さりはま書房徒然日誌2025年10月19日(日)

丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より七月五日「私は現世だ」を読む

現世の活気と生命にあふれる以下の描写が続いた後、それとは真逆の辛さ、暗さに満ちた現世の描写がくる。

丸山作品はこの世の暗さ辛さをよく見つめているからこそ、以下の文は輝くのだなあと思う。

暗さ辛さから目を逸らしたまま、明るさ活気だけを描いた作品にはない引き込む力がある。

野辺に繁茂する雑草と咲き乱れる千草
   樹陰にゆったりと巨体を横たえてくつろぐ白と黒のまだら模様の牛たち、


そこかしこに飛び交う若やいだ声
   彼らの健やかな流汗
      川尻に仕掛けられた梁のなかで踊る銀鱗、


斜光が長い影をもたらす草むした墓地
   世界をろくに知らなくても幸福な者たちの気配、


開店と同時に引きも切らずに客が詰めかける
   立派な構えの和菓子屋、


それらは私の一部でありながら
   全体そのものである。


( 丸山健二『千日の瑠璃 終結7』171ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年10月18日(土)

丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より七月三日「私は嫁入り道具だ」を読む

世一の姉がストーブ作りの男の家に運び込んだ嫁入り道具が語る。

前妻の記憶が染みついている家財道具は処分され、嫁入り道具に囲まれた男。

その正直な言葉は、結婚によって失われがちな自由というものをよく語っている気がする。

「またしても出発点を誤ったのでは」という不安は「懐かしい不安」という言葉に、人生ってたしかにそういうものなのか……と苦味を感じる。

そんなことを言いながらも
   いざ私に取り囲まれると
      ある種の圧迫を感じて
         自由がじわじわと蝕まれてゆくように思い、


しまいには
   またしても出発点を誤ったのではないかという
      懐かしい不安を覚えずにはいられない。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』164ページ) 



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さりはま書房徒然日誌2025年10月16日(木)

手製本応用講座 「やむなしに逆目を本にする場合」

中板橋の手製本工房まるみず組の手製本応用講座「やむなしに逆目を本にする場合」へ。

応用講座は、基礎講座で使用したテキスト80枚以上をコピーして、一冊の本に仕立てあげるところからスタート。

学んできたテキストを本に仕立てあげることができるなんて!ワクワクする。

持ち運びを楽にしたいからA4のテキストをA5に縮小、コピー屋さんで冊子印刷をする。

ただコピー用紙はほとんどの場合、タテ目だ。(紙には、タテ目、ヨコ目がある)
本にする紙はヨコ目の場合がほとんどだ。
表紙、見返しがヨコ目で、本文がタテ目だとシワシワになったり、歪みが出たりする。


それをどう軽減していくか……具体的なコツをいくつか学んだ。

本文を糸でかがり、背固めをして、寒冷紗を貼って今日はおしまい。

作業の途中で先生が確認してくださる。
裁縫が苦手な私は、かがった糸がどうもユワユワしてしまう。ピシッときっちりかがることが出来る人になりたいものだ。

作業に取りかかる前は、基礎講座のときと同じように製本ドリルがある。

応用講座になって、さらに考えさせ、理解の不足を鋭く突いてくるドリルにパワーアップしている、すごい!

手を変え品を変え、こういうドリルを考える労力だけでも大変だと思う。
まるみずの先生は技術がすごいだけでなく、製本ドリルやテキストづくりにも熱心な教育者なのだなあと思う。

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さりはま書房徒然日誌2025年10月14日(火)

丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より七月一日「私は咆哮だ」を読む

「まほろ町が赤字を押して営みつづける動物園に もう大分長いこと飼われている 老いたライオン」の咆哮が語る。

今は老いぼれライオンでも、かつて咆哮で静めた様々な人の営みが語られる。
そのあと、やってくる世一の無邪気さ。

「慰め顔」という言葉に世一の優しさを感じる。

「咳きこみながらの大サービス」という言葉に老ライオンの姿が目に浮かんでくる。

小さな町の動物園の一コマが浮かんできて、そこでは弱い世一も、老いぼれライオンもしっかりと輝きを放っている。

きょう
   少年世一がやってきて
      慰め顔で
         私のあまりの凄まじさに
            驚いて腰を抜かしそうになったと言った。

見え透いた世辞だと承知していながら
   すっかり嬉しくなってしまった私は
      咳きこみながらの大サービスをしてやり、

すると世一は
   ふらつく体を一段とふらつかせ
      背を大きくのけ反らせて
         今にも気絶しそうだなどと言い、


あげくに
   ぶっ倒れる真似までしてくれ

同じ園内で飼育されているインコが
   「馬鹿か!」と言っても止めない。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』157頁)

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さりはま書房徒然日誌2025年10月12日(土)

工房レストアの和綴講座へ

大阪、高津宮にて、工房レストアさんが11日に開催された和綴ワークショップに参加してきた。

高津宮は国立文楽劇場から坂道を登って9分。
夏祭浪花鑑とか文楽の演目にも縁のある神社で、1150年以上の歴史がある。

文楽劇場から坂道を登ること9分。ようやく着いたと思えば、最後まで階段が続く。

昔、この神社から海が見えたとのこと。
今では高速道路、ビル、そして怪しいホテル街に囲まれているが。

こんな由緒ある神社の、結婚式にも使われる末広の間で、紙製文化財の修理、修復、複製をされている工房レストアさんが、和綴じ講座を開催してくれた。

工房レストアの社長が教え、若い女性社員二人が補助に入ってくださる。

何回、和綴講座に参加するの?」と突っ込まれそうだが、基本の動きは同じでも、こだわりの動きが微妙に違うのが、手製本の面白いところ。



こよりの作り方にしても、人それぞれである。私はこより作りが苦手だったのだが、レストアさんの一工夫を真似したらスルスル出来た。

合間に和紙について、修復の現状について、アツいお話が聞けるのも、レストアさんの講座の面白さである。

和綴本に使う和紙にしても、表紙は染紙、本文は画仙紙、雁皮紙、機械漉き楮紙、手漉き楮紙、パルプ和紙混合のロール紙と、色々な和紙を混ぜて揃えてくださっていた。

和紙ごとに異なる手触りを楽しみつつ、解説を伺った。

雁皮紙(ガンピシ)の材料、雁皮は植林できないので、山に入って採取しなくては行けない。
一日かけて集めても、2キロ採取するのが精一杯。ゆえに高価。
繊維が細かく、紙漉きのときに沈むので布をひく。
そうして出来た雁皮紙は密度が高く、滲むことなく細い線が書ける……そう。

機械漉き楮紙は透かしても竹の繊維がないが、手漉き楮紙は横の繊維が見える……知らなかった。

外国産の材料を混ぜた和紙は安いが、日本の気候風土に合わないため、やがて紙が黒くなってしまう。だから工房レストアでは使用していないとのこと。

(↓会場の椅子に並べられた紙の材料、その1)

手間ひまのかかる和紙の材料作りは、今、危機的な状況にあること。
レストアさんも四国の山に入って、紙の材料となる植物を植えたりもしてきたそう。

(↓紙の材料 その2)

合間に修復の仕事についてお話が伺えて興味深い。

昔の雑誌はホチキスが錆びる時期にきているため、紙の紐に変えてくれという依頼も多いとのこと。

また古文書をバラしてPDF化、また綴じ直す……という仕事も多いそう。

そういう紙の修復の仕事があるとは……知らなかった。

(紙の材料 その3。叩いてほぐした繊維。顔を近づけると、プンと山の匂いがした。

 紙の材料は山の匂いに満ちている……ということも新鮮な発見)

和綴完成後、社員さんが普段のお仕事風景ー古文書の和綴本をバラして、また綴じ直すーを見せて下さる。(↓ 下の写真)

こよりを金槌で叩いて仮留めするときも、古文書の場合、本文を汚さないように紙をひくそう。

また古文書は虫食いの穴がたくさんあるため、糸を通す穴なのか、虫食いの穴なのか、見極めに時間がかかるそう。

でも早い!

Screenshot

私も完成!紙の異なる和綴じで水墨画にトライするのが楽しみ。
横のバッジはお土産にいただいた工房レストアの缶バッジ。

最後、レストアさんが会場に茶話会タイムを設けてくださる。

高津神社富亭カフェの名物、氏子ロールやお菓子を用意してくださる。
氏子ロール、品のいい甘みに生姜が入っていて美味しい!

他の参加者の方の紙との関わり方やレストアさんの社員の話が伺えて、茶話会も興味深いひとときだった。

特に修復を専攻されたわけではないけれど、美術を学んでいた、手仕事が好きだった……という若手社員さんのお話を伺う。

ご自分の好きをお仕事にされていく姿勢も、そうした気持ちを持つ社員を育てていかれるレストアさんの姿勢も素晴らしいなあと思う。

さらに社員さんのライフスタイルの変化に合わせて、リモートを組み合わせたりと柔軟に勤務の在り方を変えているらしいレストアさんの様子。
古い資料を扱いながら、社員を大切に、新しい勤務体系を導入されているレストアさんの柔軟さにも感動。



「薄い和紙がうまく切れなくて、たくさん無駄にしてしまって」という私の嘆きへのアドバイスは、まるみずの先生とピッタリ同じ。
カッターは軽く、軽く持って、刃をこまめに交換しなくては……と反省。
さらに「和紙はたくさん無駄にしていいんですよ。そしてたくさん買ってくれたら、和紙を支えることになるんですよ」との言葉。

そうかあ、自分で購入した紙は無駄にしても、また買うことで和紙を作って働く人たちを支えることになるんだ……

色々学んだ一日、レストアさんに感謝!

また来年、何かの講座を企画してくださるとのこと。大阪は遠いが参加できたらと楽しみにしている。

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さりはま書房徒然日誌2025年10月7日(火)

丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より六月二十八日「私は生気だ」を読む

これから海に向かおうとしている五人の老人の生気。

その様子が、身も蓋もないと言うべきか、ユーモラスというべきか、そんな両方の視点で語られている。

この二つを併せ持って書くのは丸山先生らしい気がする。

力強さという点においては
   学校の行き帰りに騒ぐ学童らの声をはるかに上回り、

天皇を神とする国家に士気を発揚されていた当時の
   かれら自身の空元気を凌ぎ、

なお且つ
   花札賭博で熱くなった客の興奮をも超えており、

そんな私のあまりの勢いに
   普段は年寄り連中を舐めきっている野良犬も負けて通り、


田舎道には敵さぬ大型の乗用車を駆って通りかかる
   やくざ者ですら圧倒されるほどの勢いだ。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』143ページ)

これから旅に出るかれらはもはや
   息子に難題を吹っ掛けたり
      嫁にあれこれ煩く言ったりする
         一家の嫌われ者などではなく、

神仏なんぞの掌中に帰して
   すっかり身動きが取れなくなってしまった
      救いがたい愚か者などではない。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』144ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年10月6日(月)

丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より六月二十七日「私は目先の欲だ」を読む

まほろ町の小さな図書館に勤める世一の姉。
その姉をつかまえ、リゾート開発計画反対派の元大学教授が頼む。

世一一家が住む丘を売り払うのはやめるように、父親に説得してくれないかと。

姉は、私も売り払いたいと思う……と断ると、大学教授はこう語る。

大学教授に言い返す世一の姉の鋭さ。
「わが同士や仲間たちが 生き生きと飛び跳ねていた」という目先の欲が、やけに美しくユーモラスに感じられてくる不思議さを思う。

私に取り憑かれていると
   そう決めつけられた女は
      人は皆そうやって生きているのだと切り返し、

「先生だって老後の生き甲斐のためにそうしているだけで
    本音としては田舎町の未来などどうだっていいんでしょ」と言うや
       男はぴたりと口を閉ざしてしまい、

彼がとぼとぼ帰って行く湖岸野処々方々では
   薫る風や光る水といっしょに
      わが同士や仲間たちが
         生き生きと飛び跳ねていた。


( 丸山健二『千日の瑠璃 終結7』141ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年10月5日(日)

丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より六月二十五日「私は怪雨だ」を読む

どこかSFチックな、怪奇めいたところがある箇所である……

私は怪雨だ、

人々の不安やら虫の知らせを核にして
   うつせみ山の麓に扇状に広がる新開地を容赦なく叩く
      色付きの怪雨だ。


私は野路に咲き乱れるスミレの花を赤く染め
   高い杉によじ登って枝打ち作業に精を出している男の顔面も
      やはり同じ色に染め、


(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』130ページ)

老いた樵は「こんな雨は初めてだ 地球が血を噴いている」と言って立ち去る。
そしてそんな言葉から、壊されてゆく環境へ丸山先生が警鐘を鳴らしているようにも思える。

樵と働いていた若者は血の色に塗れながら踊る。
だが怪雨はそんな若者にしらける。


やがて青づくめの世一が近寄ってくると、本来の色に戻ってゆく。
弱いはずの世一が、自然の姿を本来のものに戻す……という結末は、考えさせるものがある。

私の方は逆に白け
青色を好む少年の出現を契機に
      本来の無色透明に戻っていった。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』133ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年10月3日

丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より六月二十四日「私は悟りだ」を読む

「はみ出し者の若い修行僧が得たちっぽけな悟り」が語る。

「悟り」は橋の下で寝る物乞いと托鉢をする修行僧の間に、どんな違いがあるのか問い詰める。

返答に窮した僧侶は
   自信のない視線をあやまち川へと転じて
      ため息を二度三度と漏らし、

そこで私はなおも迫り
   「おまえは迷っていて
       この男は迷っていないという
          ただそれだけの差ではないか」と
             そう畳みこんでやった。

(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』128ページ)

悟りのおかげで修行僧は、物乞いと紛らわしい托鉢をやめ、労働によって物乞いと一線を引こうとする。

托鉢への厳しい表現に、一貫して宗教の生臭い面を問い続けてきた丸山先生の視線を感じる。

今でも時折駅前で見かける托鉢の僧。いったいどんな心持ちで、何を求めて托鉢をしているのだろうとも思う。

つまり彼は
   その足で貸しボート屋へと出向き、

私から最も遠くて最も近い存在の
   難病を背負わされた少年の相手をしていたおやじは
      僧侶の申し出を快く引き受けて
         「そいつはいい心掛けだ」と言い、

三人は肌色の月を愛でながら
   大皿に山盛りにされた草餅を食べ始めた。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』129ページ)

「私から最も遠くて最も近い存在」と世一を表現した言葉、色々考えさせられる言葉である。

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さりはま書房徒然日誌2025年10月2日(木)

丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より六月二十三日「私は跳躍だ」を読む

うたかた湖の、まほろ町の主でもある巨鯉が披露した「跳躍」が語る。

丸山作品の主人公たちは、一見救いがないような弱者なのに、丸山先生が語るその姿には希望が、未来があふれている。

そんな文に読者は救われ、己の有り様を考え直すのかもしれない。

私を目撃したのは
   少年世一と盲目の少女ふたり
      それに
         四六時中少女の面倒を見てやっている白い犬だけで、

雨やみのあいだに遊びにきたかれらは
   沖へ向かって
      未来へ向かって
         突き出ているぼろぼろの桟橋を
            慎重な足取りで渡り、

その突端に

   肩を並べて佇んだ。

(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』122ページ)

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