アーサー・モリスン「ジェイゴウの子ども」 29章 182回

 ハンナ・ペローにとって、状況は少々しのぎやすいものとなった。スタート神父は、ハンナが力を回復するまでのあいだ、食べ物があるかということを把握した。それから、シーツをたっぷりと送った。さらに教区の救援物資に関して、無理やり自分の主張をとおした。それは週あたり二シリングの援助金と三クォーターンのパンの塊であった。不幸なことに、パンには教区の刻印がおしてあった。もし、その刻印がなければ、食料雑貨商のところで売られてしまい、救済の手だてが、家賃として、家主のもとに届くことになるだろう。(家主というのは立派な人物で、自分で食料雑貨の店をもっているのだ)実際には、無理やり押しつけられたパンを一家は食べ、家主はその二シリングの救援金を受け取ったが、ほかにも支払ってもらわなければいけない家賃が十八ペンスあった。もちろん、その気になれば、ハンナ・ペローは、他の者たちがしているように、部屋に同居人をおくこともできた。だが彼女が疑いをいだいているのは、無理やり家賃をとりたて、もし同居人が家賃を支払わなければ追い出してしまう能力が、自分に備わっているのかということだった。もちろん、借金のかたに入れられそうなものは消えていたが、小さなニッケルめっきの置き時計だけは残っていた。その時計を売れば、十六ペンスになったかもしれなかった。だが彼女は気まぐれから、その品を持ち続けていた。ジョシュの思い出があるのだと考えていた。その時計があるおかげで、ジョシュが家族との約束を守ろうとしてきたからだ。

 

Things grew a little easier with the Perrotts. Father Sturt saw that there was food while the mother was renewing her strength, and he had a bag of linen sent. More, he carried his point as to parish relief by main force. It was two shillings and three quartern loaves a week. Unfortunately the loaves were imprinted with the parish mark, or they might have been sold at the chandler’s, in order that the whole measure of relief might be passed on to the landlord (a very respectable man, with a chandler’s shop of his own) for rent. As it was, the bread perforce was eaten, and the landlord had the two shillings, as well as eighteenpence which had to be got in some other way. Of course, Hannah Perrott might have ‘taken in lodgers’ in the room, as others did, but she doubted her ability to bully the rent out of them, or to turn them out if they did not pay. Whatever was pawnable had gone already, of course, except the little nickel-plated clock. That might have produced as much as sixpence, but she had a whim to keep it. She regarded it as a memorial of Josh, for it was his sole contribution to the family appointments.

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アーサー・モリスン「ジェイゴウの子ども」28章 181回

 ハンナ・ペローは、母子教会から届いた手紙の内容を受け入れることにした。そしてジェイゴウから別の子どもが、この不名誉な養子縁組に同意しないままやって来た。

 

 スタート神父が医者と会ったのは、その日の夕方遅く来たときで、万事に異常はないかと尋ねた。医者は、肩をすくめた。「ひとはそうだと言うかもしれません」彼はいった。「あの男の子は生きているし、母親も生きてますよ。でも神父さまと僕なら、真実を言っても許されるでしょう。神父さまのほうが、僕よりはるかにジェイゴウのことをご存知です。あの地区には、死なない方がいいと言える子どもがいますか? 生まれてこないほうがよかったと言える子どもがいるのではありませんか? そうした信者に会うことなく終わる一日が、神父さまにはありますか? ここジェイゴウにはネズミの巣があるんです。それが次から次へと子孫をつくっていくのですが、その繁殖ぶりはネズミならのものですよ。そうした状態を、異常がないと言っているんです。道徳心の高い地区なら、千匹まで増えても、ネズミの権利を支持しますが。ときどき、ネズミを捕まえて飼うんですよ。しばらくのあいだ飼って、注意深く栄養のある食べ物をあたえ、それから巣に戻して仲間を増殖させるのです」

 スタート神父は、無言でしばらく歩いた。ややして彼はいった。「君のいうとおりだ、むろん。だが、君が屋根の上から叫んでも、誰が聞くだろうか? 無駄にできる時間と気力があれば、私もそう言うかもしれない。だが、私には時間も、気力もないのだ。私は働かなければならないし、君だってそうだ。たしかに君が言うように、重荷は日々重くなってきている。おそらく、絶望的な状況だ。だが、それについて、とやかく言うことが私の勤めではない。私には、やるべきことがある」

 その医者は若い男だったが、ショアディッチの人々は、その熱意の大半に応えていた。「そうですね」彼はいった。「おっしゃるとおりです。ふつうみんな上品ぶって話すことが多いですよね」彼は笑ってみせたが、その笑いには、剽軽者の印象が漂っていた。「でも、悔しいことながら、私たちのような者たちは、世界がアーモンドタフィから出来ているかのように話す必要はないのです。ほんとうに安心できますよ、物事をよく分かっている方と話すことは。そう、感情のせいで腐っていない方と話せるなんて。考えてもください、誰もいないではないですか。牢獄で一年過ごすように、あの男に命じる力があると思える人物は。それなのに、我々はそうした人物を注意深く選んでいるんですよ。天罰という考えだって、神学者のあいだでは、流行おくれです。ですが、どれほど憎むべき嫌な人物であれ、ジェイゴウの人々に対して、次から次へと、来る年も来る年も、人間の魂を非難することが許されているのです。それなのに我々は、ジェイゴウの人々の権利を尊重していると言うのです。そして、その権利は神聖なものだと」

 

 ポスティーズのところで、二人の男はわかれた。雨は、しばらく勢いが衰えていたが、風が激しくなり、ディッキー・ペローを家へと、新しい弟と対面させるべく家へと駆り立てるのであった。

 

Hannah Perrott had anticipated the operation of the Maternity Society letter, and another child of the Jago had come unconsenting into its black inheritance.

Father Sturt met the surgeon as he came away in the later evening, and asked if all were well. The surgeon shrugged his shoulders. ‘People would call it so,’ he said. ‘The boy’s alive, and so is the mother. But you and I may say the truth. You know the Jago far better than I. Is there a child in all this place that wouldn’t be better dead—still better unborn? But does a day pass without bringing you just such a parishioner? Here lies the Jago, a nest of rats, breeding, breeding, as only rats can; and we say it is well. On high moral grounds we uphold the right of rats to multiply their thousands. Sometimes we catch a rat. And we keep it a little while, nourish it carefully, and put it back into the nest to propagate its kind.’

Father Sturt walked a little way in silence. Then he said:—’You are right, of course. But who’ll listen, if you shout it from the housetops? I might try to proclaim it myself, if I had time and energy to waste. But I have none—I must work, and so must you. The burden grows day by day, as you say. The thing’s hopeless, perhaps, but that is not for me to discuss. I have my duty.’

The surgeon was a young man, but Shoreditch had helped him over most of his enthusiasms. ‘That’s right,’ he said, ‘quite right. People are so very genteel, aren’t they?’ He laughed, as at a droll remembrance. ‘But, hang it all, men like ourselves needn’t talk as though the world was built of hardbake. It’s a mighty relief to speak truth with a man who knows—a man not rotted through with sentiment. Think how few men we trust with the power to give a fellow creature a year in gaol, and how carefully we pick them! Even damnation is out of fashion, I believe, among theologians. But any noxious wretch may damn human souls to the Jago, one after another, year in year out, and we respect his right: his sacred right.’

At the ‘Posties’ the two men separated. The rain, which had abated for a space, came up on a driving wind, and whipped Dicky Perrott home to meet his new brother.

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牛田権三郎 三猿金泉録序文

三猿金泉秘録とは、宝歴五年(1775年)、大阪の天才米相場師「牛田権三郎慈雲斎」が書き残した相場についての書物です。世界初の先物市場である大阪米相場で大活躍した相場師、牛田権三郎慈雲斎ですが、記録はほとんど残されてなく、今日、その存在を伝えてくれるのは、この一冊の書物だけのようです。

二百五十年前に書かれた書物ですが、順張り、逆張り、難平買いなど、現代でも通用する考えがあるのではないでしょうか。米の先物取引相場を主軸にして、東の金、西の銀という為替相場が絡み合い、世界のどの国よりも相場巧み者たちが活躍していた江戸時代に思いをはせながら、少しずつ、たまに牛田慈雲斎の言葉を紐解いていきたいと思います。

 

原文は「三猿金泉秘録」牛田権三郎遺稿、嘉永四年亥年、京都大学付属図書館谷村文庫

 

解説文は、以下から引用させていただきました。原文、解説本ともに、著作権保護期間を終了しているため、国立国会図書館デジタル資料で閲覧することができます。

原文の文字が判読しがたい場合は、隋雲軒著「八木三猿金泉録」を参考にしました。

 

解説文は、その一「三猿金泉録講義」大黒天 著 東方日報社出版部 1932年

解説文は、その二「三猿金泉録講義」征矢 著 毎夕出版社 1925年

解説文は、その三「八木三猿金泉録」 隋雲軒 著 赤志忠七社 1885年

解説文は、その四「三泉金泉録講義」 大勢子 著 東京毎夕出版社 1921年

 

三猿金泉録序

 

さりはまより 序の部分は、四分割にして、それぞれに解説を引用しました。

 

牛田慈雲斎の序文一

大極動きて陽を生じ、動く事極まりて静なり。

静にして陰を生ず。

静かなること極まりて、また動く。

一動一静、皆天地陰陽自然の理なり。

米の高下も天地陰陽のまわるごとく、

強気(つよき)の功あらわれて、はなはだ高くなり。

上がる理極まれば、その中に弱気(よわき)の理を含む。

弱気の功あらわれて、はなはだ安くなれば、その中に強気の理を含む。

万人の気弱き時は、米上がる理なり。

諸人気強きときは、米下がる種なり。これ皆天性理外の理なり」

 

大黒天の解説「宇宙は回転する。その回転を、陰陽の回転とみたのは、きわめて合理的なことである。あらゆる森羅万象をみるとき、かならずや陰陽の脈打つことを感ぜられるのである。光に明暗あり、波に女波男波あり、人間の体内を循環する血液の脈打つにも、大小の区別がある。したがって財界の波動にも、好況不況があり、相場に高低がある。上がれば下がり、下がれば上がる、天地自然の原理である。ただ、しかしこの高低が、万人強きときに下がり、万人弱き時に高くなるのは、高低は天地自然の理であっても、この点は理外の理であるというのである。理外の理なぞということは、ずいぶん不思議な理屈であるが、これは今一歩突き進んで、なぜ万人強き時は下がり、万人弱き時は上がるのか研究すれば、たちどころにその理由が発見せられたのであったが、惜しいところで理外の理と片づけてしまっている。しかしもっぱら、これだけの研究をしたことは慈雲斎(作者 牛田権三郎のこと)偉い点で、このあとを受けて、この理外の理を研究するのが後世の我々の任務でなければいけない。

 

磯部の解説「これは相場の高下を一玄に見たるもので、陽明の宇宙学を学んだものであると思われるが、さて、この理外の理などという文句は、ずいぶん苦しむだろう不条理な文句

であるが、これは遺憾なく一言に表示できる適切な文字がないから、これを理外の理といって、しかしながら、その理外の理はすなわち本著の研究すべき原理であると言ったのである。昨今、この理外の理なる表示に、三五の十八などという俗諺がある。三五の十五は数の当然であるが、述べは三五の十八であって、そうきちんと算盤や理論どおりにいかないものであるという意義から、一言にして「三五の十八だ」「変物だ」と言ったものであろうと思われる。

 

(さりはまより)強気はバブル、弱気は暴落と考えると分かりやすい気がします。

 

牛田慈雲斎の序文二

われ壮年の頃より米商いに心をよせ、昼夜工夫をめぐらし、六十年来の月日を送り、

ようやく強弱の悟りを開き、米商の定法(おきて)をたて、

一巻の秘書を作り、名づけて三猿金泉録とする。

米穀(べいこく)の形象の中が丸く、上下とがるは、

陽光(ひか)りて、陰がふるなり。

天地陰陽の気をうけ、士農工商四民を養う天下第一の宝なり

 

(さりはまより) この部分は、解説本ではなぜか割愛されている部分です。米の形から陰陽をとらえる考え方は面白く、米について天地陰陽の気をうけ、人々を養う宝とする考えは感謝にあふれています。米が主貨の役割をしていた当時ならの考えかもしれませんが、やはり現代でも、相場取引では感謝の心を持ち続けたいものです。

 

牛田慈雲斎の原文 序文三「三猿とは、すなわち見猿(みざる)、言猿(いわざる)、聞猿(きかざる)の三つなり。眼に強変(きょうへん)を見て、心に強変の淵に沈むことなかれ、ただ心に売りを含むべし。耳に弱変(じゃくへん)を聞きて、心に弱変の淵に沈むことなかれ、ただ心に買いを含むべし。強弱を見聞くとも人に語ることなかれ、言えば人の心を惑わす。これ三猿の秘密なり。金泉録として、この書の名とする」

 

(大黒天の解説)山門の入り口の庚申塚は、見まい、聞くまい、言うまい、の三猿とおしえられている。しかし、この世の中の出来事は、見まいとして見ずに過ごすことが出来ず、聞くまいとして聞かない訳にいかない。要は、見て、これに感化されず、聞かされて、これに動かされざる金剛心、不動の心こそ持つべきであって、この心境に到達しなければ、米商いの秘伝奥義を感得することは出来ない。

 

(さりはまより)

これも強変とはバブル、弱変とは暴落と考えると分かりやすいのではないでしょうか。

 

 

牛田慈雲斎の序文四

 

高安の理は空理にて目に見えず上げも かたちもなきものの躰(たい)となり

 

上の句の心を考えるなり。

米上がるともいつ下がるとも定まらざるが空理(くうり)なり。

空理を見ると、千年に一度も商いをとる時節なし。

また下の句の心を考えるに、

影も、かたちも無きものが躰(たい)とあるは定式(じょうしき)なり。

定式あれば売買あり。

仏道の定式は五戒、儒道神道の定式は五常、智仁勇の三徳、みなそれぞれに定式あり。

 

(大黒天の解説)あらゆる一切のものは色即是空である。形のあるものは壊れ、壊れたるものは形を変え、時は流れ、世は移る。うつし世、うつせみの姿、ただこれ「流転の相」のみ。

物の高低、相場の波動という事も、一つの幻影にすぎない。高いということも、安いということも、心の動きに過ぎない事である。かつて禅宗和尚は、祭礼に奉じてあるのぼりの動くのを見て、

「のぼり動くにあらず、なんじの心動くなり」

と説破したと伝えられるが、相場もまたこれと同様のものである。相場は一定不変である。相場は一定不変であるが、これを観る人の心動揺するために高低あるものと観ずるのである。すでに一切空の世界、高低に理由をつけることが空理であり、影も、影も無きものが体と知るべきである。

こう説明したところで、ますます賦に落ちないことが多いと思う。よって少しばかり禅問答をいれて参考にしていただきたい。

一休和尚の小僧時代に、師の禅師が愛玩していた名器を誤って、仲間が誤って取り壊したのを引き受け、師の帰りを待ち受けて問答にでた。

一休「生あるものは」

禅師「死す」

一休「形あるものは」

禅師「壊れる」

そこで一休は壊れた名器を取り出して、このとおりと言ったのでお咎めがなかったと言う。色即是空を観ずることが、禅の方では先ず入門の序の口である。それから進むと

「富士山と筑波山を取り換えてみろ」

などという珍問がでる。しかし、これは名前なるものは、一つの符牒である事が判れば何でもないことなのである。「はい、出来ました。駿河にそびえるのが筑波山で、関東の高山が富士山となりました」というような事になる。

それが段々進めば

「柳緑花紅」

となる。

こうした禅問答の修行は、近代の学問から説明すれば、人間の意識というものは外界からの魔物が乗り移って、それがあたかも自分のもののようになるのでなければ、業によって、すなわち先祖の悪い心もちが遺伝して、悪い意識となって、自分が気づかないというような場合もある。自己の意識は幾多の魔物のため穢されている。

それを洗うために、一度一切の理屈から離れ、省察、沈思を重ねて、すなわち三味の境に入り、立派なる潜在意識を尋ねだしてくるところには神より授けられた、仏教でいえば仏性が存在しているのである。この仏性でみれば世の中はやはり「柳緑花紅」この宇宙には変わりないが、先の我念で観た場合とは大いに異なってくるのである。故に牛田氏はそれ等の修行に入る順序として、また参禅の場合のように、高安は空理だとか、影も形も無きものが体であるとかと一つの案をのべた次第である。」以上、大黒天の解説

 

牛田慈雲斎の序文五

 

高安の定式

 

古米多く安値段なるを新米へ移したる年は、から腹上がりある年なり。

これを順乗(じゅんじょう)の年という。

古米少なくして高き値段を新米へ移したる年は、から腹下がりある年なり。

六七八月に強変あらわれれば、まさしく、から腹下がりの年なり。

これを変乗(へんじょう)の年という。

商いの定式とは、逆平(ぎゃくへい)、順乗(じゅんじょう)の二つなり。

逆平となるらしい年は買いに買いなり。

順乗とは、上がる道理をただしく見つけ、乗り、買いに買うを順乗というなり。

順乗変乗の十二平商、三十八乗商、十五の禁制、家伝高安鏡、万歳運気豊凶の録を考えて、千度に千度負けざるの妙術など、誠に家伝秘蔵の宝なり。

宝歴五年 秋九月下旬 慈雲斎 牛田権三郎

 

(大黒天の解説)から腹とは米の少ないことを意味しているようである。すなわち古米多く安い値段を新米に移したる年は、濫費のため消費量多くして新米になってから意外に実物が少なくなるものである。また古米少なくして高値段を新米に移した場合は、実物が少なくても相場が低落するものである。一平二平三平なぞという言葉は、今後の歌に出てくるから、その場合は売りならし、買いならしと知るべきである。乗という言葉は利乗せの意義である。

(さりはまより)逆平とは、逆張りや難平買い。順乗とは、トレンドにのって順張りでの買い、買い増しのことだと思います。

 

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アーサー・モリスン「ジェイゴウの子ども」28章 180回

その日は、ペローの家の者には酷な一日であった。ディッキーは朝早くからでかけたが、戻ってこなかった。母親は袋づくりの業者のところから、足どり重く戻ってきたが、仕事はもらえなかった。イグサの手さげづくりの業者にもかけあってみたのだが、結果は同じようなものだった。マッチ箱づくりの仕事も、もらえなかった。蕪がひとつ気づかれることのないまま、店から溝へと転がったので、彼女はこっそり手につかんだ。家にもって帰るのは性に合わないのだが、一度、角をまがって、ジェイゴウ地区へ体をひきずって戻ると、彼女は歩きながら、その根菜を見られないようにかじった。そうこうして彼女がエムのいる家に戻ったのは、その日の午後遅くなってからのことだった。

 

 キドーは扉をおしてあけると、中に入った。二歩すすんだところで、彼はその場に立って目をこらした。やがて視線を下におとした。「神様、なんてことだ」キドー・クックはいった。

 彼は三段とびで、階段をかけおりた。束の間、家の前の舗道に立ち、片側の道へ素早く視線をはしらせ、泥道をかけだした。

 ピジョニー・ポールは住まいを転々としていたが、このときはジェイゴウ・ロウの屋根のある部屋で暮らしていたので、キドーはこの家の階段を駆け上がりながら、彼女の名前を呼んだ。

 「ペローのところにきてくれ、はやく」彼が下の踊り場からさけぶと、ポールは扉のところに姿をあらわした。「頼むから、走ってくれ。そうしないと、あの奥さんが死んでしまう。おれは神父さまのところに行くから」それから彼は神父の住まいへと走り去った。

 スタート神父は走り、ショアディッチ・ハイ・ストリートの医師のところへむかった。医師がハンナ・ペローのもとへ到着してみると、彼女はみすぼらしい寝台に体を横たえ、ピジョニー・ポールが心配しながら、不器用な手つきで面倒をみていた。小さなエムは涙をこぼして戸惑い、部屋の隅に座って、蕪をかじっていた。

 

The day had been a bad one with the Perrotts. Dicky had gone out early, and had not returned. His mother had tramped unfed to the sackmakers, but there was no work to be got. She tried the rush bag people, with a like result. Nor was any matchbox material being given out. An unregarded turnip had rolled from a shop into the gutter, and she had seized it stealthily. It was not in nature to take it home whole, and once a corner was cleared, she dragged herself Jago-ward, gnawing the root furtively as she went. And so she joined Em at home late in the afternoon.

Kiddo pushed the door open and went in. At his second step he stood staring, and his chin dropped. ‘Good Gawd!’ said Kiddo Cook.

He cleared the stairs in three jumps. He stood but an instant on the flags before the house, with a quick glance each way, and then dashed off through the mud.

Pigeony Poll was erratic in residence, but just now she had a room by the roof of a house in Jago Row, and up the stairs of this house Kiddo ran, calling her by name.

‘Go over to Perrotts’, quick!’ he shouted from the landing below as Poll appeared at her door. ‘Run, for Gawd’s sake, or the woman’ll croak! I’m auf to Father’s.’ And he rushed away to the vicar’s lodgings.

Father Sturt emerged at a run, and made for a surgeon’s in Shoreditch High Street. And when the surgeon reached Hannah Perrott he found her stretched on her ragged bed, tended, with anxious clumsiness, by Pigeony Poll; while little Em, tearful and abashed, sat in a corner and nibbled a bit of turnip.

 

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アーサー・モリスン「ジェイゴウの子ども」28章 179回

おそらくペロー一家の目にうつっていたキドーの姿はおおよそ、当時、他の者たちの目にうつる姿と同じだった。キドーは、一家の状況を知っていたので(他の者たちの状況も同じようなものだったが)、まじめで、詳細な嘘の話を、苦心してこのように作り上げた。彼には友人がいて、その友人は完璧なまでの紳士だが――スピタル・フィールズ近くのパブを使っていることから知り合いになった――商品の流通網関係の、手広い、複雑な商売に着手していた。その紳士が売っているのは、いろいろな種類の果物や新鮮な野菜、あらゆる肉や人参、キャベツ、乾性ソーセージ、フライド・フィッシュ、豆のプディングだ。彼のモットーは、「すべてを最高の品でそろえる」だった。だが不運なことが起きてしまい、彼には自分の品が最高の品かどうか判断できなくなってしまった。口を損傷してしまったのだが、それはブリキ製のポットで強打されたせいであり、大金持ちの知り合いと激しい口論をしている最中にうけたものらしかった。そこで彼は、立派な紳士であるにもかかわらず、キドー・クックに頼み込んできたので、彼も友情から引き受けることになり、時々立ち寄っては、彼の品物の味を確認することになった。「たっぷり持って行けばいい」彼はいった。「もし迷うようなら、友達の一人か二人に食べてもらって聞けばいい」そこでキドーは相手の言葉にしたがって、しばしばたっぷりと分け前をもらってくることになったが、そうすることで立派な紳士も喜んでくれた。だが、もらった品物の処分方法をすべて分かっているわけではなかったし、その品について正直な意見を聞きたくもあったので(この二つの動機には不明瞭なところがあったのだが)彼は、しばしばペローの奥さんのところに、味見を頼まれた品を持ってきたのだが、そのせいで奥さんが肩身の狭い思いをしなければと思うのであった。決して、そのようなことはなかった。

 雨ふる日が終わり、夕暮れもだいぶ過ぎた頃、キドー・クックは重い足どりでジェイゴウ・ストリートを歩いていたが、そのポケットには、エムのためにリンゴがひとつ入っていた。十分なものではなかったが、金が少し不足していたのだ。なにはともあれ、あの子は喜んでくれるだろう。彼が階段をあがっていくと、ペロー家の扉に消されているものの、苦悶している音が聞こえてきた。最初は啜り泣いていたのかもしれないが、今ではうなり声をあげているように思えた。あきらかに、小さなエムが泣いていた。そして何かで、おそらくは靴のかかとで、床板をけりつけていた。キドーは少しためらってから、そっと扉を叩いた。その叩く音は、気づかれることもなかったようなので、ついに彼は扉を押して開けてみた。

 

Perhaps the Perrotts saw as much of Kiddo as did anybody at this time. For Kiddo, seeing how it went with them (though indeed it went as badly with others too) built up laboriously a solemn and most circumstantial Lie. There was a friend of his, a perfect gentleman, who used a beer-shop by Spitalfields Market, and who had just started an extensive and complicated business in the general provision line. He sold all sorts of fruit and vegetables fresh, and all sorts of meat, carrots, cabbages, saveloys, fried fish and pease-pudding cooked. His motto was:—’Everything of the best.’ But he had the misfortune to be quite unable himself to judge whether his goods were really of the best or not, in consequence of an injury to his palate, arising from a blow on the mouth with a quart pot, inflicted in the heat of discussion by a wealthy acquaintance. So that he, being a perfect gentleman, had requested Kiddo Cook, out of the friendship he bore him, to drop in occasionally and test his samples. ‘Take a good big whack, you know,’ said he, ‘and get the advice of a friend or two, if you ain’t sure.’ So Kiddo would take frequent and handsome whacks accordingly, to the perfect gentleman’s delight; and, not quite knowing what to do with all the whacks, or being desirous of an independent opinion on them (there was some confusion between these two motives) he would bring Mrs Perrott samples, from time to time, and hope it wouldn’t inconvenience her. It never did.

It was late in the dusk of a rainy day that Kiddo Cook stumped into Old Jago Street with an apple in his pocket for Em. It was not much, but money was a little short, and at any rate the child would be pleased. As he climbed the stairs he grew conscious of sounds of anguish, muffled by the Perrotts’ door. There might have been sobs, and there seemed to be groans; certainly little Em was crying, though but faintly, and something—perhaps boot-heels—scraped on the boards. Kiddo hesitated a little, and then knocked softly. The knock was unnoticed, so in the end he pushed the door open.

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アーサー・モリスン「ジェイゴウの子ども」 28章 178回

ジョシュは、模範囚として行動する利点をよく理解していた。そしてチェルムスフォードの監房で、六か月すごしたあと、彼は友人からの面会を許可されることになった。だが、誰も来なかった。彼も、誰かが来るだろうとは、ほとんど期待していなかったので、規則にもとづいて指示をあおいだが、その規則には、役にたつものかどうかは別にして、彼が受けることのできるすべてが記載されていた。ロンドンから面会人がきた場合、ひとりあたり五シリングの運賃が支払われることになっていたのだが、ハンナ・ペローはおそらく運賃に五ポンド支払わなければならないから、面会にくるのは無理だろう。だが本当のところ、彼女には他に考えるべきことがあった。

 

 キドー・クックの姿を、近頃、ジェイゴウでは見かけることが少なくなっていた。事実は単純で、彼は仕事についたのだった。スピタルフィールズ・マーケットで、一週間、運搬の仕事をすれば、十六シリング、もしくは、おそらくそれ以上の収入を得ることができることに気がついたのだ。そして彼はスタート神父から、もう一週間働いてみるように、さらにその後も、もう一週間働いてみるようにと励まされた。スタート神父も手抜かりなく、キドーの野心を刺激したので、ついには、天候の悪いときでも大丈夫なように防水シートをかけた、果物や野菜の露店の店をだしたいという願望を、彼も抱くようになった。その願望を心に秘めながら、その店が自分の独立への証になることを、彼は確信した。

 

Josh Perrott well understood the advantage of good prison-behaviour, and after six months in his Chelmsford cell he had earned the right to a visit from friends. But none came. He had scarcely expected that anybody would, and asked for the order merely on the general principle that a man should take all he can get, useful or not. For there would have been a five shilling fare to pay for each visitor from London, and Hannah Perrott could as easily have paid five pounds. And indeed she had other things to think of.

Kiddo Cook had been less observed of late in the Jago. In simple fact he was at work. He found that a steady week of porterage at Spitalfields Market would bring him sixteen shillings and perhaps a little more; and he had taken Father Sturt’s encouragement to try another week, and a week after that. Father Sturt too, had cunningly stimulated Kiddo’s ambitions: till he cherished aspirations to a fruit and vegetable stall, with a proper tarpaulin cover for bad weather; though he cherished them in secret, confident that they were of his own independent conception.

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アーサー・モリスン「ジェイゴウの子ども」27章 177回

白カビのはえたパン一切れにすぎなくても、何も持ち帰らないで帰宅したりしないと、彼あ心に決めていた。時には、守ることが不可能な決意でもあり、最近では深夜二時すぎた頃、足取り重く帰宅しては、青ざめた顔に衰弱した様子で、暗い部屋に入ると、そこには母と妹がおそらく、いやきっと目をさましたまま横たわり、何も食べない状態で待っているのだ。こうした帰宅の場面に出くわす位なら、外の世界で盗むよりも、さらに無鉄砲な行動に自分をさらすことにした。彼はジェイゴウで、盗みをした。たとえばサム・キャッシュは、薫製ニシンをなくした。

 もうディッキーが、ウィーチさんの店で食べることはなかった。現物で支払いをうけとる場合は、くすねてきた貧相な品々の平均と比べ、価値が低い品である場合だけだった。そういうときは、彼は食べ物を家まで運んだ。だが価値が低い品というものは、よそで売ることもできる品だった。そこで大抵の場合、彼が現金で支払うようにと要求してくるので、ウィーチさんを悲しんでは、長々と、それが憎たらしい、恩知らずな行為であることを説いて聞かせるのだった。だが、彼の説教は、ディッキーの道徳観に、少しも影響することはなかった。

 スタート神父も、ハンナ・ペローの奮闘が、少しも捗っていないことに気がついていたので、外の地区にある教会の救済に申し込むように説得し、彼女の要求がとおるように救貧官と力をつくすことを約束した。だが、子孫をつくりだす女としての、立派な立場に後戻りしようとしているのだろうか、彼女は教会から助けてもらうという考えを嫌い、現状のままでいることを好んだ。少なくとも、奥深くまで染み込んでいる愚かさには、自尊心というお化けが味方しているかのように見えた。現在の状態まで、彼女は少しずつ、力を失っていったのだ。そして、その変化に彼女は気がついていなかった。だが、地元の教会が安堵したことに、明らかに、はっきりとした援助手段があったが、概して、踏みだすのが難しい手段ではあった。だが母子協会から手紙を受け取ったとき、彼女は貪るように読んだ。神父が彼女のかわりに、その手紙をとおして状況を説明した。彼女の死期が、まもなく近づいてきていたからだ。

 

It was his rule never to come home without bringing something, were it no more than a mildewed crust. It was a resolve impossible to keep at times, but at those times it was two in the morning ere he would drag himself, pallid and faint, into the dark room where the others might be—probably were—lying awake and unfed. Rather than face such a homecoming he had sometimes ventured on a more difficult feat than stealing in the outer world: he had stolen in the Jago. Sam Cash, for instance, had lost a bloater.

Dicky never ate at Weech’s now. Rarely, indeed, would he take payment in kind, unless it were for something of smaller value than the average of his poor pilferings; and then he carried the food home. But cheaper things could be bought elsewhere, so that more usually he insisted on money payments: to the grief of Mr Weech, who set forth the odiousness of ingratitude at length; though his homilies had no sort of effect on Dicky’s morals.

Father Sturt saw that Hannah Perrott gained no ground in her struggle, and urged her to apply for outdoor parish relief, promising to second her request with the guardians. But with an odd throwback to the respectability of her boiler-making ancestry, she disliked the notion of help from the parish, and preferred to remain as she was; for there at least her ingrained inertness seemed to side with some phantom of self-respect. To her present position she had subsided by almost imperceptible degrees, and she was scarce conscious of a change. But to parish relief there was a distinct and palpable step: a step that, on the whole, it seemed easier not to take. But it was with eagerness that she took a Maternity Society’s letter, wherewith the vicar had provided himself on her behalf. For her time was drawing near.

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アーサー・モリスン「ジェイゴウの子ども」 27章 176回

屋根があたえられているので、ディッキーは、食べ物を見つけることが自分の仕事だと感じていた。ひとりであれば、飢えから解放されたかもしれなかったが、母親と妹がいた。食料の欠乏が彼の神経をかき乱し、おどおどさせていた。さらに、盗みで捕まるのではないかと考えると、彼の恐怖はかつてよりも強まっていた。夜、寝つかれないまま横たわりながら、そうしたことを考えては汗をかいた。そうなれば誰が、母親とエムのために、外の世界から食べ物を持ってきてくれるだろうか。だが、その危険はますます増大していた。彼は警察の鞭でぶたれたことがあり、それは大層辛い経験だった。だが矯正施設に行くくらいなら、毎日でも鞭でぶたれていいし、涙もながさないで鞭でぶたれることだろう。判事は、父親と母親が手元で監督できる場合は、少年たちを感化院へおくろうとはしなかった。そうすれば、両親が本来はたすべき責任を奪うことになるからだ。だがディッキーの場合、なにがしかの懲罰をあたえるくらいが丁度よかった。そういうわけで、ディッキーは盗品をもとめて徘徊しながらも、必要性をみたせぬまま、すべての機会を失うのではないかという恐怖にかられ、心が引き裂かれるのであった。

 

The roof provided, Dicky felt that his was the task to find food. Alone, he might have rubbed along clear of starvation, but there were his mother and his sister. Lack of victuals shook his nerve and made him timid. Moreover, his terror grew greater than ever at the prospect of being caught in a theft. He lay awake at night and sweated to think of it. Who would bring in things from the outer world for mother and Em then? And the danger was worse than ever. He had felt the police-court birch, and it was bad, very bad. But he would take it every day and take it almost without a tear, rather than the chance of a reformatory. Magistrates were unwilling to send boys to reformatories while both father and mother were at hand to control them, for that were relieving the parents of their natural responsibility; but in a case like Dicky’s, a ‘schooling’ was a very likely thing. So that Dicky, as he prowled, was torn between implacable need and the fear of being cut off from all chance of supplying it.

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アーサー・モリスン「ジェイゴウの子ども」27章 175回

ディッキーは痩せ細って、目のまわりの隈もいっそう濃くなり、体力も衰えていった。彼は、背丈はのびているのだが、そのせいで横幅が減っていく有様がすぐさま目についた。こそこそとした、脅えた表情が顔にはりついているようにみえ、全身から、浮浪者のような雰囲気が漂っていた。母親の長い顔は、これまでになく細長くなり、目の下の隈はディッキーのものより濃くなっていた。弱々しく開いた口は、端のほうがだらりと下がり、まるで泣きながら気を失いかけている女の口のようだった。小さなエムの膝や肘は、不自然なまでに長い手足のあいだの節にすぎなかった。食事がでてくることは、ほとんどなかった。そして食事がでてきても、食べることで、飢えが本当に解決されるのかと、ディッキーは疑念をいだくのだった。だが、彼が絶望している原因とは、小さなエムが子どもらしく泣きわめかないで、声をあげないで涙をこぼしながら、針に糸をとおそうとする姿や、マッチ箱に糊を塗ろうとしている姿のせいだった。幸運のおかげで、マッチ箱づくりの仕事が舞い込んだとき、糊のために、不合理にも二ペンスを支払った。その代物は悪臭のする混ぜもので、酸味がかった匂いがかすかに漂い、割れたティーカップに保存されていたが、妹が指をしゃぶっても、すぐ気がつくようにディッキーの近くに置かれた。実際、小さなエムは、糊のなかに指をこっそりいれたことがあるからだ。

 とぎれとぎれではあるが、様々な手をつかい、ペローの奥さんは金を工面して、家賃を滞りなく支払い続けた。ときにはコッパー銅貨一枚くらいが残ることもあった。彼女も、教会や祈祷会で、うまくやっていた。彼女の有様をみた人々が、時おり、施しものの域をこえた物をくれることもあった。そこで彼女は身につけたのだが、そうした場では、普段よりも自分をみじめに見せることにした。

 

Dicky grew slighter and lanker, dark about the eyes, and weaker. He was growing longitudinally, and that made his lateral wasting the quicker and the more apparent. A furtive frighted look hung ever in his face, a fugitive air about his whole person. His mother’s long face was longer than ever, and blacker under the eyes than Dicky’s own, and her weak open mouth hung at the corners as that of a woman faint with weeping. Little Em’s knees and elbows were knobs in the midst of limbs of unnatural length. Rarely could a meal be seen ahead; and when it came, it made Dicky doubtful whether or not hunger were really caused by eating. But his chief distress was to see that little Em cried not like a child, but silently, as she strove to thread needles or to smear matchbox labels. And when good fortune brought match-boxes, there was an undue loss on the twopence farthing in the matter of paste. The stuff was a foul mess, sour and faint, and it was kept in a broken tea-cup, near which Dicky had detected his sister sucking her fingers; for in truth little Em stole the paste.

On and off, by one way and another, Mrs Perrott made enough to keep the rent paid with indifferent regularity, and sometimes there was a copper or so left over. She did fairly well, too, at the churches and prayer-meetings; people saw her condition, and now and again would give her something beyond the common dole; so that she learned the trick of looking more miserable than usual at such places.

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アーサー・モリスン「ジェイゴウの子ども」 26章 174回

マッチづくりは副収入になるかもしれないが、仕事がもらえるかどうか見通しのたたない作業であり、しかも定期的にもらえる作業ではなかった。おそらくディッキーも、時おり、銅貨を数枚もってくることもあるだろう。それからジェイゴウの境界線のむこうにある教会や小礼拝堂、祈祷会に出席する賢い者たちは、石炭の配給券や長靴のようなもので、報酬をもらっていた。いつ、そして何処に行けばいいのかということを知ることが必要であり、それを知らなければ、時間を浪費して終わるだろう。たとえばベズナル・グリーンには教会があるが、連祷のまえに入るのは愚かだろう。連祷のあとのほうが、十四ポンドの石炭を手にいれるにはいい頃合いだからだ。だが他の場所になると、姿をあらわすのが遅いということについて、それはよくないと異議をとなえるのであった。とにかく、やり方を知らなければいけない。ジェイゴウの女たちのなかには、これだけで生活をしている者が数人いた。彼女たちはその道の専門家で、あらゆる基金と礼拝堂を知りつくし、騙されやすい者たちの出入りも把握していた。もらえる筈の品を手に入れるのが、思いがけず難しくなるとき、人々が腹をたてる度合いに至るまで知っていた。「どういうことなんだろう?」女たちは言うのだった。「こんな悲しい話はひどいじゃないか。聖なる話を二回以上も聞いたんだよ」だが、こう言えるのは熟練者であって、かけひきにおける熟練の技は、長い経験の賜物であり、天賦の才にもとづいていた。だが、ハンナ・ペローが、そうした女たちのあいだに入っていくことは望めなかった。

 こうしたことを考えながら、彼女は本気で困難に立ち向かった。なんとか袋づくりの作業はもらってきたけれど、一、二週間のあいだ、ディッキーが手助けしても、一日に二十四袋をつくることはできなかった。彼女の指は、すりむけてしまった。だが最初の一週間で、なんとか百袋をつくることができた。そんな仕事は無理だったのかもしれなかった。雇い主も、親子に会ったときにそう言った。だが彼女は一シリングと七ペンスをちゃんと手にいれた。四ペンスで自分の長靴を質にいれ、ジョシュの古くて、サイズの合わない長靴をはいた。それからペチコートも質にいれ、二ペンスを手にいれた。ディッキーも少し、手助けをした。二週間が過ぎようとした頃、思いがけない幸運が、マッチ箱の形でやってきた。ペローの奥さんは、最初のうちは、子どもたちと一緒にゆっくりと作っていた。だがディッキーは早く作れるようになり、小さなエムまでが糊ののばし方を学び始めていた。

 

There might be collateral sources of income, but these were doubtful and irregular. Probably Dicky would bring in a few coppers now and again. Then judicious attendance at churches, chapels and prayer-meetings beyond the Jago borders was rewarded by coal-tickets, boots, and the like. It was necessary to know just where and when to go and what to say, else the sole result might be loss of time. There was a church in Bethnal Green, for instance, which it would be foolish to enter before the end of the Litany, for then you were in good time to get your half-quarter hundredweight of coals; but at other places they might object to so late an appearance. Above all, one must know the ropes. There were several women in the Jago who made almost a living in this way alone. They were experts; they knew every fund, every meeting-house, all the comings and goings of the gullible; insomuch that they would take black umbrage at any unexpected difficulty in getting what they demanded. ‘Wy,’ one would say, ‘I ‘ad to pitch sich a bleed’n’ ‘oly tale I earned it twice over.’ But these were the proficient, and proficiency in the trade was an outcome of long experience working on a foundation of natural gifts; and Hannah Perrott could never hope to be among them.

Turning these things in her mind, she addressed herself to her struggle. She managed to get some sacks, but for a week or two she could make nothing like twenty-five a day, though Dicky helped. Her fingers got raw; but she managed to complete a hundred within the first week. They might have been better done, as the employer said when he saw them. But she got her full one and sevenpence. She pawned her boots for fourpence, and wore two old odd ones of Josh’s; and she got twopence on a petticoat. Dicky also helped a little; and at the end of a fortnight there came a godsend in the shape of material for match-boxes. Mrs Perrott was slow with them at first; but Dicky was quick, and even little Em began to learn to spread paste.

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