アダム・スミス 道徳感情論 1.Ⅱ.24の途中まで ④

戦争の道具も好ましいものである。だが、その目に見える効果とは、外科手術の器具と同様に痛みであり、苦しみである。しかし、それは同時に敵の痛みであり、苦しみであるが、その敵に同情することはない。私たちについて考えてみれば、戦争の道具が直接結びつくものとは、勇気、勝利、名誉についての考えであり、好ましい考えである。戦争の道具とは、衣装のなかでも最も高貴なものであると思われているし、戦争の道具を真似たものは建築のすばらしい飾りの一つだと思われている。

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アダム・スミス 道徳感情論 1.Ⅱ.24の途中まで ③

しかしながら宮殿の効果のなかでもすぐに見いだされるものがあり、それは宮殿内で暮らす人々の衣食住の便であり、喜びであり、陽気さなのである。その効果は好ましいものであり、想像力に心地よい考えをたくさん吹き込む。すなわち宮殿に暮らす人々には能力があり、さらにもう少し先の結果を追いかけようとする気持ちにはめったにならない考えである。絵画や漆喰で模倣された楽器や農作業の道具などの装飾品はよく見かけるものであるが、ホールや食堂の感じの良い装飾品である。同じような装飾品でも、外科手術や解剖のための器具、切断ナイフや骨を切断したり頭蓋骨をひらくためのノコギリなどを題材にしたものもあるが、そうしたものは理性に反するものであり衝撃的なものである。しかしながら農具よりも、外科手術の器具のほうが常によく磨きこまれ、本来の目的の意図にあうように準備してあるものである。間接的な効果ながら手術の道具には、患者の健康に好ましい効果がある。しかし、すぐにあらわれる効果とは苦痛であり、苦しみである。手術道具を見ると、私たちはいつも不愉快になる。

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アダム・スミス 道徳感情論 1.Ⅱ.24の途中まで②

仲間を敬う気持ちがあれば、荒々しく騒々しい感情にかられることもないはずだし、不快な気持ちになることもないはずである。だが、実際にはそうした感情にかられた。こうした情熱の結果が、遠くはなれたところで起きることは好ましい。間近なところで起きる出来事というものは、あらがいながらもその出来事へ導かれる人にすれば、害となるものである。想像力に働きかけて、対象を好ましいものにしたり、あるいは嫌なものにしたりするものとは、身近な出来事である。けっして遠く離れた出来事ではない。例えば監獄は、宮殿よりも役に立つ。宮殿を建設する者は一般的に、監獄を建設する者よりも、愛国心からなる闘争心に導かれる。しかし監獄の影響とは、即効性のあるものであり、監獄のなかに閉じこめられた悲惨な境遇にある人に怖気をふるうものである。想像力のせいで遠く離れた監獄もたちどころに思い描くことができる。そして監獄に影響をうけながらも、遠く離れたものとして監獄を見ている。それゆえ囚人とは常に嫌な対象だろう。目的どおりに機能すればするほど、監獄は遠くから思い描くものとなる。監獄とは反対に、宮殿とは常に好ましいものである。だが、その遠く離れたところからの影響は、人々にとって、しばしばよろしくないものなのかもしれない。宮殿とは贅沢をすすめるものになるかもしれないし、またマナーが崩壊した例となるかもしれないからだ。

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アダム・スミス 道徳感情論1.Ⅱ.24の途中まで①

復讐をめぐって個人への情熱が機能することが知られているのは、相手を侮辱したり傷つけたりすることが危険なものだからである。復讐をめぐって社会への情熱が機能することが知られているのは、正義の保護者としての役割があるからであり、その情熱が誰にでも等しくむけられるからである。これから示すように、復讐をめぐる情熱というものは重要なのである。しかし、そうでありながら、情熱そのものは不快なものである。そこで他のひとのなかに情熱というものがあらわれると、嫌に思う対象になるのは自然である。何らかの体の現状にむかっての怒りの表現が、露骨なほのめかしをこえるものであり、その表現がまちがっていると思えるものだとしよう。その場合、特定のひとを侮辱しているとみなされるだけでなく、すべての仲間に無礼をはたらいているものとしてみなされる。

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アルフレッド・マーシャル 経済学原理 1.Ⅲ.20

「通常」の価格を一時的な価格、あるいは市場の価格と比較するとき、通常という言葉が考えるものとは、一定の状況のもとで、長期間にわたり続くある傾向についてである。しかし難しい疑問を提起しながら、そうすることでその質問を先送りすることにもなる。(1.Ⅲ.20)

 

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オバマ大統領 毎週の演説 2013年5月11日の演説

WEEKLY ADDRESS: Growing the Housing Market and Supporting our Homeowners | The White House.

みなさん、こんにちは。国として最優先にとりくむ事項とは、経済成長のための真のエンジンに再点火することです。経済成長のエンジンとは、ミドルククラス、中間層が上昇していき、繁栄することです。アメリカにおけるミドルクラスを定義するものとはただ一つだけです。アメリカン・ドリームにとって必要不可欠な礎石となるもの、それはマイホームなのです。

 

現在、不動産バブルがはじけてから七年がたちました。大恐慌以来、最悪の経済危機がおこり、責任能力のある数百万のアメリカ国民が仕事と家を犠牲にしましたが、私たちの住宅市場は回復傾向にあります。需要がふえ、抵当に流れる物件が減っています。建設工事も増えつつあります。住宅価格の上昇のおかげで、1700万以上の家族が水面に出て一息つけるようになりました。もはや、そうした人たちは抵当による損失状態にないからです。

 

この職務についてから最優先してきたことは、責任能力のある自家所有者を救済することであり、この危機をひきおこす原因となった無関心を防ぐことにあります。

 

私は住宅プランをたて、200万人以上の人々を、住宅の抵当に再度貸付をすることで救済してきました。再度貸付のおかげで、年額にして平均3000ドルが節約されています。

 

私が新たに設置した消費者を観察するエージェンシーが進めているのは、もっと簡単かつ短い抵当というような保護であり、勤勉な家族がふっかけられないように守るものです。

 

しかし、まだ取り組まないといけない仕事があります。家をもつ人のなかには責任をはたし、抵当の支払いを滞らせたことがないのに、再度融資をうけることが許可されない人々がいます。あらゆることを正しく行いながら働いているのに、値段以上のものを自分たちの家のために払い続けている家族がいるのです。

 

先週、私はメル・ワットという人物を、連邦住宅財政エージェンシーの責任者に指名し、こうした困難に取り組むように依頼しました。メルは20年間にわたって議会でノースカロライナの人々の代表をつとめてきました。当時メルは、不誠実な抵当の貸し手から消費者を守り、責任あるアメリカ国民に自分の家を所有する機会を与えようとして努力していました。彼こそがこの仕事にふさわしい人物なのです。だから議会も自らの仕事をして、一日もはやく彼を承認するべきなのです。

 

議会はここで立ち止まるべきではありません。以前も言ったように、200万人以上のアメリカ国民が、現在の法の割合で、再度融資をうけています。でも、さらによい方向にすすめることが出来るのです。すべての責任ある住宅所有者に再度融資をすることを、私は議会にもとめます。そうすれば一年で、3000ドル節約する機会になるのです。それは3000ドル、税金を節約することでもあります。もし皆さんがこの制度を利用できる立場にある数百万のアメリカ国民の一人であるなら、代表になぜこの法案に決議しないのかと聞いてみなさい。

 

経済と住宅市場は釣り合いをとりながら前進しています。しかし協調することで、さらに良くなることでしょう。もっと多くの良い仕事を。中間層の家族のためにもっと保障を。一生懸命に働いたことが報われているという感覚を。このために私は闘い、この職務にある限り、私が戦い続けるものなのです。

聞いてくれてありがとう。よい週末を。

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アルフレッド・マーシャル 経済学原理 1.Ⅲ.19

普通の経済活動が道徳的にも正しいと、誤解されることがしばしばある。頭に入れておくべきことは、道徳と関わる状況の場合のみ、経済活動が倫理的視点から判断されるということである。この世の事実について、あるべき理想の姿で考えるのではない。ありのままの姿で考え、視野にはいってくる状況でとらえてみるといい。今まで考えるのを止めようとしていた多くの経済活動が、「普通」になってくる。たとえば、大都市における最底辺の貧しい人たちは通常の場合、活力に欠けていて、健康的な生活をあたえてくれる機会を利用しようとはしない。また、むさくるしくない暮らしができる機会をとらえようともしない。肉体的、精神的、道徳的強さがみじめな環境から働いてぬけだすために求められるのだが、そうした人々にはその強さがない。低い賃金でマッチ箱をつくる労働がたくさん存在するということは普通であり、ストリキニーネをとりすぎると結果として足がねじれるということと同じくらいに普通なのである。これは傾向の法則から生じる結果であり、悲しい結果ではあるが、その傾向の法則を研究しなければいけないのである。ここに、経済学が他の科学と共有することが少ない特質がある。すなわち、人間の努力によってデータが形をかえるという特質である。道徳的であり、あるいは実際的な考えを示すことで、経済学は特質を変えていき、特質の法則が作用する結果も変えていく。たとえば経済学とは、マッチ箱をつくる仕事をするだけの人々に、その仕事のかわりとなるような現実的な手段を示すかもしれない。それは生理学が早く成熟するように牛の性質を変える手段をしめし、狭い牛舎でたくさんの肉を生産するようになることと同じなのである。そして信用や価格の揺れについての法則も、予報のなかでも勢いをつけているものによって変えられていくのである。(1.Ⅲ.19)

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アルフレッド・マーシャル 経済学原理 1.Ⅲ.18

更にもう一つ、正さなくてはいけない誤解がある。その誤解は、こうした経済の結果のみを正常だとする考えから生じるものである。だが、その結果とは、自由競争が妨げられることなく行われるせいで生じるのである。しかし、自由競争という用語がしばしば用いられる状況とは、完全な自由競争が存在しない状況であり、また存在するとも思えない状況なのである。一方で自由競争が優勢なところでは、あらゆる事実や傾向など通常の状況に、活気ある要素が含まれる。だが、その要素とは競争の一部でもなければ、競争と同じものでもない。このようにして例えば、小売りと大量販売における処理業務や、あるいは在庫品と綿花の交換業務における処理業務などの通常の手続きは、口頭で契約した仮定にもとづくものであり、証拠なしにかわされるものであるが、それでも立派に成し遂げられるものだろう。この口頭での契約するという仮定が正常に機能しない国では、ふつうの価値というものについての西欧の見解があてはまらない。再度くりかえすと、さまざまな株式取引を保護する相場というものは、通常、愛国心に影響される。だが、ふつうの購買者の愛国心だけではなく、仲介業者の愛国心にも影響されるのである。(1.Ⅲ.18)

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アルフレッド・マーシャル 経済学原理 1.Ⅲ.17

こうした視点から、正常な経済活動とは、産業労働者の集団がある状況のもとで(しかも、この状況がいつまでも続くという条件で)、長い期間をかけて行うものだと思われている。英国のほとんどの地域で、レンガ職人は一日あたり10ダラシでなら喜んで働くが、7ダラシなら働くのを断るだろう。ヨハネスバーグなら、レンガ職人は一日1ポンド以下なら働くのを断るだろう。新鮮な卵の値段とは、とくに異常のない時期なら1ペニーかもしれない。しかし1月の時期に、しかも都市部であれば、3ペニーが普通の値段かもしれない。季節はずれの暖かさのせいで、2ペニーになることがあるとすれば、それは異常なまでに低い値段なのかもしれない。(1.Ⅲ.17)

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アルフレッド・マーシャル 経済学原理 1.Ⅲ.16

平均という言葉の意味は、ずっと誤解されてきている。平均とは、全体に関係すると考えた方がいいし、その様々な使い方のもととなる差異の中で考えたほうがいい。善良なひとや強いひとについて話すとき、肉体的にも、精神的にも、その状況から道徳的にも優れているとか、強いということを言っている。道徳的にすぐれた判断が、強い権力と同じ内容だということは余りない。優れた若者が、優れた徳の持ち主だとはかぎらない。それと同じように、標準という言葉が暗示していることがある。優れていても、断続的な傾向が優位にたつのではない。ぐらつくことなく、永続的にみえる傾向のほうが優位にたつということである。病気にかかるということは、人間にとって異常な状況である。しかし長い人生において、何の病気にかからないような人生も異常である。雪解けのあいだ、ライン川の水位は通常より上昇する。しかし、冷たく乾燥した春であれば通常の水位より下がり、(この時期としては)異常なくらいに水位が低いと言われるかもしれない。こうしたすべての場合において、結果とは、状況からあきらかになる傾向である。言いかえれば、結果とは「傾向についてまとめたもの」、すなわち標準の法則にしたがったものである。そしてその法則とは、状況に即したものなのである。(1..16)

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