実業家、富小路公子の生と死をめぐって関係者27人が一人称で語る証言で構成される。27人のそれぞれの語り口にも引きこまれるし、どんな証言が飛び出すのか展開も面白い。
その証言をどう心に描いていくのか、公子の言葉のどこまでが真実なのか、どこから嘘なのか解釈していくのは読者次第…という点では上質のミステリ。
また読み手がこれまで読んできたもの、出会ってきたもので人物像も変わっていく…そういう点では、読み手の人生の総量が問われる文学作品だと思う。
突き詰めて考えていくと疑問も少なからずある。でも公子が関わった犯罪が宝石、土地転がし、結婚詐欺という曖昧なものゆえ、そうした疑問もあまり気にならない。そうしたものが犯罪の対象になる時代を描ききったという点では、「恍惚の人」「複合汚染」に通じるものがあるだろう。
もっと有吉佐和子を読んでみたいと思いつつ、頁を閉じる。
読了日:2018年7月16日
一瞬黙り込んでからイングルウッドは言った。「では最後に、次の手紙を証拠として出そう」
「私はルース・デイヴィスと申します。クロイドンにあるローレル荘で、六ヶ月にわたってI・スミス夫人の女中をしておりました。私がまいりましたときに、そのレディは二人の子供たちとだけで暮らしていらっしゃいました。未亡人ではございませんでしたが、ご主人はそこにはいらっしゃいませんでした。奥様はたっぷりお金をいただいた状態で残されたようで、ご主人様のことで思い悩むような気配はございませんでしたが、それでも直に戻ってくるだろうと思っていらしたようです。奥様の言葉によれば、旦那様には突拍子もないところがおありで、ちょっとした変化でもすぐにご機嫌がよくなったそうです。先週のある夕方、芝生のところで紅茶の用意をしていたのですけど、あやうくカップを落としてしまうところでした。長い熊手の先が生け垣から飛び込んでいて、跳躍競技の棒のように地面にささっているのですから。そして生け垣をこええて、棒に乗った猿のように現れたのは、体の大きな、身の毛のよだつような男で、髭も髪も伸び放題で、ロビンソン・クルーソーのようにその服はぼろぼろでした。思わず金切り声をあげてしまいましたが、奥様は椅子から立ち上がることもなさらないのです。ただ微笑んで、髭をそりたいわねえと仰いました。するとその男は落ち着き払って庭のテーブルにつき、紅茶をのみました。そのとき私は事情を呑み込んだのです。この男こそスミス氏に他ならないと。それ以来、この屋敷にいらっしゃいますが、あまり大した問題もおこされていません。それでも時々、頭に弱いところがある方ではなかろうかと思うことも度々あります。
ルース・ディヴィス
追伸 申し上げるのを忘れておりましたが、ご主人さまは庭をみわたしてから、仰いました。それはうるさいくらいに力強い声でした。「素敵な場所に住んでいるなあ」と。まるでその場所を初めて目にするようでしたよ。」
After a short silence Inglewood said: “And, finally, we desire to put in as evidence the following document:—
“This is to say that I am Ruth Davis, and have been housemaid to Mrs. I. Smith at `The Laurels’ in Croydon for the last six months. When I came the lady was alone, with two children; she was not a widow, but her husband was away. She was left with plenty of money and did not seem disturbed about him, though she often hoped he would be back soon. She said he was rather eccentric and a little change did him good. One evening last week I was bringing the tea-things out on to the lawn when I nearly dropped them. The end of a long rake was suddenly stuck over the hedge, and planted like a jumping-pole; and over the hedge, just like a monkey on a stick, came a huge, horrible man, all hairy and ragged like Robinson Crusoe. I screamed out, but my mistress didn’t even get out of her chair, but smiled and said he wanted shaving. Then he sat down quite calmly at the garden table and took a cup of tea, and then I realized that this must be Mr. Smith himself. He has stopped here ever since and does not really give much trouble, though I sometimes fancy he is a little weak in his head. “Ruth Davis.
“P.S.—I forgot to say that he looked round at the garden and said, very loud and strong: `Oh, what a lovely place you’ve got;’ just as if he’d never seen it before.”
「僕が言いたいのは」彼は熱意をこめて言いました。「天国に私のための家があるとすれば、その家には緑色の街灯も、緑の生け垣もあるということだ。いや、緑の街灯や生け垣と同じくらい、はっきりと僕の家だとわかる何かがあるだろう。つまり僕が言いたいのは、神様が命令されたってことなんだ。ある場所を愛すように、その場所に仕えるようにと。その場所をたたえるために、少し荒々しくても、ありとあらゆることをしなさいと命令されたんだ。だから、この或る場所とは、すべての無限性と詭弁について証言する場所なんだ。すなわち天国はどこかにあるはずなんだけれど、どこにもありはしない。天国とは何かのかたちをしているんだけれど、実は何のかたちもない。もし天国の家に緑の街灯がほんとうにあったとしても、僕はあまり驚かないだろう」
そう言いますと彼は熊手を肩にかついで、のっしのっしと危険な道をくだっていき、私は鷹といっしょに取り残されました。でも彼が立ち去ってからというもの、家を失った者の熱情にゆさぶられるのです。見たことのない雨にぬれた牧草地やら泥だらけの小道に思い悩むのです。こんなふうに私もアメリカのことを思うのだろうかと。 敬具
ルイ・ハラ
“`I mean,’ he said with increasing vehemence, `that if there be a house for me in heaven it will either have a green lamp-post and a hedge, or something quite as positive and personal as a green lamp-post and a hedge. I mean that God bade me love one spot and serve it, and do all things however wild in praise of it, so that this one spot might be a witness against all the infinities and the sophistries, that Paradise is somewhere and not anywhere, is something and not anything. And I would not be so very much surprised if the house in heaven had a real green lamp-post after all.’
“With which he shouldered his pole and went striding down the perilous paths below, and left me alone with the eagles. But since he went a fever of homelessness will often shake me. I am troubled by rainy meadows and mud cabins that I have never seen; and I wonder whether America will endure.— Yours faithfully, Louis Hara.”
「幻想小説神髄」(ちくま文庫)収録
ノヴァーリスは1772年に生まれ、1791年にライプチヒ大学で法学、哲学、数学を修め、1793年にはヴィッテンベルク大学へ移り、司法試験に合格。
12歳の少女ゾフィーに出会い、婚約するも、1796年に彼女は病で亡くなる。その年、ノヴァーリスは鉱山学校に入学。鉱山学、地質学、鉱物学、化学を学んでいる。ノヴァーリスが亡くなったのは1801年、まだ27歳の若さであった。
『ザイスの学徒』には、ノヴァーリスのこうした自然への憧れが丁寧に書き記されている感がある。
「しかしいやしくも自然に対して心からのあこがれを感じる者、彼女の中にすべてを求め、言わば自然の神秘な営みの多感な道具たろうとする者は、彼女については崇敬と信仰をもって語って、その言葉には真の福音、真の霊感を告げるしるしたる、模しがたい不思議な透徹性と緊密性がある人をのみ、おのれの師として、自然の友として認めるでしょう」
理系の人らしい文の書き方!と思えば、あいだにはさまれている「ヒアシンスと花薔薇の童話」はメルヘンの世界である。
ヒアシンスという名前の若者、ヒアシンスが夢中になる花薔薇という少女。ふたりの仲のよさをからかう菫、飼い猫、小鼠、すぐり、蜥蜴の子たちの会話。ヒアシンスの心を虜にした魔法使いの老人の出現。なんとも不思議な登場人物たちである。
魔法使いがヒアシンスに渡した誰にも読めない本とは?森に住んでいるお婆さんによって、その本を燃やされたヒアシンスは「万物の母であるヴェールをした処女のところへ行く」と急に旅立つ。
ヒアシンスはたずね歩いた末に、探し求めた家を見つける。目の前に立つ天女のヴェールをかかげると、そこにいたのは花薔薇だった。二人は末永く幸せに暮らす。
…このような内容である。ノヴァーリスの、そして訳者山室静が名づけた可愛らしい名前のものたちにも、不思議な出来事にも、隠された意味があるだろうに…でも分からないと己の無知を悲しく思いながら本を閉じる。
読了日:2018年7月5日
貞享2年、1685年、近松門左衛門が32歳のときの作品。近松と竹本義太夫が最初に提携した記念すべき作品。
だが1685年の初演以来上演されることなく、昭和60年(1985年)に国立劇場で一部の段が上演されたのみ。今回、ながと近松文楽ですべての段を上演、ただし詞章は二時間におさまるようにまとめられているようである。
国立劇場文化デジタルライブラリによれば、『出世景清』は日本で初めての長編悲劇とのこと。
でも現代の視点で読んでしまうと、どの登場人物の行動もチグハグ感があり、いかにも文楽の登場人物らしい唐突感のある行動には首をかしげてしまう。この違和感は、長門での観劇後に消えるものだろうか?
元の妻、阿古屋の密告のせいで牢に捕らえられた景清が、後悔の念にかられる阿古屋を罵り、子供達にまで「お前たちも、あの女から産まれたかと思うと憎い」と罵りの言葉をあびせる激しさ。
阿古屋の揺れる心情は理解できなくもないが、ただ最後に父親に憎まれては生きる甲斐もないだろうと、子供たちを父親の前で刺し殺し、自らも死んでしまう激しさ。
激しい行動にかられる登場人物たちに呆然としたまま、共感する余地を見出せない…というのが正直な読後感である。
ただ場面場面の視覚に訴えるようなグロテスクさ、妖しさは強烈に感じられた。景清の今の妻、小野姫をとらえて河原で水責め、火責めにする残酷さ、景清を牢にとじこめ首には仙人掌を三個もつるさげる残酷さ、最後には景清は頼朝に復讐をしないように自ら目をくりぬいてしまう。
最初の頃、近松は詞章よりも、残酷さで人々を惹きつけようとしたのだろうか…とも思いつつ頁をとじた。
読了日:2018年7月1日
「それは」私は訊ねました。「どうしてなのでしょうか」
「なぜなら、そうしなければ」彼は言いながら、手にした棒で空を、暗黒の空間をしめしました。「あそこに見えるものを崇拝してしまうだろう」
「なにが言いたいのですか?」私は訊ねました。
「永遠だよ」彼は乾いた声で言いました。「幻影のなかでも一番大きいものさ。神のライバルたちのなかでも最強の存在だ」
「おっしゃりたいのは自然崇拝とか無限とか、そういうことなんですね」私は返答しました。
“`I dare say,’ I said. `What reason?’
“`Because otherwise,’ he said, pointing his pole out at the sky and the abyss, `we might worship that.’
“`What do you mean?’ I demanded.
“`Eternity,’ he said in his harsh voice, `the largest of the idols— the mightiest of the rivals of God.’
“`You mean pantheism and infinity and all that,’ I suggested.
「私の祖母なら言ったことでしょう」私は低い声音で言いました。「私たちは皆、流浪の民であると。そして、この世の家にいるかぎり、休むことも禁じられた、ひどいホームシックを癒やすことはできないと」
彼は長いあいだ黙り込み、一羽の鷲がただよって「緑の指」をこえ、暗がりの闇に吸いこまれていく様子を眺めていました。
それから彼は言いました。「君のおばあさんは正しかったと思うよ」立ち上がると、草のからんだ棒によりかかりました。「それには道理があるにちがいない」彼は言いました。「人間の生はなんと神秘にみちたものか、恍惚に我を忘れるときもあれば、思いが充たされないときもある。けれども、もっと言うべきことがある。神は特別な場所への愛をさずけてくださったのだと。家族の者たちがいる炉辺への愛、そして故郷への愛を。もっともな理由があったからだが」
“`My grandmother,’ I said in a low tone, `would have said that we were all in exile, and that no earthly house could cure the holy home-sickness that forbids us rest.’
“He was silent a long while, and watched a single eagle drift out beyond the Green Finger into the darkening void.
“Then he said, `I think your grandmother was right,’ and stood up leaning on his grassy pole. `I think that must be the reason,’ he said—`the secret of this life of man, so ecstatic and so unappeased. But I think there is more to be said. I think God has given us the love of special places, of a hearth and of a native land, for a good reason.’
「あなたが言わんとするところは、つまり」思わず大きな声で言ってしまいました。「世界を一周してきたということなのですか? あなたは英語を話しているし、それに西の方から来たというのですから」
「でも僕の巡礼の旅は、まだ終わっていないんだよ」彼は悲しそうに答えました。
「僕が巡礼者になったのは、流浪の身である自分を癒やすためなのだから」
「巡礼者」という言葉にある何かのせいで喚起された記憶とは、ひどい経験と共にあるものですが、先祖たちが世界に感じていたものについてであり、私がやってきた場所にまつわるものについてでありました。絵が描かれた小さなランタンをもう一度見てみました。それは、十四年のあいだ目に入らなかったものでした。
“`Do you really mean,’ I cried, `that you have come right round the world?
Your speech is English, yet you are coming from the west.’
“`My pilgrimage is not yet accomplished,’ he replied sadly.
`I have become a pilgrim to cure myself of being an exile.’
“Something in the word `pilgrim’ awoke down in the roots of my ruinous experience memories of what my fathers had felt about the world, and of something from whence I came. I looked again at the little pictured lantern at which I had not looked for fourteen years.
「妻と子供たちの話し声が聞こえたし、部屋を動き回る姿も見えた」彼は続けました。「けれど僕には分かっていた。妻と子供たちが歩き回り、話しているのは、数千マイル離れたところにある別の家で、異なる空の光のもとだということが。そして七つの海のむこうだということを。彼らのことを愛しているよ、熱烈に。遠いところにいるように思えるだけではなく、到達しがたいところにいるように思えるからなんだ。人間がこんなに親しいものに、好ましいものに思えたことがあるだろうか。でも僕ときたら、冷たい幽霊のようなんだ。だから、そうしたつまらない人間と縁を切って宣言したんだ。いや、それだけではない。世界を踏みつけて鼻で笑ったんだよ。すると世界は踏み車のように一回転したではないか」
“`I heard my wife and children talking and saw them moving about the room,’ he continued, `and all the time I knew they were walking and talking in another house thousands of miles away, under the light of different skies, and beyond the series of the seas. I loved them with a devouring love, because they seemed not only distant but unattainable. Never did human creatures seem so dear and so desirable: but I seemed like a cold ghost; therefore I cast off their dust from my feet for a testimony. Nay, I did more. I spurned the world under my feet so that it swung full circle like a treadmill.’
その男は無言で、その方向を熊手で指し示しました。彼が話すよりもまえに、言いいたおことはわかりました。緑色の、巨大な岩のむこうには紫色の空がひろがり、星がひとつ出ていました。
「星がひとつ、東の空に」彼は奇妙な、しゃがれた声で言いましたが、その声は古の鷲のようでした。「賢者たちはあの星にしたがって進み、家を見つけました。けれども私が星にしたがったところで、家を見つけることができるだろうか?」
「おそらく、それは」私は微笑みながら言いました。「あなたが賢い人かどうかによるでしょう」
賢くは見えないと言いたいところでしたが、それはこらえました。
「君のひとり合点なのかもしれないよ」彼は答えました。「僕が自分の家を離れたのは、そこを留守にしていることに耐えられなくなったからだなんて」
「矛盾しているように聞こえる言葉ですが」私は言いました。
“The man silently stretched out his rake in that direction, and before he spoke I knew what he meant. Beyond the great green rock in the purple sky hung a single star.
“`A star in the east,’ he said in a strange hoarse voice like one of our ancient eagles’. `The wise men followed the star and found the house. But if I followed the star, should I find the house?’
“`It depends perhaps,’ I said, smiling, `on whether you are a wise man.’
I refrained from adding that he certainly didn’t look it.
“`You may judge for yourself,’ he answered. `I am a man who left his own house because he could no longer bear to be away from it.’
“`It certainly sounds paradoxical,’ I said.