さりはま書房徒然日誌2024年10月6日(日)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』九月三日を読む

ー自然と共にある生活感ー

(↑ カエデの黄葉。赤く紅葉するカエデもあるみたいだけど、たまたま黄色の黄葉に)


九月三日は「私はカエデだ」と世一の家の「星の形の葉をいっぱいに付けたカエデ」が籠に入れたオオルリと一緒に木に登ってきた世一のことを語る。
「星の形をいっぱいに付けたカエデ」という表現にも、以下引用文にも丸山先生の自然に向ける眼差し、その中で生を紡いでいらっしゃるのだなあ……と著者の生活感覚が滲んでくる素敵な文のように思った。

そしてオオルリと共に
   私の上で食べ
      私の上で飲み
         私の上で唄い
            私の上で排泄し
               私の上でこの世を満喫する。


そんな私たちの上空を
   夏を惜しむ白い雲が流れて行き
      充足の季節を心ゆくまで謳歌した鳥たちが
         黙したまま渡って行き
            生きとし生けるものすべての運命を司る時間が 

   さりげなく移って行く。

(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』152ページ)

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さりはま書房徒然日誌2024年10月5日(土)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』九月二日を読む

ー爪弾きにされている者達なのに自由で美しくー

九月二日は「私は背中だ」で始まる。ようやく退院した世一をおぶって連れ帰るのは、刑務所を出所した後緋鯉を飼って暮らす叔父。その背中が語る。
以下引用文。丸山先生が描くこの場面は、刑務所に入っていた叔父、体も心も不自由な世一、物乞い……と爪弾きにされている人物を描いているのに、なんて自由でのびのびしていることか……自然もそうした人間を包容してただただ美しい、と思った。

ぽこんと突き出た腹を
   太陽の方角へ向けて
      桟橋に寝そべっていた物乞いが
         世一に気がつくと手を振り
            それに応えて世一も手を振り返し、

その間に
   いよいよヒグラシが鳴き始めて
      陽光の輝度が半減し、


ひんやりした一陣の風が
   人情の機微に触れながら
      松林を吹き抜けていった。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』148ページ)

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さりはま書房徒然日誌2024年10月4日(金)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』九月一日を読む

ーオオルリの鳴き声に姉への想いを反応させてー

九月一日は「私は相談だ」で始まる。世一の姉が最近態度が冷たくなってきている恋人・ストーヴ作りの男のことをオオルリに相談する。
以下二箇所からの引用。オオルリの鳴き声に姉への助言を込めた作者の視点、変わりゆくオオルリの様子が印象に残る。

するとオオルリは
   報恩の念にあふれた声でひとしきりさえずり、

   ついで
      だしぬけに荒々しい声に切り替え
         ずけずけと物を言い、

         つまり
            あいつは男のクズだと鳴き


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』145ページ)

それから
   最後にひと際厳しい声で
      恋愛の行方は女の出方いかんで決まると鳴き
         私への揺るぎない回答とした。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』145頁)


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さりはま書房徒然日誌2024年10月3日(木)

製本基礎講座第1回ー判取帳をつくるーに参加してきました

板橋にある手製本工房まるみず組で一年にわたる製本基礎講座の第一回めを受けてきた。

まず工房の使い方に始まって、本の各名称、紙の特性、製本道具について手作りの分かりやすい資料をもとに、丁寧に説明して頂く。
そのあと製本道具が整理された棚に行き、資料の紙を見ながら、今日作成する判取帳に必要な製本道具を先生と一緒に取り出す。


製本道具がいっぱい!しかもきちんと整理整頓されている!

判取帳というものを初めて知ったが、日本の商人が昔から使ってきた帳面だそう。材料は半紙、麻紐、こよりに使う和紙だけ。

こよりをよじるのにモタモタしたり、半紙十五枚を重ねてカッターでカットするのに幾度もカッターでなぞったり(半紙は意外としっかりしていて、すぐには切れない)。
でも先生に親切に色々教えてもらって、無事に全三十頁の判取帳を完成。
使い終えた道具はウェットティッシュで拭いて、元の棚へ返却。これで本日の講座は無事終了。

↓上から見た感じ。ぶら下げる麻紐だけが出ている。

↓真ん中部分をあけると、こよりで全体が支えられている。

この綴じ方を使えば、ZINEを作成したり、田畑書店のポケットアンソロジーを綴じたり出来るかも…と思った。
↓ちなみに本日購入した田端書店のポケットアンソロジー、READING NOTEBOOK、一冊フォルダー

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さりはま書房徒然日誌2024年10月2日(水)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』八月三十一日を読む

ー想いを色々な表現に託してー

八月三十一日は「私は回復だ」で始まる。

以下引用文。回復した世一が吹き鳴らす口笛の「瑠璃色のさえずり」という表現に、生命が戻ってきたという感じが込められている。

患者の口笛による瑠璃色のさえずりが
   素晴らしい調子で響き渡るたびに
      気高い音波が
         体内に僅かに残っている
            ろくでもない最近と
               悪い毒素を排除した。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』139頁)

以下引用文、世一の回復を喜びつつ、すぐに元々の病気は回復していないという現実に戻されてゆく母親の心を足音に託しているのが心に残る。

その足音は初めのうちだけ軽やかでも
   階段を下って行くにつれて
      いつものあまり幸福とは言えぬ境界線をさまよう者の気配を
         どんどん濃くしていった。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』141頁)

以下引用文。医師にオオルリの呼び名を訊かれた世一。元々の病は治ってはいない……ということを「限界に達し やがて煮詰まってしまった」と書いているところが面白い。

すると
   名前などは付けていないと答える世一のなかで
      私はほぼ限界に達し
         やがて煮詰まってしまった。

(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』141頁)

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さりはま書房徒然日誌2024年10月1日(火)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』八月三十日を読む

ーどこかとぼけた語り口ー

八月三十日は「私は奇跡だ」で始まる。世一の姉がこっそり布を被せて病室に持ち込んだ籠のオオルリが引き起こす奇跡が語る。

全体にどこかとぼけたような、ユーモラスな雰囲気のある箇所である。そういう風にしないと、いかにも取ってつけたような奇跡になってしまうからなのかもしれない。

最初、オオルリが「ベッドに張り着くようにして横たわっている人間」が世一であることに気がつき、地鳴きを繰り返しても「カセットテープのさえずり程度の効果」しかなく、「私の出番など どこにも在りはしなかった」。

世一の姉が屋上に出て恋人の家を眺めているときに、奇跡は起きる。姉が戻ってくると「なんとベッドから離れ 晴れ晴れとした顔つきで歩き回って」いる。

以下引用文。何が起きたのか作者は語らず、以下のようにとぼけて締めくくることで、読み手に想像させて楽しませているのかもしれない。

平然たる態度のオオルリは
   練り餌をついばむ振りをして私のことを飲み下し
      手のうちを完全に隠してしまった。

(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』137頁)

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さりはま書房徒然日誌2024年9月30日(月)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』八月二十九日を読む

ー弱い者に視線を向けるとき束の間ひとは真人間になるー

八月二十九日は「私は見舞いだ」で始まる。瀕死の世一を病院の外側から案じる盲目の少女の見舞いが語る。
以下引用文。少女に病院までの道を訊かれた物乞い、修行僧、青年やくざの反応を「おのれの立場を束の間忘れ去り ただの人間に戻って」という文に、どんな人間にも宿る弱い者への優しい視線を見つめる作者を感じる。

道を教えたあとで
   相手が盲人であることに気づいた三人は
      それぞれにおのれの立場を束の間忘れ去り、

ただの人間に戻って
   相手が間違いのない方向へ進んで行くかどうかを
      しばしば見守っていた。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』132頁)

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さりはま書房徒然日誌2024年9月29日(日)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』八月二十八日を読む

ー家族の本音ー

八月二十八日は「私はカセットテープだ」で始まる。世一の姉が瀕死の弟のためにオオルリの鳴き声を吹き込んだカセットテープが語る。

以下引用文。我が子・世一の命がおそらく長くはないと知った母親の残酷な反応を静かに赤裸々に描いている。

疲労しているはずの目には
   わが子の命が解き放たれる日が間近いことを確信する
      なんとも言いようがない
         鈍い輝きが見て取れた。

そして彼女は
   重荷でしかない病児を娘に任せ、

   ひと眠りするために
      さもなければ
         厄介者が消えたあとの日々を夢想して楽しむために
            町場より涼しい丘の家へと帰って行った。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』127頁)

以下引用文。姉の真意を見つめるカセットテープの言葉が印象的である。ただ百年後の人がこの文を読んだら、たぶんカセットテープで躓き、文意が取れないかもしれない。百年後もおそらく変わらない自然が語り手なら理解してもらえそうだが、物に語らせる危うさはあるのかもしれないと、ふと思った。

微動だにしない弟を相手に
   姉はこう弁解し、

   青い鳥のさえずりの力を借りて命を救おうとしただけであって
      断じてその逆ではないと言い張り、

      その間私は
         沈黙によって疑念を深め
            果たして本当にそうなのかという
               声なき声を連発していた。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』129頁)

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さりはま書房徒然日誌2024年9月27日(金)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』八月二十七日を読む

ー自由への想いー

八月二十七日は「私は追憶だ」で始まる。「午前零時を回っても 思い出したように発作的にさえずるオオルリのせいで 留まるところを知らぬ」追憶が語る。
上記の文だが「回る」「発作的にさえずる」「留まるところを知らぬ」という言葉が絡み合って、追憶がからから回るような映像が浮かんでくる。


以下引用文。世一の母親の追憶の一コマ。「鳥になるべきだ」の一言に、丸山先生の自由を大切にされる生き方がおもわれる。

つれないことをさらりと言ってのけることと
   好男子であることで評判の占い師は
      「この子は鳥になるべきだ」と
         そうひと言呟いただけで、

         母親が幾度聞き直しても
            鳥の意味についてはまったく触れなかった。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』123頁) 

以下引用文。入院していて空っぽの世一のベッドを見つめる父親は、オオルリに怒鳴る。やはり、ここでも自由への切実な思いが伝わってくる。

まったくだしぬけに
   「黙れ!」とオオルリを一喝し
       鳥になりたいのは自分だと言った。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』125頁)

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さりはま書房徒然日誌2024年9月26日(木)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』八月二十五日を読む
ー平易だけど心に残る表現ー

八月二十五日は「私は異変だ」とまほろ町に次々と起きる異変が語る。
以下引用文。「夏と交わりたがる大勢の人間」とか「ぐうの音も出ないほど貧しさにやりこめられた」とか、平易なんだけれど思いつかない面白い表現だなと思う。

されど
   湖岸にも湖上にも
      夏と交わりたがる大勢の人間がいたにもかかわらず
         誰ひとりそれを目撃しなかった。

ついで私は
   ぐうの音も出ないほど貧しさにやりこめられた路地裏へと移り、


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』116頁)

以下引用文。最後の四行からオオルリが激しくさえずる姿が浮かんでくるのはなぜだろうと思った。もしかしたら「オオルリ」のところまでは、わりと開けた感じの文字を使い、「オオルリ」以降は画数の多い漢字がきているせいもあるのだろうか?

少年世一の広大な人生を祝してさえずる
   籠の鳥であっても究極の自由を味わいつづける
      オオルリが
         小さな脳髄に宿る大きな魂を
            激しく震わせながら
               人間に限りなく近い
                  絶叫を発した。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』117頁)

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