サキ「耐えがたきバシントン」 Ⅸ章 95回

エレーヌは自分の望みを法にしたいわけではないが、少なくとも、法律について審議する第二読会さながらの形式を重んじていた。彼が計算にいれていなかった重要な要素とは、他の求婚者の存在だった。その求婚者には推薦されるだけの若さもあれば、機知もあり、身体的な魅力にも欠いていなかった。コーマスは勝利を掌中におさめていると言いたそうに、見知らぬ田舎を傍若無人に歩きまわりながら、その一方で自分のかたわらに無敵の敵がいるのに気がつかないという過ちをおかしてしまった。

今日、エレーヌは口論することもないので、コーマスに共感しあっているように思えた。問題に気がついたとしても、そのほとんどは彼女のせいではなかった。実際、穏やかな見地から考えてみても、大半が彼のせいであった。銀の皿の事件にしても、目新しい魅力には欠けるもので、一連のつながりの中でのことであり、強く結びついた類似点から生み出されたものだった。

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サキ「耐えがたきバシントン」Ⅸ章94回

エレーヌとコーマスが甘いひとときを過ごしていたのは、公園にある席代が二ペニーの椅子であった。その椅子を引っぱってきたのは、くっつくようにして腰かけている人々のところからだが、人々がそうして腰かけている有様は、植物が植えられているようでもあり、また芝生が広がっているようでもあった。コーマスはしばらく好戦的な陽気さにかられ、辛辣な批判をとばしたり、逸話を気前よく語ったりしたが、その矛先となっているのは、個人的な知り合いだったり、顔見知りである散歩をしている人や、逍遙をする人についてであった。エレーヌはいつもより静かであり、レオナルド・ダ・ヴィンチの肖像画の、まじめくさった表情は、今朝ひときわ強ばっていた。 時間をかけた求愛のあいだ、コーマスがもっぱら頼るのは、身体的魅力であり、機知に富んだ冗談をとばし、上機嫌になることであった。こうした愛嬌のおかげで、エレーヌの目にうつる彼の姿は、とても望ましいものであり、どちらかといえば愛すべき存在であった。だが嫌悪を顧みようともしないせいで、彼は常に危険にさらされるが、その嫌悪とは他の人がいだいている関心や願望に赤裸々なまでに無関心なせいであり、ときにはエレーヌにまで無関心なせいであった。そういうわけで彼のことが好きになればなるほど、自分への配慮が欠けていることに彼女は苛立つのだった。

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サキ「耐えがたきバシントン」 Ⅸ章93回

「あの女性といると、昔、読んだ詩句が思い出される。私はその詩句が好きだったものだ」ヨールがそう思ったとき、ジョワイユーズは歩道のかたわらにたたずむ観察の鋭い人物に気がつき、軽やかな緩い駆け足で駆け出していた。「ああ、今でも覚えている」

そして声にだしてその詩句を引用したが、それは人々が緩い駆け足をさせるときの陽気さだった。

「どれほど貴女のことを愛していたことか

 なかでも哀しいときにうかべてみせる微笑みを

 優しく仄めかしてみせる微笑みを

 太陽と春を仄めかしてみせる微笑みを

 だが、ほかのなによりも

 言葉には言い表せない憂鬱を」

レディ・ヴーラがこの引用に気をとられているあいだに、彼は自分の心から彼女を追い出した。彼女は女らしい気持ちから彼のことを思い、端正な顔立ちや若さ、悪態をつく弁舌のことを考えて午後まで過ごした。

ヨールがロトントウ通りの楡の木の下で、ジョワイユーズの足並みを試しているとき、彼にとって少なからず関心のある小さな劇が、数百ヤードも離れていないところで演じられていた。

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サキ「耐えがたきバシントン」 Ⅸ章93回

健全な真実を語る説教師にしては、彼女の声には信念が欠けていた。

「もし私とアーネスト・クロプシュトックが神のもとで本当に等しいとすれば」ヨールは慇懃無礼にいった。「神には、眼科医を受診するようにすすめた方がいいでしょう」 クロプシュトックの若者はぬかるんだ土をはね散らかして、つぶれかけた革製の鞍を馬にのせたまま、柵までドタドタ走ってくると、大きな声で、陽気に挨拶をしてきた。ジョワイユーズは優美とはいえない栗毛色をした、とうもろこしのような耳を後ろにたおし、その傍らには、馬に似つかわしい乗り手だと言うべきなのだろうか、ヨールが立っていた。馬がくだした判断が認められ、承認されているのは、ヨールの冷ややかな視線を見れば明らかであった。

「とても素晴らしい時を過ごして楽しんできました」新参者は騒々しいまでの熱心さで語った。「先月、パリにいたのですが、そこでは苺をたくさん食べましてね。それからロンドンにきて、もっと苺を食べたのですが。さらにハーフォードシャーでも、季節はずれの苺をたくさん食べてきました。今年はたくさん苺を食べてきましたよ」それから笑い声をあげたが、それは運命を受けるに値するとでもいう者のようであった。

「そういう魅力的な話でしたら」ヨールはいった。「どこの家の応接間でも語るにふさわしいですな」 それからレディ・ヴーラから、つばの広い帽子で曲線を描くようにして向きを変え、じりじりしているジョワイユーズを馬と乗馬をする人の流れに戻した。

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サキ「耐えがたきバシントン」 Ⅸ章93回

「アンドレイ・ドラクロフです」ヨールはいった。「この前書いた戯曲はモスクワで大きな成功をおさめ、ロシア全土で人気がとてもある作家です。最初の三幕ではヒロインは肺結核のため死ぬと思われているのですが、最後の幕で本当は癌で死にかけているということがわかります」

「ロシアの方って、本当に気を滅入らせるような方々じゃないこと?」

「憂鬱な気分を好む人たちではあるが、少なくとも気を滅入らせるような人たちではありません。悲しみを楽しみに変えてしまうだけのことです。そう、私たちが喜びを悲しみに変えると咎められるように。あの恐ろしいクロプシュトックの若者が歩幅をつめて、せかせか歩きまわっているのに気がつきましたか。こっちに近づいてきて、あなたと視線があったからという様子で話をはじめるでしょう」

「ただ顔を知っている程度よ。農業大学か、そんなところで勉強していたような気がするわ」

「そうです。紳士的な農場経営者になるために勉強していると教えてくれました。紳士になるということにしても、農場経営者になるということにしても、必修科目ではないのにと言いたかったのですがやめておきました」

「あなたは本当にひどい方だわ」レディ・ヴーラは言うと、そう言いたげな顔をした。

「忘れないように。天国の神のもとでは、私たちは皆等しいということを」

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サキ「耐えがたきバシントン」Ⅸ章 92回

レディ・ヴーラはあら探しをするように時間をかけながら、ヨールと彼の馬を見た。彼女の声には、からかいたそうな調子と物言いたげな調子が混ざっていた。

「あなた方はどちらも大切な存在だから、両方とも歓迎したいけど。でもジョワイユーズが受け入れてくれるかしら。だから、言葉で歓迎することにするわ。あなたがサー・エドワードを攻撃した件だけど、とても素晴らしいことだと思う。けれども当然のことながら、すべての言葉に賛成するわけにはいかない。サー・エドワードについて、ドイツの馬鹿がいるところに生け垣をつくって遠ざけようとしていると語ったのは、とても大事なことよ。だけど真面目な話、彼のことを内閣の中心人物だと考えているのだけど」。

「私もそう考えています」ヨールはいった。「不運が、彼のカンバスの骨組みをささえているのです。彼が多額の金を使ってしまう危険な存在であるのは、痛ましいまでの堅実さと正直さ故なのです。平均的な英国人であれば、ローアンの外交的な問題に関する処理の仕方について、世界と取引をしているオマールが神にたいして行う行為と同じようなものだと判断するでしょう。彼は好人物であって、もちろん、それはよいことではありますが」

レディ・ヴーラは冷淡な笑いをうかべた。「私の政党は権力をにぎっているから、私は楽観的になるという特権を行使しているけど。でも誰があなたに降参するのかしら?」彼女が話し続けているとき、黒髪をした肥満体質の男がひとり歩いて通り過ぎていった。「最近、彼をよく見かけるわ。一度か二度、私のダンスの相手になったこともある」

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サキ「耐えがたきバシントン」Ⅸ章91回

見物人が大勢いる小道で、平々凡々たる乗り手たちが群れながら馬に歩き方の練習をさせている最中に、とても楽しそうな姿が目にとびこんできた。その楽しげな人物とはコートニー・ヨールであり、粕毛色をした美しい去勢馬、アンヌ・ド・ジョワイユーズにまたがっていた。この優雅に、足をすすめていく動物は、イズドリンで賞をとったこともある馬だが、馬屋番が気に入らなければ、その命を奪いそうになることもあった。なかでも、違いを強く主張しているのは卓越した外見であり、自分に対するうぬぼれであった。ヨールはどうやら、馬と乗り手が完璧なまでに調和していると思いこんでいた。

「少し休んで話をしていきませんか」静かに招く声が向かい側の柵から聞こえてきたので、ヨールは手綱をひくとレディ・ヴーラ・クルーツに挨拶をした。レディ・ヴーラは堅実に商業を営む一族と結婚し、政治の絵空事に手をつけはじめていた。彼女には献身的な夫がいて、よく言いつけを守る子ども達がいるにもかかわらず、その目には言い表しようのない倦怠感がうかんでいた。贅をこらした庭の階段にたって夫の客を出迎える彼女の様子は、まるで動物がミュージックホールの舞台でショーを演じているようだった。

動物がそうしたがっているからといつも言い聞かせながらも、本当はちがうということを人はいつも理解しているものだ。「レディ・ヴーラは、熱烈な自由貿易主義者なんだろう?」昔、レディ・キャロラインに指摘した者がいた。

「不思議に思っているのだけれど」レディ・キャロラインは、穏やかに問いかけるような声でいった。「ドレスはパリで仕立てて、結婚は天国であげるような女ですからね、自由貿易に賛成するのも反対するのも、どちらも偏った見方じゃないかしら」

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サキ「耐えがたきバシントン」Ⅸ章 90回

六月も終わりに近づいたその日は朝から暑く、長くのびた陰が坂道の地面にのびていた。ロトンロウ通りと愛情をこめて呼ばれ、ロードデンドロンの茂みがある砂利道は、行ったり来たりの単調な動きにあふれ、その時と場所に似つかわしく、用心深さからくる不活発な雰囲気が支配していた。健康であることを求めている人もいれば、悪名高いことしようと求めたり、あるいは理解されることを求めたりする人もいて、更には運動をこよなく愛するひとの姿も、全速力で走り去る大地には見うけられた。砂利道や椅子、長椅子の上に見うけられる人々は、変化に富んだその本能と動機のせいで、社交的な目録である紳士淑女名鑑の制作者を途方にくれさせたことだろう。

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サキ「耐えがたきバシントン」Ⅷ章 89回

雌馬はもう我慢できないとう素振りをかすかにみせていた。放牧場には、意地悪をしてくる虫もいれば、牧草地としてはありきたりの所なので、美味しい飼い葉をもらえる放し飼いの馬屋で気持ちよく過ごせるという期待は見込めなかったからだ。エレーヌはパンのかけらをいじっているのをやめ、鞍に軽やかにまたがった。小道沿いにゆっくり馬をすすめ、ケリウェイが門のところまで見送ってくれた。彼女は周囲をみわたし、つい先ほどまでは絵に描いたような古い農場に思えた、ミツバチの巣箱やタチアオイ、切妻屋根の荷車置き場のある場所をながめた。今や彼女の目には、そこは魔法の街ではあるけれど、その魔法の下には隠された現実があることがわかった。

 

「うらやましいわ」彼女はケリウェイにいった。「おとぎの国をつくりだして、そこに住んでいるのだもの」

 

「うらやましいだと?」

 

彼はふと苦々しい表情をうかべ、畳みかけるように問い返した。彼の方をみると、もの言いたげな苦悩が顔にうかんでいるのが見えた。

 

「むかし」彼はいった。「ドイツの新聞で読んだ短編に、体の不自由な鶴が飼われている話があったが、その鶴は小さな町にある公園で暮らしていた。その話の内容は忘れてしまったが、一行だけ今でも覚えている言葉がある。『体が不自由でした。そういうわけで飼われているのでした』」

 

彼はお伽の国をつくりだしたのだが、たしかにそこで生きているのではなかった。

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サキ「耐えがたきバシントン」 Ⅷ章 88回

ウィーンやバルカン半島の山々、そして黒海は遠く、その存在すら信じることは難しいのではないだろうか、と彼女は考えた。自分の傍らに腰かけている、この素晴らしいお伽の国を見つけ、創りあげたこの男には。現在の出来事が過去の出来事の後味をおしやってしまうのは、運命の真のとりあわせでもあり、人生の慈悲深い申し合わせでもあるのだろうか。ここにいるのは、かつて世を完全に支配していながら、今では全てを失った男であるが、彼は自分が這いつくばっている道沿いにある小さな隅に満足していた。そしてエレーヌは、素晴らしいものを支配下におさめていながら、自分がほどよく幸せなものか決めかねていた。子供時代の英雄だったこの人物を台座からひきずりおろして、もう少し高い場所に連れていくべきなのかどうかもわからなかった。不健康と不運のせいで、かつての恐れを知らぬ放浪者が完璧なまでに従い、服従しているという事実を認めたいというよりも、憤りたいという気持ちでいっぱいだった。

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