サキの長編小説 「耐えがたきバシントン」 Ⅺ章 115回

コリドール・レストランでの重要な昼食会のあとで、エレーヌはマンチェスター・スクェアに戻り(そこに彼女はたくさんいる伯母のひとりと滞在していた)、心のなかで拮抗する感情のもつれと向かい合っていた。まず彼女が意識したのは、安堵感が心を支配しているということだった。彼女が性急さにかられて行動したのは、立腹からではないとは決して言い切れなかった。また本当なら、時間をかけて一生懸命考え、真摯に省みても、解決のつかないような問題であるにもかかわらず、彼女はさっさと片づけてしまったのだ。さらに最終的に決断をくだしたときの性急さを恐れる気持ちが少しばかりあったけれど、今では決心の正しさを疑う気持ちは微塵もなかった。実際、求婚者たちが彼女からあけすけに賞賛されて嬉々としているのに、それにたいして長いあいだ疑いの目をむけていたことのほうが驚きであるように思えた。彼女が恋をしていた相手とは、ここ数週間は、想像上のコーマスであった。だが毅然として夢の国から歩みさった今、わかってきたのは、彼にかわって心に訴えかけてきたすべてのことがらが、現実のコーマスの人柄とかけ離れたものであり、あるいは重なるとしても、それは気まぐれに支配されるものだった。

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サキ「耐えがたきバシントン」 Ⅹ章 114回

かすかな笑みをあやふやにうかべたまま、会釈できる範囲にいる人々すべてに一瞥をなげかけ、セレーヌ妃殿下は彼女らしい特徴のある様子で退出をした。その様子は、レディ・キャロラインの表現を借りれば、トーストからスクランブルエッグが滑り落ちていく様子をいつも思い出させるものだった。玄関のところで、彼女は到着したばかりの青年と一言か二言、言葉をかわした。お茶の消費にせっせとはげむ未亡人軍団にかこまれた隅の方からでも、コーマスには、到着した青年がコートニー・ヨールだとわかり、苦労しながらも、その方角へと進もうとした。ヨールはそのとき、コーマスが熱望するような社交生活の持ち主ではなかった。だが少なくとも、ブリッジの試合をする機会を提供してくれる可能性はあった。それこそが、この瞬間においては他をしのぐ欲望であった。その若い政治家はすでに友人知人にとりかこまれ、祝福の喝采をうけていた。おそらく最近、外務省の討論会でおこなった演説のせいだろうとコーマスは結論をだした。だが、ヨールがみずから告げている出来事は、祝福と関連があるようにみえた。はげしい混乱が政府に生じているのだろうかとコーマスは考えた。それから、そばに近寄ったときに偶然聞こえてきたのは、ふたつの名前を結びつけた言葉であり、おかげで彼はその知らせの内容を知ったのであった。

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サキ「耐えがたきバシントン」 Ⅹ章 113回

「私たちは全員、この世でしたことのせいで、あの世でなんらかの罰をうけることになるとでも考えていらっしゃるのですか」クェントックがたずねた。

「無分別がひきおこす罪とは些細なものですけど。それでも無分別から不都合の大半が生じますし、とんでもないもめ事をひきおこすものです。確信しているけど、クリストファー・コロンブスは、アメリカ人の旅行者の集団に発見されたら、終わりのない苦痛を経験することになるでしょう。あの世のことをおそれたり、その不自由さをおそれたりする私は、時代遅れにみえるでしょうけれど。さあ、もう行かないといけませんわ。とある場所の公立図書館を訪れないといけないものですから。これからの予定はご存知よね。カーライルの半身像の正体をあばき、ラスキンの詩についてスピーチをしたりするのよ。たくさんの人がやってきて、「ラビッド・ラルフよ、彼女にかみつくべきだったのでは」を読むことになるわ。覚えておいてね。太ったキューッピッドが日時計に腰かけているメダルをとるつもりでいるから。それから一言だけいわせていただくわ。ほんとうはお願いするべきではないのだろうけど。でも、とても親切そうな目を信じて、厚かましくもお願いすることにするわ。この栗とレバーの、美味しいサンドイッチのレシピを送っていただけないかしら。もちろん何から構成されているのかは見当がつくけど、大事なのは割合なの。チェストナッツがいくらなのか、レバーがいくらなのか、赤胡椒やその他のものがいくら入っているかという割合なの。どうもありがとう。もう、おいとましなくては」

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サキ 「耐えがたきバシントン」 Ⅹ章 112回

画廊は混みあい、これが客車内ならひどく憤るであろう超満員の状態にも、人々は陽気に耐えていた。玄関付近ではマーヴィン・ケントックがセレーヌ妃殿下に話しかけていた。妃殿下は、ひときわ目立つ有益な人生をおくられていて、「けっこうです」と言ってしまうような気だてのよさと、無能さの影響をうけている方だった。「あの方が、ご自分でやっているバザールの大半が、品物に欠いているのは明白だ」ふざけた口ぶりで、前閣僚がかつていったことがある。そのとき、彼女は気まぐれに後悔していた。

「悪意のない若い人たちの軍団だけど、芸術の課程で上達したご褒美に賞品をくばったばかりだから、画廊に顔をだすことはやめましょう。それというのも、いつも心に思い浮かべているのだけど、あの世で私がうける罰とは、誤った方向に続々とすすんでいく若者のたちのために、永久に鉛筆を削ったり、パレットをきれいにすることではないかしら。間違った信念をいだくように、故意に私がしむけたようなものですからね」

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サキ「耐えがたきバシントン」 Ⅹ章111回

長らく親しくしてきた者が悩ましげな様子をしている絵をながめるうちに、コーマスが心にきめたことがあった。それは自分の望みとは状況を昔に戻すことであり、画家がとらえた母の顔の表情で、つかの間の軽快なうごきが永久のものとして描かれている表情を、もう一度見たいということであった。今くわだてているエレーヌとの結婚が実現すればと、彼は自分の行動の不始末にもかかわらず、その企みを確かなものだとみなしていたので、母親と自分のあいだに生じている仲違いの原因の大半は消え去るだろうと考えていた。とにかく容易に消し去ることのできるものだと考えていた。みずからの背後にエレーヌの金の力があるなら、難なく何らかの仕事をみつけ、浪費家とか怠け者だという非難をぬぐい去ることができるだろう。職業はたくさんあると彼は自分に言い聞かせた。財政的な背景があって縁者にめぐまれている男には、職業はひらかれているのだ。これから待ち受けているのは心躍る時であり、しみったれた唇のうすいヘンリー・グリーチやコーマスのことを非難する他の連中の不快な表情が視界から消え、言葉も耳に入らなくなるだろう。このようにして、細部まで調べるかのように絵を鑑賞しながらも、実は物言いたげで、親しみのこもった微笑みだけをながめ、コーマスはすでに闘いがはじまり、しかも負けてしまった争いのために用意万端の手筈をととのえようと計画をめぐらした

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サキ「耐えがたきバシントン」 Ⅹ章 110回

コーマスは母親の肖像画をながめながら立っていたが、その胸中には、なじみのない環境で、かつては親しくしていたけれど、なかば忘れかけた人に遭遇したような思いがあふれていた。肖像画が優れた作品であることはあきらかだったが、画家がとらえたフランチェスカの目の表情は人々が目にしたことのないようなものだった。その表情は束の間ながら、金の苦労や社交上のつきあいなど、人生の気苦労や騒ぎに心をうばわれることを忘れた女のものであり、なかばものほしげで、親しみをこめた表情を同情的な仲間にむけて過ごす女の表情であった。コーマスが思い出す母の目にうかぶその表情とは、二、三年前のことだが、突然うかんでは、いつのまにか消えていくものであり、彼女の世界がこうした会議室でのやりとりになる以前のものだった。ほぼ再発見にちかいかたちで思い出したのだが、彼女は少年の心には「少しはましなひと」ということで異彩をはなっていた。いたずらをしても骨をおって叱責するより、笑うことのできる部分を見つけようとするからだった。親しかった仲間とのあいだにかつてあった感情が撲滅したのは、大半が自分のせいだということもわかっていた。そしてかつての親しさが、まだ物事の水面下にはあり、もし自分が望めば再びあらわれるだろうということもわかっていた。だが近頃では、敵よりも友達の方が彼にたいしてケチになっていた。

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サキ「耐えがたきバシントン」Ⅹ章 109回

「ずいぶん想像に任せて描いているわね」レディ・キャロラインの舌鋒の範囲から遠ざかっていたアーダ・スペルベクシーがいった。

「でも、とにかく誰を描いているのかわかるもの」セレナ・ゴーラクリィはいった。

「フランチェスカをよく描いた絵だこと」アーダも認めた。「もちろん彼女も喜んでいるでしょうね」

「それが肖像画の目につく欠点でもあるけど」セレナはいった。「結局、後世のひとが何世紀ものあいだ、その肖像画をみつめるというなら、実物の最高の姿を描くよりも、ましに見える姿を描く方が親切だし、理にかなうことになるから」

「でも、この画家の描き方はひどく不適切よ」アーダはつづけたが、まるで画家にたいして立腹しているかのようであった。「彼の描く大半の絵には、魂が欠落しているわ。ウィニィフレッドときたら人がいいから、私の収集品が年配の女性のためのものでも、上手に感情をこめて語るけど、ここに描かれている彼女は、ごく普通の乳搾りをしている金髪娘よ。でもフランチェスカときたら、これまで会ってきた女性のなかでも知性が一番欠けた女よ。彼が彼女にそえたのはーーー」             

「しっ」セレナはいった。「バシントン家の息子があなたのうしろにいるわよ」

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サキ「耐えがたきバシントン」 Ⅹ章 108回

肖像画のなかには、一時的とはいえない関心をひきよせている絵があったが、それはフランチェスカ・バシントンの衣装を描いた習作だった。フランチェスカは、ある若い芸術家を贔屓にしていて、その見返りとして、並々ならぬ想像力をそそいだ独創的な作品で、自分の私物をおさめたパンテオンを豊かにしてもらっていた。その絵に描かれた彼女の姿は、偉大なルイ王朝のもっとも輝かしい時代の衣装に身をつつみ、背景となっているとは言い難い構成ではあるが、一応タペストリーのまえに座っていた。その織物の生地に描かれているのは、マルメロ、ザクロ、トケイソウ、巨大な三色昼顔、藤色の大輪のバラ、アルカディアの平和をかき乱す上機嫌のキューピッドがおしつぶしている葡萄など、異国情緒にあふれ、目をひくような花や果物であった。花で飾られた淑女の絹のガウンにも、淑女が腰かけているソファをおおうザクロの金襴模様にも、それと同じ様な特徴があった。その芸術家はみずからの絵画を「レコルト(収穫物)」と呼んだ。構成という名に値する果物や花、葉の細部がすべて人々の目をとらえ、左隅の広々とした開き窓のむこうにひろがる風景が目にはいってきた。それは冬にわしづかみにされた風景で、むきだしの、荒涼とした、黒く凍てついた景色だった。もし絵が収穫を象徴しているとしても、わざと生育させたものを収穫しているのであった。

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サキ「耐えがたきバシントン」 Ⅹ章107回

しかしながら令嬢の願いは、聞き入れてもらえなかった。レディ・キャロラインは新たに到着した客に注意をむけてしまったのだ。

 「とても興味深い展示会ですわ」アーダ・スペルベクシーは言いかけた。「技法も申し分ないわ。技法について判断したかぎりですけど。ポーズのとり方にも素晴らしいものがありますわ。でも、彼の芸術がとても動物的なものであることに気がつかれましたか? 肖像画から魂をぬきとったようなものですわ。あのウィニィフレッドが、ただの健康的な金髪美人として描かれているのを見て、あやうく涙をこぼすところだったくらい」

 「見ておけばよかったのにと思うわね」レディ・キャロラインがいった。「世間をわかせたルトランド・ギャラリーの招待公演で、強くて勇敢な女性が涙をながす場面を。ドロリー・レーン劇場でもその次の公演で、きっと上演されただろうけど。でも私は運が悪かった。評判のその公演を見逃したのでね。知ってのように、虫垂炎になってね。ルル・ブラミンガードが、七年もの仲たがいのあとで、ウィンザー城での昼食会で、夫を許す劇的な場面だけど。歳老いた女王はそのことに怒り狂った。そうしたことを、そうした場で言うのは料理人に対して無礼だと言ってね」

レディ・キャロラインの記憶のなかでも、ヴィクトリア女王の裁判所で起きなかったような些細な出来事については記憶が鮮明であり、悪名が高いくらいだった。広まりつつある恐怖のひとつに、ある日、彼女が回想録を書いてしまい、あまねく尊敬されることになるのではないかということがあった。

 「レディ・ブリックフィールドの全身を描いた絵について言えば」アイーダは続けて、レディ・キャロラインの回想録を無視しようとした。「すべての表現が意図的に足に集中したかのように見えます。たしかに間違いなく美しい足です。でも、それがはっきりとした人の体であるとはとても言えないのです」

「人間を描いておきながら、まちがった方向に描くとは、ずいぶん変わっていること。きっと分別に欠けているのだろうね」レディ・キャロラインはいった。

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サキ「耐えがたきバシントン」 Ⅹ章 106回

キリスト教の教会にいるほうが、アスコット競馬場の芝生にいるよりも流行の先端をいっているのだという考えを一度ひろめてごらんなさい。そうすれば、見たこともないような宗教生活の胎動を、この世代は経験することになるでしょう。でも聖職者や宗教組織が、「私たちを信じなさい。数百万の人々がそうしているのですから」という台詞で教義を宣伝するならば、期待できるものは無関心だけだし、信頼も弱まっていくことになるのです」

「時代というものが、かたちをかえてで流行を追いかけているにすぎませんけど、芸術作品とおなじように」レディ・キャロラインはいった。

「どのようにかえてでしょうか」ポルティモール師はたずねた。

「宗教についてのそうしたご冗談ですけど、90年代のはじめの頃なら、気が利いたものにも、また進歩的なものにも聞こえたでしょうよ。でも今日では、ひどく陳腐な味がしてくるわ。進歩的だと自称する風刺作家の戯言にすぎない。二十年ものあいだ、心地よく腰かけたまま、自分たちの時代について挑戦的なことをいったり、驚くようなことをいったりしているとでも思っているのね。でも、どんな欠点があるにしても、時代はじっと静止したりはしないものよ。支離滅裂な芝居を演じるシェラード・ブロー派でも、私の心に語りかけてくるものは、巡業中のサーカスのなかにでてくる初期ヴィクトリア朝の家具よ。それでも、過去の物真似がうまいマネシツグミの鳴き声を聞くために、人々を郊外から追い立てて、何か新しくて変革を引き起こすようなことをする先駆者だと考えるのだから」

「サンドイッチのお皿をとっていただけないかしら」空腹に励まされ、令嬢三人組のひとりが頼んだ。

「もちろんですとも」レディ・キャロラインはいうと、ほとんど空になりかけたバターつきパンの皿を手際よくまわした。

「キャヴィアのサンドイッチのお皿をお願いしたのですけど。ご面倒をお願いして申し訳なかったかしら」その令嬢は抗議した。

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