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メタ情報
2018.05 隙間読書 菊池寛「百鬼夜行『本朝綺談選』より」
作者:菊池寛
初出:「新小説」1924年
文豪山怪奇譚
付記によれば、白梅園鷺水の作品「お伽百物語」を、菊池寛が翻刻した作品らしい…文のリズムに慣れるのに少し時間がかかってしまった。
富田無敵という剣術の師は、山中で僧に出会う。実はその僧は山賊強盗であった。でも無敵が強いのは分かっているから追いはぎはしないと言って、家に連れ帰るともてなす。
僧の息子も強盗であった。その腕前には怖ろしいものがあるから、僧は「手討ちに」するように無敵に頼みこむ。
無敵と息子「林八」との対決の描写が何とも生き生きとしていて、思わず引き込まれるものがある。
「林八は手に馬鞭一本を取たるばかりにして刃物をもたず。無敵はあまり心やすき事におもひ常に鍛錬せし弾丸をもつて。只一ひきにと打かくるに。鞭をあげてあやまたず敲落(たたきおと)し。その儘飛あがりてたちまち梁のうへにあり。こはいかにとはたとい打ば。飛ちがえて無敵が後にあり。払へれば前くくれば右手あるひは戸のさんを走り。鴨居に立壁をつたふ事蜘蛛よりも早く」
こんなふうに米八に翻弄される剣術遣いに、「無敵」とつけるなんて作者のユーモアを感じないではいられない。
でも最後、無敵がその屋敷を探そうとしても「道の違ひたるにや終に二たび逢事なしとぞ」という終わり方は怪談のよう。面白い、けれど怖い…という味わいのある作品のような気がした。
読了日:2018年5月10日
2018.05 隙間読書 本堂平四郎「秋葉長光ー虚空に嘲るもの」
作者:本堂平四郎
文豪山怪奇譚収録
主の命により急ぐ荒川卓馬は、夜間の立ち入りが禁じられた山に入る。卓馬の刀の傷をねらうように襲いかかる魔物たち。
刀とは、こんなふうに語るものかと知った…。
まずは卓馬のさしている刀の描写。
「彼はニ天流の達人である。左近将監(しょうげん)作二尺六寸五分の名刀を、四寸練り上げて手頃に仕立て、応永康光作一尺八寸の脇差を添え」
1935 年頃の作品のようだが、当時であればこの描写を読めば「おおー」と感動できる人たちがいたのだろうか? 私には思い浮かべることも難しいが。
最後の段落は、こんなふうに刀を語る語があるのかと衝撃をうけた。
「光忠が創意の重華丁子(じゅうかちょうじ)の刃渡し、影映りという美しき肌を現わし、気品もあり、花実兼備の刀である。桜の花を重ねたような刃縁に、匂い深く」
刀を語る日本語を知らない私には、話の内容よりも、刀を語る言葉の豊かさに驚いてしまった。
2018年5月10日読
チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第309回
「それにしても、なぜ?」私は訊ねました。「その人形の家に戻りたいと思うのです? ノラのように、しきたりに対して大胆に挑んでいるのですよ。月並みな意味で、不面目な思いをされてまで、思いきって自由になろうとしているのではありませんか。それなのに自分の自由を謳歌しようとしないのですか? 現代の偉大な作家たちが指摘しているように、結婚と呼んでいるものは気分的なものにすぎません。そうしたものを置いてくる権利があなたにはあります。髪の毛を切るときのように。爪をとぐときのように。ひとたび抜け出したなら、世界が目の前に広がるのですよ。こうした言葉は奇妙なものに思えるかもしれませんが、ここロシアにおいて、あなたは自由なのです」
“`But why?’ I asked, `should you wish to return to that particular doll’s house? Having taken, like Nora, the bold step against convention, having made yourself in the conventional sense disreputable, having dared to be free, why should you not take advantage of your freedom? As the greatest modern writers have pointed out, what you called your marriage was only your mood. You have a right to leave it all behind, like the clippings of your hair or the parings of your nails. Having once escaped, you have the world before you. Though the words may seem strange to you, you are free in Russia.’
2018.05 隙間読書 皆川博子「蝶」
作品ですべてを語りきろうとはせず、主人公「玄吉」の思いと重なる短歌をところどころに散りばめ、短歌に玄吉の思いを凝縮。作品を読んではインパール戦線の場面、海辺の司祭館での平穏退屈な場面、ダッフルコートの少女と犬がたわむれる場面…それぞれの場面が脳裏にうかび、そこに挟まれた短歌に玄吉の思いをつきつけられる作品。
「冬に入る白刃のこころ抱きしまま」ー別所真紀子ー
インパール戦線より生還した玄吉が戦場で体験してきたもの、敗戦後の虚無感、やるせなさを伝える歌で始まる。
「萬緑や死は一瞬を以て足る」ー上田五千石ー
海辺の司祭館で平穏退屈な生活をおくっている玄吉。だが、この歌が伝えているのは、戦場の記憶だろうか? それとも緑につつまれたかのような平穏さを吹き飛ばす出来事だろうか?この歌で暗示されるものに緊張がはしる。
海辺にきたロケ隊にいた少女。少女と玄吉の淡い心の寄せ合いがせつない。
「戻ってくる少女とすれちがった。フードの陰から、少女ははっきりと彼をみつめ、会釈した。少女の顔は少し上気した。なおも丘をのぼる彼を、一瞬、ひきとめたそうな様子をみせたが、そのまま、火のほうに走り去った。
堀くぼめた穴に小用をすませた痕には、つつましく雪をかぶせてあった。ごく微かなぬくもりをもった湿気の気配を、彼は感じた。つられて尿意をおぼえたが、同じ場所は避けた。雪が薄黄色く汚れていくのを見た。」
少女は玄吉を意識しているようなのに、玄吉は小用の場所も変え、自分の尿がかかる雪も「薄黄色く汚れていく」ように思えるのは過去への罪の意識からだろうか?
「テイクツー。そんな言葉が耳をかすめた。」
ロケ中の言葉であると同時に、玄吉の心を示唆する言葉にも思える。インパール戦線を体験してきた自分を忘れ、犬とたわむれる少女との新しい第二シーンへ進みたい…そんな玄吉の思いと「テイクツー」は重なっているのではないだろうか?
最後の歌は何とも哀しい。
次の世もまた次の世も黒揚羽 ー今井豊ー
滾り立つもの皆眠らせよ春の雪 ー音羽和俊ー
玄吉は我が身を、黒揚羽のように不気味な、忌むべき存在だと考えたのだろうか? しかも「次の世もまた次の世でも」と絶望しきっているところに、戦争体験が深い影をおとしているのだなと思った。
2018年5月9日読了
チェスタトン「マンライヴ」二部三章第308回
子供時代に聞いた民間伝承のせいで、私はまだ阿呆のように黙ったままでした。そして私がまだ話せないでいるのに、英国人は身をのりだしてきて無遠慮に耳打ちをしました。
「僕は大きなものを小さくする方法を見つけた。つまり家を、人形の家に変えてしまう方法を見つけたんだ。対象からずっと離れてみればいい。神はすべての事物をおもちゃに変えてしまうけど、それは距離という素晴らしい神からの贈り物のおかげだ。いちどレンガの、古い我が家を見てみよう。地平線上に小さく見えている家だよ。するとそこに戻りたくなる。そして僕はみる。おもちゃのように小さく、おもしろい形をした緑の街灯を、門の横にたっている街灯を。愛しい者たちが人形のように小さな姿となって、窓から見ている姿を。僕の人形の家では、窓はほんとうに開くのだから」
“Something from the folk-lore of my infancy still kept me foolishly silent; and before I could speak, the Englishman had leaned over and was saying in a sort of loud whisper, `I have found out how to make a big thing small. I have found out how to turn a house into a doll’s house. Get a long way off it: God lets us turn all things into toys by his great gift of distance. Once let me see my old brick house standing up quite little against the horizon, and I shall want to go back to it again. I shall see the funny little toy lamp-post painted green against the gate, and all the dear little people like dolls looking out of the window. For the windows really open in my doll’s house.’
2018.05 隙間読書 宮沢賢治「河原坊」
作者:宮沢賢治
文豪山怪奇譚収録
山のなかで「わたし」が体験する幻視、そして覚醒をえがいている。
最初は眠さにおそわれて…。
寒さとねむさ
もう月はただの砕けた貝ぼたんだ
さあ、ねむらうねむらう
…めさめることもあらうし
こうして「わたし」はだんだん幻想のなかに入っていく。
…半分冷えれば半分からだがみいらになる
…半分冷えれば半分からだがみいらになる
…半分冷えれば半分からだがみいらになる
この不思議な、切ない響きの言葉の繰り返しは、幻視の世界への呪文のよう…「わたし」の幻視がはじまっていく。
現実の世界へと「わたし」を戻すのは音。「声が山谷にこだまして」や「鳥がしきりに啼いてゐる」という音に現実に戻っていく。
うとうとしているうちに体がひえ、最後、物音で正気にかえる…とは、まるで山で実際に不思議な体験をしてきたよう…。
最後の編者東雅夫氏の解説によれば「宮沢賢治もまた、大の山好き、おばけ好きにして、実際におばけを視る人でもあった」ということで、大昔にあった寺の読経が聞こえてくる早池峰山で不思議な僧に会ったときの体験談が紹介されていた。
「…半分冷えれば半分みいらになる」と私もつぶやいてみたくなる作品。
読了日:2018年5月9日
チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第307回
「『人形の家』のノラのことですよ」私は答えました。
この言葉にとても驚いた様子でしたので、彼は英国人なのだと思いました。英国人ときたら、ロシア人は勅令のことしか学んでいないと常々思っているものですから。
「人形の家だって?」彼は語気を強めました。「とんでもない。その作品こそが、イプセンの誤謬ではないか! 家の目的とは、人形の家になることにあるのではないか? 覚えていないのか? 子供のころ、人形の家の小さな窓が、どれほど窓らしかったことか。一方、家の大きな窓ときたら窓らしくなかった。子供は人形の家を持っていて、正面の扉が家の中へと開かれると、きゃっと歓声をあげる。銀行家は、ほんとうの家を持っているよ。でも、嫌になるくらい多いんだ。ほんとうの正面玄関が家の内側にむかって開かれても、かすかな吐息ももらさない銀行家が。」
“`I mean Nora in “The Doll’s House,”‘ I replied.
“At this he looked very much astonished, and I knew he was an Englishman; for Englishmen always think that Russians study nothing but `ukases.’
“`”The Doll’s House”?’ he cried vehemently; `why, that is just where Ibsen was so wrong! Why, the whole aim of a house is to be a doll’s house. Don’t you remember, when you were a child, how those little windows WERE windows, while the big windows weren’t. A child has a doll’s house, and shrieks when a front door opens inwards. A banker has a real house, yet how numerous are the bankers who fail to emit the faintest shriek when their real front doors open inwards.’
2018.05 隙間読書 岡本綺堂「くろん坊」
「くろん坊」
作者 : 岡本綺堂
文豪山怪奇譚収録(山と渓谷社)
時は江戸末期の文久二年の秋、場所は越前の国のあたり。私の叔父は山道を歩いている途中で、若い僧が一人で暮らしている家を見つけた。僧は鎌倉で修行してきた者で、もう父も、母も、妹もこの世を去っているのだが、「ある物にひき留められて、どうしてもここを立ち去ることが出来なくなりました」と言う。
叔父は僧に頼みこみ一夜の宿を借りるが、寝ていると奇妙な音を耳にする。何の音だか正体は明らかでないけれど、その音の不気味さがひしひしと伝わり、この世の音ではないことが察せられるような文である。
「何となしにぞっとして、叔父はなおも耳をすましていると、それはどうしても笑うような声である。しかも生きた人間の声ではない。さりとて猿などの声でもないらしい。何か乾いた物と堅い物が打ち合っているように、あるいはかちかちと響き、あるいはからからとも響くらしいが、又あるときには何物かが笑っているようにも聞こえるのである。その笑い声ーもしそれが笑い声であるとすれば、決して愉快や満足の笑い声ではない。冷笑とか嘲笑とかいうたぐいのいやな笑い声である。いかにも冷たいような、うす気味の悪い笑い声である。その声はさのみ高くもないのであるが、深夜の山中、あたりが物凄いほど寂寞としているので、その声が耳に近づいてからからと聞こえるのである。」
このあたりには、くろん坊と呼ばれる猿でもない、人でもない生き物がいた。僧の両親くろん坊に仕事を頼むとき、ついうっかり娘の婿にと冗談で約束してしまい、それが悲劇を生んだ。
ある物にひき留められた僧の心境はいかに? 両親・妹、そしてくろん坊を哀れんでいるのだろうか?
からからという音が、その音がかなでられる光景が、いつまでも心から消えない。
2018年5月7日読
チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第306回
「いや、そんなことを言っているんじゃない」彼は大声で言いました。「ぼくが言いたいのは現実にある家なんだ、生きている家なんだ。
それは本当に生きている家なんだ。ぼくから走って逃げたくらいなんだから。」
恥ずかしいことながら正直に申し上げると、彼の言葉のどこかに、彼の身振りのどこかかに、心の底から感動してしまいました。私たちロシア人は民間伝承に親しんで育っているものですから、その悪しき影響が、子供たちの人形にも、イコンにも、鮮やかな色となっているのが見てとれるでしょう。しばし、男から走り去る家という考えに私は喜んでしまいました。啓蒙活動なんて、こんなふうにゆっくり浸透していくものなんです。
「ご自分の家は他にないのですか?」私は訊ねました。
「家から離れてきたのです」彼はとても悲しそうに言いました。「退屈してしまうような家ではないのに、その中にいると退屈してしまうんだ。妻は他のどんな女性より優れているのに、ぼくにはそれが伝わってこないんだ」
「それで」私は共感をこめて言いました。「正面玄関から出ると、そのまま歩いてきたのですね。勇ましいノラのように」
「ノラ?」彼は礼儀正しく訊ねましたが、ロシアの言葉だと思っていることは明らかでした。
“`Oh! I don’t mean that,’ he cried; `I mean a real house—a live house.
It really is a live house, for it runs away from me.’
“`I am ashamed to say that something in his phrase or gesture moved me profoundly. We Russians are brought up in an atmosphere of folk-lore, and its unfortunate effects can still be seen in the bright colours of the children’s dolls and of the ikons. For an instant the idea of a house running away from a man gave me pleasure, for the enlightenment of man moves slowly.
“`Have you no other house of your own?’ I asked.
“`I have left it,’ he said very sadly. `It was not the house that grew dull, but I that grew dull in it. My wife was better than all women, and yet I could not feel it.’
“`And so,’ I said with sympathy, `you walked straight out of the front door, like a masculine Nora.’
“`Nora?’ he inquired politely, apparently supposing it to be a Russian word.