アルフレッド・マーシャル 経済学原理 4ページ

Marshall: Principles of Economics | Library of Economics and Liberty.

 この原則があてはまるのは、動機の倫理的特徴だけではない。たしかに動機の倫理的特徴から、目的をえらぶときに影響をうけるかもしれない。動機の判断力、活力、こうした目的を追求する進取の気性にも、こうした原則があてはまる。強調したいのは、「都会の人間」の行動には、継続的に、なだらかに変化していくグラデーションがあるという事実である。都会の人間の行動とは、計画的な、広範囲にわたる計算にもとづくものであり、また実務的なやり方で事を処理したりする力も、意志もない普通の人々に、活力と能力でもって実施されるものである。救出をいとわない気持ちも、金銭の報酬を手に入れようとして骨の折れる仕事をいとわない気持ちも、売買に最高の市場を探そうと用心するのも、自分や子どもに一番都合のいい仕事を探そうとして用心するのも、すべて普通なのである。このように似かよった言葉はすべて、ある場所と時代で、特定の階級を構成する人々に関連するものにちがいない。しかし、そうした言葉がひとたび理解されると、普通という価値理論が同じように、事務職ではないクラスの行動にも適用される。だが商人や銀行家の行動のように、細部にいたるまでぴったり同じというわけではない。(さりはま訳)

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アルフレッド・マーシャル 経済学原理3ページ

 しかし道徳の力というものは、経済学者が考慮しなければいけない人々のあいだには存在する。「経済の人間」の行動という観点から、理論科学を構築しようとする試みがされてきている。経済の人間は、道徳の影響を受けないものであり、慎重に、かつ精力的に金銭の儲けを追求するものであり、無意識のうちにも自分本位に儲けを追求している。しかし経済の人間が成功した試しはないし、徹底して実践してみた試しもない。経済の人間は利己的だとみなされたことはないので、つらい労働に耐えるとも信じてもらえないし、家族のために備えるという私心のない願望を犠牲にするとも信じてもらえない。しかも、その動機にはいつも、家族の愛情があると暗黙のうちに見なされている。しかし、こうした家族への愛情があることが、私心のない動機があることが、なぜいけないのだろうか。その動機から起こす行動が、どんな階級においても、どんな時代においても、どんな状況においても、ある程度同じものであることが、なぜいけないのだろうか。その行動が世間の状態をだめにするのだろうか。そんなことはないように思える。この本では、ある状況で、ある産業グループの人が期待するような、平均的な行動が問題にされている。どんなものであれ、動機からくる影響をとりのぞくようなこともしていないし、私心のないものだからといって普通の行動をとりのぞくようなこともしていない。もしこの本に特徴があるとすれば、顕著な点は本そのものに由来するものであり、また継続の原則を用いたことにあるといえる。(さりはま訳)

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アダム・スミス 道徳感情論 1.1.29 すべての基準は自分にある

 ある人の能力はすべて、他の人の同じような能力を判断する物差しになる。私たちは自分の視野から相手の視野を判断し、自分の耳から相手の耳を、自分の理由から相手の理由を、自分の怒りで相手の怒りを、自分の愛で相手の愛を判断する。そうしたことがらについて判断する術は他にはないし、見つけることもできない。(さりはま訳)

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アダムスミス 道徳感情論 1.1.28 ポイントは自分の感情とぴったり一致するかってこと

どんな感情にしても、その理由が適切なのか不適切なのかについて、このように判断することもある。そのときに、自分と一致する感情ではなくて、他に判断のもととなる法令や教会の法令を使いなさい、ということはまず不可能である。もし、切実にその感情を感じて、そうした状況がひきおこす感情が自分たちの感情とぴったり合致するなら、きっと対象にぴったり合った、ふさわしい感情だと認めるだろう。もし合致しないときには、エスカレートした不適切なものだとして、そうした感情をぜったい認めないものだ。(さりはま訳)

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冷静な頭脳と暖かい心 アルフレッド・マーシャル 経済学原理1~2ページ

第一版への序文

 経済の状況はたえず変化しているものであるから、それぞれの時代にいきる人々が、めいめいのやり方で、自分の問題をみる。英国では、ヨーロッパ大陸の国々やアメリカと同じように、経済に関する研究が以前よりも活発なものとなっている。しかし、こうした活動から明らかになることは、経済学とは遅々とした、でも継続的な学問の一つであるということだけである。現世代が書いた論文は最高のものでも一目みて、昔の論文の執筆者とは対立するようにみえるものもあるかもしれない。しかし論文が適切な場所に落ち着き、角がとれてくると、学問が発達していくなかで、継続性を断ち切るような、真の裂け目となるものが含まれていないことに気がつくであろう。新しい説は古い説を補足し、拡充し、発達させていき、ときには修正することもあれば、強調事項を加えて異なる調子をあたえることもあるだろうが、めったに古い説をくつがえしたりはしない。(1ページ)

 この論文は新しい論文の助けをかり、この時代の新しい問題について言及することで、古い説を新しい形で示そうとする試みである。その全般的な意図や目的は1巻でしめされている。一巻の終わりにある短い説明で、経済研究の主要対象からひきだされるものについて説明し、調査から生じる産物の主だった実際的なものについて説明している。英国の伝統にしたがえば、経済学の機能とは、経済についての事実を集め、並べてみて、分析することである。たくさんある原因のなかでも、なにが即座に、最高の効果を生じるのか決めていくときに、観察と経験に裏づけられた知識を用いることである。経済の法則とは、傾向について直接法で表現した文であり、命令文でかかれた道徳の教えではない。事実に関する経済の法則と論証は、データの一部にすぎない。現実的な問題を解決するとき、人生の指針となるかもしれないおきてをつくるとき、良心と良識によって、そのデータを論考すべきなのである。(2ページ)

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アダム・スミス 道徳感情論 1.1.27 そうした感情になる理由が大切

哲学者たちは近年、感情の傾向について主に考えるようになり、そうした感情がおきる原因と自分たちとの関係に注意をはらわなくなってきている。しかしながら日常生活で、ほかの人のふるまいについて判断したり、そうした行動にむかわせる感情について判断したりするときは、感情の原因やその関わりについて、いつも考えている。激しく愛したり、悲しんだり、怒っているひとを咎め立てるとき、そうした感情が生じる破壊的な効果を考えるだけではない。そうした感情から、ほとんど見つけられない理由について考えるのだ。なにかを気にいるということで生じる利点は、さほど大きくない。不運もさほどひどいものではない。相手からの挑発もなみはずれたものではない。そうすうれば激しい感情を認めることもできるだろう。あらゆる点において感情と理由のつりあいがとれていたならば、私たちは身をゆだね、いわば激しい感情を認めただろう。(さりはま訳)

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アダム・スミス 道徳感情論 1.1.25 心にすべて共存している

感情が生まれる原因や対象がふさわしいものであっても、ふさわしくないものであってもいい。釣り合いがとれていても、不釣り合いでもいい。感情の結果として起こす行動が適切なものでも、不適切なものでも、礼儀正しいものでも、乱暴なものでも、共存していくものである。(さりはま訳)

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アダム・スミス 道徳感情論 1.1.24 モラルも感情も面の裏表

 モラルにしても、感情にしても心にあるもので、そこから何らかの動きが生じる。徳にしても、悪徳にしても結局のところ、すべて心にもとづいたものである。モラルと感情は面の裏表であり、また語り方をかえた同じ話なのである。そうした感情を呼び起こす理由や動機に関連したものでもあり、あるいはかかげた目的に関連していたり、心が生み出そうとしている効果について関連したものである。(さりはま訳)

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アダム・スミス 道徳感情論 3章1.1.24 モラルも徳も心にある

モラルにしても、感情にしても心にあるもので、そこから何らかの動きが生じる。徳にしても、悪徳にしても結局のところ、すべて心にもとづいている。モラルと感情は異なる二つの面であり、また異なる二つの語りであると考えられる。まず一つは、そうした感情を呼び起こす理由、あるいは動機に関連している。そして次に関連しているのは、かかげられた目的であり、心が生み出そうとしている効果についてである。(さりはま訳)

 

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逝きしエドワードの物語   リチャード・ミドルトン

物静かに砂浜に腰をおろしているドロシーの姿に気がついたが、彼女は両手に黒々とした海草をすくいあげ、裸足の足は陽の光に白く反射していた。わたしに気がついて赤みがさしたものの、それでも、昨年の夏よりも顔が青白かった。そこで、こんな機転がきかない質問を思わずしてしまった。

 「エドワードはどこ」とたずねると砂浜を見渡して、水平服で元気よくはねまわる小さな脚の持ち主をさがした。 続きを読む

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