NYTコラム「アメリカの世代間戦争」

The Generation Gap Is Back – NYTimes.com.

2012年6月22日

パルチザン的な国では組織活動が両極化してしまい、いつも意見が衝突している。例えば信仰に厚い者と世俗にまみれた者、99パーセントの多数派と1パーセントの少数派、共産党の赤いアメリカと警察官の青いアメリカというように。

しかし、こんな境界線をただ一本ひくだけでは、実際のところ、なんの注目もあつめない。それは若い層と年輩者たちを隔てる境界線のことである。

65歳でも、50歳でも、40歳でもいいから境界線を引いてみよう。境界線をどこにひこうと、結局、境界線をはさんで向かい合う人たちは、経済的にも、政治的にも違って見えるものだ。ジェネレーション・ギャップとは、1960年代のように、ポップ・カルチャーの産物ではないかもしれない。しかし世代間格差は1960年から見てみると、どんな時よりも大きくなりつつある。

1980年代から90年代にかけては、若い層も、年輩者たちも、大方が同じようなやり方で投票した。つまり若い層だろうと、年輩者たちだろうと、それぞれの多数派が大統領選のたびに勝者となったのだ。そのうち2004年頃から、年輩の有権者が右傾化するようになり、一方で若い有権者が左につくようになった。今年、ミット・ロムニーが65歳以上の層で圧倒的勝利をしめ、オバマ大統領は40歳以下で同様に勝利するだろうと、世論調査は示している。

政党に関係なく、この二つの層は国の前途に関する、多くの重要な質問について異なる見方をしている。若い層は同性間の結婚や学校基金に好意的であるだけでない。注目すべきことだが、若い層は信仰心がなく、移民の受け入れについては積極的で、社会保障の削除や軍事費の削除については敵意を抱かず、国の将来に楽観的である。

若者の楽観主義は、背景にある経済問題に直面していく。年輩のアメリカ人はこのところ、著しく目減りした年金をおそれながら、見るからに多くのことを心配してきた。しかし最近10年間の経済は不活発であり、並にしか発展せず、沈滞著しいものであり、いまだに若者に犠牲を強いている。若い層は職業人生を確かなものにすることなく、雇用されようと苦闘して職にしがみつくのである。

65歳以上が世帯主になっている家族と35歳以下が世帯主になっている家族では、財産の差も広がりつつある。1989年に連邦準備局がしっかりしたデータをとるようになって以来、どの年と比べても財産の挌差はもっとも大きくなっている。持ち家に関する格差も、国勢調査が1982年に開始されて以来、一番大きい。収入の格差も大きくなっている。25歳から34歳を世帯主とする家族の収入をインフレで調整すると、最近10年間で11パーセント減少している。一方55歳から64歳にかけての年齢集団は本質的に変わっていない。

こうした経済的、政治的な傾向をまとめた討論があるなら、実際のところ、若い層は年輩層に負けている。別な話題に関してウォーレン・ビュッフェ、81歳が冗談で言ったことだが、この国には確かに階級間の戦いが存在する。そして彼の階級はその戦いに勝っているのだと。世代間の戦いについても、ウォーレン・ビュッフェは同様に勝利宣言をすることができるだろう。

若い世代は、国民経済においても苦戦している。若い世代には政治的な力がないし、足下の経済を守るたっぷりとした安全網がない。年輩のアメリカ人は高い割合で投票するし、若い世代よりも組織化がすすんでいる。でも退職していないアメリカ人のための組織はないのだ。「ペル奨学金は」と政治学者ケイ・レマン・シュルツマンは指摘する。「アメリカ経済に送電する第三軌条と呼ばれることはなかった。」

とりわけ、連邦政府の給付金の50パーセント以上が、人口のうち13パーセントを占める65歳以上に流れていく。こうした給付金の出所は社会保障費からある程度来ている。多くの人は職業人生をとおして、この社会保障費を支払う。しかし、かなりの金額がメディケアに流れていく。一般的に思われていることとは逆に、ほとんどのアメリカ人は、支払い給与税(訳注1)からメディケア予算を支払うことを望んでいない。メディケアは国家予算の一番大きな赤字になりつつあることに加え、若者が年輩者を負担していくことになるプログラムだからだ。(訳注1 支払い給与税・・・従業員に支払われた賃金・給与総額をベースとして雇用主に対して課される税、アメリカでは社会保障のための目的税)
 
しかしながら教育予算に関しては、世論調査によれば若い層がもっとも削減すべきでないと考える分野であるにもかかわらず、大幅に削減されている。若い層は地球温暖化についても、政府に行動をおこすように望んでいるが、連邦議会は動きそうな気配がない。同性間の結婚についても、世論は若い層の考え方に動いているが、この事案について投票をおこなった31の州では、投票結果は同性間の結婚に反対するものとなった。

長期的な展望にたてば、明らかに若い層は確かに優位にたつ。若い層は消えてなくなることはないからだ。アメリカ政治の将来に関する大きな懸念の一つに、今日の20代から30代が現在抱いている考えをいつまで維持し、高齢化と保守化について常套句のようにはならないでいることができるかということがある。つい最近、1970年代から1990年代にかけての大統領選の結果がはっきり示したように、アメリカ人は年をとったからといって保守的にはならない。

今日の若い層は自由主義とまでは言えないものの、個人名義預金口座から社会保障を支払うことを好み、ネット上のプライバシーを守るために政府の行動を制限する。たしかに若い層は左傾化している。

その理由は正確には誰にも説明できない。だが懸念事項もある。多様性に囲まれて育った若い層は、社会的な感覚が自由であり、無意識のうちに自由な行動をとる。若い層の多くは、(非常に不評であった)ジョージ・W・ブッシュ大統領か(非常に好評であった)ビル・クリントン大統領の時代に成年に達した。ポー・リサーチ・センターの世論調査によれば、一つの世代をつくりあげることになる大統領は、良い方向にだろうと、悪い方向にだろうと長い影をおとすことになる。経済の沈滞に打ち砕かれたせいで、若い有権者たちは政府が経済に重要な役割を果たすように望んでいる。

こうした若い有権者の態度は共和党に試練をつきつけている。共和党は大きな勢力を保っているにもかかわらずラテンアメリカの有権者への挑発でよく知られ、大きな勢力を保つ共和党政権へ試練をつきつけている。「社会的に自由であり、政府に対してどんどん行動する若い世代が、我々に加わったのだ」世代にまたがって広く調査をおこなったポー・リサーチ・センターの所長アンドルー・コーツは言う。「若い世代はまったく異質である」

2004年にブッシュが再選で勝利してすぐ、年齢格差がちょうど広がったときのことである。キャンペーン策略活動のチーフ、マチュー・ドウドは、ブッシュの書記官にメモを書き、共和党の多数派が新しく広がりつつあると決めつけないように忠告した。マチューがカール・ルーヴや他のものに伝えたところによれば、投票所出口調査では、若い有権者はかなり民主党に投票しているらしい。こうした有権者は、やがて長い期間にわたって選挙民になるのだ。

「若い層は、共和党の考えと自分たちの考えが一致しているとは考えていない」。年輩の有権者は、若い人たちの移民政策への容認、ゲイへの親近感、民主党政府への関わりなどを見て、自分たちとは異質なものを感じていると、先週マチューは述べた。「こうした若い有権者が38歳になった頃、以前はゲイの結婚に賛成していたけど、今は反対だとは言わないだろう」

今までどおり、今日の若者が生涯にわたって民主党であると仮定するのは間違っているだろう。1960年代の子供たちの多くは、結局成人してロナルド・レーガンの支持者になった。政治に関する景色は、時が経つにつれて移り変わっていく。弱体化した経済に苛立ち、適切さを欠いた形で年輩者にばかり予算をくむ政府に不信をつのらせ、若い層はワシントンの政府に税金を納めるのを渋るようになることもある。共和党はそのうちもっとリベラル色の強い政党になるだろうし、若い層の社会の見方も同じようにリベラルなものになるだろう。

明らかなことは、市場の助言役たるグルはいつまでも右であるということだ。今日の若い人は本当に異質である。若い人の見方は、荒々しくて、今までとは異なるアメリカなのである。これは厳然たる事実である。若い人は、人生を昔よりは良いものと見なしている。しかし彼らは70年代の経済のスランプの産物であり、どんな些細な助けでも欲しがるだろう。若い人たちは、この国が将来についてもっと、とりわけ教育や気候について関心をはらってくれることを望んでいる。若いひとたちは無論、未来と向かい合って生きていかなくてはいけないのだから。

ディビッド・レオンハードはニューヨークタイムズのワシントン局のチーフである。(LadyDADA訳・Riverチェック)

 

 

 

カテゴリー: アメリカ政治 | コメントする

ILOレポート「若者は臨時・非常勤の仕事という罠におちているのではないだろうか」

Temporary, part-time jobs: a trap for youth?.

2012年5月22日 ジュネーヴ発

若い労働者が臨時契約で雇われる数が、経済危機の始まりから倍増したと、ILOは世界雇用傾向若年編2012報告書で述べた。(www.ilo.org/getyouth)

この研究によれば、2008年から2011年のあいだで、15歳から24歳の青年労働者における臨時雇用の割合が、1年で0.9パーセント上昇した。2000年から2008年にかけては、毎年0.5ポイント上昇していた。しかしながら、成人における臨時雇用の割合の平均は変わっていない。

すでに2000年の時点でヨーロッパ連合では、若者における臨時雇用の割合は成人の4倍であった。臨時雇用における若者の割合は35.2パーセントであり、比べると成人(25歳以上)の割合は8.9パーセントである。

このレポートでは、若者の多くが臨時雇用で働く「それなりの」理由があるということを強調し、2010年に臨時雇用で働いている若者のうち41.3パーセントが学生であると指摘している。

「それにもかかわらず、選択できる最後の手段として、臨時雇用の仕事がだんだん重要なものになりつつあることは、若者の三人に一人が終身雇用の仕事を見つけられないと話している事実からも確認できる。経済気危機以降、この割合は上昇し、2008年の36.3パーセントから2010年には37.1パーセントに上昇いしている」とレポートでは述べられている。

一方、途上国では、若い人たちの多くは報酬の支払われない家族経営の仕事に従事し、家族の商売や農場を手伝うことで職業人生をスタートする。学校から仕事への移行期は、失業期間や臨時雇用、不定期の雇用も含まれるのかもしれない。

途上国での若者は、高い割合で働いているのに貧しい労働者の原因となり、データをとっている国では、ワーキング・プアのうち23.5パーセントが若者である。比べてみるとワーキング・プアでない若者は18.6パーセントである。貧しい労働者のうち多くの者が、低レベルの教育をうけては生産性のひくい仕事に従事するという悪循環にはまっている、とILOは指摘した。

ILOは若者にきちんとした仕事をあたえるために、国がもっと推し進めるべき政策を数多くあげている。その中には労働市場の活性化政策も含まれ、たとえば公共の職業相談サービス事業、雇用主の若者を雇用する意欲をうながすために賃金と訓練への補助金交付、技術訓練をおこなったり、資本金について助言したり貸し付けたりする起業プログラムなどがある。(Lady DADA訳・BlackRiverチェック)

カテゴリー: 労働問題 | コメントする

NYTコラム「復員兵がニューヨークでホームレスとなり、挫折の日々からつかんだ希望」 アレックス・ミラー

In Need, in New York – NYTimes.com.

2012年6月12日

生まれも育ちもシカゴ南部だが、わたしは貧困のなかで育った。母と私は幾度となく見知らぬ宿泊施設に避難したり、時には保護施設に身を寄せることもしばしばあった。18歳で海軍に入隊したときには、これで訓練と教育が受けられる、これで私の人生も良い方向に変わって家族を助けることができると思った。

しかしながら2008年、私は名誉ある除隊をすることになった。勲章をもらって表彰されたが、足首から下にはボルトが7本入った状態だ。社会は不景気であり、私に可能な仕事は残されていなかった。場末のピザ屋で働いたり、小売店で販売の仕事をしたりした。しまいにはブロンクス地区にある元兵士のための病院で保守管理の仕事をした。ブロンクスの病院での仕事があるうちにフルタイムで働いておくべきだったと思うが、もっと給料が高い仕事が見つかるような気がしていた。私には誇りというものがあったのだ。でも、それは間違っていた。長い間、私は復員兵援護法で切り抜けることになり、奨学金のおかげでコミュニティカレッジに通い、最近ではニュー・スクールに通っている。けれど、とうとう私はもう切り抜けることが出来なくなってしまい、家賃すら払えなくなってしまった。

ホームレスの七人に一人が、軍隊で働いていた経験がある。25歳になったこの歳、私はこうしたホームレスの元兵士の一人となった。

ニューヨークで鮮明に記憶に残っていることのひとつに、黒人の元男性兵士が自分自身と熱い論争をしている姿がある。奇妙なことに、一言も発することなく、その兵士はつばをはき、口からあわをとばし、胸をこぶしでたたき、そのあいだ唇を動かすだけだった。それはまるでパントマイムの役者が、怒りを経験したことがない観客にむかって、荒々しく怒りを表現しているかのようだった。

その元兵士の姿は、インド洋の真ん中で交わした会話を思い出した。2ヶ月以上かけて陸地に近づくのをうんざりし待ちながら、仲間と私はゲームを考えて過ごした。そうしたゲームのひとつに、わたしたちが「ウィッシュ・リスト」と呼んだものがあるが、そのゲームはとても簡単なものである。海軍から除隊したときにすることのなかで、もっとも贅沢なことを予想するのだ。こう言った男がいた。気ちがいのふりをすると。変なものを食べてみたり、ハーベーへの忠誠を誓っているあいだにズボンをおろし、アメリカ兵士のかわりに妖精プーカのまねをする。その話に笑ったものだ。

しかしながらシェルターのあの元兵士のことを笑うことは難しい。さらに他の兵士はもっとひどい有様だった。シェルターのシステムの欠点とは、すべての人間をいっしょに生活させるということにある。情緒不安定な復員兵のとなりのベッドには健全な元兵士が眠り、その隣には前科がたくさんある前科者が眠っている。隣のベッドで寝ている男が、罪のない人間なのか、それとも罪のある前科者なのか知らないまま、夜寝ることは難しかった。どのシェルターにも、ギャングの一員がいたり、元ギャングがいたり、暴力沙汰の話もあれば、窃盗の話もあった。悲しいことに、人の命を奪ったことがあるという人間が、もしかしたらそう話しているだけなのかもしれないが、人の命を奪ったことがあるという人間がかならずいたのである。性犯罪者が、こうしたシステムをすり抜けてきているということも考えられた。

復員兵がシェルターで毎日耐え忍んでいるストレスを、私は身を持って体験した。ソーシャルワーカーは忍耐に欠け、私たち復員兵はとるに足りない存在なのだと話すばかりで、最近シェルターに入所した兵士と向き合う訓練を積んでいることもなく、公的な援助の申請を受けさせようと無理矢理に話をすすめていった。私が望んでいるのは仕事であり、福祉ではないのだ。しかしフードスタンプを受給していなければ、ニューヨーク市のシェルターに入ることが出来ないと告げられた。そして仕事を見つけることは出来ないと警告をうけた。

こうした挫折感にもかかわらず、私は知り合いになった幾人かに感謝している。以前働いていたメンバーにはNASAで働いていた男もいるが、彼はクラック中毒のせいで泥棒をしてしまい、有罪判決をうけ、ホームレスになったということだ。ベトナム戦争に従軍した軍医とも知り合いになった。ドクと私たちは呼んでいたが、彼は戦争中に正気をなくしてしまい、人間を殺すことを楽しむようにすらなっていたと語ったが、ドクの魅力あふれる人柄と忍耐強い性格からは信じられない話だった。別の海軍にいた男は私と同じ天文ファンで、すぐに意気投合した。

最初、私は自分の運命を政府のせいにして非難していた。高度な技能を授けるべく私たちを訓練しておきながら、その技能は軍隊の中でのみ役にたつものであり、社会で役にたつ保護手段ではなく、復員兵を路上に放り出すものであった。大学に通っていた頃のことだが、私の世界が崩壊しかけているのに、食べ物を少しと交通手段を与えているだけだと非難した。私は自分の母まで非難した。私を残して死んでしまい、兄弟たちが母親の葬式代と埋葬料を払わなくてはいけなかったからだ。

しかし最終的に自分の経験から理解したのだが、私自身にも自分で考えている以上に、こうした状況に責任があるのだ。酒を過度に飲み過ぎてしまう習慣に加え、助けを求めなければいけない時でも困難に耐えてしまう超人的な能力、この二つが大きな犯人だろう。今、私は自分への教育に重点をおいている。先月、シェルターから出た後、今ではニュージャージーのきれいなメゾネット形式のアパートに住んでいる。私はこうしたことすべてに意義が見いだせるようになった。自分を向上させようとする強い決意、それこそ8年前に入隊してから、皮肉にも海軍が私に吹き込んでくれた教えなのである。

アレックス・ミラーはニュー・スクールの2年に在籍している。(Lady DADA訳・BlackRiverチェック)

Lady DADAのつぶやき・・・生活保護を受けている人たちと話をしていると、やはりこの復員兵のように、望んでいるのは福祉でなく、仕事なのだということを強く感じる。ただ仕事につくためにステップアップしようとすると、生活保護を受けられなくなる。すると生活できない。あきらめて生活保護に頼る。この悪循環を感じる日々である。

カテゴリー: 労働問題 | コメントする

「なぜ子どもたちは学ばないのか」デュフロとバナジーによるレポート・JPALのHP

「貧乏人の経済学」(みすず書房)の著者エスター・デュフロとアビジット・バナジーによるレポート・JPALのHPより

Student Participation | The Abdul Latif Jameel Poverty Action Lab.

2015年まであと5年、この年に世紀末にかかげられた世界の教育についての目標が達成される。学校にいく子供の数は増えているように見える。東アフリカと西アフリカの多くの国で、それから南アジアのほとんどの国で、学校の入学者数は急激に増えている。初等教育の入学者数は、多くの地域で90パーセントを越えている。(UNESCO)

それなのに何故我々は祝福できないか。

問題は、子供たちは学校にいるけれど、でも学んでいないということにある。例えばインドでは、4年生のほぼ60パーセントにあたる子供が、2年生レベルの物語を読むことができない。そして76パーセントが単純な割り算ができない(2005年、プラサム)。隣国パキスタンでは、3年生のうち80パーセントの子供たちが、1年生レベルの段落を読むことができない(2009年、アンドラビ)。ケニヤでは、5年生レベルのうち27パーセントが一つの段落を読むことができない。 なにが子供たちを学ぶことから妨げているのだろうか。この質問を言い換えるなら、どうしたら子供たちが学べるようになるのだろうか。この記事を書くにあたって、私たちは新しい根拠に基づいた文を書いている。基本的にランダム化実験に基づいているが、それだけではない。いずれにせよ、この実験が答えに貢献することを望む。

最初の段階がみえてくる

こうした子供たちを守るには、学校へ行って一緒に過ごすことが大切である。データが示すところによれば、学校で過ごした時間が多い子供のほうが、人生のスタートをきるときの条件がよくなる(例えば2003年スフォールにて、デュフロ)。問題は、これには明らかに入学が必要とされるのだが、入学しても学校が効果的に機能しないことには幾つかの理由がある。インドでは、学校のある日は1年でわずか140日であり、毎日の授業はわずか3時間である。対照的に、ほとんどのOECDの国々では、学校で180日から200日を過ごし、授業は1日6時間から8時間とインドより長い。

・・・そして教え方

さらに生徒が教室にいても、教師がそこにいなければ、意味はない。2002年から2003年にかけて、バングラデッシュ、エクアドル、インド、インドネシア、ペルー、ウガンダで、世界銀行によっておこなわれた世界欠勤調査によれば、教員は平均して5日のうち1日は欠勤している。その比率は、インドとウガンダで高い。インドからのデータによれば、学校にいる教員にしても必ずしも教えているわけではないーーー教員は新聞を読んだり、お茶を飲んだり、同僚としゃべったりしている。とりわけ、教員は実際に教えていると思われている時間の半分も教えていない。(2006年ショーダリー)

刺激的な解決策

教員には、教えることへのプレッシャーがあまりない。こうしたプレッシャーが耐えられる範囲でくわえられると、教員はもっと教えるようになり、生徒も点数が向上する。つまり、生徒は(教員から質問されて)教えられるということを示し、また教員も(訓練の必要性を主張する教育の専門家からは、時折疑問の声もあがるが)教え方を知っているということを示している。ラジャスタン、インドの準認可学校でランダマイズ評価方法を実施したが、それによれば、個人的な感情をまじえない手段で出勤率を確かめ(例えば改竄できないようにした日付と時間いりの写真をとるなど)、教員の報酬と出勤率を結びつけると効果があるという。教員の欠勤率は半分にまで改善され、42パーセントから21パーセントにまで下がった。そして学生はもっと勉強するようになった。テストの点数は偏差値で0.16あがり、認可学校への入学が許可される試験に以前より50パーセント多い子供たちが合格するようになった(2010年、デュフロ)。インドで行われた別のランダマイズ評価実験で明らかになったところでは、生徒の学習状況を改善する上で、生徒の出来にもとづいて教員の給料を支払う方法が非常に有効であった(ムラリダランとサンダララマン、2009年)。ケニヤでは短期で雇用された教員が、学校委員会の監督のもとで常勤の教員よりも出勤率が高くなり、生徒も常勤の教員に教わるよりテストの点数があがった。契約教員は教職経験がなかったにもかかわらずだ。

私立はよくやるが、マージンが大きいいわけではない

何が刺激になるか確かめる別の方法は、私立学校の子供たちと公立学校の子供たちを比べることだ。コロンビアでは私立学校への抽選にあたった生徒のほうが、公立学校へ行くことになった敗者よりも15パーセント多い。標準テストでも、私立の生徒のほうが高い点数をとった(アングリスト、2002年)。パキスタンでは私立学校の生徒は、公立学校の生徒と比べて、毎年、平均達成率が偏差値で0,25上昇している。私立か公立か自己選択することが、ここでは、とても重要なのである。しかしソンアルド・デサイと他のメンバーは、インドで、同じ家族出身の兄弟を比較することで公立と私立を比較してみた。ソンアルドたちの調査によれば、私立学校にかよう子供たちと比べると、初等教育の年齢では、私立にかよう子供たちのほうが読解では偏差値で0.31高く、算数では0.22高い。これはインドの私立学校を高く見積もりすぎている数字であるが衝撃をあたえる数字でもある。両親は子供を私立学校へやろうとするだろうし、もし収入が少しでもあれば私立に子供をやろうとするだろう。

 私立学校の効果は、ラジャスタンにあるNGO運営の学校がみせる改善しようという動機ほど高いものではない。たしかに私立学校の効果とはある部分、教員がよく学校にいるという事実によるものである。ラジャスタンの調査から推測する教員が学校にいる率と、世界銀行が推測した私立学校の教員の欠勤率をあわせて考えてみると、私立学校の欠勤率は8パーセント以下であり、同じ村の公立学校より欠勤率が低い。私立学校のテストの点数が高かったのは、教員が学校にいるという美徳によって大体のところ説明がつく。他の理由としては、学校にいるときに教員が努力しているからだとか、教授方法がよいということがあげられるだろう。

しかし動機は物語の一部分にすぎない

インドの大きなNGO組織プラサムが2000年に、ヴァドダラとムンバイの市立学校の3、4年を対象に、バラキス(子供たちに親しまれている友達的存在)を訓練した一番安い舞台芸術を手段に、補習授業を実施した。バラキスはほとんどが1週間の訓練をうけただけの地元の女子高校生であり、1ヶ月に1000ルピーと比較的安い給料が支払われた(購買力平価で62.50ドル)。主な目的は、勉強がおくれている生徒たちに基本的な読み、書き、計算の技術を教えることにあった。1年後、生徒たちのテストの点数は、比較先の学校の子供たちが比較的低い達成率だったのに比べると、偏差値で0.6上昇していた(2007年、バナジー)。クラスの底辺の生徒たちは、プログラムに参加した学校のなかでは、高い偏差値をとることができた。

プラサムのプログラムの別な評価方法に、インドのジョンプールにおけるボランティア教員のによる結果を測定したものがある。そこでは学校に通学する生徒の率は、わずか50パーセントである。7歳から14歳の子供たちの60パーセント以上が、簡単な1年生レベルの話を読んだり、理解したりすることができない。プラサムは65のランダムに選ばれた村で、地元のボランティアを募り訓練して、2ヶ月間夕方の補習キャンプに取り組んだ。ボランティアは高い教育を受けていた人たちで、わずか1週間のトレーニングで教えられるようになった。1年後、なにも読めなかった60パーセントもの子供たちは、比較校の子供たちより、ずっと難しい字も判読できるようになっていた。難しい字も読めるようになった子供たちのうちさらに26パーセントが、物語を読んで理解できるようになった(2010年、バナジー)。 インドのビアールで実施された別のプログラムでは、政府の教員がプラサムから訓練を特別にうけてから夏の補習授業をおこない、基本的な技能を理解させることに焦点をあてた。参加した子供たちは、学習能力に大きな向上をみせた。比較対象のグループより平均して偏差値が0.2高く、私立学校に匹敵する上昇率である。サマープログラムは4週間だけの開催であり、5人に1人も参加できなかったにもかかわらず、このプログラムに参加した生徒への効果は5倍以上であり、偏差値にすれば1以上なのである(JPAL、2009) 。

プラサムによる4回目の研究によれば、基礎を習得した子供たちの場合、効果は小さいが、それでもこうしたプログラムから得るものがある。インドのビハールでは、別の補修教育プログラムがすべての子供を対象に開かれたが、それにはもう読める生徒も対象に入っていた。プラサムが教材を提供し、ボランティアにその教材を使って教える訓練をした。評価結果によれば、こうしたボランティアに教わった子供たちは力が大きく伸びた(数学で偏差値が平均0.15、3年から5年の国語で0.16)(JPAL 2009)。しかしながらプラサムがこの方法で政府の教員を訓練したときは、政府がこうした教材を学校の授業でも使うように教員に要請していたにもかかわらず、ボランティアのときのような学習の向上ははっきりと確認できなかった。

戸惑うこと

第1に、こうした向上結果の多くは、私立学校での結果ともおおいに関係しているように見える。なぜ私立学校はプラサム式の教授法を採択し、教え方を改善しないのだろうか。1週間の訓練が必要になるからだろうか。第2に、政府の教員は夏の間プラサムの教授方法を使いながら、学期が始まるとプラサムの教授法で教えないのか。第3に、なぜ両親と子供たちはプラサムによる、非常に効果がある補習授業にもっと熱心に応えようとしないのか。ジャンプールでは、わずか8パーセント(このうち13パーセントが読むことができなかった)が夜の補習授業に参加した。サマースクールでは18パーセントが出席した。

宝くじとしての教育

こうしたことを説明する単純明快な理論を示して、それを宝くじとしての教育論と名づけてみる。両親の願いに関する調査によれば、平均的な教育レベルの両親の場合、すなわち全然教育を受けていない両親や初等教育まで受けた両親の場合、教育とは公務員になったり月給取りになる保証をしてもらう手段として見なしている。このため、子供たちのこうした仕事へのアクセスを制限する門番である試験を通過して初めて、教育を価値あるものと考える。ただ、すべての事実は、両親たちがおそらく間違っていると告げている。発展途上国ではもう1年余計に学ぶことによる見返りは一定していないが、両親は見返りは教育のレベルがあがるにつれて見返りも多くなると信じている。例えばモロッコでは、両親は初等教育1年に対して男の子の収入が5パーセント増加すると信じている。中等教育での教育1年は15パーセントの収入増加になると信じている。この教育のレベルがあがるにつれて見返りも大きくなるという思いこみは、女子の場合に著しいものがある。初等教育はほとんど何も価値がなくて、0.4パーセントの収入増加である。しかし中等教育になると、1年で17パーセントの収入増加を見込んでいる。結果として、教育とは現実とは異なり、宝くじのようなものだと信じるようになったのである。
思いこみのいくつかは、以下の仮説からきている。
勝者ひとりじめの教育をあたえられ、勝者になるチャンスをもった子供をできるだけ早く確かめ、男だろうと女だろうと、すべての資金をその子供にかけることが大切なのだ。
これは私立学校に行くことになった子供の話である。両親が彼女のことを家族で一番賢い子供だと話す場面に遭遇した。パキスタンでは、両親に賢いと認められた子供は、ほかの兄弟と比べて私立に通う割合が4倍高くなる(アンドラビ、2009年)。ブルキナ・ファソの調査によれば、知能テストで高い点をとった男子は、私立学校に通う可能性が高くなる。しかし兄弟が高い点数をとっている場合、私立学校に通う可能性は低くなる。結果は、多くの子供たちが人生の早い時期において、両親から(私立学校でも、公立学校でも、しばしば初等教育で)教育にむいていないというメッセージを受け取っている。こうしたメッセージを受けたせいで、子供たちの多くは学校での活動をやり過ごすようになり、ドロップアウトを待つようになっても不思議ではない。これは、インドで子供たちの出席率が70パーセントで、教員の出席率よりも悪いことを説明するだろう。(アシャール 2005年)

早くから勝者を探し出して、勝者になりそうな子供に焦点をあてていくこの傾向を考えれば、両親が補習授業に熱心でない理由に説明がつくだろう。もし子供が補習授業を必要としていても、おそらく役に立たないと両親は思うだろう。
両親が宝くじに熱中するあまり、教育システムも出来のいい子供が優先されるものになっていても当然である。賭けは一番できる子供が対象となるから、授業の焦点はシラバスをすべてこなすことにあり、平均的な子供のことは忘れられてしまう。読むこともできないのに、地理や歴史、理科の知識が放り込まれる4年の子供たちのことを考えてほしい。教育システム全体のせいでこうしたことが起きてしまう。インド保守派の教育法案は、シラバスを終了することを合法的な要求と見なしている。ケニアでは、さらに教科書を与えても、それはクラスで一番の生徒にとってのみ役に立つものであり、残りの子供たちにとって教科書は先を進みすぎていて役に立たない。(グルゥーエ、2007年)
これで、教員がプラサムの教授法を使用しない理由に説明がつく。プラサムの教授法は、平均的な子供たちが基本概念を習得できることに焦点がおかれ、シラバスを終えることからは離れている。一方、サマースクールのあいだ、教師たちは子供たちの理解をたすけ、プラサムの指示を喜んで実践した。
公立学校にとっての真実は、おそらく私立学校にとっても更に真実であろう。私立であろうと、学校の存在理由は両親を喜ばすところにあるからだ。そんな教員が平均的な子供たちのための教授法を使うなんて期待できるわけがない。

仮定の証明

トラン・ヌグエンによる調査は、この見方とよく結びついている。トランによれば、マダガスカルでは教育からの見返りを過剰評価する両親もいる一方で、教育からの見返りを過小評価している両親もいる。たしかに平均すると、そういうものかもしれない。しかしながら(片方のみ見ることで)学校を卒業すると公務員になれると過大評価し、教育を宝くじにしているのである。(ヌグエン、2008年)
ヌグエンの発見によれば、教育を過小評価する両親に実際の効果について情報をあたえられると、子供たちはよく勉強するようになる。子供たちの偏差値は、平均で0.37上昇する。ジャンセンによる研究によれば、ドミニカ共和国で、教育の見返りについて生徒に情報を与えたところ、ドロップアウトの率が減少した(ジャンセン、2010年)。インド北部の州でおこなわれたランダマイズ化実験の最近の結果によれば、教育をうけた若い女性が、コールセンターで高賃金の職業につくことを知っていると、両親は娘たちを学校にやろうとする。言い換えれば、このせいで両親は、娘への投資は考えていた以上の宝くじだと納得 したのだ。(ジャンセン、2010年)一方、この研究によれば面白いことに、両親は男の子への教育投資を減らし、農場に残ってもらおうとした。町へやりたいと思う男の子だけに教育をふやした。
ケニヤ政府の公立学校のプログラムをランダム化評価実験で追跡する、明確で、説得力のある証拠がでてくる。教師がさらに雇用され、クラスをもっと少人数に分割する。ランダムに選択されたクラスは、子供たちの学力に基づいて、学力の高い子供たちと学力がそれほど高くない子供たちに分割された(いわゆる能力別学級である)。一方、他のクラスはアトランダムに分割された。能力別学級の子供たちは(学力の高い子供たちも、それほど高くない子供たちも共に)、能力別にクラスを分けなかった子供たちより、よく学習をした。この学力が向上した子供たちはプログラム終了後1年してからも学習を継続し、結局、両方のグループは同じクラスになることになった(デュフロ)。能力別学級で下のクラスに入った子供たちも、ほぼトップに近い成績をとるようになった。あいかわらず教師たちはトップの子供たちだけを教えている。

こうしたことは教育政策にどんな意味をもつか。

こうした問いへの適切な答えは、この記事の限度をこえている。しかしながら幾つか指摘することができる。第一に、教員を更に増やして雇うようにと、世界中で大きな圧力がかけられている。しかし私たちが正しければ、教授方法を変えることなくクラスサイズだけを小さくしても機能しないだろう。これは1990年代にインドで確認されたことである(バナジー、2005年)。ケニヤでも最近確認された(デュフロ、2010年)。
第二に、長期におよぶ動機は宝くじの仮定にゆがめられるので、短期間で成果があがるように教育を成功させることが重要であるとしている。ケニヤのプログラムでは、テストの点数で上位15パーセントに入った少女に、来年度、およそ20ドルにあたる奨学金を与えるというものだったが、少女に良い影響を与えただけでなく、教員に(少女たちを助けようと)一生懸命働かせることになった。それは少年たちにも、奨学金がでないにしても、一生懸命勉強させることになった(クレメール)。比較対象の教授法では、学習成果をあげた子供たちにはゲームで遊ぶことを許可したが、こうした条件下でもよく機能した。他のことはすべて切り離してみても、短期の動機を生み出す手段だからだ。これは実際にヴァドダラで発見された事実なのだが、数組の子供たちに1週間に2時間数学ゲームで遊ぶことを許可すると、偏差値が0.39上がり、テストでこうした上昇分布はレベルに関係なく見ることができた。
しかしながら、最終的な解決とは、両親から教員にいたるまで教育システムにたずさわるすべての人々が力をあわせて、全体の流れを変えていくことにある。もしこうした変化が起きたなら、非常に大きな収穫があるだろう。(Lady DADA訳・BlackRiverチェック)

 

カテゴリー: アビジット・バナジーとエスター・デュフロ, 教育, 開発経済学 | コメントする

「若者に投資せよ、さもなければ一世代が失れることにになる」ILO

Invest in youth or lose a generation, ILO says.

国際労働会議は、世界中の750万人の若い男女に影響を与えている雇用の危機に取り組むように、緊急行動を求めている。

2012年6月12日

ジュネーヴILO発ーーー世界は、もし若者の雇用危機に早急に取り組まなければ、一世代を失う危機に直面している。ジュネーヴで5月30日から6月14日にかけて開催された、国際労働者会議での報告文書は告げている。

世界が速やかに、強い行動をとらなければ、情け容赦なく一世代が失われてしまう事実に直面することになるだろう。

その報告書は、雇用主や労働者への支援とともに、政府が取り組むことができる施策として、技術のミスマッチへの取り組み、実習システムの改善、若者の起業の推進などをあげている。

報告書の代表は、政府、多国間のシステム、G20、国に相当する地域的、国際的機構に、ILOがリーダーシップをとりながら、この問題に取り組むよう求めている。

「若い人たちが労働市場に入るときに直面する障壁にどう取り組むべきか、多くのことが研究されてきました。しかし多くの国では、マクロ経済と政策が効果的ではなく、十分な仕事を生じるに至っていません。とりわけ若い人のための雇用を創出していません。」

その文書は、雇用の危機のおそろしい数字を際立たせている。7500万人の若者に、職がない。2007年から400万人の増加である。そのうち600万人が、職を探すのをあきらめている。働いている若者にしても、2億人が1日2ドル以下で働いている。

ILOは解決にむけて重要な役割をはたしている。「政府、社会組織、多国間のシステムによって活動を支援し、若者の雇用危機に取り組み、若者に適切な仕事を提供するようにしなければならない」と報告書はいう。さらに「政治的なかかわりと新しい取り組みが、状況の改善には大切である。」という。(Lady DADA訳・BlackRiverチェック)

カテゴリー: 労働問題 | コメントする

「屈辱的な就職市場とむきあう近頃の学士たち」NYT

Outlook Is Bleak Even for Recent College Graduates – NYTimes.com.

The New York Times 2011年5月18日

それぞれの話はなじみ深いものである。バーで客の相手をする化学専攻の学士。電話の応答をする古典専攻の学士。ウォールマートの通路を箒ではくイタリア語専攻の学士。

似つかわしくない職業についたり、就職を延期することだけが、腐敗しはじめた経済のせいで被る損害ではないということが、今、明らかになりつつある。不況という石のつぶてや弓矢から一番守られている大学卒にとっても、殺伐とした様相になりつつある。

最近の大卒の雇用も過去2年間で急激に落ち込んでいるし、仕事を見つけることができた大卒の初任給も同様に落ち込みを見せている。さらに、大学卒の資格を必要としている仕事の半分にしても、結局、高等教育が「その仕事の内容に見合う」ものかどうかは議論を提起するところである。

「同じように学士号をもっている友達も何人かいるが、ずっと低レベルの学校卒さ。でも、知り合いに偉い人がいたり、いつ卒業したかで、こっちよりずっといい仕事についている」とキール・ビショップはいう。ピッバーグ大学を2009年に卒業した23歳の若者だが、この2年間はウェイターをしたり、ビールを運んだり、本屋で働いたり、データ入力をしたりしている。「何よりも運次第なのさ」

ルツガー大学雇用訓練局のために、ジョン・J・ヘルドリッヒ・センターが水曜日に発表した調査結果によれば、2009年と2010年に4年制大学を卒業した学生の平均給料は2700ドルであり、2006年から2009年にかけて労働市場に入った学生たちの3000ドルを下回る。インフレを考慮にいれる以前に、すでにこれは10パーセントも減少している。

もちろん、これは運のよい者たちの話である。すなわち仕事を見つけた卒業生である。2010年度卒業の学生たちは、調査によれば、就職したのはわずか56パーセントである。2006年と2007年は、90パーセントの学生が就職した。(さらに教育を受けることにした学生もいれば、労働力となることから逃げた学生もいる一方で、多くはまだ通りをぶらぶらしている状態である。)

大学卒の労働者のキャリアがこうむったダメージについて、こうした数字はまだ控えめに表現している。多くの学士たちは自分たちの能力が活かされない仕事についている。最近大学を卒業した者のうち、最初の仕事が学士を必要としていたと答えた者は半分にとどまる。

大学で何を専門とするかという選択が、きわめて重要である。ある専門は、大学卒の資格を必要とする仕事を見つける幸運に恵まれている、ノースイースタン大学のエコノミスト、アンドリュー・M・サムは、2009年労働局の25歳以下の大卒データで分析する。

教育や教職、工学を専攻した卒業生は学士を必要とされる仕事を見つけやすい。一方で、ラテン・アメリカ研究など地域研究の専門や人文研究のような専門では、そうした幸運には巡り合うことはないだろう。教育学を専門した学士のうち71.1パーセントが、学士を必要とされる仕事についている。しかし地域研究の専門では、学士を必要とする仕事につく者の割合は、44.7パーセントにとどまる。

25歳から34歳の大学卒についての労働局のデータをニューヨークタイムズが分析したところによれば、データのサンプルは小さいが、レストランやバーなどの飲食サービスに従事している労働者の数は、2008年から2009年にかけて17パーセント上昇している。ガソリンスタンドやガス販売、食料品やアルコール販売、タクシーやリムジンの運転などで働く大学卒の数も、飲食サービスと同様に、あるいはそれよりも大きく増えている。

これでは学士号がむだになるかもしれないが、普通ならこうした仕事につく筈の、高い教育をうけていない労働者から仕事を締め出す事態が生じてきている。

「学校教育をうける期間が短ければ短いほど、労働市場全体から放り出される可能性が高くなる」とサム氏は言い、高卒とドロップアウト組の失業率は大卒よりも常にずっと高いと指摘する。「大卒によって完璧に仕事から締め出されている」

一方で、大学卒は学生ローンの負債の支払いという問題をかかえている。2006年から2010年卒の学生で、平均20000ドルになる。

ピッバーグ大学の卒業生ビショップは、最初の仕事が生涯をとおしてキャリアにつきまとうかもしれないと「恐れている」と言う。「履歴書にこんな短期の仕事ばかりだと印象が悪くなるけど。でも支払いをしないといけないし」それから彼の学生ローンは今のところ70000ドルを超えていると付け加えた。

多くの卒業生がさらに学生ローンを借りることになるだろう。過去5年間に卒業した学生のうち60パーセントのものたちは、成功するにはもっと教育をうける必要があるという。

「博士号をとらないと、仕事はそれほどないだろうとわかっていた」とトラヴィス・パターソン、23歳、カリフォルニア大学フラートン校の卒業生は話した。彼は不動産管理会社で管理のアシスタントとして働きながら、大学院で心理学を学んでいる。仕事は学位とは関係はないけれど、「おかげで部屋代と授業料を支払うことができる。それが大事なんだ。」

経済がよくなると、学校へ戻っていたら労働力に参入する可能性にあずかる。また失業率は、学歴が高い人々ほど一般的に低くなる。

学校へ戻らない者は、数年間低賃金の曲線上にあるかもしれない。そうした者は低い給料で始めることになる。さらにその下で職業人生を歩んでいくことになる雇用主にしたところで給料の支払いが平均より下回り、今後も成長していきそうな余地を持ち合わせていない。

「彼らの給料の歴史は、どこに行こうともついてまわる。」ルツガー大学の労働エコノミスト、カール・ヴァン・ホルンは言う。「肩の上のオウムのようなもので、どこにでも一緒について来て常にしゃべる。「いや、そんなに稼げるわけがない」と。

厳しい就職市場にさらされた若者は、職業人生を危険にさらすことにためらうかもしれない。でも、不運な卒業の日付を無効にしてしまう最高の方法とは、可能なときに仕事を変えることだと、コロンビアのエコノミスト、ティル・ヴォン・ウォッチャーはいう。

「卒業して5年以内に動かなければ、何らかの理由ができて今の場所にしばりつけられることになる。これはまさに経験からくる発見である。」ヴォン・ウォッチャーはいう。「20代後半までには結婚しているだろうし、家族もいて、家もあるだろう。仕事を変えるという勢いがとまってしまう。」 (Lady DADA訳・BlackRiverチェック)

Lady DADAのつぶやき・・・日本も同じような状況になりつつあるのかもしれないが、大卒が高卒の仕事をすることへの不満はあまり聞かない気がする。勤勉・温厚云々ではなく、日本人は、労働以外で自分をあらわす術を知っている成熟した民族なのかもという気もする。

 

 

 

 

カテゴリー: 労働問題, 教育 | コメントする

「働くでもなく勉強するでもなく・・・世界中で数百万人の若者が破滅にさらされている」ILO報告

Neither working nor studying, the fate for millions of youth worldwide.

 世界中の数百万の若者が経済危機が始まってから仕事を探すことをあきらめたが、これは若者が労働市場からはじかれつつある状況を反映している。

 2012517日 ILO

 ジュネーヴ(ILO発)世界中の数百万人の若者が仕事を探すのをあきらめた、とILOは新しい報告書で警告した。

 若者の失業率(2011年には12.6パーセント)は、労働市場からこぼれおちていった若者も数にいれると、さらに高いパーセンテージになるだろうと、ILOは「世界雇用傾向2012年度」(www.ilo.org/getyouth)で報告した。

経済危機と関連して若者が労働市場からはじかれていく現象は先進国で顕著であると、その報告書では述べている。

 なかでも関心をひくのは、雇用されているわけでもなく、教育を受けているわけでもなく、訓練を受けているわけでもない若者の存在である。多くの国でニート(NEET)という略称で知られている。アメリカでは、「disconnected youth(接続を切断された若者)として、スペイン語圏では「ni-ni(ーでもないしーでもない)」として知られている。

 こうしたグループは経済危機が始まってから増加しており、若い人達が労働市場からはじかれているということを反映していると、ILOの報告書は述べている。

 もし教育や訓練をうけているせいで若者の経済活動が不活発だというなら、将来の雇用に役立つ技術に投資していることになる。しかしニートたちは労働市場を危険にさらし、社会的に排除される危険をおかしているのである。

     国や地域ごとのニート像

 アメリカでは、2010年には、15.6パーセントの若者が雇用されているわけでもなければ、教育や訓練を受けているわけでもないことになる。

 ニュージーランドでは、ニートの割合は13.1パーセントであり、日本では9.7パーセントである。一方OECDの平均は12.8パーセントである

 ・ヨーロッパ連合では、ニートの割合は経済危機前の10.9パーセントから1.9パーセント上昇し、ブルガリア、イタリア、アイルランド、ラトビア、ルーマニア、スペインでは15パーセントを越えている。

 ・先進国24カ国のデータによれば、ニートの平均割合は若い男性で12.4パーセントであり、若い女性で28.1パーセントである。

先進国では、ニートの教育レベルは低く、家庭の収入も低く、移民してきたという背景をもつ者が多い。対照的に、学校に残ることで就職活動を遅らせる若者は、最初から高学歴のものが多い。

 途上国では、一方、ニートは仕事についている若者ほど貧しくないという傾向にある。仕事はしばしば貧困を運んでくるものであり、若い男性は働くしか選択がないからである。

問題に取り組む手段

いくつかの国では、教育、雇用、学校から仕事への移行に関した法案を通して、問題に取り組もうとしている。

 ヨーロッパ連合では多くの国が率先して、学校での落ちこぼれに再入学の機会を与え、それはしばしば実務的な訓練をともなうものである

ブルガリアとルーマニアでは、学校から落ちこぼれてしまうことが貧困と密接に関係している。これらの国では、政府による支援プログラムが提供され、給食、教科書、通学費の無償化がはかられている。

 いくつかの国々では、若者を採用し、訓練している企業や出来るだけ雇用を創出している企業を奨励するために、減税など報奨金を与えている。

 アメリカの行政は今年はじめビジネス界の指導者たちや地域の指導者と共に取り組んで、無数の「disiconnected youth(接続を切断された若者)」と低収入の若者に対して、仕事の経験や技術の習得をしてもらい、人と触れ合う場を設けるために、夏の仕事を提供することにした。

共同経営にもとづいた政策は、公的な政策よりもさらに効果的にニートたちに近づくものである。(Lady DADA訳・BlackRiverチェック)

 

カテゴリー: 労働問題 | コメントする

ILO「2007年以降、400万人以上の若者に職がない」

Four million more jobless youth since 2007.

ジュネーヴ(ILO発)ーーー世界の雇用傾向報告若年篇(www.ilo.org/getyouth)でILOが報告したところによれば、2012年度の世界における若者の失業率は危機的なレベルに達し、2016年まで数字は下がらない。

今年、世界の若年労働力のうち12.7パーセントが失業している見積もりになる。その報告書によれば、2009年の経済危機で頂点に達したままで、僅かながら去年の12.6パーセントより上昇している。

希望をもつことができない失意の若者や仕事を探すことをあきらめたり、見合わせている若者も数にいれると、若者の失業率は更に高くなる。そうした若者を数にいれて調整すると、2011年の若者の世界的な失業率は13.6パーセントになる。

世界中を見てみると、2012年には、15歳から24歳にかけての若年失業数は、7500万人になるだろう。2007年から400万人増加している。

仕事が限られているせいで学校に残っている若者が労働市場に参入するとき、失業率にはさらなる圧力がかかるだろう。

「政策をたてるときに若者の雇用創出を優先事項として、民間部門への投資をよく考えて行えば、若者の失業の危機は解決されるだろう。」ILO雇用部門の常務理事、ジョゼ・マニュエル・サラザール・クリナッチは語った。

「こうした手段には減税もあるだろう。また若者を雇用する企業へ報奨金をだしたり、若者の技術差を減らそうと努力したり、技術訓練をおこなう起業プログラムへの援助もあるだろう。資本金へ助言したり又は資本金を利用させたり、若者への社会保障の改善等ということを促すこともある。」とジョゼは述べる。

各地域の失業率はどうか。

地域によっては経済危機から回復している国もあり、経済危機のショックは薄れつつある。だがどの国も、若者の雇用という試練に直面している。(地域ごとの若者の失業率を参照)

経済が発達した国では、今年の若者の失業率は18パーセントと算出されていたが、状況は更に悪化している。これは労働力から離れる若者が大量にでたためである。

中央ヨーロッパ、東ヨーロッパ、南ヨーロッパにおける若者の失業率は、2011年には17.6パーセントと僅かに減少している。経済が発展していくのとは対照的に、この地域の経済危機のせいで、失業者における若者の割合は上昇し、貧困においこまれる若者もでてくるだろう。

北アフリカでは、アラブの春以降、失業している若者の割合は5パーセント上昇し、その割合は2011年では依然27,9パーセントである。中東では失業している若者は26.5パーセントである。

・ラテンアメリカとカリブ海の諸国の若年失業率は2008年の13.7パーセントから、2009年の15.6パーセントへと急上昇した。2011年には14.3パーセントへ減少したが、中期的に見ると更なる改善は期待できない。

・サハラ以南のアフリカでは、2011年の失業率は11.5パーセントであり、2005年から変動していない。

東南アジアと太平洋地域は2011年の失業率は13.5パーセントであり、2007年から0.7パーセント改善している。

・おそらく経済活動が一番活発な地域である東アジアでさえも、若者の失業している割合は大人と比べて2.8倍高い。

その他の鍵となる事柄 ・世界的にみても、経済危機はほとんどの地域で、男性よりも女性の若年失業率に強いダメージをあたえた。これはとりわけ北アフリカで顕著である。経済が発展した国では、経済危機は若い男性に強いダメージを与えた。

・多くの若者は、生産性が低い仕事に、臨時雇い、または他の雇用形式で働くという罠におちている。そうした仕事は良い仕事へと発展していかない。先進国では、臨時雇いの仕事やパートの仕事につく若者が増えてきているが、一方途上国では、家族の商売や農場を手伝ったりして、多くの若者が無報酬の仕事についている。

・働かず、学校にも行かない若者たちが、とりわけ先進国では深刻な問題となっている。こうした集団は少なくとも若者の10 パーセントにあたり、先進国では急速に増えてきている。(Lady DADA訳・BlackRiverチェック)

Lady DADAのつぶやき・・・フランス最大の労組CGTは、HPでもILOのレポートを大きく取り上げてコメントを発表していた。さて日本では・・・?組合のオジサン、オバサンは自分のことで精一杯で、数が少ない若者のことまで気が回らないのかなあ?少数に気を使っても見返りはないと思っているのかなあ?

カテゴリー: 労働問題 | コメントする

NYTコラム「2012年度に卒業する学生たち」

The Class of 2012 – NYTimes.com.

The New York Times2012年6月4日

大学を卒業していく学生たちは、順調な未来へと大きな1歩をふみだすと思われている。しかし仕事を見つけることができた運のいい卒業生にしても、労働市場が弱体化しているせいで初任給の減額に直面する。一方、大多数の学生は仕事を見つけようとして苦労し、あるいは大学卒の資格を必要としない低レベルかつ低賃金の仕事につくことになる。

たとえ経済が回復しても、昨今の大卒の多くはスタートの遅れを取り戻すことはできない。調査によれば、スタート時点で仕事がなかったり賃金が低かったりすると、職業の見通しがたたず、生涯にわたって収入の不利益をこうむることになる。

昨今の大卒は高卒よりましな就職状況であるが、数字は厳しい。25歳以下の大卒の失業率は過去1年で平均で8.5パーセントであり、その前の年の9.5パーセントよりは改善されている。しかし2007年末の大恐慌以前の、5.4パーセントという数字よりはずっと高い。2007年から2011年にかけての大卒の賃金をインフレで調整すると、4.6パーセントの落ち込みであり、1年に約2000ドルの落ち込みである。

1年か2年間の苦境を立て直すにしても、大変なことである。経済のメルトダウンから数えると5年間もの苦境は、効果のある政策を考えるように、更なる試練を促している。

最大の誤解はーーーそれほど不況が深刻ではなかった時代の、数十年におよぶ成長のせいで生じた誤解だが、大学の学位が良い仕事をほぼ保証してくれるというものである。事実は違う。ガソリンが燃えるように経済が勢いよく広がらなかったため、仕事が不足する事態がやむなく生じた。それは大学教育をうけた学生も例外ではない。

もう一つの誤解は、今日仕事がないのは主として雇用のミスマッチの結果だとするものである。雇用主は技術のある労働者を見つけることができないし、労働者は仕事のある場所まで引っ越したくないし、引っ越すことも出来ないというミスマッチだ。この頃の大卒は技術もあり、働く場所を選ばないのだが、それでも、かなりの者が仕事を見つけられないでいる。弱体化した経済社会には需要がないということを、あらためて示すものである。

学校教育は、学生たちにありあわせの仕事につかせようとしている。大卒のうち仕事につけないでいる学生の数がかなり低いことから、それは証明される。過去1年間の平均失業率は高卒の21パーセントに比べ、大卒は平均8.5パーセントである。しかし、不本意なパートの仕事についている者や就職活動をあきらめた学生も含めると、大卒の不完全就業率は平均19.1パーセントになる。これは不況前のおよそ2倍である。

さらに大卒の完全雇用も落ち込んでいる。調査によれば、学士の資格を必要としてない仕事につく大卒は、不況が始まる2007年以前がおよそ30パーセントであるのに比べ、最近では40パーセントになってきている。

政府が需要と成長をうながすために更なる支援をしないかぎり、州に対する雇用創出支援、エネルギー事業やインフラ整備への投資などの手を打たなければ、大卒に限らずすべての者が苦戦することになるだろう。共和党の政治家は必要な政策を凍結して、予算の赤字削減が大事であり、規制解除や富裕層のための減税を行えば、事態はなんとか好転すると主張してきた。しかし好転しないまま現在に至り、今後も好転することはないだろう。

その傷は深く、消えることはない。大卒者が高賃金のよい仕事もなく、学生ローンをかかえるということは、成長が更に遅い経済社会が長く続くということだ。教育ローンという負債を抱えたパート労働者では、家族を持つのも遅くなり、家を買うことも遅くなるからだ。大学の卒業生たちは大恐慌の二次的な被害を受けただけではないのだ。彼らが受けた教育は困難を切り抜ける手段と柔軟さを、おおいに与えてくれることだろう。とは言え、アメリカで学士をもつ若者がうまくやれないのであれば、誰がうまくやれるというのだろうか。 (Lady DADA訳・BlackRiverチェック)

 

 

 

 

 

 

 

カテゴリー: 労働問題, 教育 | コメントする

The Economist のブログより「ヨーロッパというステレオタイプ」

2012年5月30日

Greeks say they are the hardest-working European nation: Stereotypes of Europe | The Economist.

ギリシャ人はヨーロッパで一番自分たちが一番勤勉だと考えている

世論からときおり、形になりつつある見解が明らかになることがある。昨日おこなわれた、ポー・グローバル調査会社による調査がそうである。ユーロとヨーロッパ連合への受け止めかたに関する、ありふれた質問項目には、8カ国(英国、フランス、ドイツ、チェコ共和国、ギリシャ、イタリア、ポーランド、スペイン)の人々に対して、ヨーロッパ連合で一番勤勉な国はどこかという問いがあった。ギリシャ人は明らかな解答(ドイツ)を無視して、そのかわりに自分たちギリシャ人が一番勤勉であると答えた(他の7カ国は表が示すように、「ドイツ」と答えている)。しかしながらギリシャ人の理解は見かけほど、現実の把握を間違えているわけではない。ギリシャ人は、OECDのデータが図表で示しているように、実際にヨーロッパで一番長く働いてはいる。しかしながら、どのエコノミストも指摘するように、長く働けば生産性があがるというものでもない。そしてギリシャの生産性は比較的低い。この国の苦境は、収賄のせいで回復を妨げられている。ギリシャの収賄はイタリアに次ぐレベルと見なされているが、ギリシャ人は自分たちの国がとりわけ一番収賄にそまっていると考えている。(Lady DADA訳・・・英文記事中に図表があるので、参考にしてください・BlackRiverチェック)

カテゴリー: ギリシャ危機 | コメントする