アダム・スミス 道徳感情論 1.Ⅱ.29の途中まで

共感が他のひとと分かち合うものであっても、先ほど取り上げたような怒りという激しい情熱についての共感なら、ほとんどの場合、それは無様で嫌なものである。また、怒りとは反対の感情に対して抱く共感は倍になり、いつも心地よく、魅力的なものに思える。寛大な心も、慈悲あふれる心も、思いやりの心も、深く同情する心も、互いに親しくつき合って相手を敬う心も、社会のなかにおける善意の感情であり、表情や行動で表現されるときには、とりわけ関係のない者が相手だとしても、あらゆる場面で、先入観なしに観ている者なら喜ぶものである。こうした感情を感じているひとへの共感とは、正確に言えば、感情の対象であるひとへの関心と一致するのである。幸せのなかに見いだす関心が、ほかのひとの感情に対する共感を生き生きとしたものにして、同じ対象へとむかう。(1.Ⅱ.29の途中まで)

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サキ 耐えがたきバシントン6回

フランチェスカの夫は、奇妙なパガンの名前をその少年につけると主張したが、その名前が適切かどうか、またその意味を判断できるほど、長く住んでいたわけではなかった。十七年と数ヶ月のあいだには、息子の特徴について見識をつくりあげるだけの十分な機会が、フランチェスカにはあった。その名前から連想される陽気な精神が、その少年を放縦にしていたのは確かであった。しかし、それは捻れた気まぐれな種類の陽気さであり、フランチェスカ自身はユーモラスな面をめったに見いだすことは出来なかった。彼女の兄ヘンリーに関して言えば、座ってクレソンのサンドイッチを食べ、そのまじめくさった有様ときたら、大昔の式典について定めている何かの本のようでもあるが、運命はあからさまに彼女の味方だった。もしかしたらヘンリーは、どこかの可愛いだけの、資力のない、つまらない女とあっさり結婚してしまい、ノッチング・ヒル・ゲート界隈に住んでいたかもしれなかった。そして父親となって、血色が悪くて、ずるくて、役に立たない子供たちが、長い糸のようになってぶら下がっていたかもしれなかった。そうした子供たちは誕生日をむかえても、牛結核を贈られることになる類の病にかかっていたかもしれないし、あるいはサウス・ケンジントン風のやり方で馬鹿げたものを描いては、がらくたのために立方体の空間にとどまっている小母に、クリスマスプレゼントとして贈っていたかもしれなかった。兄の自覚に欠けた行動に身を委ねるようなことはしなかったが、ただ兄の自覚に欠けた行動を見ることが家族の日常では頻繁だったため、自覚に欠けた行動をとることが、兄らしいと呼ばれるようになった所以だろう。ヘンリーはお金と永眠についているような感覚を持ち合わせた女性と結婚したうえに、ただひとりの子供ときたら、両親が繰り返し自慢する価値があると思えるようなことは何も言わないという、輝かしい徳を持ち合わせていた。やがて彼は国会にでたが、おそらくは家庭生活が退屈にみえないようにとの考えからなのだろう。とにかく国会のおかげで、彼の人生は無意味から開放された。死ねば、新しいポスターがだされて「選挙により再選出」と書かれる人物が、取るに足らない人物である訳がないからである。要するに、ヘンリーとは邪魔なひとであり、障りのあるひとであったけれど、友達であり相談役であることを選び、時として非常用の銀行預金であることを選んだ。フランチェスカは、賢くても怠けがちな女性が、頼りがいのある馬鹿に抱きがちな不公平さで接し、彼の助言だけを求めるのではなく、しばしば助言にともなうものを求めた。さらに都合のいいことに、彼から金を借りて報いた。

Francesca’s husband had insisted on giving the boy that strange Pagan name, and had not lived long enough to judge as to the appropriateness, or otherwise, of its significance.  In seventeen years and some odd months Francesca had had ample opportunity for forming an opinion concerning her son’s characteristics.  The spirit of mirthfulness which one associates with the name certainly ran riot in the boy, but it was a twisted wayward sort of mirth of which Francesca herself could seldom see the humorous side.  In her brother Henry, who sat eating small cress sandwiches as solemnly as though they had been ordained in some immemorial Book of Observances, fate had been undisguisedly kind to her.  He might so easily have married some pretty helpless little woman, and lived at Notting Hill Gate, and been the father of a long string of pale, clever useless children, who would have had birthdays and the sort of illnesses that one is expected to send grapes to, and who would have painted fatuous objects in a South Kensington manner as Christmas offerings to an aunt whose cubic space for lumber was limited.  Instead of committing these unbrotherly actions, which are so frequent in family life that they might almost be called brotherly, Henry had married a woman who had both money and a sense of repose, and their one child had the brilliant virtue of never saying anything which even its parents could consider worth repeating.  Then he had gone into Parliament, possibly with the idea of making his home life seem less dull; at any rate it redeemed his career from insignificance, for no man whose death can produce the item “another by-election” on the news posters can be wholly a nonentity.  Henry, in short, who might have been an embarrassment and a handicap, had chosen rather to be a friend and counsellor, at times even an emergency bank balance; Francesca on her part, with the partiality which a clever and lazily-inclined woman often feels for a reliable fool, not only sought his counsel but frequently followed it.  When convenient, moreover, she repaid his loans.

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アルフレッド・マーシャル 経済学原理1.Ⅳ.21

自然科学、なかでも物理学は、ひとの行動全般について研究に取り組むものである。自然科学について調査する者は正確な結論を求めるが、そうした結論は、継続的に観察して実験していくことで、証明されるものである。表面上の理由や結果で満足するなら、その者の間違いはすぐに見つけられるものである。あるいは、自然の力の相互作用を無視するなら、その力を囲む全てによって、あらゆる動きは性質を変えるだろうし、変えられてしまうものである。物理学の学生は、ただ一般的に分析するだけで満足するのではない。量で動きをとらえようと試み、問題における適切な関係をとらえようと試みる。(1.Ⅳ.21)

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サキ 耐えがたきバシントン 5回

この場所に芽をだしているものとは、ダマスク織りのバラの花弁から姿をあらわしている王座のひとつたが、それは異なる状況であればフランチェスカの心の平和となったことであろう。ひとの幸せとは過去ではなく、いつも将来に見いだされるものである。叙情性にあふれた尊敬されるべき権威の品々はもっともなものである。だが悲しみの王冠をいだいた不幸が、不幸な出来事を憂えながら待っている。ブルー・ストリートにある家は、旧友のソフィ・チェトロフから預けられたものである。だがソフィの姪のエメリーン・チェトロフが結婚すれば、そのときには結婚の贈り物としてエメリーンにあたえられることになる。エメリーンは今十七歳、かなりの器量よしであり、独身女性としての期間が安全に見込めるのは、せいぜい四、五年だった。その期間がすぎた後にあるものはカオスだろう。自分の魂になった隠れ家である住処から離れてしまうことは、フランチェスカにとって苦しいことであった。想像のなかで、彼女が自ら深い谷間に、わずかながら橋をかけたことは事実である。頼みの橋とは、学校にかよっている息子のコーモスで、今は南部の田舎のどこかで教育をうけている。あるいはその橋を構成しているのは、もしかしたらエメリーンと結婚するかもしれないという可能性だと言った方がいいのかもしれない。もし、その場合には、搾取した品々であろうと、つまらない品々であろうとも、フランチェスカはその品をまだ支配している自分の姿をみることができる。だが、今はまだブルー・ストリートの家を支配していた。ファン・デル・メーレンは誉れある場所で、不可欠な午後の光をとらえ、フルミエの像も、ドレスデンの彫刻も、ウースターの年代物の茶器セットも、慣れたニッチで平穏に過ごしてていた。エメリーンは、こじんまりとした日本風の奥の間も、手に入れることができる。そこでフランチェスカは夕食後のコーヒーを時々飲んだりするが、居間とは離れてあるので、そこに自分の持ち物を置いたりもしていた。橋の構造は、細部にいたるまで、注意深く考えられていた。ただ、唯一の不幸とも言うべき状況は、コーモスがすべてのバランスをとる架け橋となっていることだった。

And herein sprouted one of the thorns that obtruded through the rose-leaf damask of what might otherwise have been Francesca’s peace of mind.  One’s happiness always lies in the future rather than in the past.  With due deference to an esteemed lyrical authority one may safely say that a sorrow’s crown of sorrow is anticipating unhappier things.  The house in Blue Street had been left to her by her old friend Sophie Chetrof, but only until such time as her niece Emmeline Chetrof should marry, when it was to pass to her as a wedding present.  Emmeline was now seventeen and passably good-looking, and four or five years were all that could be safely allotted to the span of her continued spinsterhood.  Beyond that period lay chaos, the wrenching asunder of Francesca from the sheltering habitation that had grown to be her soul.  It is true that in imagination she had built herself a bridge across the chasm, a bridge of a single span.  The bridge in question was her schoolboy son Comus, now being educated somewhere in the southern counties, or rather one should say the bridge consisted of the possibility of his eventual marriage with Emmeline, in which case Francesca saw herself still reigning, a trifle squeezed and incommoded perhaps, but still reigning in the house in Blue Street.  The Van der Meulen would still catch its requisite afternoon light in its place of honour, the Fremiet and the Dresden and Old Worcester would continue undisturbed in their accustomed niches.  Emmeline could have the Japanese snuggery, where Francesca sometimes drank her after-dinner coffee, as a separate drawing-room, where she could put her own things.  The details of the bridge structure had all been carefully thought out.  Only—it was an unfortunate circumstance that Comus should have been the span on which everything balanced.

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アルフレッド・マーシャル 経済学原理 1.Ⅳ.19~20

 

しかし、現実的な必要性に主として導かれたとしても、経済学は可能な限り、団体組織について緊急性のある話し合いを避けるものであり、国内外の政策についての外交交渉をさけるものである。こうした政策について、政治家が考慮せざるをえなくなるのは、自分が提案することができる基準のうち、国のために実現したい目標に一番近づくものとは何なのか決めるときである。経済学が目指すものとは、政治家の目標決定を手伝うことだけでなく、その目標に捧げられた幅広い政策のうち、最高のものとは何かを決定することでもある。しかし、経済学は、政治的なことがらをたくさん避けてしまう。しかしながら経験をつんだひとであれば、そうしたことは無視できないものである。それゆえ経済学とは、科学と芸術というより、純粋に応用的な科学なのである。さらに「政治経済」という狭い語で語るより、「経済学」という幅広い語で説明したほうがいい。(1.Ⅳ.19)

 

 §5.経済学者は、三つの優れた能力を必要とする。それは理解力、想像力、推論する力である。とりわけ必要とされているのは想像力であり、遠く離れたところのものだろうと水面下のものだろうと、目に見える出来事の跡をたどるのに必要である。また遠く離れたところのものだろうと、水面かのものだろうと、目に見える理由の結果の跡をたどるのに必要である。(1.Ⅳ.20)

 

 

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サキ 耐えがたきバシントン 4回

全ての宝物のなかから、この部屋にある品々を見積もったなかでも、とりわけ抜きん出ているものは、偉大なファン・デル・メーレンの絵であるが、それは持参金として父親の家から持ってきたものだった。幅の狭い寄せ木細工のキャビネットの上方の、中央の壁にぴったりはめ込まれ、部屋の構成からもバランスからも、まさにその空間をみたしていた。どこに座ろうとも、絵が対峙してくるように思え、その部屋の雰囲気を圧倒するように見えた。心地よい静けさが壮大な闘いの場面にただよい、重々しくも礼儀正しい武人たちがまたがる馬は勢いよく跳ね、その色は灰色、茶と白のまだらや月毛であった。すべての者がまじめに、真摯に描かれていた。それでも、その軍事行動とは、荘重な調子で配置されながらも、莫大な数の人々が真剣にピクニックしているだけのものであるという印象をなんとか伝えていた。フランチェスカには、うまく吊された荘重な絵という最高の補足がない居間を想像することは出来なかった。それは、ブルーストリートにあるこの家以外での自分を想像できなようなもので、その家は家族にとって神々ともいうべき品が大切にしまわれていて、さながら万物殿のように品々でいっぱいだった。

And above all her other treasures, dominating in her estimation every other object that the room contained, was the great Van der Meulen that had come from her father’s home as part of her wedding dowry.  It fitted exactly into the central wall panel above the narrow buhl cabinet, and filled exactly its right space in the composition and balance of the room.  From wherever you sat it seemed to confront you as the dominating feature of its surroundings.  There was a pleasing serenity about the great pompous battle scene with its solemn courtly warriors bestriding their heavily prancing steeds, grey or skewbald or dun, all gravely in earnest, and yet somehow conveying the impression that their campaigns were but vast serious picnics arranged in the grand manner.  Francesca could not imagine the drawing-room without the crowning complement of the stately well-hung picture, just as she could not imagine herself in any other setting than this house in Blue Street with its crowded Pantheon of cherished household gods.

 

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アダム・スミス 道徳感情論1.Ⅱ.28  怒りがみとめられるとき

 

どれだけ多くのことを要求することで、怒って満足している状態が気持ちよいものとなり、観察者たちが私たちの復讐に共感するようになるのだろうか。先ずは挑発があるにちがいないから、ある程度、怒り返さなければ、軽蔑されてしまうだろうし、いつまでも侮辱されることにもなるだろう。些細な怒りは無視した方がいいし、ひねくれた意地の悪いユーモアとは、何よりも軽蔑に値するものであり、あらゆる口論の機会に火をつけるものである。憤ってしまうのは、その怒りが礼儀にかなっているかという感覚からである。また、怒りについてひとが期待したり、求めたりする感覚からくるものである。激怒という不快な激しい感情を心の内に感じるからではない。人間の心が受け入れることの出来る情熱とは、正しいか疑ってしまうような情熱ではない。生まれつき持ち合わせる礼儀正しさについての感覚に照らして、注意深く意見を求めなくてはいけない放縦な情熱でもない。冷静かつ公正な観察者の感情とは何かと、勤勉に考えなくてはいけないような情熱でもない。器の大きさが、あるいは社会で階層と威厳を保つことが、この不快な情熱を高貴なものにかえる唯一の動機なのである。この動機が、言葉遣いと態度そのものを特徴づけるにちがいない。言葉遣いと態度は、はっきりわかるように開かれたものであり、単刀直入なものにちがいない。疑問をはさむ間もなく決心してしまうが、傲慢になることなく元気づけてくれる。嫌悪もなければレベルの低い下劣さもなく、寛大さと率直さにあふれ、すべてが適切に考えられている。相手が害をあたえる者だとしてでもある。つまり全体から見れば、気取って情熱を表現しようと苦労しなくても、人間らしさが消えなかったということは明らかである。復讐するようにという命令を放棄することがあるにしても、それは嫌々ながら必要に迫られてのものであり、何度も繰り返して挑発された結果である。このように抑制して加減するとき、怒りは寛大で高貴なものだと認められるのかもしれない。(1..28

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サキ 耐えがたきバシントン 3回

心地よく古風な角部屋にはいると、柱がむきだしの壁やアルコーブがあり、さながら港にはいるときのように、貴重な個人の持ち物や戦利品が視界にはいってくるが、それは乱気流もあれば嵐もありで、あまり平穏ではなかった結婚生活を生き抜いてきた品であった。どこに目を向けても、成功や財政状況があらわれているようであり、彼女が幸運の持ち主で、やりくりも上手であり、趣味もよいことが、そうした品々にあらわれていた。戦争のときには少なからず逆境におかれることもあったが、彼女は自分の荷物をつんだ列車をなんとか守った。だから自己満足にみちた凝視をむける先は、勝利しての略奪をあらわしている品であり、名誉ある敗北をした沈没船の引き上げをあらわしている品だった。マントルピースの上に飾られた、甘美なブロンズ製のフルミエの像は、昔、グランプリで勝ち得た賞金だった。価値のあるドレスデンの彫刻の一群は、思慮深い賛美者から彼女に遺贈されたものであり、その賛美者は他にも親切にはしてくれたけれど、死ぬことで更に親切を重ねてくれた。他の一群は、彼女が自ら賭けでもらった品であり、その品を獲得したのは祝福にみちた、消しがたい思い出になっているものであるが、その素晴らしい、束の間の思い出とは、田舎の邸宅でひらかれたブリッジでの勝利であった。ペルシャとブハラの古い敷物に、ウースターの茶器セットもあれば、さらに昔の銀のささやかな宝は、本来の価値にくわえて、歴史と思い出がひめられていた。いにしえの職人や匠が、遠く離れた場所で、はるか昔に鋳造したり、精をだしたり、織りあげたりして、つくりあげた美しくも素晴らしいものが、どうにかして自分の所有になったことに思いをはせては楽しむこともあった。中世イタリアの工房や近代パリの工房の職人の作品もあれば、バグダッドや中央アジアの工房の職人の手になるものも、かつての英国の工作場やドイツの工場でつくられたものもあり、隠された奇妙な角部屋には、工芸品の秘密が油断なく守られ、名もなく記憶にとどめられていない職人の作品もあれば、世界的に有名な職人の手による不朽の作品もあった。

Into that comfortable quaint-shaped room of angles and bays and alcoves had sailed, as into a harbour, those precious personal possessions and trophies that had survived the buffetings and storms of a not very tranquil married life.  Wherever her eyes might turn she saw the embodied results of her successes, economies, good luck, good management or good taste.  The battle had more than once gone against her, but she had somehow always contrived to save her baggage train, and her complacent gaze could roam over object after object that represented the spoils of victory or the salvage of honourable defeat.  The delicious bronze Fremiet on the mantelpiece had been the outcome of a Grand Prix sweepstake of many years ago; a group of Dresden figures of some considerable value had been bequeathed to her by a discreet admirer, who had added death to his other kindnesses; another group had been a self-bestowed present, purchased in blessed and unfading memory of a wonderful nine-days’ bridge winnings at a country-house party.  There were old Persian and Bokharan rugs and Worcester tea-services of glowing colour, and little treasures of antique silver that each enshrined a history or a memory in addition to its own intrinsic value.  It amused her at times to think of the bygone craftsmen and artificers who had hammered and wrought and woven in far distant countries and ages, to produce the wonderful and beautiful things that had come, one way and another, into her possession.  Workers in the studios of medieval Italian towns and of later Paris, in the bazaars of Baghdad and of Central Asia, in old-time English workshops and German factories, in all manner of queer hidden corners where craft secrets were jealously guarded, nameless unremembered men and men whose names were world-renowned and deathless.

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アルフレッド・マーシャル 経済学原理 1.Ⅳ.18

経済学とは、このように経済的な面の研究であるとされ、また、ひとの政治的、社会的、個人の生活にかかる研究とされる。なかでも、とりわけ個人の生活を研究するものとされる。研究の目的とは、自らのために知識をえることであり、人生の現実的なふるまいについて導きをえることであり、とりわけ社会的な生活について導きをえることである。こうした導きへの必要性は、今はさほど急ではない。私たちよりも後の世代のほうが、抽象的な思索や過去の歴史における曖昧な点に光をなげかける調査をするために、暇な時間が十分にあるのかもしれない。だが、現在の困難について、すぐに助けをだすことはできないのである。(1.Ⅳ.18)

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サキ 耐えがたきバシントン 2

フランチェスカは、運命の神様に最高の手をだされたところで、手をはなされてしまう類の女性だった。それでも裁量が自由にまかされた強みがあるせいで、女性の幸せとしては平均以上のものを操ると思われていた。だから女性の人生において、怒りや失望、落胆のもとになる大半が、人生から取り除かれ、幸せなグリーチ嬢として、もしくは後には、運のいいフランチェスカ・バシントンとして考えられていていた。また偏屈者のひとりではなかったので、魂のロックガーデンを作り上げることもなければ、その中に自分のまわりにあるような、石のような悲しみと欲しくもない揉め事を、わざわざ引きずり込むようなこともしなかった。フランチェスカは、人生において平坦な道と気持ちのよい場所を愛していた。人生の明るい面を好んでいるだけでなく、その明るい面に住むことを好み、そこにとどまろうとした。物事が一度か二度うまくいかなくなり、早い時期に幻想を幾分奪われたという事実があるせいで、人生も穏やかな時期にさしかかったように思える今となっては、彼女は自分のものである相当の資産にしがみついていた。見る目のない友達から、彼女はやや自己中心的な女性であるという外見でみられていた。しかし、その自己中心性とは人生の浮き沈みを経験したひとのものであり、自分に贈られた運をとことん楽しもうとするひとのものであった。資産の変遷のせいで彼女が不機嫌になることはなかったけれど、そのせいで視野が狭くなり、手軽に喜んだり、楽しんだりすることができるものにかぎって共感するようになっていた。また、かつての楽しくも、うまくいっていた出来事を思い出しては永遠に繰り返していた。そして中でも、過去のものにしても、現在のものにしても、幸せの記念物や記念品をおさめているのが、彼女の居間であった。

☆今までに訳したものは、上のサキの部屋にあります。

Francesca was one of those women towards whom Fate appears to have the best intentions and never to carry them into practice.  With the advantages put at her disposal she might have been expected to command a more than average share of feminine happiness.  So many of the things that make for fretfulness, disappointment and discouragement in a woman’s life were removed from her path that she might well have been considered the fortunate Miss Greech, or later, lucky Francesca Bassington.  And she was not of the perverse band of those who make a rock-garden of their souls by dragging into them all the stoney griefs and unclaimed troubles they can find lying around them.  Francesca loved the smooth ways and pleasant places of life; she liked not merely to look on the bright side of things but to live there and stay there.  And the fact that things had, at one time and another, gone badly with her and cheated her of some of her early illusions made her cling the closer to such good fortune as remained to her now that she seemed to have reached a calmer period of her life.  To undiscriminating friends she appeared in the guise of a rather selfish woman, but it was merely the selfishness of one who had seen the happy and unhappy sides of life and wished to enjoy to the utmost what was left to her of the former.  The vicissitudes of fortune had not soured her, but they had perhaps narrowed her in the sense of making her concentrate much of her sympathies on things that immediately pleased and amused her, or that recalled and perpetuated the pleasing and successful incidents of other days.  And it was her drawing-room in particular that enshrined the memorials or tokens of past and present happiness.

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