サキの長編小説 「耐えがたきバシントン」 Ⅺ章 125回

「彼女にしてみたら、彼は夫という概念には当てはまらないけど、シュゼットには十分だとおっしゃりたいのね」彼女は自分にむかっていうと、見えないように鼻孔をうごかして鼻をならした。それから微笑みをうかべながらも、かなり恩着せがましい態度で、彼女は相手に損害をあたえる反撃にでた。

「ところで、あなたの婚約の話はいつ聞けるのかしら?」

「今、きけるわ」エレーヌは静かにいったが、それは電撃的な効果をともなっていた。「その知らせを伝えようと思って来たのだけど、まずはシュゼットの話から聞こうと思ったの。それに二、三日のうちに、新聞で正式に発表されるだろうから」

「それにしてもお相手はどなた? 今朝、パークでいっしょにいた方かしら?」シュゼットは訊いた。

「あら、今朝、パークでどなたかたとご一緒していたかしら? 浅黒い肌のハンサムな方のことかしら? ちがうわ、コーマス・バシントンじゃないわ。いずれにしても名前だけは知っているけど。たぶん新聞で写真を見たことがあると思うわ」

「飛行機の操縦士かしら」ブランクレー夫人がたずねた。

「コートニー・ヨールよ」エレーヌはいった。

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サキの長編小説 「耐えがたきバシントン」 Ⅺ章 124回

エレーヌには彼がきわめて面白い人物に思えたので、もしそうした行動が必要であれば、きっと相手をひきだそうと努力したことだろう。彼女は悦にいりながら理解し、相手に耳をかたむけたが、それは悲劇の舞台をみるときに人々が、いつでもその災難から、ただ席を立つだけで抜け出してしまうような理解の仕方だった。ついに彼が意見の流れを時計に目をやりながら確認し、もうよそへ行かなければいけないと告げたとき、その宣言に賛成票をいれてしまいそうになり、手をあげて決議に賛成する旨を示すところだった。

 

その青年は人々に急いで別離を強いたが、それでもシュゼットが示した正確な程度の、省くのも、ふみこえてしまうのも不適切な、優しい親密さのおかげで和らげられた。それからエレーヌは、心からの祝福を期待している様子のいとこの方へとむいた。

 

「わたしからみても、まさに彼はあなたにうってつけの夫だと思うわ、シュゼット」

 

その日の午後になってから二度目のことだが、シュゼットは所有しているものへの熱意が冷めるのを感じた。

 

ブランクレー夫人は、訪問客の判決に皮肉めいた祝福のひびきを感じた。

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サキの長編小説 「耐えがたきバシントン」 Ⅺ章 123回

エグバートは、なんの世間話もしないような男のひとりだったが、尽きることのない様々な話題を提供した。どんな集まりにも顔をだし、とりわけ近隣でひらかれる午後のお茶会の席で、聞き手が限られている女性の集まりだとしても、公の場で発言しているかのような印象をあたえ、最後に質問に答えて幸せになるのであった。ガス灯で照らされた大使館の玄関や湿った雨傘について意見したりするが、どこにいても礼儀正しい拍手がついてまわってきた。その他のことについても、彼が自分で表現するところによれば「新しい考え」についての解説者なのであり、ややかび臭い言い回しを大量に利用しているような感じをそえるのであった。おそらく三十年にわたる風変わりな年月において、男からも、女からも、動物からも、彼が注目される存在であったことはなかった。しかし、そこには彼の断固たる意志が働いていて、以前にみいだしたときよりも、世界を良いものへ、さらに幸せで、純粋な場所にしておこうとするのであった。自分がその場面から姿を消したら、また以前の状況へ逆戻りをする危険があるにもかかわらず、彼はむなしく監視をしていた。死すべき人間には連続性は保証されないものだし、エグバートにしたところで人間なのに。

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サキの長編小説 「耐えがたきバシントン」 Ⅺ章 122回

「もちろん趣味の問題ね」シュゼットは頑なに言いはった。「それに馬に乗るのが好きな男のひとは、たいてい頭脳には恵まれていないでしょう?」

「ほんとうの馬術家と、馬乗りを気取っているだけのひとは違うわ。身だしなみのいい男性と、服装にお金をかけているだけのひとが違うように」エレーヌは裁判官のような口調でいった。「それにご存知だと思うけど、服装にお金をかけているだけの女性が、着こなしを知っていることはほとんどないわ。あるとき、知り合いの年配の女性にいわれたことだけど、たしかに生まれついて着こなしを知っているひとはいる。でも、それ以外のひとは着こなし方を学んでいかないといけないし、その服装は押しつけられているようにみえるわ」

 

レディ・キャロラインの言葉の引用はもっともなものだったが、いとこのドレスから目をそらしてしまう思いがけない感覚は、完全に彼女の考えからくるものだった。

 

「エグバートがきたわ」控えめながら勝利をただよわせてシュゼットは告げた。それは少なくとも、この場で、自分の魅力の捕虜となった者を、活きのいい、良い状態で紹介しているという満足だった。エレーヌは喜びながらも、批判的な眼差しをむけていた。でも目の前の恋人の方が、遠く離れたところに望ましい夫として存在する、着飾って、背筋をのばした馬上にいる幾多の者たちを圧倒していた。

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サキの長編小説 「耐えがたきバシントン」 Ⅺ章121回

「母から婚約のことは聞いたでしょう」彼女は歓声をあげ、真面目にその話題にとりくんで母と同じことを言おうとした。

「出会いはグリンデルバルトだった。彼は私のことを氷の乙女と呼んでいるけど、それはスケート場で会ったからよ。とてもロマンチックでしょう?ある日のこと、私たちはお茶に彼を誘って、それから親しくなったのよ。やがて彼がプロポーズしてきたの」

「シュゼットに魅了されたのは彼だけではないけど」ブランクレー夫人が急いで割り込んできたのは、エグバートの思いのままになっているとエレーヌが考えるのを恐れてのことだった。「アメリカの大金持ちも、古い家柄のポーランドの伯爵も、この子に魅せられていたの。私たちのお茶会にいらしたら、きっと緊張するわよ」

ブランクレー夫人が、旅行をしない友人たちが多く集まるつきあいで、グリンデルバルトについて流してきた風評とは、意地の悪いものながら魅惑するものであり、そこでは生まれもよくて財産のある傲慢なひとたちが、無礼な暴力をはたらきそうになりながら、成り行き任せではあるにしても、なんとか行儀よくしている場所なのだと語ってきていた。

「エグバートとの結婚は、もちろん、人生の範囲を遠くにまで広げてくれるものになるわ」シュゼットは続けた。

「そうでしょうね」エレーヌはいった。彼女の目は、情け容赦なく従妹の身なりを細部に至るまでとらえていた。相手を打ち負かすことのない勝利ほど悲しいものはない。シュゼットが、双方の悲劇が、自分にこの上ない満足をあたえてくれている創造物に集中していると思いはじめたのは、エレーヌが登場してからだった。

「女性でも、自分で業績を築こうとしている男性のことを、社会的な意味で助けることができるわ。共通する考えがたくさんあることを発見して、とても嬉しいの。百冊の良書を選んで一覧表にしたけど、その多くが同じだったのよ」

「本が好きそうな方ね」エレーヌは言いながら、批判的な視線を写真にはしらせた。

「本の虫なんかじゃないわよ」シュゼットはすばやく言い返した。「とてもよく読んでいるひとだけど。行動をおこすひとなのよ」

「狩りはするの?」エレーヌはたずねた。

「いいえ、彼には馬に乗る時間も、機会もなかったから」

「まあ、お気の毒ね」エレーヌは感想をのべた。「乗馬が好きではない男性と結婚するなんて想像できないわ」

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サキの長編小説 「耐えがたきバシントン」 Ⅺ章120回

エレーヌはいまだに直接シュッゼットと会って祝福をしてはいなかったが、シュゼットはすでに正式に婚約を発表しており、その相手とは、洋服の仕立てについて他のひととは異なる見解をもっているような青年だった。出かけていって祝福したい衝動が、コーマスに説明しなければという心よりまさっていた。手紙はまだ空白のまま書かれていない状態であり、頭で考えている文はまとまらないまま続いていたが、それでも彼女は車をだすように命令すると、急いで、でも熟慮したうえで午後の身仕度にかかり、一番贅をこらしているけれど落ち着いた装いをした。シユゼットは、と確信をもって考えた。おそらく、その日の朝、パークで着ていた服のままだろうが、それは細部にいたるまで念入りにつくろうとしたものだが、あまりに手が込みすぎているあまり、かえって失敗していた。

シュゼットの母親は、あきらかに満足そうな様子で、思いがけない客を歓迎した。娘の婚約は、と彼女は語った。シュゼットほどの魅力と有利さをそなえた娘が望むものとしては、社会は輝かしいものとはみないだろうが、エグバートはすべからく立派で頼もしい青年であり、まもなく州議会の一員になることだろう。

「そこから、もっと高いところへと道がひらかれると思っていますわ」

「そうですわね」エレーヌは答えた。「参事会員になるかもしれませんね」

「ふたりが一緒に写っている写真はご覧になったかしら」ブランクレー夫人はたずね、エグバートの将来の地位についての話題は避けた。

「いいえ、ぜひ見せてくださらないかしら」エレーヌはこたえ、まんざらでもない関心をしめした。「そうした類のものは見たことがありませんから。昔、婚約したカップルがいっしょに写真をとることが流行っていましたけど」

「今でも、とても流行っていますわ」ブランクレー夫人は断定したが、その声から自己満足な響きは幾分、取り除かれていた。そのときシュゼットが部屋に入ってきたが、やはり、その日の午前中にパークで着ていた服装のままだった。

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サキ「耐えがたきバシントン」 Ⅺ章 119回

 いつになくエレーヌがかられているのは、いとこのシュゼット・ブランクリーを訪れたいという強い願いだった。どちらかの家で会うことはたまにあったが、よそで会うことはまずなかった。またエレーヌの方でも、彼女とつきあうときに適切さに欠けているという自覚に乏しかった。シュゼットは恩着せがましい関係にあわせていたが、それはいわば程よく裕福で、極端なまでに面白くない娘が、資産家であり頭もいいと思われている知り合いに対してとろうとする関係だった。それに返すようにして、エレーヌがとった武装とは、見せかけの謙虚さという優れた烙印だったが、それは適切にもちいれば当惑させるものなのだろう。なにかを述べて口論になるようなことは、ふたりのあいだにはなかったし、論理的に考えても敵として語られることもないのだが、相手を前にして武装解除することはなかった。相手にふりかかった不運に同情することはほとんどなく、また相手の些細な挫折をみて満足にちかい感情がわきあがった。人間は本質的に、つじつまの会わない不和をたくさん抱えているものであり、それらの不和は人種や政治、宗教や経済的理由から生じて栄えていき、盲目的なひどい愛他主義者に手がかりをあたえてしまう。そうした愛他主義者にとって憎悪とは、慈悲と同じように、この世に占め、目的をなしているものなのである。

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サキの長編小説「耐えがたきバシントン」 Ⅺ章118回

この考えにエレーヌはなぐさめられたが、それでもコーマスから軽蔑の視線をむけられ、困ったときに金を引き出せる都合のいい存在だとみられたことで生じた立腹を抹消するには不十分だった。前途洋々たる自分の将来を入念に思い描くことに幾ばくかの満足を覚えながら、いろいろ出来事の多い日ではあったが、金を借りたいという申し出にたいする使いの者を早めにだした。だが、悔いの念にとりつかれた。そして公正な立場から思いだしたのが、敗北した求婚者の耳に知らせがとびこまないうちに、できるだけ親しみをこめて手紙をかいて知らせを伝えようということだった。かれらが多少なりとも諍いの言葉で別れたということは事実であった。だが双方ともに、別れという形で終わりがくるだろうとも、仲違いをしたまま永遠につづいていくとも予感していなかった。今でもコーマスはなかば許されたものだと考えているだろう。それなのに事実を悟らせるのは、やや酷だというものだろう。しかしながら手紙は、簡単には書けないものであることが判明した。手紙を書くことが難しいということが露呈しただけではなく、説明や別れの文言を書くよりも楽しいことをしていたいという欲望のせめぎあいに苦しんだせいである。

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サキの長編小説 「耐えがたきバシントン」 11章117回 

鋭い洞察力で議会を観察する者なら、彼女に警告しただろうが、政治の世界において、ヨールは現在よりも高い地位につくことはないだろう。野党の自由な論客として華々しく活躍し、先頭にたって政府の退屈かつ目的のない外交政策を攻撃はするが、その政策は攻撃するほどのものでもなければ、外交関係の手腕について祝辞をのべるというほどのものではなかった。若い政治家には人柄にも、信念にも強固なところがなかったので、戦いの最前線にたち、自らの助言にすぐれた価値をあたえることはなかった。だが、その一方で不誠実さもさほどのものではなかったので、人々の指導者として、政治的な運動をかたちづくる者として、故意に、うまく立ち回ることはできなかった。それでもつかの間であれ、公の場における彼の立場は注目をあびるものであり、群衆としてではなく個人として尊重される世界に、安全な地盤をあたえてくれるものであった。その妻になろうとしている彼女も、意志と手腕があれば、重要人物となる機会をつかむだろう。

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サキの長編小説「耐えがたきバシントン」11章116回

そして自分の感情をむける第一の対象をヨールと決めた今、彼女の目にうつる彼のすがたは、きわめて優れた資質を急速に獲得しているかのように思えるのだった。買い物をした者にはありがちなことだが、彼女にはしあわせな、女性らしい傾向があって、品物を手に入れるとすぐに、それが価値あるものであるかのように誇張するのであった。さらにコートニー・ヨールからうける思いとは、自分は賢明な選択をしたのだとみずからを正当化する感情だった。時として自己中心的であり、皮肉めいたところのある彼が、いつも礼儀正しくて優しくしてくれることに、ひときわ喜びを覚えるのだった。こうした状況であれば、どんな男性を判断するにしても、影響をうけてしまうだろう。この場合、もうひとりの求婚者の行動と比べてみることで、その価値が著しく高まるのだった。さらに彼女の目にうつるヨールの姿は、言葉で戦うときであろうと、黒幕として策略をめぐらすときであろうと、論戦の魔術を敵にあびせるという強みがあった。彼が最前列にいる戦いとは、実は陰であやつられているものであり、彼特有の不誠実さにみち、計算された英雄気取りにおおわれて何かを引き起こそうとするものであったが、それでも国の発展と世界の歴史に何らかの価値があることをしていた。

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