サキの長編小説 「耐えがたきバシントン」第1章(訂正して再度)

耐えがたきバシントン

 

作者の覚え書き

 

この物語に教訓はありません。

もし悪を指摘したとしても、救済策は何も示していません。

 

一章

 

 フランチェスカ・バシントンは、ウェスト・エンドのブルー・ストリートにある自分の家の居間に座り、尊敬すべき兄ヘンリーと一緒に中国茶を飲みながらクレソンをはさんだ小さなサンドイッチを堪能していた。料理は洗練された分量であったため、小腹をみたしたいというその時の欲求をみたしながらも、満ち足りた昼食会を思い出しては幸せを感じることのできる量であり、また幸いにも、このあとの晩餐を心待ちにできるほどの量である。

 若い頃、フランチェスカは美貌のグリーチ嬢として知られていたが、四十歳になった今、元々の美貌はかなり残っているものの、あくまでもフランチェスカ・バシントンの奥さまにすぎなかった。彼女にむかって「いとしい人」と呼びかけなんて、誰も思いもよらなかっただろう。だから彼女のことをあまり知らない人の大多数は、「奥様」ときちんと言い添えた。

 敵にしても率直な気分のときに聞かれたら、彼女がすらりと美しく、服の着こなしも知っていることを認めただろう。だが敵にしたところで、友達にしたところで意見が一致するのは、彼女には魂がないということであった。友と敵がなんらかのことで意見の一致をみるとき、たいていの場合、彼らには誤りがある。フランチェスカはおそらく、自分の魂について語ろうとするひとのせいで、無防備な瞬間にさらされるときには、自分の応接間のことを語るだろう。身近なものを凝視することで明らかな特徴がみえてくるように、そして特徴が隠された場所がみえてくるようにと願った人々が、応接間の特徴を心に刻みつけていると考えたわけではない。だが応接間は自分の魂そのものだと、彼女はぼんやりと考えたのである。

フランチェスカは、運命の神が最上のことを考えてくれたのに、神の意志が実行されない類の女性だった。それでも裁量が自由になる強みのせいで、女性の幸せとしては平均以上のものを意のままにしていると思われていた。だから女の人生で、怒りや失望、落胆のもとになるものの大半が人生から取り除かれ、幸せなグリーチ嬢としてみなされていた。後には、運のいいフランチェスカ・バシントンとしてみなされていた。また偏屈者ではなかったので、魂のロックガーデンを作り上げることもなければ、自分のまわりにあるからと言って、ロックガーデンの中に石のような悲しみを引きずり込むこともなければ、望んでもない揉め事をわざわざ持ってくることもしなかった。フランチェスカが愛していたのは、平坦な道と気持ちのよい場所のある人生だった。人生の明るい面を好んでいるだけでなく、その明るい面に住むことを好み、そこに滞在することを好んだ。物事が一度か二度うまくいかなくなり、早い時期に幻想を幾分奪われたという事実があるせいで、彼女は自分に残された資産にしがみつき、今や人生も穏やかな時期にさしかかったように思えた。鑑識力のない友人たちから、彼女はやや自己中心的な女性をよそおっているとみられていた。しかし、その自己中心性とは人生の浮き沈みを経験したひとのものであり、自分に残された運をとことん楽しもうとするひとのものであった。富の浮き沈みのせいで彼女が辛辣になることはなかったけれど、そのせいで心は狭まり、彼女が共感するものとは手軽に喜んだり、楽しんだりすることができるものになり、かつての楽しくも、うまくいっていた出来事を思い出しては永遠に反芻するのだった。そして中でも彼女の居間こそが、過去のものにしても、現在のものにしても、幸せの記念物や記念品をおさめている場所であった。

心地よく古風な角部屋にはいると、壁をはしる柱やアルコーブが目に入り、さながら港にはいるときのように、貴重な個人の持ち物や戦利品が視界にはいってくるが、それらの品は、乱気流もあれば嵐もありで、あまり平穏ではなかった結婚生活を生き抜いてきた品であった。どこに彼女が目を向けても、自分の成功や財政状況、運のよさ、やりくり上手で趣味もよいことがあらわれていた。戦争のときには少なからず逆境におかれることもあったが、彼女は自分の持ち物を運ぶ輸送隊をなんとか守り、今、自己満足にみちた凝視をむけていくのは、勝利の略奪品であり、名誉ある敗北をして沈んだ船から引き上げられた品だった。マントルピースの上に飾られた、甘美なブロンズ製のフルミエの像は、昔の競馬の賞金が転じたものであり、考慮に値する価値のあるドレスデンの彫刻の一群は、思慮深い崇拝者から彼女に遺贈されたものであり、その崇拝者は他にも親切にはしてくれたけれど、死ぬことで更に親切を重ねてくれたわけだ。他の一群は、彼女が自ら賭けでもらった品で、その品を獲得したのは田舎の邸宅で九日間にわたってひらかれたブリッジでのことであり、その思い出は祝福にみちた、忘れがたいものであった。ペルシャとブハラの古い敷物に、鮮やかな色彩のウースターの茶器セットもあれば、さらに本来の価値にくわえて、歴史と思い出がひめられた、年代物の銀製品もあった。いにしえの職人や匠が、遠く離れた場所で、はるか昔に鋳造したり、精をだしたり、織りあげたりして、つくりあげた美しく素晴らしいものが、経緯をへて自分の所有になったことに思いをはせて楽しむのであった。中世イタリアや近代パリの工房の職人の作品もあれば、バグダッドや中央アジアの市場で売られていたものもあり、また、かつての英国の工作場やドイツの工場でつくられたものもあった。奥まった奇妙な角部屋にはあらゆるものがあり、工芸品の秘密が油断なく守られ、そこには名もなく記憶には残らない職人の作品もあれば、世界的に有名な職人の手による不朽の作品もあった。

そしてとりわけ彼女の宝物のなかでも、この部屋にある品々のなかで抜きんでているものは偉大なファン・デル・メーレンの絵であり、それは持参金の一部として父親の家から持ってきたものだった。象牙細工の小ぶりのキャビネットの上方に、木目込み壁中央にぴったりはめ込まれた様子は、部屋の構成からも、バランスからも、まさにその空間にふさわしかった。どこに座ろうとも、その絵は部屋を圧倒するように見え、せまってくるのであった。心地よい静けさが壮大な闘いの場面にただよい、もったいぶった宮廷の武人たちがまたがる馬は後ろ足で重々しくはねあがり、その色は灰色、茶と白のまだらや月毛であり、すべてがまじめに、真摯に描かれていたが、大がかりに配置された軍事行動では、膨大な人々が真剣にピクニックしているだけだという印象がどうにか伝わってきた。フランチェスカが思い浮かべる自分の居間には、厳かにかかっている荘重な絵がかならずあるものであり、そうしたこの上ないものに補われていない居間を想像することは出来なかった。それは、ブルー・ストリートにあるこの家以外での自分を想像できないようなもので、この家は大事な家庭のものが大切にしまわれていて、さながら万物殿のように混み合っている場所だった。

この場所に芽をだしている王座のひとつに、ダマスク織りのバラの花弁から姿をあらわしているものがあったが、それは状況が異なればフランチェスカの心の平和となったことであろう。ひとの幸せとは過去にあるというよりも、たいていは将来にあるものである。叙情性にあふれた、尊敬すべき権威の品々とはあきらかに異なり、悲しみの王冠をいだいた不幸が、不幸な出来事を憂えつつ待っていると言えるのかもしれない。ブルー・ストリートにある家は、旧友のソフィ・チェトロフから預けられたものである。だがソフィの姪のエメリーン・チェトロフが結婚すれば、そのときには結婚の贈り物として、エメリーンにあたえられることになる。エメリーンは今十七歳、かなりの器量よしであり、独身女性としての期間が安全に見込めるのは、せいぜい四、五年だった。その期間がすぎた後にくるものは混乱だろう。自分の魂になった隠れ家である住処から離れることは、フランチェスカにとって身をよじるような分離なのであった。想像のなかで、彼女が自ら深い谷間に、わずかながら橋をかけたことは事実である。頼みの橋とは、学校にかよっている息子のコーマスで、今は南部地方のどこかで教育をうけている。さらにはっきり言えば、その橋を構成しているのは、コーマスがもしかしたらエメリーンと結婚するかもしれないという可能性だと言った方がいいのかもしれない。もし、そうなった場合には、トライフルをつくって周囲を困らせながらも女主人として支配している自分の姿を見ることになり、ブルー・ストリートの家もまだ支配することになる。ファン・デル・メーレンは名誉れある場所で、不可欠な午後の光をとらえ、フルミエの像も、ドレスデンの彫刻も、ウースターの年代物の茶器セットもひっそりとしたニッチで、ひっそりと過ごしていた。こじんまりとした日本風の奥の間も、エメリーンは手に入れることができるのだ。そこはフランチェスカが夕食後のコーヒーを時々飲んだりする場所であり、居間とはしきりがあるので、自分の持ち物を置いたりもしていた。橋の構造は、細部にいたるまですべて、注意深く考えぬかれていた。ただ、コーマスがすべてのバランスをとる架け橋である点が、唯一の不幸でもあった。

フランチェスカの夫は、奇妙なパガンの名前をその少年につけると主張したが、その名前が適切かどうか、またその意義を判断できるほど、長く生きはしなかった。十七年と数ヶ月のあいだに、息子の性格について見解をいだくだけの十分な機会が、フランチェスカには十分あった。その名前から連想される陽気な精神が、その少年を放縦にしていたのは確かであったが、それは捻れ、気まぐれな性質の陽気さであり、フランチェスカ自身はユーモラスな面をめったに見いだすことは出来なかった。彼女の兄ヘンリーに関して言えば、座ってクレソンのサンドイッチを食べ、そのまじめくさった有様ときたら、大昔の式典について定めている何かの本のようでもあるが、運命はあからさまに彼女に味方した。もしかしたらヘンリーは、どこかの可愛いだけの、資力のない、つまらない女とあっさり結婚してしまい、ノッチング・ヒル・ゲート界隈に住んでいたかもしれず、やがて父親となって、血色が悪くて、ずるくて、役に立たない子供たちが、長い糸のようになってぶら下がっていたかもしれなかった。そうした子供たちは誕生日をむかえても、牛結核を贈られることになる類の病にかかっていたかもしれないし、あるいはサウス・ケンジントン風のやり方で馬鹿げたものを描いては、がらくたのために空間にとどまっている小母に、クリスマスプレゼントとして贈ってきたかもしれなかった。こうした兄らしくない行動に身を委ねるようなことはしなかったが、ただ兄らしくない行動を見ることが家族のあいだでは頻繁だったため、兄らしくない行動をとるということが兄らしいと呼ばれるようになっていたのだ。そのかわりヘンリーは資産と穏やかさの両方を持ち合わせた女性と結婚したうえに、ただひとりの子供ときたら輝かしい徳の持ち主で、両親ですら繰り返し自慢する価値があると思えるようなことは何も言わないのだった。やがて彼は国会にでたが、おそらくは家庭生活が退屈なものにならないようにと考えてのことだろう。とにかく国会のおかげで、彼の人生は無意味から開放された。死ねば、新しいポスターがだされて「選挙により再選出」と書かれる人物が、取るに足らない人物である訳がないからである。要するに、ヘンリーとは、簡潔にいえば当惑させるところがあって、不利な条件におかれているところもあったけれど、どちらかといえば友達であり相談役であることを選び、時として非常用の銀行預金残高であることを選んだのだ。フランチェスカの不公平な接し方は、賢くても怠けがちな女性が頼りがいのある馬鹿に抱きがちなものだが、彼の助言だけを求めるのではなく、しばしば助言にしたがった。さらに都合のつくときには、彼から借りた金を返した。

運命は、ヘンリーを兄として与えてくれるという素晴らしい助けをだしてくれたが、その助けにあらがい、フランチェスカは、コーマスを息子にするという悪意にみちた、わずらわしい運命を切り開いた。その少年は無秩序に生きる、扱いにくい若者のひとりであり、幼稚園、進学準備校、パブリックスクールをとおして遊び戯れたり、いらだったりする有様は、嵐や砂塵、混乱が最大限にやってきたようであり、骨の折れる勉強はまったくする気配はなく、涙を流したりする者やカッサンドラの予言に関する者すべてが弱まるような混乱のなかでも、ともかく笑い声をあげる若者である。時にはそうした若者も、年をとれば落ち着いて退屈なひとになり、自分が大騒ぎしていたことを忘れてしまうこともあるかもしれない。時には、そうした若者に素晴らしい運がむき、広い視野で素晴らしいことを行い、国会や新聞から感謝され、お祭り騒ぎの群衆に迎えられることもあるかもしれない。だが、ほとんどの場合、そうした若者の悲劇が始まるのは、学校を卒業して世の中に放り出されたときであり、世の中が文明化されていて、人も大勢いて、自分の場所を見つけようにもどこにもないときである。そうした若者は実に多い。  ヘンリー・グリーチは小さなサンドイッチを食べるのをやめ、勢いを取り戻した砂塵嵐のように議論をはじめ、その当時流行していた話題のひとつである極貧の防止を論じた。

 

「今のところ、問題となることは、思わせぶりな態度をとられたり、においをかがれたりするということだけだ」彼は観察にもとづいて述べた。「だが遠からず、そうしたことに深刻な注意をはらい、考慮していかなければならない。最初にしなければいけないことは、その問題に接近するときに、中途半端にかじった机上の理論から脱することだ。厳しい現実を集めて、咀嚼しなければならない。すべての理性ある精神に、この問題を訴えていかなくてはいけない。しかしながら、人々に興味を抱いてもらうことは、驚くほど難しい。」

 

 フランチェスカは短い音節で反応した。それは言わばブーブーという鳴き声でありながら同情を示す音であり、ある程度は聞いて評価しているということを示そうとしたのであった。実際、どんな話題であろうとヘンリーが語る事柄に、興味をもつなんて難しいと彼女は考えた。彼の才能は、物事を面白くないものにするという方向に徹底しているから、たとえ皮剥の刑にあった聖バルトロマイの虐殺を目撃したとしても、その事件を語る説明には、おそらく退屈という味わいが吹き込まれることだろう。

「この話題について、ある日、レスターシャーで話したが」ヘンリーは続けた。「考えるのをやめてしまう人が少しいるという事実について、かなり詳しく指摘した。」

フランチェスカは即座に、でも上品に、考えることをやめないという多数に転じた。

「そちらに行かれたときに、バーネット家のどなたかに会ったのでは?」彼女はさえぎった。「エリザ・バーネットは、こうした問題すべてに関わっているから」

社会学を宣伝しようとするなかにいることは、生活と労苦が争う競技場にいるようなものであり、その荒々しい闘いやら競争やらは、型も種類も極めて近いものであった。エリザ・バーネットは、ヘンリー・グリーチと政治的、社会的な考え方を共有していたが、同時に相当細かく指摘したがる好みまで共有していた。かつて競争が厳しい雄弁家の演台で、彼女がかなりの地位をしめていたことがあったが、その集団では、ヘンリー・グリーチはじれったい一人だった。当時の主な話題について、ヘンリーは彼女と意見が一致していたが、彼女の尊敬すべき性質に関した話では、彼はいつまでも心の中でまばたきをしていたので、会話尻をとらえて彼女の名前をほのめかすということは、巧みにルアーを投げ込むようなことであった。どんな話題にしても、彼の雄弁に耳をかたむけなければいけないのであれば、極貧を防止する話題よりは、エリザ・バーネットへの非難のほうが好ましいものに思えたのだ。

「彼女はたしかによく語っていると思う」ヘンリーはいった。「だが自分の人柄をださなければいいのだが。それに国中のあたらしい意見を代弁するのに、自分が必要だと思わないことだ。キャノン・ベスモレーにしたところで、帝国をゆさぶる者や改善しようとする者のことについて話すときには、彼女のことを思い出してはいない」   

 フランチェスカは心から楽しくなって、笑いたい気持ちになった。

「あの方ときたら、お話になることすべてに、とても詳しいのよ」彼女は挑発的な見解をのべた。

 ヘンリーはおそらく、エリザ・バーネットの話題にひきずりだされたことを感じたのだろう、すぐに話題の矛先をもっと身内にむけた。

「この家の雰囲気が全般的に静かであるところからすると、コーマスはタルビーへ戻ったようだが」

「ええ」フランチェスカは言った。「昨日、戻りました。あの子のことはもちろん好きだけれども、別れても我慢できるから大丈夫。あの子がここにいると、家の中に活火山があるようなものだから。どんなに静かな時でも、絶え間なく質問をしては、強いにおいをふりまく火山なの」

 「今だけの、束の間の安らぎだな」ヘンリーは言った。「一、二年もすれば学校を卒業することになるが、そのあとはどうする?」

 フランチェスカは目を閉じたが、その様子は悩ましい将来を視野から閉ざそうとする人のものであった。他人がいるところで、将来について子細に検討することを彼女は好んでなかった。とりわけ将来の幸運が疑わしい時はなおさらであった。

 「さて、そのあとは?」ヘンリーは執拗だった。

 「そのときは、わたしの脛をかじっているでしょうよ」

 「いかにも」

 「そこに座って批判がましい顔をするのはやめて。どんな忠告でも耳を傾けるつもりはあるから」

 「ふつうの若者の場合なら」ヘンリーは言った。「ふさわしい職業につくことについて、たくさん助言もしてあげるのだが。だがコーマスについては知ってのとおり、彼がつこうともしない仕事を見つけたところで、時間の無駄になるだろう。」

 「あの子も何かしないといけませんわ」フランチェスカは言った。

 「それは私にもわかっている。だが、あの子はしない。少なくとも、何事にも誠実に取り組まない。一番期待できそうなことは、財産のある娘と結婚することだ。そうすれば、あの子の問題のなかでも財政上の問題は解決される。おもいどおりになる金が限りなくあれば、どこかの荒野にでも行ってライオンでもしとめるだろう。ライオン狩りに何の価値があるかわからないが、あの社会不適格者の、破壊的なエネルギーをそらすのには役に立つ」

 ヘンリーは鱒より大きくて荒々しいものを殺したことがないため、ライオン狩りの話題に関しては、蔑むように見下していた。

 フランチェスカは、結婚という提案をよろこんだ。「財産のある娘さんかはわかりませんが」フランチェスカは慎重に言った。「エメリーン・チェトロフならいますわ。財産のある娘さんだとはあまり言えないかもしれませんが、あの娘には、ささやかながら気持ちよく暮らせるだけの、自分の資産があります。それに私が思いますには、あの娘には、おばあ様から頂けるものも少しあるでしょう。それから勿論ご存知のように、あの娘が結婚すれば、この家ももらえることになりますわ」

 「そうであるならば、なお都合がいい」ヘンリーは言いながら、妹が何百回と自分のまえで運ぼうとしてきた考えの流れをたどろうとした。「彼女とコーモスは仲良くやれているのか」

 「男の子と女の子としては十分いい方よ」フランチェスカは言った。「ふたりのためにお互いをもっと知る機会を、そのうちにもうけなくてはいけないわ。ところで、あの娘がとても可愛がっている弟のランスローが、今学期からタルビーに入るの。コーマスに手紙を書いて、とりわけ親切にするように伝えるわ。それがエメリーンの心をとらえる確実な手になるでしょうから。コーマスの見かけは完璧だし。神様のおかげだけど」

 「そんなのが重要なのは、遊びだけだろう」ヘンリーは馬鹿にした。「仕事は無難に終わらして、確実な行動をとったほうがいいと思うのだが」

 コーマスは叔父に気に入られていなかった。

 フランチェスカは書き物机にむかうと、急いで息子にあてた手紙を書き、その中で新しく入ってくる少年の健康状態がきわめて敏感なものであり、性格も内気であるということや、生まれついての性格について注意をむけさせると、面倒をみるように頼んだ。彼女が手紙に封をして印をおしたとき、ヘンリーが遅ればせながらの注意をした。

 「おそらく、その少年のことはコーマスに言わないでおいた方が賢明だ。あの子ときたら、いつもお前が望む方向にはすすまないから」

 フランチェスカもわかっていた。それに兄の言うことも半分以上はもっともだった。だが、一ペニー切手がきれいで、汚れていない状態のまま、犠牲にできる女というものは、まだ生まれていないものである

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アーサー・モリスン ロンドン貧民窟物語「ジェイゴウの子ども」第三版の序文 4回

慈善家を公称する者にしても、自分の心にしたがって何も見ないでいるが、それでも職人が少しも利益をうみださないということを説明されると、当然のことながら憤る。ロンドンのイースト・エンドでの話だが、鍋を貸してくれと頼んだのに嘲られてしまい、取り乱してしまった女性が、こうした言葉で自己弁護をしている。「あたしが鍋を貸さないって言ったら、あんた、自分のかあさんにそう言えるかい? たとえブラウンの奥さんに貸したからにしても。それとか、あたしが使ってるからと言われたら、どんな気分? 修繕にだしているからと言われたら、どう思う? 持っていないと言われたら、どんな気分?」つきることなく異論をのべたてる彼女と、「ジェイゴウの子ども」を非難してくる人たちの心は相通じるものがあり、私は自分が間違いを犯しているということをすぐに悟った。それというのも(1)真実をむきだしにしたかたちで、ジェイゴウを書くべきではなかったからだ。(2)私の描写はシェイゴウと似ていない。(3)おまけに大げさに書いている。(4)真実ではあるかもしれないけれど、不必要なものである。なぜならジェイゴウのことは広まっていて、誰もが知っているからだ。(5)ジェゴウの家は取り壊された。(7)ジェイゴウのような場所はないからだ。

 

For your professed philanthropist, following his own spirit, and seeing nothing, honestly resents the demonstration that his tinkering profits little. There is a story current in the East End of London, of a distracted lady who, being assailed with a request for the loan of a saucepan, defended herself in these words:—’Tell yer mother I can’t lend ‘er the saucepan, consekince o’ ‘avin’ lent it to Mrs Brown, besides which I’m a-usin’ of it meself, an’ moreover it’s gone to be mended, an’ what’s more I ain’t got one.’ In a like spirit of lavish objection it has been proclaimed in a breath that I transgress:—because (1) I should not have written of the Jago in all the nakedness of truth; (2) my description is not in the least like; (3) moreover, it is exaggerated; (4) though it may be true, it is quite unnecessary, because the Jago was already quite familiar, and everybody knew all about it; (5) the Jago houses have been pulled down; and (6) there never was any such place as the Jago at all.

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アーサー・モリスン ロンドン貧民窟物語 「ジェイゴウの子ども」 第三版の序文 3回

さて、そうした文学作品を書いて出版したところ、私が述べてきたように、人々のなかには不快の念をいだく者もいた。スコラ哲学者にいたっては言うまでもないことである。これもまた言うまでもないことではあるが、上流社会の人々も不快の念をいだいた。彼らが衝撃をうけたのは、キドー・クックやピジョニー・ポールのような、賤しい人間についての話を読んだからであり、また私の作品にはどこにも侯爵が彩りを添えてないことを知ったからである。また、そうした人達が喜んで読むのは、ビロードと羽飾りの衣装に身をつつんだ二人の男が、剣で相手の胃に穴をあけるという作品なのである。またジョゼフ・ペローとビリー・ラリーにいたっては、相手にパンチをくらわせながら、考えるとむかついてしまうくらいに、具合が悪くなるような、とても残酷な話を書いていた。こうした作品は、チャールズ・ラムが随筆「ホガースの天才」で書いた愚痴を無視したものだった。だが私の本に狼狽したのは、ジェイゴウという地区にたいして、またそこで暮らす人に対して責任を果たすように見せかけながら、何もしてきていなかった人たちであり、そして何もしないことを好む人たちなのである。義務をおろそかにしているという意識は不快なものではあるが、個人的な心地よさが彼らの神なのである。私の本に狼狽する人たちが固く信じていることは、芸術の唯一の機能とは、室内装飾のように自分にだけ心地よさを与えてくれるということなのである。さらに彼らが知っているのは、ジェイゴウの子供たちの運命について考えることから逃げ、目をそむけ、万事が順調で、この世は徳があって幸せなところであると言う方が、心地よいということなのである。こうした精神的な態度に楽観主義と名づけ、自惚れた態度で語り、楽観主義とは素質なのだと嬉々として話している。だから、そうした態度が自己中心的な悪徳にすぎないと指摘されると泣いたり、わめいたりするのだ。自らを惑わそうとして放蕩の材料を求めていた地で真実を発見すると、声に出してうめき、抗議をしたり、目の前の苦杯を持っていかせることがもっともな要求だと主張する。彼らは「ジェイコウの子ども」には、呻き声をあげ、抗議をした。ひるんで当惑をしていたので、どれほど抗議をしても彼らには足りなかった。そういうわけで、この書物のなかに、自分たちが座っている居間と職人の世界のあいだに通路を求めようとはしなかった。

Now, when the tale was written and published it was found, as I have said, to cause discomfort to some persons. It is needless to say more of the schoolmen. Needless, too, to say much of the merely genteel: who were shocked to read of low creatures, as Kiddo Cook and Pigeony Poll, and to find my pages nowhere illuminated by a marquis. Of such are they who delight to read of two men in velvet and feathers perforating each other’s stomachs with swords; while Josh Perrott and Billy Leary, punching each other’s heads, present a scene too sickening and brutal to consider without disgust. And it was in defiance of the maunderings of such as these that Charles Lamb wrote much of his essay On the Genius and Character of Hogarth. But chiefly this book of mine disturbed those who had done nothing, and preferred to do nothing, by way of discharging their responsibility toward the Jago and the people in it. The consciousness of duty neglected is discomforting, and personal comfort is the god of their kind. They firmly believe it to be the sole function of art to minister to their personal comfort—as upholstery does. They find it comfortable to shirk consideration of the fate of the Jago children, to shut their eyes to it, to say that all is well and the whole world virtuous and happy. And this mental attitude they nickname optimism, and vaunt it—exult in it as a quality. So that they cry out at the suggestion that it is no more than a selfish vice; and finding truth where they had looked for the materials of another debauch of self-delusion, they moan aloud: they protest, and they demand as their sacred right that the bitter cup be taken from before them. They have moaned and protested at A Child of the Jago, and, craven and bewildered, any protest seemed good enough to them. And herein they have not wanted for allies among them that sit in committee-rooms, and tinker.

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アーサー・モリスン ロンドン貧民窟物語「ジェイゴゥの子ども」第三版の序文 2回

暮らしのなかの言葉に、芸術家が心を動かされると思うなら、その言葉を書いてほしいと私は求められてきた。たしかにそうした言葉は存在すると思う。さらに私にはそうした言葉がわかるのだ。自分の好きな場所に材料を求めるのが芸術家の特権であり、どのような者だろうと、そうした芸術家を咎める特権はない。芸術家の見ている前で、社会がおそろしい場を残したとすれば、さらにおそろしい生活も残したとすれば、咎めるべきは社会のほうなのである。こうした場や生活を思い描くということは単なる特権というよりも、むしろ義務であると言うべきなのである。ロンドン東部のショアディッチとの出会いは、私の運命である。その地で子どもたちが生まれ、育つ環境とは、まともな生活をするための手頃な機会というものが与えられず、あらかじめ犯罪人だときめつけられ、何もしてないうちからなかば犯罪人として非難されるようなものである。こうした場所のことについて学び、そこで暮らす人々のことを知り、彼らといっしょに語り合い、同じ釜の飯を食い、ともに働くという経験を私はしてきた。こうした場所があるのも、そこから悪がうまれるのも、昔も、今も社会に責任があるのであって、ひとりひとりが分に応じた責任があるのである。もし私が金持ちだったなら、ある程度、それなりの責任をはたそうとしただろう。もし政治家であったなら、別のことを試みていただろう。だが、そのどちらでもなく、ただの物書きなので、物語を書くことで義務を果たし、この地区の状況が不安をもたらすようにした。私に目をそらして、別の方向へと立ち去るべきだと言う人がいる。たとえば寓話のなかの司祭やレビ族など、尊敬すべき先例を見なさいということだ。

I have been asked, in print, if I think that there is no phase of life which the artist may not touch. Most certainly I think this. More, I know it. It is the artist’s privilege to seek his material where he pleases, and it is no man’s privilege to say him nay. If the community have left horrible places and horrible lives before his eyes, then the fault is the community’s; and to picture these places and these lives becomes not merely his privilege, but his duty. It was my fate to encounter a place in Shoreditch, where children were born and reared in circumstances which gave them no reasonable chance of living decent lives: where they were born fore-damned to a criminal or semi-criminal career. It was my experience to learn the ways of this place, to know its inhabitants, to talk with them, eat, drink, and work with them. For the existence of this place, and for the evils it engendered, the community was, and is, responsible; so that every member of the community was, and is, responsible in his degree. If I had been a rich man I might have attempted to discharge my peculiar responsibility in one way; if I had been a statesman I might have tried another. Being neither of these things, but a mere writer of fiction, I sought to do my duty by writing a tale wherein I hoped to bring the conditions of this place within the apprehension of others. There are those who say that I should have turned away my eyes and passed by on the other side: on the very respectable precedent of the priest and the Levite in the parable.

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アーサー・モリスン ロンドン貧民窟物語 「ジャイゴの子ども」 1回

第3版の序文

 

このように素晴らしい機会を初めていただき、「ジャイゴの子ども」によせられてきた好意を知ることになり、たいへん嬉しく思います。「ジャイゴの子ども」を読んでくださった読者の皆様から、私が語ろうとしてきたことには幾分なりとも無駄ではなかったということを伺い、また書評家の皆様からも寛大な言葉をいただき光栄に思います。

 

この本への評価が同じ意見ではないということにも、心から満足しています。なぜなら激しい抗議をうけ、少数の者たちから強く反対されたとしても、それは言う価値のあることについて何かを語ったということであり、たとえ不十分な形であるにしても語ることに成功したということなのです。このような生活の状況においては、真実を語ろうとするなら、聞いている者の平安を乱さないわけにはいかないのです。「ジャイゴの子ども」については非難もいろいろされましたが、「ミーン・ストリート物語」をだしたときに、すでにそうした非難の多くはうけていたのです。そして非難するひとたちが呼ぶのと同じようにして、批評家のなかでも親切なひとたちは、私のことをリアリスト(現実主義者)と呼んだのです。その言葉はときとして賞賛するために使われるものですが、不名誉な非難の言葉になることもあります。私の作品にたいしてなされた非難をたしかめたいと思い、現実主義者がどういうものかという定義に関心をもつのは自然なことです。問題となることは、はっきりと私に示されないのですから。

 

さて私が今までに自分のことを現実主義者と呼んだことがないことは事実ですし、どんな作品でも、現実主義者として描こうとしたものはありません。スコラ哲学や詭弁家の部類にいれられるのなら同意はしません。私はただの作家にすぎませんが、見えているように目の前の人生を描こうとする者なのです。順番などかまいません。図書館の目録作成者が用意したりするような、また文学という狭苦しい鳩小屋のような空間で整えられるような、先例や慣習によって規制されることを拒む者なのです。

 

ですから「現実主義者」という言葉をつかう人たちにしても、「現実主義者」とは何かということについて意見の一致をみないこともあるでしょうし、あまり理解しないまま「現実主義者」という言葉をいい加減に使うこともあるでしょう。私はいい加減に「現実主義者」という言葉をつかうことを拒否する者ですが、その意味について推測することは容易ではありません。それにもかかわらず、「現実主義者」と呼ばれるひとは、学派の集まりを捨てて、それぞれの専門用語で自分の問題をあらわしているように思えるのです。最初のうちはスコラ哲学者は現実主義者だと罵るのですが、二十年間のあいだ、その作品が命を保つなら、そうしたひとも古典になります。英国の風景画家コンスターブルは現実主義者とよばれ、コローもそうでした。今、こうした画家のことを、誰が現実主義者と呼ぶでしょうか。日本絵画の歴史は、一連の挿絵をうけいれてきました。イワサ マタヘイが生き生きと現れ、人々の毎日の生活を題材にしてから、やがて広重の時代となり、最後の繁栄をもたらしました。そして土佐派や狩野派の露骨なまでの抵抗が続いたにもかかわらず、冒険をおかして横たわる影を描いたのです。浮世絵の波乱万丈の歴史をとおして、自分の芸術に何かをつかんだ画家であれば、現実主義者のそしりをまぬがれた者はいないのです。古典的な春信でさえ、現実主義者のそしりをまぬがれませんでした。今、こうした画家たちの作品を見れば、その評価はグロテスクにつきるものでしょう。ですから、すべての芸術の製作過程において、こうした道はとおるものなのです。勇気があり、自分の視野で考えるひとなら、目にするものを新鮮な言葉で解釈してから、物事に新しい現実と存在をあたえるのです。でもスコア派の哲学者たちがどんよりとした目で凝視する場所は、自分たちに関する先例やら慣習やらの山なのです。そこで、そうした先例や慣習から認められないものを見ては悩んだ挙句、そうしたひとに現実主義者とあだ名をつけては、鳩箱のように狭い自分たちの領域に、その作品があてはまらないといって罵ります。そのようにしてスコア哲学の内外から、多くの者が大声で不平をいうのです。なぜなら真実とはおそろしいものであり、身体の弱い者であれば胃が痛くなることでしょう。ただし甘さのあまり窒息するような、最少の一服であれば別ですが。こういうわけで、想像力が事実を歪曲するという弱々しい主張を耳にすることになるのです。その哀れな主張とは、芸術家を花畑からしめだしてしまい、生垣から世界をのぞきこむことも禁止してしまうというものです。美について何も知らず、生まれつき美を理解することができない者たちが、美と可愛らしいだけのものを取り違えてしまう様子は、コンフィッツを求めるようなものです。さらに理解できない者たちのあいだで、芸術の目的が語られるのは、ピンクのペロペロキャンディーや金メッキの箱について完璧な形で表現されるときなのです。しかし適切に語られるなら、真実のほうが優るのです。スコア派の哲学者たちは自らの莫大な労力にうめき声をあげ、飽きて別の先例について書きはじめ、他の慣習のことを考えだし、他所に鳩の巣箱のような分野を見いだすでしょう。

PREFACE TO THE THIRD EDITION

I am glad to take this, the first available opportunity, to acknowledge the kindness with which A Child of the Jago has been received: both by the reading public, from which I have received many gratifying assurances that what I have tried to say has not altogether failed of its effect: and by the reviewers, the most of whom have written in very indulgent terms.

I think indeed, that I am the more gratified by the fact that this reception has not been unanimous: because an outcry and an opposition, even from an unimportant minority, are proofs that I have succeeded in saying, however imperfectly, something that was worth being said. Under the conditions of life as we know it there is no truth worth telling that will not interfere with some hearer’s comfort. Various objections have been made to A Child of the Jago, and many of them had already been made to Tales of Mean Streets. And it has been the way of the objectors as well as the way of many among the kindest of my critics, to call me a ‘realist.’ The word has been used sometimes, it would seem, in praise; sometimes in mere indifference as one uses a phrase of convenient description; sometimes by way of an irremediable reproach. It is natural, then, not merely that I should wish to examine certain among the objections made to my work, but that I should feel some interest in the definition and description of a realist. A matter never made clear to me.

Now it is a fact that I have never called myself a ‘realist,’ and I have never put forth any work as ‘realism.’ I decline the labels of the schoolmen and the sophisters: being a simple writer of tales, who takes whatever means lie to his hand to present life as he sees it; who insists on no process; and who refuses to be bound by any formula or prescription prepared by the cataloguers and the pigeon-holers of literature.

So it happens that when those who use the word ‘realist’ use it with no unanimity of intent and with a loose, inapprehensive application, it is not easy for me, who repudiate it altogether, to make a guess at its meaning. Nevertheless, it seems to me that the man who is called a ‘realist’ is one who, seeing things with his own eyes, discards the conventions of the schools, and presents his matter in individual terms of art. For awhile the schoolmen abuse him as a realist; and in twenty years’ time, if his work have life in it, he becomes a classic. Constable was called a realist; so was Corot. Who calls these painters realists now? The history of Japanese art affords a continuous illustration. From the day when Iwasa Matahei impudently arose and dared to take his subjects from the daily life of the people, to the day when Hiroshigé, casting away the last rag of propriety, adventurously drew a cast shadow, in flat defiance of all the canons of Tosa and Kano—in all this time, and through all the crowded history of the School of Ukioyé, no artist bringing something of his own to his art but was damned for a realist. Even the classic Harunobu did not escape. Look now at the work of these men, and the label seems grotesque enough. So it goes through the making of all art. A man with the courage of his own vision interprets what he sees in fresh terms, and gives to things a new reality and an immediate presence. The schoolmen peer with dulled eyes from amid the heap of precedents and prescriptions about them, and, distracted by seeing a thing sanctioned neither by precedent nor by prescription, dub the man realist, and rail against him for that his work fits none of their pigeon-holes. And from without the schools many cry out and complain: for truth is strong meat, and the weakling stomach turns against it, except in minim doses smothered in treacle. Thus we hear the feeble plea that the function of imagination is the distortion of fact: the piteous demand that the artist should be shut up in a flower-garden, and forbidden to peep through the hedge into the world. And they who know nothing of beauty, who are innately incapable of comprehending it, mistake it for mere prettiness, and call aloud for comfits; and among them that cannot understand, such definitions of the aims of art are bandied, as mean, if they mean anything, that art finds its most perfect expression in pink lollipops and gilt boxes. But in the end the truth prevails, if it be well set forth; and the schoolmen, groaning in their infinite labour, wearily write another prescription, admit another precedent, and make another pigeon-hole.

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サキの長編小説 「耐えがたきバシントン」 17章 198回・完

「おまえに悪い知らせをもってきた、フランチェスカ、残念な知らせだ」ヘンリーはつげた。彼も聞いたのだろうか?

「ヘンエベルクがここに来て、あの絵を見ていった」彼はつづけながら、彼女のかたわらに腰かけた。「芸術作品として非常に賞賛してくれたが、なんとも嫌なことながら驚いたことに、ヴァン・デル・ムーレンの本物ではないと言うんだ。贋作としては優れたものだが、それでも残念なことに贋作にすぎない」

ヘンリーは一呼吸おくと妹をながめ、この喜ばしくない知らせをどう受けとめているか確かめた。薄明りのなかでも、彼女の両目にうかんだ苦悶はみてとれた。

「元気をだして、フランチェスカ」彼はなだめるように言うと、愛情をこめて彼女の腕に手をそえた。「さぞ落胆したことだとは思う、常にこの絵を重んじてきたお前にすれば。だが気に病む必要はない。こうした不快な発見は、絵画の愛好家や収集家であれば、ほとんどの者が経験することなのだから。それにルーヴルにある巨匠の作品のうち二十パーセントが贋作だとされているじゃないか。だから、この国でも同じようなものだろう。レディ・

ダヴコートがいつか言っていたが、コロンビーのヴァン・ダイクをあえて確かめないのは、嬉しくないことが発見されることを怖れてのことだそうだ。それにお前の絵は贋作だとおしても、きわめて優れたものだから、価値がないわけでは決してないんだよ。この失望をのりこえれば、お前もそう思うようになるだろうし、このことについて冷静に考えることができるようにも・・・」

傷心のフランチェスカが沈黙のうちにすわって、電報を折りたたんだ紙をきつくにぎりしめながらいぶかっていたのは、この甲高くて、陽気ながら、情け容赦なく、ぞっとするような嘲りで慰めてくる声がいつになれば止むのだろうかということであった。

“I have bad news for you, Francesca, I’m sorry to say,” Henry announced.  Had he heard, too?

“Henneberg has been here and looked at the picture,” he continued, seating himself by her side, “and though he admired it immensely as a work of art he gave me a disagreeable surprise by assuring me that it’s not a genuine Van der Meulen.  It’s a splendid copy, but still, unfortunately, only a copy.”

Henry paused and glanced at his sister to see how she had taken the unwelcome announcement.  Even in the dim light he caught some of the anguish in her eyes.

“My dear Francesca,” he said soothingly, laying his hand affectionately on her arm, “I know that this must be a great disappointment to you, you’ve always set such store by this picture, but you mustn’t take it too much to heart.  These disagreeable discoveries come at times to most picture fanciers and owners.  Why, about twenty per cent. of the alleged Old Masters in the Louvre are supposed to be wrongly attributed.  And there are heaps of similar cases in this country.  Lady Dovecourt was telling me the other day that they simply daren’t have an expert in to examine the Van Dykes at Columbey for fear of unwelcome disclosures.  And besides, your picture is such an excellent copy that it’s by no means without a value of its own.  You must get over the disappointment you naturally feel, and take a philosophical view of the matter. . . ”

Francesca sat in stricken silence, crushing the folded morsel of paper tightly in her hand and wondering if the thin, cheerful voice with its pitiless, ghastly mockery of consolation would never stop.

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サキの長編小説 「耐えがたきバシントン」 17章197回

かたわらの小卓には、マーヴィン・ケントックの描いた彼女の肖像画があった。それは彼女の悲劇を予言する象徴の品だ。富める死者が刈りとっているのは、この世のものではなく、非現実的なものであり、終わることのない冬の、暗澹とした荒んだ景色だった。冬の世界では、あらゆるものが死にたえ、ふたたび目覚めることはないのだ。

 

 フランチェスカは、ドレスのポケットにいれた小さな封筒に目をむけた。のろのろと彼女は封をあけ、短い伝言を読んだ。すると心が麻痺してしまい、長いあいだ腰をおろしていた。長く思えたが、もしかしたら数分にすぎないのかもしれなかった。玄関ホールから、彼女をさがすヘンリー・グリーチの声がひびいてきた。あわてて彼女は紙片をくしゃくしゃにして隠した。もちろん、彼にも言わなくてはいけないだろう。だが、その苦しみがあまりに辛すぎるので、その思いを露わにすることができなかった。「コーマス シス」という一文は、彼女から話す力をうばってしまうものだった。

On a small table by her side was Mervyn Quentock’s portrait of her—the prophetic symbol of her tragedy; the rich dead harvest of unreal things that had never known life, and the bleak thrall of black unending Winter, a Winter in which things died and knew no re-awakening.

Francesca turned to the small envelope lying in her lap; very slowly she opened it and read the short message.  Then she sat numb and silent for a long, long time, or perhaps only for minutes.  The voice of Henry Greech in the hall, enquiring for her, called her to herself. Hurriedly she crushed the piece of paper out of sight; he would have to be told, of course, but just yet her pain seemed too dreadful to be laid bare.  “Comus is dead” was a sentence beyond her power to speak.

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サキの長編小説 「耐えがたきバシントン」 17章196回

 フランチェスカは玄関ホールにはいると、卓上にすばやく視線をはしらせた。そこには包みがいくつかあり、早めのクリスマスプレゼントだと一目でわかる包みの山があった。それから手紙が二、三通あった。盆のうえには、彼女が待っていた電報があった。見るからに彼女を待ち受けていた女中が、盆をもってきた。召使いたちは全員、起きつつあるおそろしい出来事のことをよく知っていたので、女中の顔にも、声にも同情があらわれていた。

 

「十分前にこちらが届きました、奥様。それからグリーチ様が、もうお一方の紳士と一緒にいらっしゃいましたが、奥様がいらっしゃらなかったので残念がっていらっしゃいました。グリーチ様は、三十分ほどしてから、もう一度いらっしゃるとのことでした」

 

 フランチェスカは居間に電報をもっていくと、しばらく腰をおろして考えた。もう読む必要はなかった。そこに何が書かれているのか知っていたからだ。みじめなくらいに僅かなあいだでも、最後のむごい知らせに目をとおすことを引きのばしていたら、コーマスが奪われないという気がしてならないからだ。彼女は立ち上がると、窓辺へと近寄ってブラインドをおろし、陰りはじめた十二月の陽ざしを遮ってから、ふたたび座った。影のような薄明りのなかにいるうちに、おそらく彼女の体が勝手に動いて、いつの間にか座り、愛する息子の顔に刻まれた最後の時をみていた。もう二度と触れることもできないし、あの笑いや怒りっぽい声を聞くこともできないのだ。そう、たしかに自分が見ているものとは、死んだ者なのだ。餓死してしまいそうな目でとらえたものは、魂をもたない、憎むべき物にすぎず、ブロンズや銀、陶器でできたそうした物をまわりに置いて、神として崇拝してきた。身のまわりのものを飾ってあるその場所をながめたところで、冷ややかに家を支配している女神は、死んだ若者の代わりにはならなかった。彼はその場所に踏み入れ、そしてそこから出ていったのだ。ぬくもりがあって、生き生きとした、息をしている彼は、自分が愛すべきものだったのに。それなのに若々しくて、端正なその姿から目をそらし、はるか昔に亡くなった職人が描いた、黴臭い記念物である二フィートほどの画布を崇拝していたのだ。もう今や彼は視界から消え、手の届かないところに行ってしまい、その声を耳にすることは永遠にないのだ。自分が生きなければいけない物憂い年月のことも、画布やら顔料やら手の込んだ金属製品と共にとどまることになることも、そうした思いがふたりのあいだにうかぶことはなかった。その品々は自分の魂だった。だが魂を大切にするあまり、心臓を苦痛のせいで止めてしまうとしたら、何が残るというのだろうか。

As Francesca entered the hall she gave a quick look at the table; several packages, evidently an early batch of Christmas presents, were there, and two or three letters.  On a salver by itself was the cablegram for which she had waited.  A maid, who had evidently been on the lookout for her, brought her the salver.  The servants were well aware of the dreadful thing that was happening, and there was pity on the girl’s face and in her voice.

“This came for you ten minutes ago, ma’am, and Mr. Greech has been here, ma’am, with another gentleman, and was sorry you weren’t at home.  Mr. Greech said he would call again in about half-an-hour.”

Francesca carried the cablegram unopened into the drawing-room and sat down for a moment to think.  There was no need to read it yet, for she knew what she would find written there.  For a few pitiful moments Comus would seem less hopelessly lost to her if she put off the reading of that last terrible message.  She rose and crossed over to the windows and pulled down the blinds, shutting out the waning December day, and then reseated herself.  Perhaps in the shadowy half-light her boy would come and sit with her again for awhile and let her look her last upon his loved face; she could never touch him again or hear his laughing, petulant voice, but surely she might look on her dead.  And her starving eyes saw only the hateful soulless things of bronze and silver and porcelain that she had set up and worshipped as gods; look where she would they were there around her, the cold ruling deities of the home that held no place for her dead boy.  He had moved in and out among them, the warm, living, breathing thing that had been hers to love, and she had turned her eyes from that youthful comely figure to adore a few feet of painted canvas, a musty relic of a long departed craftsman.  And now he was gone from her sight, from her touch, from her hearing for ever, without even a thought to flash between them for all the dreary years that she should live, and these things of canvas and pigment and wrought metal would stay with her.  They were her soul.  And what shall it profit a man if he save his soul and slay his heart in torment?

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サキの長編小説 「耐えがたきバシントン」 17章195回

公園はふたたび散策する人々でいっぱいになり、人々は浮遊する群れとなっていた。フランチェスカの足は、家の方にむかっていた。待っていた便りが届き、ホールの卓上に置かれていると告げる声がどこからか聞こえてきたのだ。彼女の兄から午後一番に訪問するとの知らせがあったのだが、今朝の悪い知らせを何も知らないから、もう今頃、行ってしまったことだろう。こっそり立ち去る傷ついた動物の本能にかりたてられて、できるだけ彼から自分の悲しみを遠ざけようするのだった。それに彼が訪問しても、彼女が在宅している必要はなかった。彼が連れてくるオーストラリアの友人は、フランコ・フランドル派の絵画をまとめていて、ヴァン・デル・ムーレンの絵を調べにくるのだ。ヘンリー・グリーチは、本の挿し絵として、その絵がつかわれないかと期待していた。昼食後ほどなくして、彼らは到着する予定になっていた。そこでフランチェスカは、ほかで急用ができたのでとわびるメモを残して、家をでた。彼女がモールを横切ってグリーンパークにむかっていると、歩道のわきに停めた車から、穏やかな声が彼女をよびとめた。レディ・キャロライン・ベナレスクが、ヴィクトリア・メモリアルによそよそしく、長々とした凝視をむけ、拝謁していたところだった。   「原始時代は」彼女は指摘した。「偉大なリーダーや統治者たちは、しきたりで、親戚や召使いを大勢殺しては、一緒に埋葬していたところが啓蒙化がすすんだ今の時代になって、偉大な君主をみなで惜しむための、別の方法を見いだしたのね。ところでフランチェスカ」彼女はふと言葉をきって、相手の目にうかぶ苦悩をとらえた。「どうしたの? なにか悪い知らせでもあったの?」 「とても悪い知らせを待っているところなんです」フランチェスカがいうと、レディ・キャロラインはなにが起きたのか理解した。 「なんといえばよいものやら、言葉がみつからない」レディ・キャロラインは嫌な声でうめいたが、それは今まで聞いたことのない声だった。 フランチェスカはモールを横切り、車は走りだした。 「天よ、あの哀れな女を救いたまえ」レディ・キャロラインはいったが、彼女にしては驚くほどの、心からの祈りの文句だった。

The park was filling again with its floating population of loiterers, and Francesca’s footsteps began to take a homeward direction.  Something seemed to tell her that the message for which she waited had arrived and was lying there on the hall table.  Her brother, who had announced his intention of visiting her early in the afternoon would have gone by now; he knew nothing of this morning’s bad news—the instinct of a wounded animal to creep away by itself had prompted her to keep her sorrow from him as long as possible.  His visit did not necessitate her presence; he was bringing an Austrian friend, who was compiling a work on the Franco-Flemish school of painting, to inspect the Van der Meulen, which Henry Greech hoped might perhaps figure as an illustration in the book.  They were due to arrive shortly after lunch, and Francesca had left a note of apology, pleading an urgent engagement elsewhere.  As she turned to make her way across the Mall into the Green Park a gentle voice hailed her from a carriage that was just drawing up by the sidewalk.  Lady Caroline Benaresq had been favouring the Victoria Memorial with a long unfriendly stare. “In primitive days,” she remarked, “I believe it was the fashion for great chiefs and rulers to have large numbers of their relatives and dependents killed and buried with them; in these more enlightened times we have invented quite another way of making a great Sovereign universally regretted.  My dear Francesca,” she broke off suddenly, catching the misery that had settled in the other’s eyes, “what is the matter?  Have you had bad news from out there?” “I am waiting for very bad news,” said Francesca, and Lady Caroline knew what had happened. “I wish I could say something; I can’t.”  Lady Caroline spoke in a harsh, grunting voice that few people had ever heard her use.

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サキの長編小説 「耐えがたきバシントン」17章194回

「地下牢だ!」国外追放の身を運命づけられた彼が悪態をついて、そのような憤りと苛立ちのあだ名をつけたことを彼女は思い出した。かの地ではどう見ても厳しい状況に彼はあり、その過酷さは運命の意図をこえていた。フランチェスカが生きているかぎり、仕えてくれる頭脳が彼女にあるかぎり、けっして忘れることはできないことだろう。そう、麻酔をかけてもらうことはないのだ。無慈悲で、情け容赦のない記憶がつねにまとわりつき、悲劇の日々の最後を思い出させるのだった。すでに彼女の心は、総毛立つような、あの別れの晩餐会の細々としたことにあり、晩餐会をいろどった不吉な出来事をひとつずつ思い出していた。七人で席についた食卓。粉々に砕けてしまった七客あるうちの一客のリキュールグラス。コーマスの無事の帰還を祈ろうと唇にあてたときに、手から滑り落ちていった自分のグラス。レディ・ヴーラが「さようなら」といったときの、奇妙なまでに静かな絶望感。そのときの背筋が凍るような怖い思いを、あらためて彼女は思い返していた。

The “oubliette!”  She remembered the bitter petulant name he had flung at his destined exile.  There at least he had been harder on himself than the Fates were pleased to will; never, as long as Francesca lived and had a brain that served her, would she be able to forget.  That narcotic would never be given to her.  Unrelenting, unsparing memory would be with her always to remind her of those last days of tragedy.  Already her mind was dwelling on the details of that ghastly farewell dinner-party and recalling one by one the incidents of ill-omen that had marked it; how they had sat down seven to table and how one liqueur glass in the set of seven had been shivered into fragments; how her glass had slipped from her hand as she raised it to her lips to wish Comus a safe return; and the strange, quiet hopelessness of Lady Veula’s “good-bye”; she remembered now how it had chilled and frightened her at the moment.

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