サキ「耐えがたきバシントン」 Ⅷ章 87回

「農場のことをもっと話してくれませんか」

 

そこで彼女に語って聞かせたのは、ここから離れた丘陵地帯にある眠たげな谷のなかの、獣や森の言い伝えにみち、農場を生業とする世界であり、また、そうしたものが混沌と混ざり合った世界であった。時折、魔法との境界線上をさまよいながらも、何も知らない者が調べてまわるような熱心さではなく、多くを見過ぎた者が恐怖のあまり視線をそらすときのようであった。眠りについているものや、気づかれないように歩きまわるものの話を、彼女に語って聞かせたときには闇がたちこめていたが、そのまま話をして、見慣れない猫が狩りをする話、中庭の豚や畜舎のなかの牛の話、詮索好きだけれど他人行儀なままの農場の人々についてまで語った。農場の人々は、考えていることも、怖れていることも、欲望も、悲劇すらも、自分たちが育てている動物や羽のはえた家畜と同じようなものだからだ。エレーヌにすれば、かび臭い匂いのする昔の子どもの本が、蜘蛛の巣がはったガラクタ部屋から落ちてきて、命がよみがえったように見えた。馬小屋近くの小さな放牧地は、丈の高い雑草と伸び放題の草が密に茂り、風雨にうたれて灰色に変色した古い納屋の陰になっている場所で、そこに彼女は腰をおろして魅惑的な物語に耳をかたむけたが、その物語は半分が幻で、残り半分が現であるかのようであり、今ここから数マイル離れたところでは園遊会の最中で、洒落た衣装に身をつつみ、洒落た会話をしている人々が、流行の食べ物を口にしたり、流行の音楽を聞いたりしながら、社交上のいざこざや鼻であしらう行為の背後を熱心にさぐろうとしているとは、とても信じられなかった。

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サキ「耐えがたきバシントン」 Ⅷ章 86回

「君にはわかるだろうか」彼の言葉の続きを聞きながら、エレーヌは干しぶどうのパンを食べ、雌馬にも一口あたえた。「私が今までに目にしてきた文学上のどんな悲劇も、農場の出来事ほどには心に残るものではないということが。その出来事を三つのアルファベットからなる単語でゆっくりと記してみるとこうなる。『わるい狐が赤い鶏をもらった。The bad fox has got the red hen.』この言葉には、完璧なまでに劇的なところがある。狐という悪にみちた存在は、その種ならではの狡さもあって、運命に対峙する雌鶏の恐怖を高めているような気がする。「もらった」という言葉がしめしているのは、傲慢なくらいの悪意だ。武装した田舎のひとが、悪い狐から雌鶏をのがしてあげることはない。時間をかけて作業をする、鈍い観察者だと私は思われているが、それは自分の観察を急がないからだ。私は座って、赤い雌鶏の絵を描き、絶望的にばたばたさせる翼や、恐怖にかられて抗議しながら悲鳴をあげる有様をとらえ、あるいは首のところを襲われて農家の庭に永久に放置された雌鶏が、嘴を無言のまま広く開けて、宙を見つめている様子を描く。若い頃、あちらこちらで、血飛沫がとんだり、おしつぶされたりと屈辱的な敗北を見てきたが、赤い雌鶏は救いようのない悲劇の典型として、私の心に残っている」彼はしばらく沈黙し、子供時代の想像力に残されてきたアルファベット三文字のドラマに思いをめぐらしているかのようであった。「若い頃にご覧になってきたことを話してくださらないかしら」という懇願がエレーヌの口からでかかったが、言いかけたところで彼女は急いでとりやめ、代わりに他のことをいった。

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サキ「耐えがたきバシントン」 Ⅷ章 85回

実に小さい世界だが、この農場の鶏の生活に目をむけてごらん。お屋敷の鶏は、元気のない卵を産む機械にすぎず、何オンスの餌を食べたのか、何ペニーの価値のある卵を産んだのか記録をつけられ、こうした農場の鶏のすばらしい生活については教えてくれない。そう、鳥たちの仲の悪さについても、嫉妬深さについても語ることはない。鳥は特権だけを注意深く維持して、絶大なる権力を惜しむことなく行使しては迫害したり、計算ずみの勇気をふるったり、せっせと臆病なところを隠したりと、まるでラインラントや中世イタリアの記録に書かれた人間についての章と同じようなものかもしれない。ところが口論の輪の外に目をむけると、容赦ない敵が森からあらわれ、国境で襲いかかってくる山賊のように、鷹が檻に入ってくるが、いつ銃で急襲されて、ずたずたになるかもしれないと知ったうえでの行動だ。さらにはオゴジョも、茶色の毛皮を数インチほど腹這いになるようにして動かしていき、熱心かつ露わなまでに血を求めて動いている。さらに赤狐は飢えをしのぐ達人で、生け垣の下で鶏が埃まみれになっているあいだ、自分に機会がめぐってくるのを待ちかまえて、午後の大半を過ごす。やがて鶏が夕餉にむかって中庭へと向きをかえたとき、その羽は最後の震えをおび、次の瞬間には死がその体を跳躍している。

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サキ「耐えがたきバシントン」 Ⅷ章 84回

「サーカスをやり過ごしてから、道にでたほうがいい」ケリウェイはいった。「動物の臭いのせいで、君の馬は神経質になって家に帰ろうとしなくなる」

それから、鍬をふるって抗うかのように繁茂している雑草を相手に忙しい少年に呼びかけ、この御婦人に牛乳を一杯、それから干しぶどうのパンを一切れ持ってくるように言いつけた。

「これほど魅力ある平和な場所を見たことがあるかしら」エレーヌは言うと、洋梨の木が風変りに幹を曲げたところに、親切にもあつらえられたかのようになっている席によりかかった。

 

「たしかに魅力がある」ケリウェイはいった。「だが、こうした些細な生活にも緊張がはしることがあって、平和であるために闘っているのだ。ここに住むようになってから学んで、いつも思うことなのだが、ぽつんと自分の世界にあるような農家でも、素晴らしい研究対象になるものだ。そこは想像されうるかぎりの、事件と悲劇が混ぜ合わされた場所になる。中世ヨーロッパの年代記のように、規律ある無政府状態がたもたれている。まるで中世の封建制度の権力者と大君主、もしくは城塞都市に描かれた落書き、司教に任命された大修道院長、主教のあいだか、強盗男爵と商人ギルドか選挙侯のあいだのようだ。争いにつぐ争い、そして裏をかく計略、さらには緩く適用されている規則をもちだして、あいまいな規則につけこんで相手を妨げる。ここにいれば自分の目で繰り返しを確かめることになるだろうが、ドイツ字体の黴臭い文字がよみがえるようなものだ。

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サキ「耐えがたきバシントン」 Ⅷ章 83回

「人里離れたところに、なんて素敵な小さな家を手に入れたのかしら」感情をこめて、彼女は反射的に言った。それから周囲をするどくみわたしてから、自分がほんとうのことを言ったのだと理解した。確かに素敵な場所だった。農場の家は強烈なくらいに英国風であり、ノルマンディ以外ではめったに見かけないようなものだった。干し草置き場や畑、離れ家、馬洗い池や果樹園が広がる向こうには、人里離れた農家の庭にふさわしい雰囲気がたちこめ、更にここでは人も、動物も、鳥も、とても早起きをするものだから、他の世界からきた者は今までその姿をとらえたことはないし、これからもとらえることはないだろうとでも言うような、夢のなかにいるような雰囲気がただよっていた。

 

エレーヌが馬から下りると、大きくて寂しい納屋横の南京錠のところまで、ケリウェイが雌馬を連れていった。道のむこうでは、サーカスの一行が通り過ぎていくのが見えた。不格好なバンと大股に歩いていく動物たちを見ていると、沈黙している広大な砂漠に、にぎやかな音やら光景やら匂いやらがあらわれ、ナフサの炎や広告掲示板、ふみつけられたオレンジの皮のようなものを思い出したが、それは終わることなく続いていく町につながる風景だった。

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サキ「耐えがたきバシントン」 Ⅷ章82

しばらくすると二つの出来事がおきたが、それは彼の人生で想定されていないものだった。重い病のせいで生命力が半分、そしてエネルギーがすべてふるい落とされたところにくわえて、莫大な額の金を失ってしまい、彼は赤貧の戸口へと連れていかれた。おそらくは、傷をおった動物が自分の仲間から離れる衝動のようなものにかられたせいだろう、トム・ケリウェイは幸せな思いをたくさん味わってきた古巣を離れ、人里離れた農家の貸間を避難所にして退いた。このように元々、彼はエレーヌにすれば噂の人物であった。サーカスの一団との偶然に出会ったことが、彼の退却場所への門戸をひらいたのだ。

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サキ「耐えがたきバシントン」 Ⅷ章 81

彼はハンガリーの馬市をふらふらし、人気のないバルカン半島の丘陵で、臆病だけど悪賢い野獣を猟でしとめては、人でよどんでいるかのようなブルガリアの修道院の溜め池に丸石のように自ら飛び込み、人種のモザイクのようなギリシャのサロニカをすすんでいき、ロシアの町では舌鋒するどい編集長の、先端的だけれど浅い意見を面白がって丁寧に耳をかたむけ、たまたま入った居酒屋では仲間から知恵を学び、大勢にさからう男たちを構成する元素や黒海沿岸へ倦むことなく運ばれる商品について知るのだった。はるかかなたまで歩きまわり、かなりの頻度で、ハプスブルク家の華やかな首都でひらかれる舞踏会や夕食会、あるいは劇場に出席したり、お気に入りのカフェやワインの貯蔵室に姿をあらわしたりして、新聞をざっと斜め読みしたり、大使から靴の修繕屋にいたるまで社交上の範疇における旧知の人や親友に挨拶するのだった。彼が自分の旅の話をすることはめったになかったが、旅が彼を語っていると人々はいった。ドイツの外交官がかつてこのような言葉にまとめた雰囲気が、彼にはあった。「狼がにおいをかぎまわる男」

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サキ「耐えがたきバシントン」Ⅷ章 80回

エレーヌがすすんでいくと、道に立っている一人の男に気がついたが、その男は彼女のために門を開けようとしていた。

 

「ありがとうございます。サーカスの動物をよけようとしているところなのよ」彼女は説明した。「私の雌馬は自動車やら牽引機関車やらには寛大だけれど、ラクダの鳴き声には用心したほうがいいから」彼女が言葉をとぎらしたのは、男が昔の知り合いだとわかったからだ。「どこかの農家で部屋を借りて暮らしていると聞いていたけど。こんなところでお会いするなんて思いもよらなかったわ」

 

幼い娘だった頃、といってもそう遠い昔ではないが、トム・ケリウェイは畏敬と羨望の念で見られている人物だった。移動のおおい彼の職業は華々しいものであり、多くの英国人青年の想像力をかきたて、同じようなことをしたいという物欲しげな願望に火をつけた。それは人々が、暖炉に火がたかれた冬の夜、暗い部屋で興じられるゲームについて憧れ、お気に入りの冒険の本について夢みる様子にも似ていた。ウィーンを司令本部に、しかも自分の家のようにして、ニールから中東まで一覧にあげた地をゆっくりと、丹念にさすらう様は、動物の調教師がパリを探索するかのようだった。

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サキ「耐えがたきバシントン」Ⅷ章 79回

道ばたに低木がしげる小道の角をまがって広い通りにでると、エレーヌがながめている広々とした丘の方へとだんだん登り道になっていき、丘は遠いままではなく、彼女の方へと近くなってきて、黄色く塗られた馬車が数台、茶色と白のまだら模様の馬にひかれているのが見えてきた。近づいてくる一行の粋な雰囲気から、移動中の動物のサーカスだということがわかったが、原始的な鮮やかな色彩で飾られたその外見は、子どもの頃の好みを強く反映したものであり、芸術の価値について愚かしいことを学校で教えられる以前のものであった。鍵がかけられていない状態のため、この出会いは明らかに歓迎されざるものであった。雌馬は、鼻孔、両目、優美にたつ両耳と六ヶ所で、すでに詮索をはじめていた。片方の耳は急いで後ろへとたおれ、近づいてくる一行について、高貴な身分で繊細であるとか態度が立派であるということを、エレーヌが言おうとしていることを聞こうとしていた。だが、そのエレーヌですら、象やらラクダやらが行進している状況を説明しかねていた。そうかと言って引き返すことは、やや臆病であるように思えたし、そもそも雌馬は方向転換を怖がって急に駆け出そうとした。半開きになった門のむこうに農家の庭がつづいていたが、それは困難からぬけだすための機会をあたえてくれた。

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サキ「耐えがたきバシントン」Ⅷ章 78回

一方で、足どりも軽やかに、速歩で進んでいく小さな雌馬に乗って、人影もなく誰も観ている者がいないところを進み、草いきれのする草が茂る小道をとおって未開の国へとむかう乗馬こそ、彼女がそのときにもっとも欲していたものだった。雌馬は用心深く内気なふりをしたが、それは人目をひく路傍の彫像が苛立たしい尻込みをするかのような、愚か者がするような目立つ神経質さなのではなく、想像上の動物が神経をふるわせているかのように、頭をすばやく動かしたり、瞬時にはねあがったりするのだった。彼女は不朽の名声をあたえられたピーター・ベルの精神的な態度を言いかえて口ずさんだ。

 

木の下には籠がひとつ

わたしにむかってくる黄色の虎が一頭

籠はたいしたことがないのに

 

この道には、驚かせるものがたくさんあった。通り過ぎていく自動車のサイレンやブンブンいう音、あるいは道端の脱穀機の大きな振動音といったものが冷淡に脅かすのだった。

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