2018.01 隙間読書 久生十蘭『母子像』

初出:1954年(昭和29年)3月26〜28日

終戦後、サイパンから帰国して、アメリカ人将校の奨学金で学校に通う少年が心に抱いていた憧れの母の姿が瓦解、失意の行動にでる様子をシンプルに、でもシンプルだからこそ効果的に描いている。


父が死亡後、母と二人でサイパンに暮らす太郎。状況が厳しいものとなって洞窟に避難しても、母と一緒にいる時間ができたと喜ぶ。危険な水汲みも母のために喜んで行く。ここで母の声を聞く喜びが生き生きと語られているからこそ、後半の母の声への失望が効果的に伝わってくる。

洞窟に入るようになってから、一日じゅう母のそばにいて、あれこれと奉仕できるのが、うれしくてたまらない。太郎は遠くから美しい母の横顔をながめながら、はやくいいつけてくれないかと、緊張して待っている。「太郎や、水を汲んでいらっしゃい」 その声を聞くと、かたじけなくて、身体が震えだす。

死んでいる筈の母がバーを経営していると聞いた太郎は、母のバーに忍びこむため女装して花売りに化けたりと涙ぐましい。でも母が店の客と寝ていると知らされた太郎は、母の寝台の下に忍びこみ、事実を確かめ、深い絶望に突き落とされてしまう。

汚ない、汚ない、汚なすぎる。人間というものは、あれをするとき、あんな声をだすものなのだろうか。サイパンにいるとき、カナカ人の豚小屋が火事になったことがあったが、豚が焼け死ぬときだって、あんなひどい騒ぎはしない。母なんてもんじゃない、ただの女だ。それも豚みたいな声でなく女なんだ。

真面目な太郎少年の、母の声に対する反応の激しい変化ゆえに、その絶望感が伝わってくる。


さらに自分の思いをまったく知らないで声をかけてくる教師に、心のなかでつぶやく「大当たり」「外れ」「半当たり」という言葉が、さらに哀しい、捨て鉢な思いのリズムを作品に刻んでいく。

最後の三行も少ない言葉数で、太郎の絶望と哀しみを目に見えるようにまざまざと描きだしている。

警官が起きあがって、そこから射ちかえした。鉄棒のようなものが太郎の胸の上を撲りつけた。太郎は壁に凭れて長い溜息をついた。だしぬけに眼から涙が溢れだした。そうして前に倒れた。


この作品は吉田健一の英訳で、世界短編小説コンクールの第一席を受賞。吉田の遺品からでてき母子像の草稿二種類が、神奈川近代文学館に今日まで展示されていた。この草稿も、どこかに掲載されたら…と思うのだが。

読了日:2018年1月20日

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チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第279回

また或る時には、彼はまったくの他人を演じてみせ、別の方法で家に入ってみては、泥棒のような気分にひたるのであった。自分の家を壊して侵入するのだが、それは今夜私と一緒にやった行動のようなものであった。明け方近くになる頃、私は「ぜったいに死なない男」という奇妙な自信を捨て去った。それから戸口のところにいる彼と握手をかわすと、最後の霧のかたまりが漂うなか、夜明けの切れ目から射す光が階段を照らし、この世の果てのように見える凹凸のある通りが浮かび上がった。

 

And at other times he would play the stranger exactly in the opposite sense, and would enter by another way, so as to feel like a thief and a robber. He would break and violate his own home, as he had done with me that night. It was near morning before I could tear myself from this queer confidence of the Man Who Would Not Die, and as I shook hands with him on the doorstep the last load of fog was lifting, and rifts of daylight revealed the stairway of irregular street levels that looked like the end of the world.

 

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2018.01 隙間読書 江戸川乱歩『赤い部屋』

初出:1925年(大正4年)新青年

少しずつ作品のあちらこちらに違和感を覚えてしまうのは、作者の意図にはまったのだろうか?

異常な興奮を求めて集った、七人のしかつめらしい男が(私もその中の一人だった)態々其為にしつらえた「赤い部屋」の、緋色の天鵞絨で張った深い肘掛椅子に凭れ込んで、今晩の話手が何事か怪異な物語を話し出すのを、今か今かと待構えていた。

七人のしかつめらしい男が赤い部屋に集まってお話を待ち受けるという出だしからして違和感を感じてしまう。

さらに主人公の私はこう語る。

兎に角、私という人間は、不思議な程この世の中がつまらないのです。生きているという事が、もうもう退屈で退屈で仕様がないのです。

退屈で退屈で仕方ない…という主人公が、こっそり企んだ計画殺人の数々について、冷静に淀みなく語ることにも違和感を感じてしまう。あの結末に結びつけるための違和感なんだろうか?それにしても、この語り口で結末をほのめかしてしまうのではないだろうか?

最初、妖しい雰囲気が漂っていた部屋だけれど…

部屋の四周には、窓や入口のドアさえ残さないで、天井から床まで、真紅な重々しい垂絹が豊かな襞を作って懸けられていた。ロマンチックな蝋燭の光が、その静脈から流れ出したばかりの血の様にも、ドス黒い色をした垂絹の表に、我々七人の異様に大きな影法師を投げていた。そして、その影法師は、蝋燭の焔につれて、幾つかの巨大な昆虫でもあるかの様に、垂絹の襞の曲線の上を、伸びたり縮んだりしながら這い歩いていた。

最後、その妖しさを失った姿を晒すという意外さ…が面白いのだろうが、私的には妖しいものは最後まで妖しくあってほしい。つまらないものが妖しいものに変わる…という設定ならいいけれど。現実に引き戻されるという展開は好きではない。

そして、その白く明るい光線は、忽ちにして、部屋の中に漂っていた、あの夢幻的な空気を一掃してしまった。そこには、曝露された手品の種が、醜いむくろを曝していた。緋色の垂絹にしろ、緋色の絨氈にしろ、同じ卓子掛けや肘掛椅子、はては、あのよしありげな銀の燭台までが、何とみすぼらしく見えたことよ。「赤い部屋」の中には、どこの隅を探して見ても、最早や、夢も幻も、影さえ止めていないのだった。

読了日 :2018年1月17日

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チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第278回

ときどき、彼は妻に突如として、しゃちほこばった礼儀正しさをとることがよくあって、まるで一目で恋におちた若者のようであった。ときどき、彼はこの詩的不安の対象を家具にまで広げることがあって、腰かけている椅子に謝罪したり、岩登りの名人のように注意深く階段をのぼったりしたが、それは自分自身のなかに現実という骨組みを取り戻すためのものであった。あらゆる階段とは梯子であり、あらゆる椅子には脚がついているのだからと彼は言った。

 

“Sometimes he would, of a sudden, treat his wife with a kind of paralyzed politeness, like a young stranger struck with love at first sight. Sometimes he would extend this poetic fear to the very furniture; would seem to apologize to the chair he sat on, and climb the staircase as cautiously as a cragsman, to renew in himself the sense of their skeleton of reality. Every stair is a ladder and every stool a leg, he said.

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チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第277回

彼は自分の魂を笑いで鞭うち、眠り込んでしまうのを防ごうとした。彼のせいで妻は素晴らしい召使たちを失ってしまったのだが、それは彼がまるでまったく他所者として扉をノックして、スミス氏はここに住んでいるのか、どんな類のひとかと訊いたからだ。ロンドンの一般的な使用人は、このように極めつけの皮肉を言う主人に慣れていない。そうした振る舞いは、自分自身にも、他の人について感じるのと同じ興味を覚えるせいだと妻に説明しても理解しえもらえなかった。

「たしか、スミスという男がここにいると思うんだが」彼はすこし妙な話し方をした。「このテラスハウスのひとつに住んでいるらしい。本当に幸せな男だと思うが、まだ会ったことはない」

 

“He lashed his soul with laughter to prevent it falling asleep. He lost his wife a series of excellent servants by knocking at the door as a total stranger, and asking if Mr. Smith lived there and what kind of a man he was. The London general servant is not used to the master indulging in such transcendental ironies. And it was found impossible to explain to her that he did it in order to feel the same interest in his own affairs that he always felt in other people’s.

“`I know there’s a fellow called Smith,’ he said in his rather weird way, `living in one of the tall houses in this terrace. I know he is really happy, and yet I can never catch him at it.’

 

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2018.01 隙間読書 谷崎潤一郎『途上』

初出:1920年(大正9年)改造

読んでいるうちにクスリクスリと笑いたい衝動にかられる。でも谷崎潤一郎の作品で笑ってはいけない…と我慢して読みすすめる。でも笑いたい…笑いを我慢したまま不完全燃焼に終わったような作品。

湯河は会社からの帰り道、探偵につきまとわれる。探偵は湯河の身元調査を依頼されたと言う。そこで明らかになっていく湯河の過去。前妻を労わるように見せかけ、実は死ぬように仕向けては次々と失敗。そのどぎついまでの繰り返しに苦笑してしまいたくなる。

フォロワーさんから、「途上」は「プロバビリティの犯罪」と称するミステリの先駆的作品で、乱歩はこの作品に触発されて「赤い部屋」を書いたこと、冗談小説のつもりで谷崎も書いているだろうから笑ってもいいことを教えて頂き安心、今度は思いっきり笑って再読しよう。

2018年1月16日読了

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チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第276回

彼らはハイベリー近くの、細長い家に落ち着いた。細長い家としか言いようのない建物である。スミスは結婚したと厳密な定義でも言うことが可能であり、しかもその結婚は幸せなものであり、妻より他の女を気にすることもなければ、家より他の場所を気にすることはないようには思えたけれど、それでも身を落ち着けたとは言い難いものがあった。「僕はとても家庭的な人間なんだ」彼は重々しく説明した。「ティーの時間に遅れるくらいなら、割れた窓から入ってくるくらいに」

 

“They had settled down in these high narrow houses near Highbury. Perhaps, indeed, that is hardly the word. One could strictly say that Smith was married, that he was very happily married, that he not only did not care for any woman but his wife, but did not seem to care for any place but his home; but perhaps one could hardly say that he had settled down. `I am a very domestic fellow,’ he explained with gravity, `and have often come in through a broken window rather than be late for tea.’

 

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2018.01 隙間読書 芥川龍之介『手巾』

『手巾』

作者:芥川龍之介

初出:1916年(大正5年)10 月「中央公論」

青空文庫

ツィッターで初版道さんがこの作品について「三島由紀夫は『芥川の短編小説の「いくつかは、古典として日本文学に立派に残るものである』とし、『もっとも巧みに作られた物語』に『手巾』を挙げ、短編小説の極意と評価。一方、田山花袋は同作を『かういふ作の面白味は私にはわからない。何処が面白いのかといふ気がする』と語り、実に両極端です」と紹介されていたのに興味を覚えて読む。

アメリカ人の妻をもつ長谷川という帝大教授がベランダの岐阜提灯を眺めながら読書をしていると、西山という婦人が訪ねてくる。その婦人は、長谷川の教え子の母で、その教え子は一週間前に亡くなったのだと言う。

そう語りながらも微笑みをうかべている婦人に疑問を感じながら、長谷川が物を拾おうと身をかがめたとき、その婦人の手がふるえ、にぎっていた手巾を裂かんばかりであることに気がつく。

妻に武士道について語り満足する長谷川。彼は西山の母親の名刺をはさんであったストリンベルクの本を開くと、このような言葉が書かれていた。

私の若い時分、人はハイベルク夫人の、多分巴里から出たものらしい、手巾のことを話した。それは、顔は微笑してゐながら、手は手巾を二つに裂くと云ふ、二重の演技であった、それを我等は今、臭味(メツツヘン)と名づける。…

お盆につかう岐阜提灯が飾られたベランダ。そこに訪ねてきた死んだ学生の母。その母の名刺がはさまれた頁には、母の気持ちを語るようなストリンベルクの言葉。母が訪ねてきたのも、意味ありげな言葉が書かれている頁に母の名刺がはさまれたのも、そこにはすべて亡くなった学生の影が感じられるのだが。

この作品を武士道と関連すけて書いている人が多いようだが、私は亡くなった学生が愛していたストリンベルクの言葉を、自分の母をとおして敬愛する先生のまえで演出して別れを告げた作品のようにも感じられた。

読了日:2018年1月12日

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チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第275回

スミスにはこのことを告げたり、記録したりする方法が他に思いつかなかったものだから、その頃にはすっかり他人となっていた旧友に電報を送って、「二本足の男を見た、いやはや(ザ・マン・ワズ・アライヴ)」とだけ伝えた。

楽観主義が放たれてロケットのように噴出して星に突っ込んだそのときに、彼は恋におちた。たまたまであったが、彼は高く、険しい堤防にむかってカヌーから銃をうち、自分が生きているということを証明しようとした。でもすぐに疑念がわいてきて、その生きているという事実が継続しているのかと疑っている自分に彼は気がついた。さらに悪いことに、彼はボートに乗っている無邪気なレディも同じように危険にさらしたことにも気がついた。つまり彼女は哲学的な否定の告白もしていないのに、死に至りそうになった。彼は息をきらしながら謝罪して、荒々しく、ずぶぬれになって苦労しながら彼女を岸に戻した。とにかく、彼女をあやうく殺しかけたときと同じ性急さで、彼は彼女と結婚した。彼女こそが、緑の服に身をつつんだレディで、私が先ほど「おやすみなさい」と声をかけたレディであった。

 

Smith could think of no other way of announcing or recording this, except to send a telegram to an old friend (by this time a total stranger) to say that he had just seen a man with two legs; and that the man was alive.

“The uprush of his released optimism burst into stars like a rocket when he suddenly fell in love. He happened to be shooting a high and very headlong weir in a canoe, by way of proving to himself that he was alive; and he soon found himself involved in some doubt about the continuance of the fact. What was worse, he found he had equally jeopardized a harmless lady alone in a rowing-boat, and one who had provoked death by no professions of philosophic negation. He apologized in wild gasps through all his wild wet labours to bring her to the shore, and when he had done so at last, he seems to have proposed to her on the bank. Anyhow, with the same impetuosity with which he had nearly murdered her, he completely married her; and she was the lady in green to whom I had recently said `good-night.’

 

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2018.01 隙間読書 織田作之助 『夫婦善哉』

『夫婦善哉』

作者: 織田作之助

初出: 1939年(昭和14年)

『雨』の翌年に発表された作品で、『雨』と同じように大阪の昭和14年当時のざわめきが聞こえてくる作品。またこの作品でも浄瑠璃が大事な小道具として使われ、大阪の生活には浄瑠璃がとけこんでいた…ということが分かるので読んでいて楽しい。

芸者の媟子は、妻子のいる柳吉と駆け落ちをする。やがて二人で理容関係の品物を商う店を始めるが、その合間に柳吉は浄瑠璃を習い始める。その情けない練習ぶりを織田作之助はユーモアたっぷりに描く。

退屈しのぎに、昼の間の一時間か二時間浄瑠璃を稽古しに行きたいと柳吉は言い出したが、とめる気も起らなかった。これまでぶらぶらしている時にはいつでも行けたのに、さすがに憚って、商売をするようになってから稽古したいという。その気持を、ひとは知らず蝶子は哀れに思った。柳吉は近くの下寺町の竹本組昇に月謝五円で弟子入りし二ツ井戸の天牛書店で稽古本の古いのを漁って、毎日ぶらりと出掛けた。商売に身をいれるといっても、客が来なければ仕様がないといった顔で、店番をするときも稽古本をひらいて、ぼそぼそうなる、その声がいかにも情けなく、上達したと褒めるのもなんとなく気が引けるくらいであった。


いろいろあった二人だが、最後は仲睦まじくぜんざいを食べに行く。店の様子がありありと描かれているが、モデルとなった店があるのでは?

法善寺境内の「めおとぜんざい」へ行った。道頓堀からの通路と千日前からの通路の角に当っているところに古びた阿多福人形が据えられ、その前に「めおとぜんざい」と書いた赤い大提灯がぶら下っているのを見ると、しみじみと夫婦で行く店らしかった。

ここの善哉はなんで、二、二、二杯ずつ持って来よるか知ってるか、知らんやろ。こら昔何とか大夫ちう浄瑠璃のお師匠はんがひらいた店でな、一杯山盛にするより、ちょっとずつ二杯にする方が沢山はいってるように見えるやろ、そこをうまいこと考えよったのや。

織田の周囲には、ぜんざい屋をやっていた浄瑠璃の師匠がいたのではないだろうか…と思わせるくらいにリアリティがある文である。リアリティがありながら、どこかほのぼのした気持ちになるのが織田作之助の魅力のように思う。


蝶子と柳吉はやがて浄瑠璃に凝り出した。二ツ井戸天牛書店の二階広間で開かれた素義大会で、柳吉は蝶子の三味線で「太十」を語り、二等賞を貰った。景品の大きな座蒲団は蝶子が毎日使った。

夫婦善哉の最後である。いろいろあった二人だが、仲睦まじく義太夫大会に出る。場所は「雨」にも出てきた天牛書店の二階広間。古本屋の二階で義太夫大会がひらかれていた時代を思い、やはり今度もほのぼのしてしまった。「雨」では義太夫大会の景品は湯呑み、夫婦善哉では座布団…景品にも、当時の浄瑠璃が庶民的なものだったことがうかがえる。

織田作之助は、どうして作品に浄瑠璃を書いたのだろうか? それだけ浄瑠璃が大阪の人に親しまれていたということなのだろうか?

読了日:2018年1月11日

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