アビジット・バナジー 「なぜ貧困と戦うことは難しいのか」

1-4 貧しさの研究にもっと参加してみる

 

村のエリートが貧しさを証明して記録していくという事実は、なぜ人が変われば、貧しさへの取り組みが著しく異なってくるのかということを示す理由のひとつになるのかもしれない。なぜ(村のように)小さな社会なら、自分たちのなかで本当に貧しい者を見つけることができるという事実を利用しないのだろうか。そして一人一人の村人には歪曲したくなる理由がはっきりと十分にあるけれど、もし情報を十分にたくさん集めたら、歪曲したくなる理由もトーンダウンされるかもしれない。

 

インド最大のマイクロ・ファイナンス協会のバンダムは、こうした取り組みを活用して、彼らのウルトラ貧困プログラムの恩恵をうける人を決めた。このプログラムのもとで、マイクロ・クレディットの傘下に置かれた人々と同じくらいに貧しいと定義された家族には、「財産」という贈り物(牛が一頭であったり、山羊が二、三匹であったり、脱穀調整器であったりする)をしたり、短期の収入補助を与えた(財産から負債を払い終えるまでのあいだ)。このおかげで人々は悲惨な貧困から永遠に救われるかもしれないという希望をいだき、村の貧乏な人たちの中でも主流をなす人々の中にはいりはじめた。ウルトラ貧乏を定義するために、このプログラムを最初に提案したバングラディッシュのNGOのBRACによって研究された方法にしたがって、バンダンは参加型農村評価(PRAs)を村で実行した。PRAにおいては、村の様々な部門から抽出された最低でも12人の村人が一緒に座り、それぞれの家庭がどの居住地にいるのかという村の地図をうめた。それから家庭を、一番貧しいグループから一番豊かなグループまで六つのグループに分けた。PRA(参加型農村評価)の結果、バンダムは低く評価された家庭から、およそ30の家庭を選んだ。

 

バンダンの調査はここでとまらなかった。その後、この30の家庭について財産や他の情報をあつめ、最終的に10の家庭がウルトラ貧困のプログラムの対象となるように選んだ。しかしながら私たちは、とても貧しい人を対象とするPRAの効果について関心をもったが、ある点、PRAの効果はこの取り組みの有効性を証明している(2008年のバナジー、カトパデェー、デュフロ、サピロを参照)。PRAの下二つのグループに分けられた人々が所有する土地は、調査された他の人々より0.13エーカー少ないのだが、やがてこうした人々が所有する平均的な土地の所有とは、実際には0.11エーカーであることを知り仕方ないと思う。同じようなことだが、調査した村民のうち34%がいつも十分な食事をとっていないが、この割合はPRAの中でも一番貧しい二つのグループのあいだでは17%高くなる(結果として50%になる)。こうした家庭は学校教育も受けさせようとしないし、子供や障害のある家族には学校をやめさせようとする。

 

(新しく訳したところは、以下の部分です)

 

PRA(参加型農村評価)が役に立たない分野とは、消費の貧乏人を定義するときであるが、こうした村においてBPLカード(生活保護カード)も消費とは相関関係がないことに気がつく。しかしBPLカードと異なり、PRAは土地が十分ではないことを予測したり、十分な食事を二回とれないことを予測したりすることが可能である。

 

村人にはそのため、公共の福祉において、自分たちが使用することができる、あるいは使用しても構わない情報というものがある。とりわけ村人の情報というものは、貧しい人々のグループのなかでの区別を可能にするものかもしれない。

 

不幸なことに、少なくともこれらの村において、PRA(参加型農村評価)は私たちの調査の対象となった者のうち四分の一のデータを失ってしまい、そうした人々の名前はもうわからない。私たちの調査は意識して貧しい人に重点をあてているけれど、それはこうした人々が身近な問題と関連があるためである。基本的に数百人の村においても、「去る者」は「日々に疎し」のように見えるかもしれない。PRAは比較的適切でると判断した人々を分類しているが、見逃した人々はどうなのだろうか。

 

PRAの研究について更にもう一つ興味深いことがある。それはその取り組みが役に立つのは、平均的に貧しい人の定義づけではなく、ウルトラ貧乏にある人々を定義づけるということである。ほとんどの人がおそらく感じていることだが、ウルトラ貧乏な人より自分たちのほうが上位にあり、そのためノブレス・オブリージ(高い身分にともなう貧しい人を助ける義務)が生じ、こうした不幸な人を助けるという観点から考えるようになるということである。平均的に貧しい人を定義する場合、ほとんどの村人が感じることとは、他の人も同じように援助を受けるのがふさわしいということであり、そのため意見が一致しなかったり争いになったりする。

 

それにもかかわらず、こうした水先案内の試みの結果は大いに見込みのあるものなので、これらの事柄をもっと研究するべきである。おそらく二つの試みを行うべきであろう。まず、財産にもとづいて貧乏だという可能性のある人の一覧を考えてみなさい。それから村の人々に、優れた情報にもとづいてリストを書いてもらいなさい(忘れ去られる人々がでる危険を減らすためである)。これと同じような、異なる試みを混合しながら考えることができるだろう。進行中の研究では、レマ・ハンナ、ベン・オルケン、ジュリア・トビアス、そしてMITのアデュル・ラティフ・ジヤミール反貧困ラボからは私が加わり、ヴィヴイ・アトラスとジャマイカにある世界銀行の彼女のチームが考えた実験とは、調査の効率を厳しく比較するためのものであり、貧しさを定義するための方法であり、こうした複数の試みを研究するものである。

 

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アビジッと・バナジー 「なぜ貧困と戦うことは難しいか」4回

1-4 貧しさの研究にもっと参加してみる

村のエリートが貧しさを証明して記録していくという事実は、なぜ人が変われば、貧しさへの取り組みが著しく異なってくるのかということを示す理由のひとつになるのかもしれない。なぜ(村のように)小さな社会なら、自分たちのなかで本当に貧しい者を見つけることができるという事実を利用しないのだろうか。そして一人一人の村人には歪曲したくなる理由がはっきりと十分にあるけれど、もし情報を十分にたくさん集めたら、歪曲したくなる理由もトーンダウンされるかもしれない。

 

インド最大のマイクロ・ファイナンス協会のバンダムは、こうした取り組みを活用して、彼らのウルトラ貧困プログラムの恩恵をうける人を決めた。このプログラムのもとで、マイクロ・クレディットの傘下に置かれた人々と同じくらいに貧しいと定義された家族には、「財産」という贈り物(牛が一頭であったり、山羊が二、三匹であったり、脱穀調整器であったりする)をしたり、短期の収入補助を与えた(財産から負債を払い終えるまでのあいだ)。このおかげで人々は悲惨な貧困から永遠に救われるかもしれないという希望をいだき、村の貧乏な人たちの中でも主流をなす人々の中にはいりはじめた。ウルトラ貧乏を定義するために、このプログラムを最初に提案したバングラディッシュのNGOのBRACによって研究された方法にしたがって、バンダンは参加型農村評価(PRAs)を村で実行した。PRAにおいては、村の様々な部門から抽出された最低でも12人の村人が一緒に座り、それぞれの家庭がどの居住地にいるのかという村の地図をうめた。それから家庭を、一番貧しいグループから一番豊かなグループまで六つのグループに分けた。PRA(参加型農村評価)の結果、バンダムは低く評価された家庭から、およそ30の家庭を選んだ。

 

バンダンの調査はここでとまらなかった。その後、この30の家庭について財産や他の情報をあつめ、最終的に10の家庭がウルトラ貧困のプログラムの対象となるように選んだ。しかしながら私たちは、とても貧しい人を対象とするPRAの効果について関心をもったが、ある点、PRAの効果はこの取り組みの有効性を証明している(2008年のバナジー、カトパデェー、デュフロ、サピロを参照)。PRAの下二つのグループに分けられた人々が所有する土地は、調査された他の人々より0.13エーカー少ないのだが、やがてこうした人々が所有する平均的な土地の所有とは、実際には0.11エーカーであることを知り仕方ないと思う。同じようなことだが、調査した村民のうち34%がいつも十分な食事をとっていないが、この割合はPRAの中でも一番貧しい二つのグループのあいだでは17%高くなる(結果として50%になる)。こうした家庭は学校教育も受けさせようとしないし、子供や障害のある家族には学校をやめさせようとする。

 

 

 

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アビジット・バナジー 「なぜ貧困と闘うことが難しいか」 3回

異議を申し立てたい事柄

 

貧しいひとを定義するどんな方法でも、もちろん、その方法を用いるひとがその方法を用いて貧しい人を定義することを認めたときだけ役に立つのである。すでに述べたように、簡単な基準を用いるにしても、貧しいひとを定義することは大変な作業である。だが、こうした貧しさには、正しく理解するだけの強い根拠があるものか定かではない。生活保護の一覧に名前をのせる決定権をにぎるひとが、好意のみかえりとして何かを請求することは想像に難くない。もし本当に貧しくて支払いをする余裕がないとしても、生活保護の決定権をもつ人があなたの生活保護カードを横流ししてしまい、受けるべきでない人に渡してしまう。生活保護の基準について説明するときに、寛大になってしまうという自然な傾向もある。誰からも非難される危険がなければ、基準に達していないからといって相手を拒むことはないだろう。

 

こうした事柄と一致するものだが、インドにおける最近の研究で、貧しいひとの数とBPL(貧困ライン以下)カード所有者を比較して出した結論がある。それによれば、BPLカードを所有しているひとの方が、貧しい人の数よりも2300万人も多いということである。(NCAERが2007年に、タイムズ・オブ・インディアに報告)。国際的なNGOトランスパランスィ・インターナショナルが、インド・メディア研究センターと協力して行った別の研究でも、こうした目標設定の誤りについてもっと強く指摘している。トランスパランスィ・インターナショナルは家庭をランダムに選び出し、経済状態とBPLカードの所持の双方について質問をした。この研究によれば、実際にBPLの範囲にある家庭の2/3は、BPLカードを所有していた。彼らが使用した経済状態を測定する方法とは荒削りなものではある。それでも、先ほど述べたフィルマーとプリチェットのように、財産のデータを使って測定する研究よりは優れている。そうであるならば、実際のところ、この結果はひどいものではない。もちろん、その中には罪なこともあるが(2300万枚もの余計なカード)、これは貧しいグループのなかで、はっきり違いをつけようとすることが困難なことであり、おそらく意味がないことであるという事実を反映している。

 

しかしながらカルナタカからの更に詳しい研究報告は、このように親切に解釈することを阻むものである。2007年にアタナソバのバートランドとムライナサムが、カルナタカ州のライチュール地区にある173の村で、21世帯を対象にして調査した。それぞれの家庭で、政府によるBPL(貧困ライン以下)の分類を用いたデータを集め、そのデータをもとにして独自のBPLの一覧を作成した。対象となった村では、57%にあたる世帯にBPLカードが支給されていたが、実際、BPLカードの支給が妥当な家庭はわずか22%だった。さらに48 %の家庭が間違った分類をされて分けられていた。その中でわかる罪とは、BPLカードが支給されているが、それが妥当ではない家庭が41%あるということである。データの外に追いやられている罪とは、BPL支給が妥当であるにもかかわらず、支給されていない家庭が7%に近いということである。こうしたことが意味するものとは、BPLカード支給が妥当である家庭の1/3がカードを支給されていないということである。一方で、支給が妥当ではない家庭の1/2にBLPカードが支給されている。さらに心配なことに、富の代わりに収入を用いて測定すると、BPLカード支給が妥当でない家庭の中でも一番貧しい家庭は、BPLカードが支給される家庭ではない。とりわけBPL支給が妥当な範囲より少し上にいる者たちである。すなわち年収は12000ルピーと2000ルピーのあいだであるが、収入20000ルピーから25800ルピーある者には含まれない者たちである。だが、もっとも豊かな人々の中でも42%にあたる人々には(38000ルピー以上の収入がある者たち)、BPLカードを支給されている。カード支給が妥当ではない家庭が含まれている理由を調査すれば、村の役人と社会的につながっているという事実がもっともな予測変数として判明する。

(バナジー氏の許可のもとに翻訳しています。これまでの内容は、上記アビジット・バナジーの部屋をご覧ください)

 

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サキ「耐えがたきバシントン」3章 20回

(これまでの話は、サキの部屋をお読み下さい)

フランチェスカの顔に咎めるような色がうかんだのは、ヨールが政治に関して賢明さに欠けるせいではなかった。原因は、コーマスだった。彼は学生であることをすでにやめており、その時には社会的に物議をかもしていたが、最近になってこの若い政治家ヨールの仲間となり、賛美者に加わったばかりであった。コーマスは政治について何も知りもしなければ、考えることもなく、ただヨールの服装を真似しているだけであり、会話も真似をしようとしたがうまくいかず、フランチェスカはその傾倒ぶりを咎める自分を正当化した。申し分のない程度の身なりで大体の日々を過ごすような女にすれば、毎日、贅をこらした格好の息子がいるということは心配なことなのである。

不快な感じをあたえるヨールの姿をみて彼女の顔には陰りがさしたが、それも太った中年の男性が気がついて歓迎の挨拶をしてくると、つぎの瞬間には自らの成功に満足する微笑みへとかわった。その男性は自分のまわりのやや貧弱な集団に、彼女が入ることを願っているようにみえたからだ。

「私たちが今話していたのは、私の新しい仕事についてなんですが」彼は愛想よくのべると、「私たち」というなかに幾分憂鬱そうな表情の聞き手を含めたが、その聞き手は話し合いの中で、どんな発言にしても何も言っていなかった。「この人たちに話していたばかりなんですが、あなたもお聞きになると面白いと思うのですが」

フランチェスカはスパルタ式の禁欲主義で、機嫌をとるような微笑みをうかべる一方で、耳の聞こえない毒蛇に耳をかまれて話を聞かなくてもよくなれば、この瞬間、その蛇は美しいものに見えると考えた。

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アビジット・バナジー 「なぜ貧困と闘うことが難しいのか」1-2 貧しさを確認するにはどうすればよいか

 収入にしても消費にしても正しく測定するには、多くの時間と苦心が必要とされるので、発展途上国のほとんどの政府が、貧困を定義するという問題に対して、乱暴に、そして急場しのぎで取り組んでいるとしても不思議ではない。発展途上国は消費や収入を直接測定する手段を探し求めることはしない。その代わりに用いる典型的なものとは、代用資産調査と呼ばれるものである。代用資産調査において家族は点数化されていくが、点数の基準となるものは、家族の生活基準の代わりになると考えられている数字の中でも、比較的小さな数をもとにしている。たとえばインドにおけるBPL(Below Poverty Line 貧困ライン以下)の人口が基準にしている点数化の法則とは以下のとおりである。家族の富の測定に比重をおく(土地を所有しているか、家はどんな種類のところに住んでいるか、家の中にはトイレがあるか等である)。生活状態を直接測定する(一日に二回、充実した食事をとっているか)。稼ぐ能力を測定する(成人の教育レベルやその仕事)。あるいは貧困への行動反応と呼ばれるものを点数化する(子供たちは学校に行っているのか、それとも働いているか)。メキシコの主要な福祉プログラムはオポチュニアードと呼ばれているが、このプログラムもインドと同じような指標を用いて、潜在的に存在する福祉プログラムの利益を受けるべきひとを特定していく。メキシコやインドのプログラムで用いられている指標は、家庭での部屋あたりの人数の加重平均、家長の年齢、養っている家族の割合、家長の教育レベルや職業、5歳から15歳の子供のうち学校に通っていない子供の数、12歳以下の子供の数、などのように単純な二つの変数が住居と家庭の資産価値を特徴づける。インドネシアの様々な公的援助プログラムも同様の指数を用いているが、もっと洗練された基準である。

 

このような基準がもつ強みとは、必要なデータが30分くらいで集められるということである。不利な点とは、私たちが望む結論へと到達しないかもしれないということである。インドネシア、ネパール、パキスタンからのデータには消費と資産価値の双方についての情報があり、そうした情報を使って、フィルマーとプリチェットが2001年に示したことが以下のことである。消費にもとづいて分類わけをした下位40%のグループのうち60%から65%にあたる者が、所有資産にもとづいて分類した下位40%のグループに入っていた。これは視点を変えて考えるなら、貧しい者のうち35から40%が不適切に分類され、おそらく資産を多く見積もられていたということになる。消費がいつも正しいと考える理由はないのである。

 

他にも興味深い点がある。指標として、具体的な富を用いると、測定するのが簡単だという利点もあるが、一方で不正に操ってしまうという欠点もある。もし私の家にもう一部屋たてることで、政府からの施しを受けるチャンスが減ることになると考えるなら、蓄えを金にしたまま使わないという選択肢を選ぶことだろう。子供を学校へ行かせるかどうかという判断をするとき、これは大きな問題になるだろう。子供を学校に通わせることに利益があると思っていない両親なら(後に不満はさらに大きくなる)、ためらうことなく子供に学校をやめさせ、公的な保護を受けている者の一覧にあるという自分たちの立場を守るかもしれない。

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アビジット・バナジー 「なぜ貧困と戦うことが難しいのか」

(バナジー氏から直接許可をいただいたので、2008年発表のこのエッセイを少しずつ翻訳していきます。原文はMIT Economisのバナジー氏のサイトにあるpaper一覧2008年発表のWhy fighting poverty is hard、A4で16枚くらいです)

反貧困の政策が本来のものより機能しない理由のひとつとしてあげられるのは、私たちの取り組み方が単純であり、なぜ政策が困難なものとなっているのか十分理解していないからである。このエッセイは、インドにほとんどの基礎をおく私自身の調査から「なぜ貧困と戦うことが難しいのか」という問いについて、私が学んできたことをまとめたものである。

 

1貧しいひとを見つける

 

1ー1貧しいひととは誰なのか?

 

誰かが貧しいひとを助けたがっていると仮定しなさい。どうすれば貧乏なひとは見つかるのだろうか? この問いは、避けがたい部分がある。なぜなら「貧しい」とは、背が高いとか美しいというように、想像力でつくられたカテゴリーにはいるものだからである。貧しいひとたちのことを話しているとき、自分たちが何を言おうとしているのか理解しているつもりになることがしばしばある。だが、貧困について機能するような定義に到達するには、個人の意志にもとづく選択がたくさん要求される。たとえば、私たちが覚悟をきめ、困難に立ち向かい、ある水準(貧困ライン)以下にある人々が貧しく、それ以外の人々は貧しくないと言うならば、どこに批評的な基準をおけばいいのかわからないだろう。それぞれの人にとって、何が基準になるのだろうか? 収入、消費、富のようなものが、確かに基準として挙げられるが、他にも考えることができるものがあることは明らかである。こうした事柄のなかでも、収入が一番自然に思えるかもしれないが、収入を測定する試みにも心配がではじめている。結局、収入とは多様である。とりわけ給料収入をもたない傾向にある貧しい人の収入は多様である。さらにその日暮らしの、あるいはその月暮らしの人々というものは予期されるものでもあり、検討すべきものである(毎週、一日休暇をとる商人のことを考えてみなさい)。そうしたその日暮らしの人々は、買ったり消費したりすることが可能なものに影響をあたえることはない(なぜなら、そうした人々は貯金を使ったり、あるいは借金をしたりするからである)。つまり商人のことを、休日にもとづいて収入をはかるせいで、貧乏人と呼ぶ危険もあるのである。

 

ここで、もう少し期間を長くして平均していけば助かる話だが、それは別の問題を生じてくる。人々は、数週間前あるいは数ヶ月前の出来事を思い出すことはまったく得意ではない。基本的な変化がたくさんあるような場合は尚更である。さらに自分の収入とは何であるのか理解することに苦労していることもわかる(月給をもらっている人々でもなければ、仕事にともなって生じる利益の価値を知らない人々の場合)。流入と流出の双方があるせいでもある(すなわち収入のことであり費用のことである)。さらに流入も、流出も同時には起きない(だから、この二つを比較する方法を理解しなくてはいけない)

 

こうした理由から、多くの経済学者は消費を測定することを好む。それは明らかに消費における変化のほうが、収入における変化より少ないためであり(消費における大きな揺れを避けようとする人々の好みを反映するからである)、その期間にわたる平均収入と密接に関係しているためである。だが、消費を測定するということには限度がある。貯金していない人と比べて、たくさん貯金している人が良好な生活状態にあると、私たちは意図的に過小評価してしまう。たとえ貯金していない人の方に未来が開けているとしてでもある。健康に関する支出について取り扱うことにも別の問題がある。すなわち消費を計算するとき、強制的なものであって選択の結果でないからといって健康への支払いを除外するべきなのだろうか。あるいはこの家族が健康問題について取り組むことができるからといって健康への支払いを含むべきものなのだろうか。(実際のところ、貧乏な家族こそ病気に耐えることを甘んじて受け入れなければならないかもしれないのである)

 

消費を測定するということは、収入を測定することより易しいことではあるが(人々の消費パターンというものは安定しており、そのため最近どのようにお金を使ったのか聞くという考えには、もっともなものがある)、王道とは言い難い。一人一人にとって、きわめて時間のかかるものになりかねない。消費しただろう品物の一覧表をつくって、一人一人に聞かないかぎり、前の週に何に消費したのか思い出すことは難しい。それに何を消費するかという決定には、男女の性差が影響する。たいていの場合、男性は家の修理にいくらかかるのかということについて知っているものであり、一方で女性は玉ねぎの値段がいくらするのかということをよく知っている。その結果、消費支出について知るためには、家庭内のすべての人に訊ねる必要がでてくる。

 

 

 

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サキ 「耐えがたきバシントン」 3章 19回

もう少し小さな部屋の中ほどをぬけ、人目をさける姿を探し求めていたそのとき、見知った姿を見つけ、渋い表情が彼女の顔に陰をおとした。微細なものながら、彼女の不機嫌がむけられた対象とはコートニー・ヨール、政治的に突出した成功をおさめた勝者であり、政治家小ピットの話を聞いたこともないような世代にすれば、信じがたいほど若々しく見える者だった。現代の政治家の生活の陰鬱さに、ディズレーリのダンディズムを吹き込むことが、彼の野心であり、またおそらくは趣味といってもよかったが、そのダンディズムもアングロ・サクソン好みの正確さのおかげで和らぎ、彼のなかのケルトの血から受け継がれたウィットのきらめきがダンディズムをささえていた。彼の成功とは、その場しのぎの手段にすぎなかった。大衆が彼に見いだせないものとは、上昇中の政治家に自分たちが求める下品な感触だった。栗色に近い金髪の彼は口先巧みに飾りたてるせいで、鋭い警句が火花をちらして永遠のものとなったが、抑え気味のものながら贅をこらした胴着も、ネクタイも実を結ばず、彼の弁舌と同じくらいに空回りしていた。もし、いつも桃色の珊瑚のマウスピースをつかって紙巻きタバコを吸っていたなら、あるいはマッケンジー・タータンのスパッツをはいていれば、寛大な心をもつ有権者も、大げさな言葉で記事を書く記者も、彼に対して容赦しなかっただろう。公の生活を送るための手管のかなりの部分とは、どこまで進み、どこで止めるのかを知ることから成り立っている。

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サキ 「耐えがたきバシントン」 18回 3章

彼女の前進をしばらくひきとめたのは一組の男女だが、彼らが熱心かつ雄弁に論じていたのは、今日の問題をいぶりだそうとしてであった。男は痩せており、眼鏡をかけ、額が後退しており、進歩的な意見をしばしば展開しては、眼鏡をかけた若い女に話しかけていたが、その女の額も同じような様子であり、しかも非常にだらしない髪をしていた。ロシアの女子学生に間違えられるということが、その娘の人生における野心であり、そのためにサモワールのどこに茶葉をいれるのか正確に突きとめようとして、数週間にわたって根気強く調査をつづけていた。かつて彼女は、オデッサ出身のユダヤ娘に紹介されたことがあり、そのユダヤ娘はその次の週に肺炎で亡くなってしまったものの、その僅かな経験のせいで、目と目のあいだがくっついている若い娘は、ロシアに関する全ての権威を引き受けていた。

「話すことは役に立つことであり、また話すということは必要とされていることである」その若い男は話していた。「だが、為すべきは御しがたい話し合いという溝から問題をひきあげ、現実的な話し合いをする脱穀場へと持ち出すことだ」

その若い娘はこの修辞的な終止符を利用すると、すでに舌先で整理してあった意見をたたきつけた。「貧困という奴隷を解放するとき、注意をはらって避けるようにしなければいけないことは、農奴を自由にしたときにロシアの官僚がおかした過ちをおかさないようにすることよ」

彼女は自分の番になると、雄弁術の効果をねらって一呼吸おいたが、息づかいが元に戻ると、その若い男と同じレベルの言葉をつかって話し始め、その男も一歩先をいって次の文へと口火をきっていた。

「ふたりとも出だしは上々ね」フランチェスカは考えた。「意見を戦わせているのは、極貧の防止のようだけど。もし平凡を予防するための運動を始めたら、ここにいる善良な人たちはどうなってしまうかしら」

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サキ 「耐えがたきバシントン」 17回 三章

ある11月の午後、以前であれば年代記にのせられてもいいような出来事から二年が経過し、フランチェスカ・バシントンは、友人のセレナ・ゴラークリィの部屋に大勢集まった人々の舵をとり、顔をだすときには曖昧に見知った様子でうなずいたが、その目は特定の一人に焦点をおいていた。国会は秋の開会のためにエネルギーをあわせ、両方の政党とも群衆のなかで代表を立派につとめていた。セレナは悪意のないやり方で、多少なりとも名のしられた男や女を大勢招待したが、その望むところとは、長い間、そうした人々を一緒にしておけば、「サロン」を形成するかもしれないということだった。それと同じ本能の追求から、サリー州に余儀なく引き下がることになった別荘にボーダーガーデンをつくり、いろいろな球根をうえては、その結果をオランダ風庭園と呼んだ。不幸なことに輝かしい話し手を家に招いたからといって、相手がいつも輝かしく話してくれる訳ではないし、まったく話さないということもある。さらに悪いことに、言わないでおいた方がいいようなことまで含めて、馬鹿がすべての話題に首を突っ込んで、ムクドリのような声をだすことは規制出来ない。フランチェスカが横を通り過ぎた或る集団は、スペインの画家について論じていたが、四十三歳で、若い頃には、カンバスに数千枚におよぶ大量の四角を描いていたこの画家について、ロンドンでは誰も数ヶ月前まで聞いた者はいなかった。今、ムクドリのような声は、どんな些細なことでも知らないといけないと心を決めたかのように思えた。三人の女性は、その画家の名前の読みを知っていたし、ある女性はその画家の絵を見るたびに、森に行って、祈りを捧げなければいけないと常に感じていた。別の女性は、のちの絵の構成には、ザクロが常に置かれるようになることに気がついていた。弁護の余地がないカラーをつけた男は、ザクロが「意味する」ものを知っていた。「この画家のすばらしいところは」肉づきのいい女性が挑戦的な、大きな声でいった。「芸術学会が賛意をしめすものを全部保ちながら、学会に挑んでいくやり方にあるわ」「たしかに。でも、こんなことを考えたことはーーー」ひどいカラーの男がさえぎるなかで、フランチェスカは一心不乱に突き進みながら、耳が聞こえないという苦痛のなかで、人々は何に苛立っているのだろうと怪訝に思った。

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アルフレッド・マーシャル 経済学原 1.Ⅳ.31

財産の権利は、経済学を築き上げた卓越した頭脳の持ち主から、あがめられることはなかった。そうした結果、経済学の権威は、既得の権利を正反対の方向へ要求したり、反社会的な使い方をしようとする者たちから、不当に扱われてきた。慎重に経済学について研究しようとする傾向は、個人の所有権を理論の原則におかないで、充実した進歩から切り離すことのできなかった観察に原則をおいている。また社会生活が理想的な状況にあるために不適切に見える権利を廃止したり、変えていこうとしたりして、責任あるひとたちが注意深く、試験的にすすめていくものを観察することに原則をおいている。(1.Ⅳ.31)

この章の覚え書き
16.このセクションは、経済学の課程を創設するように主張したものを再生したものであり、1902年にケンブリッジ大学で講演された政治学の部門と関連づけられている。その結果、経済学の課程は明くる年に承認された。

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