アーサー・モリスン 倫敦貧民窟物語「ジェイゴウの子ども」1章 13回

少年が曲がり角のところでとびだしてきた。その子は排水溝へとよろよろむかいながら、ふたりにむかって辛辣な呪い文句をあびせた。痩せた子どもで、その背丈から判断すれば五歳に思えただろう。だが、その顔は重々しく、多感な時期をむかえた子どもの顔だった。ジェイゴウの子どもを知っている者なら、その子が八歳か、あるいは九歳だと見当がついただろう。

 その子はズボンの両ポケットに両手をつっこみ、通りを重い足どりで歩いた。こん棒でやられた男を通りすぎたとき、ジェイゴウ・ロウの方に視線をふたたびはしらせた。それから親指をたてながら、「長靴のためにやられたんだ」と大騒ぎした。だが誰からも気にとめられることなく、ジェイゴウ・コートについた。ベヴェリッジ老がもう一度帽子をひっぱりあげ、やさしく穏やかに「ディッキー・ペロー」と呼んで、指で手招いた。

 その子は近づいた。するとその瞬間、男の骨と皮だらけの手がのびてきて、襟首をつかんだ。「あーんまり見るんじゃなーい」ベヴェリッジは大声で言いながら、その子の耳元に近づいてきた。「もう、家に帰るんだ」言わんとするところをはっきりさせるため強調してから、ごくありふれた口調でつけくわえた。そしてそのまま壁の方へ戻った。

 男の子は顔をしかめ、舗道をあとずさった。その子のぼろぼろの上着は、さらに大きな上着から雑につくられたものだった。数ヤード先の戸口にしりごみするときには、襟をたてた。オールド・ジェイゴウでは、正面の入り口は薪の搬入にだけ使われていた。その大半は、ずいぶん前からそこで燃やされていた。蝶番に扉がまだ残っていても、戸口は開いたままで、おそらく閉められることはないだろう。このようにして、夜のあいだ、ジェイゴウでは、戸口は黒い穴がならんだものであり、汚れていて、ぞっとするようなものだった。

A small boy, whom they met full tilt at the corner, staggered out to the gutter and flung a veteran curse after them. He was a slight child, by whose size you might have judged his age at five. But his face was of serious and troubled age. One who knew the children of the Jago, and could tell, might have held him eight, or from that to nine.

He replaced his hands in his trousers pockets, and trudged up the street. As he brushed by the coshed man he glanced again toward Jago Row, and, jerking his thumb that way, ‘Done ‘im for ‘is boots,’ he piped. But nobody marked him till he reached Jago Court, when old Beveridge, pushing back his hat once more, called sweetly and silkily, ‘Dicky Perrott!’ and beckoned with his finger.

The boy approached, and as he did so the man’s skeleton hand suddenly shot out and gripped him by the collar. ‘It—never—does—to—see—too—much!’ Beveridge said, in a series of shouts, close to the boy’s ear. ‘Now go home,’ he added, in a more ordinary tone, with a push to make his meaning plain: and straightway relapsed against the wall.

The boy scowled and backed off the pavement. His ragged jacket was coarsely made from one much larger, and he hitched the collar over his shoulder as he shrank toward a doorway some few yards on. Front doors were used merely as firewood in the Old Jago, and most had been burnt there many years ago. If perchance one could have been found still on its hinges, it stood ever open and probably would not shut. Thus at night the Jago doorways were a row of black holes, foul and forbidding.

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アーサー・モリスン 倫敦貧民窟物語「ジェイゴウの子ども」 1章12回

しばらくすると、なにやら大きくて黒いものが、ジェイゴウ・ロウ近くの戸口から押しだされてきたが、そこはビリー・ラリーの連れ合いが入っていったところだった。黒いものは転がっていき、舗道に倒れて横たわっていた。しばらくのあいだ、人に気づかれることはなかった。静まりかえっていなければ、路上で眠りにつこうとしている者かと思うところだった。おそらく、数ヤード離れたところから顔をあげて見つめている者からすれば、寝ているようなものなのかもしれなかった。やがて彼らは四つん這いで腹這いになりながら、倒れている者のところまでやってきた。ジェイゴウのネズミもやってきた。男が倒れていた。顔には、ねばねばした油性のものがついていた。頭から暗褐色のしたたりが流れ、砕けた舗道から水路へと迂回しあんがら流れていった。あちらこちらで、さえないポケットの中味がひねられて山となっていた。そして男のベストは、時計の鎖があった筈のところが裂けていた。あきらかに、こん棒でずいぶんと稼いでいた。こん棒での稼ぎがあまりにもいいから、長靴は無視されて、男の足に残っていた。二人はひざまずいて、手際よくベストの紐をほどいた。ややして立ち上がったときには、手には収穫をにぎりしめ、そのままジェイゴウ・ロウの深い闇に消えていった。

In a little while something large and dark was pushed forth from the door-opening near Jago Row which Billy Leary’s spouse had entered. The thing rolled over, and lay tumbled on the pavement, for a time unnoted. It might have been yet another would-be sleeper, but for its stillness. Just such a thing it seemed, belike, to two that lifted their heads and peered from a few yards off, till they rose on hands and knees and crept to where it lay: Jago rats both. A man it was; with a thick smear across his face, and about his head the source of the dark trickle that sought the gutter deviously over the broken flags. The drab stuff of his pockets peeped out here and there in a crumpled bunch, and his waistcoat gaped where the watch-guard had been. Clearly, here was an uncommonly remunerative cosh—a cosh so good that the boots had been neglected, and remained on the man’s feet. These the kneeling two unlaced deftly, and, rising, prize in hand, vanished in the deeper shadow of Jago Row.

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アーサー・モリスン 倫敦貧民窟物語 「ジェイゴウの子ども」1章 11回

棍棒男と引き込み女というものが、ジェイゴウ地区の主な商売となりつつあった。棍棒は一フィートの長さの鉄棒で、片方の端には握りがついていて、もう片方には鉤がついていた。棍棒男は外套の袖に棍棒に棍棒を隠し、階段のかげをふらふらしながら、妻(結婚してようと、結婚してまいと)が、ひどく酔っぱらった余所者を連れ込んでくるのを待った。いきなり後頭部に一撃がとんできて、余所者は棍棒で見事になぐられてしまい、身につけているものは何でも、この取引の儲けとなってしまった。巧みな玄人の手による商売は、何の労もなくして、心地よい生活を生んだ。商売のほとんどは、もちろん、女性に頼っていた。女性の役割とは、職人を次から次へとその場所に誘いこむことだ。とりわけ勤勉な妻たちの収穫については、驚くような伝説があった。ひとりの女性が、祭りの夜、棍棒男のところへ二十五人連れてきたというものだ。しかしながら、これは何年か前の話であり、もはや範となる話でしかなかった。日曜学校の教科書のように、オールド・ジェイゴウの、義務を果たそうとする勤勉な主婦にむかって、主婦業を極めるにはどうすればよいか助言を伝える話なのだ。

 

 男と女は、ジェイゴウ・ロウのはずれ近くの戸口で消えた。そこで消えたのには、理由がいくつかあった。そこは、ジェイゴウ・コートの入り口よりも、浮浪者が少なかったのだ。そこでは浮浪者同士の会話も少なくなり、断続的にいびきが聞こえる程度であった。静けさがジェイゴウでは、重要なことであるかのように、静かな夜だった。暑すぎて、むっとしているせいで、ほとんどの者が戦意喪失するからだ。暑すぎるせいで、石を投げることも、罵ることもできなかった。それでも、しゃがれた甲高い声が聞こえてきて、どうやら女たちが闘っているようで、さらに離れたところにあるハーフ・ジェイゴウ・ストリートから断続的に聞こえてきた。

 

Cosh-carrying was near to being the major industry of the Jago. The cosh was a foot length of iron rod, with a knob at one end, and a hook (or a ring) at the other. The craftsman, carrying it in his coat sleeve, waited about dark staircase corners till his wife (married or not) brought in a well drunken stranger: when, with a sudden blow behind the head, the stranger was happily coshed, and whatever was found on him as he lay insensible was the profit on the transaction. In the hands of capable practitioners this industry yielded a comfortable subsistence for no great exertion. Most, of course, depended on the woman: whose duty it was to keep the other artist going in subjects. There were legends of surprising ingatherings achieved by wives of especial diligence: one of a woman who had brought to the cosh some six-and-twenty on a night of public rejoicing. This was, however, a story years old, and may have been no more than an exemplary fiction, designed, like a Sunday School book, to convey a counsel of perfection to the dutiful matrons of the Old Jago.

The man and woman vanished in a doorway near the Jago Row end, where, for some reason, dossers were fewer than about the portal of Jago Court. There conversation flagged, and a broken snore was heard. It was a quiet night, as quietness was counted in the Jago; for it was too hot for most to fight in that stifling air—too hot to do more than turn on the stones and swear. Still the last hoarse yelps of a combat of women came intermittently from Half Jago Street in the further confines.

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アーサー・モリスン 倫敦貧民窟物語 「ジェイゴウの子ども」1章10回

赤い空からは息苦しい空気がただよい、さらなる圧迫感がましていた。ジェイゴウ・コートへの薄暗い入り口で、ひとりの老人がたちあがって呪いの文句をなげると、また座りこんで両手で頭をかかえた。

「ああ」かれはいった。「おれが死んであの世にいるなら、コーヒーの店をやるんだが」指のあいだから、彼は近くにいる者たちをみた。だがキドー・クックの天国での理想は、耳新しいものではなかった。かえってきた唯一の反応は、一ヤードほど離れたところで寝ている男が、音をたてて鼻をならしただけだった。

キドー・クックは自分のポケットをさぐり、パイプと紙でつつんだものをとりだした。「この夜の騒ぎからもらったおこぼれさ、反社会的だけど」かれはいった。「野次馬の中に、

やけに洒落たやつがいたんだ。でもパイプ一杯分も残っていなかったし、おまけにマッチもなかった。聞いているか?」寝ている男の方に体をのばした。「マッチはないか?」

「地獄にうせろ」

「ひどい言葉をいってくれるな。傷つくじゃないか。マッチを見つけてくれたら、そうするさ。なあ」

「地獄にうせろ」

痩せた、年配の男が壁によりかかって座っていたが、つぶれたシルクハットを目の上にひきあげ、マッチの箱をとりだすと「地獄だと? 地獄が離れているとでも? お前さんは地獄にいるんだよ」かれは骨ばった手をだらりとさげ、顔をあげた。壁にもたれたまま、かれが身震いをすると、脂でよごれた黒い癖毛が額にかかってゆれた。「神様、ここよりひどい地獄があるのかね」

「そうだな」キドー・クックはこたえ、両手でつつむようにしてパイプに火をつけた。「でも気持ちいいじゃないか。ベヴリッジの旦那。そうじゃないか」かれはマッチをかえしたが、その老人は帽子を前におろして何も答えなかった。

女が肩にショールをはおり、街灯のあるほうから、人目をさけるようにこそこそとやってきた。連れの男があとに続いて歩いていたが、少しふらついていた。男はジェイゴウの者ではなく、着ているものからすると、まともな職人だった。キドー・クックの怠惰な視線がふたりをとらえ、通り過ぎようとしたときに、瞑想にふけりながらいった。「幸運なビリー・ラリーがここにもいる。彼女にひろってもらって、いいなあ。彼女みたいな女をものにできるなら、むちで自分をぶってもいいなあ」

The stifling air took a further oppression from the red sky. By the dark entrance to Jago Court a man rose, flinging out an oath, and sat with his head bowed in his hands.

‘Ah—h—h—h,’ he said. ‘I wish I was dead: an’ kep’ a cawfy shop.’ He looked aside from his hands at his neighbours; but Kiddo Cook’s ideal of heaven was no new thing, and the sole answer was a snort from a dozing man a yard away.

Kiddo Cook felt in his pocket and produced a pipe and a screw of paper. ‘This is a bleed’n’ unsocial sort o’ evenin’ party, this is,’ he said, ‘An’ ‘ere’s the on’y real toff in the mob with ardly ‘arf a pipeful left, an’ no lights. D’ y’ ‘ear, me lord’—leaning toward the dozing neighbour—’got a match?’

‘Go t’ ‘ell!’

‘O wot ‘orrid langwidge! It’s shocking, blimy. Arter that y’ ought to find me a match. Come on.’

‘Go t’ ‘ell!’

A lank, elderly man, who sat with his back to the wall, pushed up a battered tall hat from his eyes, and, producing a box of matches, exclaimed ‘Hell? And how far’s that? You’re in it!’ He flung abroad a bony hand, and glanced upward. Over his forehead a greasy black curl dangled and shook as he shuddered back against the wall. ‘My God, there can be no hell after this!’

‘Ah,’ Kiddo Cook remarked, as he lit his pipe in the hollow of his hands, ‘that’s a comfort, Mr Beveridge, any’ow.’ He returned the matches, and the old man, tilting his hat forward, was silent.

A woman, gripping a shawl about her shoulders, came furtively along from the posts, with a man walking in her tracks—a little unsteadily. He was not of the Jago, but a decent young workman, by his dress. The sight took Kiddo Cook’s idle eye, and when the couple had passed, he said meditatively: ‘There’s Billy Leary in luck ag’in: ‘is missis do pick ‘em up, s’elp me. I’d carry the cosh meself if I’d got a woman like ‘er.’

 

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アーサー・モリスン 倫敦貧民窟物語「ジェイゴウの子ども」 1章9回

オールド・ジェイゴウ・ストリートはゆらめく赤い空のもと、陰鬱な雰囲気をかもし、空気もよどんでいた。こそこそ歩く生き物は大きなネズミのようで、次から次へとハイストリート沿いの水路の柵のあいだにもぐり込み、ジェイゴウ地区へと散らばっていた。火事に集まった人々は今や少なくなり、警官がその場をとりしきっていたが、隙のある者はすべてすりにねらわれた。まもなく侵入も終わり、空はゆらめいてもいなければ、明るさもなく、暗い赤に落ち着いていた。舗道では、ある者たちは疲れて身をよじりながら眠りにつこうと焦がれ、また別の者たちは眠りにつくことをあきらめ、座ったり、だらりとよりかかったりしていた。話している者も少数いた。彼らは住む家がないから、そこにいるのではなかった。だが、天気がこうなのだから、家の中で休息するのではなく、通りで休息するということもありえないことではなかった。だが、それにもかかわらず家にいる少数の者たちの住まいがあちらこちらに散見され、窓から明かりがみえた。この地区では、明かりをつけないで寝るような者は誰もいないからだ。それというのも、明かりがある程度ふせいでくれる三種類の害虫がいるせいだ。苦しんでない者にはわからない恐怖というものが害虫にはある。そうした者たちは害虫の話をされることすら拒絶する。人々の体のうえを、たとえ路上であっても、害虫は体をねじってぴくぴくしていた。体の隅々にまで、害虫は居座っていた。体のうえを害虫は転がり、明かりをつけた部屋にいても冒涜した。このオールド・ジェイゴウの、ありとあらゆる動く生き物の体の上につきまとい、昼も夜も、寝ているときも歩いているときもであった。そしてエジプトの第三伝染病をもたらし、しかもひっきりなしにであった。

Old Jago Street lay black and close under the quivering red sky; and slinking forms, as of great rats, followed one another quickly between the posts in the gut by the High Street, and scattered over the Jago. For the crowd about the fire was now small, the police was there in force, and every safe pocket had been tried. Soon the incursion ceased, and the sky, flickering and brightening no longer, settled to a sullen flush. On the pavement some writhed wearily, longing for sleep; others, despairing of it, sat and lolled, and a few talked. They were not there for lack of shelter, but because in this weather repose was less unlikely in the street than within doors: and the lodgings of the few who nevertheless abode at home were marked here and there by the lights visible from the windows. For in this place none ever slept without a light, because of three kinds of vermin that light in some sort keeps at bay: vermin which added to existence here a terror not to be guessed by the unafflicted: who object to being told of it. For on them that lay writhen and gasping on the pavement; on them that sat among them; on them that rolled and blasphemed in the lighted rooms; on every moving creature in this, the Old Jago, day and night, sleeping and walking, the third plague of Egypt, and more, lay unceasing.

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アーサー・モリスン 倫敦貧民窟物語 「ジェイゴウの子ども」1章 8回

ある夏の夜ふけの、旧ジェイゴウ地区でのことだった。ぎらぎらとした空のもとで、狭い通りはいっそう陰鬱だった。それというのも遠く離れたショアディッチで火事があり、空は銅のように光って、嫌な感じがしていたからだ。そのしたで空気は暑く、どんよりとしていて、身をひねって路上でねむりにつく人々を威圧していた。いたるところで、汚い地面からも、汚れた壁からも、むっとする様々な悪臭がただよっていた。そう、それがジェイゴウのにおいだ。

 

ショアディッチのハイストリートから狭い小道にはいると、数本の杭にぶつかるが、そこがオールド・ジェイゴウ・ストリートへの、おそろしい入り口なのであった。オールド・ジェイゴウ・ストリートは暗がりに沈むようにして、やがてジェイゴウ・ロウとぶつかった。ジェイゴウ・ロウを南にすすめばミーキン・ストリートにぶつかり、北にすすめばハニー・レーンにぶつかった。ジェイゴウ地区は、百年にわたって、ロンドンの中で最も汚れた奈落としてこの地に埋葬され、腐敗臭をただよわせていた。オールド・ジェイゴウ・ストリートの中ほどにくると、この奈落でも一番けがらわしいジェイゴ・コートにつうじるアーチ道があった。

 

二五〇ヤードか、あるいはそれにもみたない正方形、それがジェイゴウ地区のすべてであった。だが、この正方形に人々は数千の単位でむらがっているのだ。オールド・ジェイゴウ・ストリート、ニュー・ジェイゴウ・ストリート、ハーフ・ジェイゴウ・ストリートが平行にならび、東西をとおっていた。その片側にはジェイゴウ・ロウが、もう片側にはエッジ・レーンが平行にはしり、南北にのびていた。どの道にも悪臭がただよっていた。もっともひどかった頃のケート・ストリートやセブン・ダイヤルズ、ラットクリフ・ハイウェイと比べても大いに不快なもの、あるいは無駄で役に立たず、汚らわしいもの、そうしたものすべてがオールド・ジェイゴウにはあふれていた。

 

It was past the mid of a summer night in the Old Jago. The narrow street was all the blacker for the lurid sky; for there was a fire in a farther part of Shoreditch, and the welkin was an infernal coppery glare. Below, the hot, heavy air lay, a rank oppression, on the contorted forms of those who made for sleep on the pavement: and in it, and through it all, there rose from the foul earth and the grimed walls a close, mingled stink—the odour of the Jago.

From where, off Shoreditch High Street, a narrow passage, set across with posts, gave menacing entrance on one end of Old Jago Street, to where the other end lost itself in the black beyond Jago Row; from where Jago Row began south at Meakin Street, to where it ended north at Honey Lane—there the Jago, for one hundred years the blackest pit in London, lay and festered; and half-way along Old Jago Street a narrow archway gave upon Jago Court, the blackest hole in all that pit.

A square of two hundred and fifty yards or less—that was all there was of the Jago. But in that square the human population swarmed in thousands. Old Jago Street, New Jago Street, Half Jago Street lay parallel, east and west: Jago Row at one end and Edge Lane at the other lay parallel also, stretching north and south: foul ways all. What was too vile for Kate Street, Seven Dials, and Ratcliff Highway in its worst day, what was too useless, incapable and corrupt—all that teemed in the Old Jago.

 

 

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アーサー・モリスン 倫敦貧民窟物語「ジェイゴウの子ども」 第三版の序章7回

幸いにも、私は自分の正確さを弁護する必要はなかった。私のための弁護は、それぞれの道の、議論の余地のない権威によって公におこなわれた。とりわけ、「ジェイゴウ」の証人になった信仰のふかい司祭と教会は、包み隠さず私の作品が正確であることを証言してくれた。特別な知識がある他の者達も、同様に証言してくれた。彼らに証言をもとめ、その支援を感謝しているけれど、私に語る資格があるかということについて偏見の目で見られることはなかった。私がロンドンのイースト・エンドに住んでいたからだけではなく(そうする人がいたとしても、同じものを見ることはないだろう)、なぜなら観察することが私の生業だからだ。

 

少なからぬ場所で遭遇するのだが、旧ジェイゴウ地区の家が撤去され、ジェイゴウ地区の窮乏がとりのぞかれたという愚かな幻想について述べる者たちがいる。だが、窮乏した状態は消え去っていない。煉瓦と漆喰でできたジェイゴウ地区は消えた。だが血と肉でできたジェイゴウの人たちはまだ生きているし、人口が過密して混みあったこの界隈に群がっているのだ。

 

最後に。構想のうえでも、意図のうえでも私の小説が必要としているのは、小説を語るときに事実にぴったり寄り添うことである。事実、私はそうした。もし異なる分野と様式で他の小説を書くなら、事実に寄り添うかもしれないし、あるいはそうするほうがいいように思えるなら無視するかもしれない。それは現実主義者か、それ以外の者なのかという分類とは関係のないことである。現実主義者とはどういうものかについて、正しい意見かどうかはわからないながら提案してきたけれど、自分が現実主義者かどうかということには関心がない。そんなことに関心をもつのは図表作成者だろうから。

アーサー・モリスン

1897年 二月

Luckily I need not vindicate my accuracy. That has been done for me publicly by independent and altogether indisputable authority. In particular, the devoted vicar of the parish, which I have called the Jago, has testified quite unreservedly to the truth of my presentation. Others also, with special knowledge, have done the same; and though I refer to them, and am grateful for their support, it is with no prejudice to the validity of my own authority. For not only have I lived in the East End of London (which one may do, and yet never see it) but observation is my trade.

I have remarked in more than one place the expression of a foolish fancy that because the houses of the Old Jago have been pulled down, the Jago difficulty has been cleared out of the way. That is far from being the case. The Jago, as mere bricks and mortar, is gone. But the Jago in flesh and blood still lives, and is crowding into neighbourhoods already densely over-populated.

In conclusion: the plan and the intention of my story made it requisite that, in telling it, I should largely adhere to fact; and I did so. If I write other tales different in scope and design, I shall adhere to fact or neglect it as may seem good to me: regardless of anybody’s classification as a realist, or as anything else. For though I have made a suggestion, right or wrong, as to what a realist may be, whether I am one or not is no concern of mine; but the concern (if it be anybody’s) of the tabulators and the watersifters.

A. M.

February 1897.

 

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アーサー・モリスン 倫敦貧民窟物語 「ジェイゴウの子ども」第三版の序文 6回

だが、ジェイゴゥの私の描写が真実ではないという抗議は、別のものである。ほとんどの場合、あいまいな表現を目にするだろう。だが、はっきりと書こうとして、逸脱したこともある。ある一節だが、それは誇張した表現であり、起こりえないようなことを表現していた。さて告白してしまうが、こうした冒険にみちた無分別な結果になることを予見しながらも、気晴らしをするため、「ジェイゴゥの子ども」に罠をしかけたのだ。数年間にわたって、私はロンドンのイースト・エンド地区に住んでいた。もちろん、たまに訪れる程度の観光客としてではなく、すべてのイースト・エンドの住民にとって程度の差はあれ、私は親しみのある友人でもあり、対等な友人でもあった。両地区の差異は小さくなったけれど、ウェスト・エンドよりもイースト・エンドの方が社会的に大きな変化をとげていた。私が見たり、聞いたりしてきたのは、会議室に座っている人たちがひどい寓話だと言うような事柄だった。それにもかかわらず、私はそうした事柄を直視し、耳をかたむけてきた。だが極端な例について書くということは、私が意図していたことではなかった。典型的な事実こそ、私がのぞむものだった。極端な例を書いても信じてもらえないし、責任をのがれるというものだ。だから極端なところまで書くという代償行為をひきうける理由に思いあたっては—それはたとえば派閥闘争などの理由なのだが—、私だけの問題から道を切り開き、客観的かつ美しい表現をつかって、簡潔な事実や、ありふれた大らかな事実、近隣で悪評高いと難なく証明できる事実を書きあげたのだ。もし自分が書いた事実に感動したとしても、その思いは抑えることができるものである。たしかに計略はうまくいった。極端なところまで書くという代償行為はあからさまに罵られることもなく、対象としてきた普通の事実に照準をあわせた。ときとして結果そのものにユーモアがあることもあった。文芸雑誌の批評家が、あきらかに極端に書きすぎている例として、私の作品から二つ選んで、ジェイゴウのような生活を書く必要はないと言い続けたように。なぜなら、誰もがよく知っていることだからだそうだ。

But the protest, that my picture of the Jago is untrue, is another thing. For the most part it has found very vague expression, but there are instances of rash excursion into definiteness. Certain passages have been denoted as exaggerations—as impossibilities. Now, I must confess that, foreseeing such adventurous indiscretions, I had, for my own diversion, set A Child of the Jago with traps. For certain years I have lived in the East End of London, and have been, not an occasional visitor, but a familiar and equal friend in the house of the East-Ender in all his degrees; for, though the steps between be smaller, there are more social degrees in the East End than ever in the West. In this experience I have seen and I have heard things that persons sitting in committee-rooms would call diabolical fable; nevertheless, I have seen them, and heard them. But it was none of my design to write of extreme instances: typical facts were all I wanted; these, I knew, would be met—or shirked—with incredulity; so that, whenever I saw reason to anticipate a charge of exaggeration—as for instance, in the matter of faction fighting—I made my typical incident the cold transcript of a simple fact, an ordinary, easy-going fact, a fact notorious in the neighbourhood, and capable of any amount of reasonable proof. If I touched my fact at all, it was to subdue it; that and no more. The traps worked well. Not one definite charge of exaggeration has been flung but it has been aimed at one of the normal facts I had provided as a target: not one. Sometimes the effect has had a humour of its own; as when a critic in a literary journal, beginning by selecting two of my norms as instances of ‘palpable exaggeration,’ went on to assure me that there was no need to describe such life as the life in the Jago, because it was already perfectly familiar to everybody.

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アーサー・モリスン 倫敦貧民窟物語 「ジェイゴウの子ども」 第三版の序文 5回

こうした様々な反対意見については、すらすらと簡潔に答えていいかもしれないが、そうするのは容易なことではない。実際のところ、人々が求めているものとは答えではない。ただし、私の作品が真実を述べていないとか、私の絵が正確でないということについて非難攻撃するということなら、話は別なのかもしれない。反対を述べる者のなかには、この国に争いをおこそうとして、機知を発揮する者もいる。そういう者たちは、私の技術的な面をとりあげ、「共感する心」に欠けていると非難する。ジェイゴゥについて書くなら、もっと泣けるものにするべきだと主張する。だが、もう私は書き方を自分のものにしているから、そういう結果を意識的にねらっているのだ。画家や詩人、彫刻家、小説家のように、題材の奴隷になることもないし、弄ばれることもない。私の物語とは、私がつくりあげた登場人物の物語であり、私はその中に入りこんで、登場人物と読者のあいだにある感情を観察してきた。告発の言葉が、私の小説ではあきらかに目立っている。こうした善人たちは、涙を流しながら物語を書くように望んだりしない。なぜなら、私が泣いているかどうか、どうすればわかるのだろうか。 わかるはずもない。人々の望みとは、私が泣くことではない。だが、公衆の面前で、私が嫌になるくらいに泣くことなのだ。いいかえれば、私がかわって泣くことなのだ。感情にかられた養老院の患者のように。また人々にかわって、私が共感しながら人前でパレードすることなのだ。そうすれば人々も共感するかもしれない。あるいは身代わりのひとにすすり泣きをしてもらうことで、責任というものから解放されると思って安堵するかもしれない。

To objections thus handsomely variegated it is not easy to reply with the tripping brevity wherewith they may be stated; and truly it is little reply that they call for, except, perhaps, in so far as they may be taken to impugn the sincerity of my work and the accuracy of my picture. A few of the objectors have caught up enough of their wits to strive after a war in my own country. They take hold of my technical method, and accuse me of lack of ‘sympathy’; they claim that if I write of the Jago I should do so ‘even weeping.’ Now, my technical method is my own, and is deliberately designed to achieve a certain result, as is the method of every man—painter, poet, sculptor, or novelist—who is not the slave and the plaything of his material. My tale is the tale of my characters, and I have learned better than to thrust myself and my emotions between them and my reader. The cant of the charge stares all too plainly from the face of it. It is not that these good people wish me to write ‘even weeping’: for how do they know whether I weep or not? No: their wish is, not that I shall weep, but that I shall weep obscenely in the public gaze. In other words, that I shall do their weeping for them, as a sort of emotional bedesman: that I shall make public parade of sympathy in their behalf, so that they may keep their own sympathy for themselves, and win comfort from the belief that they are eased of their just responsibility by vicarious snivelling.

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サキの長編小説 「耐えがたきバシントン」第1章(訂正して再度)

耐えがたきバシントン

 

作者の覚え書き

 

この物語に教訓はありません。

もし悪を指摘したとしても、救済策は何も示していません。

 

一章

 

 フランチェスカ・バシントンは、ウェスト・エンドのブルー・ストリートにある自分の家の居間に座り、尊敬すべき兄ヘンリーと一緒に中国茶を飲みながらクレソンをはさんだ小さなサンドイッチを堪能していた。料理は洗練された分量であったため、小腹をみたしたいというその時の欲求をみたしながらも、満ち足りた昼食会を思い出しては幸せを感じることのできる量であり、また幸いにも、このあとの晩餐を心待ちにできるほどの量である。

 若い頃、フランチェスカは美貌のグリーチ嬢として知られていたが、四十歳になった今、元々の美貌はかなり残っているものの、あくまでもフランチェスカ・バシントンの奥さまにすぎなかった。彼女にむかって「いとしい人」と呼びかけなんて、誰も思いもよらなかっただろう。だから彼女のことをあまり知らない人の大多数は、「奥様」ときちんと言い添えた。

 敵にしても率直な気分のときに聞かれたら、彼女がすらりと美しく、服の着こなしも知っていることを認めただろう。だが敵にしたところで、友達にしたところで意見が一致するのは、彼女には魂がないということであった。友と敵がなんらかのことで意見の一致をみるとき、たいていの場合、彼らには誤りがある。フランチェスカはおそらく、自分の魂について語ろうとするひとのせいで、無防備な瞬間にさらされるときには、自分の応接間のことを語るだろう。身近なものを凝視することで明らかな特徴がみえてくるように、そして特徴が隠された場所がみえてくるようにと願った人々が、応接間の特徴を心に刻みつけていると考えたわけではない。だが応接間は自分の魂そのものだと、彼女はぼんやりと考えたのである。

フランチェスカは、運命の神が最上のことを考えてくれたのに、神の意志が実行されない類の女性だった。それでも裁量が自由になる強みのせいで、女性の幸せとしては平均以上のものを意のままにしていると思われていた。だから女の人生で、怒りや失望、落胆のもとになるものの大半が人生から取り除かれ、幸せなグリーチ嬢としてみなされていた。後には、運のいいフランチェスカ・バシントンとしてみなされていた。また偏屈者ではなかったので、魂のロックガーデンを作り上げることもなければ、自分のまわりにあるからと言って、ロックガーデンの中に石のような悲しみを引きずり込むこともなければ、望んでもない揉め事をわざわざ持ってくることもしなかった。フランチェスカが愛していたのは、平坦な道と気持ちのよい場所のある人生だった。人生の明るい面を好んでいるだけでなく、その明るい面に住むことを好み、そこに滞在することを好んだ。物事が一度か二度うまくいかなくなり、早い時期に幻想を幾分奪われたという事実があるせいで、彼女は自分に残された資産にしがみつき、今や人生も穏やかな時期にさしかかったように思えた。鑑識力のない友人たちから、彼女はやや自己中心的な女性をよそおっているとみられていた。しかし、その自己中心性とは人生の浮き沈みを経験したひとのものであり、自分に残された運をとことん楽しもうとするひとのものであった。富の浮き沈みのせいで彼女が辛辣になることはなかったけれど、そのせいで心は狭まり、彼女が共感するものとは手軽に喜んだり、楽しんだりすることができるものになり、かつての楽しくも、うまくいっていた出来事を思い出しては永遠に反芻するのだった。そして中でも彼女の居間こそが、過去のものにしても、現在のものにしても、幸せの記念物や記念品をおさめている場所であった。

心地よく古風な角部屋にはいると、壁をはしる柱やアルコーブが目に入り、さながら港にはいるときのように、貴重な個人の持ち物や戦利品が視界にはいってくるが、それらの品は、乱気流もあれば嵐もありで、あまり平穏ではなかった結婚生活を生き抜いてきた品であった。どこに彼女が目を向けても、自分の成功や財政状況、運のよさ、やりくり上手で趣味もよいことがあらわれていた。戦争のときには少なからず逆境におかれることもあったが、彼女は自分の持ち物を運ぶ輸送隊をなんとか守り、今、自己満足にみちた凝視をむけていくのは、勝利の略奪品であり、名誉ある敗北をして沈んだ船から引き上げられた品だった。マントルピースの上に飾られた、甘美なブロンズ製のフルミエの像は、昔の競馬の賞金が転じたものであり、考慮に値する価値のあるドレスデンの彫刻の一群は、思慮深い崇拝者から彼女に遺贈されたものであり、その崇拝者は他にも親切にはしてくれたけれど、死ぬことで更に親切を重ねてくれたわけだ。他の一群は、彼女が自ら賭けでもらった品で、その品を獲得したのは田舎の邸宅で九日間にわたってひらかれたブリッジでのことであり、その思い出は祝福にみちた、忘れがたいものであった。ペルシャとブハラの古い敷物に、鮮やかな色彩のウースターの茶器セットもあれば、さらに本来の価値にくわえて、歴史と思い出がひめられた、年代物の銀製品もあった。いにしえの職人や匠が、遠く離れた場所で、はるか昔に鋳造したり、精をだしたり、織りあげたりして、つくりあげた美しく素晴らしいものが、経緯をへて自分の所有になったことに思いをはせて楽しむのであった。中世イタリアや近代パリの工房の職人の作品もあれば、バグダッドや中央アジアの市場で売られていたものもあり、また、かつての英国の工作場やドイツの工場でつくられたものもあった。奥まった奇妙な角部屋にはあらゆるものがあり、工芸品の秘密が油断なく守られ、そこには名もなく記憶には残らない職人の作品もあれば、世界的に有名な職人の手による不朽の作品もあった。

そしてとりわけ彼女の宝物のなかでも、この部屋にある品々のなかで抜きんでているものは偉大なファン・デル・メーレンの絵であり、それは持参金の一部として父親の家から持ってきたものだった。象牙細工の小ぶりのキャビネットの上方に、木目込み壁中央にぴったりはめ込まれた様子は、部屋の構成からも、バランスからも、まさにその空間にふさわしかった。どこに座ろうとも、その絵は部屋を圧倒するように見え、せまってくるのであった。心地よい静けさが壮大な闘いの場面にただよい、もったいぶった宮廷の武人たちがまたがる馬は後ろ足で重々しくはねあがり、その色は灰色、茶と白のまだらや月毛であり、すべてがまじめに、真摯に描かれていたが、大がかりに配置された軍事行動では、膨大な人々が真剣にピクニックしているだけだという印象がどうにか伝わってきた。フランチェスカが思い浮かべる自分の居間には、厳かにかかっている荘重な絵がかならずあるものであり、そうしたこの上ないものに補われていない居間を想像することは出来なかった。それは、ブルー・ストリートにあるこの家以外での自分を想像できないようなもので、この家は大事な家庭のものが大切にしまわれていて、さながら万物殿のように混み合っている場所だった。

この場所に芽をだしている王座のひとつに、ダマスク織りのバラの花弁から姿をあらわしているものがあったが、それは状況が異なればフランチェスカの心の平和となったことであろう。ひとの幸せとは過去にあるというよりも、たいていは将来にあるものである。叙情性にあふれた、尊敬すべき権威の品々とはあきらかに異なり、悲しみの王冠をいだいた不幸が、不幸な出来事を憂えつつ待っていると言えるのかもしれない。ブルー・ストリートにある家は、旧友のソフィ・チェトロフから預けられたものである。だがソフィの姪のエメリーン・チェトロフが結婚すれば、そのときには結婚の贈り物として、エメリーンにあたえられることになる。エメリーンは今十七歳、かなりの器量よしであり、独身女性としての期間が安全に見込めるのは、せいぜい四、五年だった。その期間がすぎた後にくるものは混乱だろう。自分の魂になった隠れ家である住処から離れることは、フランチェスカにとって身をよじるような分離なのであった。想像のなかで、彼女が自ら深い谷間に、わずかながら橋をかけたことは事実である。頼みの橋とは、学校にかよっている息子のコーマスで、今は南部地方のどこかで教育をうけている。さらにはっきり言えば、その橋を構成しているのは、コーマスがもしかしたらエメリーンと結婚するかもしれないという可能性だと言った方がいいのかもしれない。もし、そうなった場合には、トライフルをつくって周囲を困らせながらも女主人として支配している自分の姿を見ることになり、ブルー・ストリートの家もまだ支配することになる。ファン・デル・メーレンは名誉れある場所で、不可欠な午後の光をとらえ、フルミエの像も、ドレスデンの彫刻も、ウースターの年代物の茶器セットもひっそりとしたニッチで、ひっそりと過ごしていた。こじんまりとした日本風の奥の間も、エメリーンは手に入れることができるのだ。そこはフランチェスカが夕食後のコーヒーを時々飲んだりする場所であり、居間とはしきりがあるので、自分の持ち物を置いたりもしていた。橋の構造は、細部にいたるまですべて、注意深く考えぬかれていた。ただ、コーマスがすべてのバランスをとる架け橋である点が、唯一の不幸でもあった。

フランチェスカの夫は、奇妙なパガンの名前をその少年につけると主張したが、その名前が適切かどうか、またその意義を判断できるほど、長く生きはしなかった。十七年と数ヶ月のあいだに、息子の性格について見解をいだくだけの十分な機会が、フランチェスカには十分あった。その名前から連想される陽気な精神が、その少年を放縦にしていたのは確かであったが、それは捻れ、気まぐれな性質の陽気さであり、フランチェスカ自身はユーモラスな面をめったに見いだすことは出来なかった。彼女の兄ヘンリーに関して言えば、座ってクレソンのサンドイッチを食べ、そのまじめくさった有様ときたら、大昔の式典について定めている何かの本のようでもあるが、運命はあからさまに彼女に味方した。もしかしたらヘンリーは、どこかの可愛いだけの、資力のない、つまらない女とあっさり結婚してしまい、ノッチング・ヒル・ゲート界隈に住んでいたかもしれず、やがて父親となって、血色が悪くて、ずるくて、役に立たない子供たちが、長い糸のようになってぶら下がっていたかもしれなかった。そうした子供たちは誕生日をむかえても、牛結核を贈られることになる類の病にかかっていたかもしれないし、あるいはサウス・ケンジントン風のやり方で馬鹿げたものを描いては、がらくたのために空間にとどまっている小母に、クリスマスプレゼントとして贈ってきたかもしれなかった。こうした兄らしくない行動に身を委ねるようなことはしなかったが、ただ兄らしくない行動を見ることが家族のあいだでは頻繁だったため、兄らしくない行動をとるということが兄らしいと呼ばれるようになっていたのだ。そのかわりヘンリーは資産と穏やかさの両方を持ち合わせた女性と結婚したうえに、ただひとりの子供ときたら輝かしい徳の持ち主で、両親ですら繰り返し自慢する価値があると思えるようなことは何も言わないのだった。やがて彼は国会にでたが、おそらくは家庭生活が退屈なものにならないようにと考えてのことだろう。とにかく国会のおかげで、彼の人生は無意味から開放された。死ねば、新しいポスターがだされて「選挙により再選出」と書かれる人物が、取るに足らない人物である訳がないからである。要するに、ヘンリーとは、簡潔にいえば当惑させるところがあって、不利な条件におかれているところもあったけれど、どちらかといえば友達であり相談役であることを選び、時として非常用の銀行預金残高であることを選んだのだ。フランチェスカの不公平な接し方は、賢くても怠けがちな女性が頼りがいのある馬鹿に抱きがちなものだが、彼の助言だけを求めるのではなく、しばしば助言にしたがった。さらに都合のつくときには、彼から借りた金を返した。

運命は、ヘンリーを兄として与えてくれるという素晴らしい助けをだしてくれたが、その助けにあらがい、フランチェスカは、コーマスを息子にするという悪意にみちた、わずらわしい運命を切り開いた。その少年は無秩序に生きる、扱いにくい若者のひとりであり、幼稚園、進学準備校、パブリックスクールをとおして遊び戯れたり、いらだったりする有様は、嵐や砂塵、混乱が最大限にやってきたようであり、骨の折れる勉強はまったくする気配はなく、涙を流したりする者やカッサンドラの予言に関する者すべてが弱まるような混乱のなかでも、ともかく笑い声をあげる若者である。時にはそうした若者も、年をとれば落ち着いて退屈なひとになり、自分が大騒ぎしていたことを忘れてしまうこともあるかもしれない。時には、そうした若者に素晴らしい運がむき、広い視野で素晴らしいことを行い、国会や新聞から感謝され、お祭り騒ぎの群衆に迎えられることもあるかもしれない。だが、ほとんどの場合、そうした若者の悲劇が始まるのは、学校を卒業して世の中に放り出されたときであり、世の中が文明化されていて、人も大勢いて、自分の場所を見つけようにもどこにもないときである。そうした若者は実に多い。  ヘンリー・グリーチは小さなサンドイッチを食べるのをやめ、勢いを取り戻した砂塵嵐のように議論をはじめ、その当時流行していた話題のひとつである極貧の防止を論じた。

 

「今のところ、問題となることは、思わせぶりな態度をとられたり、においをかがれたりするということだけだ」彼は観察にもとづいて述べた。「だが遠からず、そうしたことに深刻な注意をはらい、考慮していかなければならない。最初にしなければいけないことは、その問題に接近するときに、中途半端にかじった机上の理論から脱することだ。厳しい現実を集めて、咀嚼しなければならない。すべての理性ある精神に、この問題を訴えていかなくてはいけない。しかしながら、人々に興味を抱いてもらうことは、驚くほど難しい。」

 

 フランチェスカは短い音節で反応した。それは言わばブーブーという鳴き声でありながら同情を示す音であり、ある程度は聞いて評価しているということを示そうとしたのであった。実際、どんな話題であろうとヘンリーが語る事柄に、興味をもつなんて難しいと彼女は考えた。彼の才能は、物事を面白くないものにするという方向に徹底しているから、たとえ皮剥の刑にあった聖バルトロマイの虐殺を目撃したとしても、その事件を語る説明には、おそらく退屈という味わいが吹き込まれることだろう。

「この話題について、ある日、レスターシャーで話したが」ヘンリーは続けた。「考えるのをやめてしまう人が少しいるという事実について、かなり詳しく指摘した。」

フランチェスカは即座に、でも上品に、考えることをやめないという多数に転じた。

「そちらに行かれたときに、バーネット家のどなたかに会ったのでは?」彼女はさえぎった。「エリザ・バーネットは、こうした問題すべてに関わっているから」

社会学を宣伝しようとするなかにいることは、生活と労苦が争う競技場にいるようなものであり、その荒々しい闘いやら競争やらは、型も種類も極めて近いものであった。エリザ・バーネットは、ヘンリー・グリーチと政治的、社会的な考え方を共有していたが、同時に相当細かく指摘したがる好みまで共有していた。かつて競争が厳しい雄弁家の演台で、彼女がかなりの地位をしめていたことがあったが、その集団では、ヘンリー・グリーチはじれったい一人だった。当時の主な話題について、ヘンリーは彼女と意見が一致していたが、彼女の尊敬すべき性質に関した話では、彼はいつまでも心の中でまばたきをしていたので、会話尻をとらえて彼女の名前をほのめかすということは、巧みにルアーを投げ込むようなことであった。どんな話題にしても、彼の雄弁に耳をかたむけなければいけないのであれば、極貧を防止する話題よりは、エリザ・バーネットへの非難のほうが好ましいものに思えたのだ。

「彼女はたしかによく語っていると思う」ヘンリーはいった。「だが自分の人柄をださなければいいのだが。それに国中のあたらしい意見を代弁するのに、自分が必要だと思わないことだ。キャノン・ベスモレーにしたところで、帝国をゆさぶる者や改善しようとする者のことについて話すときには、彼女のことを思い出してはいない」   

 フランチェスカは心から楽しくなって、笑いたい気持ちになった。

「あの方ときたら、お話になることすべてに、とても詳しいのよ」彼女は挑発的な見解をのべた。

 ヘンリーはおそらく、エリザ・バーネットの話題にひきずりだされたことを感じたのだろう、すぐに話題の矛先をもっと身内にむけた。

「この家の雰囲気が全般的に静かであるところからすると、コーマスはタルビーへ戻ったようだが」

「ええ」フランチェスカは言った。「昨日、戻りました。あの子のことはもちろん好きだけれども、別れても我慢できるから大丈夫。あの子がここにいると、家の中に活火山があるようなものだから。どんなに静かな時でも、絶え間なく質問をしては、強いにおいをふりまく火山なの」

 「今だけの、束の間の安らぎだな」ヘンリーは言った。「一、二年もすれば学校を卒業することになるが、そのあとはどうする?」

 フランチェスカは目を閉じたが、その様子は悩ましい将来を視野から閉ざそうとする人のものであった。他人がいるところで、将来について子細に検討することを彼女は好んでなかった。とりわけ将来の幸運が疑わしい時はなおさらであった。

 「さて、そのあとは?」ヘンリーは執拗だった。

 「そのときは、わたしの脛をかじっているでしょうよ」

 「いかにも」

 「そこに座って批判がましい顔をするのはやめて。どんな忠告でも耳を傾けるつもりはあるから」

 「ふつうの若者の場合なら」ヘンリーは言った。「ふさわしい職業につくことについて、たくさん助言もしてあげるのだが。だがコーマスについては知ってのとおり、彼がつこうともしない仕事を見つけたところで、時間の無駄になるだろう。」

 「あの子も何かしないといけませんわ」フランチェスカは言った。

 「それは私にもわかっている。だが、あの子はしない。少なくとも、何事にも誠実に取り組まない。一番期待できそうなことは、財産のある娘と結婚することだ。そうすれば、あの子の問題のなかでも財政上の問題は解決される。おもいどおりになる金が限りなくあれば、どこかの荒野にでも行ってライオンでもしとめるだろう。ライオン狩りに何の価値があるかわからないが、あの社会不適格者の、破壊的なエネルギーをそらすのには役に立つ」

 ヘンリーは鱒より大きくて荒々しいものを殺したことがないため、ライオン狩りの話題に関しては、蔑むように見下していた。

 フランチェスカは、結婚という提案をよろこんだ。「財産のある娘さんかはわかりませんが」フランチェスカは慎重に言った。「エメリーン・チェトロフならいますわ。財産のある娘さんだとはあまり言えないかもしれませんが、あの娘には、ささやかながら気持ちよく暮らせるだけの、自分の資産があります。それに私が思いますには、あの娘には、おばあ様から頂けるものも少しあるでしょう。それから勿論ご存知のように、あの娘が結婚すれば、この家ももらえることになりますわ」

 「そうであるならば、なお都合がいい」ヘンリーは言いながら、妹が何百回と自分のまえで運ぼうとしてきた考えの流れをたどろうとした。「彼女とコーモスは仲良くやれているのか」

 「男の子と女の子としては十分いい方よ」フランチェスカは言った。「ふたりのためにお互いをもっと知る機会を、そのうちにもうけなくてはいけないわ。ところで、あの娘がとても可愛がっている弟のランスローが、今学期からタルビーに入るの。コーマスに手紙を書いて、とりわけ親切にするように伝えるわ。それがエメリーンの心をとらえる確実な手になるでしょうから。コーマスの見かけは完璧だし。神様のおかげだけど」

 「そんなのが重要なのは、遊びだけだろう」ヘンリーは馬鹿にした。「仕事は無難に終わらして、確実な行動をとったほうがいいと思うのだが」

 コーマスは叔父に気に入られていなかった。

 フランチェスカは書き物机にむかうと、急いで息子にあてた手紙を書き、その中で新しく入ってくる少年の健康状態がきわめて敏感なものであり、性格も内気であるということや、生まれついての性格について注意をむけさせると、面倒をみるように頼んだ。彼女が手紙に封をして印をおしたとき、ヘンリーが遅ればせながらの注意をした。

 「おそらく、その少年のことはコーマスに言わないでおいた方が賢明だ。あの子ときたら、いつもお前が望む方向にはすすまないから」

 フランチェスカもわかっていた。それに兄の言うことも半分以上はもっともだった。だが、一ペニー切手がきれいで、汚れていない状態のまま、犠牲にできる女というものは、まだ生まれていないものである

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