チェスタトン「マンアライヴ」二部Ⅴ章第443回

ついに彼女たちが口をひらいたときに、長いあいだ沈黙にとざされていた会話がふたたび開始されたことは明らかだった。

「でも、どこにご主人はあなたを連れて行くつもりなのかしら?」ダイアナはしっかりとした声で訊いた。

「おばさんのところへ」メアリーは言った。「と言うのは冗談にすぎないわ。おばさんがいるのはたしかよ。道のむこうの下宿屋から追い出されることになったとき、おばのところに子供達をおいてきたの。こうした息抜きはせいぜい一週間しかとらないけど、ときどき二人して二週間も息抜きすることもあるわ」

「おばさんはずいぶんと嫌がっているのよね?」ロザムンドは何食わぬ顔で訊いた。「おばさんときたら、ほんとうに心がせまいのだから。それから何て言えばいいのかしら?そう、ゴリアテって言えばわかってもらえるかしら。でも、そう考えようとする心のせまいおば達ならたくさん見かけてきたわ、愚かしく見えるけど」

When they spoke at last it was evident that a conversation long fallen silent was being revived.

“But where is your husband taking you?” asked Diana in her practical voice.

“To an aunt,” said Mary; “that’s just the joke. There really is an aunt, and we left the children with her when I arranged to be turned out of the other boarding-house down the road. We never take more than a week of this kind of holiday, but sometimes we take two of them together.”

“Does the aunt mind much?” asked Rosamund innocently. “Of course, I dare say it’s very narrow-minded and—what’s that other word?— you know, what Goliath was—but I’ve known many aunts who would think it—well, silly.”

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チェスタトン「マンアライヴ」二部Ⅴ章第442回

Ⅴ章 どのようにして、つむじ風がビーコン・ハウスから出ていったか?

メアリーは、ダイアナとロザムンドにはさまれながら、ゆっくりと庭を歩いた。三人ともおし黙ったままだった。やがて太陽が落ちた。西の端を照らす残照は温かみのある白色で、クリーム・チーズとしか例えようのない色だった。稜線をよぎっていく羽毛に似た雲は漠としていながら、でも鮮やかな菫色の輝きをはなって、その様子は菫色にたなびく煙のようだった。のこりの景色はすべておしながされ、鳩のような灰色へとかわっていった。そして溶けこんでメアリーの薄墨色の影になって、ついには庭や空の衣服をまとっているように見えた。こうした最後の静かな色が、彼女の背景となり、至高さをそえていた。やがて薄明かりがダイアナの威厳ある姿も、ロザムンドの華やかな衣装も隠して、彼女をうかびあがらせ、彼女を庭のレディにも、そしてひとりにも見せていた。

Chapter V

How the Great Wind Went from Beacon House

Mary was walking between Diana and Rosamund slowly up and down the garden; they were silent, and the sun had set. Such spaces of daylight as remained open in the west were of a warm-tinted white, which can be compared to nothing but a cream cheese; and the lines of plumy cloud that ran across them had a soft but vivid violet bloom, like a violet smoke. All the rest of the scene swept and faded away into a dove-like gray, and seemed to melt and mount into Mary’s dark-gray figure until she seemed clothed with the garden and the skies. There was something in these last quiet colours that gave her a setting and a supremacy; and the twilight, which concealed Diana’s statelier figure and Rosamund’s braver array, exhibited and emphasized her, leaving her the lady of the garden, and alone.

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チェスタトン「マンアライヴ」二部四章第441回

彼は頭にシルクハットをのせ、穏やかな様子で庭の門へと向かったが、ピムの泣き叫ぶ声がそのあとを追いかけた。

「でも本当のところ、君から数フィートのところを弾はかすめたじゃないか」

すると他の声もそれにつづいた。「弾が彼をかすめたのは数年前のことじゃないか」

長く、無意味な沈黙がたちこめた。それからムーンは唐突に言った。「じゃあ、ぼくたちは幽霊とずっと一緒に座っていたというわけだ。ハーバート・ウォーナー医師は、数年前に死んだということになるんだから」

He had settled his silk hat on his head and gone out sailing placidly to
the garden gate, while the almost wailing voice of Pym still followed him:
“But really the bullet missed you by several feet.” And another voice added:
“The bullet missed him by several years.”

There was a long and mainly unmeaning silence, and then
Moon said suddenly, “We have been sitting with a ghost.
Dr. Herbert Warner died years ago.”

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2018.10 隙間読書 小松左京「女狐」

「夜の声」収録(集英社文庫)


文楽「芦屋道満大内鑑」の予習をかねて、この古典をアレンジした小松左京「女狐」を読む。

天体気象学を研究している阿部康郎は、大阪の山で動物を研究する楠原葉子という娘と出会い恋におちるが、二人は安倍晴明と葛の葉の末裔であった。

二人の師である研究者同士の争いも、かつての歴史上の争いの因縁から生じたもの。

阿部は幻覚剤をのまされ、自分のDNAに刻まれた遠い先祖の記憶を思い出していく。そんなふうにして過去の記憶がよみがえってくる状況を小松左京はこう説明する。安倍晴明がでてきながら、どこかSFらしいという魅力。

「だが、その薬は、われわれが覚醒時には絶対見ることのできないパターンを見させてくれるのかもしれない。われわれの意識の深部にあって、ふつうでは絶対よみがえることのない記憶を発動するのかもしれない。あるいは―われわれの遠い祖先からの遺伝情報をになう、DNAそのものに刻まれた記憶を発動するのかもしれない、とさえ思っている、―歴史的記憶というべきものを・・・」

こうして思い出されていく記憶の鮮やかさ、不思議さ、面白さ…。

エロチックであり、魅力的でもある女狐。

安倍晴明をささえる影の一族の面白さ。

ただ安倍晴明をめぐる歴史背景は短編に人物をつめすぎた感があって、理解するのが難しかった。

祖先からうけついだ記憶を思い出していくといワクワク感を阿部と共に体験するという不思議な短編である。小松左京のアンテナは、科学、SF、古典と多方面にむけられていたたのだと思い、この短編を長編に書き直した「安倍晴明 天人相関の巻」も読んでみたいと思いつつ頁をとじる。

2018/10/30読了

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チェスタトン「マンアライヴ」二部四章第440回

「たしかに」グールドはいつになく説得力のある様子で、重々しく言った。「あらゆる面で完全に善いからといって、ひとが陽気になるとは思わない。」

「そうだろうか」マイケルは静かに答えた。「それなら一つ例をあげてくれないか? だれがそんなことを試みたことがあるだろうか?」

沈黙がつづいた。地質学上の長い時代のような沈黙のように、なにか思いがけないものの出現を待っている。静けさのなか、どっしりとした影がたちあがった。他の者達が忘れかけていた人物だ。

「さて、みなさん」ウォーナー博士は陽気に言った。「ここ数日間、的が外れていて、役に立たないときている馬鹿げた言動の数々を楽しませてもらいました。でも、その楽しみも薄れかけているようです。それでは、町で食事の約束があるので失礼することに。両陣営にさいた百本もの無駄花のあいだにいたわけですが、なぜ狂気の男が裏庭で私に銃をむけることが許されたのでしょうか。その理由をさぐりあてることはできませんでした」

“No,” said Gould, with an unusual and convincing gravity; “I do not believe that being perfectly good in all respects would make a man merry.”

“Well,” said Michael quietly, “will you tell me one thing?
Which of us has ever tried it?”

A silence ensued, rather like the silence of some long geological epoch which awaits the emergence of some unexpected type; for there rose at last in the stillness a massive figure that the other men had almost completely forgotten.

“Well, gentlemen,” said Dr. Warner cheerfully, “I’ve been pretty well entertained with all this pointless and incompetent tomfoolery for a couple of days; but it seems to be wearing rather thin, and I’m engaged for a city dinner. Among the hundred flowers of futility on both sides I was unable to detect any sort of reason why a lunatic should be allowed to shoot me in the back garden.”

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チェスタトン「マンアライヴ」二部四章第439回

でも、そうした態度がぼくにとって理解しやすいものだとも、とりわけ共感にうったえているものだとも思わないでほしいんだ。ぼくはアイルランド人だから、疑う余地もなく難儀が骨にまで染みついている。そこから自分の信条への迫害がうまれてきたし、あるいは信条そのものも生まれてきた。正直に言えば、悲劇につながれた男のようにも、古い時代の落とし穴や疑念といったものから抜ける手立てがないようにも感じている。だが手立てがあるならば、キリストや聖パトリックによる教え、それが手立てだ。もし人が、子供や犬のように幸せを保つことができるとするなら、それは子供のように無邪気な存在か、犬のように罪のない存在によってであろう。かろうじて善良であること、それが道であるのかもしれない。そして彼はそれに気づいたのだ。ああ、無理もない。旧友のモーゼスの顔に疑念がうかんでいる。グールド氏ときたら、あらゆる面で善良であるということが、人を陽気にすることが信じられないのだから。」

“Do not imagine, please, that any such attitude is easy to me or appeals in any particular way to my sympathies. I am an Irishman, and a certain sorrow is in my bones, bred either of the persecutions of my creed, or of my creed itself. Speaking singly, I feel as if man was tied to tragedy, and there was no way out of the trap of old age and doubt. But if there is a way out, then, by Christ and St. Patrick, this is the way out. If one could keep as happy as a child or a dog, it would be by being as innocent as a child, or as sinless as a dog. Barely and brutally to be good—that may be the road, and he may have found it. Well, well, well, I see a look of skepticism on the face of my old friend Moses. Mr. Gould does not believe that being perfectly good in all respects would make a man merry.”

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2018.10 隙間読書 鮎川哲也「黒いトランク」

疑問1

近松千鶴夫、馬場番太郎、膳所善造、蟻川愛吉と登場人物のイニシャルがT.TとかB.BとかZ.ZとかA.Aとなるようにしたのは? 展開に必要だった?それからなぜ近松?近松が嫌いだったのか?

疑問2

タイトル英語がINSPECTOR ONITSURA’S OWN CASEになっているけど英訳されてるのだろうか? 黒いトランクをそのまま英語にしなかったのはなぜ?

答えを頂きました→英題「INSPECTOR ONITSURA’S OWN CASE」は北村薫先生の発案ですね。「鬼貫警部自身の事件」だからだそうです。

疑問3

作品発表が1956年。作品の舞台設定は1949年12月10日。1949年は下山事件、国鉄の人員整理の年。…ということも時代設定に影響しているのか?

疑問4

新橋駅について「錦絵にもえがかれ、版画にもほられた。紅葉や蘆花たちの小説にもしばしば」と描写してるけど、作家自身がそういうものに関心があったからの描写では? 鮎川哲也ってどんな背景の作家なんだろうか?

疑問5

近松千鶴夫から手塚太左衛門へ。どちらもTTって必然性があったか? この古色蒼然としたネーミングセンスはどこから?

疑問6

「若松というのは作家の火野葦平がいたところ…(略)…あの辺の沖仲仕や博徒を主題にした短編」とある。1956年当時、火野葦平は生きていた。生存している作家をだしたのは敬愛の念からか?この短編の題は?

疑問7

近松は、骨董品だからと駅の一時預けに3日も預けたようだけど、骨董品をそんなところに預けるものだろうか?

疑問8

「ご夫婦でいて、ご主人のなさることに無関心でおいでになる理由がのみ込めません」と近松夫人にむかって警部が言うけれど、無関心でも不思議ないから不要な言葉かと。この時、鮎川は結婚してなかったのかも?

疑問9

1頁目から読みにくとの感想も聞こえてくる鮎川の文。近松夫人を「グリーンのたきじまのお召しに献上博多のおびをしめ」と書いているけど、ここでグリーンが妙に浮いている感じがして興ざめの感もあり。

答えを頂きました→名文家ではないですし、この作品がメジャーデビューですから、たしかに読みづらいとは思います。 次第に読み易くなります。 短編の「赤い密室」「五つの時計」や、長編なら「人それを情死と呼ぶ」「憎悪の化石」あたりがおすすめです。

疑問 10

近松という人物が思い描けない。そもそも近松みたいな男が、骨董品なんて口にしただけで怪しまれるのでは?

疑問 11

近松夫人について「夫に不利な陳述をみずから進んでするはずもない」との文は意図的なものか?利巧な夫人なら、ここで不利な陳述をして「その万年筆は夫のもの」と証言してもいいのに…と勝手に別の「黒いトランク」を考える。

疑問12

近松は骨董品も、英文毎日も似つかわしくない気が…。不自然さを感じる。

13

昔の切符には行き先が記されていたのだろうか…?

←それは覚えています。硬券時代の切符には必ず降車駅が書かれていました。

疑問14

近松はこれだけの荷物ならボストンバッグを持っている方が不自然では?

疑問15

死体の身元確認した直後に鯛すき…は厳しい。無理しても食べられない。すすめる気にもならないのでは?

疑問16

夫の死体確認をした近松夫人について「彼女は胸中なにを思い、考えているのだろうか」とあるが、ほんと何を考えてたのか?

疑問17

鬼貫も、梅田も、近松夫人が夫の行き先を知らないことに何故疑問をいだくのか?知らない方が自然では?

疑問18

12月の北九州で青い服装ってどんな格好になるものか?

疑問19

「これがなかなか如才ない社交家で、鬼貫を終始あかせなかった。十一時に壱岐の芦辺に寄港すると、博多港からの三時間をひとりしゃべりつづけてきた猟人は(略)」こういうタイプのひとって鬼貫が一番苦手そう…私なら嫌。

疑問20
蟻川は鮎川の名の由来だから親近感をもって書いているのだろうけど。なに、この気障感!自分に似せて書く時、作家はそう書きたくなるのか? ミアシャムパイプ(メアシャムパイプ)なんて初めて知ったけど、笑ってしまいそうなくらいお洒落。

疑問21

「銀座の首つり横丁」って実在したのだろうか? 調べたけど分からなかった。でもインパクトのある地名。

疑問22

鬼貫が由美子の腕に残る殴られた跡の黒い痣に気がついたのは12月23日。しかし殴った男は12月6日の夜には死んでいる。17日間も殴られた痣が残るものだろうか?

疑問23

近松殺害の動機がいちばん強いのは妻、由美子…と私的には考える。そうすると由美子が犯人に犯行をそそのかした可能性も考えられるのでは…?「黒いトランク」では、彼女が完全にシロと読めないのでは?

疑問24

由美子は経済的に困窮しているのに、美しく書かれすぎている。由美子への思い入れの強さがありすぎるのでは?だから鬼貫の最後の言葉になるのかもしれないが。解説によれば、由美子は最初存在してなかったそうだから、矛盾がでるのかもしれない。

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チェスタトン「マンアライヴ」二部四章第438回

答えは一つあるのだが、残念ながら、その答えを気に入っていただけないかもしれない。もしイノセントが幸せだとするなら、それは彼に悪意がない(イノセント)からだ。もし彼がしきたりに挑んだとしても、それは彼が掟を守るからだ。彼のやりたいこととは殺しではなくて、人生にわくわくすることだから、学校にかよう男の子のようにピストルにわくわくするんだ。彼が盗みをしたがらないのも、隣人の品物を欲しがらないのも、たくらみを企てたからなんだ。(ああ、その企みに私たちはどれほど憧れていることか)自分の品物を自分のものにしたがるというたくらみなんだ。彼がロマンスをもとめるのは、不義を働きたいからではないんだ。彼が百回もハネムーンをくりかえすのは、ただ一人の妻を愛しているからなんだ。もし彼が本当に男を殺したのなら、本当に女を見捨てたのなら、ピストルのことも、ラブレターのことも歌のように感じることはありえないだろう。少なくとも喜劇の歌のようには感じないだろう。

“There is but one answer, and I am sorry if you don’t like it. If Innocent is happy, it is because he IS innocent. If he can defy the conventions, it is just because he can keep the commandments. It is just because he does not want to kill but to excite to life that a pistol is still as exciting to him as it is to a schoolboy. It is just because he does not want to steal, because he does not covet his neighbour’s goods, that he has captured the trick (oh, how we all long for it!), the trick of coveting his own goods. It is just because he does not want to commit adultery that he achieves the romance of sex; it is just because he loves one wife that he has a hundred honeymoons. If he had really murdered a man, if he had really deserted a woman, he would not be able to feel that a pistol or a love-letter was like a song— at least, not a comic song.”

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隙間読書 トールキン「指輪物語 旅の仲間たち 序章 1.ホビットについて」

「1.ホビットについて」の箇所

指輪物語にチャレンジした人の感想を読んでみると、この「ホビットについて」の箇所がいかに退屈か…という感想をよく目にする。「ホビットについて」の細々としたホビット描写で挫折した…という人も結構いるようである。

でも「ホビットについて」の箇所は、指輪物語の後の構想を示唆するような伏線がはられ、トールキンの交友関係も想像できるような箇所もあって面白いと私は思う。


まずはホビットたちののんびりした暮らしぶりと笑いが伝わるような英文がくる。ホビットの小市民めいた暮らしぶりに、我が身と重なるところもあって思わず笑ってしまう。最初から、なかなかユーモアがきいていると思う。

Their faces were as a rule good -natured rather than beautiful, broad, bright,-eyed, red-cheeked, with mouths apt to laughter, and eating and drinking.

かれらの顔は、がいして、美しいというよりも人のよい顔立ちで、はばひろく、目が明るくて、頬が赤く、口は笑ったり食べたり飲んだりするためにあった。(瀬田・田中訳)

And laugh they did, and eat, and drink, often and heartily, being fond of simple jests at all times, and six meals a day (when they could get then).

また事実しばしば、心ゆくまで、笑って、食べて、飲んだ。いつも軽い冗談がすきで、(食べ物が手に入って)一日六回の食事が取れれば満足だった。(瀬田・田中訳)


やがてホビットとは違うエルフの世界が少しだけ語られるが、遠い国、はるかな世界という感じにあふれ、読んでいる者に憧れをいだかせるのではないだろうか?

Three Elf-towers of immemorial age were still to be to seen on the Tower Hills beyond the western marches.

西の庄堺の先の塔山丘陵には、遠い遠い大昔のエルフの塔が三つ、今なお建っているのが望めた。(瀬田・田中訳)

They shone far off in the moonlight.

それらははるか遠く月明に輝いていた。(瀬田・田中訳)

The tallest was furthest away, standing alone upon a green mound.

一番高い塔が一番遠くにあり、緑の小山の上にぽつんと一つ立っていた。(瀬田・田中訳)

The hobbits of the West-farthing said that one could see the Sea from the top of the tower;

西四が一の庄のホビットたちによれば、その塔の頂に立つと海が見えたという。(瀬田・田中訳)

but no Hobbit had ever been known to climb it.

しかしいまだかつてその塔に登ったホビットのあることは知られていない。(瀬田・田中訳)

Indeed, few Hobbits had ever seen or sailed upon the Sea, and fewer still had ever returned to report it.

だいたい海を見たとか、海を船で渡ったとかいうホビットはまれだし、戻って来てその話を聞かせてくれる者となれば、無いにひとしかった。(瀬田・田中訳)


このホビットについての箇所は、大学の先生でもあったトールキンの周囲にいた同僚たちが念頭におかれているのでは…?と思ってしまう。

and all but Hobbits would find them exceedingly dull.

ホビットでなければとても退屈で(家系図は)読めたものではなかろう。(瀬田・田中訳)

Hobbits delighted in such things, if they were accurate

ホビットたちは正確に書かれていれば、こういうものを大いに喜んだ。(瀬田・田中訳)

: they liked to have books filled things that they already knew, set out fair and square with no contradictions.

かれらにとって本というものは、自分たちがすでに知っていることがたくさんのっていて、なんの矛盾もなく正しくき帳面に記述されていなければならなかったのである。(瀬田・田中訳)

訳は、とても正確に、正確すぎるくらい正確に訳されているような印象をうけた。

ただtunnel はseminal というトールキン独特の言葉もでてくるからだろうか、トンネルと訳されているけれど、ホビットの家と地上をつなぐ通路がトンネルでいいものか? トンネルだと大きめのイメージになるのでは?という気もした。

Shire を「ホビット庄」と訳されたのも素敵だと思うが、一方で頻繁にでてくる言葉でもあり、トールキンの造語でもあるから、シャイアとルビがあればいいような気もする。ただ文庫本なのでルビはいれにくいかもしれないが。2018/10/25

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チェスタトン「マンアライヴ」二部四章第437回

それから質問をうけることだろう。『なぜ彼は中年になるまで滑稽な存在であり続けるのだろうか? なぜ多くの間違った告訴に身をさらしているのだろうか?』これに対して私はこう答えるのみである。彼は心から幸せだから、根っから陽気だから、生き生きとした男だから、そうしているのだと。彼はとても若いものだから、庭の木々に登ったり、馬鹿げているけれど実際に役立つ冗談を言ったりする。私たちもかつて同じようなことをしては抱いた思いに、彼は今でもかられているというわけだ。それでもまだ、人々のなかでも彼だけが、なぜ飽くことを知らぬ愚かさにとりつかれているのかと訊かれるかもしれない。そのときは、とても単純な答えを述べるだけだ。認めがたいものかもしれないが。

“It will then be asked, `Why does Innocent Smith continue far into his middle age a farcical existence, that exposes him to so many false charges?’ To this I merely answer that he does it because he really is happy, because he really is hilarious, because he really is a man and alive. He is so young that climbing garden trees and playing silly practical jokes are still to him what they once were to us all. And if you ask me yet again why he alone among men should be fed with such inexhaustible follies, I have a very simple answer to that, though it is one that will not be approved.

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