サキ Saki の長編小説 「耐えがたきバシントン」 2章 11回

ランスロー・チェトロフは飾りのない廊下のはずれに立ち、落ち着かない様子で自分の時計に目をはしらせては、過去に起きた出来事のせいで、自分が三十分でも年上であればと強く願った。だが不幸なことに、そうした出来事は、これからの未来につづくものであり、さらに恐ろしいことに、その未来とは差し迫ったものであった。学校に慣れていない多くの男の子のように、規則と要求に従うことに関して、彼は不健康な情熱に燃えていた。尊敬に値する二、三のことをしようと急いだあまり、おきまり文句以上の掲示板を見ることを怠ってしまい、そのせいで、新入生に特別に参加するように呼びかけたサッカーの練習に参加しそこねてしまった。年下だけれども長く在籍している連中が、彼の過ちから生じる避けがたい結果について、絵を見るようにを教えてくれた。それはまた未知の世界に結びついた不安であり、とにかく迫り来る運命のせいで消し去られていた。そうは言っても、そのとき、意のままの知識に、心配しながら感謝したわけではなかった。

 

 「椅子に座らされて、うしろから鞭で六回ぶたれるんだ」

 「チョークで体に線を一本描かれるんだ」

 「チョークで線を一本、どういうことなの?」

 「本当だよ。同じ場所を鞭でねらえるようにするためだよ。想像以上に痛いんだ」

 

 ランスローが心に灯そうとした希望の青い灯とは、この不快なまでに現実的な描写には、誇張している要素があるかもしれないということだった。

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アルフレッド・マーシャル 経済学原理 1.Ⅳ.24

「標準的な規則」や他の考えのせいで、いかなる職業においても、賃金がいつもより高い状態が続いているときには、想像力を働かせては人々の生活の跡をたどり、標準的な規則が足かせとなり給料が気持ちよく支払ってもらえないため、仕事ができないでいる人々の生活の跡をたどろうとする。人々の生活は上昇しているのか。それとも下降しているのか。もし上昇する者がいると同時に、押し下げる者がいるとすれば、それはよくあることだが、上昇する者が多数であって下降する者は少数なのか。それとも反対だろうか。もし表面的な結果をみれば、上昇する者が多数だと思うかもしれない。しかし、もし想像力に科学を働かせながら、すべての取り組みについて考えてみるといい。その取り組みの途中で禁止するということが、産業別労働組合が認めていようといまいと、人々が最高の働きをすることを妨げることであり、最高の賃金を得ることを妨げることであるならば、押し下げる者が多数であり、上昇する者は少数になる。いくぶん英国の影響をうけながら、オーストラレーシア人の移民は勇敢な冒険をしながら、今よりも心地よく安らぐという約束を労働者とかわし、一見したところ正しく見える。オーストラレーシア人は、広大な母国から資産を借りたおかげで、蓄えをたくさん持っている。産業が衰退し落ち込んでいく中で示された近道とは一時的なものであり、些細なことなのだのだろうか。しかし、英国も同じような道をたどっていくと言われているし、更に英国にとって落ち込みはもっと深刻なものになるだろう。必要とされ、私たちが望んでいることが、近い将来に実現するかもしれないが、それは同じ種類のこうした計画について広く研究することであり、戦艦が悪天候でも確実に航海するような新しいデザインについて判断するときに使われる知性の指示について研究することでもある。

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サキの長編小説 耐えがたきバシントン 10回

 

「ええ」フランチェスカは言った。「昨日、戻りました。あの子のことはもちろん好きだけれども、別れても我慢できるから大丈夫。あの子がここにいると、家の中に活火山があるようなものだから。どんなに静かな時でも、絶え間なく質問をして強い香りの香水をふりまく火山なの」

 「今だけの、束の間の安らぎだな」ヘンリーは言った。「一、二年もすれば学校を卒業することになるが、そのあとはどうする?」

 フランチェスカは目を閉じたが、その雰囲気は悩ましい将来を捨てようとする人のものであった。他人がいるところで、将来について子細に検討することは好きではなかったが、とりわけ、その幸運な色調が、疑わしさで覆われている時はなおさらであった。

 「さて、そのあとは?」ヘンリーは執拗だった。

 「そのときは、わたしの手に負えなくなるでしょうよ」

 「いかにも」

 「そこに座って批判がましい顔をするるのはやめて。どんな忠告でも耳を傾けるつもりはあるから」

 「ふつうの若者の場合なら」ヘンリーは言った。「適した職業につくことに関して、たくさん助言もすることだろう。だがコーモスについて知っていることからすれば、仕事をみつけてあげたところで、むこうにその気がないのであれば、我々が仕事を見つけても時間の無駄になるだろう。」

 「あの子も何かしないといけませんわ」フランチェスカは言った。

 「何かしないといけないことは私もわかっている。だが、あの子はしない。少なくとも、何事にも誠実に取り組まない。一番期待できそうなことは、財産のある娘と結婚することだ。そうすれば、あの子の問題のなかでも財政上の問題は解決される。おもいどおりになる金が限りなくあれば、どこかの荒野にでも行ってライオンでもしとめるだろう。ライオン狩りに何の価値があるかわからないが、あの社会不適格者の、破壊的なエネルギーをそらすのに役に立つだろう」

 ヘンリーは、鱒より大きくて荒々しいものを殺したことがないため、ライオン狩りの話題に関しては、蔑むように見下していた。

 フランチェスカは、結婚させるという提案に嬉しくなった。「財産のある娘さんかはわかりませんが」フランチェスカは慎重に言った。「エメリーン・チェトロフならいますわ。財産のある娘さんだとはあまり言えないかもしれませんが、あの娘には、ささやかながら気持ちよく暮らせるだけの、自分の資産があります。それに私が思いますには、あの娘には、おばあさんから頂けるものも少しあるでしょう。それから勿論ご存知のように、あの娘が結婚すれば、この家ももらえることになるのよ」

 「そうであるならば尚都合がいい」ヘンリーは言いながら、妹が今までに数百回も踏みならしてきた考えの流れをたどろうとしたのであろう。  「彼女とコーモスは仲良くやれているのか」

 「男の子と女の子としては十分いい方よ」フランチェスカは言った。「ふたりのためにお互いをもっと知る機会を、そのうちにでも、もうけなくてはいけないわね。ところで、あの娘がとても可愛がっている弟のランスローが、今学期からタルビーに入るの。コーモスに手紙を書いて、とりわけ親切にするように伝えるわ。それがエメリーンの心をとらえる確実な手になるでしょうから。コーモスはいつも完璧よね。神様のおかげだわ」

 「そんなのが重要なのは、遊びだけだろう」ヘンリーは馬鹿にした。「安全なところで思惑にけりをつけて、無難な行動をとったほうがいいかもしれないと思うのだが」

 コーモスは叔父に気に入られていなかった。

 フランチェスカはライティングビューローにむかうと、急いで息子にあてた手紙を書き、その中で新しく入ってくる少年の健康状態がきわめて敏感なものであり、性格も内気であるということやら、他にも変えられない性格があるので気遣ってほしい旨を伝え、面倒をみるように頼んだ。彼女が手紙に封をして印をおしたとき、ヘンリーが遅ればせながら注意をした。

 「おそらくだが、その少年のことは、コーマスに言わないでおいた方が賢明だろう。あの子ときたら、いつも望むような方向にすすまないから」

 フランチェスカもわかっていたし、兄の言うことも半分以上はもっともだった。しかし、きれいで汚れていない、一ペニー切手を犠牲にできる女が現れるのは、まだこれからである。

 

 

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アルフレッド・マーシャル 経済学原理 1.Ⅳ.23

さらに小さな事柄では、ただの経験が見えない世界をしめすことになる。そうした経験のせいで、人々は災難を探すようになるが、例えばその災難とは、精神力への災難であり、金遣いの荒い放蕩者をいい加減に助けてしまうような家族生活への災難である。表面的に見えているものが、利益になろうとも関係ない。しかし更に努力をつんで、広い視野をもち、想像力を勢いよく発揮することが、真の結果をたどるために必要とされることである。たとえば、雇用の安定を促進するための、もっともらしい多くの計画には、そうしたことが必要とされるのである。真の結果をもとめるために必要な知識とは、信用貸しや自由貿易、外国との貿易競争、収穫や価格の変化が、どれほど密接に関係しているかということであり、また、こうしたことすべてが、よかれあしかれ、雇用の安定に影響するということである。見逃してはいけないのは、西洋世界においてはどこであろうとも、経済的な出来事の大半が、ある職業における雇用に影響しているということである。将来の失業の原因を扱うだけであれば、目にする災難を治療できそうにないし、目に見えない災難を生じることにもなりそうである。さらに遠くにあるものを探して天秤で計るのであれば、その作業は心を厳しく鍛えることになる。(1.Ⅳ.23)

 

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サキ 耐えがたきバシントン 9回

社会学を宣伝しようとする動きのなかにいるということは、生活と労苦が争う競技場にいるようなものであり、その荒々しい闘いやら競争やらは、型も種類も極めて近いものであることが、しばしば見いだされるのだった。エリザ・バーネットは、ヘンリー・グリーチと政治的、社会的な考え方を共有していたが、同時に相当細かく指摘したがる好みも共有していた。かつて、きわめて限られた範囲ではあるが、彼女が大きく影響していた幾つかの事件には、演説家の集団に雄弁術への入場券をわりあてたような出来事があり、その集団ではヘンリー・グリーチはじれったい一人になってしまっていた。その日の主な討議については、ヘンリーは彼女と意見が一致していた。しかし、彼女の尊敬すべき性質に関しては、彼はしつこく精神的に妨げる様子をみせていた。だから会話尻をとらえて彼女の名前をほのめかすということは、巧みにルアーを投げ込むようなことであった。どんな話題にしても、彼の雄弁に耳をかたむけなければいけないのであれば、極貧を防止する話題よりは、エリザ・バーネットへの非難のほうが好ましいものに思えた。

 

 フランチェスカは、嘘いつわりのない楽しみを感じて、笑いたい気持ちになった。

 

「あの方ときたら、お話になることすべてに、とてもお詳しいのよ」彼女は挑発的な見解をのべた。

 

 ヘンリーはおそらく、エリザ・バーネットの話題にひきずりだされたことを意識したのだろう。すぐ彼は話題の矛先を特定の人にむけた。

 

「この家の雰囲気が全般的に静かであるところからすると、コーモスはタルビーへ戻ったようだが」

 

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アダム・スミス 道徳感情論 家庭での愛

愛という感情そのものは、愛を感じる人にとって好ましいものである。愛とは心をしずめ、感情をつくりあげるものであり、生き生きとした動きで好意をしめすようにみえるものであり、また、ひとの体の健康状態を促進するもののようにもみえる。さらに愛をもっと魅力的なものに表現するものとは、感謝と満足する心への自覚だが、それは、愛の対象となるひとの中に呼び起こされる筈のものである。感謝と満足の相互関係とは、片方の感情がもう片方の感情を幸せなものにするというものである。相互の愛と尊敬を支配するすべてから、どんな喜びを家族に見いだそうと、互いへの愛と尊敬を支配する喜びをとおして、両親と子供たちはお互いに仲間なのである。互いへの尊敬すべき愛情もなければ、優しい甘やかしがなくても、仲間なのである。家庭で自由と愛情、相互のからかいと優しさが見せてくれるものとは、利益を競争して兄弟が分かれることでもなく、ひいきをめぐる競争が姉妹を疎遠にしてしまうことでもない。家庭では、あらゆるものが、平和、気持ちよさ、調和、満足についての考えを伝えることになるのだろうか。それとは反対に、同じ家に住む者のうち半分が、他の半分と耳障りな喧嘩をしている家に入るとき、どれほど不安になるであろうか。家庭では、互いに影響をうけているような人あたりのよさと親切な心にかこまれることになり、疑い深い表情も、情熱の急なほとばしりも、心のなかで燃え上がる互いの嫉妬を裏切ることになり、実行にはいたらない。仲間の存在のせいで課せられる拘束力から、刻々と燃やしつくされるのは、疑い深い表情と情熱のうち、どちらなのだろうか。(1.Ⅱ.30)

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サキ 耐えがたきバシントン 8回

 

「現在のところ、問題となることは、思わせぶりな態度をとられたり、においをかがれたりするということだけである」彼は観察にもとづいて述べた。「だが遠からず、そうしたことに深刻な注意をはらい、考慮していかなければならない。最初にしなければいけないことは、その問題に接近するときに、中途半端にかじった机上の理論から脱することである。困難な事実を集めて、咀嚼しなければならない。すべての理性ある精神に、この問題を訴えていかなくてはいけない。だが、しかしながら、人々に興味を抱いてもらうことは、驚くほど難しいことである。」

 

 フランチェスカは短い音節で反応したが、それは言わばブーブーという鳴き声でありながら同情を示す音であり、ある程度は聞いて評価しているということを示そうとしているものであった。実際のところ、どんな話題であろうとヘンリーが語る事柄に、興味をもつなんて難しいにちがいないと彼女は考えた。彼の才能は、物事を面白くないものにするという方向に徹底しているから、たとえ皮剥の刑にあった聖バルトロマイの虐殺を目撃したとしても、事件を語る説明に、おそらく退屈という味わいを吹き込んだことだろう。

 

「この話題について、ある日、レスターシャーで話していたんだが」ヘンリーは続けた。「考えることをやめてしまう人は少ないという事実を、かなり詳しく指摘した。」

 

フランチェスカは即座に、でも上品に、考えることをやめないという多数に転じた。

 

「そちらに行かれたときに、バーネット家のどなたかに会ったのでは?」彼女はさえぎった。「エリザ・バーネットは、こうした問題すべてに関わっているから」

Henry Greech had made an end of biting small sandwiches, and settled down like a dust-storm refreshed, to discuss one of the fashionably prevalent topics of the moment, the prevention of destitution.

“It is a question that is only being nibbled at, smelt at, one might say, at the present moment,” he observed, “but it is one that will have to engage our serious attention and consideration before long.  The first thing that we shall have to do is to get out of the dilettante and academic way of approaching it.  We must collect and assimilate hard facts.  It is a subject that ought to appeal to all thinking minds, and yet, you know, I find it surprisingly difficult to interest people in it.”

Francesca made some monosyllabic response, a sort of sympathetic grunt which was meant to indicate that she was, to a certain extent, listening and appreciating.  In reality she was reflecting that Henry possibly found it difficult to interest people in any topic that he enlarged on.  His talents lay so thoroughly in the direction of being uninteresting, that even as an eye-witness of the massacre of St. Bartholomew he would probably have infused a flavour of boredom into his descriptions of the event.

“I was speaking down in Leicestershire the other day on this subject,” continued Henry, “and I pointed out at some length a thing that few people ever stop to consider—”

Francesca went over immediately but decorously to the majority that will not stop to consider.

“Did you come across any of the Barnets when you were down there?” she interrupted; “Eliza Barnet is rather taken up with all those subjects.”

 

 

 

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アルフレッド・マーシャル 経済学原理 1.Ⅳ.22

人間について語る科学では、正確さを達成することは難しい。正確さにそむかない道とは、唯一、見通しのよい道をとることである。見通しのよい道が、いつも誘いかけてくる。たとえ誠実さにかけた道だとしても、意志の固い仕事をすることで正確さへの道をたどるとき、なるだけ正確さにそむかない道をたどりたいという誘惑に強くかられる。歴史について正確に研究しようとする者がうまくいかないのは、研究しようとする能力がないせいであり、相関的な関係について評価できる観察基準がないせいである。こうした評価は、論争をしていくなかで、あらゆる場面にひそんでいる。歴史学者は、相関的な関係について絶対的な評価をしないのだから、何らかの理由が他のことが原因でくつげされたと結論づけることはできない。結論をだそうとするには、相関的な関係について、絶対的な評価をしていなければいけない。歴史学者に、どれほど主観的な印象に基づいているのか気づいてもらうには、ただ努力してもらうしかない。経済学者も、こうした困難に邪魔されるものの、人間の行動について研究している他の研究者ほどではない。自然科学者の仕事に正確さと客観性をあたえるという美徳に関して、経済学者も同じように貢献している。とにかく経済学者は、現在の、あるいは最近の出来事に関して、唱えることができる説のうち、どの説が明確であり、最大限に正確な数なのかについて、観察した事柄をまとめている。更に経済学者が有利なのは、表面下にあって簡単には見ることが出来ない理由や原因を探し求め、複雑な状況を分析し、再構築するという点にあるのである。

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サキ 「耐えがたきバシントン」 7回

運命は、ヘンリーを兄として与えてくれるという素晴らしい助けをだしてくれたが、その助けにあらがい、フランチェスカは、コミュを息子にするという悪意にみちた、わずらわしい運命を切り開いたのかもしれなかった。その少年は無秩序に生きる、扱いにくい若者のひとりであり、幼稚園、進学準備校、パブリックスクールをとおして遊び戯れたり、いらだったりする有様は、嵐や砂塵、混乱が最大限に割り当てられたようであり、骨の折れる勉強はまったくする気配はなく、涙を流したりする者やカッサンドラの予言に関する者すべてが弱まるような混乱のなかでも、ともかく笑い声をあげる若者である。時にはそうした若者も、年をとれば落ち着いて退屈なひとになり、自分が大騒ぎしていたことを忘れてしまうこともあるかもしれない。時には、そうした若者に素晴らしい運がむき、広い視野で素晴らしいことを行い、国会や新聞から感謝され、お祭り騒ぎの群衆に迎えられることもあるかもしれない。だが、ほとんどの場合、そうした若者の悲劇が始まるのは、学校を卒業して世の中に放り出されたとき、その世の中が文明化されていて、人がたくさんいて、自分の場所を見つけようにもどこにもないときである。そうした若者は実に多い。

 

 ヘンリー・グリーチは小さなサンドイッチを食べるのをやめ、勢いを取り戻した砂塵嵐のように議論をはじめ、その当時流行していた話題のひとつである極貧の防止を論じた。

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アダム・スミス 道徳感情論 1.Ⅱ.29 すべてのひとが愛情に共感する理由

他のひとと分かち合うような共感であっても、先ほど取り上げた怒りという激しい情熱についての共感なら、ほとんどの場合、それは無様で嫌なものである。また、怒りとは反対の感情に対して抱く共感は倍にふくらみ、いつも心地よく、魅力的なものに思える。寛大な心も、慈悲あふれる心も、思いやりの心も、深く同情する心も、互いに親しくつき合って相手を敬う心も、社会における善意の感情すべてが、表情や行動で表現されるときには、特に関係のない者が相手だとしても、あらゆる場面で、先入観なしに観ている者は喜ぶものである。こうした思いやりや同情などの感情を感じているひとへの共感とは、正確に言えば、おもいやりや同情をむけられているひとへの関心と一致するのである。幸せのなかで見いだす関心のせいで、第三者の感情に対する共感が生き生きとしたものになり、また、第三者の感情も同じ対象へとむかっていく。そのため、優しい愛情には、いつも強く共感する傾向にある。優しい愛情とは、あらゆる点で好ましいものに思える。優しい愛情を感じて生じる満足とは理解することができるものだし、その愛情をむけられているひとが感じる満足も理解することができる。憎悪や憤りの対象になるということは、苦痛をもたらすものであり、勇敢な男であろうと恐れるものであり、敵からの災いよりも苦痛にみちたものである。だから、愛されているという意識には、満足感がある。繊細で感受性の豊かなひとであれば、愛されているという意識が幸せになるために重要であり、その意識からひきだされる他の何よりも重要なのである。友達のあいだに口論の種をまいたり、優しい愛情をひどい憎悪にかえたりするようなことに喜びを見いだすひとのような、嫌悪すべき特徴とは何なのであろうか。そして、このようにひどく嫌われる無礼の大半は、どこにあるのだろうか。無礼が人々から奪ってしまうものとは、友情が続いていたとしたら相手に期待できたかもしれない、愚かしいコネなのだろうか。いや、無礼が人々から奪い去るものとは、友情そのものであり、互いの愛情なのである。その友情にしても、愛情にしても、共に満足をひきだすものなのである。無礼とは、心の調和を妨げるものであり、以前はあったはずの幸せな交流に幕をおろすものである。こうした愛情も、調和も、心の交流も、優しくて繊細な心の持ち主だけが感じるものではなく、粗野な庶民すら感じるものである。そうした感情から期待される僅かな恩恵が重要なのではなく、幸せそのものが重要だからである。(1..29)

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