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チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第322回
私は教育を十分にうけていたので、音楽も愛していたし、書物も愛していました。ですが、他の混血児たちの大半がそうであるように、人々から見れば、ときには優秀でありすぎたり、ときには受け入れがたいと思われることもあったのです。いろいろなことに手をだしてみた後、孤独な生活ながら十分に暮らしてきたのは、山のなかで此の小さな酒場を営んでいたからです。でも侘び住まいをおくるうちに、野蛮人のような暮らしに近づいてきました。冬になればエスキモーのように、体の輪郭がわからなくなるほど着ぶくれます。暑い夏になればレッド・インディアンのように、皮のズボンだけをはき、太陽から身を守るため、大きな麦わら帽子をかぶります。ベルトには鞘つきナイフをつるし、わきには長い銃をかかえるのです。あえて申し上げるなら、私のいる場所へと登ってくる旅行者たちには荒々しい印象をあたえました。でも、あの男ほどには狂気にかられているとは思われなかったにちがいありません。あの男と比べたら、私は五番街の住民のような洒落者ですから。
I was well educated and fond of music and books. But, like many other hybrids, I was too good or too bad for the world; and after attempting many things I was glad enough to get a sufficient though a lonely living in this little cabaret in the mountains. In my solitude I fell into many of the ways of a savage. Like an Eskimo, I was shapeless in winter; like a Red Indian, I wore in hot summers nothing but a pair of leather trousers, with a great straw hat as big as a parasol to defend me from the sun. I had a bowie knife at my belt and a long gun under my arm; and I dare say I produced a pretty wild impression on the few peaceable travellers that could climb up to my place. But I promise you I never looked as mad as that man did. Compared with him I was Fifth Avenue.
2018.06 隙間読書 島田荘司「夜は千の鈴を鳴らす」
初出:1988年11月 光文社カッパノベルズ
まずタイトル「夜は千の鈴を鳴らす」がいい。哀しみが漂うような、不安にみちているような、それでいて美しい…読んでみたくなるタイトルである。
鉄道のトリックも、高木作品ではよく考えてみると不明だった車両への忍び込み方、線路の配置を細かく考えている。高木作品の影響をたぶん受けているのだろうが、高木作品よりもトリックを深めようとしている姿勢もいい。
登場人物、鬼島政子の上昇志向が強い人物像も、新幹線が開通したり、オリンピック放送に人々が夢中になる様子も1964年という時代設定だからこそ。失われつつある昭和の風景を伝えてくれる風俗小説としても読み応えがある。
以下の文は鬼島政子の目から見た新幹線の工事の様子である。この時代を生きた作家だからの文だろう。
毎日歩いている幸田駅までの道を上空で横切って、ある日コンクリートの高架線の工事が始まった。それは東京からやってくる夢の超特急の工事だった。ずいぶんして、それを知った。
子供の頃から見慣れている東海道線のレールとは、それは見事なくらい違った。一人の田舎娘を拒絶するように、レールは遥か上空にあった。都会の匂いに直結しているはずのその夢の鉄道は、まさに政子の憧れの高みに位置した。
ただ鬼島政子に近づいてくる草間宏司の人物像は少しぼんやりしているような気もする。なぜ鬼島が惹かれたのか、彼女ほどのやり手が草間の意図に気づかないのは不自然ではないだろうかと疑問も少々。
光文社文庫の表紙もあまりに生々しいのではないだろうか。タイトルが「夜は千の鈴を鳴らす」と詩情あふれるものなのだから、表紙もそれにふさわしいものなら…もっといいのにと思いつつ頁を閉じる。
読了日:2018年6月10日
2018.06 隙間読書 東雅夫編「山怪実話大全 岳人奇談傑作選」
2017年11月刊行
山と渓谷社
タイトルからは「山怪実話大全」と何やら怖そうな印象をうけるけれど、怖い話をやみくもにあつめた本ではないから、怖いものが苦手の向きも大丈夫。
山の不思議の数々が散りばめられたこの本の頁を繰るうちに、まるで山の交響曲に耳を傾けるかのような思いに…。ぞっと総毛だつ思いがしたかと思えば、ときには笑い、でも最後には山でたどりつくものに思いを寄せてしんみりしたり…山にまつわる様々な思いが見えてくる。
まずは冒頭、夢枕漠「不思議な山」を読んでいると、山での不思議な体験を、敬虔な気持ちで受けとめようと自然に思えてくる。
その岩尾根の内部に、天のどこかに通じる、次元を超えた穴があいていて、水はそこからやってくるーそのように考える方がよほどしっくりする光景だった。
夢枕漠「不思議な山」
そのあと読み進めれば、「灯り」「蜘蛛」「亡き友のケルンの幻」「木曽御岳の人魂」「十字架や亡霊、雪の中での火、雪女など様々な幻影」「凍死した男の幽霊」「山で遭難した友達の顔が宿のおばさんに見えていた」「誰もいないはずの山小屋でなぜか燃えていた蝋燭」…と何処か美しい山の怪談を堪能。
怪談のあとに続くのは雑誌「山」と「山と高原」合併第1号に掲載された読者懇親会の様子「山のおばけ座談会」。どこかユーモラスなオチのある話が多く、しばし心和んで怖さを忘れる。
そのあとは、辻まこと「七不思議」で始まる。
山へいけば不思議なことは七つばかりじゃない。七不思議の七は数ではなく幸運の意味の七だ。とにかく私の遭ったいくつかの不思議とは、こんなものだ。
辻まこと「七不思議」
幸運を呼ぶ七不思議はどこか懐かしくて怪しい存在の者たち。その名前をつぶやくだけで確かに幸せな気持ちになってくる。ほら!
「山男」「大蛇」「黒沢小僧」「小豆ばばさ」「地ころがし」「檜枝岐の山の神とバンデー餅、隠し婆さん、狐憑き」「雪女」「ヒマラヤの怪巨人と雪人」「野槌」「ツチノコ」「ブロッケン妖怪」「怪しの高山病」「アイヌの宝の山ユーラップ岳の怪獣」「鬼の首」「仙人と天狗」「山伏」「山男、山女、山姥」「草でも木でも命があると怒る山の神」
終わりに近づくと、「見知らぬ旅人が立ち寄ると、犬も、子供も怯えた。その旅人とは…」という怪談が少しずつ形を変えた話が収録されている。岡本綺堂「木曽の怪物」、岡本綺堂「炭焼の話」、白銀冴太郎「深夜の客」、杉村顕道「蓮華温泉の怪話」、岡部一彦「一ノ倉の姿無き登山者」。
同じような山の怪談が語られているのはなぜだろう…と思う時、冒頭の夢枕漠の「不思議な山」の一文に戻っていく。
単独行ー
これほど自分の魂を見つめる作業としてふさわしいものはないように思う。
自分の肉体を使って宇宙との交信をしようという作業にも似ている。
はがされてゆくうちに人間ですらなく、獣ですらなく、ただの自分になってゆく。そこをくぐりぬけたあげくに、もう一度、哀しい人間の肉体にたどりつく。
自分は、自分であると同時に、人間の肉体と、人間の精神を持ったものであることがわかる。
結局、哀しい人間にたどりつく。
たぶん、山の頂で、人がたどりつくのは、この人間の哀しみなのだ。
だからこそ、人はその頂から降りることができる。降りてゆくことができるのだ。
街へー
夢枕漠「不思議な山」
どこの山に登ろうとも、たどりつくのは人間の哀しみだから、降りたときに語られる山の怪談には、どこか同じような調べが聞こえるのではなかろうか…と思いつつ頁をとじる。
読了日:2018年6月7日
チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第321回
「次に読みあげる手紙は」アーサー・イングルウッドは続けた。「訴訟依頼人の奇妙な性格をはっきり示すことだろう。カリフォルニアの山からで、内容は以下のとおりである。」
「サー、この素晴らしい記述に該当する人物は、しばらく前にシエラの山道を通り過ぎていきました。そこに私は住んでいるのですが、おそらく定住しているのは私だけです。私はごく簡単な宿屋を営んでいます。山小屋よりも簡素な宿屋で、ひときわ険しい山道にあります。私の名前はルイ・ハラ、この名前のせいで私の国籍について戸惑われるかもしれません。ええ、私もそのせいでずいぶん困惑しています。十五年間社会から外れて過ごしたら、愛国心をいだくのは難しい。小さな村すらないところにいたら、国家について考えることは難しい。私の父は獰猛なアイルランド人で、昔カリフォルニアにいた連中のように銃の名人でした。母はスペインのひとで、自分がサン・フランシスコにつらなるスペインの古い家系であることを誇りにしていましたが、レッド・インディアンとの混血だと陰口をたたかれていました。
“The next letter I have to read,” proceeded Arthur Inglewood, “will probably make clear the nature of our client’s curious but innocent experiment. It is dated from a mountain village in California, and runs as follows:—
“Sir,—A person answering to the rather extraordinary description required certainly went, some time ago, over the high pass of the Sierras on which I live and of which I am probably the sole stationary inhabitant. I keep a rudimentary tavern, rather ruder than a hut, on the very top of this specially steep and threatening pass. My name is Louis Hara, and the very name may puzzle you about my nationality. Well, it puzzles me a great deal. When one has been for fifteen years without society it is hard to have patriotism; and where there is not even a hamlet it is difficult to invent a nation. My father was an Irishman of the fiercest and most free-shooting of the old Californian kind. My mother was a Spaniard, proud of descent from the old Spanish families round San Francisco, yet accused for all that of some admixture of Red Indian blood.
チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第320回
それでも私は彼の邪気のなさに耐えながら、なぜあなたは正しいのかと、あなたの国の方々が正しいと考えるのかと訊いてみました。
すると彼はこたえました。「ぼくたちが正しいのは、支配されるべき地で支配され、自由であるべき地で自由であるからだ。ぼくたちが正しいのは法を、習慣を疑い、破壊するからだ。でも、そうしたものを破壊する権利があるのかということについては疑いはしない。それというのも、あなた方は慣習にしたがって生きているが、ぼくたちは教義にしたがって生きているからだ。ぼくを見てごらん。国では、ぼくは『スミップ』と呼ばれている。国を去って、名前も完全さを損なわれたままなのは、ぼくが世界中をまわって、自分が持っていたものを探しているからなんだ。君が木々のように不動の存在でいるのは、君が信じていないからだよ。ぼくが嵐のように激しく動き回るのは、ぼくが信じているからなんだよ。ぼくは自分の家を信じている。だから、その家をもう一度見つけてみせる。やがて緑の街灯も、赤の郵便箱もとうとう見つけるだろう」
私は彼に言いました。「やがてすばらしい知恵も…」
でも私がその言葉を言いましたときに、かれは恐ろしい叫びをあげながら飛び出していき、木々のあいだに消えてしまいました。この男をふたたび見たことはありませんし、他の男を見たこともありません。賢明さという美徳は、上質の真鍮、すなわち凄まじい騒音と紙一重だと学んだように思います。
ウォン・ハイ
“And I, still enduring his harmlessness, asked him why he thought that he and his people were right.
“And he answered: `We are right because we are bound where men should be bound, and free where men should be free. We are right because we doubt and destroy laws and customs— but we do not doubt our own right to destroy them. For you live by customs, but we live by creeds. Behold me! In my country I am called Smip. My country is abandoned, my name is defiled, because I pursue around the world what really belongs to me. You are steadfast as the trees because you do not believe. I am as fickle as the tempest because I do believe. I do believe in my own house, which I shall find again. And at the last remaineth the green lantern and the red post.’
“I said to him: `At the last remaineth only wisdom.’
“But even as I said the word he uttered a horrible shout,
and rushing forward disappeared among the trees.
I have not seen this man again nor any other man.
The virtues of the wise are of fine brass.
“Wong-Hi.”
チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第319回
近づいてくると、彼は無法者らしく見えましたが、それでもその表情はとても穏やかでした。
「寺をこわせ」でも彼は言いました。「そうすれば君の神々も自由の身となるだろう」
そこで彼の単純さに微笑みながら、私は答えました。「けれど、もし神々はいないというならば、私に残されるのは壊された寺だけではありませんか。」
この言葉を聞いた大男は、理性の光があまり射し込んでいない者のようではありましたが、骨太の両手をさしだして、自分を許すようにと請うてきました。そして何を許されたいのかと訊きましたら、彼はこう答えました。
「正しいということを」
「君たちの偶像も、皇帝もとても古くからあるもので、賢いし、満足のいくものだからなんだよ」彼はわめきました。「だから、そうしたものが間違っていたりしたら、恥ずかしくなるんだ。ぼくたちは不作法なところもあるし、暴力的なところもあるから、君の国のひとにしょっちゅう酷いことをしてきた。ぼくたちが正しかったりすれば、それは恥ずかしいことなんだ」
“He came yet closer to me, so that he seemed enormous; yet his look was very gentle.
“`Break your temple,’ he said, `and your gods will be freed.’
“And I, smiling at his simplicity, answered: `And so, if there be no gods,
I shall have nothing but a broken temple.’
“And at this, that giant from whom the light of reason was
withheld threw out his mighty arms and asked me to forgive him.
And when I asked him for what he should be forgiven he answered:
`For being right.’
“`Your idols and emperors are so old and wise and satisfying,’ he cried, `it is a shame that they should be wrong. We are so vulgar and violent, we have done you so many iniquities— it is a shame we should be right after all.’
チェスタトン「マンアライヴ」二部三章第318回
「旦那様の家をみたこともなければ、ほかの家もみたことはありません」私は答えました。
「私はこの寺に住み、神に仕えている者です」
「神を信じているのか?」彼は訊いてきましたが、その目は飢えでぎらつき、犬が飢えているかのようでした。そしてこの問いかけは奇妙な質問のように思えました。神を信じる以外に何をせよと言うつもりなのでしょうか?
「旦那様」私は言った。「空が空っぽだとしても、両手をあげることは正しいことなんですよ。神様たちがいれば、喜ばれるでしょうから。もし神様たちがいらっしゃらないとしても、手をあげることで不快になる方は誰もいないでしょう。空は時には黄金色に、時には斑岩の赤紫に、時には黒檀のいろになりますが、その下にはいつも木が、寺があるのです。偉大なる孔子の教えにこういうものがあります。私たちが手や足でいつも同じことをしていたら、賢い獣や鳥もそうするでしょう。私たちも頭をつかえば、多くのことを考えるかもしれません。そうです、旦那様、たくさんのことを疑ってみなさい。正しい季節に米をあたえるなら、正しいときにランタンに火をともすなら、神がいても、いなくても問題ではないのです。こうしたものは神を慰めるためにあるのではなく、人間を慰めるためにあるのですから」
“`I have not seen your house nor any houses,’ I answered.
`I dwell in this temple and serve the gods.’
“`Do you believe in the gods?’ he asked with hunger in his eyes, like the hunger of dogs. And this seemed to me a strange question to ask, for what should a man do except what men have done?
“`My Lord,’ I said, `it must be good for men to hold up their hands even if the skies are empty. For if there are gods, they will be pleased, and if there are none, then there are none to be displeased. Sometimes the skies are gold and sometimes porphyry and sometimes ebony, but the trees and the temple stand still under it all. So the great Confucius taught us that if we do always the same things with our hands and our feet as do the wise beasts and birds, with our heads we may think many things: yes, my Lord, and doubt many things. So long as men offer rice at the right season, and kindle lanterns at the right hour, it matters little whether there be gods or no. For these things are not to appease gods, but to appease men.’
2018.05 隙間読書 高木彬光「人形はなぜ殺される」
初出1955(昭和30)年
光文社文庫
高木彬光は、言葉のセンスにも、物語の雰囲気づくりのセンスにも優れたミステリ作家だなあと一人盛り上がりつつ読んだ。
まずタイトルがいい。そして各章の章題もいい。舞台が興津という設定も風光明媚、要人の別荘地でありながら派手でないところもいい。作品で大きな役割をはたす急行の名前も「月光」に「銀河」というところもいい。
「人形はなぜ殺される」というタイトルの不思議さに心奪われ、本をひらいて目次を見れば、こんな素敵な章題があるなんて…と驚いてしまう。
各幕各場には、章題の域をこえた美しさ、妖しさ、リズム感がある題がならんでいて、これはもうミステリ詩のようではないか。目次をながめているだけでワクワク、満足である。
以下にタイトルと各章の章題をすべて書いてみた。右側緑の字で書かれているものは、1955年初刊本のものだそうである。(山前謙氏の解説参照)
「人形はなぜ殺される」
序詞 ← 序奏
第一幕 断頭台への行進 ← 断頭台の女王
第一場 魔術への招待
第二場 処刑の前の首盗み
第三場 起こらなかった惨劇 ←魔術の公理第一条
第四場 処刑の後の首盗み
第五場 女王の処刑
第六場 友の屍をふみ超えて ← あわれなる犠牲者よ汝の名は
第七場 捜査の常道 ← 誤れる捜索
第八場 ガラスの塔にて
第九場 黄金の魔術師
第十場 首を斬ったり斬られたり ← 精神病院の首斬り娘
第二幕 月光協奏曲
第一場 無名の手紙
第二場 興津への招待
第三場 殺人の場
第四場 人形はまた盗まれた
第五場 月光の客
第六場 犯人はこの中にいる ← 犯人はこの中にいる!
第七場 人形と人間の轢死体
第八場 西走東奔 ← スィッチ・バック
第九場 悪魔の側のエチケット ← 悪魔の公理第二条
第十場 人形の足跡
第三幕 悪魔の会議の夜の夢 ← 黒いミサの犠牲
第一場 世にも不思議な大魔術
第二場 刺されたトーテム
第三場 偽悪者詩人
第四場 魔法使いの弟子
第五場 日本巌窟王
第六場 オールド・ブラック・マジック
第七場 黒いミサ
第八場 獅子の座にこそ直りけれ
第九場 黒い手帳の秘密
第十場 ダンケルクの敗退
読者諸君への挑戦
第四幕 人形死すべし
第一場 舞台裏の対話
第二場 そなたの首をちょいと斬るぞ ← 首のない人形
第三場 黄金の城の崩壊
第四場 入らなければ出られない
第五場 その杯をほすなかれ
第六場 魔術破れたり
私の近況
「起こらなかった惨劇」より、「魔術の公理第一条」の方が、想像がつかないから楽しいかなあ…?
「首を斬ったり斬られたり」も印象が強いけど、「精神病院の首斬り娘」もいいかなあ…?
「首盗み」って辞書にはないけれど、高木彬光の造語なんだろうか? 怖いけれど素敵なセンス!
そんなことを思い、初版の章題、現行の章題を見比べるだけで楽しく時が過ぎていく。ミステリとしての楽しさは読書会で教えて頂き、皆様と盛り上がろうと思いつつ頁をとじる。
読了日:2018年5月31日