「ずいぶんと悪趣味な話ながら明らかなことに、スミスという男はこの家の無邪気な女性にふさわしい相手として自分を紹介したのです。実際は結婚していたのに。仲間のグールド氏に賛成したいところですが、他のどの犯罪もこれに匹敵はしないでしょう。私たちの祖先が純粋さと呼んでいたものに決定的な倫理的価値があるのかどうかについて考えるとき、科学者はずいぶんと誇り高い躊躇をみせるのです。でも、いかなる躊躇もみせてはなりません。相手は女性にたいして残虐非道をおこなう下劣な市民です。科学の審判がこうした男にくだるのを楽しみにしようではありませんか?」
「パーシー牧師補が言及した女性はスミスとハイベリーで暮らしているそうだが、その女性とは彼がメイドンで結婚した相手と同一人物なのかもしれないし、それとも違う女かもしれない。もし短くも甘美な言葉が、いつでも心を安らかにしてくれ、不品行な人生に彼がおぼれていくことをさまたげるものなら、話せば長い過去の推測話を彼に聞き出すようなこともないだろう。推測される日付以降、ああ、なんとしたことだろうか。彼がどんどん深みにはまっていったのは、不貞と恥にふるえる沼地である。」
ピム博士は目をとじた。だが不幸なことに、この馴染みのある身ぶりに残された光はなく、無理もないが道徳上の効果もなかった。牧師補とともに一息ついてから、彼はつづけた。
「被告人が何度も、乱れた結婚をくりかえしたという最初の訴訟は」彼は説明した。「レディ・バリンドンから出されたものだ。彼女の言葉によれば、彼女はとても高貴な家の人間で、ノルマンや先祖代々の小塔から全人類を見ることが許されているらしい。彼女が送ってきた手紙によれば、以下のように続いている」
“It is therefore atrociously evident that the man Smith has at least represented himself to one innocent female of this house as an eligible bachelor, being, in fact, a married man. I agree with my colleague, Mr. Gould, that no other crime could approximate to this. As to whether what our ancestors called purity has any ultimate ethical value indeed, science hesitates with a high, proud hesitation. But what hesitation can there be about the baseness of a citizen who ventures, by brutal experiments upon living females, to anticipate the verdict of science on such a point?
“The woman mentioned by Curate Percy as living with Smith in Highbury may or may not be the same as the lady he married in Maidenhead. If one short sweet spell of constancy and heart repose interrupted the plunging torrent of his profligate life, we will not deprive him of that long past possibility. After that conjectural date, alas, he seems to have plunged deeper and deeper into the shaking quagmires of infidelity and shame.”
Dr. Pym closed his eyes, but the unfortunate fact that there was no more light left this familiar signal without its full and proper moral effect. After a pause, which almost partook of the character of prayer, he continued.
“The first instance of the accused’s repeated and irregular nuptials,” he exclaimed, “comes from Lady Bullingdon, who expresses herself with the high haughtiness which must be excused in those who look out upon all mankind from the turrets of a Norman and ancestral keep. The communication she has sent to us runs as follows:—
光文社文庫(新装版)
新保博久氏の解説によれば、この本がカッパ・ノベルズに書下ろし刊行されたのは1975年5月のことらしい。オイルショックでパニックになったのは1973年。その直後に刊行という時代感にドキドキ。
目のまえで場面が再現されていくような錯覚におちいる西村氏の世界は、三、四行で改行という大変読みやすい文のスタイルだけではあるまい。
タンカーの造りにしても、M16小銃にしても、喜入にしても絶対現場に足をはこび、手にふれて確かめてから書いたのだろう。目の前に場面がうかんでくるようなリアリティのある描写にワクワク。
人と人を関連づけるのに、こういうつながりの見つけ方もありか…と目から鱗の思いにもうたれる。ただこの動機でまとまるだろうか…動機としては無理がありそうな気もする。
本書を読み終えて新保教授の解説冒頭の文にまた空腹に。でも綺堂の半七ネーミング由来からスェーデンのベックシリーズにまでおよぶ広範囲な解説のおかげで頭は充たされつつ頁をとじる。
2018/09/01 読了
凡庸な私の心にもざわざわ風をおこすように、倉阪氏のうたは響きわたる。
「ここは人外の地。ただ風だけが残って吹く岬の突端から、今夜もひそやかに亡霊たちの船が出る」
倉阪鬼一郎氏の言葉「いかなる希望でもなく、世界は夜明けを迎える。鳥の舞わない空と、魚の跳ねない海のあいだに、一本の白杖のような線が浮かぶ」に、氏の、他の幻想文学の作家たちが追い求めるものを見るように思う。
この白杖をもとめて、昼と夜の漠とした境目のような白杖をもとめて、海と空の境目にあるような白杖をもとめて倉阪氏は書き続けてきたのではないだろうか?
「いかなる希望でもなく、世界は夜明けを迎える。鳥の舞わない空と、魚の跳ねない海のあいだに、一本の白杖のような線が浮かぶ。」
この断片は、白杖をたずさえた老人からはじまって、その老人の姿は移り変わっていく。
「老人が木箱に座って回想した過去の自分、おれでありわたしでありあたしであり私でありその他もろもろであるものは、過去のある時点においてたしかに存在していたのかもしれない。
ただし、それを保証するものは何もない。老人の影もない」
一瞬で消え去る白杖をもとめて、刻々と移ろいゆく自分をみつめて倉阪氏は言葉と生きてきたのだ…と思いつつ頁をとじる。
2018.09.01読
金沢に立ち寄ったときに古本屋めぐりをしたら、オヨヨさんで薔薇十字社から1972年に刊行された大坪砂男全集2を発見した。ミステリ読書会の方がアツく語っている大坪砂男ではないかと入手、まずは「天狗」(昭和23年宝石7・8月号初出)を読んでみた。
語り手のどこか滑稽なところもある異常さに笑っているうちに、だんだん笑いが怖さに変化していく不気味さは、赤蜻蛉の場面でクライマックスに達する。直接語らずして喬子の運命を赤蜻蛉に重ねて伝える大坪砂男の巧みさ。連想が連想をうんで恐怖が増大していく。
人の気配にも一向に飛び立とうとしない面白さに腰を落として手をさし伸べて始めて気がつく、これがいずれも屍体ばかり。怪しと見廻せば、そこら一面、目の玉と薄い翅。これだけが消化されずに残っている。苔は食中苔なのだった。
思うに無数の赤蜻蛉の精霊に守られるなら、さぞや喬子誇にもふさわしかろうと―この赤蜻蛉が赤鼻の天狗を連想させ、天狗が天狗飛切の術を着想させた。
ただトリックだけは、こんなに具体的に書かない方がよいような気もした…実行できるかと苦笑してしまう。
言葉と言葉をつなぎ、イメージをどんどんふくらませて物語を語る大坪砂男作品をもっと読みたいと思いつつ、頁を閉じる。
2018.0830読了
高木彬光「人形はなぜ殺される」読書会が契機となって本書を読んでみた。
参加者が言われていた「高木彬光やその時代の作家と今の作家では、歌舞伎的教養が今の作家とはまったく違う。そういう教養がバックグラウンドにあるから、場面場面が絵になって、ビジュアルなグロテスクさがある。○○風とは言っても、その本質は今の作家には真似できない。横溝にしても草双紙の影響をうけている。旧世代の作家の教養はただならないものがあり、今の作家には書けないものである」という趣旨の言葉が非常に心に残った。
そこで「ビジュアルでグロテスクな作品は?長門文楽の旅の友にしたいし…」と重箱の隅の先生に質問。教えて頂いた本書をようやく読んだ。
たしかにこれでもか、これでもか…と背すじが凍りそうなグロテスクな場面の連続である。さらに元妓楼の館、その前にひろがる湖、浅間山の爆発…と絵になりそうな場面が続く。
ただ、これは私の個人的な好みなってしまうけれど、犯行の動機がいわゆる世俗的なものであればあるほど、露呈したときにグロテスクさが一気に現実のものに変化、興醒めして思えてしまう。動機も浮世離れした、場面もこの世のものと思えない…そんなミステリがあればいいな、「奇譚を売る店」みたいに。また教えて頂かなくては…と思いつつ頁を閉じる。
あ、「買ったら表紙を見ないでカバーをかけてもらうように…読むまではマジマジと見ないことをお勧めします」と助言してくださいました重箱の隅の先生の親切さに最後に納得。
2018/8/25読了
あのおばさんは」サイラス・ピムは言いながら、気取って陰鬱な表情をうかべた。「あの空想にふけるおばさんは踊り回る鬼火で、おおぜいの高潔な乙女を破滅へと追いやってきた。何人の乙女が、彼にその聖なる言葉を耳にささやかれたことか。彼が『おばさん』と言うと、彼女のまわりで輝きはじめるんだ、アングロサクソンの家庭らしい陽気さが、高潔な道徳が。ひとは鼻歌を歌い、ねこちゃんはゴロゴロと、騒々しい馬車の中で音をたてて破滅へとむかうんだ」
イングルウッドは顔をあげると、或ることに気がつき呆気にとられた(東半球の住人なら、多くの者が気づくことではあった)。アメリカ人とは真剣なだけではなく、実に雄弁で、感動をいだかせる人種なのであるー東半球と西半球の相違が是正されるときには。
That aunt,” continued Cyrus Pym, his face darkening grandly—”that visionary aunt had been the dancing will-o’-the-wisp who had led many a high-souled maiden to her doom. Into how many virginal ears has he whispered that holy word? When he said `aunt’ there glowed about her all the merriment and high morality of the Anglo-Saxon home. Kettles began to hum, pussy cats to purr, in that very wild cab that was being driven to destruction.”
Inglewood looked up, to find, to his astonishment (as many another denizen of the eastern hemisphere has found), that the American was not only perfectly serious, but was really eloquent and affecting— when the difference of the hemispheres was adjusted.
そう言いながら、彼は「メーデンヘッド・ガゼット」紙からの切り抜きを手渡した。その切り抜きにはっきりと記されているのは「馬車」の娘の結婚で、その地で家庭教師として知られていた娘はが、ケンブリッジのブレークスピア・カレッジに最近までいたイノセント・スミス氏と結婚したという内容であった。
ドクター・ピムがふたたび語り始めたとき、その顔には悲劇的な、でも勝ち誇ったような表情をうかべていた。
「予備の事実について少し考えてみたいと思います」彼は重々しくいった。「この事実だけが我々に勝利をもたらすものでしょうから。もし切望するものが勝利であって、真実ではないとすればの話です。個人的な、家庭に関する問題が我々の興味をひきつけるものである限り、その問題は解決しているのです。ウォーナー博士と私がこの家に入ったのは、ずいぶんと感情的に難しいときのことでした。英国人のウォーナーは多くの家に入って、病気から人間を救ってきました。今回、彼が入ってきたのは、歩く災いから無邪気なレディを救うためでした。スミスは、この家から若い娘を連れ去ろうとしていました。彼の馬車と鞄はまさにその扉のところにあったのです。彼は娘にこう語りました。彼の叔母の家で、彼女は結婚許可証を待つのだと。
So saying, he handed across to Michael a cutting from the “Maidenhead Gazette” which distinctly recorded the marriage of the daughter of a “coach,” a tutor well known in the place, to Mr. Innocent Smith, late of Brakespeare College, Cambridge.
When Dr. Pym resumed it was realized that his face had grown at once both tragic and triumphant.
“I pause upon this pre-liminary fact,” he said seriously, “because this fact alone would give us the victory, were we aspiring after victory and not after truth. As far as the personal and domestic problem holds us, that problem is solved. Dr. Warner and I entered this house at an instant of highly emotional diff’culty. England’s Warner has entered many houses to save human kind from sickness; this time he entered to save an innocent lady from a walking pestilence. Smith was just about to carry away a young girl from this house; his cab and bag were at the very door. He had told her she was going to await the marriage license at the house of his aunt.
調査を始めるとすぐに、弁護側は騎士道的な想像力をみせたので、さらなる論争に発展することもなく、僕たちの話の半分は認めてもらえた。僕たちも慈悲深いやり方を認め、真似することにしたい。副牧師がカヌーや堤防について語りきかせた話を認めよう。若い妻のことが本当らしく思える話も認めよう。たしかに彼は、ボートのなかで突き倒しかけた若い女性と結婚した。まだ考えるべきことは残されている。彼女と結婚するかわりに、彼が彼女を殺したとしたら、不親切だったのではないかということである。この事実を確認したので、こうした結婚の疑いようもない記録を弁護側に認めることができる。
“Earlier in the inquiry the defence showed real chivalric ideality in admitting half of our story without further dispute. We should like to acknowledge and imitate so eminently large-hearted a style by conceding also that the story told by Curate Percy about the canoe, the weir, and the young wife seems to be substantially true. Apparently Smith did marry a young woman he had nearly run down in a boat; it only remains to be considered whether it would not have been kinder of him to have murdered her instead of marrying her. In confirmation of this fact I can now con-cede to the defence an unquestionable record of such a marriage.”
主人公が古本を買って、本のあまりの変色ぶりに人目を気にしながら喫茶店でひろげる…という描写がたびたびでてくるのが妙に心に残る。私は全然平気、気にしないでひろげるのに…無神経だったかなあと。
とにかく古本愛に癒される作品。
…そうかと思えば、驚きの結末にぶん投げられたような思いになることも…。
古本幻想の数々に、古本屋さんとは異次元への入り口なんだ…と認識を改めた。
『帝都脳病院入院案内』
次から次にこれでもかと驚きが出てくる幻想マトリョーシカみたいな作品、大好き。
『這い寄る影』
ラスト一段落で投げ飛ばされる快感。さらに「私は幻となった作家や作品にこそシンパシーを抱くし、いつか自分でもそうした中でに大傑作を掘り当ててみたい」との主人公の言葉に大きく頷く。
『こちらX探偵局/怪人幽鬼博士の巻』
ひしひし伝わる古本愛がいいなあ。未完結の古本漫画『怪人幽鬼博士の巻』に作者がこんな素敵な結末を用意しているとは…私まで古本愛の世界にジャンプしたくなるではないか。それにしても江楠くんの風貌に既視感があるのは何故?
『青髭城殺人事件 映画化関係綴』
古本を慈しんで、その染みや剥がれを撫でていたら、こんなストーリーが私にも感じられるかも…と思いつつ、二回読み返して「ここで何故、私は気がつかなかったのか?」との敗北感も多々。
『時の劇場・前後篇』
古本&古本屋さんは時空をねじる不思議空間…というような発想には初めて出会うけど、素敵!本篇の古本バトルにも既視感が…(誰?)「奇譚を売る店」は海外に翻訳されていると思うけど、本書で語られている古本愛が世界共通のものなら嬉しい。
『奇譚を売る店』
まさか古本屋が…まさか和文タイプライターが…の展開に、作者の双方への愛憎相半ばする思いがひしひしと。「本の中に封じこまれたりしないために」という作者の言葉とは裏腹に、「本に封じこめられたい」と思ってしまう矛盾。それは作者の書物愛に感化されたせいなのか?
我らがウィンターボトムも世間をあざけりながら、こう言い切っている。「稀な存在ではあるが、素晴らしい肉体をもつ或る人々にとって、一夫多妻制とは女性の多様性を認識するものにすぎない。友愛というものが、男性の多様性を認識するものであのと同じことである」どちらにしても、多様性をもとめる傾向は、信頼できる調査からも認められている。こうした傾向は、たとえば黒人女に先立たれた男やもめが第二の妻として、アルビノのと結婚をするようなことなどに多く認められる。こうした傾向のひとは、パタゴニアの女性の大きな抱擁から解放されると、想像力豊かな本能がはたらいて、エスキモーの心慰められる姿へと行き着く。この傾向に、被告が属していることは明らかである。もし行き当たりばったりの運命や耐えがたい誘惑が、そうした人々の弁明となるのなら、被告にはあきらかに理由がある。
Our own world-scorning Winterbottom has even dared to say, `For a certain rare and fine physical type polygamy is but the realization of the variety of females, as comradeship is the realization of the variety of males.’ In any case, the type that tends to variety is recognized by all authoritative inquirers. Such a type, if the widower of a negress, does in many ascertained cases espouse ~en seconde noces~ an albino; such a type, when freed from the gigantic embraces of a female Patagonian, will often evolve from its own imaginative instinct the consoling figure of an Eskimo. To such a type there can be no doubt that the prisoner belongs. If blind doom and unbearable temptation constitute any slight excuse for a man, there is no doubt that he has these excuses.