2018.04 隙間読書 高木彬光「白昼の死角」

初出:1959年5月~1960年4月 週刊スリラー

これだけ長い小説の内容でありながら、タイトル「白昼の死角」は、法の盲点をついて各種詐欺をおこなう主人公、鶴岡七郎の物語をずばり凝縮している。まずタイトルからして印象の残る作品である。

帝国ホテルに宿泊できる日本人はごく限られた層…など、戦後間もない社会を描いた風俗小説としても楽しめる。

法の盲点、心の盲点をついて詐欺を行う鶴岡の頭脳にも脱帽。ただ、手形とか使ったことのない私にはあまりよく分からない部分があったけれど。


ただ男も、女も詐欺を働いては、その金で肉欲やら華奢に走る…という人物像がワンパターンで、登場人物像はあまり楽しめないかな…。

女性がダイヤの光に眼をくらまされることは、「金色夜叉」以来、不変の真理だと、そのとき七郎はふわりと思った。

トリックに重点をおくからなのかもしれないけれど、どうも人物の捉え方がワンパターンなような…。


鶴岡七郎が詐欺を働く動機もいろいろ書いてあるけれど、動機となる登場人物の描かれ方が弱いせいだろうか、どうも素直に納得できない気もする。


「憎い…。個人的には、なんの恨みもないとはいえるが、とにかく今度の戦争をまきおこし、日本を四等国に追いこみ、僕たちの友だちを無数に戦死させたのは、彼ら―いわゆる明治人たちの責任だよ」

「だから、今度は僕がそういう青年層の代表として、明治生まれの人間の代表としての彼と正面から一戦をまじえようというのだよ。頭と頭、腹と腹で対決して、いわゆる戦前派の連中に、あっと言わせてやりたいのだ」

たしかに憎いだろうが、そういう思いが明治生まれの人間に詐欺を働こうとする動機になるのだろうか?


もはや彼には、黄金は必需品ではなくなっていた。それなのに、彼は犯罪、詐欺のための詐欺を求めだしたのである…。

途中、作者は上記のように説明しているが、鶴岡という登場人物がそういう心境になるのだろうか…とも疑問。


法は力、正義の仮面はつけていても、決して正義ではないのです。私のこの十年の生涯は、力に対する力の闘争でした。

最後に鶴岡はこのように振り返るのだが、詐欺のテクニックはすばらしいと思うけれど、それを「力に対する力の闘争」と説明されても納得できないかも…と思いつつ頁を閉じる。

読了日:2018年4月30日

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2018.04 隙間読書 ペドロ・アントニオ・デ・アラルコン/堀内研二訳「背の高い女」

世界幻想文学大全 怪奇小説精華 収録 (筑摩書房)

「著名な森林技師」(どんなお仕事なのだろう?)ガブリエルの、土木学校時代の同期テレスフォロは不幸な出来事が起きる直前、かならず不気味な容貌の背の高い老婆に出会う。そしてテレスフォロ自身も老婆に会ってから亡くなってしまう。

テレスフォロの葬儀に参列したガブリエルは背の高い老婆見かけてしまう…災いの予兆である老婆の不気味さ、テレスフォロの不幸をガブリエルが引き継いでしまう不安感。読んだあとで、何とも嫌な気分になる作品である。

老婆である背の高い女がテレスフォロを追いかける場面を読んで、グラディス・ミッチェル「月が昇るとき」に出てくる老婆ミセス・コッカートンが主人公の少年たちを追いかける場面を思い出してしまった。


「でも、俺はあんたにとって何だというんだね? あんたは俺にとって何だというんだ?」

「仇敵だよ!」とぼくの顔に唾をひっかけながら老婆は答えた。それから、ぼくの手から身を振りほどき、膝の上までスカートをたくしあげ、猛スピードで走り出した。彼女の足が地面に触れても、なんら物音は聞こえなかった…「背の高い女」堀内研二訳


しかし、ぼくたちはかなり追い上げられていた。二人の少年がペチコートをバタバタ蹴りながら走る老婆を引き離すなんてわけもないことだ、と人は考えるかもしれない。しかし、この場合は違った。ミセス・コッカートンの走りはスパルタ人さながらで、力強いものがあった。そしてぼくたちがスロープを駆け上があって大通りに出ようとする時、あわや、追いつかれそうにさえなったのだ。

―グラディス・ミッチェル「月が昇るとき」好野理恵訳(晶文社)より


背の高い老婆に追いかけられる怖さ…というのはヨーロッパ圏の怪談の一つのパターンなのだろうか?「背の高い女」の老婆も、「月が昇るとき」ミセス・コッカートンも、どちらも怖い。

ただ「月が昇るとき」のミセス・コッカートンの方が「ペチコートをバタバタ蹴りながら」とか「スパルタ人さながら」とか、怖いなかにも滑稽さがあって、これがイギリスのユーモアなのかとも思った。

「背の高い女」はひたすら怖く、「月が昇るとき」は怖くもあり面白くもある…と、怖さにもいろいろ書き方があることをあらためて知る。

読了日 2018年4月25日

 

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第306回

その列車の端まで行きつかないうちに、彼は乱暴者たちの一団に囲まれました。その乱暴者たちは、下火となった革命運動の残党たちでした。けれども連中は政府側についたものですから、面目丸つぶれという有様だったのです。助けようと向かいましたところ、彼は熊手をふりまわしては、右をたたき、左をたたきの大活躍。すごい勢いでしたから傷も負わないまま、私の方にのっしのっしと歩いてきました。乱暴者たちはよろよろとしながら後に残されましたが、心底胆をつぶしておりました。

 私のところにやってきたとき、彼は荒々しい腕前をみせ終えたところで、あいまいなフランス語で、家を手に入れたいと言いました。

『このあたりに、手に入れられそうな家はそうたくさんはないですよ』と私は相手と同じ言葉で答えました。『この地域は、ひどく落ち着かない状態が続いていますから。ご存知のように最近になって革命は鎮圧されたばかりです。そのうえ建物ときたら―』

“Before he had traversed the full length of the train he was entangled in one of those knots of rowdies that were the embers of the extinct revolution, though they mostly disgraced themselves upon the government side. I was just moving to his assistance, when he whirled up his rake and laid out right and left with such energy that he came through them without scathe and strode right up to me, leaving them staggered and really astonished.

“Yet when he reached me, after so abrupt an assertion of his aim, he could only say rather dubiously in French that he wanted a house.

“`There are not many houses to be had round here,’ I answered
in the same language, `the district has been very disturbed.
A revolution, as you know, has recently been suppressed.
Any further building—’

 

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東雅夫講演会

「翻訳という視点から見た怪奇幻想文学移入史」

 

◇日時    2018年7月28日(土)14:00~16:00

◇場所 日本近代文学館(目黒区駒場4-3-55)

◇定員    18名予定(定員を増やす可能性もあり)

◇講師 東雅夫(文芸評論家・アンソロジスト)

◇講師よりメッセージ

  翻訳という視点から見た怪奇幻想文学移入史は、ちくま文庫の『世界幻想文学大全 怪奇小説精華』と『世界幻想文学大全 幻想小説神髄』の2冊で試みた、歴史的名訳で味わう幻想文学オールタイムベストとも連携するテーマとなります。
明治初期の井上勤や黒岩涙香に始まって、日夏耿之介や西條八十、松村みね子、平井呈一あるいは堀口大學から澁澤龍彦に至る歴代の名訳者たちについて、ざっくばらんに語りたいと思います。

◇参加申し込み先

「さりはま」もしくは「杉山」までメールでお願い致します。elf☆ssugiyama.xsrv.jp (☆は@に変えてください)

参加希望者の人数にあった会場をおさえたいと思います。

予定がかわって参加できなくなりましてもご連絡くだされば大丈夫です。

参加を希望される方は早めにご連絡頂けると助かります。

◇会費 2500円

当日会場で集めるか、事前に振り込みをお願いするのか、参加者の人数によって決め、7月22日までに連絡致します。

◇関連図書

『世界幻想文学大全 怪奇小説精華』(ちくま文庫)

『世界幻想文学大全 幻想小説神髄』(ちくま文庫)

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2018.04 隙間読書 世阿弥「西行桜」

京の西山に住む西行の庵に咲く桜を見ようと花見の人々が訪れる。西行は人々をとおしながらも鬱陶しく思い、「花見んと群れつつ人の来るのみぞ あたら桜の咎にはありける」と詠んだところ、桜の精の翁が西行の夢にあらわれる。翁は「桜の咎」という言葉をとがめつつも、西行との出会いを喜び、やがて夜明け頃、去って行く。


まず好きなのは、桜の精は春の宵のはかなさを謡いながら舞う場面。

春の宵のはかなさに時機をえることの難しさ、友を得ることの難しさも重ねる。繰り返される言葉のリズムも心地よい。うつろいやすさを語る言葉も美しい。。


あら名残惜しの夜遊かな。惜しむべし惜しむべし、得がたきは時、逢ひがたきは友なるべし。春宵一刻値千金。花に清香月に陰。

ああ名残惜しい 夜の遊楽であること。惜しめよ惜しめ、(何といっても)めぐり会いにくいのは好機、逢いにくいのは真の友であろう。春宵一刻値千金。花に清香月に陰。


次に好きなのは桜の精である翁が立ち去る最後の場面。

註によれば、「翁さぶ」は「老人らしくなるという意だが、ここは、もの静かで趣があるという意の「寂ぶ」が加味された表現」とのこと。「翁さびて跡もなし」という繰り返しには静けさと無常観がただよっているよう…26日の舞台が楽しみである。


夢は覚めにけり。嵐も雪も散り敷くや、花を踏んでは同じく惜しむ少年の、春の夜は明けにけりや、翁さびて跡もなし、翁さびて跡もなし。

夢は覚めてしまった。夜嵐も吹きやみ、落花の雪が散って一面に敷きつめたよう。その花を踏んでは 夢の中での夜遊を惜しむのだが、この春の夜は明けてしまったことだ。老人はもの静かに消えて 跡かたもない、『夢中の翁』の姿はひっそりと消えていって何の跡も残していない。

(原文、訳文は小学館の日本古典文学全集より)

読了日 2018年04月25日

 

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第305回

鉄道のストライキがほぼおさまって、間隔をだいぶあけながらですが列車が少しやってくるようになった頃のこと、私は入ってくる列車を眺めていました。男がたった一人でその列車から降りました。とても離れたところにある、車両のもう片方の出口からでした。それはとても長い車両でしたから。もう夕方で、空は冷たく、緑をおびた色をしていました。粉雪が舞ってきましたが、平野を白くするほどではありませんでした。平野は悲しい紫色となって四方八方に広がっていきましたが、遠く離れた大地の平らな頂きには、湖のような夕方の光が射していました。連れのいない男が、列車のかたわらの薄く積もった雪を踏みつけながら近づいてくると、だんだんその姿が大きくなってきました。こんな大きな男に会ったことはないと思ったほどです。でも実際よりも背が高く見えていたのです。肩ががっしりとしているわりには、頭が小さいせいで、彼は背が高く見えたのではないでしょうか。がっしりとした肩には、ぼろぼろに裂けた上着をかけていました。光沢のない赤と汚れた白の縞模様の上着でしたが、冬に着るには薄いものだったと思います。片方の手を大きな棒にかけていましたが、その棒は雑草を燃やそうとするときに使う農夫の熊手のようでした。

 

“It was when the railway strike was almost over, and a few trains came through at long intervals, that I stood one day watching a train that had come in. Only one person got out of the train, far away up at the other end of it, for it was a very long train. It was evening, with a cold, greenish sky. A little snow had fallen, but not enough to whiten the plain, which stretched away a sort of sad purple in all directions, save where the flat tops of some distant tablelands caught the evening light like lakes. As the solitary man came stamping along on the thin snow by the train he grew larger and larger; I thought I had never seen so large a man. But he looked even taller than he was, I think, because his shoulders were very big and his head comparatively little. From the big shoulders hung a tattered old jacket, striped dull red and dirty white, very thin for the winter, and one hand rested on a huge pole such as peasants rake in weeds with to burn them.

 

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第304回

「人物調査の次なる文書は」イングルウッドはつづけた。「ロシア平原の中央にあるクラゾークという町から届いたものです。そこには以下のように書かれています」

 「サー、私はパウル・ニコライヴィッチと申します。クラゾーク近くの駅で、駅長をしている者です。車両をつらねた列車は平原を横断して、中国へと人々を運んでいきますが、私が見守るプラットフォームに降りる客はほとんどありません。そのせいで私の暮らしはやや孤独なもので、手持ちの本に逃避することを余儀なくされるのです。ですが隣人たちと本の話をすることはほとんどまったくありません。啓蒙思想はロシアのこうした地域には、他の地域のように普及してはいないのです。このあたりの農夫ときたら、バーナード・ショーの名前も聞いたことがない有様です。

 私は自由主義論者ですので、自由主義思想をひろめようと最善をつくしてきました。ですが革命が失敗してから、自由主義はますます困難なものになりました。革命家たちの行動の多くは、人道主義の純粋な原則に反するものでしたから。そうした行動は、本がないことからきているもので、革命家たちには知識が欠けているからなのです。一連の残酷な行動を容認するわけにはいきません。その行動が、政府の専制政治によるものだとしても容認できません。しかし今では、専制政治を記憶している知識人に非難のほこさきをむける傾向があります。知識人にとっては不幸なことです。

 

“The next document in our dossier,” continued Inglewood, “comes from the town of Crazok, in the central plains of Russia, and runs as follows:—

“Sir,—My name is Paul Nickolaiovitch: I am the stationmaster at the station near Crazok. The great trains go by across the plains taking people to China, but very few people get down at the platform where I have to watch. This makes my life rather lonely, and I am thrown back much upon the books I have. But I cannot discuss these very much with my neighbours, for enlightened ideas have not spread in this part of Russia so much as in other parts. Many of the peasants round here have never heard of Bernard Shaw.

“I am a Liberal, and do my best to spread Liberal ideas; but since the failure of the revolution this has been even more difficult. The revolutionists committed many acts contrary to the pure principles of humanitarianism, with which indeed, owing to the scarcity of books, they were ill acquainted. I did not approve of these cruel acts, though provoked by the tyranny of the government; but now there is a tendency to reproach all Intelligents with the memory of them. This is very unfortunate for Intelligents.

 

 

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20018.04 隙間読書 松尾由美「銀杏坂」

あきらかに金沢だと思われる架空都市「香坂」を舞台にした短編集。どの短編にも幽霊やら超異常現象が織り込まれ、幽霊を切望する刑事木崎の気持ちも、各短編で書かれる不思議な出来事も幻ではないか…という刑事木崎の問いかけに答える幽霊の娘の言葉も、つよく印象に残る。


「幻というのは」石の上に妙な恰好ですわった幽霊はつづける、

「それを信じたいと思う人がつくり出し、信じてもいいと思う人の目に見えるものです。自分だけでなくほかの人の目にまで見えるものをつくり出すには、最初の思いがよほど強いものではなくてはなりません。

 そしてそうまで強い思いとは、たいてい悲しさやさびしさです。そんなにも強い悲しさやさびしさがあり、それが幻でなぐさめられるというのなら、そういうものがあっても少しもかまわないじゃありませんか」

「どこからが夢で、どこまではそうでないと線を引いたところで、木崎さんのなさることは変わりますか。もし夢だとわかっていたらこうはしなかったーということが何かありますか」


ただミステリとしてだけ考えてしまうと、考えている途中で少し崩れてきてしまうような…登場人物が幻かもしれないのだから無理もないが。ミステリと幽霊が共存するのは難しいのかもしれない。

それでも銀杏坂の幽霊のたたずまいは何とも可憐だし、刑事木崎の幽霊をもとめる気持ちもナルホドと納得…した。幽霊は物質をとおすけど光はとおさない…でミステリを成立させることに疑問は残るけれど。

2018年4月23日読了

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第303回

男はこうしたことを話したわけですが、それは理屈にほとんど合わないものでした。彼は席をさっと立つと、黄昏にむかって大股で歩いていきながら、手にした棒をゆらしました。そして多すぎるくらいの支払いを置いていきましたが、それは精神的な均衡をくずした彼の精神状態をしめすものでした。これが私の知るすべてであり、釣り船から上陸した男にまつわる話です。この話が裁判のお役にたちますように。私はここに誓います。この話をするにあたってよく考えましたことを。さらに皆様の忠実な僕であることを。ジュール・デュロバン

“With these remarks, which can scarcely be reconciled with reason, he leapt from the seat and strode away into the twilight, swinging his pole and leaving behind him an excessive payment, which also pointed to some loss of mental balance. This is all I know of the episode of the man landed from the fishing-boat, and I hope it may serve the interests of justice.— Accept, Sir, the assurances of the very high consideration, with which I have the honour to be your obedient servant, “Jules Durobin.”

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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第302回

「革命を起こすつもりなんだ。フランス人の革命ではなくて、英国人の革命を起こすんだ。神はそれぞれの部族に、反乱の様式を授けてくださっている。フランス人は、市の砦にむかって行進をする。英国人は、郊外にむかって行進をする。それも、ひとりで行進をする。でも、ぼくも世界をひっくり返すつもりだ。ぼくが逆立ちをして歩いていくのはアベコベの土地で、そこでは木も、人も、頭を下にして空からぶら下がっている。でも、ぼくの革命は、君たちの革命のように、地上の人々の革命のように、聖なる場所で、幸せな場所で終わることだろう。そこは天空の、信じがたい場所で、僕たちが以前いた場所なのだ」

 

“`I am going to have a revolution, not a French Revolution, but an English Revolution. God has given to each tribe its own type of mutiny. The Frenchmen march against the citadel of the city together; the Englishman marches to the outskirts of the city, and alone. But I am going to turn the world upside down, too. I’m going to turn myself upside down. I’m going to walk upside down in the cursed upsidedownland of the Antipodes, where trees and men hang head downward in the sky. But my revolution, like yours, like the earth’s, will end up in the holy, happy place— the celestial, incredible place—the place where we were before.’

 

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