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メタ情報
ジョージ・エリオット「ミドル・マーチ」第一巻第一章(No.5)
和訳)
さらには育ちのよい娘らしい倹約も見受けられた。当時、倹約の対象は第一に衣装であり、経済的余裕があれば、もっと階級をはっきりとさせる費用として使われた。そうした理由があったのだから、宗教的な理由がなくても、質素な服装を十分に説明したことだろう。だがミス・ブルックの場合、おそらく宗教だけが衣装を決めた理由だった。そしてシーリアはおとなしく姉の意見にしたがい、それに世知を足しただけで、はげしく動揺することはなく重大な意見を受けとめた。
英文)
Then there was well-bred economy, which in those days made show in dress the first item to be deducted from, when any margin was required for expenses more distinctive of rank. Such reasons would have been enough to account for plain dress, quite apart from religious feeling; but in Miss Brooke’s case, religion alone would have determined it; and Celia mildly acquiesced in all her sister’s sentiments, only infusing them with that common-sense which is able to accept momentous doctrines without any eccentric agitation.
メモ)
ジョージ・エリオット「ミドルマーチ」手稿
ジョージ・エリオット「ミドルマーチ」第一巻一章 (No.4)
和訳)
もし一世代二世代さかのぼって過去を調べたくらいでは、ヤード丈を測るような仕事をしたり、小包を結えるような仕事をしている者を見つけ出すこともなければ、提督や聖職者より低い階級の者を見つけ出すこともないだろう。クロムウェルにつかえ、清教徒のジェントルマンと思われる先祖もいたけれど、後に英国国教徒となって政治的問題を切り抜け、かなりの所領の主となった。こうした家に生まれた娘たちが静かなカントリーハウスに住んで、応接間ほどの大きさしかない教会に通ううちに、けばけばしい衣装飾りについて、商人の娘の野心として見なすようになったのは自然の成り行きだった。
if you inquired backward for a generation or two, you would not find any (1)yard-measuring or parcel-tying forefathers – anything lower than an admiral or a clergyman; and (2)there was even an ancestor discernible as a Puritan gentleman who served under Cromwell, but afterwards conformed, and managed to come out of all political troubles as the proprietor of a respectable family estate. Young women of such birth, living in a quiet country-house, and attending a village church hardly larger than a parlour, naturally regarded (3)frippery as the ambition of a huckster’s daughter.
メモ)
(1)仕立て職人、店員、郵便配達夫、大工。ネイティヴの方は、「そうした職業をだいぶ前に経過していた」というようにとらえていた。一世代二世代では探せないが、それよりも前になればいただろう……という解釈の方がいた。
(2)ブルックス家の運命はこうして逆転したけれど、清教徒のクロムウェルと結びつけられて語られているということは、英国国教会が社会の通念であった19世紀の英国においては、信じることができないということを語っている。
A portrait of Cromwell completed in 1656 by Samuel Cooper(クロムウェル肖像画)
(3)”Huckster”という単語はずうずうしい商人の意味があり、だましとったりする人や吝嗇家の意味がある。さらに加えるなら、生活のために働かなくてはいけない人は見くだされていた。”Huckster”には、社会をのぼっていくという意味や新興富裕層の意味があるので、”ambition”という単語がでてくるわけである。そこでエリオットは、この豪華な服を着ている人物像を語るにあたって、衣装のわりには高い身分の人に見せようとはしないのである。
当時、カール・マルクスも頻繁に”Huckster”や”Huckstering”という単語を使っていたが、その単語には「搾取する仕事」という意味があった。このことから分かるように、”Huckster”にはある階級の人々のその言葉への考えが反映されていた。
ジョージ・エリオット「ミドルマーチ」第一巻一章(No.3)
訳)
そうは言っても、シーリアの方がふんだんに膝飾りのある衣装を着ているわけではなかった。だが近くで観察した者だけが、彼女の衣装は姉のものとは異なっていて、その着こなしにかすかな艶めかしさがあることに気づくだろう。ミス・ブルックの質素な衣装は、不確かな立場のせいであったが、妹もほぼ同じ立場にあった。それにはレディであるという誇りが関係していた。ブルック家の一族は、正確な意味での貴族ではないけれど、「申し分のない身分」であることには疑念の余地がなかった。
英文)
Nevertheless, Celia wore scarcely more trimmings; and it was only to close observers that her dress differed from her sister’s, and had a shade of coquetry in its arrangements; for Miss Brooke’s plain dressing was due to mixed conditions, in most of which her sister shared. The pride of being ladies had something to do with it: the Brooke connections, though not exactly aristocratic, were unquestionably “good:”
メモ)
奇妙な英国の妄想とも言うべき社会的な階層が、ここで明らかになる。この妄想がミドルマーチの重要な根幹となっている。
Pyramid of Capitalist System
(1911年に刊行された漫画「資本主義制度のピラミッド」)
エリオットは”good”という言葉で、控え目に姉妹の社会的な立場をあらわした。
ジョージ・エリオット「ミドルマーチ」第1巻1章(No.2)
訳)
ミス・ブルックには、粗末な服をまとうことで際立つ美しさがあった。その手も、腕も見事なかたちをしているのだから、イタリアの画家たちの目にうつった聖母マリアのように流行から離れた袖であろうが、そうした袖を着たところで問題はなかった。彼女の横顔も、背も、姿も、その地味な衣装ゆえに、いっそう威厳がそなわっているように見えた。田舎風の衣装ということもあって、その姿は聖書からの素晴らしい引用、あるいは現代の新聞のなかにまぎれこんだ古の詩という印象をあたえた。彼女は驚くほど賢明なものとして語られたが、そのときには姉妹のシーリアの方が世知にたけているという言葉が添えられるのであった。
英文)
(1)Miss Brooke had that kind of beauty which seems to be thrown into relief by poor dress. (2)Her hand and wrist were so finely formed that she could wear sleeves not less bare of style than those in which the Blessed Virgin appeared to Italian painters; and (3)her profile as well as her stature and bearing seemed to gain the more dignity from her plain garments, (4)which by the side of provincial fashion gave her the impressiveness of a fine quotation from the Bible, – or from one of our elder poets, – in a paragraph of to-day’s newspaper. She was usually spoken of as being remarkably clever, but with the addition that her sister Celia had more common-sense.
メモ)
1)
最初の文はミス・ブルック(ドロシア)の美しさを強調する文で、その美しさは粗末な服をまとうことで際立つ。服が彼女の美しさを作り出すのではなく、彼女の美しさが質素な服に価値をあたえていることに注意したい。
この冒頭の文は、エリオット自身の文学のスタイルを反映するものでもあって、これからの文学に対する疑問を提起している。エリオットの文学には「粗末な服をまとうことで際立つ美しさ」に該当するものがあるのではなかろうか?小説における「粗末な服装と」は何か?主題やスタイルの選択なのか?
2)
ジョヴァンニ・バッティスタ・サルヴィ「聖母マリア」(ナショナルギャラリー)
エリオットはミス・ブルックの美しさや服装を、イタリア絵画の聖母マリアと比較している。マリアの袖は簡素で(流行からかけ離れた)ものだが、彼女の腕そのものは美しい。
3)
James Tissot’s The Bunch of Lilacs, (1875)
ドロシアは質素な衣服であらわれる。彼女は姉妹のシーリアのように、当時の女性としては標準的な女らしさを持ち合わせていなかった
当時の社会が女性たちに求めていたのは、上の絵のように心よりも外見を磨くことであった。ドロシアの「地味な衣装」は、彼女の関心がどこか他にあることを示唆している。
(4)
ドロシアの生まれついての美しさは質素な衣装と相対するものであり、それは聖書の言葉や詩が新聞の散文と相対するようなものである。つまり彼女の外見は言語のもっとも崇高なかたちである教令集や詩になぞらえられている。いっぽうで彼女の服装は、当時、言語の一番低俗な形だと考えられていた印刷された散文になぞらえられている。
ミス・ブルックは、この時代に属していない。彼女がもたらしてくるのは聖書のような古代、昔の詩のようにいつだか分からない時であって、現在の新聞とは対比をなすものである。
ジョージ・エリオット「ミドルマーチ」1巻1章(No.1)
訳)
1章
わたしに素晴らしいことなんかできない、だって女なんだもの。
いつも素晴らしいことのすぐそばまでは近づくのに。
「メイドの悲劇:ボーモントとフレッチャー」
原文)
Chapter 1
Since I can do no good because a woman,
Reach constantly at something that is near it.
The Maid’s Tragedy: BEAUMONT AND FLETCHER.
~註~
The Maid’s Tragedyは、1619年に発刊された戯曲。フランシス・ボーモントとジョン・フレッチャーによって書かれた。
フランシス・ボーモントとジョン・フレッチャーは、エリザベス女王時代の演劇集団「ザ・キングズ・メン」の一員だった。ザ・キングズ・メンには俳優リチャード・バーベッジとウィリアム・シェークスピアがいた。
この台詞を言っているのは王の愛人でもあり、偶然殺人をおかしたエビアドネである。この台詞は女性に課せられた限界をはっきり表現していて、家のなかで働きたいという気持ち、こうした限度を超えたいという複雑な気持ちをあらわしている。
この台詞はネット上で調べると英語圏の人にとっても理解が難しいようだが、おそらく( )内の語が省略されているのではないだろうか?
Since I can do no good because (I am) a woman,
(I) Reach constantly at something that is near it.
2018.11 隙間読書 谷崎潤一郎「厠のいろいろ」&「陰翳礼讃」
今週末に早稲田中野校で東先生の講座があるので予習に読む。
読んでいくうちに谷崎潤一郎は関西の人では…それなのに少しも関西弁の響きがないと些細なことが疑問に。調べてみると谷崎は東京で生まれ、東京で育ったのであった…。関東大震災後に関西に引っ越しているから、40歳過ぎてからの関西移住となる。
私事ながら文楽を鑑賞していると、私がいいなあと思った関東出身の太夫さんでも、地元大阪の人は違和感を感じる、大阪弁が母語でないと分からない違和感かもと言う。
この太夫さんの語りのどこに違和感…?と考えることが最近多いので、関西に住みながら関東の言葉で書く谷崎の気持ちはいかほどのものだったか…と思う。関西弁の助手もつけたりしたそうだから、「意味のふかい関西弁で書きたい…でも書けない」というジレンマもあったのではないだろうか?
厠で印象に残った箇所を二か所ほど引用してみる。
糞の落ちて行く間を蝶々がひらひら舞っていたり、下に本物の菜畑があるなんて、洒落た厠がまたとあるべきでものではない。
厠がまるで天国のようではないか?こんな厠なら、ずっといたい。
だから便所の匂を嗅げば、ほぼその家に住む人々の人柄が分かり、どんな暮らしをしているか想像できるのであって、名古屋の上流の家庭の厠は概して奥ゆかしい都雅な匂がしたと云う。
ほんとうに家ごとに匂いが違ったのだろうか⁉
かつての日本の厠は、自然を感じながら一人でこもる瞑想空間だった…ということが分かり、今ではそんな厠空間が失荒れていることが残念になる。菜の花畑と蝶々のみえる厠を体験してみたかった。
陰翳礼讃で印象に残ったのは障子について書いた箇所。
その夢のような明るさをいぶかりながら眼をしばだたく。何か眼の前にもやもやとかげろうものがあって、視力を鈍らせているように感ずる。それはそのほのじろい紙の反射が、床の間の濃い闇を追い払うには力が足らず、却って闇に弾ね返されながら、明暗の区別がつかぬ混迷の世界を現じつつあるからである。
障子の魅力について丁寧に語り、障子の醸し出す魅力について「明暗の区別がつかぬ混迷の世界を現じつつあるから」と語る件が心に残る。
私自身、我が家の二面が障子になった部屋が好きである。中から障子ごしに光を感じたり、暗くなれば外から障子のある部屋を眺めて闇にうかぶ障子の白さを楽しむんだり…。そんなことをしながら心落ち着く思いがするのは、「明暗の区別がつかぬ混迷の世界」を楽しんでいるからと納得した。
2018.11.26読了




