サキの長編小説 「耐えがたきバシントン」 Ⅻ章135回

コーマスの見とおしがくずれた今、フランチェスカは脅威にみちた自分の今後を悟った。現在の住まいはひとの心まかせの財産なので、昔から不安の種ではあったが、ふたたびよく知っている恐怖の念にかられることになった。ある日、と彼女が心にえがいたのは、おそろしいほど近い将来のことだ。ジョージ・サン・ミッシェルが階段をふみならして駆け上がってきて、期待にあえぎながら集めた情報をつげる姿であり、エメリーン・チェトロフが近衛師団の誰かと、あるいは公立記録保管所の誰かと結婚するという知らせを告げる姿であった。そうなればブルーストリートの家からも、隠れ家からも彼女の人生は根こそぎ倒されてしまい、どこかの安くて惨めな住まいへとさまようことになるだろう。そこでは、美しく、素晴らしいものをもてなしている厳かなヴァン・デル・メーレンとその仲間の絵も情けない環境におしこめられてしまい、さながら不遇の日々におかれた礼儀正しい国外移住者ということになるだろう。考えがたいことではあったが、煩わしいことながら考えなくてはいけないことであった。もしコーマスが自分のカードをうまくきって、邪魔者から富を自由にすることができる息子へと変貌していれば、目の前に影をあらわしている悲劇をかわすこともできただろうし、最悪の場合でもなんとか耐えられる程度にまで悲劇を縮小することができた。

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サキの長編小説 「耐えがたきバシントン」 Ⅻ章134回

コーマスについて、その浪費癖についても、扱いにくい性質についても、フランチェスカは毎日心配していたのだが、好都合な結婚をするかもしれないという見とおしがついたことで、不安も少しずつ静まっていっていた。その結婚をすれば、彼はろくでなしの山師から、裕福な怠け者に変わるだろう。野心にあふれる妻から、そのときどきの影響をうけていけば、彼も人生に明確な目標をいだくようになっただろう。その期待は消え失せ、残酷な悲しみとなった。そして不安がふたたびつきまとうようになったが、かつてよりも執拗な不安だった。彼女の息子は、結婚という市場で好機をつかんだにもかかわらず、それを逃してしまった。今後、もし他の持参金つきの娘に注意をむけたとすれば、財産目当てだと思われるだろう。それは賞賛に値する求婚者まで、遠ざけてしまう障害となるだろう。彼のエレーヌへの好意はあきらかに本物だった。その好意のなかに、更に深い感情をよみとることもできただろう。自分を助けようとする気持ちをたぎらせていたのに、手の届くところある魅力的なひとをかちとるのに失敗してしまったのだ。

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サキの長編小説 「耐えがたきバシントン」 Ⅻ章133回

「たしかに社交界のこの季節で、最高の美男美女の知的なカップルだなあ」別れ際に彼は大きな声でいった。扉がしまると、フランチェスカ・バシントンはひとりで居間に腰をおろした。

 

自分の希望がうちくだかれ、思い出というほろ苦い贅沢に屈するまえに、嫌な客がおしいってこないように用心して、賢明にも手段をこうじた。サン・ミッシェルの出発をうながすようにして見送ってきた女中を呼びつけ、命令をくだした。「私はレディ・キャロライン・ベナレスクのところで午後のお茶をいただいていますから、家にはいないわ」さらによく考え、思いつく限りの訪問客に面会禁止をひろげてから、社交場にいるコーマスをつかまえようと電話で伝言をつたえ、晩餐のために着がえる時間となる前に、できるだけ早く会いに来るようにといった。それから腰をおろして物思いにしずみ、あれこれ考えているうちに涙があふれてくるのであった。

 

彼女はみずから希望の城を建てていた。だが、それは空中楼閣にひとしいスペインの城であったが、ピレネーのたしかな土地に建てられていた。しっかりとした基礎に建てられる筈の城であった。若いふたりは人前で共に行動し、その結果、結婚の仲をとりもとうとする人々の噂にあがり、ふたりの名前は当然のことながら結びつけて語られた。この状況にさす唯一の影とは、前景においても、背景においても、コートニー・ヨールのしつこい存在だった。そして今、その影は現実として見えるところに忍び寄り、希望の城は廃墟となって、塵や残骸からなる屈辱的な姿をさらし、城のなかの部屋は骨格のみ残し、意図をくじかれた建築家をあざけり笑っていた。

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サキの長編小説 「耐えがたきバシントン」 Ⅻ章 132回

「くだらない話がひろまっているようね」フランチェスカは指摘すると、愚かしいその話を語っている当事者にむかって批判をしたのだという満足感をおぼえた。災難がふりかかってきた今、その重みをひしひしと感じ、悪い知らせを伝えにきた人物に心底嫌悪を感じた。その人物は悦に入り、彼女のお茶菓子をかじりながら腰をおろし、退屈な小話の屑をあしもとにばらまいた。不運を告げ、敗北を伝える使いの者を殺すという東洋の専制君主にありがちな傾向に、彼女は共感したくもあり、少なくとも理解したいような気がした。さらに自分の願いと望みはただ一つ、エレーヌを義理の娘としてむかえる可能性にあるということをサン・ミッシェルは知っているのだ。この下品でつまらない魂の持ち主がきりだそうとして、喉をごろごろ鳴らしている話題の裏には、不吉なものがあることがたやすく理解できた。何度も刺すように繰り返される試練に、礼儀正しい忍耐力をもって彼女はのぞんだのだが、だが幸いなことに、サン・ミッシェルは、その日の午後、せわしくあちらこちらを訪問するために、ヨールとド・フレイの婚約をつげている新聞を買い占めるという勤めをあわただしく、でも徹底的に遂行しようとしているのだった。

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サキの長編小説 「耐えがたきバシントン」 Ⅻ章131回

「もちろん椅子の前で、正確には椅子のうえでと言うべきかもしれないけど、話をするときには気をつけているでしょうけど」マーラはしゃべり続けたが、やがて彼女は無防備にもひとりで腰かけている知人に気がついたので、フランチェスカは心から安堵した。その知人が約束してくれるものは、今いっしょにいるのに足早に移動してしまう連れよりも、我慢強く耳をかたむけてくれる聴衆としての役割だった。フランチェスカは解放されると、ブルーストリートにある自分の応接間にもどった。自分が当惑したり、不安になったりしている事柄について、明かりを投げかけてくれるはずの訪問客が到着する旨を告げ、忍耐強くその到着を待ち受けた。やがてジョージ・サン・ミッシェルが、悪い知らせを予言するために到着した。それにもかかわらず彼女は心のこもった歓迎をした。

 

「さてミス・ド・フレイとコートニー・ヨールについてだが、私の聞いた話はそう間違っていないと思う」彼は、腰かける前にするどく言い放った。フランチェスカは、なにも知らない不確かな時期をつむぐのはやめることにした。「おおやけに発表されたよ」彼はつづけた。「明日、モーニングポストにのるだろう。今朝、ディール大佐から聞いた話だが、大佐はヨールから直接きいたそうだ。ああ、砂糖はひとついれて。私は上流の人間ではないものだから」彼は紅茶にいれる砂糖について、少なくとも30年にわたって、同じような意見をつきることなく繰り返してきた。砂糖に関していえば、上流階級の人間はあきらかに変わってきていないということだ。「なんでも聞いたところでは」彼は急いで話をつづけた。「国会のバルコニーで、彼は結婚を申し込んだそうだよ。そのとき採決を知らせる鐘がなったから、返事をもらうだけの時間もないまま、急いで戻ることになった。そこで戻る彼にむかって、彼女は簡潔にいったそうだ。『承諾しました』」サン・ミッシェルは語りの途中で息をつくと、わかると言いたげにかすかに笑ってみせた。

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サキの長編小説 「耐えがたきバシントン」 Ⅻ章130回

パークをぬけて帰宅の途についても、フランチェスカの心でもっとも関心をしめている事柄について、なにも啓蒙してくれるものはなかった。さらにまずいことに、その途中でフランチェスカはマーラ・ブラッシントンの声が聞こえてくる範囲から脱出する可能性のない状態に身をおくことになった。まとわりついてきたマーラは、文明の前哨地に出くわした孤独なツエツエバエのように熱心に語った。

「考えてみてごらんなさい」彼女は不規則にぶんぶんうなりあげた。「ケンブリッシャーにいる私のいとこが、人工ふ化器で、32羽のオーピントン種の白いにわとりをふかしたのよ」

「なんの卵をふ化器にいれたの?」

「白いオーピントン種のなかでも、特別な品種のにわとりよ」

「それなら、その結果には驚くようなところがあるようには思えないわ。も

しワニの卵を入れておいて白のオーピントン種がふ化すれば、カントリーライフに書くようなことでしょうけど」

「公園にある緑色の小さな椅子は、おもしろい形だけど、うっとりさせるところがあるわ」マーラはいうと、新しい話題へと転じた。「アールヌーボー風にもみえるし、木のしたに二脚ずつひきよせて、心をうちあけて話をしたり、だれかの噂話をしたりするときにうってつけだわ。この椅子が物語ってくれるといいのに、目にしてきた悲劇や喜劇を。それから恋の戯れやら結婚の申し込みのときのことを」

「椅子に口がついてなくて心から感謝するわ」フランチェスカはいうと、昼食会の席での身震いするような記憶がよみがえってきた。

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サキの長編小説 「耐えがたきバシントン」 12章 129回

コーマスとエレーヌ・ド・フレイのあいだでは、関係が悪化したのだというフランチェスカの確信は、日がたつにつれて強いものになっていった。彼女は友達の家で昼食をたべたが、そこは重要な社交情報が手に入りそうな場所ではなかった。切望していた知らせのかわりに、彼女が耳を傾けることになったのは、とるに足らない噂話であり、一連の人々の恋について、その状況や騒動についての推測であったが、そうした人々の結婚予定に彼女がいだく関心は、セント・ジェームズ公園の野禽の卵を採取するのと同じ程度のものであった。

 

「もちろん」相手の女主人は記録者の特権的な口調で話したが、それは十分に、深く印象にのこるように強調をしていた。「家族のなかでも、クレールのことは結婚しそうだと常々考えていたものだから、エミリーがやってきて『私、お知らせしたいことがあるわ』と告げたときには、みんなして言ったのよ『クレールの婚約ね』って。そしたら『まあ、ちがうわよ』とエミリーが言うじゃない。『今回はクレールじゃないの、私のことよ』 そこで、その幸運な男は誰なのか推測することになったわ。『パーミンター大尉のわけがないわよね』私たちはいったわ。『だって彼はジョアンに優しいもの』 そしたらエミリーはいったのーーー」

 

記録係のような声の持ち主が、喉をごろごろ鳴らすようにして、心地よい自己満足をしめしながら操るのは、馬鹿げた指摘の一覧表であり、その話題をとりさげるという希望はまったく示されていなかった。

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サキの長編小説 「耐えがたきバシントン」 Ⅻ章 128回

 扉がしまると、フランチェスカ・バシントンはこよなく愛する居間にただ一人残された。アフタヌーン・ティー用の小卓で、歓待をうけて楽しんでいた訪問客が帰ったところだった。さしむかいでの話は、フランチェスカの立場にすれば、とにかく楽しいものではなかった。だが少なくとも、それは彼女が探し求めていた情報をもたらしてくれた。臨機応変に距離をとる見物者としての役をはたしているので、とても重要な求婚の進み具合についても、彼女は知らないままでいた。だが、この数時間のあいだに、彼女は僅かな、でも重要な証拠から、満足できそうな期待を捨てて、なにか悪いことが起きたのだと確信した。前の晩、彼女は兄の家ですごした。当然のことながら、コーマスの姿を、彼の好みに合わない場所で見かけることはなかった。翌朝、朝食の席にも彼は出廷してこなかった。彼に会ったのは玄関で、十一時頃のことだった。彼は急いで追いこし、その夜は夕食まで戻らないとだけ告げた。彼はふさぎこんだ調子で話し、その顔には敗北の表情がうかび、抵抗するかのような雰囲気にかすかにおおわれていた。敗れようとしている男の抵抗ではなく、もう敗れてしまった男の抵抗だった。

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サキの長編小説 「耐えがたきバシントン」11章 127回

エレーヌが長々と、優しい言葉で語ろうとした出来事について、語る彼の言葉はこれがすべてであったが、彼女の人生と彼の人生における重要な章がとじられた。その手紙には後悔の跡もなければ、叱責の跡もなかった。彼女が歩み去っていったように、彼もまた突如として、ふたりのお伽の国から歩み去っていった。しかも、どう見てもくよくよ思い悩んでいるようではなかった。その手紙を幾度読んでも、それが敗北にたいして勇気をふるってのからかいなのか、それとも失ったものにコーマスがいだいていた真の価値を表現しているのか、エレーヌは結論をだしかねるのであった。

 

さらに彼女にはわからないだろう。もしコーマスに完璧なまでの天賦の才があるとすれば、運命が厳しく彼を打ちのめすようなときでも、その運命を笑う資質だろう。でもある日、おそらく笑いも嘲りも、彼の唇のうえで静まりかえるだろう。そう、最後に笑う強みをもつのは運命なのである。

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サキの長編小説 「耐えがたきバシントン」 Ⅺ章 126回

午後の愉快な訪問から戻ったエレーヌを待っていたのは、使者が急いでもってきた手紙だった。それはコーマスからの手紙で、彼女が貸してくれた金を感謝しつつも、返してきた手紙だった。

 

「君に請うべきではなかったと考えている」彼は書いた。「でも、お金のことに関して、君が真面目なのが面白くて、つい借りてしまいたいという衝動に抗えなかった。でも、たった今、君がコートニーと婚約されたという知らせを聞いた。君たち二人を祝福する。すっからかんの文無しの僕には、結婚祝いの贈り物を買うことができない。そこで、パン皿をかえすことにする。幸いにも、皿には君の紋章がついたままだ。これからの人生で、君とコートニーが、その皿からパンとバターを食べているところを考えて楽しむことにしよう」

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