チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第293回

その一団が微妙な問題を決定するよりも前に、イングルウッドはすでに問題の記述を読みはじめていた。それはフランス語で記されていた。こんなふうに書かれているように思えた。

「ダンケルクのやや北よりの町、グラースの海岸通りでデュロバンカフェの主をしているデュロバンという者です。海からきたよそ者について知っていることすべてを書きたいと思います。

変人にも、詩人にも私は共感をおぼえません。物事に美をもとめる分別ある人は、わざわざ美しくあろうとするのです。たとえば小綺麗な花壇や象牙の彫像を見てごらんなさい。美を人生すべてに行きわたらせことは許されないことなのです。それはすべての道を象牙で敷きつめられないようなものであり、また原っぱ中をゼラニウムでおおうことができないようなものです。自信をもって断言しますが、私たちは玉ねぎも必要とするべきなのです。

 

Before the company had decided the delicate point Inglewood was already reading the account in question. It was in French. It seemed to them to run something like this:—

“Sir,—Yes; I am Durobin of Durobin’s Cafe on the sea-front at Gras, rather north of Dunquerque. I am willing to write all I know of the stranger out of the sea.

“I have no sympathy with eccentrics or poets. A man of sense looks for beauty in things deliberately intended to be beautiful, such as a trim flower-bed or an ivory statuette. One does not permit beauty to pervade one’s whole life, just as one does not pave all the roads with ivory or cover all the fields with geraniums. My faith, but we should miss the onions!

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第292回

そうした印象を決定づけたのはマイケル・ムーンで、言葉は少ないながら、明確な表現で、三回目の告訴のときに立証した。スミスがクロイドンから逃げ出して大陸に消えたことを否定するには程遠いものではあったけれど、彼はこうしたことをすべて自分の言葉で証明しようとしているように思えた。「あまり皆さんが島国根性でなければよいのですが」彼は言った。「イギリスの庭師の言葉ほど、フランスの宿屋の主の言葉に敬意をはらわないようなことがなければいいのですが。イングルウッド氏の好意のおかげですが、フランスの宿屋の話をこれから聞いてみましょう」

 

This impression was somewhat curiously clinched by Michael Moon in the few but clear phrases in which he opened the defence upon the third charge. So far from denying that Smith had fled from Croydon and disappeared on the Continent, he seemed prepared to prove all this on his own account. “I hope you are not so insular,” he said, “that you will not respect the word of a French innkeeper as much as that of an English gardener. By Mr. Inglewood’s favour we will hear the French innkeeper.”

 

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第291回

しかし庭師の説明によれば、彼が誓いをたてて告白しようとしたのは重婚のことやら、空に放り投げられた熊手が一瞬消えたことやら、道を歩いていた男が最後に消えたということであった。さらに地元の男ではあるけれど、スミスが南東の海岸に乗り出していったという噂以外には、彼について知っていることはないと誓いをたてた。

 

But the gardener, on his own account, was quite prepared to swear to the public confession of bigamy, to the temporary disappearance of the rake in the sky, and the final disappearance of the man up the road. Moreover, being a local man, he could swear that, beyond some local rumours that Smith had embarked on the south-eastern coast, nothing was known of him again.

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2018.02 隙間読書 栗林佐知「はるかにてらせ」

意外さがいろいろつまりながら、最後はきれいに、心きよらかな気持ちになる驚きにつながる作品。

まず1頁の2行めから女の幽霊がでてくるという意外さ。幽霊が登場人物という意外さ…にとても嬉しくなってしまう。

その幽霊は「髪のさらさら長い、つぶらな目」で、学生時代の軽音部のありさー先輩。しかも、この幽霊は「けらけらころころ、笑い声が響いた」り、「身体をしなりと横むけ、小指を立てた手を口もとに添えて笑っている。青く色褪せた和服美人、白川そのみさんのマネをしている」こともあって、どこかユーモラス。これも意外。

主人公サワちゃんがありさー先輩たちとポップコンテストで歌った歌の意外さ。現代の作品に過去の歌をとりいれる創意工夫の楽しさ、意外さ。

「はるかにてらせ 山の端の月

 信じるものさえ見えないよ

 はるかにてらせ 銀色の月

 冥きより 冥き道を」

この和泉式部の歌を教えてくれた中学の国語の先生の思い出。やんちゃな生徒と戦うその先生が仕事をやめ、主婦になったことへの落胆。主人公サワちゃんも歌手への夢をなかばあきらめ、主婦になっていることを思い出させるのは幽霊のありさー先輩。

なぜ、この幽霊はでてくるのだろう?と思ったところで、ちょうどサワちゃんがこう訊ねる絶妙のタイミングの意外さ、心地よさ。

「でも先輩、なんで出てきたのですか?」

サワちゃんはやがて気がつく。

「がんばることさえできなかったから、私はあきらめることもできないでいる」

そんなサワちゃんに先輩は語りかける。

「幽霊って、自分のこと、恨んでる人のところにでるんだよ」

サワちゃんも、先輩の言葉にうなづき、こう考える。

「どんなに先輩と一緒にがんばりたかったことだろう。どうして先輩はちっともがんばってくれなかったのだろう。がんばらないくせに『やめる』とも言わず、側にいてけらけら笑ってばかりいるのだろう。こっちはずっと尊敬しているのに」

そんな先輩の言葉を聞いているうちに、サワちゃんは自分の気持ちに気がつく。

今日の夕方にはまたしぼんで、ばかばかしい気持ちになっているんだろうけど。でも、やっぱり歌いたい。

そう思ったサワちゃんは、ありさー先輩の幽霊にこう語りかける。

「だから先輩、もういいから、安心して成仏してください」

ありさ―先輩は成仏したのか消え、物語は終わりをむかえる。サワちゃんも自分の気持ちに気がつき、幽霊も成仏していく。読んでる者の心も安らかになる…という形はまるで能のようではないか。現代風の言葉を話す主人公たちが、能のような形式でまとまっていく意外さ。

いろいろな意外さに心癒された。

「はるかにてらせ」は印象に残る題だが、「くらきより くらきみちを」という続編があれば…とも思った。

読了日:2018年2月24日

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第290回

こう言いながら、彼は熊手を空めがけて放り投げーその熊手はかつて大勢の人々が放った矢よりも高いところまで飛んでいったー、そしてふたたび熊手をとらえた。それから駆け足で生垣をはらい浄めると、下の小道に降り、帽子もかぶらないで道を進んでいった。その叙述の大半は、イングルウッドがたまたまその場所を覚えていたことからきていた。彼が心の目で見たのは、背が高く、帽子をかぶっていない人物が、ぎざぎざの熊手を手に、くねくねとした森の小道を意気揚々と歩き、街灯も、郵便ポストも通り過ぎていく姿であった。

 

With these words, apparently, he sent the rake flying far up into the sky, higher than many could have shot an arrow, and caught it again. Then he cleared the hedge at a leap and alighted on his feet down in the lane below, and set off up the road without even a hat. Much of the picture was doubtless supplied by Inglewood’s accidental memory of the place. He could see with his mind’s eye that big bare-headed figure with the ragged rake swaggering up the crooked woodland road, and leaving lamp-post and pillar-box behind.

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第289回

あきらかに、彼は熊手を適切な使い方にもとづいて使おうとは考えなかった。そしてその結果、庭師は冷ややかに、そっけなく、彼の行動について語った。それでも庭師には自信があったが、十月のある朝、家の角を曲がりながらホースを手にしているとき、スミス氏が芝生に立っている姿を見た。スミス氏は赤と白の縞の上着を着ていたが、それはゆったりとしたスモーキング・ジャケットだったのかもしれないけれど、パジャマのようでもあった。庭師は、彼がすぐさま妻に呼びかける声を耳にした。彼女は寝室から庭園をながめていた。その声はきっぱりとしていて、騒々しかった。

「もうこれ以上ここにいるつもりはない。ここから遠いところで別の妻をもらい、もっといい子供たちを授かっている。もう一人の妻の髪のほうがずっと赤いし、もう一人の庭師の方が庭をもっと素敵にしている。だから、そっちの方へ行くんだ」

 

Never, apparently, did he think of putting the rake to any of its proper uses, and the gardener, in consequence, treated his actions with coldness and brevity. But the gardener was certain that on one particular morning in October he (the gardener) had come round the corner of the house carrying the hose, had seen Mr. Smith standing on the lawn in a striped red and white jacket (which might have been his smoking-jacket, but was quite as like a part of his pyjamas), and had heard him then and there call out to his wife, who was looking out of the bedroom window on to the garden, these decisive and very loud expressions—

“I won’t stay here any longer. I’ve got another wife and much better children a long way from here. My other wife’s got redder hair than yours, and my other garden’s got a much finer situation; and I’m going off to them.”

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第288回

イングルウッドは、その場所をよく知っていた。健康のために自転車を走らせ、二十回ほど通り過ぎたことがあったからだ。通りがかるたびに、そこは何かが起きそうな場所だとかすかに感じた。だが彼が心底震えているのは、怖ろしい友達なのか、あるいは敵なのか分からないスミスが、いつ何時、頭上の庭の茂みにあらわれたかもしれないと感じているからであった。庭師の説明は、牧師補とはちがって、派手な形容詞はなかった。しかしながら文に書けば、ひそかにたくさんつぶやいたのかもしれなかった。庭師がただ語ったことは、ある朝スミス氏は姿をみせると熊手で遊び始めたが、それはしょっちゅうしていることだった。ときどき彼は上の子供の鼻をくすぐったりすることもよくあったー彼には二人の子供がいたー。ときどき彼は木の枝に熊手をかけて、運動をするような勢いで熊手をつかんで木を登ったが、それは巨大な蛙が最後の苦しみにのたうちまわっているかのようだった。

 

Inglewood was sure of the place; he had passed it twenty times in his constitutionals on the bicycle; he had always dimly felt it was a place where something might occur. But it gave him quite a shiver to feel that the face of his frightful friend or enemy Smith might at any time have appeared over the garden bushes above. The gardener’s account, unlike the curate’s, was quite free from decorative adjectives, however many he may have uttered privately when writing it. He simply said that on a particular morning Mr. Smith came out and began to play about with a rake, as he often did. Sometimes he would tickle the nose of his eldest child (he had two children); sometimes he would hook the rake on to the branch of a tree, and hoist himself up with horrible gymnastic jerks, like those of a giant frog in its final agony.

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2018.02 隙間読書 ルキアノス「嘘好き、または懐疑者」

訳者:高津春繁

「世界幻想文学大全 怪奇小説精華」収録 東雅夫編 筑摩書房

〇〇ースという聞きなれない名前があふれる世界にやや混乱、途中で最初から読み返してしまったが、それでもすごく面白い。テュキアデースという男が病のエウクラテースを見舞い、そこでさんざんほら話を聞かされる。そのほら話をピロクルースに語って聞かせるという形。

シリアの人ルキアノス(120~180頃)がこの作品を書いたのは二千年近く前。それなのに怪奇幻想を産み出す心は今と同じということに感動。ルキアノスが産み出した怪奇幻想の世界にも感動。


たとえば台から降りて邸を歩き回る銅像も、目にうかぶように細かく描写されていて、読むのが楽しい。

彼(銅像)は自分の立っている台から降りて邸の内をぐるぐると歩き廻るのだ。われわれはみんな彼に、時には歌っていない彼に、出逢う。だが誰にも害は加えない。ただ側によるだけでよいのだ。すると彼は見ている者にちょっとも邪魔しないで通って行く。それから本当だよ、彼はしばしば入浴して一晩中遊んでいる。だから水音が聞こえる


大地の割れ目から見える地獄の風景も、まるで目にうかんでくるように語られている。

ヘカテ―は蛇形の足で大地を蹴って、タルタロスに達するほど深い素晴らしく大きな割目をつくった。それから間もなくその中に飛び込んで立ち去った。わしは勇を鼓して、目まいがしてまっ逆さまに落ち込まぬように、近くにはえている木につかまって、のぞきこんだ。そこでわしは地獄の中のあらゆるものを見た。火焔の川、湖、ケルベロス、死人たち、その中の二、三人が誰だか分かったほどだ。例えばだ、わしの父がわれわれの着せて葬ったのと同じ着物を身に纏っているのをはっきりと見たよ。


すりこぎに呪文をかけて召使をつくりだしたのはいいが、水汲みをやめる呪文が効かず、いつまでも水汲みを続ける場面にも笑ってしまう。

聖者が閂やすりこ木に着物を着せかけ、呪文をとなえると人間になって仕えてくれる召使になる。聖者がその呪文を教えてくれようとはしないので、エウクラテースは呪文を盗み聞きして、すりこぎを召使にかえてしまう。ただ、その召使は水がいっぱいになっても、水くみをやめようとはしない。閉口したエウクラテースが、斧で真っ二つにすると、今度は召使が二人あらわれ、せっせと水汲みをまた始めた。


二千年前の人々も、夜のむこうに私たちと同じ気配を見て怖れたり、笑ったりしたのだなと、今とまったく変わらない心があることに驚いた。

高津訳はだいぶ言葉を補いながらの訳である。もしかしたらそのせいで原文と意味が離れてしまい、読みにくいところがあるのかも…という気がした。ちなみに題も英語での題はThe liar である。嘘好きの方が話の内容にあっているが…。ルキアノスはじっくり英訳を読んでみたい作家である。

読了日:2018年2月16日

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第287回

グールド氏は相変わらず上機嫌のまま立ちあがって庭師を紹介した。その庭師の言葉によれば、彼がイノセント・スミス夫妻に仕えたのは、夫妻がクロイドン通りのはずれの小さな家を手に入れた頃のことである。庭師の話はいろいろなことに触れたので、イングルウッドは自分がその場所をみたような気がしてきた。その家があったのは町だろうか田舎だろうか、とにかく道のはずれで、忘れようとしても忘れることができない場所であった。それと言うのも砦に見えるからだ。庭は道よりも高いところにあった。庭のはずれは急斜面になっていて要塞のようだ。向こうにはまごうことなき田園風景が広がり、その風景を一本の白い道が横切っている。灰色の木々の根も、幹も、枝も、空を背景にくねくねと曲がり、ねじれている。小道そのものは町からのびていると主張しているかのようで、灰色に隆起している高台を背にして、くっきりと浮かび上がっているのは奇妙な黄緑色に塗られた街灯で、はずれには赤の郵便ポストがあった。

 

Mr. Gould, with his tireless cheerfulness, arose to present the gardener. That functionary explained that he had served Mr. and Mrs. Innocent Smith when they had a little house on the edge of Croydon. From the gardener’s tale, with its many small allusions, Inglewood grew certain he had seen the place. It was one of those corners of town or country that one does not forget, for it looked like a frontier. The garden hung very high above the lane, and its end was steep and sharp, like a fortress. Beyond was a roll of real country, with a white path sprawling across it, and the roots, boles, and branches of great gray trees writhing and twisting against the sky. But as if to assert that the lane itself was suburban, were sharply relieved against that gray and tossing upland a lamp-post painted a peculiar yellow-green and a red pillar-box that stood exactly at the corner.

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2918.02 隙間読書 北村薫「朧夜の底」「六月の花嫁」「夜の蝉」

初出:1990年

東京創元社

殺人も、財産騒動も何も出てこないけれど、人の心の意外さを解き明かしてアッと驚かす北村作品、私にはとても楽しいミステリである。

「朧夜の底」で語られた赤いドレスを着て可愛い姉、同じ服を着てもなぜか可愛く思えない私のエピソード。それに「夜の蝉」の赤のスリッパ、ピンク色のスリッパをめぐる姉妹の争いも絡んで、この姉妹の葛藤も大事な伏線になっている。

こんな心の錯覚を見せてくれるミステリもいいなとおもう。

主人公「私」の名前は出てこなかったと思うが。シリーズの最後まで名前は分からないままなのだろうか?なぜ主人公の名前を空白にしたのだろう…その意図も知りたい。

読了日:2018年2月14日

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