さりはま書房徒然日誌2023年8月24日(木)旧暦7月9日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻を読む
ー惨劇の前の美しさー

屋形船おはぐろとんぼが語る徒然川の美しさ……。
こんな風に意外な言葉を組み合わせて、川の美しさを語ることができるのか……。
散文の可能性を教えてもらった気がする。
この直後に惨劇が待ち構えているとは……まったく予想させないし、惨劇の前だから美しさが心に沁みてくる。

深い意味に染まった
死に制服されざるものに対して
素知らぬ風を装いながら
滔々と流れる徒然川は、

水面のあちこちに
もしかすると滅度を得られるかもしれない儚いひらめきを
月影の反射光のようにふんだんにちりばめ

ささやかで劇的な形態をまとう
地名にちなんだ伝説に生気を与えつづけ

春夏秋冬を愛でながら
幾つもの夜明けを重ねて
そろばん高い猜忌のあれこれを
きれいさっぱり帳消しにし、
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻494頁)

この章の最後、惨劇の後の大男の声の不気味さが荒れ寺の鐘に喩えられている。
美と隣り合わせの惨たらしさ……が生きていることなのだろうか?
惨たらしくても思わず読んでしまう表現だなあと思う。

いずれそのうち
維持する檀家もいなくなると
そう取り沙汰されている
荒れ寺の割れ鐘のような調子で
不安一辺倒に響き渡った。
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻523頁)

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さりはま書房徒然日誌2023年8月23日(水)旧暦7月8日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻を読む
ー冷静に選んだ言葉による表現の面白さ!ー

屋形船おはぐろとんぼを降りて、かつて自分を捨てた女の家に向かう船頭の大男。
その心を後押しする声が、16人ものまったく異なる人間のものとして描かれている(たぶん)。

中でも嫌で頭にくる歴史上のあの人間をズバズバ、でも冷静に語る言葉が心に残る。以下引用。

平気で人を踏みつけにするろくでもない性格をむき出しにして
戦犯の前歴をひけらかすことにより
却って巨利と名声を博すようになった
番外の成功者……
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻460頁)

ほんとうにその通りだ。よくもピッタリ表現されたもの……。

大男と女が寄りを戻す場面。
二人の愚かさを描きながら、やはり視点は冷静で言葉は美しく……
でも、この書き方を実践するのは難しいと思う。

頑なにだんまりを決めこんだまま
不吉な感じの雲が垂れ下がった雨催いの空を横切る弓張り月の真下

多少のばらつきはあるものの
夕方にはつぼむ白い花の真上で

首鼠両端を持しながらも
着々と情痴に狂ってゆく男と女が、

日々の暮らしに屈託したことから
飲酒に依存するようにして

肝胆相照らす仲という仮面で装う必要もないほどの
一方ではどこまでも性愛的な
他方ではどこまでも打算的な
らせん状の親密さを増してゆき、
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻487頁)

二人を厳しい目で見ながら、同時に美しくポエティックに語る……のは難しい。
たぶん私なら「許せないこいつ」という思いが強くなって、冷静さが崩れて罵倒してしまう……。たぶん

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さりはま書房徒然日誌2023年8月22日(火)旧暦7月7日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻を読む
ー川の流れは記憶の流れ—
—「思い出す」という言葉を様々に言い換えてー

徒然川を下る屋形船おはぐろとんぼ。
その脳裏に浮かんでは消えてゆく様々な人々。
そうか….川は丸山先生がテーマとされている記憶の流れそのものなのか。
以下の箇所、そんな老いから若きまで、おはぐろとんぼの、いや丸山先生の意識に浮かんだ庶民の姿がありありと描かれている。

それから「思い出している」のに、「思い出す」という言葉は一度しか使わずに、あとは色々表現を変えている。
丸山先生の指導を受けていると、「また同じ言葉」とよく指摘されるも、私の語彙はすぐに尽きてしまう……。
同じ言葉を繰り返さないという努力は、読者は気がつかないがとても大変なもの。
でも繰り返しを避けることで、それぞれが別のストーリーのような、そんな引き締まった感じが出てくるように思う。

何がどうなってそうなるのかについては
さっぱり解せないのだが、

異界へと旅立つ前に
全生涯の歓びをそっくり想い起こす
瀕死の年寄りの歪んだ笑顔なんぞがよみがえり、

まさに芳紀十八歳の娘の残香が
水の匂いを押しのけて辺り一帯に漂い、

安くてけっこう食い出のある天丼が目当ての客が
連日大挙して押し寄せた村の食堂のことが思い出され、

呵々大笑だけが取り柄の
いたって無芸な炭焼きが
とんだ心得違いから生じた妄念に悩む
見るからに気の毒な姿が追憶され、

舟運の便が良い徒然川と共に流れる
根も葉もない噂のひとつひとつが
厳寒の打ち上げ花火のように
楚然として闇に浮かび、
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻447頁)



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さりはま書房徒然日誌2023年8月21日(月)旧暦7月6日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻を読むー時も空間もぐんにゃり歪めることのできる言葉の威力ー

屋形船おはぐろとんぼは、丸山文学は、弱く小さな存在「そろそろ死ぬ覚悟を固めつつある草陰にすだく虫たち」やら「後期高齢者」について語っていたかと思えば……
次の頁では、いきなり宇宙の終わりや時の流れにワープする。

そうした思考の流れを追いかけていると……。
弱き者たちも宇宙や時の一部分、隣り合わせて存在しているのだなあという思いにうたれる。

太っ腹で小さなことにはこだわらない
つとに名高い理論物理学者が
それとなく警告する

宇宙の倒潰を予感せずにはいられない
銀河系の末路など
たやすく一笑に付すことができた。
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻416頁)

輝かしく思い出深い過去の頂点が
いつだって未来の霧のなかに隠されてしまうことを
自然の摂理のひとつと受けとめて
あっさり容認でき
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻417頁)

言葉をつかって文を書く……。
それは宇宙をぐんにゃり歪め、時を自由に行き来させてくれる……そんな魔法の杖をふるに等しい行為なのかもしれない。
……そんな気がしてきた。

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さりはま書房徒然日誌2023年8月20日(日)旧暦7月5日

移りゆく日本語の風景ー「闘茶」ー

暑さ厳しい日に飲む冷茶は美味しい。
ノンカフェインの麦茶やルイボスもいいけれど、冷茶の緑には一瞬だけ暑さを忘れてしまう力がある。
ずっと私たちの生活と共にあったように思える茶だが、元々は遣唐使の時代に唐から持ち帰られたもの。
荒波をこえて、この緑芳しい飲み物を運んでくれたお坊さんの勇気に感謝だ。ジャパンナレッジ日本国語大辞典によれば、以下のとおり。

日本における飲茶の起源は不明であるが、天平元年(七二九)、聖武天皇が百僧に茶を賜った記事が、明確な記録としては最古のものといわれている。当時のものは唐から帰国した僧侶が持ち帰った団茶であった。これは、茶の葉を蒸してつき、丸めて乾燥したもので、粉にして湯に入れて煎じ、塩、甘葛などで調味して飲んだ。煎じて飲むところから煎茶と呼ばれることもあったが、のちの煎茶とは別物。寺院や上流社会では、薬用、儀式用、あるいはもてなし用として茶が用いられたが、遣唐使の停止以後中絶した。

どうやら古代、天平の頃の茶はとても高貴な方々だけが口にできるものだったようだ。

さて茶の項目を眺めていると、「闘茶」という聞き慣れない、でも強烈なインパクトのある言葉があった。
ジャパンナレッジ日本国語大辞典で調べてみると、「闘茶」とは以下のとおり。

飲茶遊技。本茶・非茶などを判じて茶の品質の優劣を競って勝負を争った遊び。鎌倉末期に宋より輸入され、南北朝、および室町時代に流行した。

どうやら産地や品種を飲み分ける勝負らしい。
飲茶遊技という言葉も、闘茶という言葉も印象的。
闘茶の例文は14世紀から近代に至るまであった。その割には、今まで耳にしたことがなかったのはなぜだろう?

*洒落本・風俗八色談〔1756〕三・艸休茶の湯の事「唐にも闘茶(トウチャ)といふて茶の美悪を論ずる事はありと聞ども」

*随筆・筆のすさび〔1806〕二「三谷丹下は、後に宗鎮と改名す。〈略〉その家にては、茶かぶきは不用、そのかはり闘茶を教ゆ」

*旅‐昭和九年〔1934〕一一月号・首代金廿万両〈正木直彦〉「進んでは又『闘茶(トウチャ)』といふのが行はれるやうになった。これは茶の味を飲み分けるゲームであって」

14世紀からずっと見えていた「闘茶」という言葉がパタリと絶えたのはなぜなのだろう?
それとも茶道には残っているのだろうか?
闘茶」という言葉が醸す心のゆとりを思いながら、「闘茶」の消えた現代を残念に思う。
でも茶葉は気温の影響をダイレクトに受けやすいもの。「闘茶」どころか「茶」の緑が消えてしまうディストピアにならぬよう祈るばかりの暑さである。





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さりはま書房徒然日誌2023年8月19日(土)旧暦7月4日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻を読むー数多の物語を孕み、旅立ちへとうながす風景描写ー

女のことを忘れようとする船頭の大男。
その心を見つめながら、月は別の世界を照らしてくれる。
月光が射すところには無数の物語がある……
昼間の風景とは異なる妖しさ、美しさよ。
そんな月明かりの光景を語る文に、読み手も知らず知らずのうちに、船頭や屋形船おはぐろとんぼと一緒に再び船旅に出たくなる……。
静止した月が動きへ、旅立ちへと背を押す不思議さを感じた。

月はというと

孤立無援の放浪者を惹きつけてやまない
ぱったりと交通が途絶えた街道……

いかめしい門の佇まいに不似合いな
趣にあふれた庭園……

長日月にわたって一心不乱に考えつづけるという
重い思索の淵に沈んだ後
長編叙事詩を一気呵成にかきあげた
凡俗の顰蹙を買う怪童のおとなびた横顔……

真夜中の奥に聳立した山々を縫って滑翔する
槍の穂先のようなくちばしを持つ怪鳥……

廉潔の士として知られるよそ者の
救いがたい手落ち……

なんぞをどこまでも優しく照らした。
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻391頁)

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さりはま書房徒然日誌2023年8月18日(金)旧暦7月3日

移りゆく日本語の風景ー蛙楽は遠くになりにけりー


何をうるさいと思うかは、感覚、価値観の問題があって個人差も大きい。
音に関しては、私の快適があなたの不快……になりがちで難しいと思う。
さて最近「水田のカエルの声がうるさいから何とかしてほしい」という話題をニュースで見かけた気がする。

私は一番最初の勤務先が四方を水田に囲まれた場所だったから、この時期の水田から吹いてくる風、カエルの大合唱には涼しさと懐かしさを覚える方だが……。
カエルも水田も馴染みのない人にとっては、受け入れ難い音なのかもしれない。

でもかつて「蛙楽」(あがく)という言葉が存在するほど、蛙の声に日本人は風情を感じてきた。
ジャパンナレッジの日本国語大辞典によれば、「蛙楽」の意味、例文は以下のとおり。

蛙の鳴くのを音楽にたとえていう。蛙の音楽。
*筑波問答〔1357~72頃〕「旧池の乱草をはらひて、蛙楽を愛することあり

ちなみに蛙に関する文は、ずいぶん昔からあるようである。
以下、ジャパンナレッジ国語大辞典「蛙」の項目より例文をいくつか。

*日本書紀〔720〕応神一九年一〇月(熱田本訓)「夫れ国樔は其の人と為り甚だ淳朴(すなほ)なり。毎に山の菓を取りて食ふ。亦蝦蟆(カヘル)を煮て上(よ)き味と為」

*徒然草〔1331頃〕一〇「烏の群れゐて、池のかへるをとりければ、御覧じかなしませ給ひてなん」

*蛙〔1938〕〈草野心平〉河童と蛙「ぐぶうと一と声。蛙がないた」

それにしても日本書紀の時代、蛙は煮て食べる食材でもあった。それが風情の対象となり、声を愛でられるようになり、そして今疎まれようとされている。
願わくば、心にも暮らしにもゆとりが生まれ「蛙楽」という言葉が生きながらえますように。



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さりはま書房徒然日誌2023年8月17日(木)旧暦7月2日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻を読むー屋形船おはぐろとんぼが語る自然の美しさー

オンボロ屋形船おはぐろとんぼが感じる自然の美しさ。

丸山先生が指導してくださるとき、その季節に咲く花は?とよく問われる様子が思い出される。

以下紫色の屋形船おはぐろとんぼが語る文は、じっと自然を観察してきた丸山先生ならではの文……だと思う。

私にはとてもタヌキの親子連れとか地蔵とか……文を書きながら浮かんでこない。

それから私は

土と石を交互に盛り上げただけの
従って
徒然川が放ってやまぬ情緒をいささかたりとも損ねていない
艶めかしい曲線を描き出す堤防すれすれのところをのろのろと下り

月影青く風さやかなる夜に
気持ちよさそうに空中を漂ってゆく死者の魂に思いを馳せて
どこまでもつづく桜並木に沿って進みながら

タヌキの親子連れの瞳の輝きや

不満らしい渋面を作っている野ざらしの地蔵や

ホタルのあまりにも静かなる乱舞や

みごとの一言に尽きる流星群の活動などに

ぼうっと見惚れている最中

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻337頁)

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さりはま書房徒然日誌2023年8月16日(水)旧暦7月1日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻を読むー「どこにでもいるありふれたやつだった」を丸山健二の言葉で語ればー

なんでも知っている屋形船おはぐろとんぼ。
全知全能のおはぐろとんぼが、船頭の大男を語る次の言葉に悲劇の予感。
いつまでも、大男とおはぐろとんぼ……旅が続いていけばいいのに。
そんな思いが覆されるのでは……という気がしてくる。

知人はおろか
神仏にさえ気取られぬように
うつし身の世をそっと抜け出そうとしているとは
とても思えず

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話』下巻327頁)

おはぐろとんぼが大男を語る言葉。
最近よく見かける小説なら「どこにでもいるありふれたやつだった」と一行で書くだろう。
丸山先生はこれでもかと文を連ね、ありふれたやつ……のイメージを膨らませてくれる。
丸山文学では、言葉からイメージを紡ぎ出す過程がすごく楽しい。

ただ国語の授業でも、ひたすらわかりやすい実用的な文が求められる時代である。
こういう過程を楽しめない人が多くなり、チンプンカンプンの人が多い現状が寂しくもある。

さて、船頭の大男が「どこにでもいるありふれたやつだった」を丸山先生が表現すれば以下の通り。

その所を得てそれなりの花を咲かせる
単純率直な人間の代表にしか見えず、

さらには

手厳しい結論を強引に押しつけたあげくに
ドライアイスのごとき視線でもって最後の一撃を浴びせる
冷淡な観察者……

夜ごと安酒場に集まって陽気に騒いでも
いっこうに眼識を養えないことが容易に察せられる芸術家……

来るべき不幸に思い悩みつつも
ありふれた見解を脱することができない善良な大衆……

満を持して登場した
これに尽きる反逆者……

小賢しいうえに
骨なしときている教育者……

先天的な素質として弁才に長けた
きわめて魅力的な煽動者……

とまあ
そう解釈したくなった

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話』下巻327頁)

巷によくいる奴、しかも嫌な奴。
……をすっぱり語ってくれているからスッキリする。

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さりはま書房徒然日誌2023年8月15日(火)旧暦6月29日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻を読むー屋形船が語る都会のわびしさー

屋形船おはぐろとんぼは徒然川を旅して、露草村からうつせみ町へやってくる。

丸山文学は、地名や固有名詞の名前のつけ方にも特徴がある。
現実には多分あり得ないけれど抒情があふれる名前の数々……それは見慣れた風景をどこか不思議なものに変える魔力がある。

さて屋形船おはぐろとんぼが感じる「うつせみ町」の都会の寂しさも、「そうだなあ」と心に残る。

魂の舟が難破した件について
事の経過を思い返しながら雑感を述べる
いまだ自分が何者であるかを知らぬ人間の数が増え、

はるか沖合にまたたく魚燈をぼうっと眺める
家庭の事情で進学を思い切った少年のため息がかすかに届き、

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻292頁)

日本舞踏の会について、屋形船おはぐろとんぼが向ける非難の眼差しもパンチがある。
ただ、こうした骨太な問題意識と幻想性が両立するユニークさが、幻想文学読みからスルーされてしまう要因なのかもしれない……。
幻想文学読みから、丸山文学があまり読まれていない現状をひたすら残念に思う。

何よりも格式を重んじるはずなのに
それでいて
裏では冷たい感触の高額紙幣が飛び交う
日本舞踏の納会が終えたあとに漂う残り香にそっくりな
いかにも退廃的な甘酸っぱい匂いが感じられ

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻299頁)



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