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メタ情報
2018.10 隙間読書 Lovecraft “The beast in the Cave”&ラヴクラフト「洞窟の獣」大瀧啓裕訳
ラブクラフトが15歳になったばかりのときに書かれた作品。現在残されている作品で一番初期のもの。
原文 “The beast in the Cave”はネット上に公開されている。
「洞窟の獣」大瀧啓裕訳はラヴクラフト全集7に収録。(東京創元社)
15歳になったばかりの作品ながら、洞窟をめぐる観光ツアー途中でひとり道をはずれて洞窟のなかで迷子になる恐怖、洞窟のなかにひそむ生き物が近づいてくる音の不気味さ、その生き物の正体の哀しさ…とラヴクラフトらしい怖さの萌芽を感じる作品。
でもそこは15歳だから、まだうまく書くことができないで苦労しているところも。そのひとつが音の描写。洞窟内だから音がずいぶんと出てくるのだが、音の表現に苦労している様子が伝わってくる。
The sound was of a nature difficult to describe. It was not like the normal note of any known species of simian, and I wondered if this unnatural quality were not the result of a long-continued and complete silence, broken by the sensations produced by the advent of the light, a thing which the beast could not have seen since its first entrance into the cave. The sound, which I might feebly attempt to classify as a kind of deep-toned chattering, was faintly continued.
その声はいいようのない性質のものだった。既知のいかなる類人猿の声ともちがっていて、もしかしてこの異様な性質は、生物が洞窟にはじめて入りこんで以来見ることのできなかった、光の到来が生ぜしめる興奮によって破られた、長く続く沈黙の結果ではないかと思った。
最後のほうで出てくる文である。これまでにも何度か音の描写が出てきているせいか、ラヴクラフト少年はThe sound was of a nature difficult to describe. とギブアップ気味で微笑ましい。直訳すれば「描写することが難しい」と言っていて、訳者の大瀧氏の方がラヴクラフト少年の舌足らずな英文を補おうと、「音」を「声」と訳されたりしている。
一方で前半の部分には、音の描写で怖さをうまく出しているなあと思うところもある。
Now the steady pat, pat, of the steps was close at hand; now very close.
「いまや着実な足音が間近に迫っていた。」大瀧訳
“the steady pat, pat, of the steps”という響きが、「ひたひた」的な感じが伝わってくるかのよう。さらに”close at hand”と言ってから”now very close”と言い添えている語と語の息のバランスは、だんだん迫ってくる感じをよく表していると思う。
ラヴクラフトらしい音の表現へと、いつ頃からと変化していくのだろうか…以降の作品も読んでみたいと思いつつ頁を閉じる。
2018/10/10読了
チェスタトン「マンアライヴ」二部四章第429回
「その最後の段階だが」マイケル・ムーンは静かに言った。「一連の出来事をとおして、圧力をかけてきた愚かな感情から、私は解放されるかもしれない。始まりも、途中の過程もすべて吹き飛ぶぞと言えばいいのだから。失われた輪とか、そういう類のものは、子供相手にはいいだろう。だが、私が話をしているのは、ここにいる全員が知っていることについてなんだ。我々が知っている失われた輪とは、彼が行方不明中ということなんだ。しかも彼は行方不明になろうはずがない。私たちが彼について知っていことと言えば、頭は人間だけれど怖ろしい尻の持ち主だということである。まさに「頭なら勝ち、尻なら負け」という古い遊びそのものの姿である。もし、やつの骨を発見すれば、はるか昔に彼が生きていたことが証明される。もし、やつの骨を発見しなければ、どのくらい前に彼が生きていたかが証明される。そういう愉快なことなんだよ。君が首をつっこんでいるスミスの件は。スミスの頭は、肩に比べたら小さいから小頭症とも言える。もし頭が大きかったなら、脳水腫と呼んでいただろう。哀れな老スミスの後宮が多様性に富んでいるかぎり、多様性とは狂気の印なんだ。でも今、後宮が白黒画面であることが判明しつつあるから、単一性が狂気の印なんだ。
“At this late stage,” said Michael Moon very quietly, “I may perhaps relieve myself of a simple emotion that has been pressing me throughout the proceedings, by saying that induction and evolution may go and boil themselves. The Missing Link and all that is well enough for kids, but I’m talking about things we know here. All we know of the Missing Link is that he is missing—and he won’t be missed either. I know all about his human head and his horrid tail; they belong to a very old game called `Heads I win, tails you lose.’ If you do find a fellow’s bones, it proves he lived a long while ago; if you don’t find his bones, it proves how long ago he lived. That is the game you’ve been playing with this Smith affair. Because Smith’s head is small for his shoulders you call him microcephalous; if it had been large, you’d have called it water-on-the-brain. As long as poor old Smith’s seraglio seemed pretty various, variety was the sign of madness: now, because it’s turning out to be a bit monochrome—now monotony is the sign of madness.
チェスタトン「マンアライヴ」二部四章第428回
「今のところ、ムーン氏の主張は」ピムが割り込んだ。「こう言えると思う。たとえ正直に言ったとしても、イノセント・スミスの犯罪めいた考え方と調和しないものではないと。私たちが言い続けてきたことではないか。学問がよせる期待とは、そうした複雑さなのである。生まれついての魅力というものに、女性のなかでも特定のタイプ、好色な女性はひきよせられるわけだが、それは犯人のもっとも知られている点であって、狭い視野で考えるのではなく、導入と発展の光に照らして考えたときにー」
“Mr. Moon’s contention at present,” interposed Pym, “is not, even if veracious, inconsistent with the lunatico-criminal view of I. Smith, which we have nailed to the mast. Science has long anticipated such a complication. An incurable attraction to a particular type of physical woman is one of the commonest of criminal per-versities, and when not considered narrowly, but in the light of induction and evolution—”
2018.10 隙間読書 小二田誠二「死霊解脱物語聞書」
江戸時代の怪談「死霊解脱物語聞書」を小二田誠二氏が翻刻、現代語訳と解説をつけて白澤社より発行した本。
「死霊解脱物語聞書」は、残寿という僧によって元禄三年(1690年)に印刷、出版された。
今の茨城県常総市、かつての羽生村で実際に「菊」という娘に起きた憑依事件を、後の増上寺、祐天寺の祐天上人が静めた経緯について、祐天や事件を目撃した人から、残寿という僧が話を聞いて記録したもの。実話をまとめているという点で、怪談噺や怪談物語とは異なるもの。
少しばかりの田畑はあるけれど、容姿が醜い累。夫の与右衛門は畑仕事からの帰り道、累を淵につき落として殺害してしまう。その後、与右衛門は六人の女と再婚するけれど、妻は子供を産まずして次々と死んでいく。ようやく六人目のの女とのあいだに菊という娘をもうけたが、その娘に累の霊が憑依して…という話。
村人たちが祐天上人に頼んで累の霊を静めるけれど、累はいったん成仏して静まっては、何度も戻ってきて菊に憑依。「供養塔をたてろ」とか、「早くたてろ」とかイチャモンをつける。
怖くもあるけれど、そのイチャモンのつけ方が人間らしいというか、どこか滑稽味があって、こわいけどおかしい…という不思議な感覚に。たとえば
其時怨霊気色かわって、ああむつかしのりくつあらそひや。
小難しい理屈なんて知ったことか!
英国の小説を読んでいても、悲しい場面、怖い場面の筈なのに、どこか笑いのおきる場面がよくあって、そのユーモア感覚がなかなか理解するのが難しい。
日本の古典文学も、能にしても、浄瑠璃にしても、悲しい場面、怖い場面なんだけど、笑わせる場面があるように思う。このユーモア感覚は、英国文学と相通じるものがあるのではなかろうか?
さらに菊には新たな霊がとりつく。祐天上人が問いただせば、その霊は累の異父兄にあたる男の子の霊なのだと答える。兄は醜い容貌のため、母によって川に沈められた。その後、生まれてきた累の容貌は、兄とうり二つの醜さ。
「死霊解脱物語聞書」は、恨み、呪いのマトリョーシカみたいな記録談なのである。
作者「残寿」については記録がないようだが、どういう思いでこの話を記したのだろうか?
祐天上人の素晴らしさをたたえるため?地獄、極楽をつたえるため?
むしろ恨み、呪いのマトリョーシカみたいな人間の生きざまを伝えたかったのでは? だから筆者の名前も「残寿」、「残された命(恨み)」なのでは?
もしかしたら累の怨念が、この記録を残したのでは?という気すらしてくる。
この累の恨み、呪いのつらさ、切なさが人々の心に残って、三遊亭圓朝「真景累ヶ淵」、歌舞伎「法懸浜松成田利剣」「解脱衣楓累」、馬琴「新累解脱物語」が生まれたのだろう。
恨み、呪いという感情の強さを思いつつ、静かに頁をとじる。
2018年10月8日読了
2018.10 隙間読書 M.R.James “CANON ALBERIC’S SCRAP BOOK” & M・R・ジェイムズ「アルベリックの貼雑帳」紀田順一郎訳
原文はグーテンベルクより