チェスタトン「マンアライヴ」二部四章第431回

赤い髪だけではない。もう一本別の糸があって、あちらこちらに分散した出来事につながっていく。こうした女性たちの名前には、どこか不可解な、ほのめかしている何かがある。覚えているませんか?トリップ氏が、 タイピストの名前はブレークだと思うと話していたことを。でも彼の記憶は正確さに欠けていた。言わせていただくなら、その名はブラックだったかもしれないのですよ。そうだとすれば、この件は奇妙につながっていきますね。レディ・ベリントンの村にはミス・グリーン。ヘンドンの学校にはミス・ブラウン、出版社にはミス・ブラック。色の糸はそのまま、西ハンプテッドのビーコン・ハウスに住んでいるミス・グレイで終わる。

“Besides this red hair, there is another unifying thread that runs through these scattered incidents. There is something very peculiar and suggestive about the names of these women. Mr. Trip, you will remember, said he thought the typewriter’s name was Blake, but could not remember exactly. I suggest that it might have been Black, and in that case we have a curious series: Miss Green in Lady Bullingdon’s village; Miss Brown at the Hendon School; Miss Black at the publishers. A chord of colours, as it were, which ends up with Miss Gray at Beacon House, West Hampstead.”

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2018.10 隙間読書 世阿弥「敦盛」

日本古典文学全集58巻「謡曲集」より。

作者:世阿弥


最初、現代とは価値観が違いすぎると困惑しつつ読んだ。いくら敦盛の幽霊とはいえ、自分のことを弔ってくれたからと、命を奪った相手を許して感謝するものだろうか?

でも最後の詞章を繰り返し読んでいるうちに、少し世阿弥の気持ちに近づいたかも…と美しい錯覚にとらわれる。


まずは大体のあらすじから…。

熊谷の次郎直実は出家して、蓮生法師と名をあらため、自分が殺した平家の敦盛の菩提を弔いに一の谷へ行く。

そこに草刈男たちが来て話をしていくが、一人残った草刈男は自分が敦盛であることをほのめかして姿を消す。

連生法師が弔っていると、武将姿の敦盛があらわれ、平家の思い出を語り、弔ってくれたことに感謝して消えていく。

この最後の部分が謎…狭量な私には理解できなかったけど、でももしや…と思うようになった。


つひに討たれて失せし身の、因果は廻り合ひたり、敵はそれぞれと討たんとするに、仇をば恩にて、法事の念仏して弔はるれば、つひには共に生まるべき、同じ蓮(はちす)の漣生法師(れんせいほうし)、敵(かたき)にてはなかりけり。跡弔ひて賜(た)び給へ。跡とぶらひて賜(た)び給へ。

ついに討たれて死んだ。その身の、因果はめぐって 今ここであなたとめぐり合った、敵はそれだと思って討とうとしたら、仇を恩で、報じ 法事の念仏をとなえて弔ってくださるので、そうだとすると 最後にはともどもに その上で生まれるはずの、同じ蓮(はちす)の台の蓮生法師法師、あなたは敵ではなかったのだ、どうかわたくしの跡を弔ってください、跡を弔ってくださいませ。 (日本古典文学全集の現代語訳)

「つひには共に生まるべき」の箇所だけれど、「生まる」は「埋まる」と掛けているのではないだろうか。

「共に死んで地中の埋まる身だから」という裏の意味があるのではと想像してみると、少し「敵にてなかりけり」という言葉も理解できるように思う。

「同じ蓮(はちす)の」という詞章は、蓮の地中の根、地上の花の両方をさしているのではないだろうか。

「わたしと同じように、あなたも共に地中に葬られる身なのだから」と仄めかしつつ、幽霊が「跡弔ひて賜(た)び給へ」と言っているのでは…と考えてみたのだが、そんな意地の悪い幽霊はいないだろうか?

答えのでないまま頁をとじる。

2018/10/11読了

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チェスタトン「マンアライヴ」二部四章第430回

成人した人物であるという不利な状況は悩ましい。でも、そのせいで有利なこともある。だから礼儀正しく述べるとしよう。短気はもちろん、長い言葉を使ってでも、いばりちらかされることはないと。それから皆さんの仕事が順調に進んでいると考えることにしよう。なぜなら、皆さんは、間違っていたということに、いつも気がつくからですよ。でも、こうした感情にかられることもなくなりましたから、言っておかないといけません。ピム博士のことを、パルテノンやバンカーズ・ヒルのモニュメントよりも、もっと美しい世界の装飾品だと考えているとね。さて、ここでイノセント・スミス氏が多くの結婚関係をむすんでいたということについて、私の意見をまとめたいと思います。

I suffer from all the disadvantages of being a grown-up person, and I’m jolly well going to get some of the advantages too; and with all politeness I propose not to be bullied with long words instead of short reasons, or consider your business a triumphant progress merely because you’re always finding out that you were wrong. Having relieved myself of these feelings, I have merely to add that I regard Dr. Pym as an ornament to the world far more beautiful than the Parthenon, or the monument on Bunker’s Hill, and that I propose to resume and conclude my remarks on the many marriages of Mr. Innocent Smith.

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2018.10 隙間読書 Lovecraft “The beast in the Cave”&ラヴクラフト「洞窟の獣」大瀧啓裕訳

ラブクラフトが15歳になったばかりのときに書かれた作品。現在残されている作品で一番初期のもの。

原文 “The beast in the Cave”はネット上に公開されている。

「洞窟の獣」大瀧啓裕訳はラヴクラフト全集7に収録。(東京創元社)


15歳になったばかりの作品ながら、洞窟をめぐる観光ツアー途中でひとり道をはずれて洞窟のなかで迷子になる恐怖、洞窟のなかにひそむ生き物が近づいてくる音の不気味さ、その生き物の正体の哀しさ…とラヴクラフトらしい怖さの萌芽を感じる作品。


でもそこは15歳だから、まだうまく書くことができないで苦労しているところも。そのひとつが音の描写。洞窟内だから音がずいぶんと出てくるのだが、音の表現に苦労している様子が伝わってくる。

The sound was of a nature difficult to describe. It was not like the normal note of any known species of simian, and I wondered if this unnatural quality were not the result of a long-continued and complete silence, broken by the sensations produced by the advent of the light, a thing which the beast could not have seen since its first entrance into the cave. The sound, which I might feebly attempt to classify as a kind of deep-toned chattering, was faintly continued. 

その声はいいようのない性質のものだった。既知のいかなる類人猿の声ともちがっていて、もしかしてこの異様な性質は、生物が洞窟にはじめて入りこんで以来見ることのできなかった、光の到来が生ぜしめる興奮によって破られた、長く続く沈黙の結果ではないかと思った。

最後のほうで出てくる文である。これまでにも何度か音の描写が出てきているせいか、ラヴクラフト少年はThe sound was of a nature difficult to describe. とギブアップ気味で微笑ましい。直訳すれば「描写することが難しい」と言っていて、訳者の大瀧氏の方がラヴクラフト少年の舌足らずな英文を補おうと、「音」を「声」と訳されたりしている。


一方で前半の部分には、音の描写で怖さをうまく出しているなあと思うところもある。

Now the steady pat, pat, of the steps was close at hand; now very close.

「いまや着実な足音が間近に迫っていた。」大瀧訳

“the steady pat, pat, of the steps”という響きが、「ひたひた」的な感じが伝わってくるかのよう。さらに”close at hand”と言ってから”now very close”と言い添えている語と語の息のバランスは、だんだん迫ってくる感じをよく表していると思う。


ラヴクラフトらしい音の表現へと、いつ頃からと変化していくのだろうか…以降の作品も読んでみたいと思いつつ頁を閉じる。

2018/10/10読了

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チェスタトン「マンアライヴ」二部四章第429回

「その最後の段階だが」マイケル・ムーンは静かに言った。「一連の出来事をとおして、圧力をかけてきた愚かな感情から、私は解放されるかもしれない。始まりも、途中の過程もすべて吹き飛ぶぞと言えばいいのだから。失われた輪とか、そういう類のものは、子供相手にはいいだろう。だが、私が話をしているのは、ここにいる全員が知っていることについてなんだ。我々が知っている失われた輪とは、彼が行方不明中ということなんだ。しかも彼は行方不明になろうはずがない。私たちが彼について知っていことと言えば、頭は人間だけれど怖ろしい尻の持ち主だということである。まさに「頭なら勝ち、尻なら負け」という古い遊びそのものの姿である。もし、やつの骨を発見すれば、はるか昔に彼が生きていたことが証明される。もし、やつの骨を発見しなければ、どのくらい前に彼が生きていたかが証明される。そういう愉快なことなんだよ。君が首をつっこんでいるスミスの件は。スミスの頭は、肩に比べたら小さいから小頭症とも言える。もし頭が大きかったなら、脳水腫と呼んでいただろう。哀れな老スミスの後宮が多様性に富んでいるかぎり、多様性とは狂気の印なんだ。でも今、後宮が白黒画面であることが判明しつつあるから、単一性が狂気の印なんだ。

“At this late stage,” said Michael Moon very quietly, “I may perhaps relieve myself of a simple emotion that has been pressing me throughout the proceedings, by saying that induction and evolution may go and boil themselves. The Missing Link and all that is well enough for kids, but I’m talking about things we know here. All we know of the Missing Link is that he is missing—and he won’t be missed either. I know all about his human head and his horrid tail; they belong to a very old game called `Heads I win, tails you lose.’ If you do find a fellow’s bones, it proves he lived a long while ago; if you don’t find his bones, it proves how long ago he lived. That is the game you’ve been playing with this Smith affair. Because Smith’s head is small for his shoulders you call him microcephalous; if it had been large, you’d have called it water-on-the-brain. As long as poor old Smith’s seraglio seemed pretty various, variety was the sign of madness: now, because it’s turning out to be a bit monochrome—now monotony is the sign of madness.

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チェスタトン「マンアライヴ」二部四章第428回

「今のところ、ムーン氏の主張は」ピムが割り込んだ。「こう言えると思う。たとえ正直に言ったとしても、イノセント・スミスの犯罪めいた考え方と調和しないものではないと。私たちが言い続けてきたことではないか。学問がよせる期待とは、そうした複雑さなのである。生まれついての魅力というものに、女性のなかでも特定のタイプ、好色な女性はひきよせられるわけだが、それは犯人のもっとも知られている点であって、狭い視野で考えるのではなく、導入と発展の光に照らして考えたときにー」

“Mr. Moon’s contention at present,” interposed Pym, “is not, even if veracious, inconsistent with the lunatico-criminal view of I. Smith, which we have nailed to the mast. Science has long anticipated such a complication. An incurable attraction to a particular type of physical woman is one of the commonest of criminal per-versities, and when not considered narrowly, but in the light of induction and evolution—”

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2018.10 隙間読書 小二田誠二「死霊解脱物語聞書」

江戸時代の怪談「死霊解脱物語聞書」を小二田誠二氏が翻刻、現代語訳と解説をつけて白澤社より発行した本。

「死霊解脱物語聞書」は、残寿という僧によって元禄三年(1690年)に印刷、出版された。


今の茨城県常総市、かつての羽生村で実際に「菊」という娘に起きた憑依事件を、後の増上寺、祐天寺の祐天上人が静めた経緯について、祐天や事件を目撃した人から、残寿という僧が話を聞いて記録したもの。実話をまとめているという点で、怪談噺や怪談物語とは異なるもの。


少しばかりの田畑はあるけれど、容姿が醜い累。夫の与右衛門は畑仕事からの帰り道、累を淵につき落として殺害してしまう。その後、与右衛門は六人の女と再婚するけれど、妻は子供を産まずして次々と死んでいく。ようやく六人目のの女とのあいだに菊という娘をもうけたが、その娘に累の霊が憑依して…という話。


村人たちが祐天上人に頼んで累の霊を静めるけれど、累はいったん成仏して静まっては、何度も戻ってきて菊に憑依。「供養塔をたてろ」とか、「早くたてろ」とかイチャモンをつける。

怖くもあるけれど、そのイチャモンのつけ方が人間らしいというか、どこか滑稽味があって、こわいけどおかしい…という不思議な感覚に。たとえば

其時怨霊気色かわって、ああむつかしのりくつあらそひや。

小難しい理屈なんて知ったことか!

英国の小説を読んでいても、悲しい場面、怖い場面の筈なのに、どこか笑いのおきる場面がよくあって、そのユーモア感覚がなかなか理解するのが難しい。

日本の古典文学も、能にしても、浄瑠璃にしても、悲しい場面、怖い場面なんだけど、笑わせる場面があるように思う。このユーモア感覚は、英国文学と相通じるものがあるのではなかろうか?


さらに菊には新たな霊がとりつく。祐天上人が問いただせば、その霊は累の異父兄にあたる男の子の霊なのだと答える。兄は醜い容貌のため、母によって川に沈められた。その後、生まれてきた累の容貌は、兄とうり二つの醜さ。

「死霊解脱物語聞書」は、恨み、呪いのマトリョーシカみたいな記録談なのである。


作者「残寿」については記録がないようだが、どういう思いでこの話を記したのだろうか?

祐天上人の素晴らしさをたたえるため?地獄、極楽をつたえるため?

むしろ恨み、呪いのマトリョーシカみたいな人間の生きざまを伝えたかったのでは? だから筆者の名前も「残寿」、「残された命(恨み)」なのでは?

もしかしたら累の怨念が、この記録を残したのでは?という気すらしてくる。

この累の恨み、呪いのつらさ、切なさが人々の心に残って、三遊亭圓朝「真景累ヶ淵」、歌舞伎「法懸浜松成田利剣」「解脱衣楓累」、馬琴「新累解脱物語」が生まれたのだろう。

恨み、呪いという感情の強さを思いつつ、静かに頁をとじる。

2018年10月8日読了

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2018.10 隙間読書 M.R.James “CANON ALBERIC’S SCRAP BOOK” & M・R・ジェイムズ「アルベリックの貼雑帳」紀田順一郎訳

原文はグーテンベルクより

M・R・ジェイムズ怪談全集1(創元推理文庫)紀田順一郎訳


英国の怪談の時期は冬なのだと言う。炉辺にあつまり、みんなで怪談を楽しむものらしい。そんな風景を思い浮かべながら「アルベリックの貼雑帳」を読む。

舞台となるのはスペイン国境近い南仏ピレネー山脈中のさびれた村、サン・ベルトラン・ド・コマンジュ。英国の寒い、寒い冬の炉辺で語られる南仏のロマネスク教会や松の風景に、聞く者はわくわくしたことだろう。


作者M・R・ジェイムズは大学の先生で、後年、ケンブリッジ大学の副総長になった。ケンブリッジには教師や学生たちの茶話会が頻繁に催されていて、この作品もそうした席で朗読されたものとのこと。紀田順一郎氏の解説には、そうした説明が詳しく記されていて有り難い。

初めて本作品が朗読されたのは1893年10月28日、ジェイムズが43歳のとき。

大学の同僚たちを相手に、南仏ロマネスク教会が舞台の、古書にまつわる怪談を披露したとのこと。古書愛も、南仏の古い教会への憧れも共有できる親しい仲間を時にぞっとさせながらも、和やかなひと時を過ごしたのでは…と思うと、ジェイムズ先生やその仲間の先生たちの笑い声、息をのむ声が聞こえてくるよう。


紀田氏の解釈の仕方も、キリスト教の用語も勉強になることが多く有難い。

ただ翻訳とは、とりわけ文学の翻訳は、複数の訳者が訳すうちにだんだん作者の世界に近づいてくるもの。とりわけ幻想文学の翻訳は解釈の余地がいろいろあるだけに五通りくらいの訳のパターンがあればいいのだが、そんなに読者がいるわけもなく…。

紀田氏の訳が…ということではなく、M・R・ジェイムズが言いたかったこととは…と考えたときにひっかかったことを以下にメモ。


疑問1 この”he”とは何か? ここで”he”と言っている狂気も怖いのでは?

何か所か寺男が主人公デニスタウンに語りかけているときに、”he”と言っている箇所がある。紀田氏は主語を省略して訳されている。

この”he”とは何なのか? フランスの田舎の寺男が英語を知らずに使ったのかとも思ったのだが…。そうではなく寺男が怯えている存在なのでは? そうであれば、もう少し仄めかして訳した方が怖い気がする。

Then, monsieur will summon me if—if he finds occasion; he will keep the middle of the road, the sides are so rough.

「それなら旦那、いつでも呼んでくださいましーもし必要ならば、の。道は真中を歩くとよい。両端は凸凹しとるでな」29頁


疑問2 分かりやすく「死体」と統一して訳しているが、原文ではあえて「死体」という単語を使わず、”the being” とか “the fiigure” と仄めかしているから怖いのでは? 分かりやすさと怖さは両立しないのかも…と思った。

*All this terror was plainly excited by the being that crouched in their midst.

「かくも恐怖心をいだかせたものが何かといえば、いうまでもなく地面に横たわる死体であった」27頁

*However,  the main traits of the figure I can at least indicate,

「もっとも、その死体の特徴を列記することは雑作ない」28頁


その他の疑問3 たぶん分かりやすさ、語の響きでこう訳されたのかと思うが、少しジェイムズ先生の意図とは違うのかも…と気になったところをメモ。

*”some words to the effect that ‘Pierre and Bertrand would be sleeping in the house’ had closed the conversation.

「その中から、『ピエールとベルトランはもう眠っているだろうに』という意味の、しめくくりのことばだけが印象にのこった」30頁

*What did he do? What could he do?

彼はどうすべきであったろうか? 何ができたろうか?

*Deux fois je l’ai vu: mille fois j`ai senti.

「わしは二回見とる。千回見たというほうがあたっているかも知れんがね。」34頁

*I had no motion they came so dear.

たいした物いりでもないしと思うしね」36頁


南仏ロマネスク教会怪談、古書怪談…ジェイムズ先生の語りも、紀田先生の語りもそれぞれの視点での語りがあるようで面白かった。

2018/10/25読了

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チェスタトン「マンアライヴ」二部四章第427回

だが思うのだが、現代におけるひどい詩人について広く研究すれば「赤い栄光の輪をいだき」とか「情熱的な赤の輪をいだき」が「頂き」と韻をふんでいる行だと推測可能だろう。この事例をもう一度考察してみると、スミスが恋におちたのは赤褐色や濃いとび色の少女だと思えるだけの理由が十分にある。いくぶん」彼は言いながら、食卓に目をおとしました。「いくぶんミス・グレイの髪のような色だ」

サイラス・ピムは前かがみになって目をつぶると、衒学趣味の質問を用意した。だがモーゼス・グールドは鼻に人差し指をあてると、ひどく驚いた表情をみせたが、きらきらした目には知性がひかった。

But I think that a wide study of the worst modern poets will enable us to guess that `ringed with a glory of red,’ or `ringed with its passionate red,’ was the line that rhymed to `head.’ In this case once more, therefore, there is good reason to suppose that Smith fell in love with a girl with some sort of auburn or darkish-red hair—rather,” he said, looking down at the table, “rather like Miss Gray’s hair.”

Cyrus Pym was leaning forward with lowered eyelids, ready with one of his more pedantic interpellations; but Moses Gould suddenly struck his forefinger on his nose, with an expression of extreme astonishment and intelligence in his brilliant eyes.

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チェスタトン「マンアライヴ」二部四章第426回

さて最初の妻の話をしよう。そこで気がつくのは常軌を逸した恋人の存在だ。彼は「ロバみたいな馬鹿者」と言われると、ロバはいつでも人参を追いかけるからと答えた。そうした考え方は、レディ・ベリントンによれば意味もないものだし、村の愚か者たちが食卓でで話題にするような類のものだ。でも、そうした話が意味をもってくるのは、ポリーの髪が赤いと考えるときである。その次の妻の話に進もう。彼が女子校から連れ出した女性だ。ミス・グリッドレーの言葉によれば、問題の娘は赤茶のドレスを着ていて、その服装は更にあたたかみのある髪の色によく似合っていた。言い換えれば、娘の髪は赤茶よりも赤い色ということになる。最後にロマンチックなオルガン弾きが事務所で吟じた詩の件だが、それはわずか数語しかわからない。

「ああ生き生きとした、神聖な頭よ。

輪をいだきー」

Now when we come to the next wife, we find the eccentric lover, when told he is a donkey, answering that donkeys always go after carrots; a remark which Lady Bullingdon evidently regarded as pointless and part of the natural table-talk of a village idiot, but which has an obvious meaning if we suppose that Polly’s hair was red. Passing to the next wife, the one he took from the girls’ school, we find Miss Gridley noticing that the schoolgirl in question wore `a reddish-brown dress, that went quietly enough with the warmer colour of her hair.’ In other words, the colour of the girl’s hair was something redder than red-brown. Lastly, the romantic organ-grinder declaimed in the office some poetry that only got as far as the words,—

`O vivid, inviolate head,
Ringed —’

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