アルフレッド・マーシャル 経済学原理 1.Ⅳ.17

富をつかう主な手段とは、完全に正当なものだと認められるだろうか。経済的な関係において個人の行動を強制したり、指導したりするときに、社会的な意見という道徳面での圧力にとって、どんな目的があるのだろうか。経済的な関係において、政府の干渉が硬直した荒々しいものであり、善よりも害があるとしても、どんな目的があるのだろうか。経済的なことがらにおける、ある国から他の国への義務とは、同じ国の者同士の義務とは、どういう点において異なるのだろうか。(1.Ⅳ.17)

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アルフレッド・マーシャル 経済学原理 1.Ⅳ.16

政府がみずから直接あいだに入らない場合、個人や自治体が各自の問題を好きなように管理することは、どこまでが許されるのだろうか。鉄道はどのくらい規制するべきなのだろうか。ある程度、独占的な位置にある他の問題はどう規制するべきなのだろうか。また土地はどう規制するべきなのか。その他の、ひとの力では量を増加することができないものはどうすべきなのか。資産について、今ある権利を全力で維持することが必要なのだろうか。それとも与えることになったり、幾分失うことは最初から必要不可欠なことなのだろうか。(1.Ⅳ.16)

 

 

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アダム・スミス 道徳感情論 1.Ⅱ.27 怒りとは幸せの最大の毒である

こうした怒りのような激情が観ている者にとって不快なものであるなら、怒っている当人にとっても不快なものである。憎悪とか怒りという感情は、よき精神の持ち主がしあわせになるには、最大の毒となるものである。こうした激情の渦中で感じるものとは、粗暴かつ耳障りで発作的なものであり、心を引き裂いて悩ませるものであり、心の落ち着きと静けさを完全に破壊するものである。落ち着きと静けさとは幸せになるのに必要なものであり、憎悪や怒りとは反対の感情である愛や感謝によって、一番よく進められていくものである。心がひろく人間味にあふれたひとを悲しませるものとは、ともに生活している者の誠実さに欠けた行いや、恩を忘れたふるまいによって失われる金額なのではない。何を失おうとも、何かがないとしても、そうした心のひろいひとは、一般的に幸せになることができる。心のひろいひとをもっとも悩ませるものとは、自分にむけられる不誠実さや恩を忘れたふるまいなのである。更にこうした行動が招き寄せてる情熱とは不快なものであり、不協和音をかなでるものであり、苦しみとなる侮辱の大半をなすものだという。(1.Ⅱ.27)

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アルフレッド・マーシャル経済学原理 1.Ⅳ.15

 

私たちの文明のような段階において、個人と集団の行動における適切な関係とは何か。こうした行動に特別な利点が生じるようにするために、古いものであれ、新しいものであれ、様々な形の任意団体には、どのくらい集団行動が委ねられるものだろうか。政府や帝国、地方をとおして実施するとき、どんな商取引が社会によって行われるべきなのだろうか。たとえば、出来る限り、集団での所有権を計画したり、未開発の土地や芸術作品、教育手段や娯楽手段を使うことを計画してきただろうか。こうした物質的なものと同じように、文明化された生活に必要とされるものとは、ガス、水道、鉄道などのように、全体での行動が必要なものを供給することである。(1.Ⅳ.15)

政府がみずから直接あいだに入らない場合、個人や自治体が各自の問題を好きなように管理することは、どこまでが許されるのだろうか。鉄道はどのくらい規制するべきなのだろうか。ある程度、独占的な位置にある他の問題はどう規制するべきなのだろうか。また土地はどう規制するべきなのか。その他の、ひとの力では量を増加することができないものはどうすべきなのか。資産について、今ある権利を全力で維持することが必要なのだろうか。それとも与えることになったり、幾分失うことは最初から必要不可欠なことなのだろうか。(1.Ⅳ.16)

 

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アダム・スミス 道徳感情論 1.Ⅱ.26 悲しみや喜びを音楽で伝えることは可能だけれども、怒りを伝えることは難しい

悲しみや喜びの抑揚を音楽が模倣するとき、こうした情熱で実際に意気昂揚としたり、少なくとも心に情熱をいだきたい気分になる。しかし音楽が怒りの調子を模倣するとき、私たちの心には恐怖が芽生える。喜び、悲しみ、愛、憧れとは、もともとが音楽的な情熱なのである。その本来の調子はすべて優しく、明確であり、心地よく聞こえてくる旋律であり、定期的に休止をいれることではっきりする楽節で表現される。こうした説明によれば、その休止は、調子を同じような雰囲気で、規則的に繰り返していくことに適したものである。反対に、怒りの声、それから怒りと質を同じくする情熱とはすべて過酷なものであり、不調和なものである。怒りをあらわす楽節とは不規則なものであり、ときに長く、ときに短く、定期的な休止がはいってはっきりすることはない。そのため音楽が、怒りのような感情を模倣することには困難をともなう。しかも怒りを模倣した音楽が、もっともよく伝わるというわけではない。(1.Ⅱ.26)

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アルフレッド・マーシャル 経済学原理 1.Ⅳ.13~14

さらに等しくなるように富を分配することが望ましいということを当然とするなら、どうすれば資産制度における変化、自由貿易の制限を正当化することができるだろうか。たとえ、そうした変化や制限が、富の総計を減らすようにみえるとしてもである。言い換えるなら、どのようにすれば貧困層の収入の増加と労働時間の短縮の両立を目指すことができるののだろうか。そうすることで、国家の物質的豊かさが減ることになるとしてもである。不公平さを生じることもなければ、進歩をすすめようとする指導者のエネルギーを弱めることもないように、貧困層の収入の増加と労働時間の短縮は成し遂げるにはどうすればよいのか。どうすれば、税の重荷は、社会の異なる階層に分配することができるのか。(1.Ⅳ.13)

 

労働の分割について、現在の形に満足したままでいいのか。大勢の人々が向上する見込みのない仕事に、ひたすら専念していることは必要なことなのか。働き手の集団のなかにいながら、より高いレベルの仕事をするため、労働者に新しい能力を教えることは可能なのだろうか。とりわけ、雇用先の会社の経営を協力的に引き受けるため、労働者に新しい能力を教えることは可能なのだろうか。(1.Ⅳ.14)

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アルフレッド・マーシャル 経済学原理 1.Ⅳ.11~12

§4こうした疑問は、経済学者が直接取り扱わなくてはいけないものである。そして事実を集めたり、分析したり、推論したりということに関連して取り扱わなくてはいけないものである。現実的な問題の大半は経済学の枠外にありながら、経済学者の仕事にせまる主な動機となるものである。現実的な問題は、時代によっても、場所によっても異なるものであり、経済学者の研究のもととなる経済的な事実や状況よりも影響が大きい。次にあげる問題は、この国においては、今とりわけ急がれるもののように思える。(1.Ⅳ.11)

 

経済の自由からの良い影響をふやし、悪い影響を減らしていくためには、どう行動すればいいのだろうか。良い影響も、悪い影響も、最終的な結果に影響するものであり、途中の経過にも影響していくものであるが、影響を増やしたり、減らしたりするために、どう行動すればよいのだろうか。もし、ある影響が良くて、ある影響が悪いとしよう。悪い影響に苦しむ者は良い影響を受けないものだろうか。他の人の利益のせいで、悪い影響をこうむる人が苦しむというのは、どのくらい正しいものだろうか。(1.Ⅳ.12)

 

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アルフレッド・マーシャル 経済学原理 1.Ⅳ.10

実際のところ、経済の自由はどのくらいの深さで、ある場所に、社会のある階層に、産業の特定の分野に浸透するのだろうか。(ある特定の時代に、なぜ浸透していたのだろうか)他には、そこではどんな影響がもっとも勢力があるのだろうか。こうした影響力はいかに結びつくのだろうか。経済の自由とは連携したり、独占したりする傾向にあるのだろうか。また連携や独占の効果とは何だろうか。長期的に見ると、社会の様々な階層の人々が行動に影響をうけるのは、どのようにしてなのだろうか。最終的な結果が機能しているのであれば、中間にある効果とは何なのだろうか。税制度のおよぶ範囲はどこまでなのだろうか。税制度はどんな重荷を共同体に課すのだろうか。どれだけ歳入があれば国家に利益がもたらされるのか。    (1.Ⅳ.10)

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アルフレッド・マーシャル 経済学原理 1.Ⅳ.7から9

§3 こうしたことを説明するには、経済学者が述べていることについて主だった質問をあげることが必要かもしれない。経済学者は以下のように述べている。(1.Ⅳ.7)

 

とりわけ今の世において、消費と製造、富の配分と交換に影響する原因とは何だろうか。産業や貿易の組織、大量販売と小売り販売、外国貿易、雇用主と労働者のあいだの関係に影響する原因とは何だろうか。どのようにして、このような動きは相互に影響し、作用するのだろうか。そしてその結論とは、現在の傾向とは異なるものだろうか。(1.Ⅳ.8)

 

限界があるにしても、物の値段とは望ましさを計る手段ではないだろうか。良好な生活状態を促進するものであれば、社会のあらゆる階層の富であろうと、まず、富を増やすものではないだろうか。どんな階層だろうとも、収入が十分にないことで、産業の効率性は、どのくらい機能するものだろうか。どんな階層の収入であろうとも、もし産業の効率性が機能するなら、収入の増加はどのくらいになるものだろうか。(1.Ⅳ.9)

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アルフレッド・マーシャル 経済学原理 1.Ⅳ.6

そのため、科学の目的にすれば最上の分類の仕方とは、こうして互いに似ている事実やら推論やらをあつめることである。そうすれば、それぞれの研究が隣接する分野に光をあてることになる。このようにして一連の思考の過程を研究することで、自然の法とよばれる基本的な単位に近づくことになる。最初は単独で、そして次に相互に結びつけた形で、法の活動の跡を追いかける。このようにして、ゆっくりと、でも確実に進歩していく。経済学者が忘れてはいけないこととは、経済学の研究を実用的に用いるべきだということである。だが経済学者の特別な任務とは、事実を研究して解釈することであり、単独で働いたり、結びついて働いたりするそれぞれの原因の結果が何であるか見つけることである。(1.Ⅳ.6)

 

 

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