活人画」 活人画とは時々見かける言葉だったが、こんなエロチックなものだったとは。出演者はぴったりした肌色のタイツを着て「ヴィーナスの誕生」とか名画の場面を再現、ヌードに対して厳しい当時の状況をくぐり抜ける楽しみが活人画にあるとは知らなかった。当時の劇場の息遣いを伝えてくれる作品。

「火星人秘録」 もう一つのウェルズ「宇宙戦争」なんて斬新なアイディア。鳥の巣売りという職業も、卵入り鳥の巣を飾るという当時の英国の風俗も初めて知る。スズメの巣は1ペニー、ツバメの巣は6ペンス……鳥ごとに違う巣の値段をどうやって調べたのだろうか?

「遺棄船」 解説によれば1872年、マリー・セレスト号は船員が忽然と消えたような状況で発見されたとか。実際に起きた海洋奇談をSF風にアレンジした作品で主人公に同情しつつ読む。


「怪人撥条足男」 撥条(ばね)足男なんて初めて知った。ロンドンには怪しげな者たちが跋扈していたのだなあと実感。ラストはじわじわとくる怖さ。

「愛書家倶楽部」 こんなふうにして愛する書物と一体化できるのもイギリスならでは。日本ではたぶん無理、いや紙魚になれば一体化できるか。


「首吊少女亭」 お酒を一滴も飲まない私には理解できない心境に達した短篇なのが残念。でもシングル・モルトの薀蓄を楽しく読む。一連の短篇をとおして、マニア度がだんだん高まって最後に爆発したような感が……短篇配置の妙も楽し……。

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サキ「耐えがたきバシントン」再訳№6

そしてとりわけ宝物のなかでも、彼女の目にはいる部屋の品々で優れているものは偉大なファン・デル・メーレンの絵で、婚礼のときに持参金の一部として父親の住まいから持ってきたものだった。その絵は象牙でできた幅の狭いキャビネットの上の壁板にぴったりはめ込まれ、部屋の構成から見ても、バランスから見ても、その空間の調和をたもっていた。どこに座ろうとも、絵は周囲を圧するものとして迫ってきた。壮大な戦いを描いた絵には心地よい静けさがたちこめ、厳粛な宮廷武人たちが後ろ足立ちになった灰色、茶と白のまだら、月毛の馬に真摯にまたがっているのだが、その絵から伝わってくる印象とは、彼らの軍事行動が広範囲にわたって荘重にすすめられている屋外の食事会でしかないということであった。フランチェスカには、部屋を最高の状態に補ってくれるこの絵のない応接室を思い描くことはできなかったが、それは万物殿のように混み合っているブルー・ストリートの邸以外での自分を想像できないようなものだった。

And above all her other treasures, dominating in her estimation every other object that the room contained, was the great Van der Meulen that had come from her father’s home as part of her wedding dowry.  It fitted exactly into the central wall panel above the narrow buhl cabinet, and filled exactly its right space in the composition and balance of the room.  From wherever you sat it seemed to confront you as the dominating feature of its surroundings.  There was a pleasing serenity about the great pompous battle scene with its solemn courtly warriors bestriding their heavily prancing steeds, grey or skewbald or dun, all gravely in earnest, and yet somehow conveying the impression that their campaigns were but vast serious picnics arranged in the grand manner.  Francesca could not imagine the drawing-room without the crowning complement of the stately well-hung picture, just as she could not imagine herself in any other setting than this house in Blue Street with its crowded Pantheon of cherished household gods.

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サキ「耐えがたきバシントン」再訳№5

マントルピースの上に飾られた甘美なフレミエのブロンズ像は、ずいぶん昔にステークス競馬で優勝したときのものだった。かなり価値のあるドレスデンの彫刻群は、思慮深い崇拝者が彼女に贈ったものだが、その崇拝者は死をもってさらに親切を重ねたというわけだ。また他の品々は、彼女が自ら授けることになった贈り物で、カントリーハウスのブリッジの催しで九日間優勝し続けるという、祝福にみちた、忘れがたい思い出のなかの獲得品であった。ペルシャとブハラの古い敷物に、鮮やかな色彩のウースターの茶器セットもあれば、年代物の銀製品もあって、本来の価値もさることながら、歴史と思い出もひそんでいた。彼女が時々思い浮かべては楽しみにふけるのは、いにしえの職人や匠が、遠く離れた場所で、はるか昔に鋳造したり、精をだしたり、織りあげたりして、つくりあげた美しく素晴らしい品々がめぐりめぐって自分の所有になっているということであった。中世イタリアや近代パリの工房の職人の作品もあれば、バグダッドや中央アジアの市場で売られていたもの、また、かつて英国の作業場やドイツの工場でつくられたものなど、奥まった奇妙な角部屋にはあらゆるものがあって、工芸品の秘密が用心深く守られていたが、そこには無名の、記憶に残らない者の作品もあれば、世界的に有名な匠の手による不朽の作品もあった。

The delicious bronze Fremiet on the mantelpiece had been the outcome of a Grand Prix sweepstake of many years ago; a group of Dresden figures of some considerable value had been bequeathed to her by a discreet admirer, who had added death to his other kindnesses; another group had been a self-bestowed present, purchased in blessed and unfading memory of a wonderful nine-days’ bridge winnings at a country-house party.  There were old Persian and Bokharan rugs and Worcester tea-services of glowing colour, and little treasures of antique silver that each enshrined a history or a memory in addition to its own intrinsic value.  It amused her at times to think of the bygone craftsmen and artificers who had hammered and wrought and woven in far distant countries and ages, to produce the wonderful and beautiful things that had come, one way and another, into her possession.  Workers in the studios of medieval Italian towns and of later Paris, in the bazaars of Baghdad and of Central Asia, in old-time English workshops and German factories, in all manner of queer hidden corners where craft secrets were jealously guarded, nameless unremembered m

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