サキ「耐えがたきバシントン」再訳 №4


思うようにならないことも多々あり、早い時期に幻想を幾分奪われたりしたせいで、彼女は自分に残された資産にしがみついてはいたが、今、その人生は平穏なな時期をむかえようとしているように思えた。鑑識力のない友人たちから、やや自己中心的な女性だとみられていたが、その自己中心性とは人生の幸せも、不幸も味わった挙句、自分に残された幸せをとことん楽しもうとするひとのものであった。財産の変遷のせいで彼女が辛辣になることはなかったけれど、関心は狭められ、手軽に喜んだり、楽しんだり、あるいはかつての楽しい成功を思い出してはいつまでも反芻できるものに共感をよせるようになった。中でも彼女の居間こそが、過去の幸せ、そして現在の幸せの記念の品々がおさめられている場所であった。

の心地よいアールヌーヴォー形式の、柱がならんでアルコーブもある角部屋に踏みいれば、さながら港にはいるときのように、貴重な私物や戦利品が視界にはいってきたが、それらの品は、乱気流もあれば嵐もありで、あまり平穏ではなかった結婚生活を生き抜いてきた品であった。どこに目を向けても、彼女の成功も、財政状況も、運もよく、やりくり上手で趣味もよいこともあらわれていた。いさかいのときには一度ならず逆境におかれることもあったが、彼女は自分の品々をなんとか守った。そして今、満足そうな視線が次から次にさすらう品物は勝利という略奪品であったり、名誉ある敗北というかたちでの救出品であったりした。


And the fact that things had, at one time and another, gone badly with her and cheated her of some of her early illusions made her cling the closer to such good fortune as remained to her now that she seemed to have reached a calmer period of her life.  To undiscriminating friends she appeared in the guise of a rather selfish woman, but it was merely the selfishness of one who had seen the happy and unhappy sides of life and wished to enjoy to the utmost what was left to her of the former.  The vicissitudes of fortune had not soured her, but they had perhaps narrowed her in the sense of making her concentrate much of her sympathies on things that immediately pleased and amused her, or that recalled and perpetuated the pleasing and successful incidents of other days.  And it was her drawing-room in particular that enshrined the memorials or tokens of past and present happiness.

Into that comfortable quaint-shaped room of angles and bays and alcoves had sailed, as into a harbour, those precious personal possessions and trophies that had survived the buffetings and storms of a not very tranquil married life.  Wherever her eyes might turn she saw the embodied results of her successes, economies, good luck, good management or good taste.  The battle had more than once gone against her, but she had somehow always contrived to save her baggage train, and her complacent gaze could roam over object after object that represented the spoils of victory or the salvage of honourable defeat.

カテゴリー: サキ, 再検討「耐えがたきバシントン」 | コメントする

サキ「耐えがたきバシントン」再訳 №3

フランチェスカは、最上の運に恵まれているように見えながら、その運をいかすことができないという女のひとりだった。それでも思いのままに暮らせる強みがあったから、女性の幸せの分け前としては平均以上のものを享受していると思われていたのかもしれない。女の一生において、怒りや失望、落胆につながりかねない原因の大半が人生から取り除かれていたものだから、幸せなグリーチ嬢、後には、運のいいフランチェスカ・バシントンと言われたのかもしれない。また魂のロックガーデンを作り上げては、その中に石のような悲しみを引きこんだり、求められてもいない揉め事をわざわざ起こしたりするような偏屈者でもなかった。フランチェスカが愛していたのは平坦な人生行路であり、人生における心地よい空間であった。物事の明るい面を好むだけではなく、そこに住み、とどまることを好んだ。

Francesca was one of those women towards whom Fate appears to have the best intentions and never to carry them into practice.  With the advantages put at her disposal she might have been expected to command a more than average share of feminine happiness.  So many of the things that make for fretfulness, disappointment and discouragement in a woman’s life were removed from her path that she might well have been considered the fortunate Miss Greech, or later, lucky Francesca Bassington.  And she was not of the perverse band of those who make a rock-garden of their souls by dragging into them all the stoney griefs and unclaimed troubles they can find lying around them.  Francesca loved the smooth ways and pleasant places of life; she liked not merely to look on the bright side of things but to live there and stay there. 

カテゴリー: サキ, 再検討「耐えがたきバシントン」 | コメントする

サキ「耐えがたきバシントン」再訳2

競争相手にしても、気分のいいときであれば、彼女がすらりと美しく、服の着こなしを知っていることを認めただろう。でも彼女には情熱が欠けているという友人の見解に競争相手も頷いたにちがいない。友人と競争相手が意見の一致をみるとき、たいてい間違っているものである。フランチェスカは、油断しているときに情熱について語るように迫られたものだから、自分の応接間の話をしたのだろう。 緻密に吟味した挙句、目立つ特徴をあきらかにしたのも、わざわざその隠された場所を教えたのも、特徴ある居間が粉々にされることを望んでのことではなかったのだろう。ただ応接間は、自分の情熱そのものだと何となくわかっていたからである。

Her enemies, in their honester moments, would have admitted that she was svelte and knew how to dress, but they would have agreed with her friends in asserting that she had no soul.  When one’s friends and enemies agree on any particular point they are usually wrong.  Francesca herself, if pressed in an unguarded moment to describe her soul, would probably have described her drawing-room.  Not that she would have considered that the one had stamped the impress of its character on the other, so that close scrutiny might reveal its outstanding features, and even suggest its hidden places, but because she might have dimly recognised that her drawing-room was her soul.

カテゴリー: 再検討「耐えがたきバシントン」 | コメントする

サキ「耐えがたきバシントン」再訳1

この物語は道徳を語るものにあらず。

不幸を語れど、救いはしめさず。

一章

 フランチェスカ・バシントンは、ウェスト・エンドのブルー・ストリートにある自分の邸の居間に座って、尊敬する兄ヘンリーと一緒に中国茶とクレソンをはさんだ小さなサンドイッチを味わっていた。食事は上品な量だった。つまり、小腹をみたしながらも、満ち足りた昼食会を思い出しては幸せに浸りつつ、これから待ち受ける手の込んだ晩餐も楽しめるほどの量である。

 若い頃、フランチェスカは美貌のグリーチ嬢として知られていた。四十歳の今、元々の美貌はかなり残っているものの、あくまでもフランチェスカ・バシントンの奥さまにすぎなかった。彼女にむかって「いとしい人」と呼びかけようと思う者はさすがに誰もいなかっただろうけれど、彼女をあまり知らない人の大多数は、「奥様」と言い添えるのにも気を遣った。

e

This story has no moral.

If it points out an evil at any rate it suggests no remedy.

CHAPTER I

Francesca Bassington sat in the drawing-room of her house in Blue Street, W., regaling herself and her estimable brother Henry with China tea and small cress sandwiches.  The meal was of that elegant proportion which, while ministering sympathetically to the desires of the moment, is happily reminiscent of a satisfactory luncheon and blessedly expectant of an elaborate dinner to come.

In her younger days Francesca had been known as the beautiful Miss Greech; at forty, although much of the original beauty remained, she was just dear Francesca Bassington.  No one would have dreamed of calling her sweet, but a good many people who scarcely knew her were punctilious about putting in the “dear.”

カテゴリー: 再検討「耐えがたきバシントン」 | コメントする

2019.04 隙間読書 泉鏡花「義血侠血」

明治27年11月、鏡花21歳のときの作品。まだ世間から認めてもらえず、金銭的にきっと苦しい思いをしていたにちがいない鏡花の当時の思いが伝わってくるような作品である。

士族の生まれながら金がないため御者に身をおとし、法律の勉強ができずに苦しんでいる村越欣弥。まだ若い鏡花は、自分が想像できる世界から登場人物を生み出そうとしたのだろうか?

そんな村越欣弥の苦境を救おうと金銭的援助を申し出た水島友(滝の白糸)は、「こんな女性がいてくれたらいいのになあ」という若い鏡花の憧れを描いているようにも思えてくる。

水島友は村瀬欣也を助けようと思う余り罪を犯してしまう。その罪について話している者たちの会話に、鏡花は法律への不信をひそませる。相手は女だから可哀想に、弁護士も依頼人を諭すべきだという男にたいして「そんな弁護士を誰が頼むものか」と鏡花は相手の男に言わせている。

「義血侠血」自体が、義憤にかられた水島友の犯罪を冷酷に裁く法を描いている。法を学んでも、恩をかえすことのできない村越欣弥の苦悩も「ついに幽明を隔てて、永く恩人と相見るべからざるを憂いて」と語る。

こんなに若くして、鏡花が現実を裁く法の限界を思うようになったのはなぜだろうか? でも現実を法で裁くことに限界を感じていたからこそ、やがて幻想にみちた作品がうまれたのだろうかとも思いつつ頁をとじる。(2019.04.09読了)

カテゴリー: 2019年, 読書日記 | コメントする

2019.03 隙間読書 山本勇「食道がん診断専門の医者が食道がんになった。」

柏艪舎 2019年4月15日発売予定

食道がん診断を専門としてきた筆者が73歳になって引退を考えようとした矢先に食道がんを宣告されてしまう。

随所に感じられる作者の優しい人柄、その人柄にもとづいた医療への取り組みに心うたれる。がんと診断されてからの治療も、専門家ならではの正確でいながら分かりやすく記述されている。目まぐるしく進歩・細分化していく癌診断の歴史とそこで生じる価値観の相違など、読みどころがたっぷりの一冊である。

心に残るのは、研究熱心な医者である筆者の謙虚な姿勢である。画像診断の読影経験の大切さについて、データをあげて発表したため、教授の不興をかって破門されるほど読影を大切にしながらも、みずからをこう振り返る真摯な言葉が心に残る。

長く画像診断の世界にいて、自分が見逃したために死期を早めてしまった患者さんの数は一人二人ではありません。医者という職業はそれだけ罪深いともいえるでしょう。医者と自責の念とは切っても切り離せないものだと思っています。そしてそのことを意識しているかどうかで、おそらく、まともな医者であるかどうかが決まってくるのです。(「食道がん診断専門の医者が食道がんになった。」53頁)

開業医としてはかなり遅いと筆者自らが語る47歳のときに、逗子で開業。病院の中にある画像診断センターを街の中につくりたいと、MR検査機器やCT検査機器もそなえ、さらに遠隔画像医療診断支援システム利用の第一号となる。資金面ではほとんどの銀行から融資を断られるなど苦労しながら、逗子という地域のために役立つ医療施設をつくりたいという一途な思いに心をうたれる。

がんの手術後、これまでのように診療はできないとしながら、自分を慕う患者の声に、筆者は次のかたちの医療を考える。画像診断の研究をかさね、最新の設備をそなえた病院をつくりながらも、顔がみえる医療を最終目的に考える姿勢を尊敬する。

元院長の医療相談コーナーなどと名付けた時間を設けて、週一回の午後にでも三時間ぐらいの時間枠を取って、お一人十五~二十分の予約で話を聞くというのはどうかなどと考えています。もちろん診療ではありませんからお金を取ることはしません。長年の付き合いのある患者さんとの、雑談コーナーのようなものにするのもいいし、またコーヒーやジュースのサービス付きでもいいかもしれません。 (「食道がん診断専門の医者が食道がんになった」162頁)

筆者の山本勇氏は、札幌の出版社・柏艪舎代表の山本光伸氏の弟である。筆者は兄・山本光伸氏についてこう語る。

卒業して逗子の自宅に戻ってきたときの次兄の荷物を見て仰天したものです。部屋の壁すべてに本棚を作り、そこに収まり切れないほどの本を持ち帰ったのですから。(途中略)しかし兄のしていることには私利私欲がなく、おおむね正しいことを言い、していることもぶれないため、今にもつぶれそうな出版社の柏艪舎も、今まで存続できているのだと思います。 (「食道がん診断専門の医者が食道がんになった」142頁)

兄弟それぞれが自分の仕事に真摯に、誠実に、チャレンジ精神でのぞまれている姿に感動して頁をとじる。

(2019.03.30読了)

カテゴリー: 2019年, 読書日記 | コメントする

2019.03 隙間読書 篠たまき「人喰観音」

人喰観音(早川書房)

作者の前作「やみ窓」を読んでから、次作「人喰観音」が気になりつつも怖い話、気持ちの悪い話が苦手な私……このタイトルに迷っていたが一大決心して読んでみたら、気持ちの悪いところはなく安堵。

「人喰観音」は永遠に生きる、穏やかで美しい生きもの達の切ない物語だった。その生きものに憑かれる人間は、みんな此の世でどこか傷をかかえているが、憑かれることで傷が癒されていく。

でも殆どのひとは「永遠に生きるもの」を怖れる。親しくしているように見えた者たちも、住み込みの婆や、それから琴乃のように後から嫌悪の念を吐露したりする者たちも。その疎ましく思う気持ちに「なぜひとは異界を嫌悪するのだろうか?」と切ない気もしてくる。

 この作者らしい不思議な小道具の数々も心に残る。心をよみとられるのを防ぐ丁子の小袋、紅い色をした紫陽花(このエピソードが表紙になっているのですね、なぜ、こんなに赤いのかは読んでの楽しみ)、蚕の糞を発酵させてこしらえていた黒色火薬、永遠に生きるものを殺してしまう潮乾湯という煎じ薬。

言葉も不思議な小道具に。たとえば章題を見ても、「一章 隠居屋敷、二章 飴色聖母、三章 白濁病棟、四章 藍色御殿」と作者がつむぐ言葉だけで読む者の心はときめいてしまう。

「永遠に生きるもの」の切なくも美しい物語、このあとも続きが読めたらいいのに……と思いつつ頁をとじる。

(2018.03.27読了)

カテゴリー: 2019年, 読書日記 | コメントする

2019.03 隙間読書 太宰治「彼は昔の彼ならず」

短編集「晩年」に収録されている作品。

読んでいて、なによりも文のリズムが心地よい。そしてリズムが変化するにつれて作品から喚起されるイメージも変化、すっと心に入っていく。


最初は、家のものほし場から俯瞰する眺める風景やら、春の南風の心地よさやらが、何とものびやかな、屈託のない口調で語られる。

君にこの生活を教えよう。知りたいとならば、僕の家のものほし場まで来るとよい。其処でこっそり教えてあげよう。

僕の家のものほし場は、よく眺望がきくと思わないか。郊外の空気は、深くて、しかも軽いだろうか? 人家もまばらである。気をつけ給え。君の足もとの板は、腐りかけているようだ。もっとこっちへ来るとよい。春の風だ。こんな工合いに、耳朶をちょろちょろとくすぐりながら通るのは、南風の特徴である。
(「彼は昔の彼ならず」より)


ものほし場から俯瞰する風景はどれも同じような家々が並んでいるけれど、やがて一軒の家へと収斂していく。その家にくらす主人公たちもやはり、家々と同じく生き方がどこか似通っている。大家である「僕」も、借りての木下青扇も立場、資産状況は違えど、生き方には共通する色がある。

借家人の青扇は女から「あの人に意見なんてあるものか。みんな女からの影響よ。文学少女のときは文学。下町のひとのときは小粋に。」と言われる始末。かたや大家の「僕」も、「父親の遺産のおかげで、こうしてただのらくらと一日一日を送っていて、べつにつとめをするという気もおこらず」 とやはり世間一般から見れば、どうしようもない生き方をしている二人である。


そんな世間知らずの二人が意気投合していく有様は、どこか浮世離れしていて微笑ましい。

「君を好きだ。」僕はそう言った。

「私も君を好きなのだよ。」青扇もそう答えたようである。

「よし。万歳!」

「万歳。」
(「彼は昔の彼ならず」より)


意気投合したふたりだけれど、「お金」という現世の足枷が極楽とんぼのようなふたりにも影をおとす。青扇の「わけへだてなくつき合える」という言葉はせつない。

「金があればねえ。金がほしいのですよ。私のからだは腐っているのだ。五六丈くらいの滝に打たせて清めたいのです。そうすれば、あなたのようなよい人とも、もっとわけへだてなくつき合えるのだし。」
(「彼は昔の彼ならず」より)


「お金」が足枷になってしまう現状への苛立ちを百日紅の花にぶつけたような言葉が心に突き刺さる。

「百日紅がまだ咲いていますでしょう? いやな花だなあ。もう三月は咲いていますよ。散りたくても散れぬなんて、気のきかない樹だよ。」
(「彼は昔の彼ならず」より)


のびやかな冒頭とは対照的に、最後の「僕」の言葉は「 それから、ここにいる僕と、ちがったところが、一点でも、あるか。 」とブスブス句読点によって句切られ、強く問いかけている。太宰の文はのびやかな文もよいけど、短刀をつきつけるような文もよいなあと思ってしまう。

おい。見給え。青扇の御散歩である。あの紙凧のあがっている空地だ。横縞のどてらを着て、ゆっくりゆっくり歩いている。なぜ、君はそうとめどもなく笑うのだ。そうかい。似ているというのか。―よし。それなら君に聞こうよ。空を見あげたり肩をゆすったりうなだれたり木の葉をちぎりとったりしながらのろのろさまよい歩いているあの男と、それから、ここにいる僕と、ちがったところが、一点でも、あるか。(「彼は昔の彼ならず」より)


「彼は昔の彼ならず」という題は、英文法の例文からだったとは! このよく見かけるような例文に「心をさわがせ」、青扇という主人公と結びつけた太宰はすごい。「彼は昔の彼ならず」という陳腐な例文が、少しも陳腐なものでなくなるのが不思議である。。

僕は、そのときふと口をついて出たHe is not what he was. という言葉をたいへんよろこばしく感じたのである。僕が中学校にはいっていたとき、この文句を英文法の教科書のなかに見つけて心をさわがせ、そしてこの文句はまた、僕が中学五年間を通じて受けた教育のうちでいまだに忘れられぬ唯一の智識なのであるが、訪れるたびごとに何かと驚異と感慨をあらたにしてくれる青扇と、この文法の作例として記されていた一句を思い合せ、僕は青扇に対してある異常な期待を持ちはじめたのである。
(「彼は昔の彼ならず」より)

2019.03.27読了

カテゴリー: 未分類 | コメントする

アメリア・B・エドワーズ「あれは幻影だったのか、それとも……? ある司祭の報告」No.20

怒らせてしまう原因も多少はあったらしい。少年は発達が遅れ、五歳の子供と同じくらいであった。スケルトンはその子を男子校にいれはしたものの、それは何の役にもたたなかった。少年は躾をこばみ、釣りにだけ夢中だった。毎日のように釣り竿をもって田園をほっつき歩いていた。これが複数の目撃者の証言によって明らかになった事実だ。

ついに凶行の日となって、スケルトンは少年を追いかけ、釣り竿が隠してある場所を見つけようと、牧草地から猟場へとすすみ、さらに湖へとやってきた。そこで何が起きたのかを説明するスケルトンの言葉は乱れ、錯乱している。彼の自白によれば、人事不省となった少年の頭と両腕のあたりを重い棒で殴りつけたが、棒はその用途で持ってきたということだ。だが殺すつもりはなかったと否定している。息子が感覚をうしない、息をとめたところで、彼はようやく自分が打ちつけた力に気がついた。でも、直後に感じたのは自らの行いを咎める罪悪感ではなく、我が身の保身を心配する気持ちだったと言っている。遺体を引きずりながら水際のガマのあいだに分け入ると、そこに上手く隠した。夜になって隣人たちが床に入って寝つく頃、彼は星明りを頼りに、干し草用のフォークをひとつ、ロープを一巻き、鉄棒を二本、ナイフを一本携えて、こっそりと家を出た。それだけの荷物を背負いながら原野を歩き、柵をこえて猟場へ入り、ストーンリー方面のフットパスをたどって、三、四マイルほど遠回りした。朽ちかけた古い舟が一艘、湖に係留されていた。彼はこの古い舟をつなぐ縄をほどき、ぐるりと廻すと、遺体をひきずりこんだ。それから舟をこいで、おぞましい彼の荷を湖のなかほどまで運びこんだが、そこは対岸から遠く、目的を果たすのに選んだ葦の茂みと同じくらいに離れていた。彼は死体に重りをつけて沈め、干し草用フォークで首を押さえつけた。それから干し草用フォークの持ち手を切り落とした。釣り竿は葦のあいだに隠した。殺人犯がいつも信じ込むように、発見されることはあるまいと考えた。ピット・エンドの人々には、甥はカンバ-ランドに戻ったと説明しただけだった。そして疑う者は誰もいなかった。

今のところ、たまたま事故になっただけで、自分から罪を自白しようとしていたと彼は言っている。おそろしい秘密に、だんだんと耐えられなくなったそうだ。彼は、見えない者の存在につきまとわれていた。その者は、食卓につくときも一緒、散歩のときも一緒、教室では彼の背後に立ち、寝台のよこで彼を見つめていた。その姿は彼には見えなかったが、いつもそこにいるのを感じていた。ときどき独房の壁に影がみえると譫言をいっているよ。刑務所の責任者によれば、精神状態が不健康だということらしいが。

 さあ、もう君に話せることは話した。裁判は、春の巡回裁判までないだろう。とりあえず、僕はパリにむかう。そして10日たてばニースだ。手紙はホテル・デ・エンペリューズにだしてくれ。

 P.W

追伸

 ここまで手紙を書いたところで、ドラムレーからスケルトンが自殺をはかったと告げる電報を受け取った。詳しい状況は書いていない。これでこの波瀾万丈の奇妙な話もおしまいだ。

ところで、猟苑をとおったときの、君のいつかの幻影はじつに奇妙ではないか。僕は何度も考えた。あれは幻影だったのかと。 じつに不可解だ」

ああ、たしかに! 不可解だ。今でも不可解だ。説明することなんかできない。でも、それはたしかに存在したものだ。疑いようもなく見た。たぶん、心の目で見たのだろう。そしてわたしは見たままに語ってきた。何も抑制していなければ、何もつけ加えることもなく、何も説明はしていない。この不可解な一件は、考えてみたい者たちに任せるとしよう。わたしとしては、ただウォルステンホルムの言葉をくりかえすだけである。あれは幻影だったのかと。 (完)

カテゴリー: 怪談, 英国怪談 | コメントする

隙間読書2019.03 岡松和夫「断弦」

作者である故・岡松和夫は1976年に「志賀島」で第74回芥川賞を受賞した作家。平井呈一の姪と結婚していた岡松和夫は、1993年に平井呈一と永井荷風の決別にいたる経緯を記した本書を発表した。

「断弦」では、平井 呈一 は「白井貞一」、永井荷風は「永江荷葉」という名前で登場。その他の登場人物も、読んですぐに誰なのか推量ができる名前である。

この小説は、平井呈一が大学ノート二冊に記した回想録を入手した作家「秋川」が書いたというかたちをとっている。そのノートがはたして実在したのかどうかは分からないが、本書ではノートの五分の一は英語、ところどころ噂の箇所は黒く塗りつぶしてあったと描写されている。

「断弦」のどこまでが真実かは不明だが、芥川賞作家として数多くの作品を発表してきた岡松和夫が60歳をこえてから発表した作品である。しかも登場人物が誰なのか容易に推察できる。真実を語ろうとする岡松和夫の覚悟を感じると同時に、荷風の行き過ぎた筆誅のせいで不名誉をきせられた平井の無念をはらしてあげたい、荷風の視点でのみ罵倒されてきた事件に冷静な光をあてたいという思いが伝わってくる。

荷風「来訪者」を読んでも、岡松和夫「断弦」を読んでも、 平井呈一 の印象はとても穏やかな、博識な人物ということで揺るぎない。

小千谷に疎開中、年頃の娘たちとともに妻妾同居の状態になりながら、娘も、妻も素直にその状態を受け入れ、のんびりとしている様子が意外であった。これも平井の人柄からだろうか。また稼ぐことは苦手な平井ながら、妻が入院すれば入院費をかせぐために働く……と誠意をみせ、愛人のほうも控えめに過ごしたから紛糾しなかったのではないだろうか?

また疎開先の小千谷で平井が勤務した学校でも、いかにも平井らしい穏やかな勤務ぶりが伝わってきて興味深い。

「来訪者」や「断弦」を読んで感じることは、多少の描写の違いはあるにしても、荷風は「穴のあなが小さい」ということである。平井の経済状況を助けようとする考えは毛頭なく、「来訪者」でむしろその困窮ぶり、下町ぶりを揶揄するような文を残した荷風。妻妾子同居だけれど仲睦まじい家庭について、勝手な思い込みで情痴の世界を描く文を残した荷風。やはり荷風は、穴のあなが小さい。

これから「断月」に書かれている荷葉との蜜月時代から、その決別後まで白井の胸中がうかがえる文を以下にいくつか青字で抜き出しておく。


もともと良家の子弟であったことにくわえて、作品の成功で豊かだったにもかかわらず、自分を慕ってきた白井の経済的窮状に対して、荷葉がいささかの思いやりもく、仕事を考えて弟子を助けようとする思いもなく……。かたや平井は荷葉にご馳走にならないように気をつかいながらお供、その姿はなんともいじらしい。

荷葉が銀座や浅草に出かける時には一緒に行くことも多い。食事を共に摂ることがある。荷葉が今夜はこれこれのことをしてもらった御礼だからと言わない限り、食事代は自分で払うように心掛けた。(「断弦」94頁)


翻訳が収入にはならず、妻も病気になって経済的に困った白井は、荷葉の色紙を真似て知り合いの古本屋に売る。荷葉にいれこんだ白井には自分の窮状を荷葉に相談することもできない。白井はいずれ荷葉の耳にはいることも覚悟する。やがて荷葉から自分の偽筆がでまわっている話を聞かされた白井は打ち明ける。

「『紫陽花』の原稿というのだがね。それが、よくできているらしい。そっくりの字らしいよ」などと話した。

「それはきっとわたくしのものです」

 貞吉は言葉をすらすらと口にできたのが嬉しかったほどだ。貞吉は色紙や短冊のことも話した。

 荷葉は驚いたようだった。

 貞吉はさすがに頭を下げて荷葉の言葉を待った。荷葉が家から出ていくように言えば、すぐ立ち上がるつもりだった。金に困ってなどと言訳がましいことは口にしたくなかった。

「白井さん、日本橋で食事して、一緒に浅草に行ってみましょうや」

荷葉は何も聞かなかったように、そう言って客間の椅子から立ち上がった。

貞吉はすぐには声が出なかった。自分は許されているのか、そんなことはよく分からなかった。ただ、慄えがくる程に嬉しかった。 (「断弦」110頁)


偽筆事件が発覚してから六年間、荷葉はとくに何も言うこともなく、白井とつきあいを続けたようである。

それが1941年12月20日になって荷葉の態度は豹変する。ちなみに其の13日前の1941年12月7日に日本は真珠湾を攻撃、日米が戦うことになる。荷風の日記、断腸亭日常にも開戦と共に逼迫していく世相が克明に記されている。

ようやく翌日の夜、麻布の家を訪ねていって、荷葉の応対の随分変わってしまったのが、はっきりと分かった。

 貞吉が何を話しても、荷葉が愛想よく笑うことはなかった。貞吉は何がこう荷葉を変えてしまったのか分からなかった。偽筆した原稿や書が原因というのなら、もっと早く絶交を言い渡されてもよかったような気がした。百円を借りたまま返さないこともあるのだろうか。まさか。貞吉は事情の呑みこめないまま三、四十分で辞去した。こんなことは初めての経験だった。 (「断弦」129頁)


荷葉から白井との交渉をたのまれた元文学青年石津は、荷葉の変貌を以下のように語る。でも「白井さんは荷葉にとって疫病神のようになりかけている」という石津の言葉は、かなり真実を言い当てているのではないだろうか?

あざとい荷風は日米開戦後の厳しくなりゆく社会をすばやく察知、自分の平和をかき乱す疫病神として白井を判断したのかもしれない。そうだとすれば白井のどこが疫病神に思えたのだろうか?

荷葉の痴情をつづった私信や四畳半襖の下張の流出への恐怖、愛人のいる白井の私生活への恐怖、敵国の言葉を翻訳している白井の生業への恐怖。厳しくなりゆく世相への恐怖。

荷葉の胸中で恐怖が幾重にも重なっているのに、白井は仙人のように呑気で金銭面でもあいかわらず。そうした無防備な白井の言動に刺激され、爆発してしまったとも、厳しくなる社会から巧みに距離をとろうとしたようにも思える。

私は電話で話しただけですが、荷葉さんは変りかけていますよ。私生活でも今迄のような放蕩はもう危ないと思っているようです。若い私がこんなことを言うのはおこがましいのですが、白井さんは荷葉さんに心酔していた。荷葉さんは白井さんの文学的才能を認めていた。生活に困った白井さんが偽作を作っても、それを面白がるようなところがありました。しかし、その偽作のなかには四畳半襖の下張のような危険な艶本もある。あれを読んだ人は皆写していますよ。もし警察があれを調べ出したら、どうなりますか。こんな時代になって、白井さんは荷葉にとって疫病神のようになりかけているのです。


それにしても確かに金を貸したとはいえ、縁を切ると同時に、かつて親しく浅草を歩いていた白井に、その百円の借金証文を差し出すように請求してくるとはあまりに狭量な仕打ちではないだろうか?

(途中略)それから暫くして予想していたように荷葉からの手紙が届いた。石津に教えた通り「本所区石原町一ノ五二稲村竹之助方」と所番地が記されていた。貞吉は絶交状だと思っていたが、手紙には百円返済の要求と、すぐに返せない時には連帯保証人をつけて借金証文を差し出すようにと書いてあった。(「断弦」132頁)


「来訪者」を読んだ白井は、たしかに「薄っぺらに描かれている自分」を発見し、「役に立つ間の付合」にすぎなかったと思ったことだろう。

しかし、小説のなかの青年文士と自分とは、まるで違っている。一方で、世間では当然モデルと思い込む。こんな薄っぺらな姿に描かれたことが悔しかった。この作品のなかの青年文士のようであれば、何のために文学の道に執着してきたのか分からなかった。 (「断弦」176頁)

こちらとしては一生のなかでも教わることの多い何年かだったから。偽筆などは荷葉さんも面白がっていたんだよ。放蕩無頼ではあっても、反俗の文学精神だけは共有していると思っていた。しかし、荷葉さんにとっちゃあ、役に立つ間の付合だったのかしらね。 (「断弦」181頁)


一連のやりとりを荷風側、平井側から両方から眺めてみたとき、荷風の狭量さ、あざとい振る舞いを強く感じずにはいられない。

その狭量さを思うとき、荷風だけが「来訪者」で残している「平井は鏡花に私淑しているのか」という言葉も非常に気になる。

もしかしたら荷風と雑談をしているとき、平井は無邪気に鏡花への賛美の念をあらわしたことがあったのではないだろうか?そうだとすれば、相手は狭量な荷風である。その言葉は自分への限りない侮辱に思えてしまい、数々の不安を爆発させる契機にも、しつこい筆誅小説を書こうとする動機にもなったのではないだろうか?

あとから平井も荷風のそうした思いに気がついたのでは? でも何かを言い返して荷風との泥仕合になるような愚かな道は、マイナー・ポエットの矜持がある平井呈一としては選びたくなかったのではないだろうか……そんなことを考えつつ頁を閉じる。

2019.03.13読了

カテゴリー: 未分類 | コメントする