さりはま書房徒然日誌2024年10月15日(水)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』九月二十一日を読む

ー藍染だからこその力強さー

九月二十一日は「私は藍だ」で始まる。手織りの布を藍で染め、寝たきりの夫を介護する老婆の染める藍が語る。
以下引用文。老婆は世一を呼び止め、身体を測る。そしてしばらくしてから……が以下の展開である。今まで世の謗りを受けてヨレヨレになったシャツ、老婆が仕立てた藍染のシャツとのコントラストが心に残る。「初秋の空に溶けて 別格の存在に」と語られる世一も……。そうした言葉にこもる思いの強さも丸山先生らしいなあと思う。

汗や土埃
  差別や偏見
     嫌悪や憎悪
        憂いや憤り
           そんなものにまみれてよれよれになった半袖のシャツを手に、


私が全情熱を傾けて染めた
   真新しい長袖のシャツを着こんで
      丘の家へとつづく道をてくてく歩いて登る
         必ずしも儚い命とは言えぬ少年は
            たちまちにして初秋の空に溶けて
               別格の存在と化した。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』225ページ)
    

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さりはま書房徒然日誌2024年10月14日(月)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』九月十六日を読む

ー宇宙は無数にー

九月十六日は「私は体積だ」で始まり、世一の体の体積が語る。

以下引用文。丸山先生らしい「宇宙は無数に存在」するという考えが出ている箇所で興味深い。だんだんイメージが追いつかなくなったところで、ホウセンカの種が出てきて、なみみ深いこの世に帰ってくる感じがある。

こうした宇宙は無数に存在して
   さながら水泡のごとく
      ひっきりなしに消えたり現れたりしているのだから
         少しも貴重ではなく、

つまり
   永遠の存在もなければ
      永遠の無もなく、


無は自身のあまりの空しさに耐えきれずに
   のべつ揺らぎ、

その揺らぎが限界に達したところで
   特異点と化し、

そこから新しい世界の種が
   ホウセンカの種のように
      ポンと飛び出すのだ。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』204頁)

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さりはま書房徒然日誌2024年10月13日(日)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』9月15日を読む

ー生から一転して死の世界へー

九月十五日は「私はサルスベリだ」で始まる。なんとも幻想味漂う箇所である。

以下引用文。寺の境内に咲くサルスベリ。その姿が生気にあふれる分だけ、死霊たちとのコントラストが鮮やかで印象的である。

私はサルスベリだ、

まだまだいくらでも花を咲かせつづけて夏を限界まで引き延ばす
   動物並の生気に満ちあふれた
      この界隈では一番古手のサルスベリだ。

ありったけの紅色を武器にして
   境内に漂う死の気配を相手に孤軍奮闘している私は、

隙あらばこの世に舞い戻ろうと機を窺う死霊たちの
   虫のいい願いを押し返しており、


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』198ページ)

豪雨で崖が崩れ、寺の墓石も全部土砂に埋まるなか、サルスベリは墓地の水分を吸い上げる。すると花は黒く変色して落下。

枝にとまった青い鳥が「おまえは死んだのさ」と鳴く。
生にあふれていたサルスベリが死んだ木に一変する展開に、華やかな生が死に転じることで不思議な色を帯びてくるのを感じる。

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さりはま書房徒然日誌2024年10月11日(金)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』九月十二日を読む

ー楽器の音色が語りかけてきそうー

九月十二日は「私は楽器だ」で始まる。薪ストーブ作りの男が久しぶりに手にした「金属製のリード楽器」が語る。

以下引用文。楽器の奏でる音が聞こえてくるような気がするのは「滑り」「吸いこまれ」「諭し」というサ行音の効果だろうか、それとも「吸いこまれ」「失いつづけ」と平仮名の量が多いせいなのだろうか?楽器の音が流れてゆく風景、その音に託した楽器の、丸山先生の声が聞こえてきて印象に残る。

十数年ぶりに私が発する震動は
   夜気を震わせて湖面を滑り
      星夜へと吸いこまれ
         奏者自身の胸のうちへと逆流し、

あれから何を失ったのかをやんわりと諭し
   今なお失いつづけて
      このままでは芯から腐ってしまうことを
         厳しく指摘して警告を与えてやった。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』189ページ)

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さりはま書房徒然日誌2024年10月10日(木)

製本基礎コースに行ってきました

ー糊を使わない製本ー

まるみず組での製本基礎コース第2回に行ってきました。
今回は糊を使わない製本です。

定規で測った筈なのにズレている……
モタモタして中々カッターで切れない……
すぐに手順を忘れてしまう……など情けないかぎり。

定規できちんと線が引けるって才能だなあと嘆きつつも、根気強い先生のおかげで無事に完成!でも背の糸がアンバランス……なのは次回の反省に。

材料は紙とクロスと麻ひもだけ。それだけで完成するとはすごい。
リボンの位置や太さは自由に変えられます。

ちなみに中に写真を貼ったり、短歌を貼ったり、色々貼れそうです。
訊いてみたら田畑書店のポケットアンソロジーは、この綴じ方を使っても、あるいは別の綴じ方でも変身させられるとのこと。ポケットアンソロジーで製本の復習をしてみるのも楽しそう。


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さりはま書房徒然日誌2024年10月9日(水)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』九月六日を読む

ー行商の娘がざらっとした印象を残すー

九月六日は「私は無視だ」で始まる。

おそらくこの少女は、丸山先生が実際に見かけた娘なのでは?日本海の街からはるばる信濃大町まで大糸線に乗って行商に来た娘がいるのでは?とも思う。

列車やバスを乗り継いで
   はるばる海の町から行商にやってきた娘
      そんな健気な彼女の
         少年世一に対する無視だ。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』162ページ)

以下引用文。世一の家のある丘で弁当を食べ、世一がお茶を出しても頑なに無視をする娘。オオルリが「感謝の言葉はどうした」と促しても、やはり無視を続ける。そんな娘が呟く「あんたは飛べない鳥だね」というのはオオルリなのだろうか、世一なのだろうか……いずれにしても心に残る言葉、娘である。

さっさと弁当を食べ終えた彼女は
   どこか遠くを
      山の彼方や
         空の彼方に目をやりながら
            お茶で口をすすぎ、

「あんたは飛べない鳥だね」と
    意味深長な言葉を呟いた。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』165ページ)

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さりはま書房徒然日誌2024年10月8日(火)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』九月五日を読む

ー子供らしくないのに心に残る世一の言葉ー

九月五日は「私は躊躇だ」で始まる。丘の上の家から下ってくる途中の世一がかられた「躊躇」が語る。
以下引用文。滅多に会話文を使わない丸山先生の「なんなら人間を辞めてもいいんだが」という子供らしくない台詞はどこか挑戦的で、不気味で、心に引っかかるものがある。

生きる勇気をさかんに鼓舞する青い鳥も次第に疲れを見せ始め
   ために
      私が再度勢いづいたことでその場にうずくまった世一は
         「なんなら人間を辞めてもいいんだが」
            そんなことを口走った。

(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』161頁)

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さりはま書房徒然日誌2024年10月7日(月)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』九月四日を読む

ー身近な自然の美しさー

九月四日は「私はトマトだ」で始まる。退院した世一が自宅の庭のトマトからもぎとって食べる黄色い実が語る。
以下引用文。世一がもぎとったトマトをかじる場面。丸山先生の文は、こういう身近にある自然を描くとき、万物の真理がパッと開くような美しさがあるなあと思う。

ともあれ死なずに済んだ世一は
   食べるのを中断して
      私のことをしげしげと見つめ直し、

日にかざして
   色の鮮やかさにうっとりと見とれる。

そのついでに
   おのれの手を流れる血液の赤と
      太陽の金色を半ば夢見心地で眺めながら、

二階の部屋の
   さながら天国の門のごとく開け放たれた窓から
      惜しげもなくばら撒かれる
         青い鳥のさえずりにじっと聴き入る。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』155頁)

 

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さりはま書房徒然日誌2024年10月6日(日)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』九月三日を読む

ー自然と共にある生活感ー

(↑ カエデの黄葉。赤く紅葉するカエデもあるみたいだけど、たまたま黄色の黄葉に)


九月三日は「私はカエデだ」と世一の家の「星の形の葉をいっぱいに付けたカエデ」が籠に入れたオオルリと一緒に木に登ってきた世一のことを語る。
「星の形をいっぱいに付けたカエデ」という表現にも、以下引用文にも丸山先生の自然に向ける眼差し、その中で生を紡いでいらっしゃるのだなあ……と著者の生活感覚が滲んでくる素敵な文のように思った。

そしてオオルリと共に
   私の上で食べ
      私の上で飲み
         私の上で唄い
            私の上で排泄し
               私の上でこの世を満喫する。


そんな私たちの上空を
   夏を惜しむ白い雲が流れて行き
      充足の季節を心ゆくまで謳歌した鳥たちが
         黙したまま渡って行き
            生きとし生けるものすべての運命を司る時間が 

   さりげなく移って行く。

(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』152ページ)

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さりはま書房徒然日誌2024年10月5日(土)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』九月二日を読む

ー爪弾きにされている者達なのに自由で美しくー

九月二日は「私は背中だ」で始まる。ようやく退院した世一をおぶって連れ帰るのは、刑務所を出所した後緋鯉を飼って暮らす叔父。その背中が語る。
以下引用文。丸山先生が描くこの場面は、刑務所に入っていた叔父、体も心も不自由な世一、物乞い……と爪弾きにされている人物を描いているのに、なんて自由でのびのびしていることか……自然もそうした人間を包容してただただ美しい、と思った。

ぽこんと突き出た腹を
   太陽の方角へ向けて
      桟橋に寝そべっていた物乞いが
         世一に気がつくと手を振り
            それに応えて世一も手を振り返し、

その間に
   いよいよヒグラシが鳴き始めて
      陽光の輝度が半減し、


ひんやりした一陣の風が
   人情の機微に触れながら
      松林を吹き抜けていった。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』148ページ)

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