チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第255回

少しだけ驚いて、マイケルは立ち上がると、もったいぶってお辞儀をしてから、再び腰をおろした。

「こうした人々は、パーシィ師の説教のあいだ、沈黙していないにしても、承認の拍手くらいはしました。師は話の程度を相手にあわせて引き下げ、機知に富んだ警告を用いながら、土地の賃貸料のことやら労働をしないですますことについて話しをされました。私有財産の没収や土地の収用、調停など私の唇を汚さないではいられないような会話が延々くりひろげられたのです。数時間後に嵐がおきました。私は、その集まりでしばらく説教をして、労働者階級には倹約精神が欠け、晩の礼拝への参加する者があまりいないこと、感謝祭も無視する者がいること、その他にもたくさん人々を物質面で助け、改善の手をさしのべるようなことについて話をしました。

 

With a slight start, Michael rose to his feet, bowed solemnly, and sat down again.

“These persons, if not silent, were at least applausive during the speech of Mr. Percy. He descended to their level with witticisms about rent and a reserve of labour. Confiscation, expropriation, arbitration, and such words with which I cannot soil my lips, recurred constantly. Some hours afterward the storm broke. I had been addressing the meeting for some time, pointing out the lack of thrift in the working classes, their insufficient attendance at evening service, their neglect of the Harvest Festival, and of many other things that might materially help them to improve their lot.

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隙間読書 泉鏡花『外科室』

『外科室』

著者:泉鏡花

初出:189年(明治28年)

青空文庫

むやみに長く、やたら分かりやすく、親切な本があふれている昨今、泉鏡花『外科室』は言葉をそぎおとし、描かれていない部分も想像させる楽しみにあふれた作品だと思う。

ありえない話なのに、のめりこむように読ませる泉鏡花の魔法!それはどこに?

小石川植物園ですれ違った医学生、高峰と後に貴船伯爵夫人となる女性は、一瞬の出会いで恋におちる。ただし二人が過ごしたのは小石川植物園ですれ違ったほんの一瞬だけ。

二人が再会するのは九年後、高峰は外科医となり、女は貴船伯爵夫人であり一児の母。しかも場所は病院の外科室、高峰が執刀医、貴船伯爵夫人は手術台の上に横たわっていた。


「よろしい」 と一言答えたる医学士の声は、このとき少しく震いを帯びてぞ予が耳には達
したる。その顔色はいかにしけん、にわかに少しく変わりたり。

手術しようと近づいたら、手術台のうえにいたのは、ずっと恋しく思っていた女性だった。高峰の衝撃にこちらも息をのむ。



「私はね、心に一つ秘密がある。」

女は心の秘密をもらしてしまうからと麻酔を拒む…と文字どおりに解釈している人が多い言葉だが、私は違うと思う。

貴船伯爵夫人は、執刀医が高峰だとあらかじめ知っていた。このまま母として生きるより、愛する男の手で死にたいと思ったからこそ、麻酔を受けることを拒んだのではないだろうか。添い遂げることのできない愛なら、せめて愛する男の手にかかって死にたいという思いは次の貴船夫人の言葉からもひしひしと伝わってくる。

「刀を取る先生は、高峰様だろうね!」
「さ、殺されても痛かあない。ちっとも動きやしないから、だいじょうぶだよ。
切ってもいい」

これは秘密をもらしたらどうしようと恐れる弱々しい心ではない。この機に愛する男と添い遂げようとする毅然とした意志の力を感じさせる言葉である。



「夫人、責任を負って手術します」
 ときに高峰の風采は一種神聖にして犯すべからざる異様のものにてありしなり。
「どうぞ」と一言答えたる、夫人が蒼白なる両の頬に刷けるがごとき紅を潮しつ。

貴船伯爵夫人の様子に、高峰も心中の覚悟を読みとったのかもしれないが…。このときの高峰の気持ちは今一つ分からない。想像できる方がいたら教えて頂きたい。


「いいえ、あなただから、あなただから」
「でも、あなたは、あなたは、私を知りますまい!」

麻酔を断わったまま、高峰のメスを受けいれる貴船夫人の言葉が切ない。

でも、その思いに寄り添うような高峰の次の言葉「忘れません」に、夫人も、読者も手術の痛みを忘れてしまう。



「忘れません」 その声、その呼吸、その姿、その声、その呼吸、その姿。
伯爵夫人はうれしげに、いとあどけなき微笑を含みて高峰の手より手をはなし、
ばったり、枕に伏すとぞ見えし、脣の色変わりたり。

「その声、その呼吸」というのは貴船夫人のことだろうか?こうして九年間の空白をこえ、二人は添い遂げ、そのまま貴船夫人は死ぬ。隣り合わせの愛と死をわずかこれだけで書いてしまう泉鏡花はすごい。

 


そのときの二人が状(さま)、あたかも二人の身辺には、
天なく、地なく、社会なく、全く人なきがごとくなりし。

この文は、太夫さんの語りが似合いそうな文である。



かくて丘に上りて躑躅を見たり。躑躅は美なりしなり。されどただ赤かりしのみ。

後半は、九年前の小石川植物園での回想場面になる。

貴船夫人とすれ違ったあとの思いの変化を語る高峰のこの言葉も、心情をよくあらわしている。



青山の墓地と、谷中の墓地と所こそは変わりたれ、同一日に前後して相逝けり。
語を寄す、天下の宗教家、渠ら二人は罪悪ありて、天に行くことを得ざるべきか。

最後のわずか二文で高峰博士の胸中とその最後がうかび、また世間の声も聞こえてくる。


とてもシンプルだけど限りなく奥が深い鏡花作品。言葉と言葉のあいだに広がる宇宙を見つめる楽しさがそこにはある。

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隙間読書 グラディス・ミッチェル「月が昇るとき」

「月が昇るとき」

著者:グラディス・ミッチェル

初出:1945年

晶文社

読書会にむけて疑問をいろいろメモ。「月が昇るとき」読書会は日比谷図書館にて9月24日午後1時半より。

以下はネタバレあり。

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チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第254回

「頼むから、年老いたレディを起こさないでくれるか」ムーンはそう言うと、気まぐれな愛想のよさをみせながらも声をひそめた。「謝罪するよ。もう二度と邪魔をしないから」

妨げとなる言葉が小さな渦となって消え去らないうちに、人々は聖職者の手紙をふたたび読みはじめていた。

「その集まりは、私の同僚のスピーチではじまりましたが、そのスピーチについて何も言うつもりはありません。それは酷いものでした。聴衆の多くはアイルランド人でしたが、衝動的な人々の弱さを露呈しました。集団となって陰謀をたくらむ人々のなかに集められると、その愛すべき善良な性格も失い、他の者たちから区別すると言われているものを認める覚悟もなくしてしまうのです」

 

“Oh, don’t wake the old lady,” said Moon, lowering his voice in a moody good-humour. “I apologize. I won’t interrupt again.”

Before the little eddy of interruption was ended the reading of the clergyman’s letter was already continuing.

“The proceedings opened with a speech from my colleague, of which I will say nothing. It was deplorable. Many of the audience were Irish, and showed the weakness of that impetuous people. When gathered together into gangs and conspiracies they seem to lose altogether that lovable good-nature and readiness to accept anything one tells them which distinguishes them as individuals.”

 

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チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第253回

「そんなことを認めるなら」ムーンがどなりつけたのは、いらいらしていたからだ。「その牧師が気に入っている論理を認めるというなら、言わせてもらおうではないか。この苦痛のせいで、彼の知性について囁くだけの意欲が奪われなければだけれど。彼はひどく馬鹿な年寄りで、間抜けであると」

「なんと!」ピム博士は言った。「抗議しますぞ」

「静かにするんだ、マイケル」イングルウッドは言った。「自分たちの話なんだから、彼らには読む権利がある」

「議長!議長!議長!」グールドはさけぶと、熱狂的に転げまわった。ピムは、しばらく王座をみつめたが、そこではビーコン裁判所のすべての権威が守られていた。

 

“Adopting,” said Moon explosively, for he was getting restive—”adopting the reverend gentleman’s favourite figure of logic, may I say that while tortures would not tear from me a whisper about his intellect, he is a blasted old jackass.”

“Really!” said Dr. Pym; “I protest.”

“You must keep quiet, Michael,” said Inglewood; “they have a right to read their story.”

“Chair! Chair! Chair!” cried Gould, rolling about exuberantly in his own; and Pym glanced for a moment towards the canopy which covered all the authority of the Court of Beacon.

 

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チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第252回

しかし、政治的な問題や社会的な問題にふれるつもりは一切りませんが、ひとこと言わなければいけないことがあります。聖職者ともあろう者が、たとえ冗談にせよ、社会主義や過激主義のような、ふしだらなデマゴーグからなる信用を失墜させる偽の万能薬を許しているのです。これは聖なる信頼を裏切ることなのです。問題の同僚、レイモンド・パーシィー師にたいして失礼な言葉をまったく言うつもりはありません。彼のことを聡明だと思っています。なかには彼に惚れ惚れしている者もいますから。ですが聖職者でありながら社会主義者のように話し、髪の毛はピアニストのよう、さらに興奮しているかのように振る舞うのです。ですから出世はしないでしょうし、善い人からも、賢い人からも賞賛をうけることはないでしょう。ホールに集まる人々の外見について、私は個人的な感想をのべるつもりはありません。それでも部屋をひとまわり見てみれば、明らかなんですよ。腐敗した人々がいて、妬ましそうにしているのがー」

 

But, while I do not mean to touch at all upon political or social problems, I must say that for a clergyman to countenance, even in jest, such discredited nostrums of dissipated demagogues as Socialism or Radicalism partakes of the character of the betrayal of a sacred trust. Far be it from me to say a word against the Reverend Raymond Percy, the colleague in question. He was brilliant, I suppose, and to some apparently fascinating; but a clergyman who talks like a Socialist, wears his hair like a pianist, and behaves like an intoxicated person, will never rise in his profession, or even obtain the admiration of the good and wise. Nor is it for me to utter my personal judgements of the appearance of the people in the hall. Yet a glance round the room, revealing ranks of debased and envious faces—”

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チェスタトン「マナライヴ」二部二章第251回

短いあいだでしたが、私がホクストンで牧師補をしていた頃に、その出来事はおきました。もうひとり牧師補が、そのときの同僚にいました。彼に誘われ、私はある集まりに参加することになりました。神を冒涜するような言い方だと私は思いますが、彼の言葉によれば、その集まりは神の王国を宣伝するために考えられたものでした。ところが反対に、そこに私が見いだしたのはコーデュロイに、つるつるした服の男たちで、その物腰ときたら粗野で、極端な意見の男たちでした。

 その同僚について、私は最高の敬意と親しみをもって話したいと思いますから、少しもお話するつもりはありません。教会の説教壇で政治力学をはたらかせることが悪であるということについて、私ほど確信している者はありません。ですから集まった信者の方々に投票のことについて助言することはありません。ただし、彼らが間違った選択をしそうだと強く感じた場合は別です。

 

“It occurred in the days when I was, for a short period, a curate at Hoxton; and the other curate, then my colleague, induced me to attend a meeting which he described, I must say profanely described, as calculated to promote the kingdom of God. I found, on the contrary, that it consisted entirely of men in corduroys and greasy clothes whose manners were coarse and their opinions extreme.

“Of my colleague in question I wish to speak with the fullest respect and friendliness, and I will therefore say little. No one can be more convinced than I of the evil of politics in the pulpit; and I never offer my congregation any advice about voting except in cases in which I feel strongly that they are likely to make an erroneous selection.

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隙間読書 坂口安吾「探偵小説について」「探偵小説とは」「推理小説論」

坂口安吾「不連続殺人事件」「復員殺人事件」を読む前に、安吾先生のミステリについてのエッセイを読み、心に残った言葉をメモ。以下は安吾先生の文からそのまま引用。

『探偵小説について』

初出:1947(昭和22)年8月25日、26日発行

「探偵小説全般の欠点に就て、不満と希望をのべてみたいと思う」

「第一に、なぞのために人間性を不当にゆがめている。」

「人間性という点からありうべからざるアリバイで、かゝる無理を根底として謎が組み立てられている限り、謎ときゲームとして読者の方が謎ときに失敗するのは当然なのである。」

「第二の欠点は、超人的推理にかたよりすぎて、もっとも平凡なところから犯人が推定しうる手掛りを不当に黙殺していること。」

「第三の欠点はこれに関連しているが、つまり、探偵が犯人を推定する手掛りとして知っている全部のことは、解決編に至らぬ以前に、読者にも全部知らされておらねばならぬ、ということだ。 読者には知らせておかなかったことを手がゝりとして、探偵が犯人を推定するなら、この謎ときゲームはゲームとしてフェアじゃない」

「文学のジャンルの種々ある中で、探偵小説の文章が一般に最も稚拙だ。
呪われたる何々とか怖ろしい何々とか、やたらに文章の上で凄がるから読みにくゝて仕様がない。そういう凄がり文章を取りのぞくと、たいがいの探偵小説は二分の一ぐらいの長さで充分で、その方がスッキリ読み易くなるように思われる。
凄味というものは事実の中に存するのだから、文章はたゞその事実を的確に表現するために機能を発揮すべきものだ。」

「日本の探偵小説の欠点の一つは殺し方の複雑さを狙いすぎること」

「それにも拘らず、なぜ仕掛をする必要があるか、その最大の理由は、アリバイのためだ。
だからアリバイさえ他に巧みに作りうるなら、外れる危険の多い仕掛などはやらぬに限る。問題はアリバイの作り方の方にある。」

「謎ときゲームとしての推理小説は、探偵が解決の手がゝりとする諸条件を全部、読者にも知らせてなければならぬこと、謎を複雑ならしめるために人間性を納得させ得ないムリをしてはならないこと、これが根本ルールである。」


『探偵小説とは』

 

初出:「明暗 第二号」九十九書房

   1948(昭和23)年2月20日発行

「推理小説ぐらい、合作に適したものはないのである。なぜなら、根がパズルであるから、三人よれば文殊の智恵という奴で、一人だと視角が限定されるのを、合作では、それが防げる。智恵を持ち寄ってパズルの高層建築を骨組堅く組み上げて行く。
十人二十人となっては船頭多くして船山に登る、という怖れになるが、五人ぐらいまでの合作は巧く行くと私は思う」


『推理小説論』

初出:「新潮 第四七巻第四号」

1950(昭和25)年4月1日発行

「すべてトリックには必然性がなければならぬ。いかに危険を犯しても、その仕掛けを怠っては、犯行を見ぬかれる、というギリギリの理由があって、仕掛けに工夫を弄するという性質でなければならぬ。」

「挑戦の妙味は、あらゆるヒントを与えて、しかも読者を惑わすたのしみであり、その大きな冒険を巧みな仕掛けでマンチャクするところに作者のホコリがあり、執筆の情熱もあるのである。十分にヒントを与えずに、犯人をお当てなさいでは、傑作の第一条件を失している。」

読了日:2017年9月1日

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チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第250回

だがダーラムの聖堂参事会員の物真似は、それほど説得力はなかった。たしかにその手紙の意味は、彼の発音がひどく飛んだり、あえいだりするせいで不明瞭なものだから、テーブル越しに手渡された手紙をムーンが読むさまを、ここに記しておいたほうがいいだろう。

「親愛なる閣下。閣下が言及された出来事にあまり驚きはありません。その出来事は個人的なことですが、なんでも書き立てる新聞に書かれたもので、そこから大衆へと浸透したものにございます。これまでにたどり着いた立場から、私は公の人物となりました。大した事件の起きない人生でもございません。取るに足らない人生であるわけでもありません。でも、これはたしかに並々ならない出来事でありました。市民が大騒ぎをしている場面で経験がないわけでは決してありません。ヘルネ湾では、桜草連盟の政治危機をたくさん見てきました。荒々しい仲間と別れる前のことですが、キリスト教社会主義連盟で多くの夜を過ごしてきました。ですが、この経験は思いもよらないものでした。場所については曖昧な表現になりますが、それは自分のためではなく、牧師としての立場のせいであります」

 

But his imitation of a Canon of Durham was not convincing; indeed, the sense of the letter was so much obscured by the extraordinary leaps and gasps of his pronunciation that it is perhaps better to print it here as Moon read it when, a little later, it was handed across the table.

“Dear Sir,—I can scarcely feel surprise that the incident you mention, private as it was, should have filtered through our omnivorous journals to the mere populace; for the position I have since attained makes me, I conceive, a public character, and this was certainly the most extraordinary incident in a not uneventful and perhaps not an unimportant career. I am by no means without experience in scenes of civil tumult. I have faced many a political crisis in the old Primrose League days at Herne Bay, and, before I broke with the wilder set, have spent many a night at the Christian Social Union. But this other experience was quite inconceivable. I can only describe it as the letting loose of a place which it is not for me, as a clergyman, to mention.

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隙間読書 坂口安吾『風博士』

『風博士』

作者:坂口安吾

初出:1931年(昭和6年)

青空文庫

日比谷 日本ミステリ読書会の次回課題本は坂口安吾の「復員殺人事件」「不連続殺人事件」なので、さっそく安吾の作品を読んでみた。以前、「安吾捕物帳」が途中で読むのをやめた記憶があるから、まずは短めのこの作品を読むことにした。

いや、笑える作品だった。同時に安吾は言葉の冒険家なのだと実感。

自殺した風博士の遺書には、ライバル蛸博士を否定する言葉がならぶ。その言葉の力強さときたら。

「否否否。千辺否」

「否否否、万辺否」

そこまで否定したいのか、蛸博士を。と感動した。

蛸博士に妻を篭絡されてしまう次のくだりも思わず笑ってしまう。

「余は不覚にも、蛸博士の禿頭なる事実を余の妻に教へておかなかつたのである。そしてそのために不幸なる彼の女はつひに蛸博士に籠絡せられたのである。 ここに於てか諸君、余は奮然蹶起したのである。打倒蛸! 蛸博士を葬れ、然り、懲膺せよ憎むべき悪徳漢!」

蛸博士を葬るべく風博士は行動する。蛸博士が禿げ頭を隠している鬘を奪うのである。

「故に余は深く決意をかため、鳥打帽に面体を隠してのち、夜陰に乗じて彼の邸宅に忍び入つたのである。長夜にわたつて余は、錠前に関する凡そあらゆる研究書を読破しておいたのである。そのために、余は空気の如く彼の寝室に侵入することができたのである。そして諸君、余は何のたわいもなくかの憎むべき鬘を余の掌中に収めたのである」

だが風博士は敗れる。蛸博士は別の鬘を用意していたのである。

風博士は意味不明の言葉を残して姿を消す。

「TATATATATAH!」

これはツァラのDADAからきているのではなかろうか? 「DADAは何も意味しない」と言ったツァラだけれど、まさか風博士と蛸博士の戦いにDADAの言葉が引用されるとは思わなかっただろう。でも知ったなら喜んで「TATATATA」と言いそうな気がするが。

風博士は意味が分からないという感想が多いようだが。筋はすっきりとおっていると思う。風博士の姿が消えたのは風になったせい。風を風邪にかけたのだろう。蛸博士もインフルエンザにかかったのだから。

「諸君、偉大なる博士は風となつたのである。果して風となつたか? 然り、風となつたのである。何となればその姿が消え去せたではないか。」

「この日、かの憎むべき蛸博士は、恰もこの同じ瞬間に於て、インフルエンザに犯されたのである。」

意味のない笑い、言葉遊びにみちたこの作品、好きだなあ。読書会の課題本も読むのが楽しみになってきた。

読了日:2017年8月30日

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